第五話 決意新たに
僕がトラウマから立ち直った日から、七日が経過した。
あれから僕は、ティアと彼女の護衛を務めているケビンに頼み込んで、少しでも荒事に慣れようと訓練を始めた。
毎日お屋敷の庭に出て、刃物を持つ人間から逃げるための、間合いから体を外して一人でも逃げることができるようにする訓練を行っている。
二人が手にした木刀の届く範囲から常に逃げ続けるという訓練は、傍から見ればただの鬼ごっこにしか見えなかったかもしれないけど、渦中の僕は至って真剣だった。
時折クライスさんも訓練を見守ってくれていて、身体の動かし方について真剣にレクチャーしてくれたり、僕の調子が良い時にはクライスさん自身が木刀を握って、天狗になりかけた僕の鼻をへし折ってくれたりもした。
でもあの人、剣を振るときの迫力が洒落にならないくらい怖いんだよね。
初日や二日目には何度も斬られていた僕だけど、三日、四日、五日と日を追うごとに、段々と剣の間合いや踏み込みの限界距離など、回避に必要な観察眼を養っていき、七日目にはティアの剣をある程度回避できるようになっていた。
「はい!」
ティアの踏込からの横薙ぎを、懸命に後ろへ下がって避ける。
胴の寸前を木刀の刃先が素通りしていき、空を切る音が耳に届く。
「やあ!」
ティアは止まることなく尚も踏み込んで来て、胸の横に構えた剣を突きだす。
僕は刃先がこちらを向いて止まった瞬間に『突き』だと判断して、身体を捻ってこれも躱す。
そして地に足が着いた瞬間運動ベクトルを横に変え、全速力で逃走を図る。
ティアは「あっ」と声を漏らし慌てて僕を追うけど、先に走りだした僕に追い付くことはできなかった。
「そこまで」
審判を務めていたケビンが声をかけて終了させる。
「チヒロの勝ちだね」
僕とティアの距離が間合いの三倍まで離れたので、この勝負は僕の勝ちだ。
「や、やった!」
「うぅ」
喜ぶ僕と、悔しそうに頬を膨らますティア。
この、片方が斬りかかり、もう片方が逃げ回るという回避訓練は、互いの距離が間合いの三倍、およそ九メートル離れたら回避側の勝ちとなる。
攻撃側はそれまでに、一太刀でも有効打を浴びせれば勝ちだ。
「チヒロ、本当に上手くなってきたね。回避だけなら一般騎士並みだよ」
「そ、そうかな?」
ケビンが手放しで賞賛してくれるのを受けて、僕は誇らしげな気分になる。
立ち直った日に自己紹介しあった僕たちはなんだか気が合うようで、すぐに打ち解けて仲良くなっていた。
僕とケビンの二人だけで盛り上がってしまい、ティアが不貞腐れることもあったくらいだ。
「本当に、チヒロは避けるのが上手くなりましたね。もう私とでは五分じゃないですか?」
一息吐いて落ち着いたティアも、僕を称えてくれた。
「ありがとう。でも、多分まだクライスさんには歯が立たないよね」
恥ずかしくなってきた僕は、自分を落ち着けるためにも少し離れたところで見守るクライスさんに目を向ける。
これまでティアには五割くらい、ケビンにも稀に勝利できるようになってきた僕だけど、彼には一回も勝てていなかった。
というか、ほとんど初撃で斬られてしまっている。
「始めて十日も経たずにクライスに勝ててしまったら大変ですよ」
「そうだね。隊長とこの訓練をやって勝てるのは、ユージーン様とリーアン様くらいじゃないかな」
僕が苦笑いと共に口にしたことに、二人は揃って笑い声を漏らした。
「そ、そんなに強いんだ……」
僕は目を見張って、悠然と控えているクライスさんを見る。
庭の端に直立し、油断なく周囲へ視線を巡らせているクライスさん。
常に銀の甲冑を身に付けていて、その立ち姿にはほとんど隙が見られない。
(多分、後ろから狙っても無駄なんだろうなぁ)
訓練の間何度か目にした体裁きを思い出して、改めて近衛騎士隊隊長の実力を思い知った僕であった。
それからもしばらく訓練を続けて、僕がケビンに通算七十敗目を喫したところで、それは起こった。
「クライス隊長! ご報告申し上げたいことが!」
騎士隊の人が一人、慌てた様子でクライスさんのもとに駆け寄ってきたんだ。
大きく息を荒げていて、かなり焦っているのが窺える。
「何があった」
クライスさんは冷静に、報告を持ってきた騎士に訊いた。
声の感じはいつもと変わらないけど、なんとなく纏う雰囲気に緊張感が交じっている。
騎士の人はすぐに息を整えると、クライスさんに敬礼し、声を張って報告を上げた。
「盗賊の一団が、街へ侵入しました。先日街へ侵入した北西の盗賊団の一味と思われます。総数は不明。現在、大門駐在の守備隊が交戦しておりますが、状況は芳しくありません」
「盗賊っ!? また!?」
「この間の盗賊たちの仲間、かな」
ティアが驚きの声を上げ、ケビンは落ちついた様子ながらも緊張した声を漏らす。
「また……」
僕は『盗賊』という単語を耳にしただけで、あのときの恐怖の一端が蘇るかのような錯覚を感じていた。
「チヒロ、大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫……ちょっと震えただけだよ」
心配してくれるティアに、精一杯の返事を返す。
自分では笑顔を浮かべたつもりだったけど、眉の下がった彼女の表情から察するに苦笑いになってしまっているのだろう。
僕ら三人が相応の反応を見せているのに対し、クライスさんは実に落ち着いていて、少しの間逡巡しただけで敬礼のまま待つ騎士へ指示を発した。
「では、街の各所に伝令を送り、速やかに事態の収拾にかかれ。ただし、住民の警護及び救護を優先せよ。主犯格は私以下近衛騎士隊で抑える。以上だ」
「はっ!」
クライスさんの迅速な指示の下、騎士の人はすぐに引き返して街へ降りていく。
おそらくこれから伝令を繋いで、クライスさんの指示を街の各所に駐在する騎士たちに伝えるのだろう。
騎士が走り去った後、クライスさんは僕ら三人の方へ振り返り、歩み寄ってくる。
「ティアーク様、お聞き及びの通りでございます。我々近衛騎士団も侵入した賊の討伐のため、街へ下ります。つきましては、ティアーク様にはお屋敷でお待ちいただきたく……」
ティアの安全を考慮したクライスさんの申し出。
しかし、彼女は首を横に振った。
「いえ、私も共に参ります」
「ティアーク様、ですが……」
渋る騎士隊隊長に、ティアは泰然とした態度で臨んだ。
「近衛騎士は確かに精鋭部隊です。彼らなら賊如きに苦戦することはない。ですが人数が少ないでしょう? 街の守備隊に住民の警護を優先させるのであれば、賊の捕縛は近衛騎士だけでやらなければならなくなります。少ない人数で何人いるか判らない賊を全員相手にするのは難しいはずです」
「……はい、仰るとおりでございます」
「ならば、人数が大いに越したことはないでしょう。それに、私を屋敷に残すのであれば大事な戦力となるケビンも待機、ということになってしまいますよ?」
論理的に彼の言い分を打破し、おまけに微笑みさえ浮かべてそんなことを言う。
クライスさんは苦々しげな表情で閉口してしまった。
「隊長、ティアーク様ならば大丈夫だと思いますよ? 私も離れぬよう傍で御守りいたしますし」
年下の主君に言い負かされている上司がさすがに哀れになったのか、ケビンが苦笑いで助け船を出した。
護衛役の彼が傍にいるのであれば、少しは安全というものだろう。
「……僕も……」
そんな、クライスさんに向かう二人を見ていた僕は、気が付けば自然と口を開いていた。
「僕も、協力するよ」
三人が一斉に振り返る。
「へぇ」といった感じのケビンやまるで表情を変えないクライスさんに対して、ティアはあからさまに心配そうな表情を浮かべた。
「チヒロ? ですが……」
「大丈夫、無理はしないよ。それに戦えない僕でも、捕まえた人達を見張るくらいならできるだろうし」
ほんの少しだけ見栄を張って、思いついたことを口にする。
思い出すだけで緊張して鼓動が早くなってしまうけど、この機会に立ち向かわなければもう二度と同じような機会は訪れない気がしたから。
「チヒロ、できるのかい?」
「うん」
ケビンの穏やかな声に、ハッキリと頷いて見せる。
すると、依然悩ましげな表情のティアの後ろで、これまで黙って僕を見つめていたクライスさんが僅かに笑みを浮かべた。
「チヒロ殿やケビンがそこまで言うのであれば、わかりました」
そして軽く頷いて承諾の言葉を口にする。
「ありがとうございます」
「クライスっ!?」
が、それを求めていたはずのティアが抗議の声を上げた。
それが僕を心配してのことだというのは言われなくてもわかる。
だけどクライスさんは元の真面目顔に戻り、彼女に言い含めた。
「ティアーク様、ケビンとチヒロ殿、二人の同行が条件です。それを呑んでいただけない場合は、ティアーク様の出撃を容認することはできません」
「そんな……」
ティアは訳が分からないと言った様子で、言葉を詰まらせている。
これほどまでに心配してくれるのは正直嬉しい。
だけど、僕は恐怖を克服するためにも挑まなきゃいけないんだ。
「ティア。僕は大丈夫だから、ね?」
「チヒロ……」
彼女は眉の下がった目で僕を見つめる。僕も、出来るだけ強い意思を込めた目で見つめ返す。
僕らは真っ直ぐに見つめ合って、やがてティアは小さく頷いた。
「わかりました。ですがチヒロ、決して無茶な真似はしないでくださいね?」
「うん、約束するよ。僕にできないことはしない」
僕も彼女に頷き返して、自分の力の及ばないことはしないと約束する。
「よし、話は決まったね。隊長、私は二人の護衛に就きたいと思いますが、それでよろしいでしょうか?」
僕らを見守っていてくれたケビンも、頷いてクライスさんに向き直り、確認をとる。
隊長さんの方も、それについては織り込み済みだったようですぐに首肯を返した。
「ああ、お二人を頼むぞ」
「お任せください」
一言で片づけてしまうあたり、クライスさんは余程ケビンを信頼しているんだろう。
(まあ、そうじゃなきゃ大事な主君の護衛を任せたりはしないよね)
内心で自問自答して勝手に納得していると、不意にクライスさんは僕の方に振り向いた。
あれ、なんだろう。
何かアドバイスでもくれるのかな?
なんて、そんな呑気なことを考えていたら、彼は腰を折って僕に頭を下げたんだ。
「チヒロ殿も、ティアーク様をよろしく頼みます」
「えっ、クライスっ!?」
呆然とする僕に代わって、ティア本人が驚きの声を上げる。
でもそれも当然だ。
何の力も持たない僕に、戦えるティアを頼むと言うのだから。
つまり、彼はそれほどまでにティアを大事にしているということ。
僕はそこに、主従関係以上の絆のようなものを感じた。
「ささやかですが、精一杯務めさせていただきます」
クライスさんの想いに報いるためにも、僕は誠心誠意の返事をし、礼を返した。
恥ずかしそうに顔を染めるティアと笑みを浮かべて見守るケビンの前で、僕らは同時に顔を上げて視線を交わした。
これで方針は決まった。
ここからは、僕にとって二度目の実戦だ。
僕らは早急に、街へ下りる準備に取り掛かった。
―――
主にティアの着替えと、ケビンの甲冑の装着、あとはクライスさんが馬を用意してくれたりといった準備は、思いの外早く完了した。
多分、皆慣れているからなんだと思う。
僕も、もしもの時のために何か持っていくものはと考えてケビンに予備の剣はないか訊いたんだけど、彼は真剣な表情で首を振った。
「剣っていうのは、持っているだけでも危ないんだよ。誰しも、抵抗力のありそうな相手から狙うからね」
「ああー、言われてみれば確かにそうかも」
僕だってもし剣を持っていたら、危ない人から狙うだろう。それは敵も同じだ。
「だからある程度剣に慣れるまでは持たない方が安全だったりするんだ。この前だって、先に刃を向けられたのはティアーク様だったろう?」
「そう、だね。わかった。じゃあ今回は持たないでおく」
非常にわかりやすい論理的な説明に、僕は納得して彼の言うとおりにする。
ケビンはそんな僕を見ると、軽く頷いて微笑んだ。
「うん。まあ安心してよ。いざとなったら僕も、ティアーク様もいるから」
「うう、ケビンはともかく、ティアにまで守られる側なのかぁ……」
先程クライスさんに頼まれた手前、早速突きつけられた事実に僕は情けない声を漏らす。
「チヒロ、ケビン、お待たせしました」
丁度そのとき、着替えを終えたティアがお屋敷の階段を駆け下りてきた。
「チヒロ? どうかしましたか?」
彼女は僕たち二人のもとまで駆けてくると、複雑な表情になっていた僕を見て疑問の色を浮かべる。
が、ケビンが微笑みを作って彼女に向き直り、誤魔化しにかかった。
「いえ、何でもありません。さあチヒロ、行こうか」
「う、うん」
ふられた僕もどうにか頷いて、何事もなかったふりをしながら歩き出したケビンに追従する。
ティアは首を傾げていたけど、幸い追及してくることはなく、僕の隣まで追いかけてきて並び、三人で一緒になって屋敷の外に出た。
崖下の光景に、僕は息を呑む。
丘の下のアトラスの街は、今や大混乱に陥っていた。
遠くに見える南大門から伸びる大通り。
馬車が何台も横に並べるくらい広いその通りを、大勢の人が広場へ向かって走ってきている。
その喧騒は実に、この丘の上まで聴こえてくる程だ。逃げ惑う住民に交ざって彼らを追いかける盗賊の姿もあった。
目を凝らすと、門の近くで騎士装の人と先日の盗賊たちと似た恰好をした人が何組か、小競り合いをしている様子も窺える。
「これは……」
「大混乱だね。一体何人の盗賊が侵入しているのかもわからない」
ティアとケビンの声も一層の真剣味を帯びている。
クライスさんも、眼下の混乱に目を向けて、状況をくまなく把握しようと努めているようだ。
「ふむ、ここからですと逃げる住民との区別がつきませんね。やはり街まで下りて随時捕縛していくしかないようです」
そして、彼は導き出した方針をティアに提案する。
彼女も黙って即断し、頷いた。
でも、あれ?
ちょっと待って。
「あの、一つだけいいかな?」
僕は気掛かりを解消するため、軽く手を上げて三人に声をかける。
「どうしました?」
すぐさま訊ね返してくれたのは、意外にもクライスさんだった。
「えっと、住民と盗賊の違いならパッと見で判ると思うんだけど……」
が、そんな些細なことにはツッコまず、僕は思ったことを述べてみた。
というか、三人には判らなかったのだろうか。
すると、ティアとケビンが思った以上に驚いた表情に変わった。
「チヒロには、判別できるのかい?」
「う、うん。服装や走り方なんかで大体は……」
ずいっと顔を近づけてきたケビンの迫力に若干引きながらも、僕は答えた。
「着ている衣服に違いがあるようには見えませんがね」
「うーん、なんとなくなんですけどね。僕がこの世界の服に見慣れてないからかなぁ」
正直、十数日経った今でも、街の人の服装には違和感を感じるんだよね。
「服装はともかく、走り方まで違うものなのですか?」
ティアも信じられないといった顔で僕を見つめてくる。
「うん。よく見ると、実は追いかける人と逃げる人って、走り方が全然違うんだよ?」
ちなみに、これはテレビを見ていて得た知識だ。
某鬼ごっこ番組が好きだった僕は、逃げる人と狩人の走り方の違いを心得ているんだ。
「なるほど。ではチヒロ殿、ここから見渡してみて、盗賊の人数は判りますか?」
納得できたように深く頷いたクライスさんは、真剣な眼差しで僕に訊ねてくる。
その要請に、目を凝らして眼下を見渡してみた。
刃物を持って住人を追いかけている者。
門の近くで騎士と交戦している者。
通りの商店から品物を盗んでいる者。
そして大通りに悠然と立ち、他の盗賊たちに指示を飛ばしている大男。
「全部で十四人、かな。建物の中に入った人はいなさそうだから、それだけだと思います」
そう言って三人の方を振り返ると、今度はクライスさんも含めて驚きの表情を浮かべていた。
「えっ? なに、どうしたの?」
思わず訊ねてしまう僕。
そんな僕に、三人は三者三様の反応を見せた。
「チヒロ、すごいです! 今の一瞬で人数まで判るなんて」
「リーダーらしき男まで見分けるなんてね」
「お手柄ですよ、チヒロ殿」
ちょっとビックリするくらいに褒め称えられて、僕は顔が熱くなるのを感じた。
「い、いや、それほどでもないよ。というかほら、早く行かないと!」
そして、恥ずかしくなった挙句、出撃を急かすことで誤魔化してしまう。
「そうですね。チヒロの情報を無駄にしないよう、行きましょう」
ティアは笑顔でクライスさんに目を配り、
「早速チヒロを連れてきた甲斐があったね」
ケビンは笑みを向けてくれる。
「では、そろそろ行きましょうか」
唯一落ち着いた様子に戻ったクライスさんの合図で、出撃を開始する。
「それで、これから街へ下りるわけなんだけど……」
しかし、「いざ出撃!」というところで一つ、ささやかな問題が発生した。
「なんで僕はティアの後ろなの?」
それは今の僕の置かれた状況にある。
普段よりも随分高い位置にある視界のすぐ目前で、ティアが振り返って答える。
「ふふ、仕方ありませんよ。チヒロが一人で馬に乗ることが出来ないんですから」
そう。
僕は今、競走馬みたいな大きく力強い馬の背に跨っているんだ。
ただし、乗馬の経験皆無な僕はティアの言った通り、彼女のすぐ後ろに二人乗りという形で乗っている。
「えっと、僕は走るって言ったよね?」
体験したことのないリアルな高さと揺れに、僕は頬を引き攣らせながら抵抗を試みた。
「人間が馬の脚に追いつけるわけないだろう?」
しかし、ケビンがさらりと放った理屈によって、これは無駄な抵抗に終わる。
「なら、せめてケビンの後ろとかさ……」
「ケビンや私は甲冑分の重さがあるので無理ですね」
今度の抵抗は、クライスさんの尤もな指摘で流された。
そりゃあ、僕だって重武装のケビンの後ろより、軽装のティアの後ろの方が都合がいいなんてすぐに判ったよ。判ったけどさ……。
「うぅ」
恥ずかしさと気まずさの入り混じった声を漏らして、僕は苦い顔を浮かべる。
すると、あまりにもこの状況を改善しようとした所為か、ティアが拗ねたような声を漏らした。
「チヒロはそんなに私の後ろが嫌なのですか?」
「嫌じゃない! 嫌じゃないけど、こう、色々と問題が……」
慌てて否定する僕。
言葉にするのは恥ずかしい理由なので、後半は尻すぼみになってしまう。
すると何を勘違いしたのか、ティアは満面の笑みで気を遣った台詞を言った。
「私は気にしないので大丈夫ですよ」
「僕が気にするんだよ!」
思わず真っ赤になって叫ぶ。
そんな僕に、今度はケビンがニヤッと笑みを向けてきた。
「ほらほら、チヒロ。そんな風に照れてないで早く行かないと」
「べ、別に照れてなんて」
自分でも頬が染まっているのを自覚しながらの否定。
当然、彼は声を漏らして笑った。
そして、そんな細やかな抵抗の時間は突如終わりを告げる。
「さあ、行きますよ」
「うわぁ! ちょっと、そんな急に!」
クライスさんの合図の下、三騎の馬が一斉に駆け出したんだ。
突発的な揺れに焦った僕は、咄嗟に目の前のティアにしがみついてしまった。
「チ、チヒロ、腕を回すならもう少しその、下の方にしてもらえると……」
必死でしがみついた僕は、ティアから恥ずかしそうにかけられた言葉を聞いて、ようやく自分の掴んでいた膨らみの存在を認識した。
これは、もしかして――。
「ああ、ごめん!」
慌てて手の位置をずらし、ティアの指示通り、彼女のお腹に手を回す。
「いえ、こちらこそすみません。取り乱してしまって」
ティアも、すごく恥ずかしそうに早口で捲し立てる。
触れている彼女の背中が、とても熱くなっているのが判った。
多分、僕の心臓が全速力で鼓動を刻んでいるのも伝わってしまっているだろう。
僕らは前後揃って真っ赤になり、駆ける馬に揺られていた。
「二人とも、もう少し時間と場所を弁えて欲しいかな」
「「ケビンっ!?」」
「ははは、冗談だよ」
すぐ横でニヤニヤと笑う護衛騎士に放った叫びも、見事に被ってしまう同調ぶりを見せたっけ。