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始まり

 ウィスタリス皇国は、海の近くに王都シェリオスを構える、アメストリアでも大国に数えられる国の一つだ。アメストリアで最も広い領域を持ち、海産物の輸出などによって栄えていることから、諸外国から『大海を統べる国』として知られている。

 シェリオスの中心部に位置するシェリオス城。その一角の廊下を、一人の青年が一人の男と一匹の狼を伴って歩いていた。

 白い肌とは対照的な艶やかな髪は、うなじにかかる程度の長さで一房だけが腰ほどまで長い。手元の資料を見下ろす瞳は、海のような深青色。整った顔立ちは年不相応に落ち着いた雰囲気を纏っており、着ているのはウィスタリス皇国の海を守る砦、海軍の軍服に似ている。

「今日から見回りか」

「はい。その他、幾らかの書類仕事は船内で行っていただくことになります」

 青年の言葉に、その後ろで控えていた男が答えた。

 青年とは違って短めの髪は、漆黒。切れ長の瞳は、紫水晶のような紫色。異性が放ってはおかないだろう美丈夫だ。

「予定通りに帰って来られるといいがな」

「そうでなければ、イザナ様の御仕事が溜まっていくだけです」

「そういうことは言わないでくれ、アルヴィス」

 青年ーウィスタリス皇国第三皇子イザナ・シェリオンは、自身の側近である男ーアルヴィス・ディアルドの言葉に微かに眉を顰めた。申し訳ありません、とアルヴィスが言うのを聞きつつわイザナは書類へと意識を戻す。

「出航は昼からだったな」

 書類の内容を理解しながら、会話では違う内容を話す。相変わらず器用な方だ、と思いながらアルヴィスは頷く。

「はい」

「だったら、出航前に母上のところへ…」

 不意に立ち止まり、イザナが言葉を切った。釣られるようにアルヴィスも立ち止まって、怪訝そうな表情になった。

「イザナ様?」

「…龍美(りゅうび)

 アルヴィスの声には答えず、イザナが一つの名を呼んだ。すると、

「はいよ。呼んだかい、主どの」

と、何処からともなく一人の青年が姿を現した。

 短い金の髪に、猫を思わせるような深紅の瞳。動きやすさを重視した軽装を纏った彼の名は、龍美。もう一人のイザナの側近だ。

「俺が城を空けている間、お前はここに残れ。アカツキも置いて行く」

 アカツキ、とイザナが口にし、彼の足元にいた銀狼が顔を上げる。

「アカツキも、ですかい?そりゃあ、オレは構わんですけど」

「こいつの鼻は、陸の方が役に立つからな」

 少し屈んで銀狼の頭を撫でながら、イザナは言った。それから、彼は龍美の方を見やり、

「お前の“風”が一番速い。何かあれば、すぐに知らせろ」

と命じた。それを受けた龍美が軽く目を細め、楽しげな笑みを浮かべた。

「何かある、ってことですかい?」

「さて、ね。とりあえずの保険だ」

 任せたぞ、と言って、イザナはアルヴィスを伴って歩いて行った。その背中を見送った後、龍美は自分と同じくその場に残った銀狼を見下ろした。

「いやー、何と言うか、自分の主人なんだけどさぁ。あの人、いちいち説明足りないんじゃないの」

 龍美の言葉に、仕方ない、とでも言うように銀狼は一吠えしただけであった。



 城の室内庭園。その中心部には、アーチ型の屋根が付いた休憩場が設けられている。そこでは、一人の女性が優雅にお茶を楽しんでいた。

 腰までの艶やかな黒髪に、穏やかな翡翠色の瞳。儚げな麗しい容姿を持った彼女は、美月・シェリオン。ウィスタリス皇国の皇妃であり、イザナたち兄弟にとっては敬愛する母親だ。

「母上、失礼します」

「いらっしゃい、イザナ。おはよう」

 一礼し、アルヴィスを伴ってやって来たイザナを美月は穏やかな微笑みで出迎えた。

「おはようございます。今日は、ご挨拶に伺いました」

「挨拶?」

「はい」

 母の傍らに立ち、イザナは微笑む。

「実は本日より領海の見回りに出ることになりまして、数日ほどに城を空けるのです」

「あら、ついこの間も見回りに出ていませんでしたか?」

 領海の見回りとは、海軍がウィスタリス皇国の領海を二つの地域に分け、隊が持ち回りで数日かけて領海内の島などを見回ることだ。

 何故皇子であるはずのイザナがその見回りに出るのかと言うと、

「船を持つ将官ともなると、大変ですね」

 イザナが海軍の中将であり、船と直属の部下を持つ立場にあるからだった。

 イザナのもう一つの肩書き。それが、ウィスタリス皇国海軍第一艦隊総指揮官兼アージェント隊隊長だ。ちなみに、アージェントとは彼が艦長を務める船の名である。

 このウィスタリス皇国には、三人の皇子がいる。第一皇子アラン・シェリオン、第二皇子セイト・シェリオン、そして第三皇子イザナ・シェリオンの三人だ。彼らは、皇子として将来背負うべき役目が既に定められていた。上から順にそれぞれ、皇帝、騎士団総帥、海軍総督である。そのために、三人は現在少し下の地位に就いて経験を積んでいるのだ。

 それが、イザナが海軍中将たる所以であった。

「海軍総督となれば、今よりもずっと忙しくなります。この程度で音は上げられませんよ」

「それは、そうですが…。くれぐれも無理はしないように」

「はい、心得ています」

 心配そうに笑う美月に、イザナは安心させるように笑って頷いた。その時、

「お話し中、失礼いたします。イザナ皇子、少しよろしいでしょうか」

と、庭園入り口からそんな声がした。

 そちらへ目を向ければ、見覚えのある姿。それを見て、またか、と思いつつイザナは母の方へ向き直る。

「母上、少々席を外します。暫く、話はアルヴィスとお願いします」

「えぇ、分かりました」

 イザナは一礼するとアルヴィスへ、

「頼む」

と一言残して、入り口へと向かった。

 残されたアルヴィスへ、美月が笑いかける。

「あの子は最近、どうですか?」

「仕事も問題なくこなされ、日頃の鍛錬も怠っておりません」

「そうですか。無理はしていないでしょうか」

「少なくとも、私が見る限りでは。しかし、そういったことに関してあの方は隠すのがお得意ですので」

 美月の問いに、アルヴィスはそう答えて少し苦い表情をした。それを見た美月は、

「苦労をかけます」

と眉を下げた。

「あの子は一人で抱え込みがちですからね。責任感が強すぎるというのも困りものです」

「それがあの方の長所でもあります。兄皇子のことを考えれば、丁度良いのでは?」

「そうですね。…アルヴィス、あの子のことをよろしくお願いします」

「お任せを。それが私の仕事です」

 美月の言葉に、アルヴィスはそう言ってはっきりと頷いた。

 一方、イザナは庭園を出て、自分の呼んだ人物を見た。

「で、どうした?瑳伊(さい)

 瑳伊と呼ばれた金の髪に翠緑色の瞳を持った騎士服の男は、イザナの双子の兄で第二皇子セイトの側近だ。

 問われた瑳伊は申し訳なさそうな表情で、話を切り出した。

「実は、その…セイト様を探して頂きたいと思いまして…」

「…やっぱり、またいなくなったのか」

 思わず出そうになった溜め息は堪えたが、呆れた色は声の調子にはっきりと表れた。それを聞き、瑳伊は益々申し訳なさそうな色を濃くした。

「とは言っても、アカツキは今龍美に付けているからな」

「そうでしたか。では、自力で…」

「いや、それだと日が暮れる。アカツキを呼ぶ方が早い」

 瑳伊の言葉を遮り、イザナは服の下から首にかけていたものを取り出した。

 それは、笛だった。深青色の、易く手の中に収まってしまうほどの大きさの細長い笛。それを軽く口に咥え、イザナは息を吹き込んだ。

 澄んだ笛の音が、静かに城内に響き渡った。

 暫くすると、龍美と共にいたはずの銀狼がイザナの足元へとやって来た。

「相変わらず見事ですね。貴方の笛は」

「やろうと思えば、お前にも出来るだろう」

「貴方ほど綺麗に音に霊力は乗せられませんよ」

 イザナの言葉に、瑳伊を苦笑しながらそう言った。

 そう、イザナが吹いたのはただの笛ではない。この笛は、人間の持つ特殊な力ー霊力を音に乗せることが出来るものだ。そうして鳴らした音を通じて魔獣や動物と意思疎通を行い、使役する。それが、ウィスタリス皇国の治める地域に伝わる力だ。

 アメストリアの各地では、それぞれこうした特別な力が受け継がれているのだ。

「ホント、主どのの音は綺麗ですよねぇ」

 唐突に龍美の声がして、彼が姿を現した。神出鬼没な龍美の突然の登場に瑳伊は少し驚いたようだが、イザナは慣れたもので彼には目も向けずに言う。

「何でお前まで来る」

「いや、まぁ、笛の音がしたんで」

「自由奔放な猫をこれで飼い慣らした覚えはないんだがな」

「ちょっ、猫呼ばわりは酷いなぁ」

 酷いと言いつつ、龍美は軽く笑っている。そんな彼は無視して、イザナは銀狼へと言った。

「アカツキ、いつも悪いがセイトを探してやってくれ」

 その言葉に、銀狼は軽く吠えることで了承の意を示す。それに小さく微笑み、それから初めてイザナが龍美へと目を向けた。

「龍美、お前も一緒に行け。多少の実力行使は許すから、セイトの捕獲に協力しろ」

「いいんです?」

「怪我させない程度に、だ。どうせ暇だろう」

「暇って…。まぁ、そうなんですけど。了解です」

 緩く笑って、龍美も了承した。

「そういう訳だ、瑳伊。少々胡散臭いが腕は確かだから、連れて行けば役に立つはずだ」

「ありがとうございます、イザナ皇子」

「胡散臭いなんて御冗談を。こんなに素直で忠実なのに」

 飄々と言ってのけた龍美を、少しばかり据わった目でイザナが見やる。口には出さないものの、どの口が物を言うか、と顔にありありと書いてあった。

 が、何も言わずにイザナは瑳伊へと視線を戻す。

「俺は今日から数日ほど城を空けるが、アカツキと龍美は置いて行く。またセイトがいなくなったら、こいつらを使ってくれ」

「はい。…城を空けるということは、見回りですか?珍しいですね、彼らを置いて行かれるのは」

「まぁ、な」

「……?」

 イザナが曖昧に笑って言葉を濁すと、瑳伊は怪訝そうな表情を浮かべた。しかしイザナはそれ以上何も言わず、庭園へと戻って行ったのだった。



 数時間後、海軍専用の港にイザナとアルヴィスの姿はあった。港の一番奥に、イザナが船長を務める軍船アージェント号がある。

「お待ちしていました、中将」

 やって来たイザナたちに声をかけたのは、金茶の髪に同色の瞳を持った男。

 カイル・アーノイン。アージェント号の副船長である大佐で、イザナの部下だ。

「待たせたな。出航の準備は?」

「予定通りに。御命令があれば、いつでも出航出来ます」

「この間帰って来たばかりなのに、すまない」

「それは貴方も同じこと。仕事が溜まる一方でしょう」

「言うな、気が滅入る」

 皆同じことを言うんだ、と愚痴るイザナは言った。そこへ背後から、

「事実ですから仕方ないのでは?イザナ皇子」

と笑みを含んだ声がした。

 振り返れば、短い灰色の髪に黒い瞳の壮年の男。

「まぁ、そうなんだがな。それよりもロイド中将、今は皇子じゃない」

「失礼しました、イザナ中将」

 敬称を訂正し、男ー海軍中将ロイド・テスタロッサは微笑んだ。

 現在、イザナが修行中のためトップとなる総督がいない海軍において、実質的トップを務めているのが彼、ロイドだ。

「急なシフトの変更、申し訳ありませんでした」

「いや、気にしないでくれ。仕事だから仕方ないだろう?」

「貴方ならそう言うと思いましたよ。ところで、龍美とアカツキを連れておられないようですが?」

 いつもならイザナの傍にいるはずの銀狼とおよそ側近には見えない猫目の男がいないことに、ロイドが軽く首を傾げる。

「あぁ、あいつらは今回は置いて行く。…色々と不穏だからな」

 その一言に、ロイドは思い当たることがあったらしく、なるほど、と納得したように呟いた。そんな彼に、イザナは言葉を続ける。

「いつも通り、第一艦隊の指揮権はお前に預ける。何もないのが一番だが、何かあれば任せたぞ」

「えぇ、勿論です。次期総督どの」

「止めてくれ」

 にっこりと笑うロイドに、本気で嫌そうな表情でイザナが返す。そして、それじゃあな、と逃げるように停泊している船へと足早に向かって行った。

「…中将」

 咎めるような低い声を出すカイルに、ロイドは読めない笑みを返す。

「そう呼ばれてもいいはずだが?」

「貴方の言い方は、からかっているようにしか聞こえない」

 ロイドへと言葉を返したのは、アルヴィス。

「真面目に言ったところで反応は同じだろうな」

「イザナ様は、御自分に厳しい方だからな」

「厳しすぎるのも如何なものか」

 その言葉に、アルヴィスとカイルは揃って頷いた。それからカイルが手元の時計を見て、アルヴィスへ視線を向けた。

「アルヴィス、そろそろ時間だ」

「あぁ、分かった。…それではロイド中将、失礼します」

 アルヴィスは軽く一礼し、カイルは敬礼をロイドへ送る。それに対して自身も敬礼を返し、

「事なき航海となること、祈っている」

とロイドは言った。

 アルヴィスとカイルが甲板に向かうと、既に乗組員たちとイザナが集まっていた。二人が来るのを待っていたイザナは、整列している乗組員へ目を向けた。

「さて、全員集まったな。まずは上の事情で前回からあまり日を空けずの航海になったことを侘びよう。すまなかったな。まぁ、俺としては前回溜まった分の仕事を漸く片したのに、また仕事が溜まるかと思うと憂鬱になりそうだが、それは仕方ないとして横に置いておこう」

 些かうんざりした表情を作るイザナの言葉に、聞いていた乗組員たちから小さく笑いが零れる。それに対して自身も笑みを浮かべ、イザナは話を続けた。

「領海の見回りは、海軍の任務の中でも重要なものの一つだ。そんなことはわざわざ改めて言わずとも分かっているだろう。各自、海軍としての誇りを忘れず、己の役目に尽力してくれ。この中の誰一人欠けることなく、この港へ帰還しよう。以上だ」

「では各自持ち場についてくれ」

 カイルの号令と共に、全員が動き出す。

「挨拶も様になって来ましたね、イザナ様」

「どうした、急に」

 唐突なアルヴィスのことに、イザナは怪訝そうな表情になる。

「いえ、最初の頃を少し思い出しまして」

「やめろ、恥ずかしい」

 罰の悪そうな表情でピシャリと言い放ち、イザナは甲板の端へと向かう。少し距離を空けて、アルヴィスも着いて行く。縁へ手をかけたイザナは、感情の読めない瞳で城の方を見ていた。

「心配ですか、陸が」

「いや、むしろ心配は海だ」

「海、ですか?」

 城から外された視線は、そのまま彼がこれから旅立つ大海原へと向けられた。

「正直、俺が抜ける穴は大きい」

「その通りです」

(伊達で貴方は、“両翼の砦”(ツヴァイウィング)の片翼を担っている訳ではない)

 言えば、きっとまた眉を顰めるだろうから。そう思い、アルヴィスは心の中で呟いた。

「悪いタイミングで事が重なった。…父上が出なければいけないようなことにならないといいが」

「中将、全員持ち場に着きました」

「…あぁ」

 カイルの声に振り返り、イザナは乗組員たちを見回した。そして、深く息を吸い込む。

「これより、我が隊は領海の見回りの任務を開始する!アージェント号、出航だ!」

 イザナの号令と共に、波止場と船を繋いでいた縄が外された。広げられた白い帆が、全面に風を受けて、船がゆっくりと進み出す。

 ふと視線を感じて港の方を見ると、ロイドがジッとイザナの方を見ていた。視線が合い、ロイドは微笑んで敬礼した。

 ここは任せてください。そう言っている気がして、イザナは思わず笑みを浮かべる。それから、自身も敬礼を返した。

 こうして、イザナは心の内に一抹の不安を残しながらも、自身の隊を率いて航海へと出発したのだった。

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