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孤島の魔獣大決戦

 


灼熱の太陽が容赦なく照りつける午後。髪が靡くほどの潮風が吹き付けているが、ちっとも暑さは緩和されない。ちらっと後ろに視線を向けると、そこには背丈の何倍もある樹木が鬱蒼と密集している。視線を前方に戻すと、目の前には広大な渇いた大地が広がっている。そこを囲むように左右には森が広がり、まっすぐ北に伸びた地面には緑がまったくなく、ごつごつとした岩がまばらにあるだけだ。


 ここは東京都から約250キロ離れた伊豆諸島の遥か沖合いにある無人島。いや、正確には3年前までそうだった。今は『イェーガー』認定試験第一会場兼魔獣生態研究所という大層な名前がつけられている。ちなみに日本には、あと一箇所ここと同じような島が沖縄のさらに南にある。


 俺は額から滝のように流れ落ちてくる汗を拭いつつ、10メートルほど距離をとって向かい合う、白衣姿の女性を見据える。彼女はちらりと右手の腕時計に視線を落とし、俺をまっすぐに見つめて告げる。


「2035年、7月2日一四三〇(ひとよんさんまる)、これより第44回イェーガー認定試験を行う。準備はいいか、牙狼剣児がろうけんじ


 淀みのない透き通った声が耳に流れこんでくる。事務的な口調で俺にそう告げた彼女は、俺のよく知る人物だ。


 肌は病的なまでに白く、不健康さが漂っている。伸び放題の栗色の髪を背中に流しているが、ぼさぼさだ。長い前髪で目元が半分近く隠れているが、よく見れば凄まじいほどの美人である。


 彼女の名は秋乃まゆり。魔獣研究者にしてこの島にある研究所の所長。


 そして秋乃は、イェーガー日本支部に所属する20名の契約者選考試験管の一人だ。

 

 近年増加し続けている契約者による魔獣テロに対抗するため3年前、国際連合が設立した組織、通称イェーガー。テロリストたちを狩る契約者集団。彼らの任務は、テロリストが異次元から顕現した魔獣を倒し、契約者を拘束すること。


 俺はふうとため息を吐いて答える。


「いつでもいいぜ、って言いたいとこなんだけど、せんせー。その前にひとついいか?」


「なんだい」


「前から気になってたんだけど、その長い前髪切らねぇの?邪魔じゃないか、それ。あと、暑そうだし」


 俺の言葉を受けた秋乃は、指で前髪に触れて納得したように頷く。


「確かに君の言うとおりだ」


 そう言うと、白衣のポケットから美容院で使われているような銀色のはさみを取り出したかと思うと、それで前髪をばさりと切った。まっすぐに切りそろえた前髪の奥、はしばみ色の瞳が冴えざえとした光を放っている。俺はそのまぶしいほどの光を放つ瞳を見て、思わず息を呑む。


「お、おい!俺は別にいま切れとは言ってない。それに何でポケットにはさみが入ってるんだ?」


「ん。いま切らないと忘れそうだからね。あとはさみは護身用」


「イェーガーのせんせーを襲おうなんて奴いないと思うけどな。あと、はさみは危ないだろう。せめてスタンガンにしろよ」


「ふむ、考えておこう。というか早く始めないか、暑すぎて死にそうなんだが」


 そう言う秋乃の顔には大粒の汗がにじんでいる。それは俺も同感だった。首肯で同意を示した俺は、異次元にいる相棒の名を呼ぶ。


「フェン」


「お呼びですか、マスター」


 直後、右側から凛とした女の子の声が聞こえた。見上げるとそこには、巨大な狼の姿をした一体の魔獣。


 四本の強靭そうな足で地面を踏みしめている狼の体長は5メートルほど。顔は細く鋭く、耳が高く、声と同様の凛々しさがある。短い毛並みは、胸や腹は新雪のように白く、顔から背中にかけては透き通るような銀色をしている。


 こいつが俺、牙狼剣児が使役する魔獣フェンリル。北欧神話に登場する狼の姿をした怪物。


「ほら、せんせーも出せよ。フェンがボコボコにしてやるから」


 秋乃は、はあとため息をついて呆れたように言う。


「いつも思うんだが、君のその自信はどこからくるんだい?それとも不良とはそういう生き物なのか」


「それは俺のことか!」


「君以外だれがいるんだい。そんな恐い顔で睨まないでくれ。これだから不良は」


「睨んでねーよ!」


「すぐ怒鳴る。これだから不良は」


「はったおすぞ!」


 愉快そうにケラケラと笑う秋乃。見事にからかわれている。俺は気をとりなおすため一つ咳払いをして、改めて口を開く。


「とりあえず早く魔獣を出してくれ」


「もう出してるぞ」


 その言葉通り、いつのまにか秋乃の傍には一体の魔獣が出現していた。


 体長はフェンリルと同じくらい。顔は太く、顎に並ぶ鋭い牙と獰猛さを宿す瞳。烈火すのごとく揺れる鬣はライオンのそれ。胸から腹、背中にかけては白く、短い毛並みはまるで山羊のようだ。尻尾は1メートルほどの長さで、にょろにょろとくねっている。先端部からちろちろと舌を出し、鎌首をもたげ、目を細めて俺を凝視するそいつはまぎれもなく大蛇だ。


 こいつがイェーガー・秋乃まゆりの使役する魔獣キメラ。ライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つギリシア神話に登場する怪物。秋乃はキメラを見上げて、言い聞かせるように指示する。


「キメラ、殺さない程度にフェンリルを痛めつけろ。それでは試験開始だッ」


 その言葉を合図にキメラは獰猛な雄たけびを上げて、突進してきた。俺は鋭く、フェンリルに指示を飛ばす。


「フェン、お前も突っ込め!まずは力比べといこう」


「了解しました、マスター」


 そう言ってフェンリルは猛然と地を蹴った。正面からキメラとぶつかる構図だ。ガンッという耳をつんざくような重低音が響き渡り、派手に衝突した。発生した衝撃波が周囲の岩を紙きれの如く吹き飛ばす。両者の真下の地面が陥没し、大気をびりびりと震動させる。遅れて来た突風が激しく髪を靡かせる。あまりの風力に腕で顔を覆う。


 風が収まり腕を下げる。目の前にはフェンリルとキメラが膠着状態にあった。だがそれも一瞬。フェンリルは獣じみた唸り声を上げながら、キメラを弾き飛ばした。秋乃の真横を通過したキメラは10メートルほど滑走して地面を削りながら、なんとか踏みとどまる。秋乃はちらりと後方の相棒を見て、俺に視線を戻すと少しだけ目を見開いて言った。


「これは驚いた。ずいぶん魔獣の力を引き出せるようになったね。魔獣の力は契約者の強さに比例する。前回の試験からずいぶん成長したね、剣児君」


「日々の鍛錬の成果です。いつまでもマスターを舐めていたら負けるのはあなたのほうですよ、秋乃」


 誇らしげに答えるフェンリル。秋乃はやれやれというように首を振る。


「君も遠慮がないね、フェンリル。年上には敬意を払うものだ。まったくこれだから不良は」


「なんで俺に飛び火してくんだよ!」


「君の教育が悪いからフェンリルが、遠慮しらずの失礼者になってしまったんだ。これは君をぶちのめしたあとに説教だな」


 女性らしからぬ物言いに俺は内心辟易とさせられる。この人絶対元ヤンだなと内心で呟いた俺は、薄い笑みを浮かべ瞳を鋭くした秋乃の顔を見た。突然背筋に悪寒が走り、俺は反射的にうしろに飛び退った。


 次の瞬間、俺がいた場所に魔力によってスピードとパワーが強化された秋乃の鋭い右拳が放たれた。同時に胸の奥を冷たい手が撫でる。秋乃は間髪入れずに左の拳を繰り出す。顔面に向けて放たれたそれを間一髪で避ける。耳元で空気が唸る。


冷や汗が頬を流れ落ちるのを意識しながら、俺は反撃しようとする。だが、秋乃が猛烈なラッシュをかけてきたのでやむなくガードと回避に徹する。矢継ぎ早に放たれる秋乃の拳を腕を上げて防ぐ。攻撃が当たるたび腕がみしみしと嫌な音を立て、思わず顔をしかめる。


顔に向けて叩き込まれるプロボクサー顔負けの高速のパンチを瞬間的反応だけでなんとか避け続ける。秋乃は疲れを感じていないのか、攻撃の手は緩まない。焦りと危機感に駆られた俺は、意識を秋乃の拳に集中する。顔に向けて放たれた右拳を両手でキャッチする。だが、安心したのも束の間、腹に衝撃。激痛とともにこみ上げてきた嘔吐感をなんとか呑み込む。ちらりと見ると腹に左拳が捻じ込まれていた。


「マスター!!」


 鋭い悲鳴を上げ、こちらに駆け寄ろうとするフェンリルをキメラが雄たけびを上げて牽制する。


 俺は歯を食いしばりながら、キャッチした右腕をしっかり摑むと体を反転させて秋乃を背負い、思い切り投げる。柔道の投げ技、背負い投げである。地面に投げつけられた秋乃は苦しげな呻き声を漏らす。俺は反撃せず、バックダッシュして距離を取る。


 俺は無理やり大きく息を吐き、気息を整える。腹に手を当てると痺れるような痛みが走る。俺は小さく舌打ちして、フェンリルに声を投げかける。


「悪い、フェン。一発もらっちまった。大丈夫か?」


「私は、大丈夫です。マスターは?」


「俺もなんとか」


「そうですか。よかったですっ!」


 俺に視線を向けずに声を投げ返していたフェンリルは語尾を荒げて、猛然と駆け出した。突進してきていたキメラと再び正面から激突する。砂塵が盛大に舞い上がる。フェンリルは顔をずらしてキメラの首元に噛みつく。低い悲鳴を上げたキメラの尻尾の大蛇がフェンリルの懐に忍び込み、真っ白い腹に噛み付く。同時に、鋭い痛みが腹に走り俺はぐっと呻く。これはさっきの秋乃に受けた攻撃とは別の痛みだ。


 フェンリルはキメラの首から口を離すと、巨体に似合わず俊敏な動きで俺の傍まで一気に飛び退る。フェンリルの白い腹は血で真っ赤に染まっていた。俺は視線を上向けて訊ねる。


「フェン、傷の具合は?」


「戦闘に支障はありません。それより、すみませんマスター。迂闊でした。よりにもよって腹に攻撃を喰らうなんて。私のせいでマスターはさらにダメージを蓄積された。私のせいで……」


 俺を見下ろして申し訳なさそうな声色で謝るフェンリルの瞳は、慈しむような色合いを帯びていた。俺はわずかに息を呑んだあと、心優しい相棒を安心させるために微笑みかける。


「俺は大丈夫だ。そんな心配するな、フェン。俺もさっき一発もらってるから、これでおあいこだ」


「ですが……」


 俺の言葉に納得せず、なおも言い募ろうとするフェンリルにそれに、と続きを口にする。


「俺が腹にパンチ叩き込まれたとき、フェンはすぐに俺の助太刀をしようとしてくれた。自分だって腹にダメージ受けていたはずなのに。本当はすぐに動くのも辛かったはずだ。……大丈夫とか、嘘つくなよ」


 そう言うとフェンリルはバツが悪そうに視線を逸らし、ぼそりと呟く。


「確かにそうでしたけど……。だけどマスターに迷惑かけたくなくて」


 俺は思わずはぁとため息をついた。まったくこの相棒は…………。


「お前は、アホか」


「は!?」


 固まってしまったフェンリルの顔をまっすぐに見て、俺は言った。


「フェン、俺はお前に心配されるほど弱かねぇよ!お前とは背中預け合うような関係になりたいんだ。そんで……えっと……俺はお前のこと信頼してるからよ。だから嘘つかれて、ちょっとショックだった、だから俺には絶対嘘つくなよ!」


 自分で言い出しておいて気恥ずかしくなり、後半はぶっきらぼうな物言いになってしまった。フェンリルはしばらく呆然としたあと、はっきりとした口調で答えた。


「はい、わかりました。私、フェンリルはマスターに背中を預けます。だからしっかり守ってくださいね、マスター」


「おうよ、任せとけ」


「もう終わったかな?試験再開していいかい」


 声のほうに視線を向けると、秋乃が立ち上がって白衣についた砂埃を払っていた。俺は軽く秋乃を睨んで唇を尖らせる。


「別に待ってなくてよかったんだぜ。話しながらも先生に意識向けてたし。この不意打ち野郎!」


「不意打ちとは失礼な、不意を突かれる君が悪い。それに試験は始まっているんだ。本当の戦いでは敵は待ってくれないんだ、判るかい剣児君」

 

 俺は秋乃の話が終わる頃には、すでに地面を蹴っていた。 魔力で強化した脚力は10メートルの距離を一瞬で詰めた。俺は両手を握り締めると猛然と秋乃にラッシュをかける。ただの我流のケンカ殺法だが、魔力で強化された拳は一撃が必殺のそれ。


 魔獣は体内に魔力と呼ばれる特殊なエネルギーを保持している。契約者はその魔力を引き出し筋力や脚力、敏捷力などを強化することができる。その基本能力の底上げ具合は、女性である秋乃が男の俺を圧倒するほどだ。


 俺は一気に大量の魔力を引き出して、攻撃のギアを上げる。魔力を引き出し過ぎるとフェンリルに負荷がかかる。それに、この試験は魔獣と契約者どちらかを戦闘不能にすればその時点で終わる。つまり、秋乃を俺が足止めしてフェンリルに勝負を預けるという戦法もとれる。


 だが、俺の脳裏にはそんな戦法は微塵も浮かんでこなかった。幾度となく受けてきた試験だが、こんなに心が昂ぶるのは初めてだ。


 もっと。もっとだ。まだ上がる!


 全能力を解放して拳をふるう法悦が俺の全身を包んでいた。口の中にアドレナリンの苦い味。今までにない加速感を味わっているのに、まだ足りない。


 まだだ。もっと。もっと早く!!


 どんどん加速していく意識のなかで、秋乃の防御が遅くなってきていることに気付く。余裕げな表情に焦りの色合いが帯びる。俺は好機とみて、魔力をありったけ込めた最速の右ストレートパンチを放つ。秋乃はすかさず両腕でガードの姿勢をとる。だが、俺には抜けるという確信があった。果たして、俺の拳は秋乃のガードを突き破り体にめり込む。


「う……りぁああっ!」


 少々泥臭い叫び声とともに振り抜かれた拳は、秋乃の細身の体を十メートルほど空中にぶっ飛ばす。俺は右足を踏み込み、地面と平行に仰向けで宙を飛ぶ秋乃を追随する。足がどくんと脈打ち、熱を帯びる。駆けだした俺は一気に間合いを詰める。俺の追撃に気付いた秋乃は、空中で体勢を立て直すと地面に足をつけ何メートルも滑走すると、俺を向かえ打とうと構える。


 秋乃の懐に飛び込んだ俺は、左足を軸とした回し蹴りを放つ。角度タイミング悪くない一撃だった。だが、それを秋乃は足のばねを利用して上体を伏せて避ける。まずいと思ったが、もう遅い。秋乃は薄ら笑いとともに右拳を振り上げる。


 必死に重心を後ろに移動して回避を試みるも間に合わない。高速で振るわれた強烈なアッパーが俺の顎を捉える直前、秋乃が苦悶の表情を浮かべた。そしてわずかに拳の軌道が逸れる。果たして、アッパーは俺の顎を掠っただけだった。大技を回避された秋乃には硬直時間が課せられた。その一瞬の隙を逃す俺ではない。


 素早く足を踏み替えると二撃目のハイキックを繰り出す。俺の魔力の込められた蹴りは、狙い違わず秋乃の肩に命中する。わずかに体勢をぐらつかせた秋乃に肩口から体当たりを敢行。たまらずうしろに倒れた秋乃に右拳を振り下ろす。秋乃は思わずぎゅっと眼をつむった。


 だが、俺は鼻先数センチ前で拳を止める。拳圧で秋乃の前髪がわずかに揺れる。所謂、寸止めと言うやつだ。秋乃はいつまで待っても痛みがこないことを不思議に思ったのか、ゆっくりと瞼を開ける。驚愕に顔を染める秋乃は、視線でなんで?と問いかけてきた。俺はできる限りの真剣な顔で答える。


「相手がどんな奴だろうと、俺は絶対に女の顔は殴らねぇ。顔は女の命だからな」


 秋乃はしばらく小さく口を開けて呆然としていたが、やがて頬に苦笑を滲ませて口を開く。


「そんな恐い顔で言われても説得力ないね。それで格好つけたつもりかい?」


「うるせ」


「まあ君は不良のくせに正直者で素直で超がつくほどのお人好しだからね。その言葉は本心で言っているのだろう。…………私の負けだ。だから早くどいてくれないか、暑苦しい」

 

 秋乃に言われて自分が馬乗りの体勢だったことを思い出す。顔に熱が集中するのを意識しつつ、俺は慌てて立ち上がる。ゆっくり立ち上がった秋乃は、ふらっとたたらを踏む。


「お、おい。大丈夫か」


「ちょっと眩暈がしてね、そんな心配そうな顔をするな。君の攻撃のせいじゃない。……君に敗北するのはもっと先のことだと思っていたんだけどね。契約者と魔獣は痛覚と命をリンクしている。リンクが強くなる……シンクロ率が高ければ高いほど魔獣は本来の力を出せるし、契約者の引き出せる魔力の量も増えるわけだが、今回はそのシンクロ率の高さが仇になったな……。強すぎるのも考えものだね」


「自慢かよ」


「私は事実を言っただけだ。それにしても君たちはテレパシーでも使えるのかい。恐ろしいほど攻撃のタイミングがぴったりじゃないか」


 どういう意味だ、と訊こうすると秋乃は俺の肩越しに後ろを指差す。俺はわけがわからず振り返る。そこにいたのは二体の魔獣たち。フェンリルは前足でキメラを踏みつけて、首元に噛み付いている。腹を噛み付かれたのを根に持っていたのか、後ろ足でしっかりとキメラの尻尾を踏みつけている。


 その光景を見て俺は、秋乃の言葉の意味を理解した。あの時、秋乃のアッパーの軌道がわずかに逸れたのはフェンリルがキメラに噛み付き、発生したダメージに秋乃の痛覚を刺激されたから。あの一瞬の苦悶の表情はこれが原因だったのか。


 謎が解けて内心すっきりした俺に、秋乃がだるそうな声を投げかけてきた。


「剣児君、フェンリルに早く放すように言ってくれないか。さっきから首に締め付けられるような痛みが」


 振り返ると、秋乃が苦痛の表情を浮かべていた。俺は急いでフェンリルに指示する。


「フェン、もう放していいぞ!俺たち、勝ったんだ」


 フェンリルが首から牙を抜くと、そこから大量の血液が噴出してきた。流石にやりすぎじゃないか?


 「キメラ、異次元に戻って傷を治せ!試験は終了した。予想以上に傷が深い」


 キメラは呻き声で答えると、一瞬で跡形もなく消えた。フェンリルはそれには目もくれず、こちらに歩み寄って来たが……。


 俺の傍まで来ると、みるみる小さくなり。最終的に5メートルの巨大な体が、1メートルほどまで縮小した。


「フェン!」


「すみません、これ以上エナジーを消費するとマスターの命にかかわりますので」


 エナジーとは人間の持つ生体エネルギーのことで、魔獣で言う魔力みたいなものだ。魔獣は契約者のエナジーを消費することでこの世界に肉体を顕現することができる。


「まったくフェンリル君は本当に遠慮がないね。誰に似たんだ……ああ、剣児君か」


 秋乃はどこか諦めた口調で呟く。


「まあ、敵に情けをかけてはならないからね。とりあえず、合格だ。今日から君たちはイェーガーの一員だ。これからもよろしく頼む」


 しっかりとした口調で告げられた言葉を、脳が理解した瞬間俺は思わず叫んでいた。


「やったぜ!!やっと合格したぜ、フェン!俺たちイェーガーになったんだ!お前、うれしくねーのかよ!」


「いえ、私も十分喜びを感じているのですが……。……マスター、一つ訊きたいことが」


「おう、なんだ!」


「さきほど秋乃の上に馬乗りしていましたが、あれはどういう理由でしていたのですか?」


 硬い声と冷えた視線が俺に突き刺さった。冷や汗がぶわっと噴き出す。俺は身ぶり手ぶりでなんとか言い訳を搾り出す。


「いやあれは、仕方なかったというか、そんな深い意味はなくてだな。と、とにかくお前が思っているようなことではない、断じて!誓ってもいい!」


「わかりました。……お説教1時間で我慢します」


「これっぽっちもわかってねぇじゃないか!こんな、暑い中で説教だとっ!お前はいいかも知れないが、俺はやべぇ!」


 契約者と魔獣が共有しているのは痛覚と命の二つ。体温や発汗量などはリンクしていない。


「それが狙いです」


「フェン、お前ぇ……。下手すりゃ俺、暑さで死ぬぞ。俺とお前は命共有してんだから、お前も命の危険が……」


「私のマスターはそんな軟弱ではありません。それではマスター、正座してください」


「こんなのありかよッ!!」


 俺の悔恨の叫びが夏の空に響き渡った。



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