昔
「っ…あっ…」
俺はただ、そう呟くのが精一杯だった。白髪が倒れた瞬間、腕に激痛が走ったのだ。それはもう、痛いというよりも熱かった。まるで細胞の一つ一つが溶けていきそうな…。
「一号」
痛みで震えている俺に、ケイコさんは話しかけてきた。彼女は俺に手を貸そうとしない。
真っ直ぐにカオルを見て。
ゆっくりと歩きながら。
「後処理は私がやっておくわ。家に帰って、パソコンを開きなさい。パスワードは、『カエルの王子』よ。ローマ字入力して。私の助けはここまで。後はあなた自身の事だわ。自分で考えなさい」
カオルの目の前に立つ。
ケイコさんは優しく微笑んだ。
そして、カオルの両手足を縛る。目隠しもした。
「それから」
そう言って、白髪の頭に手を突っ込む。何秒かして、彼女の血まみれの手の中に、一つの光る物が握られた。
「コレ、をアナタに。戒めとして持ってなさい」
ピンッ、とこちらに投げられた。
白髪を殺した銃弾。
少しひしゃげて、赤黒く輝いた。
俺は震える手でそれを握る。
頭は真っ白で、何も考えられなかった。
ただ、イタイ、と腕が警告している。
「ほら、さっさと行きなさい。船が来ちゃうでしょ」
ケイコさんに急かされて、俺はズルズルと体を動かす。足に痛みはないのに、やけに重く感じた。
ケイコさんは、どうするんですか?
俺はそう尋ねたかったが、聞けなかった。
もう予想もついていた。
暗い夜を、俺は一人で家を目指して歩いていく─…。
* * * *
「やっと二人っきりね、カオル」
私は弟の拘束を解いて、微笑んだ。
何年か見ない間に、随分大人の顔付きになった。
それが微笑ましく、淋しい。
「あぁーあ。せっかく社長になれると思ったんだけど。僕には運がないみたいだ」
カオルはそう言って首をくすませる。
私が銃口を向けていなければ、きっとただの別れ話しのように見えるだろう。
「従兄弟の事は忘れろと言ったのに。わざわざその下に付いて働くなんて…。バカね、アンタ」
「分かってる。僕はバカだから。今も昔もずっと騙されてるバカだから。どうしようもないよ」
そう呟いて、海を見る。真っ黒な海。濃厚な潮の香り。ざわめく波。
私には、今弟が何を思っているのか分からない。
でも。
「どうしようもないなら、やり直しましょう。私も、アンタも。ーから全部」
カオルが私の目を見る。その瞳に、恐怖の色はない。彼は小さく吹き出した。
「その台詞、どっかアニメで言いそ~。ってか聞いた事あるし」
「空気壊さないでよ。嫌なヤツね。だってそれしかないじゃない」
「分かってる、分かってるって。ねえ、アイツ今どうしてるかな?」
困ったように笑ってから、フッとカオルは言った。私は『アイツ』と言われて、従兄弟を思い出す。あの子も随分やんちゃ坊主だった。
「さぁね。でももう、私達には関係ない」
「元気かな。一号と会うかな」
「彼がその道を選ぶならね。あの子は一応社長の御曹子だし」
そうだね、と言ってカオルは微笑む。
私もつられて笑ってしまう。
「じゃあ、悪いけどお先に。待ってるよ」
「ええ。待ってて」
そう最後に言って、私は銃を構えた。
* * * *
俺が歩き始めて十分後ほどの事。
小さく、小さく。
でもハッキリと。
二発、銃声が響いた。
* * * *
「お母さーん!おやつは?」
少女がそう言いながら家に入る。
中学生だろうか、制服姿だった。
「カオルが庭で食べてるわ。従兄弟ちゃん来てるわよ」
「本当!?カオルと違って素直で、可愛いよね~。本当、何でカオルが弟かな」
ブツブツ言いながら手を洗い、少女は服もそのままに庭へ駆けていった。
花が咲き乱れ、一本の巨木が中心に佇んでいる。両手一杯に広げた枝が、豊かな緑を付けていた。
その下に、二人の少年がいる。
一人は小学校高学年くらい。もう一人は、低学年くらいの姿だった。
二人で絵本を読む姿は、一枚の絵になりそうだ。
「そして、カエルの王子様は、死んでしまいました。おしまい」
高学年の子が、そう言って本を閉じ、少女の方を向く。少し眉間に皺を寄せた。
「あ、ケイ姉帰ったんだ。どうせおやつでしょ」
そう言って、皿を持ち上げる。
シュークリムが一つあった。
「ただいま。それカエルの王子の本でしょう?なんか変な本よね」
少女はそう言って、皿を持った少年の隣りに座る。少年は昼寝し始めた従兄弟の髪を、そっと撫でながら言った。
「ケイ姉はどう思う?この王子様。カエルだって事を知らずに生きるのと、知って死ぬのと」
少女はおやつを頬張りながら、少しの間考えるように黙っていた。
それから、まとまったのか話し出す。
「私は、知って死にたい。だって何か、そう思わない?よく言えないけど、でも私…」
「ケイ姉もそう思う?実は僕も。知らないって、すごく嫌だよね」
「でも死ぬのよ?」
「それは本望でしょ。僕はそう思うよ。ってかケイ姉、僕と考え一緒だったよね?!」
強い風が吹く。
花びらが舞い散る。
まるで夢のように美しい欠片。
あぁ、でもこれは。
「「過去の記憶でしかない」」
少年と、少女の声が重なる。
低学年の少年は消えていた。
木も、花も、家も、母も。
全てが白という一色に帰る。
その中で、二人は立っていた。
どちらが上か下かも定かではないが。
二人して微笑む。
両手をどちらともなく差し出して、握る。
『まってたよ』
『おまたせ』
─…、マタ会エタネ
ひとまず、ここまでで一部です。
次からは第二部。
もう少し時間のたった、未来のお話。