海
俺達はその後、すぐに車に乗って港へ向かった。初めて来た時から感じていた潮の香りは、やはり正しかった。五分もしない内に監視カメラで見た所に到着する。
人の気配はない。
古さびた港。
周りには巨大な箱が、ただ静かに積み重なっている。不気味なほど静かだ。
魚の生臭い香りがする。
血の香りも、漂っている。
ケイコさんが、俺に銃を投げ渡した。いざという時は、コレで身を守れということだろう。俺はグリップを力強く握った。
大丈夫。撃てる。
「この近辺にいるはずよ。油断しないで」
ケイコさんが小声で言ってきた。
俺は静かに頷く。
ソロソロと箱を伝って歩く。
今頼りになるのは、電柱の灯りのみだ。
ゆっくりと、前に進む。
少しして広い場所に出た。
俺は驚いて辺りを見回す。
「バカッ!逃げて!」
ケイコさんに押された。
パンッ!
と軽い音が、響く。
それは、最近俺が毎日聞いている音だった。
地面に転がってから慌てて音の方を見る。
ケイコさんはすでに立ち上がって、前方に銃口を向けていた。俺ももがくようにして立ち上がる。
少し高い所。ここから二十メートルほど前。
電柱に照らされて、まるで安い劇でも見ているかのように、ライトアップされている所に。
人が、二人。
「お久しぶり。カオルンだよ」
「白髪!」
ヒラリと手を振った美青年の後ろに、白髪がいた。
アタッシュケースを持って、虚ろに地面を見ている姿は、まともではない。
「えぇ~。無視ですか、冷たいなぁ」
「カオル!どうするつもりなの!?」
ケイコさんが叫んだ。カオルが薄く微笑む。二人は、お互いに銃を向け合っていた。
まるで、映画のワンシーンの様に。
「国外逃亡だよ。姉さん。船が来る予定なんだ」
「そんな事が出来ると思ってるの?」
俺はケイコさんをみた。
さっき、カオルはなんと言ったか。
「あぁ。出来るよ。金があればね」
「金って…。アンタ、まさか…」
「つい先日、完成したんだ。実験も成功してるし、完璧だ!」
ケイコさんの顔が歪んだ。銃を持つ手が震える。しかし、すぐにそれは消えた。
「まだ、追いかけてるの?あの子とアナタは、次元が違ったのよ」
言い聞かせるように、悲しむように。
ケイコさんは言う。
カオルの顔が歪んだ。
「なんの、話?」
その瞳は、怒りに燃えている。
ケイコさんは続けた。
「あなたは社長にはなれない。わかっ」
「黙れ!もう予約者もいる!次こそ僕がっ、僕が」
カオルはそう叫んで、銃を撃った。しかし、それは検討違いの所へ当たった。ケイコさんは怯えることもなく、銃を前へ向けている。
「堕ちたわね、カオル。地位にしがみつくなんて」
「姉さんに言われなくないな。男と寝る事しか出来ないくせに」
緊迫した空気が流れる。
二人は兄弟だったのか…。俺はただぼんやりと納得した。白髪は、ただ虚ろに立っている。まるでロボットだ。
「実験材料は?誰を使ったの?」
「僕の後ろに。いい材料だった」
抵抗したお蔭で、時間がかかったけどね。成果は充分だ。
『実験材料』
俺はその言葉に反応して、白髪を見る。彼の目は虚ろなままだ。何も見ていない。
「持続時間は不明だ。一生かもしれない。まだ中和剤を作ってないからね。僕を殺せば、彼はずっとこのままさ。どう?それでも撃てるかい?」
カオルは不敵に笑った。ケイコさんの手が下がりかかる。その顔には、絶望の色が濃く写っていた。
俺は、静かに銃のグリップを握る。
その時だった。
「成果を見せてあげようか?姉さん」
「止めなさい!何しようとし」
「白君」
ケイコさんの声は、最後までカオルに届かなかった。新しい銃を、カオルが懐から取り出す。そしてそれを、白髪に手渡した。
白髪は、黙ったままそれを受け取る。
アタッシュケースを、ゆっくりと下に置いた。
そして。
「アイツを撃て」
そう言って俺を指差した。
「一号っ!逃げなさ」
「姉さん?」
ケイコさんは、慌てて前を見た。俺に気を取られたせいで銃を下ろしてしまった。カオルが狙いを定める。
「動くな。喋るな。銃を捨てろ。いいね?」
ケイコさんは、舌打ちをしてから銃を捨てた。
それはカラカラと転がって、あっちの方へ行ってしまった。
「ケイコ、さ…」
俺は彼女に手を伸ばしかけて、ハッと白髪を見た。
悪戯に輝いていた瞳は、暗い。
まるで眠ったまま体だけ起こされたようだ。
「白、は…」
パンッ。
一つ目の弾は、俺の左側を掠めた。
ケイコさんは一瞬目を瞑る。
「これ…は…?一体…」
「SU薬。相手の精神を支配しちゃえ!これ一本で二つの効果。命令できる、動いてくれる。スゴーイ」
お茶目な紹介と裏腹に、危険な薬だ。
おいおい、予約者って誰だよ。
最低だな、おいっ。
俺はどこか、壊れたかもしれない。
ケイコさんはただ黙って、悔しそうに俺を見ていた。それしかない、と言いたげに。
白髪が二発目を撃てるように、狙いを定める。
俺はただ、呆然と立っていた。
誰だ、アイツ?
ズンッ、と体に衝撃が走った。
ハッとして腕を見る。
穴が開いていた。
血が、呼吸をするたびにドクドクと流れる。
でもそれだけ。それだけだ。
唖然としているカオルとケイコさん。
カオルが先に正気に戻り、憎々しげに呟いた。
「君…。痛みまで白君に…」
「え?」
恐る恐る白髪を見ると、彼は無言で、しかし俺が撃たれた所を押さえて、悶絶していた。
誰だ、アイツ?
『いらない、と思った感情を白髪に押し付ける』
前に、誰かが言っていた。
朧気に白衣が見える。
「一号…、アナタ痛みをいらない、と思ったことがあった?」
「練習中に、腕が痛くなるのが、ウザイな、とは」
正直に答えた。ケイコさんが溜め息をつく。でも確かにその後、俺は痛いとは思わなくなった。感じなくなった。でも、それでは。それでも、俺は普通と言えるのだろうか。こんな俺が?銃を持って、人を殺そうとして、物理的痛みも感じない俺は。
ふ、つう、だろうか?
「うわぁ…。ヤバく人間離れしてるね」
カオルはケラケラと笑った。
あ、やベ。俺少し混乱してるかも。
頭の中で、誰かがそう呟いた。
白髪は痛みで銃が握れないのか、地面に落としたままだ。拾おうとしいるものの、手は空を切るばかりである。
その姿は、自分と同じ顔という事も加わって、ひどく獣じみていた。人間ではない、『何か別の物質』のように見えた。
なら。
頭の中で、警戒ブザーが鳴り響く。
危険だ、危険だ、と。
でも何が、誰が危険なのか、俺には分からなかった。
毎日行っていた行動は、無意識的だ。
今まさに、何とか銃を取ろうとしている男に向かって、その無防備な頭に向かって。
たった一発、引き金を引く。
ー…、パンッ。
白痛い髪が揺れる。ライトに照らされて、オレンジ色にも見えた、鮮血。
カオルが唖然としている。
ケイコさんは新しい銃を取り出し、カオルのそれを撃って海へ落とした。
グシャッと体が倒れる。
変な固体状のものが、艶やかな光りを帯びていた。
見ていれば一瞬で、考えれば永遠にも近い時間。
自分の銃口から、引きずるように煙りが出ていた。
俺はそれを、ただ見つめる。