白
須く不思議な世界
数え切れない夢の欠片
茜色の混沌
迷うのは、誰?
* * * *
夜が俺から消えて、代わりのように薬品の香りがした。暫く体を持ち運ばれる感覚がする。
フワフワと、まるで現実味がない。
それからまた、薬品の香りも消える。
ん…?と思ったら叩きつけられた。
多分床に。
イッテー、と思うものの声は出ない。
隣からも何かが落ちる音がする。
ー…、白髪?生きてたのか!
喜んでいられる状態ではない。もしかしたら既に干物の状態かもしれないのだ。ご臨終です、的な。
「起こしちゃっていいよ。いつまで寝てるのさ」
上から、青年の声音が聞こえた。俺と同じくらい、といった所だろうか。
「水でしたっけ?」
銃を向けた女の声。
一応は敬語だが、敬っている感じは少しもない。
「何でもいいよ、起こせばいいんだし」
もう慣れてるかのような声。
そして。
ビッジャーン
と盛大な音と一緒に、水がぶっかけられた。
容赦なさすぎ。
「っはあ!いきなりやめろよな!」
でも、それからすぐ体が動くようになった。
ビシャビシャの服で立ち上がる。
白髪の方を見ると、まだ起きていなかった。
水で急に起こされたのは俺だけー…。
そう思ったのは一瞬だった。
二回目のバケツに水を入れて、女が思っ切り白髪にも水をかける。俺の時よりも幾分か叩きつけるような感じだった。
「つっめてーよバカ!」
「うっさい。なんかお前はムカつくんだよ」
「何だよソレ!前はカワイソーとか言ってただろ」
何の事でしょーか、と女はしらを切った。
研究員のような服に、くわえタバコ。
なんか似合っている。
「おーい、小林。変な事言ってないだろーなー?」
それを、あきれながら見ているー…。
えっと、女の人でしたか?
「いーえ。上司様」
小林…さんは皮肉っぽく言う。
上司、と言われたその人は小さなため息をついた。
改めて見回すと、周りは白ばかりだ。
清潔感がありすぎて、逆に寒気すら感じる。
何か大きな機械が少し高い所にあって、その前で上司は呆れた顔をしていた。
「今日は、いやえっと今晩は。僕は高峰薫。カオルンって呼んでね」
「「「却下」」」
三人の声が綺麗に重なった。
ついでに、男の人だと分かった。
と言っても年催に差はなさそうだ。
「えーっ、なんで?よくない、カオルン。…、まぁいっかな別に」
つまらなそうに呟いてから、大きく深呼吸する。
ー…、空気が変わった。
背筋がゾワリとする。
さっきまでの和やかさは、嘘のように消えていた。
カオルが、そっと目を開く。
それはまるで一つの儀式のようだった。
「実験番号一番。君は非常に興味深いよ。自己防衛のために、彼を無意識的に作り上げただけでない。全ての、君が不要だと感じる醜いものも彼にあけ渡している」
小林さんが、ニ本目のタバコに火を付ける。彼女だけが冷静な顔で話しを聞いていた。
俺は、すでに困惑気味である。自分が、えっと何だっけ?
「白君。君もそう感じているだろう?今も、本当は怖くて仕方ないはずだ」
いっそやさしいとも言える顔で白髪を見る。彼は、ただカオルを睨んだままだった。
「んー…。証拠がないって顔だね。僕も特にと言った理由はないいれど…」
そう言って、小さくため息をつきポケットに手を入れた。大げさな動きで首をくすめる。
「一つ上げるとすれば、例えば…。君の性格、とか。普通の存在である君が、目の前で人が殺されかけて恐怖を持つ前に怒りを感じた…。普通腰を抜かしてブルブル震えるだろ?いくら現代っ子でもさ」
カオルが一時言葉を切る。観察するような目で、ジッとこちらを見てきた。
「それでこの結論に達した。君は、君自身の恥ずかしいとか怖いといった感情を、彼に押し付けているのではないかとね。それによって君は、より暴力的になる。のくせに成果が出なくなるんだ。まず銃対素手で戦おうとしないよ」
最後の方には、呆れたような口調になっていた。
今考えても、あの時はどうかしてたと思う。
白髪に、感謝と言った所だろうか。
「と言う事は」
そう言ってカオルはポケットから手を出した。
その手には、もう半分見慣れた銃が握られている。
「白君は君以上に恐がりって事だよねぇ?彼まで敵にまわすと面倒だから」
そこで言葉は切れた。
音高らかに銃が発砲される。
夥しい量の血が、白い部屋に容赦なく飛び散った。
俺は目を見開いてそのシーンを見つめる。
あの夜は暗くて夢心地だったが、今は鮮明な色をつけて俺の目に飛び込んできた。
ー…、小林さん…?
「ひっ…」
撃たれたのは俺でも白髪でもなかった。
長い髪が、柔らかな弧を絵描いて床に落ちる。
「小林さん!」
何故彼女なのか。俺はあわてて彼女に近づいた。半生きの状態だが、このままでは大量出血で死んでしまうだろう。
俺は、突然の出来事で彼女に気を取られていた。
それで、すっかり忘れていた。
カオルの目的が、小林ではなく白髪なのを。
そう言えば。
白髪は初めて射殺場面を見る。
この白すぎる部屋の中で…。
「はーい、そこ動かないでね。動くと撃つ、言葉を発っしても撃つ」
俺がその声に気付いてカオルを見ると、銃口はこちらを向いていた。どこまでも楽しそうで、そしてどこまでも冷静な瞳が真っ直ぐ俺を見ている。
その視線が気持ち悪くて、俺は目をそらした。
そこで、白髪が代わりのように目に飛び込んでくる。彼は、目を疑うぐらいに震えていた。過剰とも言える反応のしかただ。
まるで、俺の分の恐怖と自分の分の恐怖をプラスしたような感じ。と言ってもほとんど俺だと思うが。
「白君。君自身に提案だ」
しっかりと俺に狙いを定めながら、白髪に声をかける。彼の肩がビクリと震えた。
「僕と来たら、二人とも生かしてあげる。あれ?なんか脅迫まがいだけど…まぁいっか」
俺は驚てて白髪に話しかけようとする。今の、あの不安定な状況でこれはキツいというものだ。
「‥はっ…」
白髪!
そう叫ぼうとして、銃のガチャリという音がなった。それに気付いて動きを止めた。キッとカオルを睨んだが、彼は涼しい顔でそれを受け止める。
「さあ、どうする?白君」
畳みかけるように尋ねた。
白髪はただ体を震わせている。荒い呼吸を繰り返して、何も話さなかった。目は途方に暮れているようにさまよっている。それは、迷子の子供のようだ。
カオルは、楽しそうに目を細めていた。
白髪の選択を無言で、しかし威圧的に待っている。
「白君?」
「…っあ…」
意味のない言葉が発せられる。まるで酸欠の魚のように、口をパクパクと動かしていた。その姿は、いっそ痛々しささえ感じる。
ー…、もういいよ。行っちまえって面倒臭ぇ。
内心そう思ってしまう自分を、俺はその時ハッキリ見つけた。そんな事ないと思いながらも、そうなった方が楽な気がした。
それに、銃口を向けられていても恐怖は感じていなかった。目の前で撃たれて、撃ったそれを向けられているのに、だ。
白髪の目が、一瞬正常な物になった。
今にも血を流しそうなほどに赤い瞳。
それが、淋しそうにこちらを向く。
さっき思った事を、感じ取ったのか。
それとも、自身の中で決心がついたのか。
どちらとも取れなかったが、ただそれが彼との別れになるのだけは感じ取れた。
そして次の瞬間。
再び俺は銃に撃たれる。
* * * *
むせかえる様な血の香りで、彼は目を覚ました。当然、白髪はいない。どうやら俺に撃ったのは、小林さんのとは別種類だったらしい。
しかし、この鉄錆のような香りはどこからー…。
「っと、おき、たっ…」
横に、女の顔があった。苦しそうに顔を歪ませて俺を見ている。カオルと白髪の姿は見えなかった。でもそれよりも。
「小…林さん?生きて…」
「時間がっ、ない…」
それは白髪の事なのか。
それとも彼女の事なのか。
あるいは、その両方か。
「…っ…」
腕で体を引きずってここまで来たらしい。彼女の後ろには血の道が出来ていた。
あまりにも非現実的すぎて、信じられない。
でも、体の痛みがそれを否定している。
「ここっに、電…話。助け…」
彼女が崩れた。
俺はあわてて立ち上がり、彼女に近づく。
目がうつろに俺を見ていた。
ー…、もう何も見えてはいないだろう。
悪い事をしたな、と冷静に考える。
もっと早く楽にしてあげれたらー…。
ふと地面を見ると、彼女の言った通り電話番号が書いてあった。メモもなかったのだろう。掠れているが、血で書いてある。
「助けを…呼べってか?」
俺は一人でつぶやいた。
それから、まだ温かい彼女の鮮血に手を浸す。
水よりも、いく分かドロリとしていた。
半乾きのシャツの上に、容赦なく電話番号を書き写す。少しにじんだが、可能範囲内だ。
もちろん、携帯など持っていない。
一旦チラリと彼女を見て、静かに手を合わせる。
それから俺は、電話を探しに館内を走り出した。
行っちまえと思ったが、本当に行くなんて。
なぁ白髪。お前、本当の所どうしたかったんだ?
真っ白な世界で生きているのは俺一人。
靴音のみが響く、冷たい所。
申し訳ない程度に小さい窓から、光りが差し込んできているのに気付いた。
そうか…。
もう、朝だったのか…。
なんかアヤフヤになってますね。
それは、作者の脳内が危険な証拠です。
ニャア的に好きでしたよ、小林さん。
あっさりでしたがw
楽しんでいただけたら、ニャアはもう死んでもよいと思うてござりまする。脳の一部が。