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今と四回目

コーヒーを飲み終えて、少しばかり椅子でうなだれてから、僕は店の外に出た。

 いきなり違う世界に迷いこんだのかと思うくらい肌寒かったが、それは世界のせいではなく、雨のせいだった。外では雨が地面に弾けて、音を立てながら降っていた。

 携帯電話を開いて、僕は天気予報のサイトを開いた。晴れ時々曇り、降水確率は十パーセント。僕は運命という、よく分からないものを引きずりながら、この地域が十パーセントに選ばれた理由について考えた。だが、やはり理由なんて出てこなかった。これから起こる結果がないと、運命とは言えない。

 僕はこれからどうしようかと考えた。雨の中、家に帰るのは嫌だった。かといって、構内をぶらぶらするのも面白くなかった。残っている選択肢は、僕の中にあと一つしかなかった。

 僕は券売機で隣駅までの切符を買った。百二十円だった。僕はそれを改札機に通して、南に向かう電車に乗るために、二番ホームへと向かった。

 エスカレーターのない小さな駅だ。僕ら若者は階段を使い、老人(特に女性)とベビーカーを押す母親がエレベーターを使う。

 そういえば僕は、ベビーカーを単独で押す父親を見なことがない。やっぱり、母親が育児をして、父親がお金を稼ぐのが一般的なのだろう。つまり僕はもう父親失格なわけだ。まぁ、そういったものに縁遠い人生を送っているから、仕方がない。金も女も僕にはないのだ。

 だが、別に女の子と付き合ったことがないってわけじゃない。ただ、女の子と付き合い続ける真面目さと金を作らない不真面目さが、気味の悪いバランスを保っているせいで、そういうことになっているのだ。人生の目標を安定とささやかな幸せに重点を置いている人から見れば、僕は無様な人間だろう。人間のふりをした猿のように見えるかもしれない。いや、それだけなら滑稽ですむ。僕は人間のふりをした猿のふりをした人間だ。

 細かい雨が降るなか七分ほど待って、やっと銀色の電車がホームにやってきた。近くの扉からは二人出て、そこから乗車するのは僕を合わせて四人だった。

 電車内の床はまだ濡れていなかった。乗客は誰ひとりとして傘を持っていなかった。

 彼らはきっと、雨が止むよう願っているに違いない。

 僕は三人ほど座れる座席に腰を下ろした。僕以外、誰も座っていなかった。

 窓には雨粒が流れた跡がついていた。

 僕は右から左へと流れるビル群と遠くに見える何かしらの建物、そして窓に打ちつけられる雨を見ながら、また佐藤との会話を思い出していた。

 偶然にも第四回目の会話は雨の日にしたものだった。たしか、それは高校一年生の二月のことだ。雨が雪になりきれない、寒い日だった。しかも、その雨が降り出したのは登校途中からだった。天気予報図では晴れ時々曇りになっていたのに、雨は降り始めた。

 そのおかげで僕の制服は少し濡れた。濃い紺色がさらに濃くなっていた。でも、不幸中の幸いか、僕の通学路は高架下だった。そのせいで、他の生徒よりも濡れずに済んだと思う。

 教室に着いたのは七時五十分だった。相変わらず僕は二番手で、トップテープならぬトップドアを切っていたのは佐藤だった。

 そして、三回目の会話以降、彼女はドアを開けっ放しにして教室にいた。本当に扉が喋ったと勘違いしたのが恥ずかしかったのか、ただ単に驚くのが嫌だったのかは知らない。おかげで毎回、僕がその扉を閉めるはめになった。

 三学期になると佐藤の席の位置は変わった。と言っても一つ下がっただけで、相変わらず窓際だった。彼女はとてもいいくじ運を持っているようだった。

「おはよう」と僕は彼女に声をかけた。

「おはよう」彼女はそう言いながら、可愛らしい何かの柄のついたヘアゴムを解いた。「雨に濡れなかった?」

 ヘアゴムを解いた彼女は素敵だった。そう。僕は依然として彼女に恋をしていた。だが、最低なことに僕にはその時、彼女がいた。友達の友達だった彼女の名前は美樹という名前だった。だが、その事は今関係ない。僕の目の前には、ポニーテールではない佐藤がいたのだ。

「少し濡れたけど……」僕は佐藤の制服を見ながら言った。「佐藤は濡れたみたいだね」

「うん。まぁ、別にいいけど」

「タオル貸そうか?」

「別にいいよ」

「でも、風邪ひくよ」

「じゃあ、貸して」

 佐藤はそう言うと、開いていた文庫本を裏返しにして、机に置いた。そして、僕の方へと歩いてきた。

 僕は自分の机に鞄を置いて(三学期は教室の入り口に一番近い席だった)、その中からスポーツタオルを出した。

「はい」

「ありがとう」佐藤はタオルを受け取って、水滴のついた濡れた髪や制服をぽんぽんと柔らかく叩いた。「これ、洗って返すよ」

「いや、いいよ」

「このまま返すのなんて、嫌」

 彼女はそう言うと、そのまま席に戻った。そして、何度かタオルを使ったあと、それを鞄にしまった。

 僕はそれを彼女に気付かれないように見ながら、少しどきどきしていた。彼女をあんなに近くで見たのは初めてだった。髪の一本一本が見えたし、自分との身長差が分かった。だから何だという話だが、僕の心臓が数センチ外側に移動しているのは確かだった。

 ちなみに彼女の身長は、予想するに百五十七センチくらいだったと思う。


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