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今と十二回目

 僕と佐藤の第十二回目の会話は、卒業式間近にした。二月の二十三日だっただろうか。一週間後に僕らは高校生ではなくなっている。僕は三月中に社会人になる。佐藤は、春に大学生になるのだ。

「卒業だな」

「そうだね」

 朝の挨拶は、その日はしなかった。面倒だと思ったのかもしれないし、挨拶から会話に入るのは、そろそろ恥ずかしかったのかもしれない。もう高校生活が終わるのに。

「卒業式の練習ってなんだろうな」

「なんだろうね」

「卒業するために、その練習をするのっておかしいよな」

「……高校時代の練習もあればよかったのに」

 面白いな。僕は素直にそう思った。

「一週間くらい?」

「何が?」

「高校時代の練習をするなら。一週間くらいが妥当かな」

「一ヶ月くらい必要かも」佐藤は文庫本を閉じて言った。

「一ヶ月は長くない?」

「そう?」

 彼女はこちらを見た。眼鏡はなぜかずっと前にやめていて、髪型はポニーテールに戻っていた。

「もし、練習があったとしたら一ヶ月何するの?」

「さぁ……。授業受けたり、体育祭やったり、修学旅行に行ったり――」

「卒業式の練習したり?」

 佐藤はふっと息をするように笑った。

「そうかもね」

「……でも、それじゃあ一ヶ月では短いかも」

「……そうかもね」

 僕はそう言った彼女の目を見て、それから髪の毛を見て、制服を着ている彼女の姿を見て、窓際の席に座っている彼女を見て、彼女の読んでいる文庫本を見てから、窓の外を見た。

 白い雲が、青空にうすく延ばされていた。

 時間が止まっても、僕はここで生きていけそうだ。そう思った。

 それから僕と佐藤は、教室に誰かが入ってくるまで、お互いを静かに観察していた。それが何のためになのか、お互い分かってなさそうだった。少なくとも僕は、なぜ彼女を見ているのか理解できていなかった。


 十二回にも及ぶ会話が、僕の頭の中で再度完結した。懐かしい思い出だ。ベンチに座り足を伸ばしながら、僕はそう思った。

 特急電車が通過するので、白線の内側までお下がりください、とアナウンスがあった。近くの踏切からは、耳障りな振り子音が聞こえてきた。

 僕は注意通りに、白線の内側にあるベンチに座ったまま向こう側を見ていた。山は冬よりも濃い、緑色をしていた。春はどんどんと近づいてきている。もうすぐ桜の花も咲く。たくさんの菜の花も咲く。晴れた日は、世界が青春の色に染められるだろう。

 一人の女が、改札口からホームへと上がってきた。これでホームにいるのは四人になった。

 彼女は明るく染めた長い髪を地面に向けて流していて、頬にはピンクのチークを入れていた。好みではなかったが、とても綺麗な女性だった。カメラの前でポーズをとっていても、仕事終わりの男性会社員の話を聞いていてもおかしくはない。

 桃色のカーディガンを羽織った彼女は、少しだけ立ち止まったあと、僕の斜め前へとやってきた。

 そして彼女は白線の上に立ち、そのまま前へ進もうとした。

「危ない!」と、僕はとっさにベンチから飛び出した。

 彼女の片足がホームからはみ出したとき、僕は彼女の腕を掴み、力を込めて引っ張った。

 僕と女はホームに倒れた。硬いコンクリートの感触が体に伝わってきた。

「おい」と僕は女に声をかけた。

 女は顔にかかった髪の毛の向こう側から僕を見て、立ち上がった。

 特急電車が轟音をたてて駅を通過していく。女は転がっていた白いパンプスを履いて、そのまま何も言わずに改札口へ逃げていくように走った。

 僕は呆気にとられながら、立ち上がった。コンクリートにぶつかった腕がひりひりと痛かった。

 女が改札口を急いで通り、駅の外に出たあと、横にある部屋から駅員が顔を出した。僕が、大丈夫、と手を見せて顔を逸らすと彼は引っ込んだ。

 僕はジーンズに付いた何かを叩き落しながら、もう一度ベンチに座った。

 気持ちの悪い汗と、変に脈打つ心臓を静めながら、僕は自分のした行動について考えてみた。

 僕は線路へと降りようとした彼女を引っ張って、転ばせた。つまり僕は彼女に自殺行為をやらせなかった。……そうだ。決して、彼女を助けたわけじゃない。

 僕は顔を上げた。屋根を繋ぐ柱には鳥よけの棘がいくつも設置してあった。

 あのとき女は何も言わなかった。僕は彼女を助けて、いや止めてよかったのだろうか。

 いや、彼女はここにいたのだろうか。僕だけに見えた自殺志願者だったのではないだろうか。二ヶ月後の自分を暗示する何かで、僕は恥ずかしくも一人芝居をここでうったのではないだろうか。

 僕は目を閉じて、首を振った。

 そんなわけない。そこまで僕は耄碌していない。アルバイトに受からなかったショックはそんなに大きくない。美樹が浮気していたときのほうが、よっぽどショックだった。中学二年生のとき、クラスの好きな子に彼氏ができたと知ったことのほうが死ぬほど辛かった。

 僕は目を開けた。何かに反射して届く赤い日差しが、眩しかった。

「森村くん?」

 僕はその言葉がしたほうに、反射的に顔を向けた。

「……」

 そこには遠くに電車を待っていた女性がいた。青いジーンズを履いて、ススキ色をしたポンチョを着ていた。

「あ、すみません。あの、大丈夫ですか?」

 僕は彼女の顔を見て、それから彼女の髪を見た。見たことがあるような髪型をしていた。

「佐藤?」と僕は佐藤の顔をした彼女に聞いた。

「え?」

「いや、人違いならすみません」

「……やっぱり、森村くん――ですか?」

 僕は少しだけ音を出して、笑った。ここで佐藤か……。

「久しぶりだな」

 僕がそう言うと、どこか強張っていた彼女の顔はやわらかい顔に戻った。

「……久しぶりだね」

「七年ぶりだよ」

「七年ぶりかな」

 僕は目線を外して、前を向いた。

 彼女は僕の隣に座った。持っていた白いショルダーバッグには、相変わらず文庫本が入っているのだろうか。

「大丈夫だった?」

「ああ、大丈夫だよ」

「大きな声が聞こえたからびっくりした」

「こっちもびっくりしたよ」

 北へ行く電車がもうすぐ到着するとアナウンスが流れた。

「……」

「……」

「佐藤はさ、高校時代、俺と何回会話したか覚えてる?」

 僕は何を聞いているのだろう。

「え。うーん。……どうだろう。――十回くらい?」

「そう。もしくは十二回」

 僕は横目で彼女を見た。彼女は顔をこちらに向けていた。顔が熱くなることはなかったが、やはり恥ずかしかった。

「最初に話したのは、一年生の頃だったよね」

「そう。自分が一番乗りだろうと思って、朝早く教室に行ったのに、佐藤がもう教室にいた」

 僕は映画のワンシーンを観るように思い出していた。僕と佐藤が教室にいる。

「……」

「……」

「森村くん時間ある?」

「たくさんあるよ」

「喫茶店に行かない?」

「そうだね」

 僕は頷いた。少しの緊張と、一つの青春を失った悲しさが心の中に浮かんできた。僕の冷静さは、それをスプーンですくわずに、ぐるぐるとかき混ぜた。


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