新しい関係
「……お前…麻生か?」
その言葉に驚いて振り返ると、朝倉君の手には色あせた写真が握りしめられていた。
私は、一瞬どうしようと思ったが咄嗟に俯いた。
あの写真は中学の時、彼の家で撮ったものだった。私が転校する時に、おばさんが渡してくれたもので、唯一2人で写っている写真だった。
(まさか、あの写真を見られるなんて…)
私は俯きながら、自分のドジさにウンザリした。
すると、目の前に写真が差し出される。
恐る恐る目を上げると、朝倉君が真剣な顔でこちらを見下ろしている。
「麻生だよな?」
怒ったような口調で問い詰められ、私は唇を噛みながら頷いた。
朝倉君は、私の向かいに座るとジッと私の方を見た。
その視線が辛くて、私は避けるように俯いた。
「俺のせいか?契約断るのは?」
その口調にどこか悲しそうな響きを感じ、私はすぐに反論した。
「ちが…っ、朝倉君のせいじゃない」
「じゃ、何なんだ?」
どう言ったら諦めてくれるのだろう。
「唯香さんには敵わない。自分に自信がないのよ」
前に、この言葉で彼は怒って帰って行った。今回も『もしかしたら』と期待して答える。
しかし、彼の返事は意外なものだった。
「【アンジェリア】のモデルはメイでなければダメだ!雪村さんの目を信じろよ。俺も彼女の目を信じてる」
彼の言葉に嬉しい反面、微かに胸も痛んだ---雪村さん、あの小柄な可愛い女性だ。
「雪村さんの事、信頼してるのね?」
彼女の事が羨ましくて、つい口走ってしまった。
「ああ、尊敬できる人だよ。なあ、もし何ならお前の担当を別の奴に変わってもらうから」
雪村さんの為にここまで頑張るんだ---私はそっと尋ねた。
「本当に私に出来る?」
「お前にしか出来ない…」
朝倉君が私を認めてくれた。
私はその言葉が嬉しかった。たとえ、別の誰かの為であっても。
黙って動かない私を、朝倉君何も言わずにただ見ていた。
「契約書にサインするわ……担当は、朝倉く…さんでお願いします」
私は事務的に返事をした。
仕事として彼と付き合えば少なくとも昔よりは良好な関係を築いていけないかと、僅かな希望に縋りたかった。
彼は安心した様に、微かに笑った。
そんな彼の顔を見て、私は後悔し始めた。
それは---もう1度彼に恋するかもしれないという予感がしたから。
契約後、初めての仕事は販促用のポスター撮りで、唯香さんとはその時に初めて対面した。
「初めまして、唯香です。よろしくお願いします…メイさん?でしたよね。よろしくね」
そう言うと、彼女はにっこりと笑って手を差し出した。私はその手をとりながら挨拶をした。
「あ、初めまして。メイです。まだ、駆け出しで迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします」
「私ね、前からあなたと一緒に仕事をしたかったの。渡瀬さん…彼女に憧れてこの世界に入ったから、その彼女の秘蔵っ子がどんな娘なのかとても気になってたの」
そう言った彼女は雑誌で見る華やかなイメージとは違い、プロのモデルとしての真剣さが感じられる。
そんな彼女に圧倒され、私の表情は強張った。
「そんな、私なんてまだまだです。唯香さんの足元にも及びません」
「…あ、そろそろ準備をお願いします」
朝倉君が間に入ってくれ、その場の緊張感は消えた。
私達はそれぞれの控室へと入って行った。
撮影は楽しかった。【ルージュ】は今迄の私とは全く違ったイメージで、別人になった様な気分になった。
唯香さんも清楚で今までとは違い、初めてみる彼女の顔に私も彼女のやる気を目の当たりにした気がした。
撮影が終わり、控室から出ると朝倉君が立っていた。
「お疲れ様です…」
彼が、素っ気なく声を掛けてきた。
足を止めて彼に挨拶を返す。
「お疲れ様です。それじゃ…」
通り過ぎようとしたら彼が私の腕を掴んだので、驚いて咄嗟に彼の方を見た。
「送って行く」
「大丈夫よ、帰りは1人でも平気…」
「俺が送りたいんだ。迷惑か?」
「でも、まだ仕事じゃないの?」
仕事以外で関わりたくなくて、私は言葉を続ける。
「これも仕事のうちだ。うちの大事なモデルを1人で帰したとあっては、吉澤主任や雪村さんに何を言われるか…唯香もうちの社員が送って行ったんだ。お前だけ1人で帰すわけいかないだろう」
仕事のうち……そうよね、朝倉君だって私には関わりたくないはず。私は抵抗するのを諦めた。
「それじゃ、よろしくお願いします」
私は彼について、スタジオを後にした。
帰りの車の中、私達は無言だった。
私は彼の姿を見ない様に、窓の外をずっと眺めていた。
「…今日の撮影、良かった」
唐突に彼が話し掛けてきた。
「え?…本当?」
私は意外な言葉につい、振り向いて彼を見た。
朝倉君は、前を向いたまま話を続ける。
「ああ、最初は【ルージュ】をメイにって主任が言った時『何で?』って思ったけど、今日の撮影のメイを見てビックリした。別人を見てるみたいだった…綺麗だった」
(え?今、何て…)
彼の言葉に驚いて見つめると、顔が赤くなっていた。
「朝倉さん、絶対そんな事言わない人と思ってたのに…意外」
「いや、仕事としての感想であって---別に個人的なものでは…」
「大丈夫、判ってます」
焦る彼が可愛く見えて、私は笑いながら答える。
「…やっと笑ってくれた」
「え?」
「俺と会ってから、まだ1度も笑ってなかったから」
「あ、ごめんね…」
「いや、謝らなくてもいいよ。ただ仕事の間だけでもいいから、普通に接してくれれば…避けられたり、身構えられたりはちょっと辛い」
「そんなつもりはないんだけど……気をつけるね」
彼にはそういう風に見えてたんだ。私はただ緊張してただけなんだけど……
私は少し落ち込んだ。