溢れた気持ち
「え? 私……」
目を覚ますと、私は朝倉君に抱き締められたままだった。
彼は熟睡しているらしく、規則正しい寝息が聞こえる。
---寝ちゃったんだ、私---
しばらくじっとしていたけど、ゆっくりと彼の腕を自分の身体から解く。
本当はずっと腕の中にいたい気持ちもあったけど、もし目が覚めたらお互い気まずい思いをするのは判っている。
私は朝倉君のベッドから抜け出すと、彼の顔を見ろした。
無防備な寝顔は彼の中学生の頃を思い出す。
思わず微笑みながらその寝顔を見ていたら、朝倉君が身じろぎをした。
「ん…っ…」
ゆっくりと目を開けた彼は天井を見つめている。
そして頭を押さえながら、ゆっくりと起き上った。
「あ……起きた?」
まだはっきりと目が覚めていない様なので、私は驚かさない様に囁きかけた。
「ここは……?」
独り言の様に呟く。
そんな彼に私は、冷蔵庫から出したミネラルウォーターのペットボトルを差し出した。
朝倉君はペットボトルを差し出している手から、私の顔に視線を移して驚いた顔をした。
「麻生? 俺……何で…」
「朝倉君、みんなが注いだお酒を全て飲んで、酔いつぶれたのよ」
私の言葉に、彼は一生懸命記憶を辿っている様だった。
そして思い出して納得した様な表情で、私からペットボトルを受け取ると、彼は水を一気に飲んだ。
半分程飲み干したところで、朝倉君は部屋の中を見回した。
「ここは?…」
「私が泊まっているホテル。夜遅くこんなに酔った状態で家に送っても、おばさん達に迷惑になるかなと思ったから」
「……ごめん、帰るよ」
朝倉君はそう言ってベッドから出ようとして……身体がふらついた。
咄嗟にその身体を支えようと抱き止めた。自分の脈が上がるのが判る。
「無理よ。まだ酔いは醒めてないんだから。ベッドは2つあるから泊ってって」
さり気なく聞こえますように……私は緊張した中で彼にそう提案した。
「そうはいかないだろう。男と一緒に泊まったって知られたら……」
頑なに泊まる事に異議を唱える彼に、私は言い聞かせる様に話す。
「朝倉君は友達でしょ? それにここに連れてきたの、林原君だし…」
「林原? だったら家に送ってくれたらいいのに」
「そうはいかないわよ。もう深夜だし、林原君は麻美ちゃんと一緒に帰る事になってたし…私がここに運んでってお願いしたの。あ、服を脱がせたのは林原君だから」
私の言葉に朝倉君は自分の姿を見下ろしている。
「シャツとパンツが、しわになったら困るだろうって……クローゼットにかけてあるから」
「あ、あぁ……ありがとう」
焦った様な彼の返事を聞いて、私は彼の身体から離れた。
今夜、ずっと近くにあった温もりから離れた事で少し寂しい気持ちになった。
だけどそんな事を気づかれたくなくて、私は淡々とした口調で朝倉君に言った。
「わかったら大人しく寝てちょうだい。私は明日、おばさんと美樹ちゃんに会うから、早めに起きなくちゃいけないの。もう眠らないと……じゃ、おやすみ」
朝倉君の顔を見る事が出来なくて、自分のベッドの掛け布団をめくると、その間へ身体を滑り込ませた。そして彼に背を向けると無理して眠った振りをする。
しばらくして、ぼそっと朝倉君の声が聞こえてきた。
「---俺も、寝るか」
ベッドへ戻る気配がして、しばらくすると彼が『おやすみ』と小さく呟く声が聞こえた。
その後は規則正しい寝息が聞こえてきて、私もいつの間にか眠りに落ちていた。
結局あまり眠れなかった。隣で眠っている彼が気になっていたのもあるけど、基本的に環境が変わると眠りが浅くなって寝不足になってしまう。
それでも今日は朝倉君のお母さんや美樹ちゃんとの約束があるので、起きて出掛ける準備を始めた。
シャワーを浴びて着替えると、メイクをする。
準備が終わってから、まだ眠っている朝倉君のベッドへと近づいた。まだ起きる気配はない。
どうしよう……そのまま寝かせておきたいけど、出掛けなければならないし……
少し考えてから私は彼を起こす事にした。
「おはよう、朝倉君」
彼の耳元でそっと囁く。すると彼は微かに瞼を動かし、頭を押さえながらゆっくりと目を開けた。
「…んっ……今、何時だ?」
二日酔いだろうか? 思わず心配で覗き込んでいた私の瞳と彼の瞳があった。
「今、朝の9時だけど、朝食どうするかな? って思って。何かルームサービスとる?」
「いや、いいよ。食欲ないし、気分悪い」
朝倉君は辛そうに答えた。私は冷蔵庫からミネラルウォーターを出して来て、彼に手渡した。
「喉渇いてるんじゃない? 二日酔いは水分多めに摂った方がいいよ」
「サンキュ」
微かに笑いながら受け取ると、彼はそれを一気に飲んだ。
「私はそろそろ出かけるけど、朝倉君はどうする? なんなら今日はここで眠っててもいいわよ」
「いやっ、そんな迷惑はかけられない。俺も帰るよ」
急いで帰り支度をしようとする彼を私は押し留めた。
「そんなに慌てなくていいわよ。どうせあと2日泊るし、私は今から朝倉君の家に遊びに行くから。夕方までは眠ってても大丈夫よ。気分かなり悪いでしょう? ゆっくりしてたら?」
朝倉君は私の言葉に考え込む様に黙り込んでしまっている。
私は時間が迫っていたので、出掛ける支度を済ませると彼の方を振り向いた。
「じゃ、行ってくるから寝ててね。それから私が帰って来るまでは部屋にいてよね」
「何で?」
朝倉君は訝しげに訊ねてきた。
「鍵置いて行くから……勝手に帰ってもらったら困る」
「…フロントに預けて行けばいいだろう」
「---それはそうだけど……あと、話したい事もあるし」
「話したい事?…」
彼の言葉に頷く。
「だから……ここにいて。じゃ……行ってきます」
そう……今日でこの気持ちに区切りをつける。昨夜、このままではいられないと自覚してしまった。だから自分の気持ちを伝えてそれで終わりにする。
彼が何か言いかけたけど、私は返事も聞かないで部屋を後にした。
「あ、五月ちゃん!」
待ち合わせ場所に着いた時、美樹ちゃんが私を見つけて手を振ってくれた。
私も手を振りながら、彼女の方へ歩いて行く。
「ごめんね、遅れた?」
「ううん、私が早く着すぎたんだよ。じゃ、行こっ! お母さんが待ってるよ」
そう言って歩き出したので、私も一緒に並んで歩く。
この辺りは10年振りくらいで、朝倉君の家までちゃんと辿りつけるか自信が無いと美樹ちゃんに言ったら、迎えに来ると言ってくれた。
本当に昔の街並みが余り残ってない。少し寂しくなった。
「この辺り……賑やかになったね」
「うん、近くに大型のショッピングセンターが出来たから結構人も増えたし、お店も結構増えたよ」
美樹ちゃんは答えながら、私の方を見た。
「ねぇ、五月ちゃん。もしかして……兄貴って昨日、五月ちゃんのとこに泊った?」
え? 何で……
私が答えに詰まってると美樹ちゃんがふふっと笑った。
「やっぱり? いやー、同窓会に行くって言ってたし、普通なら帰ってくるはずなのに一向に帰って来る気配がないから……ひょっとしてと思って」
「あ、あのね……朝倉君、みんなにお酒たくさん飲まされちゃって、凄く酔っぱらってそれで……」
「うん、うん、いいよぉ、そんなに焦って言い訳しなくても……2人共いい大人何だし、お母さんも別に怒ってないよ。むしろ『五月ちゃんに迷惑かけてないかしら?』って、心配してたし」
ああっ……誤解されてる。どうしよう、すごい恥ずかしいかも……
顔が赤くなっているのが判る。そんな私を見て、美樹ちゃんは励ますように言った。
「大丈夫! お母さんは五月ちゃんが大好きなんだから。本当に『いつ嫁に来てくれるのかしら?』って言ってるくらいだし、この前も兄貴に『式は何時だ?』って詰め寄ってたよ」
それで朝倉君、誤解を解こうって言ってたんだ。確かにこのままだと、おばさんの勢いに圧されそう。
私がおばさんの誤解を解いた方がいいかも……そんな事を考えていると、いつの間にか朝倉家の玄関まで来ていた。
「お母さーん、五月ちゃん連れてきたよ!」
玄関を開けた途端、美樹ちゃんは家の奥へと呼びかける。
ばたばたと小走りにこちらへと向かってくる足音と共に、おばさんが家の奥からやってきた。
「五月ちゃん! いらっしゃい」
昔と変わらない笑顔で出迎えてくれたおばさんに、私は深々と頭を下げた。
「おばさん、お久しぶりです」
「まぁまぁ……そんな堅苦しい挨拶はいいから、どうぞ入って」
おばさんは私の手を引っ張りながら家の中へと促す。
「あ、お邪魔します」
靴を脱いで並べると、久しぶりとなる朝倉家の中へ入って行く。
リビングへと案内されソファへ座ると、向かいにおばさんが座ってこちらを見た。
「本当に久しぶりね。元気だった?」
「はい、すみません。なかなか連絡出来なくて」
「いいのよ……五月ちゃんだって忙しいんだから。それに、こうやって会いに来てくれたんだもの」
「五月ちゃん、アイスティでいい?」
台所から美樹ちゃんがトレイを持って戻って来た。
「うん、ありがとう」
飲み物を受け取りお礼を言うと、いただきますと言ってティを飲む。
緊張の余り喉が渇いていたので、冷たいティがとても美味しく感じた。
「それにしても……五月ちゃん、綺麗になったわねぇ」
私を見ながらおばさんが感心した様に呟いた。
「そんな事……」
「ううん、中学校の頃も可愛かったけど今は洗練されて、凄く素敵になったわ。大樹には勿体ないくらいだわ」
「お母さん、兄貴が聞いたら怒るよ」
「だって、あの優柔不断な男には勿体ないくらいじゃない? 五月ちゃんならもっと素敵な人がいてもおかしくないのに……」
「朝倉君は優しいですよ、それに私の仕事の事も解ってくれてるし。食事の事も気にかけてくれていて……感謝してます」
思わず、朝倉君をフォローする言葉が口を吐いて出た。
「ありがとう。うちのバカ息子を庇ってくれて」
「兄貴と五月ちゃんって、本当に仲が良いんだよ。お母さん」
美樹ちゃんはニコニコとおばさんに話している。
「そうみたいね、安心したわ」
おばさんはそう言ってとても優しい笑顔で私を見た。
お昼は外で食べようという事になり、私達は朝倉家を出た。
美樹ちゃんがお奨めというレストランへ行き、3人でランチを食べる。
食事は美味しく、私達は昔話に盛り上がっていた。
そしていつの間にか、話は美樹ちゃんの彼氏の話になっていた。
「そうそう! 知ってる? 五月ちゃん。美樹ったらね洸太君と付き合ってるのよ」
「あ、この前聞きました。まだ洸太君とは会ってませんけど、大きくなったでしょうね」
「もう、長身のイケメン! 小さい頃も顔は可愛かったけど、今は更に男らしくなってるからね」
おばさんは冷やかす様に美樹ちゃんを見る。
そんなおばさんの視線をスルーして、美樹ちゃんは食後のデザートを食べていた。
その後はウインドーショッピングをして夕方まで過ごした。
「ねぇ、夕飯は家で食べて行って」
おばさんはそう言ってくれたのだけど、私は朝倉君の事が気になってたので丁重に断った。
「すみません……明日、友人と会う予定があって早めに帰ろうと思ってるので」
私の返事に、おばさんも美樹ちゃんも少しがっかりした様な顔をした。
「それなら仕方ないわよね。じゃ、また来てくれる?」
「はい、迷惑でないなら…」
「迷惑なわけないじゃない、五月ちゃんなら何時でも大歓迎よ」
そして私達は、また会う約束をして別れた。
ホテルに戻る途中で地元で有名な菓子店があったので、みんなへのお土産にと何種類かのお菓子を購入してそのままホテルへと帰った。
「ただいま……って、どうしたの?」
部屋に帰ると、朝倉君が情けない表情を浮かべて出迎えてくれた。
---良かった、帰ってなかった---
私は少し嬉しい反面、彼の表情が気になって尋ねた。
すると朝倉君はソファへ座り込んで黙っている。
取り敢えず私はジャケットを脱ぎ、バッグと一緒にクローゼットへと片付ける。
そしてソファに座っている朝倉君の方へ近づき、彼の顔を覗き込んだ。
「何? まだ気分悪いの? 冴えない顔してるけど……」
私の言葉に彼は『はあっ』と溜息をつくと、私の方を見上げた。
お互いの視線がぶつかる。
何? どうかしたの?
そんな事を考えていると、朝倉君が話し始めた。
「……夕方、リョウさんが部屋を訪ねて来た」
「リョウさんが?」
「あぁ……近くまで来たから話を聞きたい…とか何とか言ってたけど……それよりも悪い! 誤解されたかもしれない」
「え? 誤解って?」
朝倉君が深々と頭を下げた理由が解らず、思わず首を傾げる。
「実は、リョウさんが訪ねて来た時、俺は風呂から出たばかりで……その、バスローブしか着ていない状態でドアを開けてしまった。そしたら彼が『お邪魔したね』って……本当に悪かった! 俺、リョウさんにもう一回事情話すから」
…あぁ、そういう事?
必死に謝る彼に私は首を振った。
「麻生?」
「大丈夫……朝倉君が事情を説明する必要なんてないから。私とリョウさんは最初から付き合ってなんかいない……」
「ど…う…いう…意味だ?」
私の言う意味が解らない彼は、訝しげにこちらを見ている。
「リョウさんの恋人は唯香さんよ。唯香さんが一方的にリョウさんに別れを告げてしまったので、その理由を探る為に私と付き合っているって言って、彼女の嫉妬心を煽ろうとリョウさんが考えたの」
朝倉君の表情が強張る。
私はそのまま話を続けた。
「だから朝倉君が気にする事なんて何もないから…」
「お前はそれでいいのか?」
「え?」
怒った様な彼の言葉に、私は思わず彼の顔を見つめる。
朝倉君……怒ってる?
「だって……そうだろう? お前の気持ちを知ってて、リョウはそんな残酷な事をお前にしたんだぞ? 許せるのか?」
「朝倉君?」
彼の言ってる言葉の意味が解らない。私の気持ちって?
「許せるのか? そんなにリョウが好きか? 唯香から奪い取れるとでも思っているのか?」
唯香さんから奪い取る? 何で私が?
「な…にを…言ってるの? 私はそんな事思ってないし、そもそもリョウさんに恋愛感情なんて持ってない」
「は?」
私の言葉が意外だったのか、朝倉君は唖然とした。
そんな彼を見て、私はため息をつく。
そういう事か……彼は、私がリョウさんを好きで、唯香さんから奪うつもりだと思っているんだ。
朝倉君にそんな風に思われていた事がショックで、私は思わず彼に本音をぶつけていた。
「私はリョウさんの事は仕事仲間としては好きだけど、恋愛対象としては見てないよ---それに、私には昔から好きな人がいるもの」
そう言って彼の顔を見つめたけれど、朝倉君は何も言わない。
溢れてしまった想いはもう抑えられなくて、私は更に話し続けた。
「私は『その人』の事を中学校の頃から好きだった---初恋だったわ。だけど、彼は私のことなんてただの『クラスメート』としてしか見てなかったと思う。それに彼は背の高い子は好きじゃなかったの」
朝倉君の身体がピクリと動いたけれど、それでも私は話し続けた。
「私はずっと嫌われてるって思ってた。でも再会した時、『友達』だって言って貰えて嬉しかった。それだけで良いって思ってたのに……だんだん欲が出てきて『友達』だけでは嫌だと思うようになった---そんな時にリョウさんから『2人で恋人のフリしてあの2人に嫉妬させないか?』って言われて、つい話にのってしまったけど---馬鹿よね、朝倉君が嫉妬なんてするはずないのに……むしろ応援されちゃったし」
私は言い終えると、真っ直ぐ朝倉君を見た。彼は驚いた様な表情で私を見ている。
そうよね、まさか私が朝倉君を好きだなんて思ってもいないだろうし、たぶん迷惑だと思ってるんだろう……
「麻生?」
朝倉君が何か言いかけたけれど、私は直ぐにそれを遮った。
今は何も聞きたくない。
「ごめんね、いきなりこんな事言って……迷惑なのは分かってる。だけど誤解されたままは嫌だったから……朝倉君、悪いんだけど帰ってくれる? さすがに今、2人でいるのは辛い」
「……あ、あぁ…」
私の言葉に彼は頷くと、帰り支度を始めた。
その間---私は彼に話し掛けられない様に、窓の外をずっと見ていた。目には涙が浮かんでいたが、必死で押し留める。
彼の溜息が聞こえた後、そっと私へ声を掛けてきた。
「じゃ……帰るよ」
「うん、気をつけてね」
振り返らずに、何とか涙声にならない様に返事をする。
そして朝倉君は部屋を出て行った。




