会いたくない人
「メイ!来週、【アンジェリア】のパンフレット撮影があるから、あんたに来てほしいって【グローリー】の朝倉君から連絡あったわよ」
翌日事務所に行くと、渡瀬社長から開口一番こう告げられた。
(何で?あんなに怒ってたのに?)
もう会う事はないと、安心しきっていた私は社長に懇願した。
「社長、無理ですって!私じゃなく、もっとキャリアのある先輩達を推薦して下さい」
私のその必死な様子に、彼女は溜息をついた。
「メイ……昨日も言ったわよね?私はあなたの才能を買ってるって。朝倉君を見返してらっしゃい。悔しくない?あんだけ言いたい放題言われて」
「それは……」
悔しいと言うより悲しかった。
彼の私への評価は、最低のものだったに違いない。
「とにかく、1度だけでもあんたの実力見せつけてやんなさい!負けたままで終わるのは私の主義ではないんだから」
(社長、結局自分の言った事が正しいって証明したいだけ?)
疑問は口にすることなく、私は翌週、撮影現場へと赴く事となった。
撮影場所は郊外のスタジオという事だったので、自転車で行く事にした。
集合時間の2時間前に家から出て、順調に目的地に向かっていた……はず、なのに。
「何で?有り得ないんですけど。どうして今、この状況でパンク?」
走っている途中いきなり破裂音が響き、私の自転車は走るという事が無理な状態になってしまった。
「どうしよう…」
腕時計を見ると、あと30分しかない。
「歩いた方が早いかも」
そう判断した私は、自転車を押しながら早足で目的地に向かう。
意外に坂が多く、段々息が上がってきた。
「やばい、これかなりきついんですけど……」
それでも速度は落とすことなく、歩いていく。
「おはようございます。遅れてしまい申し訳ありません!」
集合時間を30分ほど遅れて着いた私の所へ、朝倉君が怒った表情で近づいて来た。
「何してるんだ!みんな、君を待っているんだぞ」
大きな声で叱責されたが、私はカメラマンの兼島さんの方へ歩み寄った。
兼島さんはファッション雑誌の写真を撮らせたら、右に出る者はいないほどの凄い人で、私も1度は仕事してみたいと思っていた。
そういう人を待たせてしまったと思うと申し訳なく、まだ息が整ってないのも気にせずに深く頭を下げ謝罪した。
「お待たせしてしまい、本当に申し訳ありません。今日、お世話になります《メイ》です。よろしくお願いします」
(もしかしたら、今日の撮影は中止かもしれない)
そんな不安がよぎった。
「……早く準備して。出来次第、撮影にはいるから。遅れた分詰めていくから、覚悟しなさい」
兼島さんはそう言うと、カメラの準備を始めた。
私は感謝の気持ちでもう1度頭を下げると、朝倉君達がいる所へ近づいていく。
「遅れてすみません。今日はよろしくお願いします」
するとその中の1人の男性が、安心した様に笑った。
「君がメイ君か!初めまして、この企画の責任者の吉澤です。おい朝倉、彼女を控室に案内しろ」
「……こちらです」
仏頂面で前を歩いて行く。
(ああ、もう完全に駄目な奴だと思ってる)
私は、前を歩く彼の広い背中を見つめながら思った。
控室に着くと、雪村さんがメイク担当の人と一緒に待っていてくれた。
中に入った途端、衣装を着せられた。今回は2パターン撮りたいという事で、綺麗な赤のワンピースと淡いピンクのドレスが選ばれた。
それぞれの服に合ったへアメイクをしてもらい、私は本気で撮影に挑んだ。
「いやー君みたいなモデルは久々だよ。こんなに楽しい撮影は久しぶりだった」
兼島さんはとても嬉しそうに、私の仕事ぶりを褒めてくれた。
こんなに手放しで褒められると照れてしまう。
「ありがとうございます。私も楽しかったです」
兼島さんを外まで見送って、スタジオに戻ると雪村さんが近づいてきた。
雪村さんは好きなんだけど、あまり近くに来てほしくない。小柄な彼女の隣にいると私がかなり大きく見えてしまうから。
「メイちゃん、一緒に帰りましょう」
「あ、私、自転車で帰るので…大丈夫です」
「自転車で来たの?ここまで」
え?何故、驚いてるの?
「はい、あともう少しってところでタイヤがパンクしてしまって…それで遅れてしまいました。すみません」
それで話を終わろうとした私に、雪村さんは更に追求してきた。
「え?でも、パンクしてるのよね?帰り自転車使えないじゃない」
(あぁ、いいです。考えないで下さい。1人で帰れます)
心の中で懇願する。
「自転車押しながら帰ろうかと…」
「だめっ!自転車は車に載せて行くから、一緒に帰りましょう」
言いかけていた言葉を遮られた。
雪村さんは何故か私の腕に掴まっている。だから、それは勘弁して下さい……
「ねぇ、吉澤君、朝倉君、自転車くらい車に載るわよね」
彼女の問いに、吉澤さんが事もなげに言った。
「ああ、大丈夫。このままメイちゃんの家までこいつに送らせるよ」
こいつ----朝倉君はギョッとした。
やっぱり、嫌がられている。もう、絶対正体がばれない様にしないと。
「主任!会社に戻らないと…」
「いや、今日はメイちゃん送って行け。命令だ」
上司の命令には背けないらしく、しぶしぶといった感じで彼は私の自転車を取りに、スタジオの外へと行ってしまった。
私はメイクを落とし、着替えを済ますと控室を出た。
朝倉君は入口で待っていた。
私が来たのを見ると、さっさと車に乗り込む。私も助手席へ乗り込んだ。
家に着くまで2人とも無言で、私は居たたまれなくて車から飛び降りたいと何度も思った。
「それじゃ…ありがとうございました」
自転車を受け取りお礼を言って、マンションの中に入ろうとした時。
「お疲れ様でした。悔しいけど、君のところの社長の言う通りだった。この前の俺の言葉は撤回する。ごめん」
彼が私を認めてくれた事が、驚きだった。そのあとから嬉しさがこみ上げてきた。
「私もこの前は失礼だったと思う。ごめんなさい、今日は楽しかった。ありがとう」
それだけ言うと、私はマンションの中へ入った。
翌日
朝一番で携帯が鳴った。見ると着信相手は渡瀬社長だった。
(何なの?朝早くから)
不思議に思い電話に出ると、社長の声が聞こえてきた。
「おはよう、メイ。【アンジェリア】の専属モデルに決定したわよ。今から正式に契約をする為にうちに来るそうだから、あなたも早く準備していらっしゃい」
(うそ…何で?)
無言の私に社長が心配そうに呼びかけてきた。
「大丈夫?メイ」
「社長、私出来ません。自信ないんです。断ってくれませんか?」
そう言うと、電話を切った。
再び呼び出し音が響いたが、もう取ることはなかった。
唯香さんと比べても私なんてまだまだだし、【アンジェリア】の看板を背負うなんて大役は怖すぎる。それに朝倉君とこれ以上関わったら、いずれ私が誰だか彼は気づく。そうなった時の彼の態度がもっと怖かった。
そんな事を考えていたら、インターフォンが鳴った。
出て見ると…朝倉君だった。
「…ごめんなさい。今回のお話はお断りします。帰っていただけませんか」
彼は扉の外で話し掛けてくる。
「これは君にも【next】にもチャンスなんだぞ。それを渡瀬さんに相談もせずに、君の一存で決めていいのか?話を聞いてからでも遅くはないだろう。俺だってこのまま『はい、そうですか』とは帰れない」
しばらく考えた後、玄関の扉を開いた。
彼の顔を見るのが怖くて、俯いたま話をする。
「勝手なのは承知してます。だけど、この仕事は受けたくないの」
「理由は何?」
咎める様な彼の声に一瞬怯んだ。
「…それは…あ、ちょっと!」
理由を考えている私を押しのけて、彼は強引に部屋へ入って行く。
私が止める間もなくリビングのソファへと座り、契約書をテーブルに広げだした。
「座れば」
立ったままテーブルの契約書を見つめていた私は、その言葉でしぶしぶ向かいのソファに腰かけた。
「理由は何?【アンジェリア】の専属モデルだ。2つ返事でOKするのが当たり前なのに、断るからには納得のいく理由が聞きたい。君の事は俺が一任されているんだ。契約出来ないなら主任を納得させなきゃならない。理由を聞く権利はあると思うけど?」
「あなたは私が【アンジェリア】のモデルになるのは嫌なんでしょう」
俯いたまま、尋ねる。
「ああ、最初はね。だけど昨日の仕事ぶりを見て凄いと思った。そして今日、写真を見たら【アンジェリア】のモデルは君だと思った」
その言葉に思わず、彼の顔を見た。その目は真剣で私をじっとみつめていた。
「唯香さんもいるじゃないですか」
最後の抵抗とばかりに、彼女の名を挙げる。
「雪村さんの言うように、唯香よりも君の方が【アンジェリア】のイメージに近い。さすがデザイナーは凄いよ」
雪村さんの名前が出た時、何故か胸が苦しくなって俯いた。
すると目の前に契約書が差し出された。
「取りあえず読んで、それから決めても遅くないだろう」
私は観念して、契約書を受け取り読み始めた。
朝倉君はソファから立ち上がり、壁の方へ近づいて行く。
(どうやって、断ろう?理由の1つが今部屋の中にいるけれど…)
考えに夢中になっていて、彼がこちらへ近づいて来るのに気付かなかった。
「……お前…麻生か?」
驚いて振り返ると、彼の手には色あせた写真が握りしめられていた。
次回は、メイの中学編です。
お付き合いいただけたら光栄です。