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神の代行者  作者: 粉雪草
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-意志を継ぐ者- 2

 一定のリズムで聴こえる足音。そのリズムは一定すぎて不気味だった。その音を発するのは一人の老紳士。整備された街道をゆっくりとした足取りで歩いている。

「何者だ。止まれ!」

 黒いローブを纏った代行者がナイフを抜いた。

「…………」

 老紳士の足は止まらない。

「くっ……」

 代行者は異界の門を開く。異形の剣を抜くと同時に戦場を駆ける。常人にはまるで見えない速さ。だが老紳士は驚きもしなかった。

「……これで我が同胞の力を借りているのか……嘆かわしい」

 老紳士はゆっくりと杖を上げる。代行者が剣を振り上げる。無防備な胴に向けて銀閃が通る。杖を鞘代わりにした剣が高速で代行者を切り裂く。

「が……」

 代行者は口から血を吐いた。それと同時に胴が切断される。

「この地は我らが使うにふさわしい。異界の門を代表して……このクレイドが手に入れてみせよう」

 クレイドはゆっくりと剣を杖に戻す。それと同時に瞳を閉じる。暗闇が視界を埋める。見飽きた暗さだ。異界の門の中は暗闇。この世界はここまで光に満たされ、自由。不平等だとクレイドは思う。力ある者がなぜあのような暗闇の世界で暮らさねばならないのか。我らの同胞の力を借りねば強さを得られない弱き者に光は不要だ。

「我らに光を」

 クレイドは手をかざす。後方で異界の門が開く。そこから一人の礼服に身を包んだほっそりとした男性が現れる。肩まで伸びた黒髪は右目を覆うほどに長い。その長い前髪からチラリと覗く瞳は鋭い。

「我らに自由を」

 男はそれだけを口にした。求めるのは光と自由。そのためならどれだけの犠牲を払っても構わない。

「ゆくぞ」

 クレイドはゆっくりとした足取りでザイフォスを目指す。その後を長髪の男と異形の獣が続いた。



 眩しい光。ずっと求めていた光。この光をずっと浴びていられる幸福。

フリッツは幸福を堪能してから瞳を開ける。隣からはローラのかすかな寝息が聞こえる。二人は狭いベッドの中で身を寄せ合って寝ている。今いる部屋はベッドと机が置けるくらいのスペースしかない部屋だ。だがフリッツはそれで構わなかった。今は幸せを感じるから。

「…………」

 フリッツは微笑んで隣を見る。できる限りは動かない。ローラは下手に揺らすと起きてしまうからだ。幼い顔には幸せそうな笑顔が浮かんでいる。この幸せが続けばいいと思う。だがそう長くない事は知っている。長くないからこそ今を大切にしたかった。

「うー?」

 ローラが眩しそうな顔をした。どうやら起きるらしい。

「おはよう」

 フリッツが微笑む。ローラは眠そうだが笑顔を向けた。

「おはよう」

 ローラがフリッツを抱きしめる。この日常が一日でも長く続くようにとフリッツは願った。



 ジルファは教会の長机に座っている。時折、台所を覗く。そこには着物を着たカスミが包丁を握っている。脳裏にフリッツの言葉が蘇る。

「……大切に想ってくれる人に気づいてあげられないか……」

 わざわざクリスの家から教会まで来て懸命に料理をするカスミ。隣ではエレナが手伝っているが、負けじと頑張っている。一通りの料理はできるらしい。だが経験が少ないのか腕ではエレナに敵わないらしい。いろいろと教わりながら料理をしている。

「幸せ者ですねー」

 司祭が欠伸をしながら部屋に入ってきた。

「そう見えるか?」

 ジルファが司祭を見上げる。

「ええ。ローラの事は残念でしょうが……年下の可愛らしいお嬢さんを射止めたのならいいのではないですか。しかも、あのツバキの娘ですからね。将来は美人になりますよー」

 司祭がカスミを見ながらつぶやいた。

「あんた本当に司祭か?」

「司祭ですが? まあクリスに撃たれないように気をつけてくださいね」

 司祭がおかしそうに笑った。

「……あれからクリスの視線が恐いんだよね」

「今もあなたを狙っていますよ。ほらあそこから」

 司祭が窓の外を指差す。ジルファが窓の外を素早く警戒。だがそこにクリスはいなかった。

「お……おどかすなよ」

 ジルファは冷汗を流す。その様子を見て司祭が腹を抱えて笑っていた。

「あまりジルファさんをいじめたらいけないよ」

 カスミが料理を運んでくる。サラダ、パン、スープなどを並べていく。なぜか呼び方が変わった。こちらもなぜか意識してしまう。

「食べましょうか」

 エレナも料理を並べる。

「ええ」

 司祭も座る。カスミはジルファの隣に座り、様子を見ていた。

「い……いただきます」

 ジルファは手を合わせてから、スープをスプーンですくう。その様子をずっとカスミが見ていた。一口飲む。そして、二口。

「…………」

 カスミが言葉を待つ。

「これは……これは……」

 司祭が楽しそうに様子を見ている。

「司祭さん、早く食べて下さいね」

 エレナが二人に見えないように、正確には見えない速さで司祭の足を蹴った。

「ぐ……エレナさん、最近何かありました?」

 司祭が涙目で質問する。

「いろいろとあるんですよ」

 エレナが綺麗に笑った。司祭の背中を悪寒が通り過ぎた。司祭は黙って食事を開始した。

 ジルファはスープを全て飲んだ。

「美味しいな。これくらい味が濃い方がいい」

 ジルファがやっと感想を述べた。

「ジルファさん、おかわりあるよ」

 カスミがジルファの空になったスープの器を掴む。

「ありがとう。あと……呼び捨てでいい」

 ジルファがカスミからこぼれそうなくらいに注がれたスープを受け取りながらつぶやいた。

「……恥ずかしい」

 カスミが顔を落とした。頬を朱色に染め弱々しくつぶやいた。

「そうなのか? 今まで呼び捨てだったんだ。気にしなくていい」

 ジルファがカスミの頭に手を置いた。カスミがコクリと頷いた。その様子が可愛らしかった。カスミはしっかりした子だというイメージがあった。だがこんな不器用な所があるとは思わなかった。

 カスミの上目遣いの視線がジルファと重なった。カスミの青い瞳から強い気持ちが伝わってきた。だが次の瞬間にはローラの笑顔が脳裏に浮かんだ。ジルファはすぐに視線を逸らした。

「……ローラの事……考えてた」

 カスミが儚い笑顔を浮かべた。ジルファの想いは変わらない。

「ああ。これはすぐには捨てられない。だから……カスミはいつも通りでいてくれ」

 ジルファはカスミの瞳を見て一つ頷いた。

「うん」

 カスミが元気よく頷いた。その様子をエレナは朝食を食べながら見ていた。この二人は大丈夫だ。二人で前を見て歩いていけるだろう。時間はかかるだろうが。

「どうか……迷える子らに祝福を」

 エレナは一つ祈った。

「ふう……どこまで修道女なのですかね」

 司祭が横目で見てぽつりとつぶやいた。

「司祭さんはどこまで司祭でないのですか?」

 エレナが笑顔を向けた。

「これでも司祭になれるのですよー」

 司祭が軽く手を振った。エレナが溜息をついた。



 朝の凍てつく風が街道に吹く。カイトはメモを見ながら街道を歩く。朝ではあるが人はまばらにいる。人が二人ぎりぎりで通れる道をメモを見ながら器用に歩いていく。

「おい」

 低い冷たい声が耳に届く。カイトは声だけで分かった。

「どうした?」

 メモを見ながらつぶやく。

「あれからどうなった?」

 フリスは鋭い眼光を煌かせてカイトを見る。

「なんですごむんだよ。ここでは邪魔だな」

「ああ。行くぞ」

 フリスが顎をとある喫茶店に向ける。フリスを先頭に二人は歩き出した。フリスはドアを軽く引いてから足で木のドアを蹴り開ける。それから細い体を店に入れる。

「いらっしゃいませー」

 20歳ほどの女性店員が笑顔を向ける。

「コーヒー二つ」

 フリスが鋭い眼光を店員に向ける。店員は顔を青くして凍りついた。

「すごむな。ごめんね。ここでいい?」

 カイトはカウンター前のテーブル席の椅子を掴む。

「は……はい。コーヒーですね」

 女性はやっと回復したらしく、慌てて厨房に戻る。

「喫茶店は面倒だな」

 フリスはカウンター席に座るなりつぶやいた。

「睨むからだ」

 カイトも同じように席に座る。

「…………」

「…………」

 二人はしばし無口だった。

「どうぞ」

 先ほどの女性店員が手拭を出した。

「ありがとう」

 カイトが笑顔で受け取る。女性店員は顔を真っ赤にして戻っていった。

「……お前は女性からの受けはいいな」

 フリスが女性店員の背中を見ながらつぶやく。

「はぁ?」

 カイトがいぶかしむ。そんなやりとりをしていると女性店員がコーヒーを持ってきた。

「どうぞ」

 置いてからしばらくカイトを見ていた。

「ほらな」

 フリスは面白そうにコーヒーをすする。カイトは女性店員を見た。目が合う。

「すみません。お名前を聞かせてください」

 店員は顔を真っ赤にして質問した。

「……カイト。苗字は忘れた」

 カイトは素直に名乗った。

「ありがとうございます。カイトさん、また来てくださいね」

 女性が笑顔で戻っていった。

「キープ一人。順調だな。乗り換えたらどうだ」

 フリスは鋭い眼光を向けてくる。

「はぁ……そんなに簡単にいくか」

「だろうな。俺もあの方以外には考えられない」

 フリスが天井を見た。あの方というのはあの真っ白な少女の事だろう。

「そういう所は似た者同士だな」

「一緒にするなと言いたいが……否定できんな。だからこうやっていらんおせっかいをしている」

 そう言ってフリスがコーヒーを飲み干した。カイトはコーヒーを見つめていた。

「俺はエレナが修道女でいてくれる事を選んだ」

「そうだろうな」

 カイトが選ぶ道をフリスは分かっていた。

「これでいいと思う。だが……この喪失感は……耐えられない」

「…………それは時しか解決してくれない」

 それだけを言ってフリスは去って行った。カイトは冷めたコーヒーを見つめる。

「時が解決か……なら……今は頑張ろう。何も考えられないくらいに!」

 カイトはコーヒーを一気に飲んでから立ち上がる。お題を払い外に飛び出した。



 フリスは整備された道を少し歩いてから振り向いた。そこには走っていくカイトが見えた。

「ふん。暑苦しい」

 フリスは微笑んでつぶやいた。

「遅い」

 幼いような、それでいて大人びたような不思議な声と共に腹部を思いっきり蹴られた。フリスに対してこんな事をするのはただ一人だ。

「申し訳ありません」

 フリスは腹部をさすりながらつぶやく。目の前には真っ白な少女がいた。腰に手を当ててご立腹の様子である。

「まあいい。人生相談も大変だろう」

 奥で走っているカイトを見て不敵に微笑む。

「ええ。言葉には気をつけています。私も経験はほとんどありませんから」

 フリスが少女の手を取る。

「まあそうだろな。お前が他の女になびいている姿を見たら消している所だ」

 少女が不気味な笑みを浮かべる。

「そのような事は決してありません」

 フリスは少女の手を引いた。少女はフリスの胸に顔を埋める。

「本当に可愛い奴だ」

 少女は満足そうな笑みを浮かべる。

「私はあなたと共にあります」

 フリスはそれだけを口にする。他は何もしない。

「…………」

 少女は無言でフリスから離れる。これが二人の距離。ここから寄ることも離れる事もない。人によってはもどかしいと感じるかもしれないがこれが二人の関係。

「行くぞ」

 少女が歩きだす。その後をフリスが追った。



 静かだった。聞こえてくるのは服を着替える際の衣擦れの音。武器をつける際の金属音。それだけだった。

 ローラは黒いローブを纏ってからフリッツを見た。フリッツはちょうど黒いローブを纏った所だった。銀色の髪に黒いローブはよく似合った。ローラは満足そうに頷いた。

「どうした?」

 フリッツが表情を変えないで一言。

「ううん。似合ってると思って」

 ローラは微笑んだ。フリッツも微笑む。

「良かった。この世界にも馴染めそうだ」

 フリッツはそれだけを言って歩みだす。その後をローラが続いた。

 外は昼となり少しだけ寒さが和らいでいる。二人はドアを施錠してから手前にある分岐路でそれぞれ左右に分かれる。

「行って来る」

 フリッツが短く言って手を振る。ローラはその姿を見送る。

「またね」

 寂しい気持ちを抑えて笑顔を向ける。フリッツは一度頷いて背を向けた。その背中が見えなくなってからローラは振り向く。だが少し歩いた所で何か固い物に激突した。

「うー、なにー」

 ローラは鼻を押さえる。

「なにー、とは何よ」

 軽装姿のキュリアが頬を膨らませている。ぶつかったのはキュリアの軽装らしい。

「キュリアか……気をつけてよー」

「気をつけるのは……」

 のんびりと言ったローラの背後に素早くキュリアが回る。慌てた瞬間にはもう遅い。

「ローラだと思うよ?」

 キュリアががっちりと首を固定。ローラは苦しそうにキュリアの腕を叩く。

「うー、うー」

 声も出ない。

「そうだよね?」

 キュリアの問いにローラは首をガクガクと縦に振った。それを見て満足したのかキュリアがローラを解放。

「く……苦しい」

 ローラが涙目で訴える。キュリアが笑顔を向ける。幼い顔をしているがやはり年上だ。敵わない。

「よしよし」

 キュリアがローラを撫でる。

「子供扱い禁止」

 ローラは頬を膨らませる。

「分かった。行こう」

 キュリアがローラの隣を横切って歩く。街の巡回だ。

「うん」

 ローラも頷いてから歩き出した。



 聞こえてくるのは二頭の馬の足音。それ以外は聞こえない。無口な二人が淡々と馬を走らせているからだ。整った道を馬が快適に走る。辺りに異常はない。

「異常はないな。どうする?」

 ようやくフリッツが口を開く。その質問を受けてクリスが真っ直ぐに前を見た。

「……今はな……だが……」

 クリスは言いようのない不安を感じる。だからフリッツを連れて来た。また前のように異界の門からの侵略者の攻撃に備えるためだ。フリッツなら早く気づける。

「……殺気を感じているのだろう。来るぞ……明日か、明後日には」

 フリッツが前方を睨む。

「やはりか。また明日もこの時間に」

 クリスは馬をザイフォスに向ける。

「ああ」

 フリッツも習う。二人が馬を走らせザイフォスに戻る際、ロングコートを纏った青年を見かけた。カイトだ。

「偵察?」

 カイトが二人に短く質問。

「ああ」

 クリスが首肯。

「収穫はないみたいだね。少し調べてくる」

 カイトは短く言って馬を走らせる。その背中を二人は見送った。



 キュリアとローラは辺りを警戒しながら街を歩く。にぎやかな商店街。昼を過ぎ買い物に訪れた住民で溢れている。溢れた住民の中を縫うように二人が歩く。いつもとさほど変わらない町並みだった。

「ふう……いつも通りだね」

 キュリアが壁に体を預けて一言。

「うん。そうだね。何もないのが一番」

 ローラは元気よく頷いた。

「巡回かい? 二人は花になるね」

 グレイスがにこやかに声をかける。

「そう、巡回。グレイスさん、うちらは二人とも間に合ってるよ」

 キュリアが笑顔で応じる。

「そうだったね。では……今日は誰を口説こうか」

 グレイスが爽やかな笑顔を浮かべる。事情を知っているローラはその笑顔をとてもではないが見ていられない。痛々しくてたまらない。

「……そろそろ素直になったらどうですか?」

 気づいた時にはローラは口を開いていた。グレイスの表情が固まる。だが次の瞬間には無表情になった。冷え切った顔をローラに向ける。ローラはその表情を受け止めた。

 だがそれはただの一秒にも満たない時間だった。すぐに表情を崩して笑った。

「なにを言ってるんだい。俺は軽い男なんだ。挑発するとその唇を奪うぜ」

 笑い軽口を叩く。いつものグレイスだ。

「……できないですよね」

 ローラは引かない。グレイスにも幸せを見つけてほしいから。

「俺に興味でもあるのかい」

 ローラの顎に手を置く。そして、唇を近づける。ローラはずっとグレイスを見ていた。瞳は逸らさない。

「なんてね。負けたよ」

 グレイスは唇がローラに触れる前に離れた。

「ド……ドキドキしたー」

 キュリアは顔を真っ赤にして二人を見ていた。本当に触れるかと思った。

「まだ好きなんですか?」

 ローラは遠慮がちに質問する。

「ああ。だからさ……自然と遠ざけてしまうんだよ。軽い男のふりをして……嫌われるようにしてしまう。俺は……弱い男さ」

 グレイスが自嘲の笑みを浮かべた。

「……一途な所は素敵だと思います」

 ローラが笑顔を浮かべた。

「そうかい。でも、ローラ……それはいけない」

 グレイスが真剣な顔を向ける。ローラが首を傾げる。

「フリッツにジルファもお前のその無垢な笑顔にやられたんだからな。他の男も倒してしまうぜ」

 グレイスが笑った。ローラは難しそうな顔をした。

「ほっとけないんだもん」

 ローラが溜息をついた。

「そこがローラのいい所だよ」

 キュリアが笑った。

ローラがキュリアに振り向いた時に人だかりが出来ている事に気づいた。不審に思い二人は近づく。グレイスも興味を持ったのかそちらに近づいた。

 その中心にいるのは二人。若い男性と、顔に包帯を巻いた女性。怪我を負った時に髪を切ったらしく短い髪に、落ち着いた服を着た大人しそうな女性だった。

「どうして……指輪までくれたのに……」

 女性が左手についた指輪を男に見せる。薬指についた指輪。おそらく婚約指輪だ。

「なにかな?」

 キュリアが関心を持った。ローラは仕方ないので付き合う事にした。

「それは忘れてくれ」

 男は横を向いてそれだけを言った。見ると男の左手には指輪はない。別れ話らしい。

「あれは最近結婚すると騒いでいた二人だな。男性は平民だがちゃんと定職もある。女性はここらでは美人で、性格も完璧だ」

 最近では噂の二人らしい。それがどうしたというのだろうか。

「やはりこの怪我が原因かな? 醜いかな」

 女性が顔の包帯を取る。火傷を負っているらしく痛々しい。男は顔を背けた。どうやらそれが原因らしい。

「すまない」

 男は声を絞りだす。女性が涙を流して地面に膝をつく。子供のようにボロボロと泣き出した。周りの野次馬はそれを見ていたたまれなくなり辺りに散った。キュリアとローラも離れようとした時にグレイスは前に進んだ。

「おい」

 去って行こうとする男の肩を強く掴む。

「なんですか」

 男は顔を歪める。

「この火傷はてめぇのせいだろ」

 グレイスが男を睨む。男は怯えた。

「違う。あのワイバーンのせいだ!」

 男は震えながら叫んだ。ワイバーンの突撃で崩れた城壁の被害にあったのだ。

「元の原因はそれだ。だが俺は見ていた。あんたを……決死の覚悟で守った女性を。あんたは守られなかったら死んでいた。違うか!」

 グレイスが悔しそうに声を絞り出す。命の恩人を捨てるなんて。考えられない。理解できなかった。

「ぐっ……あんたには関係ない」

 男はグレイスの手を振りほどく。グレイスは信じられないものを見る目を男に向けた。次の瞬間には男の胸倉を掴んでいた。そして、右腕を振り上げる。だがそれは止められた。

「止めてください」

 女性がグレイスの腕を掴んだのだ。

「ちっ……」

 グレイスは腕を止める。

「いいのです。この方は別の人を見つけて幸せになればいい」

 女性が笑った。

「だが……」

 グレイスは迷った。これでいいのかと。自分を捨てた男性の幸せを願うような人が不幸になっていいのかと。

「離してくれ」

 男がグレイスの腕を掴む。グレイスはゆっくりと離した。

「もういいか」

 男性は襟を直してからつぶやく。

「なあ……」

 グレイスは顔を落とす。

「なんだ……まだあるのか?」

 男は不快な心を隠さずに聞いた。

「考え直してくれないか。こんな心優しい人を不幸にしていいのか!」

 グレイスは男の肩に手を置いた。

「知るか! 俺は美人だから選んだんだ。それがこうなったら……あんたは火傷を負った女性でもいいのかよ」

 男性がついに本音を吐いた。

「容姿なんか関係あるか! 心から惹かれた相手ならどんな姿になろうと気になんかならない。むしろその程度で気持ちが変わるなら好きだの、愛してるなど簡単に口にするな!」

 グレイスが吼えた。周りの住民は驚いてグレイスを見た。時に普段から口説かれている女性は信じられない物を見る目を向けている。

「つ……ついていけない。俺には関係ない」

 男はグレイスの手を振りほどいて逃げるように去って行った。

「ちくしょー……俺は……」

 グレイスは力を失ったようにその場に膝をついた。

「……ありがとうございます。少しすっきりしました」

 女性が笑った。

「いや……すまない。部外者が向きになってしまって。重なったんだ。あんたが俺を庇って死んでしまった恋人に」

 グレイスが顔を落とす。

「あなたはいろいろな女性を口説いている方ですね。確かグレイスさん」

「ああ。そうだ。ただの軽い男さ」

「嘘ですね。あなたの本音……本当の姿は皆分かってしまいましたよ?」

 女性が笑顔を向ける。周りにいた住民、特にグレイスに口説かれて邪険に扱ってしまった女性は悔しそうにしていた。それと同時に自分の見る目の無さを嘆いていた。

「これはいかんな」

 グレイスが独語して立ち上がる。

「あの……」

 女性がグレイスに声をかける。

「なんだい?」

「いろいろな方を口説いているようですが……このように火傷を負った女も口説きますか?」

 女性がグレイスを見た。

「口説かない」

 グレイスは即答。

「やはりそうですよね。こんな醜い」

「違う」

「何が違うのですか?」

「あんたがその指輪をしている内は口説かない」

 グレイスが女性の指輪を指差した。

「……ふふ……そうですか」

 女性が指輪を外す。そして、男が走り去って行った方向に投げた。指輪は乾いた音を立てる。

「大胆だねー」

 グレイスが髪を掻いた。

「お互いに前を向きましょう」

 女性は地面に落ちた指輪を見た。

「そうだな。あなたのその前向きな所は素敵だね」

 グレイスもその指輪を見つめた。

「フィーリアです。こんな容姿でもやはり口説くんですね」

 フィーリアはおかしそうに笑った。グレイスも笑う。

「これはローラの心配は今日で終わりだね」

 様子を見ていたキュリアが顎に手を置いて思考。

「やはりそう思う? くっつくよね? ね?」

 ローラは拳を握って興味深々だ。

「それは喜ばしいことですねー」

 キュリアとローラの肩を誰かが掴んだ。二人はゆっくりと振り向く。そこには笑顔のツバキがいた。いつもの着物姿だ。

「あはは……」

「えへへ……」

 キュリアとローラが愛想笑いを浮かべる。

「巡回しなさい!」

 ツバキが二人の背中を強く叩いた。

『うー』

 二人はしぶしぶ歩き出した。

「やれやれ」

 ツバキは溜息をついた。

「おーツバキ。今日も美しいね」

「あらあら。30歳を超えた女性に美しいなんて」

 グレイスのいつもの口説きをさらりと回避。

「30歳には見えないさ。本当に美しい」

 グレイスがさわやかな笑顔を浮かべる。

「…………どっちが本物?」

 フィーリアはグレイスの変わりように小首を傾げた。



 若い二人が巡回に戻ったのを確認してツバキは前を見た。騒がしく活気に満ちた街。だがどこか寂しかった。それは自分が一人だからだろうと思う。

「上着を着ないと寒いですよ」

 落ち着いた柔らかい声が前方から聞こえた。伝統を感じる古い佇まいの喫茶店の前にエレナがいた。待ち合わせをしていたのだ。クリスもおらず暇なために付き合うことにした。こういう時はカスミの様子を見るが今は出かけている。一人で家にいるよりかは健康的ではある。

「そうですね」

 ツバキは短く言って手に持っていた着物用の上着を羽織る。寒さが若干和らいだ。だが寒い事には変わらない。ツバキは喫茶店に足を向けた。エレナがドアを開けて喫茶店に入る。

「お二人ですか?」

 店員が二人を案内。二人は促されて席に付く。それと同時にエレナが紅茶を頼んだ。

「どうしたのですか?」

 座った瞬間にツバキが口を開いた。わざわざ呼んだのであれば何かあるのだろう。同じ組織に身を置いていた身としては相談には乗る。だが元は敵である。そのツバキを呼んだのだ、重大な理由があるとツバキは思った。

「すみません。相談できそうなのがツバキさんくらいで」

 エレナははにかんで笑った。

「構いません。シラヌイには借りがあります。それをあなたに返すのであれば彼女も納得するでしょう」

 ツバキは微笑んでそう口にした。シラヌイという名前にエレナは若干顔を曇らせた。だがすぐに笑顔を向ける。

「シラヌイさんには助けられてばかりですね。相談は……今の仕事についてです」

 エレナは切り出した。先日のカイトの事も含めて。どうしても今のままでいいのか疑問に思ってしまう。

「なるほど。私が呼ばれた意味が分かりました。でも……私では不適切ですね」

 ツバキは注文した紅茶に口をつける。

「……そんな気もします。でも、冷静な意見が聞きたくて」

 エレナが顔を落とした。

「いいでしょう。私の主観は抜いて話します。あなたは決めた……なら迷ってはいけません」

 ツバキはゆっくりと言葉を口にした。だがその言葉は重かった。

「そうですね……」

 エレナは弱々しく頷いた。

「不器用な人ですね。私はそんな人生は嫌です。必要なら全部取ります」

 ツバキは幸せそうに微笑んだ。その姿がエレナには輝いて見えた。

「全部ですか。ツバキさんらしい。でも……私は」

「私は私です。そしてあなたはあなた。欲張りなエレナさんなど誰も見たくありませんよ」

 顔を落としたエレナにツバキが言葉をかける。

「私は私ですか。私は修道女としてずっと生きてきました」

「ならその道を貫くしかありません」

「……ええ」

 ツバキの言葉にエレナは強く頷いた。覚悟を決めた表情をしていた。

「もう迷わない事です。もし迷ったら呼んでください」

「いいのですか?」

 エレナはツバキの申し出に素直に驚いた。

「……そんなに驚きますか?」

「……はい」

「まったく……私も教会に身を置いていた身です。頼られたら断れません」

 溜息まじりにツバキが言った。

「そうですか。ツバキさんは優しい方ですね」

「それは誤解です。私はシラヌイのように自らが消えるまで世界を想う事も、ローラのように理想のために全てを掛ける事もしなかった。結局は自分の幸せを取った。私はまだ戦える。でも、これ以上は戦わない。クリスとカスミを悲しませたくないですから。それなら守られている方がいいです。ただクリスが命を落とす危険があるならどんな相手でも私が倒します」

 ツバキは強く宣言した。エレナは強い重圧を感じた。元最強の代行者ツバキ。その強さは今でも健在らしい。

「私は歩みます……修道女の道を。ただ心配なのはカイト君ですね」

「……一途すぎるのが悩みの種になる事もあるのですね。どこかに強引な女性でもいませんかね」

 ツバキが天井を見て思案。

「強引な女性?」

「ええ。彼は押しに弱そうですから」

 ツバキがぽつりと言った。エレナは笑ってしまった。



 異様な光景だった。クレイドを中心にして異形の獣が続く。

「私が先行します」

 隣を歩く男が短く言った。その声に応えて数体の獣が続く。

「いいだろう。戦果を期待する」

 クレイドは短く言い先ほどと同じペースで歩く。

「はい。我らに光を」

 男は光を求めて前だけを見た。



 辺りは暗くなり夕飯の時間が近づいてきた。

 ローラは薄い黄色のエプロンを纏い料理を作っていた。今日はパスタをメインにしたメニューだ。

「喜んでくれるかな」

 ローラは表情をほころばせて独語。その時にドアが開いた。そこから無表情のフリッツが現れた。

「おかえりー」

 ローラは振り向いて笑顔を向ける。

「ああ。そろそろ来るぞ」

 フリッツは表情を変えずに短く言った。ローラも表情を引き締める。

「ご飯くらいは食べれる?」

「ああ。それくらいはある。おそらく敵の一部が先行している。ここで戦えば被害が出る。外に出るぞ」

 フリッツは冷静に思考を巡らせる。

「うん。皆には?」

「知らせてある」

 フリッツは椅子を引いて座る。ローラはとりあえず料理をテーブルに置いた。二人は素早く食事を済ませてローブを羽織る。ドアを開けて外に出た時にはクリスが待っていた。

「行けるか」

「うん」

 クリスの問いにローラが短く首肯。

「三人でいく。残りはこの国の防衛だ」

「正しい判断だ」

 クリスの指示にフリッツが首肯。おそらく獣が数体突破するだろう。中にはワイバーンがいる可能性がある。あの真っ白な少女を残しておかねば対応できない。

 三人は表情を引き締めて城門に足を向けた。



 カイトは岩場に身を隠して、望遠鏡で遠くを見つめる。

「……多いな」

 そう独語してからメモに数を記入。それを鳩の足に縛る。

「行け!」

 鳩を飛ばしてから望遠鏡をしまう。身を隠しながら馬に乗り、カイトはその場を後にした。



 男はその様子を歩きながら遠目で見ていた。

「……知られたか。だが焦る事はない。我らが来ることなど当然知っているだろうからな」

 男は冷静だった。表情すら変えずに淡々と歩く。だが周りの獣は落ち着かない。

「焦るな。もう少しで戦いだ」

 獣達に短く言って前を向く。もうすぐで光が手に入る。そう思うと心がざわつく。焦る気持ちを抑えて男は一定のペースで歩いた。



 早朝。薄い緑色のエプロンを纏ったフリスは木製のドアを開ける。

 ベッドと机が何とか入る狭い部屋。フリスの部屋でもあり、ベッドで寝ている少女の部屋でもある。少女はうっすらと瞳を開けた。

「フリス、朝か?」

 少女はむくりと起き上がる。身に纏った薄そうな就寝着ははだけている。あまり寝相はよくないのだ。

「ええ。今日は敵が来る可能性があります。準備してください」

 フリスは乱れた服を調える。

「うむ。朝食はあるか?」

「はい。パンにサラダ、スープがあります」

「野菜は嫌いだ」

 サラダと聞いて少女が頬を膨らませる。

「サラダは私の分です」

 フリスが微笑む。

「分かっているではないか」

 少女は不敵に笑い起き上がった。二人は軽食を済ませて、それぞれ準備をする。この国で暮らすためには戦わなければならない。国を守りたいというような崇高な想いはない。ただ自分達の居場所が欲しかった。だからそれを守る。

「さて……あの女王に借りでもつくるか」

 少女は不敵に笑いドアを開ける。

「それはいい考えです」

 フリスが続いた。



 ジルファは祭壇の前で天井を見上げていた。

「どうしましたか?」

 エレナが後ろから声をかける。

「ああ。落ち着かなくて」

 ジルファは振り向いてそう口にした。

「シラヌイさんはそう言う時は祈っていましたよ」

 エレナは微笑む。

「祈るか。そう言うガラではないかな。俺の自信はこれだけだから」

 ジルファは手に巻かれた包帯を見た。

「身を削る努力に祝福を」

 エレナは祈りの言葉をかける。

「ありがとう」

 ジルファは短く言って外に向かう。

「会って行かないのですか?」

 エレナが問うた。おそらくカスミの事だ。

「好意はありがたい。でも、いろいろと世間の目もあるだろう」

 ジルファは髪を掻いた。10歳は離れている。それにローラの事もある。

「そうですね。でも、会う事になりましたねー」

 エレナはドアを見つめた。そのドアがゆっくりと開く。そこから現れたのは小さな幼女。

「ジルファさん……気をつけて」

 カスミはドアの間から顔を出し、顔を真っ赤にしてつぶやいた。ツバキがよく着る着物と同色の着物を着ていた。

「ああ」

 ジルファは観念してゆっくりと近づく。

「無事に帰って来てね。帰って来たら……その……」

 カスミが言いよどむ。

「なんだ?」

 ジルファが屈む。二人の視線がぶつかる。カスミは逃げ出したくなったが、踏みとどまる。

「伝えたい事があるの。えっと……その……私は幼いけど10歳は離れているけど」

「ああ」

 何とか言葉を続けるカスミに笑顔で頷く。

「ジルファさんの事が……えっと……好きだという事を伝えるの!」

 カスミが叫んだ。叫んだ瞬間にカスミが慌てる。

「もう言ってる」

 ジルファは声を出して笑う。

「今のは駄目。聞かない事にして。うー」

 カスミが瞳に涙を溜める。恥ずかしくて仕方ないらしい。その姿がとても愛らしかった。

「いや……聞いた事にする」

 ジルファはカスミの頭に手を置いた。

「で……でも」

 カスミは顔を落とす。

「ちゃんと答える」

 ジルファはカスミをゆっくりと撫でた。カスミは頷いた。

「ジルファは死なせない。私にも力があるから」

 カスミは決意を口にした。

「それは駄目だ」

「私のお母さんの力は知ってるよね。足手まといにはならない」

 あの力が加わるなら確かに戦力にはなる。だがこの年齢で戦えるのだろうか。

「止めるのは野暮ですね」

 どこから現れたのか司祭がいつもの軽口を叩く。

「こういう子は止めても無駄ですよ」

 エレナは難しそうな顔をした。

「大丈夫だよ。ピンチになったら守ってくれるよね」

 カスミがジルファに抱きついた。

「分かった。俺が守るよ」

 観念してジルファはカスミを受け止めた。



 整備された歩道を馬が二頭走る。進むにつれて肌に違和感がした。全身に突き刺すような殺気を感じるのだ。

「そろそろだ」

 フリッツが短く言って左手を上げる。フリッツの後ろで馬に乗っているローラはその合図を受けて馬から降りた。クリスも自分が乗っていた馬から降りる。クリスとフリッツは馬の手綱を木に固定してから警戒しながら前に進む。

 歩道を進み開けた平原に出た所で目標の集団がいた。真ん中に礼服に身を包んだ男。周りには異界の獣がいる。

「行くぞ。俺とローラであの男を倒す」

 フリッツは瞳を閉じた。異界の門を開き右手で剣を引き抜き、左手は怪鳥の腕に変質。腕には身を焦がすような炎が包んでいる。

「うん」

 ローラは深呼吸をして地面を駆ける。フリッツも続く。

「この命を代償に捧げ……」

 決意の言葉を伝える。

「……意志を貫くための力を!」

 決意に答えて大鎌が出現。それを引き抜く。ローラはさらに加速した。礼服に身を包んだ男は両手にそれぞれツインランスを構え、ローラに向けて走る。

 両者の視線が重なる。刹那、ローラが消えた。

「……」

 男は無言で右手に握るツインランスを振るう。甲高い金属音。ローラの大鎌とツインランスがぶつかった音だ。

「……それなら!」

 再度ローラが消える。男はローラの動きに合わせてツインランスを振るう。幾重に渡る銀閃が煌いてからローラが後方に跳躍。常人には見えない高速の斬撃をその男は防いで見せた。

「貴様……イレギュラーか。だが不完全だ」

 男はローラを睨んだ。初期の段階から高い能力を引き出せる代行者はそう呼ばれている。二体もの黒竜を呼べるのもローラがイレギュラーだからだ。その強さはツバキにも匹敵する。だがローラは今だに莫大な力を使いこなせていない。

「クロちゃん!」

 チラリと後ろを確認してから黒竜を呼ぶ。男は黒竜の牙を回避する。

「鈍い竜だな」

 男は独語して剣を構える。正面には剣を持ったフリッツが見えた。

「裏切り者か」

 短く言いツインランスを振るう。フリッツは剣で受け止める。男は左手に握るツインランスで胴を狙う。フリッツは左腕で掴む。ツインランスは飴のように溶けていく。

 男の舌打ちとほぼ同時にローラは男の背後に回る。高速の斬撃。男の背から霧が溢れた。

「手ぬるい」

 男は左手に握るツインランスを捨てて、新たなツインランスを取り出す。それを横薙ぎに振るう。

「ぐっ……」

 大鎌で防いだローラは吹き飛ぶ体を何とか空中でバランスを整えた。



 クリスは両手に持っているハンドガンで獣を撃つ。だがクリスはこの異様な光景に冷汗が流れた。獣達は銃で撃たれてもまるでクリスを無視している。仲間が倒れてもそのまま前進している。

「くそ」

 クリスは引き金を引き続ける。だが獣達はクリスを無視して前進する。数は100体を超えており、とてもではないが止められない。

「ローラ! 俺はこいつらを追う!」

 クリスはハンドガンを構え直してから叫ぶ。一体でも多く数を減らさなければならない。ローラの返事を聞かずにクリスは駆け出した。



 フリッツは剣と左腕を器用に扱い男のツインランスを破壊してゆく。時折、視線でローラに合図。

「今なら!」

 フリッツの合図を受けてローラの大鎌が煌く。

「やるものだな。いいだろう。絶望せよ」

 男は霧を噴出させながら異界の門に体を入れた。

「来るぞ」

 フリッツは剣を構える。ローラはその隣で大鎌を構えた。

 異界の門から姿を現したのは三頭を持つ犬のような獣。まるで地獄の番犬であるケルベロスを想像させる姿だった。高さは2Mほどあり二人の身長を超える巨大さだ。

「クロちゃん、ミクちゃん」

 ローラが集中してから黒竜を呼ぶ。

「ローラ」

「なに?」

 フリッツがローラを小声で呼ぶ。

「必要なら合図しろ」

 それだけを言ってフリッツが跳躍。

「うん」

 ローラは頷いてから黒竜を出現させた。



 クリスは突破された獣を追う。追いついた獣をハンドガンで撃ち殺す。

「これで10体」

 荒い息を整えてハンドガンを構える。刹那、異変を感じた。遅れて走る10体がクリスに向かって方向を転換。

「賢いな」

 クリスは10体に向けてハンドガンを構えた。ここでクリスを足止めして残りはザイフォスを攻めるのだろう。突破したのは85体はいるだろうか。ザイフォスが持ち堪える事をクリスは祈った。それと同時に冷汗が流れる。10体もの獣を一人で倒せるだろうか。だがやらねばならない。生き残るために。



 ケルベロスを二体の黒竜の腕が殴打。その隙にフリッツは左腕で頭の一つを殴打する。頭の一つが火炎に包まれる。

「ローラ!」

 フリッツが叫ぶと同時にローラが跳躍。ケルベロスの頭部を一つ切断すると同時に黒竜を異界の門に戻す。ケルベロスの反撃を加速した体で回避したローラは着地と同時に駆け抜ける。

 横目でフリッツを見る。空中に跳躍したフリッツは回避手段がない。それを狙いケルベロスが腕を振り上げる。

「ちっ」

 フリッツは左腕で受け止める。濃い霧が溢れた瞬間に左腕から嫌な音がした。

「フリッツ!」

 ローラは叫ぶと同時に意識を集中。クローディアがケルベロスの腕を噛み砕き、ミクがフリッツの足場となる。安心した瞬間にローラを黒い影が覆った。ケルベロスのもう一つの腕がローラを潰すために振り上げたのだ。ケルベロスはバランスを崩しながらもローラを潰すために倒れかかってくる。今のローラは常人と同じ速さでしか動けない。

「間に合って」

 ローラは黒竜を異界の門に戻す。速さを取り戻した体で地面を駆ける。だが間に合わない。

「やらせない」

 フリッツは怪鳥に姿を変えてケルベロスの全身を受け止める。ケルベロスはフリッツの身を包む炎で焼かれても倒れるのを止めない。

「早く!」

 フリッツが地面を駆けるローラに叫ぶ。ローラは何とか抜け出してから頭上を見上げる。巨大な怪鳥をケルベロスが押しつぶす。

 甲高い鳴き声が響いた。



 クリスに向けて一体の獣が突撃してくる。

「……」

 クリスは無言で獣の瞳を撃ち抜く。獣は視界を失い在らぬ方向に駆け出した。それを見て次の獣を見た。

「ちっ」

 クリスは舌打ちをしてハンドガンを構える。一気に残り9体が突撃してきたのだ。避けるにもこれだけの数を避けきれない。

 クリスは一度深呼吸をしてからハンドガンを握る。ハンドガンが赤く光った瞬間に構え、迷わずに18回引き金を引く。

「悪いが昔とは違う」

 9体の獣は全ては瞳を潰され地面に倒れる。それを見てクリスはライフルに変更。右周りに走りながら視界を失った獣に止めを刺す。

 あらかた片付けた所で後ろを振り向く。どうしても二人が心配だった。



 フリッツは力無く倒れたままだった。ケルベロスはバランスを取り戻してから頭をフリッツの首に向ける。

「止めてーーーーーーーー!」

 ローラは叫ぶと同時に跳躍。ケルベロスの頭を高速の斬撃が切り裂く。だが残ったもう一つの頭がフリッツの首に噛み付く。濃い霧が溢れる。

「クロちゃん……助けて!」

 大鎌を異界の門に投げ捨てるように戻してから意識を集中。クローディアがケルベロスの首を噛み砕く。頭を失いケルベロスが光に変わる。ローラは2Mの高さから落下し、全身を打ちつけたが痛みなど感じなかった。それよりもフリッツが心配だった。

「フリッツ!」

 ローラはフリッツに近づく。肌を焼き尽くすような熱さを感じるが迷わなかった。フリッツの首からは濃い霧が溢れる。

「こんな熱さ……くらい……」

 ローラはフリッツの首に手を当てる。手が焼けるのを感じる。だが離さない。少しでも霧の噴出を抑えたい。

「ローラ……」

 フリッツは弱々しくつぶやいて人型に戻る。人型に戻っても霧の噴出は止まらない。

「死んだら嫌」

 ローラは泣きながら傷を抑える。

「傷が塞がれば……な」

 フリッツは弱々しくつぶやく。

「何か方法ない? そういえばフリスさんは自分の体を犠牲にして」

 ローラは決意の表情をフリッツに向ける。

「駄目だ。ローラは巻き込めない」

 フリッツは首を振った。

「いいよ。フリッツがいなくなるよりもいい」

 ローラは涙を流す。刹那、異界の門が開いた。そこから現れたのはクローディアだった。戦いで疲れたのか元気はなかった。

「クロちゃん?」

 ローラが小首を傾げる。

「いいのか?」

 フリッツはクローディアに確認する。クローディアは短く鳴いてから黒い霧に変わる。その霧はフリッツを包んだ。フリッツの傷は塞がったが、寒気がした。

「嘘……まさか……クロちゃん?」

 ローラは震えながら名前を呼ぶ。それに答えてミクが顔を出す。悲しそうに黒竜が鳴いた。

「そんな……どうして……クロちゃん……お姉ちゃんの黒竜が」

 ローラは顔を覆った。唯一のつながりだった。クローディアが使えるからシラヌイでいられた。

「あの黒竜……もう限界だったんだ」

 フリッツがゆっくり語りだした。ミクも弱々しく鳴いた。フリッツを癒して残った霧は全てミクを包む。

「限界?」

「ずっと戦っていた。だからもう力が残っていなかったんだ」

 一代目シラヌイの時からずっと戦っていた黒竜。限界だと言われればそうなのかもしれない。

「限界だったら教えてくれれば」

「知らせずにずっと戦っていたのだろう。ローラ、お前を守るために」

 フリッツがローラの髪を撫でる。その隣でミクはずっと空を見上げていた。

「ごめんね……ミクちゃん……ごめんね」

 ローラがミクを撫でる。ミクは悲しそうに鳴いてからローラの頬に頬ずりをした。大丈夫だとそう言っているような気がした。

「私が元気を貰ってるね」

 ローラをしばし見つめてからミクが異界の門に戻った。

「……すまない。俺がついていながら」

 クリスが戻るなり顔を落とした。

「いいや。俺のミスだ」

 フリッツは悔しそうに拳を握る。

「……行こう……守らないと。ここで止まっていたらクロちゃんに顔を合わせられない」

 ローラは涙を拭って前を見た。二人はゆっくりと頷いた。



 少女は城壁の上から獣の群れを見つめた。獣の足音で満たされた平原。

「騒々しいな。不快だ」

 少女がランスを構える。

「……行きますか?」

 隣でフリスが剣を構える。

「……敵にワイバーンはいません。できれば前線に出てください」

 キュリアが歩兵隊に指示をしながら二人の行動をリクエストする。

「言われなくても」

 少女はそれだけを言って城壁から飛んだ。フリスも続く。

「突破された獣を撃破します。歩兵隊はボウガンを!」

 キュリアの指示で歩兵隊が城壁の上から獣を狙い待機。城壁の前ではガイウスの重装歩兵が。その前方には騎馬隊がいる。

 ガイウスの重装歩兵に混じってジルファは剣を握る。その隣でカスミが緊張した顔をして前を見つめる。

「……子守まではしないぞ」

 ガイウスがジルファの前に立つ。

「……分かってる」

 ジルファがガイウスの背中に声をかける。言葉では冷たいがガイウスはカスミに害及ばないように前に立ち、部下の二人はカスミを守れる位置で大楯を構えていた。



 スレインの騎馬隊の中央にいるイリアが槍を頭上に構える。

「勇敢なる騎士達よ。臆するな! 我に続け!」

 声と共にイリアが馬を走らせる。それを合図に騎馬隊が突撃。

「今回は遅れたな」

 真っ白な少女は着地と同時につぶやく。

「そうでもないようですよ」

 フリスも着地。その言葉通りに騎馬隊を吹き飛ばしながら突撃してくる獣が数十体。サイのような角を持ち、強固な鱗を纏った異形の獣。槍を弾き、馬を吹き飛ばす強固な体を持つらしい。

「これは骨が折れるな」

 少女は不敵に笑う。それと同時に戦場を駆けた。



 イリアは槍を獣の瞳に突き刺す。素早く抜いて体勢を整える。その隣では馬事吹き飛ばされる騎士が見えた。

「くっ……これが私達の限界なのですか」

 周りを見ると善戦はしているが次々と騎士が馬から落ちてゆく。騎士の顔には諦めが浮かんでいる。

「それでも……私は諦めません!」

 叫んだ瞬間にイリアの馬に獣がぶつかる。吹き飛ぶ前にイリアは跳躍。難を逃れて着地。だが目の前には別の獣が見えた。

「はあぁぁーーーーー!」

 気合と共に瞳を貫く。突撃の衝撃がイリアの槍と全身を襲う。だが吹き飛ばされない。

「倒れ……ません。私は……この国の……王です!」

 イリアは何とか突撃を全身で受け止める。倒れた騎士はその姿を見てボロボロの体を起き上がらせる。槍を持ち獣の瞳を貫く。それで再度吹き飛ばされるとしても。

 イリアは霞む視界で騎士達を見た。これなら大丈夫だ。そう思った瞬間に足から力が抜けた。前方を見ると獣の鋭い角が見えた。もう避けられない。

「無茶をしないでください」

 その声と共にイリアの体が浮いた。スレインがイリアを馬から半身を乗り出して抱え上げる。

「スレイン殿……」

 イリアは霞む視界でスレインの顔を見た。

「女王様なのですから守られていてください。命を張るのは私達の仕事です」

「……はい」

 スレインの言葉にイリアは素直に頷いた。



 少女は獣の群れの上空にランスを出現させる。

「貫け!」

 声と共にランスの雨が降る。ランスが獣の足を貫く。だが胴体に当たったランスは弾き飛ばされる。少女は短く舌打ちをして横を通過する獣を見た。

「せめて一体でも多く!」

 フリスが叫びながら獣の足を切断。だがその間に獣は通過してゆく。

「ここまで無視されるとはな。こいつらは死が恐くないようだな」

 少女は振り向いて集中。離れていてもランスを降らせれば数は減らせる。フリスは一度こちらを見てから獣を追った。



 黒い鎧を纏った騎士は動揺していた。向かってくるのは軽く30体はいるだろうか。死を恐れずに突撃してくる獣。恐怖するには十分だ。

「臆するな!」

 ガイウスが大剣を持って地面を駆ける。部下を鼓舞するために全力で走る。ただ一人で。そうでもしなければ恐怖で動けなくなる。自分達が突破されれば住民に被害が出る。最後の砦である重圧が彼らにはある。それを少しでも軽くするために鼓舞する。

「歩兵隊、構えて! 発射と同時に市街地へ!」

 キュリアが号令を飛ばす。これは突破される。最悪は市街戦だ。キュリアは手を上げてから振り下ろす。歩兵隊のボウガンの矢が獣を貫く。

 勢いが削がれた所でガイウスが大剣を横薙ぎに振るう。獣が一体吹き飛ばされる。

「行って来る」

 ジルファが剣を構えて続く。カスミは一つ頷いてから異界の門から武器を取り出す。右手に刀を持ち、左手には銃を持った。クリスとツバキの力を受け継いだカスミは両方を使用する事を選んだ。だがツバキの力が色濃く受け継がれているために銃はハンドガンしか使えない。だが父親の武器が使える事が誇らしくもあった。

 カスミが一歩踏み出した所で周囲の騎士が前進を開始した。こんな幼い子でも前に進むというのに騎士である自分達が前に進まない訳にはいかなかった。



 ジルファは剣で獣を切り裂く。これで二体目だ。順調だと思い再度剣を振り下ろす。

「ぐっ……」

 突如、違和感を感じた。獣の鱗に弾かれたのだ。それと共に右手が痛む。見ると血が出ていた。日々の訓練が裏目に出たらしい。

「下がれ」

 ガイウスが前に立つ。

「あんたが下がれ」

 ジルファは負けじと前に出た。ガイウスの状態を見えれば誰でもそう言いたくなる。鎧はすでにボロボロだ。何度も体当たりを受けたのだろう。荒い息を整え大剣を構える。

「隊長!」

 騎士達が追いつき大楯を構える。そこに獣が20体突撃してくる。獣の赤い瞳はただ前しか見ていない。こちらなど見えてもいないようである。大剣を振り下ろそうが剣で突こうが、お構い無しで突っ込んでくる。一体の獣を倒すのに騎士が次々と倒れてゆく。

「数は減らしたがこれは……」

 ガイウスは膝をついて獣の群れを見た。残りは10体。キュリアの歩兵隊で何とか倒せるだろう。勝利というにはあまりにも被害が大きい。敵の狙いはおそらくこちらの数を減らす事だろう。このボロボロの状態で本隊が来たら持ちこたえられるだろうか。ガイウスはいらない不安を首を横に振って追い出した。



 カスミはハンドガンを構えて獣の瞳を貫く。それと同時に加速。

「……刹那!」

 獣の足を刀が貫く。動けない獣は無視して次に向かう。

「親が強いと子もすごいね」

 隣をキュリアが走る。キュリアは左に持つボウガンで獣の瞳を貫いて視界を奪い、すぐに側面に回る。それから右手だけで鋭い突きを放つ。

「力を使わないでそこまで強い事が驚き……です!」

 カスミは突撃してくる獣を力任せに吹き飛ばす。2M級の獣が吹き飛び地面に倒れた。

「…………」

 キュリアは呆気に取られた。6歳の女の子が獣を吹き飛ばしている姿は衝撃を感じるには十分だった。



 ローラが戻って来た時には目も当てられない状態だった。どこを歩いても血の匂いがした。それは傷ついた騎士を今でも治療しているからだ。

「う……あ……」

 苦しそうに騎士が呻く。

「大丈夫だ」

 グレイスが騎士をゆっくりと運んでゆく。鎧を外して、エレナが傷を確認する。エレナの修道着は真っ赤だった。あれからずっと負傷した騎士の手当てをしているのだから当然だろう。ローラは手伝うと言ったが拒否された。必ず次の攻撃があるからだ。今は戦える者は休む事を強制されている。それだけ戦力は乏しい。

「だから私も参加します!」

「駄目だ!」

 よく知った声が聞こえた。だが何だか喧嘩しているようだ。クリスとツバキだ。二人が喧嘩しているのは珍しい。普段から有り得ないくらいに仲がいいというのに。

「この戦力では守りきれません。分かるでしょう」

 ツバキがクリスに詰め寄る。

「ろくに目も見えないだろう」

 クリスも負けじと前に出る。この数年間でクリスもツバキに対してだいぶ言うようになったとローラは思う。尻に敷かれるとばかり思っていたのだが。

「見えなくても戦えます」

「……それはそうかもしれないが」

「他に何が心配なのですか」

「ツバキが心配なんだ。もう何も失わせたくない」

 クリスはツバキの細い肩を掴む。

「クリス……」

 ツバキがクリスを見つめる。キスでもしそうな雰囲気だ。

「……結局こうなるの……」

 ローラは溜息をついた。心配した自分が馬鹿だった。結局市街地まで攻められた時に参加するという条件でクリスは納得した。



 剣と剣がぶつかる音が広場に響く。

「これくらいにしておけ」

 ヴォルフはジルファに向けていつもの冷静な声を向ける。

「まだまだ!」

 ジルファは剣を構えて突撃。それを横に流れるような動作で回避。それと同時に足払い。ジルファは広場に倒れ込む。

「これくらいにしておけと言っている」

 ヴォルフは溜息をついた。

「勝てないな」

 ジルファは青い空を見ながらつぶやいた。

「剣を握っている年数が違う。当然だ」

 ヴォルフは剣をしまう。

「なあ……聞いていいか?」

「……どうして捨てたか?」

 ヴォルフも空を見ながらつぶやく。

「ああ」

「……お前の母は平民の生まれという事になっている」

 ヴォルフはゆっくりと言葉を続ける。

「平民……それが理由か?」

「平民ならよかった。だが彼女は……ブレアはスラム街の生まれだ」

 ヴォルフは悲しそうな顔をした。貴族とスラム街の女性との恋。

「そうか。そして俺の存在か」

「ああ。まさか息子が代行者になるとは思わなかった」

 ヴォルフは溜息をついた。貴族としてこの街の代表になるには重荷になる事実ばかりだ。

「今の女王……イリア様なら気にしない」

 ジルファは起き上がる。

「だが市民は納得しない。だから捨てるしかなかった」

「自分のためかよ!」

 ジルファは叫んでいた。拳が自然と震えていた。

「……ブレアの願いでもあった」

「誤魔化すな!」

 ジルファは立ち上がりヴォルフの胸倉を掴む。

「殴って気が済むならそうしろ。だが……頼む。この地位のままでいさせてくれ」

「まだ権力にすがるのか!」

 ジルファはヴォルフを殴っていた。

「ぐっ……そこまで浅ましく見えるか。まあそうだろな」

 ヴォルフは口を拭う。礼服が血で汚れた。

「お止めください。全てはブレア様の願いを叶えるために」

 執事がヴォルフにハンカチを渡しながらジルファに懇願の視線を向ける。

「構わん」

 ヴォルファは首を振った。執事は悲しそうな顔を浮かべて黙る。

「なんなんだ。母様の願い……?」

「止めておけ。俺を憎んでいた方が楽だ」

 ヴォルファはそれだけを言って屋敷に戻っていった。

「どういう事だ」

 執事の肩を掴む。

「スラム街に住む者にも平等な生活を与えてほしい。それがブレア様の願い。そして、それは同時にヴォルフ様の願いなのです。それを成すためにブレア様は離れる事を選んだ。冷たくしていたのはいらない情が移らないためです」

 執事がゆっくりと語る。ジルファは執事を離してから数歩後ずさる。前の貴族からヴォルフに変わりこの街はよくなった。今ではスラム街の住民も普通の生活はできる。そして、スラム街出身の者も地位を得ている。キュリア歩兵隊長などがいい例だ。

「母様の願い……そんな……俺は……」

 ジルファはひねくれていた自分が愚かしく感じた。

「時間がかかっても構いません。どうか許してあてください。ただ一人の父親なのですから」

 執事が深く礼をした。それをジルファは最後まで見れなかった。気づいた時にはもう駆け出していた。自分がどこを走っていたのかも分からなかった。どこに向かっていいのかも分からなかった。限界まで走った所でジルファは立ち止まった。壁に手をついて荒い息を整える。

「どうしたの?」

 ジルファを着物姿のカスミが驚いた顔で見つめていた。こんな時に会うとは思わなかった。

「なにも……」

 ジルファはカスミの隣を通り過ぎる。だがカスミはジルファの手を小さな手で掴んだ。

「嘘……何もないわけない。私はあまり力になれないけど……話してほしい」

 カスミは真摯な瞳を向ける。ジルファはその手を振り切る事ができなかった。気づいた時には全部話していた。



 イリアは服を変えてから王座に座る。戦いの後でもあり疲労が溜まっている。そのためか動作はいつもよりも鈍い。

「イリア様……」

 隣に控える貴族が口を開く。イリアはゆっくりと振り向いた。

「なんでしょうか?」

「どうかもう戦場に立つのはお止めください」

 もう何度目かの言葉だ。

「私が立たねば示しがつきません」

「そえはそうなのですが……私達としては……そろそろよい殿方を探していただきたいのです」

 貴族はなにやら書類を持っていた。イリアは溜息をついた。また見合い話だ。

「はぁ……今度はなんですか」

 イリアは書類を受け取る。

 年齢30歳、貴族。元騎士で今は騎士を教える立場にいる男。

次は年齢20代半ばの細身の男。ザイフォス、東国と幅広く商いをしている商人らしい。

 そこまで見てイリアは書類を返した。

「気に入りませんか」

 貴族は溜息をついた。

「実際に会って見ないと分かりません」

 イリアは遠くを見つめた。

「では会いましょう!」

 貴族は逆にやる気満々だ。

「会いません」

 イリアは前を見てつぶやいた。それを聞いて逆に貴族は肩を落とす。

「そうですか。イリア様もそろそろよい年齢です。ですから……」

 そこまで言った時に異様な寒気を感じた。イリアが無表情な瞳を向けてくる。年齢に反応したらしい。

「イリア様……」

 貴族が冷汗を流す。

「結婚相手くらい自分で見つけます」

 イリアは視線を外して前を見た。ほのかに頬は赤くなっていた。

「誰かよい殿方でもみつけましたか?」

 貴族はそれとなく質問した。その瞬間にさらに顔が赤くなる。

「お……おりません」

 こんなに慌てるイリアをこの貴族は見たことはない。どうやらいるらしい。貴族は思考をめぐらせる。そのような男性がいただろうか。

「シュレインです。お目通りを!」

 その時にドアの前からシュレインの声がした。

「どうぞ」

 イリアは表情を引き締める。おそらく騎士の損害についてだ。

「失礼します」

 シュレインが謁見の間に入る。シュレインの左隣にはスレインがいた。イリアは自然とスレインを見てしまった。

「私は付き添いです。いないと思ってください」

 視線を感じたのかスレインが口を開いた。

「そ……そうですね」

 イリアは咳払いをしてシュレインを見た。

「騎士の損害ですが……無事なのは歩兵隊と、重装歩兵のみです。騎馬隊で動けるものは参戦させます」

 シュレインが淡々と報告する。

「半分は動けないと思って構いませんか?」

 イリアが損害を確認。シュレインが頷く。

「カイト殿の報告では再度攻撃される可能性があります。それが本隊です」

 イリアは表情を曇らせる。防ぎきれるだろうか。

「全力で対応いたします」

 シュレインが胸に手を当てた。イリアも頷く。

「共に守りましょう」

 イリアは真っ直ぐにシュレインを見た。

「いえ……イリア様はここにおいでください」

 シュレインは首を横に振った。

「私が出ずにどうしろと」

 イリアが拳を握る。

「……二度は助けられた。でも、三度目は上手くいくか分からない」

 隣にいたスレインが口を開く。イリアは口を閉じた。助けられた身としては何も言えない。

「私達がイリア様に命令はできません。ですがどうかここで我らが戻るのをお待ちください」

 シュレインは言葉を続ける。

「……代々この国は王が戦場に赴き発展した騎士の国です」

 イリアは地面を見た。

「イリア様の知恵でこの国は発展しました。それは国民も分かっております。戦場に出なくても反発は生まれません」

 貴族がイリアを説得する。イリアは一度瞳を閉じる。

「イリア様の決断に従います」

 シュレインはそれだけを言って背を向ける。スレインも続く。

「やはり伝統は変えられない」

 イリアは立ち上がる。その言葉を聞いてスレインは振り向いた。イリアの視線とぶつかる。

「……ただの賢王でいればいいのに」

 スレインは本音がついつい出てしまった。シュレインは驚愕の表情を浮かべる。

「スレイン殿、無礼であるぞ!」

 貴族が叫ぶ。

「構いません。言いたい事があるなら全て言っていただきたい」

 イリアが一歩前に出る。

「止めておけ」

 シュレインがスレインの腕を掴む。それを振り切ってスレインはイリアを見た。

「俺も含めてこの国の住民はイリア様の政治に期待しております。だから戦場で命を落とさせる訳にはいかないのです。王座に座り、政治の事だけを考えていていただきたい。もし……伝統が大切だと言うのであればその考えは古い。賢王の名が泣きます」

 スレインは言いたい事を全部口にした。イリアは顔を落として拳を握る。

「無礼な!」

 貴族が腰にある剣を抜く。

「言葉に対して武器を持ち出してはいけません」

 イリアが貴族を止める。

「ならばこのスレインを言葉で説得していただきたい。この結果で今の立場を失っても構いません。それでイリア様を止められるならば」

 スレインは一歩前に出る。

「……スレイン殿。今日この時を持って騎馬隊隊長の役目は終わりです」

 イリアはゆっくりと言葉をかける。

「……脅しには屈しません」

 スレインはイリアを真っ直ぐに見つめた。

「そして伝統も崩しません」

 スレインの瞳を真っ直ぐ受け止めて宣言する。

「イリア様が騎馬隊の隊長になって戦場に行きますか?」

「いいえ。騎馬隊を率いるのはスレイン殿です。私はこの王座で作戦でも練りましょう」

 イリアはスレインに微笑む。シュレインとスレインが分からないという顔をした。

「なるほど。イリア様、この書類は不要ですな」

「はい。捨ててください」

 イリアは見合い相手が書かれた書類を捨てる事を命令。

「作戦を練るのであれば確かに王族も戦争に関わります。伝統は壊れないでしょう。ですがなぜ騎馬隊隊長でない私が騎馬隊を? 皆が納得しますか?」

 スレインは疑問を口にする。

「権限がないのであればこの愚臣が勤めます」

 シュレインが一歩前に出る。

「納得するでしょう。スレイン殿、貴殿は王として戦場に参加してもらいます」

 イリアはさらにスレインに一歩近づく。

「王? 女王はイリア様では?」

 スレインが混乱し始める。

「なるほど。まさかお前に上に立たれる日が来るとは」

 シュレインは意味が分かり苦笑した。

「私を二度も助けたのだから当然でしょう」

 イリアが綺麗に微笑んだ。

「待ってください」

「女王の命に逆らいますか」

 イリアがスレインに詰め寄る。

「私にも選ぶ権利が……」

 スレインは慌てる。これだけ取り乱したスレインは始めて見た。シュレインはおかしくてたまらなかった。

「そうですね。スレイン殿が私を気にいらなければ仕方ありません」

 イリアが顔を落とした。イリアの頬に一粒の涙が煌いた。

「スレイン、女性を泣かせるのはいかんな」

 シュレインがスレインを小突く。スレインはシュレインを軽く睨む。それから改めてイリアを見た。ずっと女王として見てきた。一人の女性として見た事は一度もない。

「私でよろしいのですか?」

 スレインはイリアに一歩近づく。

「はい」

 イリアは頬を赤めて頷いた。スレインの中にいろいろな感情が生まれた。今まで女王としてしか見ていなかったから生まれなかった感情。今は一人の女性として可愛らしくも見えた。

「では……私がお供します。この命が尽きるまで」

 スレインはイリアを抱きしめた。

「はい……共にこの国を守りましょう」

 イリアもスレインを抱きしめる。

「これもいいか。さて……忙しくなるな」

 シュレインは髪を掻いた。スレインの変わりを探さねばならない。当分はまた戦場に出るしかないとシュレインは思った。



 噴水が見えるザイフォス中央の公園。まばらに人が通行してゆく。いつもならば元気な笑顔が見えた。だが今日は負傷した騎士の手当てで忙しいのか緊迫した空気が流れていた。

 その中でジルファとカスミの間にも緊迫した空気が流れる。ジルファは全て話してしまった。カスミは全て聞いてくれた。

「幻滅したか?」

 ジルファはゆっくりと口を開いて、自嘲的な笑みを浮かべた。カスミはゆっくりと首を振る。

「ううん」

 短く言ってから考えているようだった。時折唸っている。

「……すまないな。カスミには話すべきではなかった。どうかしてるよな……俺」

「力になりたいからいいの。素直にヴォルフさんと話すのは駄目なの?」

 カスミは答えを出した。それが出来れば全ては解決する。

「それが一番だろうな。でも……無理だ」

 ずっと勘違いをしていた。恨んでもいた。剣の稽古をつけてくれた事もあり今では薄れてきた。だが簡単には納得できない。

「無理なんだね。なら……待てばいいと思う」

 カスミは前を見てつぶやく。

「待つ……?」

「うん。時間が経てば会いにいけるよ」

 カスミは微笑んだ。

「……そうだな。今すぐ会っても何を言っていいのか」

 ジルファは空を見た。カスミも同じ空を見た。

「私も待ってるから」

 ぽつりとカスミはつぶやく。

「……俺はいろいろな事から逃げすぎだな」

 ジルファは笑った。

「……全ての人が困難とぶつかれる訳ではないよ」

 カスミは小さな手をジルファの包帯だらけの左手に重ねる。包帯越しに温かさが伝わる。

「ありがとう。俺は……もっと強くなろうと思う」

「うん」

「俺は代行者としても……一人の男としてもまだまだだ」

「うん」

「だから強くなろうと思う。胸を張って歩けるように」

 ジルファは右手を握る。

「なら私はもっといい女になるよ。お母さんを超えるくらいの。ジルファが私を見てくれるように」

 カスミは無垢な笑顔を向けた。その笑顔がローラの笑顔と重なった。でも、ローラとは違う笑顔だった。ジルファだけに向ける最高の笑顔だった。

「期待してるよ」

 カスミの顔を右手で優しく撫でる。カスミはジルファの胸に飛び込んで時間が許す限り側にいた。



 時刻は深夜。細かい白銀の雪が空に舞う。その雪をローラは見上げていた。寒さを感じローラはローブを引き寄せて体を丸めた。

「風邪……引くよ」

 ローラを後ろから誰かが包む。温かさが伝わる。

「キュリアか」

 ローラは視線に入った茶色の髪を見た。

「なによー。私では不満」

 キュリアが頬を膨らませる。

「ううん。たまにはゆっくり話すのもいいかも」

 ローラは微笑んだ。

「誰かさんが彼氏を見つけてから寂しくてねー」

 キュリアがローラを抱きしめる腕に力を入れる。

「キュリアもいるよね」

「私はまだまだ。あんな豪快な物を振り回しているのに、奥手なのよ」

 キュリアが溜息をついた。

「そっか。幸せにね。結婚式見れないな」

 ローラが空を見た。真っ暗な空。自分の未来を連想させる空だった。

「あと何年?」

 キュリアの腕は震えていた。

「…………たぶん一年くらい」

 ローラは空を見たままつぶやく。キュリアは奇妙な間が気になりゆっくりとローラの胸元にある金時計を開いた。悲しい曲が流れる金時計。長針は数字の2を指していた。何もしなければ後2年。これから戦えば一年の命だろう。キュリアは溢れる涙を止められなかった。

「この……ままさ。大人し……くしてなよ。この国は……私が守るからさ」

 キュリアが泣きながらつぶやく。

「それは無理。守りたいんだ。ここにいる皆を」

 ローラはキュリアに向き直る。いつもの無垢な笑顔を向けた。その笑顔が痛かった。

「本当にローラは……」

「ごめんね。消えるのが分かっているのに友達になってくれてありがとう」

 キュリアは言葉が出てこなかった。言葉の変わりにローラを思いっきり抱きしめた。

(ごめんね……キュリア……)

 ローラは心の中で親友に謝った。それと同時に消えかけている左手をそっと隠した。



 フリッツは簡単なスープをかき混ぜている。ローラがそろそろ帰ってくる時間だ。寝る前に軽食くらいは食べてほしかった。

「これならいいな」

 味見をしたが問題はなかった。後は待つだけだ。その時にドアがノックされた。帰ってくるには少し早い。いぶかしんでドアを開ける。

「すまない」

 ドアの外にはクリスがいた。

「構わない。どうした?」

 フリッツが家に上げる。クリスはローブについた雪を落としてから家に入る。それから椅子に座った。

「…………」

「…………」

 二人は無言だった。二人とも無駄な事は話さない。だが用があるなら言ってほしい。

「ローラの事だ」

 ようやくクリスが言葉を口にした。

「寿命の事か?」

「知っているんだな」

「あと一年くらいだと聞いている」

 フリッツは瞳を閉じて残りの時間を口にする。

「もうそれだけか。思ったよりも短いな」

「出来る限り言わないようにしているらしい」

「このままでいいのか?」

 クリスはようやく本題を口にした。

「……彼女が生きたいようにさせてあげたい。俺は最後まで付き合う。それが一年であってもだ」

 フリッツは瞳を閉じたまま言い切った。

「そうか。ならいい」

 クリスは微笑んだ。

「心配するな。何があっても幸せにする。ローラは俺の光だからな」

 フリッツも微笑む。ちょうどその時にドアノブが回転した。

「おかえり」

 フリッツが笑顔を向ける。外から顔を真っ赤にしたローラが入ってきた。どうやら聞こえたらしい。

「ただいま。お兄ちゃん来てたんだ」

「ああ。邪魔者は帰るさ。幸せにな」

 クリスはローラの頭を撫でてから外に出た。

「うん。お休み」

 ローラはその背中に手を振った。

「夜食……食べるか?」

 フリッツがスープを指差す。

「うーん。太るかも」

「大丈夫だ。夜は長い」

 フリッツはスープを小皿に注いでゆく。

「そうだね」

 ローラは微笑んで席についた。



 早朝。一面にカナデの花が咲く平原に代行者のローブを纏ったゼファーが立っていた。中央に咲く一輪の花の前で歩きゆっくりと膝をつく。

「今日はおそらく激戦となるだろう」

 ゼファーが言葉をかける。カナデの花が風に揺れる。

「騎士の大半は負傷者だらけだ。俺のような引退した者も戦わねばいけない事態だ」

 ゼファーは淡々と報告する。

「ローラにジルファもよく戦っている。だがそれだけでは守りきれないだろう」

 そこで一度言葉を切る。ゼファーは手を差し出す。伝わっていると信じて。

触れた瞬間にカナデの花が一斉に揺れた。溢れた浄化の光がゼファーを満たす。ゼファーはゆっくりと瞳を閉じた。

 眩しいくらいに真っ白な空間。そこにはあの時のままの少女がいた。黒いローブを纏ったシラヌイがそこにいた。

「事務的な事ばかりで何が言いたいか分からない」

 シラヌイがゼファーに詰め寄る。

「そうだな」

 ゼファーは微笑んだ。久しぶりに会ったが本当にあの時のままだと思う。

「助けてほしいのか?」

 シラヌイは近くで微笑んだ。少し手を伸ばせば触れられる距離。

「ああ。この国にはまだお前の力が必要だ」

 ゼファーは真っ直ぐにシラヌイの黒い瞳を見た。

「全く……ゆっくり眠れないな。私はここで歌っていたいのだがな」

 シラヌイはゼファーに背を向ける。その背中は寂しそうだった。

「すまない」

 ゼファーは短く言ってシラヌイの背中を抱きしめた。

「構わない。私は今……」

 シラヌイが言葉を切る。ゼファーはいぶかしんでシラヌイを解放する。

「幸せだ」

 シラヌイは振り向いて笑顔を浮かべた。儚い笑顔だった。ゼファーは一歩歩み寄る。

「次は……敵ではなくて……」

 シラヌイの体が消えてゆく。

「ああ」

 ゼファーは短くつぶやいてシラヌイを再び抱きしめた。その瞬間にシラヌイは光となって消えた。だがこれで良かった。

「もう……思い残す事はない」

 シラヌイの光に満たされて、ゼファーは笑った。すれ違っていた想いはやっと重なった。ゼファーにはそれで十分だった。

 ゼファーは現実に戻った。瞳を開けた瞬間に光が溢れた。カナデの花が光に変わる。その光が辺りを温かく包んだ。



 老紳士が獣を引き連れて歩く。すでにザイフォスが見える。

「ほう。これだけの損害を与えたか」

 クレイドは感心した。もはやこの戦力ならば余裕である。老人の後ろには獣が200体はいる。

「では勝負をつけよう」

 クレイドが杖から剣を抜く。それと同時に振り下ろした。獣が迷わず突撃した。



 その様子をローラとキュリアは城壁の上で見ていた。

「嘘……」

 キュリアは呆然とした。100体を倒すのに半数の騎士がやられた。この状態でその倍の数が向かってきている。

「む……無理だ」

 騎士達が震え出す。

「うろたえるな。俺達の後ろには民がいる!」

 城壁の下では豪華な鎧を着たスレインが叫ぶ。イリアとスレインが式を挙げるのはもう国民に知らされている。

「負傷した仲間のためにここを通すな!」

 シュレインが槍を上げる。騎士達は震える体を抑えて武器を掲げた。



 ジルファも騎士と一緒に武器を掲げる。だが内心ではどうするべきか思考がまとまらない。

「ジルファ……離れないで」

 カスミがジルファに体を寄せた。

「ああ」

 ジルファは頷く。その時に隣を真っ白な少女が通った。

「さて……最大の援軍が来るようだから気張るか」

 少女は不敵に笑う。周りの騎士は援軍という言葉に反応した。

「そうですね」

 フリスも少女の背中を追いかけた。



 ローラは城壁に足をかける。

「行くの?」

 キュリアが問う。

「うん。お姉ちゃんなら一番前で戦うから」

 ローラはそれだけを言って飛んだ。

「この命が燃え尽きるその時まで……」

 ローラが決意の言葉を口にする。その言葉を聞いて皆がローラを見た。シラヌイが最後の戦場で述べた決意の言葉だったからだ。

「意志を貫くための力を!」

 ローラが大鎌を抜いた。チラリと左手を見る。まだ大丈夫だ。皆にはあと一年は生きれると言ってある。ばれないように金時計も細工してある。この戦場を生き残れるかは分からない。でも、最後まで戦い抜きたい。シラヌイのように。

 刹那、戦場を浄化の光が包んだ。この光は知っている。シラヌイの歌と共に戦場を包んだ浄化の光。

「お姉ちゃん?」

 ローラは着地と同時に光に触れた。触れた瞬間に伝わったのはローラがよく知る温かさだった。

「ありがとう。守るよ……この国を!」

 ローラは先頭を駆け出した。その後をフリッツが追う。

「続けー!」

 スレインが叫び馬を走らせる。それがこの戦いの合図だった。



 クレイドは不快さを隠す事ができなかった。

「死しても邪魔をするか。ならば……!」

 クレイドが合図をする。獣の一部が進路を変更。光の発生源に向けて突撃を開始。

 クレイド自身もゆっくりと前進を開始した。



 ローラは真っ直ぐに戦場を駆け抜ける。

「フリッツ……大将を討ち取るよ」

 ローラは後ろを走るフリッツに言葉をかける。フリッツは頷く。

「ならば……ゆけ!」

 真っ白な少女がランスを持ってローラと並走。獣を吹き飛ばしてゆく。吹き飛ばされて出来た道をローラは突き進む。まだ敵の大将までの距離は遠い。

「次は俺だ!」

 フリスがローラの前に進み剣を横薙ぎに振るう。獣はバランスを崩す。バランスを崩した獣を高速の弾丸が貫いた。ローラの道を阻む獣が倒れてゆく。クリスの援護だ。

「ローラ……後で会おう」

 フリッツは怪鳥に姿を変えて飛翔。空中から燃え盛る羽を降らせる。羽に触れた獣が火炎に包まれて倒れる。

「見えた!」

 ローラは全力で戦場を駆ける。杖から剣を抜いた老紳士がローラに向けて走る。

「りゃあぁぁーーーーー!」

 ローラは横薙ぎに大鎌を振るう。それを老紳士は杖で防ぐ。

「我が名はクレイド……異界の代表だ」

 名を名乗りローラの大鎌を杖で吹き飛ばす。それと同時に右手に握る剣で高速の突きを放つ。

「つぅ……」

 ローラはクレイドの右手を掴む。

「あなたたちには消えてもらう」

 クレイドは剣を強引に突き刺してゆく。だがクレイドは殺気を感じて後ろに飛んだ。巨大な怪鳥がローラの前に立ちふさがる。

「ごめん」

 ローラは傷を抑えながらつぶやいた。フリッツはクレイドに向けて鋭く鳴いた。

「裏切り者か」

 クレイドが剣を構える。それを見てフリッツは人の姿に戻る。

「俺はローラと……この少女と共に歩む。この国はそれを許してくれる」

 フリッツはローラを庇いながら言葉をかける。

「貴様は例外だろう。その娘が貴様に特別な感情があり……そしてこの国にとってその少女が特別なだけだ。これだけの獣を受け入れる余力はあるまい」

 クレイドはフリッツに剣を振るう。

「この大陸であれば土地はいくらでもある」

 フリッツは剣を受け止めながらクレイドを睨む。

「ぬるい」

 クレイドは杖を振り上げる。フリッツの剣を弾き飛ばしてから剣で切り裂く。

「この姿に恐怖した人間は必ず我らに攻撃してくる。我らに戦う意志がなくとも!」

 クレイドは叫びながらフリッツを切り裂く。

「ローラ……すまない」

 フリッツは後方に飛び、再度怪鳥に姿を変える。

「諦めたか。私は話し合う気はない」

 クレイドはフリッツを睨む。

「……もしも……」

 ローラは傷を抑えながら前に進む。

「何かね」

 クレイドは油断なく武器を構える。

「私が勝ったら話を聞いてください」

 ローラは大鎌を構える。

「貴殿の勝利は我の死だが?」

「あなたは自分の居場所を探しているだけ。この獣も同じ。話を聞いてくれるなら私は殺さない」

 ローラはさらに一歩進む。

「こうやって裏切ったか」

 クレイドは顔を落とした。フリッツは瞳をクレイドに向ける。

「では……見せてもらおう。あなたの想いを」

 クレイドは地面を蹴った。



 クリスはライフルで獣の瞳を貫く。それから前方を見た。必死に言葉をかけながら戦うローラが見えた。

「おい……また説得してるぞ」

 真っ白な少女が呆れながらつぶやいた。

「それがローラの貫きたい意志なのだろう。言葉が通じるのなら……想いが通じるのなら伝えない訳にはいかないんだ」

 クリスは別の獣を狙う。

「ならば……それまではこいつらの相手か」

 フリスは剣で獣を切り裂く。

「骨が折れるな」

 少女は突撃してきた獣をランスで弾き飛ばす。それと同時に右腕から霧が溢れる。

「こちらが耐えられるか……不安になるな」

 フリスの腕からも霧が溢れる。獣の鱗が硬く腕が限界を迎えているのだ。

「だが……倒れる訳にはいかない」

 クリスは獣の突撃をぎりぎりで回避してライフルを構える。避けた時に飛来した石が全身を切り裂く。だが痛みを堪えて踏み止まる。ローラの説得が成功するのを信じて。



 ジルファは手に巻いた包帯を絞め直す。また出血している。

「大丈夫?」

 カスミがジルファの前に立ち獣の瞳をハンドガンで貫く。

「ああ。この程度なら」

 ジルファは瞳を失った獣を切り裂く。

「負担はかけない」

 カスミはさらに前に出る。

「おい……危ない」

 ジルファはカスミの後を追う。

「平気だよ」

 カスミは獣を一太刀で両断。安心した表情を浮かべた。

「くっそ……」

 ジルファは油断しているカスミを抱えて飛んだ。カスミはジルファに抱えられた時に状況を理解した。両断した先にもう一体獣がいた。気づいた時には嫌な音と、吹き飛ばされる感覚がした。

 ジルファの背中に強烈な痛みが走る。その痛みは全身を駆け巡る。だが決して声は出さない。カスミを心配させないために。

「ジルファ……ごめん……私のせいで」

 カスミはジルファの腕から飛び出して傷を確認する。出血が激しい。カスミの顔は真っ青になった。

「ど……どうすればいい? 動かしていいの?」

 カスミはうろたえていた。接近する獣に気づかないくらいに。

「しっかりなさい!」

 鋭い声がカスミの耳に届いた。気づいた時には接近していた獣が切断されていた。さらに向かってくる獣は空中から出現した刀が貫いた。

「お母さん」

 カスミは戸惑いの顔をツバキに向ける。

「ジルファは代行者です。剣を離さなければ死にません。城門付近にグレイスがいます。そこまで行きなさい!」

 ツバキは叫び向かってくる獣を両断する。だが次の瞬間に視界が霞む。

「まだです。娘を守るだけの力を……」

 ツバキは再度、刀を強く握った。



 ゼファーは矛を異界の門から抜いた。背にはカナデの花が一輪咲いている。真っ白な花から浄化の光が煌く。ここに来る獣は浄化の光を放つ、カナデの花を潰しに来たのだろう。

「お前だけは……守る」

 ゼファーは矛を握って平原を駆ける。獣の突撃を岩となった体で受け止める。

「ぬん!」

 力任せに地面に叩きつける。動かなくなったのを確認して、別の獣を矛が貫いた。刹那、左側から衝撃が来る。別の獣の突撃だ。

「この光を……失うわけにはいかん」

 突撃してきた獣を地面に叩きつける。

「たとえこの体が朽ちようとも……やらせん」

 ゼファーはふらつきながらも前を向く。

「やらせない!」

 再度、ゼファーは獣を受け止めた。



 ローラはクレイドの剣を受け止める。

「ローラと言ったかどうして貴殿はそこまでする」

 クレイドは力を緩めずに問うた。

「放っておけないだけ」

 ローラも力を緩めずに大鎌を押す。

「それが解せん」

 クレイドは杖でローラを殴打。すかさずフリッツの爪を剣で防ぐ。

「争う必要がないのに戦う事は悲しい事だよ。そして……」

 ローラは高速で地面を駆け抜ける。高速の銀閃がクレイドを襲う。クレイドは余裕を持って受け止める。

「相手を信じない事はもっと……悲しい!」

 突如、ローラは消えてクレイドの左に姿を現す。

「確かに」

 クレイドは自然な動きで左側に剣を向ける。ローラが大鎌を上げるよりも早く剣が動いた。

「悲しいな」

 クレイドはローラを剣で貫いた。その瞬間にクレイドは勝利を確信した。それと同時に残念な気持ちがした。もしこの少女が勝ったのなら話くらいは聞く気になれた。だがこの少女はあまりにも弱い。これでは想いも伝わらない。

「話を……」

 ローラは貫かれた瞬間に顔を上げた。刹那、ローラの左側から光の粒子が溢れる。するりと剣が通過する。

「聞いてもらうよ!」

 ローラは大鎌を横薙ぎに振るってクレイドの剣を吹き飛ばす。

「くッ……なぜ……」

 杖で防ぎながらクレイドが数歩下がる。ローラは大鎌で追撃する。その間もローラの体から光の粒子が溢れる。

「これで……終わり!」

 ローラの大鎌がクレイドの体を切り裂いた。濃い霧がクレイドの体から溢れた。



 流れる血がカスミの着物を汚してゆく。だが止まらない。カスミはジルファを背負い足を引きずるようにして運んでいる。能力のおかげで何とか運ぶ事ができるが、自分よりも大きい男性を運ぶのは困難な作業だった。

「もう少し」

 カスミは最後の力を振り絞って城壁にたどり着いた。

「後は任せろ」

 グレイスが一声かけてジルファを担ぐ。それを見てカスミは膝をついた。荒い息を整える。汗とジルファの血で汚れた頬を拭く余裕もなかった。

「はぁ……はぁ……」

 カスミは荒い息を整えてから立ち上がる。それから刀を支えにして振り返る。

「守らないと……」

 カスミは一歩踏み出した所で肩を掴まれた。

「戻って」

 隣を見ると赤い鎧が見えた。歩兵隊隊長のキュリアだ。

「でも……!」

「いいから……もう終わるよ。私の親友が負ける訳ないんだから」

 キュリアは微笑む。絶対の自信がその表情から感じられた。周りの騎士達もローラを信じていた。この戦いを止めてくれると信じている。だから戦える。

「ローラが……止めてくれる。まだ……敵わないな」

 カスミは前を見て微笑んだ。



 クレイドは数歩後ずさる。ローラは少しずつ光になってゆく。左足を失いバランスを崩す。一型に戻ったフリッツがローラを守るように前に立ちふさがる。

「命を懸けてまで敵を説得するか」

 クレイドは消えてゆくローラを見つめた。

「ローラはこれが自然なんだ。だから信じられる」

 フリッツはローラの変わりに言葉をぶつける。

「だから共に歩めるか」

 クレイドは剣を杖に収める。

「ああ。俺は光を見つけた。ローラの隣が……俺の求めていた居場所だ」

「……そうか。たったそれだけでいいのだな」

 クレイドは空を見た。眩しい空。辺りを多い尽くす浄化の光。求めていた光。

「この国を……ローラを倒した先に光はない。何もないんだ」

「それは……異界の門と同じだな」

 クレイドはフリッツを見た。嘘を言っている瞳ではない。己の全てを懸けたそんな瞳だった。

「いいだろう。話を聞こう」

 クレイドは獣に合図を出す。獣は一斉に異界の門に戻る。それを見たクレイドはゆっくりとザイフォスに向けて歩いて行った。



 エレナはジルファに包帯を巻きながら獣が消えてゆくのを見た。

「う……」

 ジルファが呻いた。傷は塞いだが血を失いすぎたのだろう。青ざめた顔をしている。

「気を確かに!」

 エレナが声をかける。だがジルファは弱っていく。その時にジルファを浄化の光が包んだ。

「…………」

 ジルファは眠るように気を失った。

「これは……?」

 ジルファの顔色が戻ってゆく。それと同時に辺りから歓声が沸いた。辺りを見ると負傷した騎士が、もう諦めかけていた者が一人また一人と起き上がってゆく。

「シラヌイさんの力……ですね」

 エレナは空を見上げた。消えていく浄化の光。何度も助けられた光が天に戻っていった。



 フリッツは消えてゆくローラを抱きしめた。降っている雪がフリッツの背中で積もる。だが気にしなかった。

「どうして?」

 フリッツは質問した。消えるにはあまりにも早い。

「ごめんね。心配させたくなくて嘘を言ってたの。自分にもあと二年だと言い聞かせていた。すぐに表情に出るからさ」

 ローラははにかんだ。笑顔にいつもの元気はなかった。儚さすら感じる笑顔。フリッツは震える手で金時計を開ける。針は0に近い。

「そんな大切な事を」

 フリッツは困った顔をしていた。

「ごめんね。少ししかあなたの光でいられなかった」

 ローラはフリッツの頬に触れる。その手すら光となって消えていく。白銀に輝く雪とローラから溢れる代償の光が混じりフリッツの周りを輝かせる。その輝きがフリッツの未来を祝福してくれているような感じがした。だがそれでは駄目なのだ。

「消えるな……消えるな!」

 フリッツはローラをしっかりと抱きしめる。ローラがいなければフリッツの心は満たされない。限られた時間でいい。側にいたい。

「これは止めれないよ」

 ローラの瞳から涙が溢れた。

「最後は……笑って……お別れ……」

 ローラは最高の笑顔を浮かべた。フリッツは必死で笑顔を作る。だが笑えているかどうかは分からない。

「ありがとう」

 その言葉を最後にローラは消えた。フリッツは必死で光をかき集める。だが光はすぐに消えてしまった。

「ローラ……」

 フリッツは地面に膝をついた。フリッツは力の限りに叫んだ。その叫びは降り続ける雪に埋もれるように消えた。



 真っ白な空間。ローラはこれが死なのだと思った。

「後悔するぞ」

 いつかシラヌイにローラが言った言葉。それをまさか自分が聞くことになるとは思わなかった。

「お姉ちゃん」

 ローラは微笑む。

「これでいいのか?」

「後悔はあるよ。でも、仕方ないよ」

 ローラは顔を落とした。そんなローラをシラヌイは抱きしめる。

「後悔があるなら生きろ。幸せになれなかった私の変わりに」

 シラヌイは光に変わる。光がローラを包む。失われた体が元に戻る。

「まだ生きられる。私はまだ……会える!」

 ローラは気づいた時には駆け出していた。



 フリッツはふらつきながらザイフォスに戻った。顔面は蒼白だった。周りの者は声をかけられなかった。その様子を見れば結果は分かった。

「消えてしまったの?」

 唯一声をかけたのはキュリアだった。フリッツは無表情な顔を向けた。

「どうなの?」

 キュリアがフリッツの肩を掴む。

「ローラは消えた」

 フリッツはようやく言葉を吐いた。皆の顔も驚愕で歪む。

「そんな……あと一年はあるって」

「あれはローラの嘘だ」

 キュリアは膝をついて泣き崩れた。ガイウスがキュリアの肩を掴んだ



 翌朝。フリッツは自らの家のベッドで寝ていた。起き上がる気もおきない。

「フリッツ、ずっと寝ていたら駄目だよ」

 自分を起こす声が聞こえる。ローラの口調に似ているのは何かの嫌がらせだろうか。

「起きてよー」

 今度は揺すってくる。

「誰だ!」

 フリッツは起き上がる。

「きゃあ……急に起きないでよ」

 ローラが驚く。姿までそっくりだ。寝ぼけているのだろうか。

「…………」

 フリッツはよくよくその少女を見た。

「あまり見ないでよー。恥ずかしい」

 照れ方まで一緒だ。まるで同一人物。

「どうして?」

 フリッツがローラに触れる。確かにそこにいた。この温かさはローラだ。

「お姉ちゃんが後悔があるなら生きろって」

 ローラは笑った。

「そんな事が」

 フリッツは衝撃を受けているようだ。

「まだフリッツと生きたい。だから……戻ってきたよ」

 ローラはフリッツを優しく包んだ。フリッツはローラにもたれて涙を流した。


 薄っすらと降る雪がロングコートの肩に積もってゆく。茶色の髪を後ろでまとめた30歳にしては幼い顔立ちの女性が一つの墓の前で手を合わせている。

「……キュリア、そろそろ行くぞ」

 ガイウスがキュリアの肩に積もった雪を払う。

「もう少し」

 キュリアは動かなかった。

「分かった。ディーノも退屈だろう。後で来てくれ」

「うん。ごめんね……今日は特別だから」

 キュリアはその墓に想いを送る。届くようにと。



 平和な朝だった。そしていつも通りの朝。

 今年で9歳になる栗色髪の少女には退屈な朝だった。

「何かないかなー」

 少女は隣を歩くずっと外見が変わらない父親を見上げた。

「この平和はおまえの母親がつくったものだ」

 父親が少女を撫でる。少女は顔を落とした。

「お母さんか……どんな人だった?」

「……とても明るく真っ直ぐで……俺の光だった」

 父親は空を見た。

「娘の前でのろけないでよー」

 母親にそっくりな栗色髪の少女は頬を膨らませる。

「すまないな」

 父親は笑った。

「フリッツ、フレアちゃん!」

 着物姿の女性が手を振る。その隣には黒い髪を後ろで縛った男性がいた。カスミとジルファだ。ジルファは26となりすっかり落ち着いている。隣にいるカスミは16となりだいぶ成長した。成長するにつれて母親に似てきたカスミは男女とはず溜息が出てしまうくらいに美人になった。

「おはよう」

 フリッツが笑顔を向ける。カスミも綺麗な笑顔を向けた。

「変わりはないですか?」

 カスミはしゃがんでフレアを撫でる。

「うん。お父さん優しいから」

 フレアは笑った。

「寂しかったら言ってくださいね」

 カスミはフレアを抱きしめる。

「うん」

 フレアは少しだけ甘えた。

「すまない。これだけはどうしても無理なんでな」

 フリッツはフレアとカスミを見てつぶやく。ローラの変わりに料理も掃除も洗濯もするフリッツだが母親の変わりはできない。

「仕方ないさ。カスミも好きでやってる」

 ジルファは二人を見てつぶやいた。

「子供ができた時の練習だな」

 フリッツはジルファに向けて微笑む。

「さすがにそれは……カスミはまだ16だぞ」

 ジルファが頭を掻いた。

「さすがフリッツですね。その通りです。後は指輪を待つだけなんですよ」

 カスミが最高の笑顔を向ける。ジルファの頬に汗が流れる。

「それはさすがに早くはないか」

「10年待ちましたよ」

 カスミが頬を膨らませる。

「ジルファ、諦めろ。俺もそうやって指輪を買った」

 声と共にクリスがジルファの肩を叩いた。振り向くとクリスがいた。30代半ばを迎え深みを増した言葉が胸に突き刺さる。

「指輪を待ってます、と言っただけですよ?」

 隣でツバキが笑った。40代半ばに入ったツバキの外見は衰える事はない。艶やかな黒髪は今だに輝いている。

「魔女まで現れたか。今日はよく人が集まるな」

 フリッツが空を見上げる。

「魔女とはなんですか」

 ツバキが膨れる。

「確かに魔女だな」

 ジルファも独語した。そうでも言わなければこの衰えない体の説明がつかない。フリッツのように歳を取らないなら話は別だが。

「やれやれ騒がしいな。だが今日は騒がしいくらいがいいか」

 真っ白な少女がゆっくりと歩いて来る。

「ええ。これくらいの方が喜ぶでしょう」

 フリスはフリッツのように空を見上げた。

「ああ。喜ぶさ……俺達は上手くやっている。だから待っていてくれ。必ず会いに行くから」

 フリッツは手を上げる。皆も空を見上げた。今日はローラの命日だ。結局ローラは一年しか生きられなかった。その間を懸命に生きた。そして、子供を残した。

「お母さんの守りたかった物を守るよ。次は……私が」

 フレアが手を上げる。

「だから見ていてほしい。俺達を」

 フリッツは空に向けて微笑んだ。ローラは笑っている気がした。だから皆進んでゆける。どれだけ辛くても、ただ前を見て。


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