-意志を継ぐ者- 1
意志を継ぐ者
シラヌイが命を落としてから7年の月日が流れた。ブレイズが倒れてから全ての獣を殲滅するのに11ヶ月もかかってしまった。それを受けて城塞都市の女王、イリア・ド・フェイエルアーツは教会組織「エーデルワイス」に協力を仰ぎ異界の力に対抗する戦力の増強を進めた。
その中で代行者ゼファーと代行者クリスは臨時の際は騎士に協力する事を誓った。それにより騎士と代行者の間の溝は埋まり、賢王と呼ばれるイリアの活躍もあり、一部を除いて平和な日常を送っている。
栗色の髪を腰まで伸ばした16歳くらいの女性が歩いている。幼さを感じる顔ににこやかな笑顔を浮かべている。服は黒いローブを纏い、その中はベージュ色の薄手のセーターに、白いロングスカートである。
女性は冷えた手に息を吹きかける。それから手を合わせて温める。周りは雪が降っている。積もる事はないが今日一日は降るだろう。
女性は雪がまばらに積もった岩で整備された道をただ歩く。ふとおいしそうな匂いがしてきた。周りの店を見るとパンの店、お肉を調理した東国料理の店などが見えた。
「美味しそう……」
女性はうっとりとした目で料理を見た。
「ローラ、こっちだよー!」
前方を見ると長い茶色の髪を後ろでまとめた軽装姿の女性騎士がいた。歳は24歳なのだか、そうはとても見えない。小柄なのもあるが、幼い顔つきがそう思わせるのだろう。歩兵隊隊長のキュリアだ。
ローラと呼ばれた女性はにこやかな笑顔を浮かべてキュリアに近づく。その奥を見るとピザや、パスタなどの城塞都市主流の食べ物の店がある。
「この店来たかったんだよー」
ローラはのんびりと言った。
「私も」
キュリアも笑顔を浮かべた。二人は店に入り二人がけのテーブルに座った。
「おや、ローラちゃんにキュリアちゃんか。これはいいねー」
店長がにこやかに笑った。
『こんにちは』
女性二人が最高の笑顔を浮かべる。周りの男共が歓声を上げた。
「ゆっくりしてきな。サービスしとくからさ」
店長はそう言って料理を作り始めた。
「やったね」
ローラが笑顔を向ける。キュリアが頷いた。
ロングコートを着た情報屋がメモを読みながら歩く。その歩みはどこか隙がなかった。路地を見つけては、その路地に体を滑りこませる。路地の背に体を預けて銃に手をかける。
無言で銃を抜いて構える。誰かが後ろから迫っているのは分かっている。その人物に銃を向けて引き金に指をかける。
「いきなりそれか?」
見慣れた革ジャケット姿の男が声をかける。低い声だが優しさが混じった不思議な声だった。
「なんだクリスか」
情報屋は銃を素早く戻す。
「なんだとは言うようになったな、カイト」
クリスは溜息をつきながらつぶやいた。
「ごめん。こんな仕事をしてるといろいろとね。一本いいかな?」
カイトはそう言って葉巻に火をつけた。
「それ……エレナが心配してたぞ。体によくないのだろう?」
「クリスまで止めてよ。仕事で必要なの。相手が吸うんだ……吸わない訳にはいかないでしょう」
煙を吐きながらカイトが言った。その煙を吸ってクリスが咳き込む。
「ゴホゴホ……まあいいか。聞きたい事がある」
「ザイフォス近くに出る獣の事かな?」
カイトはメモ帳を開く。
「ああ」
クリスが短く首肯。
「ここから東にある通りで見かける事が多いそうだよ。教会組織『エーデルワイス』からはジルファに殲滅命令が出てる。情報は伝達済みだよ」
カイトがメモを閉じる。
「カイトが伝言をしたのか。どうりで早い訳だ」
「まあね。今から言っても遅いかもよ」
「いや……異形の獣と戦う場合は基本的には二人一組の行動が基本だ。あいつと組む人間は限られてる」
クリスが難しい顔をした。
「そうだね。クリスかローラくらいしか協力しないからね。あいつももう少し丸くなればいいんだけどね」
カイトも溜息をついた。腕は優秀なだけもったいないと思う。
城塞都市ザイフォスから東に数時間歩いた歩道。そこに東国の騎士がいた。
「これで……」
東国の騎士はビンに詰まった黒い水を宙にばら撒く。そこから異界の門が開いた。
「言われた通りだな……よし、行け!」
短く命令する。そこから一体の以上の獅子が現れる。まずは成功。東国の騎士は剣を異界の門に通す。剣はくすんだ色に変わり、質量が変化した。
「これでいい。ザイフォスの者共に復讐できる」
騎士はゆっくりとした足取りでザイフォスに向かっていった。
その様子を離れて見ている男がいた。同じ東国の鎧に見を包んだ東国の騎士。長い黒髪に青い瞳をした壮年騎士だった。
「戦え……そして開くがいい。異界の門を」
男性は低くつぶやいた。
キュリアとローラは出された料理をどんどん食べていく。テーブルには5皿以上は積まれている。
「もう無理」
キュリアが最後の皿を平らげてからつぶやいた。
「まだデザートがあるよ」
ローラもお皿の上にある物を平らげる。すぐにアイスが置かれた。
「そうね。これを食べないとね」
キュリアはスプーンでイチゴのアイスをすくう。
「うんうん」
ローラも同じようにすくった。そして瞳を輝かせた。だがそれを食べる前にローラは背中を掴まれた。
「仕事だ」
低い青年の声。ローラは後ろを振り返った。長いサラサラの黒髪を後ろで結んだ青年。いつも何が不満なのか不機嫌な顔をしている。黒いローブの下には礼服を着ている。腰には騎士剣を吊っていた。
「待って……アイス……」
ローラはスプーンで口に運ぼうとする。
「緊急事態だ。借りてくぞ」
キュリアに短く言ってから、その青年はローラを引きずっていった。
「いってらっしゃーい」
キュリアは手を振った。
「アーーーイーーーースーーーーー!」
ローラの叫びが響いた。
ローラは頬を膨らませて隣の男性を見る。
「今回の敵だが……異形の獣が一体。おそらくまた東国の刺客だろう。商人や騎士に被害が出る前に処理をする」
青年は前を見ながら淡々と話す。
「うん。ところで何故私なのかな?」
ローラはできる限りにこやかに聞いた。
「最近の代行者は平和ボケをしている。まともに動けるのは少数だ」
青年は口調を変えないで、それだけをつぶやいた。
「もういいよ。私やお兄ちゃん以外にも一緒に戦ってくれるパートナーを見つけてね」
「……足手まといはいらない。それに馴れ合いは嫌いだ」
青年は淡々と言った。その横顔はどこか寂しそうだった。
「出来るよ、ジルファなら」
ローラはジルファと呼んだ青年の前に回り込んで笑顔を向ける。無垢な笑顔だった。
「ちっ……勝手な事を」
ジルファは舌打ちをしてそっぽを向いた。
ローラのこの無垢な笑顔がジルファは苦手だった。この信頼しきった笑顔。心を温かくする癒しの笑顔。幼い頃に欲した笑顔だった。だがそれをジルファは得る事ができなかった。母は病気で寝てばかり、父はジルファを捨てた。愛情に飢えた少年時代。だからこそこのローラの笑顔を無意識に求めている自分がいる。それが腹立たしい。そして素直になれない自分にイライラする。ひねくれているのは分かっているが、どうしていいのか分からなかった。
「行くぞ」
結局はそれだけしか言えなかった。
「うん。お姉ちゃんの守りたかったものを守るよ」
ローラは一度だけ後ろを向いた。城塞都市ザイフォス。シラヌイが守った国。それを背負う事にしたローラ。今は重いと感じるが歩いていこうと思った。もう一度前を見る。ジルファに置いていかれないようにローラは走った。
ローラとジルファは平坦な道をひたすら歩く。時折、ジルファが地図を開く。
「この辺りだ」
短く言ってジルファは地図をしまう。それと同時に騎士剣を抜いた。ローラもナイフを構える。冷たい風が一度吹く。ジルファは瞳を閉じて集中した。
次の瞬間、風が止まった。ほんの数秒。気にしていなければ分からない一瞬。ジルファは異界の門を開いた。ローラも異界の門を開く。
「我が命を代償に捧げ……」
漆黒の大鎌を掴む。
「……意志を貫くための力を!」
ローラが決意の言葉を口にした。それに応えて大鎌が黒く輝く。
「……我の感情を代償に捧げ……」
漆黒の騎士剣を手に取る。
「……心無き者をなぎ倒す力を!」
騎士剣を異界の門から抜いた。ジルファはそれと同時に戦場を駆けた。ローラは意識を集中する。
突如、異形の獅子が出現してジルファの首元を狙う。
「ちっ……!」
ジルファは右に飛ぶ。獅子が追ってくる。
「クロちゃん!」
ローラは短く叫んだ。黒竜が獅子に体当たりをする。
「ミクちゃん!」
それと同時に先ほどの竜よりも小柄で額に角が生えた黒竜が異界の門から出現する。その竜は口から火炎弾を吐く。獅子の全身が激しく燃えた。獅子は慌てて異界の門に戻る。
「道は開いた……どこだ」
ジルファは辺りを見渡す。その瞬間にジルファの隣を走る影を感じた。狙いは召喚に集中しているローラだ。
東国の騎士は異形の剣を持って平坦な道を駆け抜ける。ローラはナイフを構える。二体を召喚した際は動きが極端に鈍る。常人と対して変わらない速さだ。代行者同士の戦いにおいては無防備に等しい。異形の剣がローラを狙って振り下ろされる。それをジルファが止めた。
「やらせるか!」
東国の騎士を力任せに吹き飛ばす。
「ありがとう」
ローラはお礼を言ってから黒竜を異界の門に戻す。深呼吸をして再度集中をする。ジルファは東国の騎士との距離を詰める。
ジルファは下から騎士剣を振り上げる。東国の騎士はそれを上から騎士剣を振り下ろして防ぐ。
「力はこちらが上だ!」
東国の騎士は力任せに押してくる。ジルファが半歩下がってやり過ごす。その瞬間に黒竜が騎士を狙う。それは全身が燃えた獅子が体当たりをして防いだ。
「クロちゃん、噛み付いて!」
ローラが指示をする。黒竜が獅子の喉元を噛み砕く。獅子は力を失って倒れた。騎士は驚愕の表情を浮かべる。その隙にジルファは踏み込む。
「甘い!」
騎士は即座に反応した。ジルファの剣を弾き飛ばす。能力が使えなくなったジルファを見て東国の騎士は余裕の動作で剣を頭上に掲げた。
「甘いのはお前だ」
その声と共にジルファは左手に握る騎士剣で東国の騎士を横薙ぎに斬った。東国の騎士は一撃を受けて半歩下がる。能力を使っていないためか威力が低い。だが半歩下がっている内にジルファは異界の門から再度騎士剣を抜いた。
「調子に乗るな!」
騎士が剣を振り下ろす。それをジルファが受け止める。力では勝てないと分かっているのに受け止めた。騎士は勝利を確信した。このまま力で押せば勝てる。黒竜は間に合わないだろう。
刹那、背後に寒気を感じた。チラリと後ろを見ると白銀の大鎌。それを認識した時には首を切られていた。
「ふう」
白銀の大鎌を握るローラは一つ息を吐いた。
「油断するな!」
ジルファがローラの前に剣を構えて立つ。突如、異界の獣がローラを狙って飛びついてきた。見た目は鱗を纏った獅子だ。獣に一撃を浴びせる。だが獣は硬い鱗で弾き返した。
「ローラ、抱えて飛べ!」
男性の声が二人に届く。ローラはジルファを掴む。獣の口がジルファを狙う。間に合わない。だが獣の牙が食い込むよりも速く巨大な鉄塊が獣の頭部を吹き飛ばした。その隙にローラが後方に飛ぶ。
「畳み掛けるぞ」
キャノン砲を持ったクリスが短く言った。
「はい」
いつもと同じ着物姿のツバキが短くつぶやいた。獣が振り向いた時にはツバキは接近していた。
「……瞬撃……」
短い声と共に獣に神速の六連撃を浴びせた。だが獣は特にダメージを負った様子がない。
「頑丈ですね。なら……」
獣が腕を振るう。それを優雅に回避。
「……刹那……」
獣の足を刀が貫く。獣は身動きが取れない。
「離れろ!」
クリスはキャノン砲を構える。砲身から眩しいばかりの光が溢れる。それを見てツバキが飛んだ。刹那、キャノン砲から浄化の力を帯びた弾丸が射出される。弾丸が獣に触れた瞬間に光となって消えていく。クリスは辺りを警戒する。この獣を呼んだ者がどこかにいる。だが敵の気配はしなかった。クリスは異界の門に武器を収める。ツバキも武器を収めた。
「これが……あの戦いを生き抜いた代行者の力……」
ジルファは震えながらつぶやいた。レベルが違いすぎる。同じだけの能力がジルファにもある。だが技の質が違いすぎるのだ。ここまで戦えない。
「ジルファ……ありがとう」
ローラが弱々しく礼を言った。自分のミスで危ない目に合わせてしまった。それが申し訳ない。
「いや……結局助けられた」
ジルファはローラから離れてからつぶやいた。そして、拳を握る。もっと強くならなければいけない。
「大丈夫か?」
クリスがゆっくりと歩いてくる。
「怪我をしていませんか?」
ツバキは屈んでローラの体に触れる。
「だ……大丈夫だよ」
ローラは顔を赤くしてつぶやいた。それを横目に見てジルファは三人から離れるように歩く。
「助かった」
聞こえるか聞こえないかくらいの声でジルファがつぶやいた。
「ローラを守ってくれてありがとう。ただ……」
「分かってる。もう迷惑はかけない」
ジルファはそう言って走っていった。
「ジルファ……」
ローラはその背中を悲しく見つめた。
ジルファは荒い息を整える。ザイフォスまで走ってきたのだ。普段から鍛えていても息は切れる。
「どうした?」
低く重い声がジルファに突き刺さる。顔を上げるとそこには筋肉質な男がいた。ゼファーだ。漆黒のローブを纏った大男である。腕は丸太のように太い。
「ああ。任務から帰ってきた所だ」
「パートナーは?」
ゼファーが睨む。
「問題ない。クリスとツバキが一緒だ」
ジルファの言葉を聞いてゼファーは安堵の息を吐いた。
「ふむ。それで何を慌てている?」
ゼファーは鋭く睨む。ジルファは一歩後ずさる。
「いや……なんでもない」
ジルファはゼファーの間をすり抜けて走っていった。その背中を見守る。
「相変わらず不器用なんだな」
落ち着いた女性の声。ゼファーは慌てて振り向く。だがそこには誰もいない。
「時にはぶつかれよ」
それを最後に言葉は聞こえなかった。ゼファーは一瞬だけ悲しそうな顔をした。
「分かっている。まったく……本当におせっかいな女だ」
ゼファーは微笑んでからそれだけをつぶやいた。
翌朝。食卓にご機嫌な鼻歌が聞こえる。場所はザイフォスの平民街にある小さな一軒家。ローラは丸テーブルに備え付けられた椅子に座って、その歌をあくびを噛み殺しながら聞いていた。
「ローラちゃん、ここ任せてもいいですか?」
ツバキが笑顔を向ける。ローラは頷いてからフライパンを握る。作っているのは卵焼きらしい。目的はいちいち聞かない。ツバキは笑顔で歩いていく。
「またお父さんの所?」
ローラの左隣には幼い女の子がいた。ツバキに似た女の子。クリスに似たのは瞳の色だけだ。
「うん。ラブラブだからね」
ローラが苦笑してつぶやいた。
「そうね。ラブラブだからね。その愛を分けてほしいわ」
幼女が溜息をついた。
「……カスミちゃんはたまに大人だね」
卵をひっくり返しながらローラがつぶやいた。
「基本は放任主義の父親、夫一筋な母親、そして楽観主義の姉が家族ですから。私がしっかりしないと成り立たないの。まあ、三人とも優しいから幸せだけど」
カスミは一指し指を立ててローラに講義をする。表情は笑顔だった。
「うー、どちらが歳上か分からない」
ローラは悔しそうに料理を続けた。
クリスはベッドの中で寝返りをうった。その瞬間に柔らかい感触がした。
「おはようございます」
ツバキが笑顔で挨拶。
「おはよう」
クリスは眠たそうに挨拶をした。そのクリスにツバキが抱きついた。
「おっと」
クリスが受け止める。
「朝ごはんができるまでこうしていたいです」
「ローラとカスミに悪い」
クリスが起き上がろうとする。
「仕方ありませんねー」
ツバキも立ち上がる。だが食卓に付くまではクリスの腕に自らの体を密着させていた。
「おはよう」
カスミが挨拶。
「おはよう」
クリスが挨拶をした。
「お母さん、ご飯冷めるよ」
次はツバキに笑顔を向ける。ツバキがクリスから離れて席につく。食事が始まった。
ザイフォスにある小さな教会。その祭壇で司祭が救いの言葉を紡ぐ。
「迷える子らよ。汝らの懺悔は聞きました。その罪は浄化され救われる事でしょう」
手振りを加えて司祭が言葉を続ける。祈りを捧げる平民が司祭を見上げる。
「私達は救われるのですか?」
「ええ。これから良き行いに努めて下さい。それで報われます」
平民の言葉に司祭が返す。平民は深く礼をした。ほどなく祈ってから平民は帰っていった。
「お疲れ様です。司祭さん」
修道服を着たエレナがにこやかに挨拶。
「慣れませんねー、その呼ばれ方」
司祭は肩を回しながらつぶやいた。
「よくそんな事が言えるよな。あんたの救いの言葉は聞きたくないね」
教会の隅で司祭の救いの言葉を聞いていたジルファは溜息をつきながらつぶやいた。
「ほう。食客がそのような口を聞くのですか」
司祭はジルファにゆっくりと近づく。
「な……給料の一部を入れているだろうが」
ジルファも負けじと一歩踏み出す。
「ここで喧嘩をするなら……許しませんよ」
エレナは二人の間に立つ。二人の頬に冷や汗が流れる。
『すいませんでした』
二人は素直に謝った。
早朝の街をカイトが歩いている。目的はとある酒場。木で出来たゲートを潜り、中に入る。
「誰だい? ああ、カイトか」
50代にある酒場のマスターはチラリとカイトを見た。
「ああ。ちょっと朝から仕事だ」
テーブル席にカイトが座る。
「新たな情報はないぞ」
グラスを拭きながらマスターが言った。
「知ってる。先日の情報。確か獣は一体だったよな」
カイトがマスターを軽く睨む。
「ああ。そうだ。俺が確認した時まではな。その後は知らん」
「間違った情報を売るとは、それでも情報屋か」
カイトがテーブルを叩く。
「ふー。あんまり調子に乗るなよ、坊主」
マスターがテーブルにグラスを置く。それと同時に体格のいい男が二人現れた。斧に剣を持っている。
「こんな情報屋がまだあったのか。ガセを売って荒稼ぎ、文句を言ったら口封じか」
カイトがゆっくりと立ち上がる。まずは斧を持った男が走る。テーブルをなぎ倒しながら真っ直ぐに突き進む。それを余裕の動作で回避して、首に手刀を一撃。大男が気絶した。
「ヤロウ!」
剣を持った用心棒が斬りかかる。それをナイフで受け止める。
「はっ……!」
短く叫んで拳を胴にめり込ませる。男が吹き飛んだ。
「な……一瞬で!」
マスターは驚愕の表情を浮かべると同時に拳銃に手をかける。それよりも速くカイトは銃を抜いた。
「典型的な悪党だな、あんた」
銃をマスターの額に押し付ける。
「降参だ」
マスターは両手を挙げた。
「騎士に伝えておく。金は返せ」
それだけを言ってカイトは酒場を出た。そして、朝日を浴びる。
「こんな事ばかりをしてたら……会いにいけないな」
コートの裾を立ててカイトがぼそりとつぶやいた。
ローラは黒いローブに身を包む。それと一緒に腰にポーチをつける。中には携帯食料が入っている。他の物は馬に括りつけた。
「行こう」
クリスが短く言った。
先日、襲ってきた獅子を操る者を倒す必要がある。クリス一人で行きたいが決まりでは、代行者二人以上で行動する事になっている。そこでローラを連れて行くことにした。
「はい」
ローラが一度頷いた。
「いってらっしゃーい」
カスミが笑顔で見送る。
「無事に帰って来てくださいね」
ツバキも笑顔を向ける。それに片手を上げて応じてから馬を走らせる。ローラはクリスの腰に腕を回した。
ほどなく走り、城の城門に差し掛かったときにジルファがいた。
「俺も連れて行ってくれ」
ジルファがクリスを見た。クリスは一度視線を合わせてから前を見た。
「止めても来るのだろう。なら、来い」
クリスは短く言って馬を走らせた。
「また一緒だね」
ローラはジルファに微笑む。
「遊びに行くのではないんだぞ」
ジルファは溜息をついて馬を走らせた。
ザイフォス城内、騎士団長室。シュレインは机にある書類にサインをする。もう30歳となり貫禄のために髭を伸ばしている。最近になってようやく慣れてきた所だ。
「ふう」
目頭を解して次の書類を見る。その時にドアがノックされた。
「どうぞ」
シュレインが顔を上げて答える。
「忘れ物だ」
真紅の髪を後ろでしばった30歳くらいの女性が布で包まれた弁当を掲げる。元ブレイブナイツのサキアだ。
「すまない。届けてくれたのか」
シュレインは騎士団長の顔から、一人の夫の顔に戻りサキアに微笑む。
「愛妻弁当を忘れるとは、これは問題だぞ」
対してサキアは腰に手を当ててご立腹の様子である。
「悪かった。休みを貰ったら家族サービスするさ」
シュレインは立ち上がり弁当を受け取る。
「それはクレイスも喜ぶな」
サキアは今年で5歳になった息子の笑顔を思い浮かべる。幸せそうな笑顔を浮かべている。
「約束する」
シュレインはその笑顔を見て頷いた。その瞬間にドアがノックされた。
「やってるか?」
スレインがいつものさわやかな笑顔を向けて入ってきた。彼も30代になったが妻を持っていない。それが原因なのか普段から容姿に手抜きはない。今だに街に出ると黄色い歓声で満たされる。未婚で外見もよく優しい。おまけに騎馬隊の隊長。人気になるのは当然だろう。
「……俺は騎士団長なんだが? 騎馬隊隊長殿?」
シュレインがスレインを睨む。
「細かいな。俺まで騎士団長様なんていったら疲れるぞ。そうは思いませんか、奥様?」
スレインがサキアに向けて笑顔で質問。
「そうだな。今では気楽に話しかけてくるのはスレインくらいだろう」
「それもそうだな」
シュレインも笑う。
「さてと……冗談はこれくらいでまずは報告だ」
「なんだ」
シュレインが姿勢を正す。
「代行者クリス、ローラ、ジルファが外に出た」
スレインが簡潔に報告。それを聞いてシュレインが顎に手を置いて思考。
「何かあった時に騎士団だけで対応できるか?」
率直な疑問を口にする。
「引退したゼファー殿と、ツバキ殿がいる。それとあの真っ白な少女とフリスという番犬もいる。問題はないと思うが」
戦力としては十分だ。
「引退した者と、何を考えているか分からない者を戦力に数えるな」
シュレインは溜息をついた。
「そうだな。警戒はしておく」
それだけを言ってスレインは外に出た。
「ふう。騎士団にも代行者がいればな」
「それは私がブレイブナイツであった時も同じだ。無い物を求めても始まらない」
「そうだな。騎士だけで守りぬかないとな」
無い物ねだりはいけないが、騎士団の中に代行者がいればいいと思う事がしばしばある。城内の守りに置いておけば有事の際に切り札になる。だが代行者に覚醒する条件が不明なのだから仕方がないと思う。騎士は騎士で城を守りぬくしかないのだろう。
東国のとある貴族の館。館の主の書斎に壮年の騎士が姿を現した。茶色の髪を肩まで伸ばした男で、髪は整えられておらず荒々しい印象を受ける。
「失敗したらしいな」
貴族は開口一番にそう口にした。
「申し訳ございません」
騎士は丁寧に礼をした。荒々しい印象からは予想ができないが、この男の基本的な姿勢は冷静で一歩引いた忠実な騎士である。
「次の失敗は許さんぞ」
貴族は備え付けられた窓を見ながらつぶやいた。
「次は相手の力を把握します。その次には成果を出しましょう」
騎士が恭しく礼をする。
「成果を出すならそれでいい」
貴族は前を向いたままつぶやく。それを聞いてから騎士はもう一度礼をして去って行った。
「代行者か……厄介な者だ」
貴族は忌々しそうに手を握った。
貴族の館を出て騎士は一度館を見上げた。豪奢な館。人が10人は暮らせるスペースに一人の貴族が住んでいる。
「全くの無駄だ。我らはあの黒い空間で不自由に暮らしているというのに。この世界は何と自由な世界か」
騎士は歩きながら独語する。
「あのブレイズという男のおかげでだいぶ門が開いた。私の手勢も送れる。手に入れよう……この世界を」
騎士は不気味に笑った。
貴族は窓から去って行く騎士を見ていた。
「ザイフォスの兵力を削ってくれるのであればそれでいい」
そのためなら何でも利用する。どれだけ危険でも。そして最後に勝つのは自分であると強く信じる。
「この世界の住民は醜いな。やはり利用していたか」
しわがれた老人の声。振り向くと貴族の後ろから黒い影が現れる。異界の門を開いてこの世界に来たのだろう。次第に体がはっきりと見えた。ほっそりとした白髪の老紳士だった。こちらの服装を真似ているのか礼服を着ている。
「お前は……」
「外の世界はやはりいいな。俺はクレイド……異界の長のような者だ。ただ長生きしているだけだがな」
クレイドは剣を抜いた。貴族が窓に体を寄せる。もう逃げられない。
「消えろ」
クレイドが剣で貴族を突き刺した。そしてすぐに抜く。剣を抜いた瞬間に貴族が床に倒れる。
「さてグレイル……見せてもらおう。お前の戦いを」
クレイドが窓の外から遠くの景色を見た。光に満ちた世界。手に入れたい温かい世界。
「しばしのお別れだ」
それだけを言ってクレイドは異界の門に戻った。
時刻は昼過ぎ。ローラ達は馬から降りて食事にする事にした。適当な木陰を探す。木が数本立った場所に入り雪から体を守る。その下に木の葉と木々を集める。
「火をつけて」
ローラがジルファに指示。
「ああ」
短く言って集めた木に火をつける。その様子をクリスは見ていた。
「ローラの言う事は聞くんだな」
クリスは座ってからジルファに聞いた。
「他の人のお願いは聞かないの?」
ローラが首を傾げてから、ジルファの瞳を覗き込む。
「そんな事はない」
ジルファは短くそう言った。じっとローラがジルファの瞳を覗く。
「な……なんだ」
「嘘はいけないよ。過去に悲しい事があったのは知ってる。でも……」
ローラがジルファの手を握る。
「心を開いて」
ローラが笑顔を向けた。ジルファは一瞬だけローラが天使に見えた。
「知るか!」
ジルファはローラの手を強引に振りほどいた。
「ご……ごめん」
ローラが肩を落とした。
「おい、その言い方は!」
クリスがジルファを軽く睨む。ジルファのために怒っているのが分かる。この人はそういう人だ。皆に優しい。
「くっそ……。お人好し過ぎるんだよ、あんたら。俺には重いんだ。放っておいてくれ」
ジルファが立ち上がる。そしてポーチから携帯食料を取り出した。
「ジルファ……」
ローラがジルファの背中を追う。
「定刻には戻る」
それだけを言ってジルファは去って行った。
「ローラ、焦るな。気持ちは伝わっている」
クリスはローラを座らせた。ローラは力なく頷いた。心配でたまらないという顔をしている。
(……ローラの優しさが伝わればいいが……)
クリスは心の中でぽつりとつぶやいた。
ジルファは草原に馬を止めた。かすかに雪が積もり、その間に小さな花が咲いている。ジルファは座って小さな花を見た。
「悪い事をしたな」
ぼそりとつぶやいた。ほどなく眺めていると母親と幼い子供が草原に来た。子供は楽しそうに草原を走る。母親はその様子を幸せそうな笑顔で見ていた。
「あ……」
ジルファは頬に手を触れる。涙がこぼれてくる。止まらない。幸せそうな光景なのに。心が洗われる幸せな光景なのに涙が止まらない。
「こんな歳になって……求めているのか……ただのガキではないか」
ジルファは涙を拭いて馬に乗った。ほどなく馬を走らせるとクリスとローラが待っていた。
「行けるか?」
クリスが短く聞いた。
「当たり前だ」
ジルファは一つ頷く。ローラは何を言っていいか分からなかった。馬が二頭並ぶ。ローラが何か言いたそうな瞳を向けてくる。ジルファはローラの視線に耐えられずに口を開いた。
「すまなかった」
そっぽを向いてそれだけを言った。
「うん」
満面の笑みをローラが返す。その笑顔が草原で見た母親の笑顔に似ている気がした。同い年の女性に母親の姿を求めているとは自分も歪んでいると思った。
「さっさと行こう。日が暮れる」
ジルファはごまかすように馬を走らせた。
時刻は夜。平民街は民家から漏れる光と月明かりで照らされていた。その街をカイトは歩いていた。メモ帳を開いて情報を整理する。
「何かいい情報があるのか?」
幼いようで大人びた声。カイトはその声だけで分かった。あの真っ白な少女だ。ただでさえ真っ白で神秘的なイメージがある少女だが、今は月明かりに照らされ、さらに神秘的で幻想的だ。神だと思うのも無理はないと思う。
「ああ。危険な情報かな」
「ほう」
少女が興味を持った。
「早く話せ」
フリスがカイトを睨む。子供の時から変わっていない鋭い瞳。腰まで伸びた長髪が目印の少女の番犬だ。
「普通に話せよ、フリス」
カイトが微笑む。
「ふん。馴れ合う気はない」
フリスが再度睨む。
「フリス……貴様、私を差し置いてベラベラ話しすぎたと思わんか?」
少女がフリスを睨む。
「申し訳ありません」
フリスが一歩下がる。
「うむ。してその情報は?」
「ああ。一つはクリス達代行者が狙われている。そして、ザイフォスも」
カイトが表情を引きしめて言った。
「ほう。確かあの三人は出ていたな。ここに残っているのは騎士団と私らか」
少女は楽しい事を見つけた子供のような表情を浮かべた。
「いかがします?」
「愚問」
少女はカイトに背を向けた。
「おい」
カイトが少女の背中に声をかける。
「安心しろ。ここにいる間は手伝ってやる」
フリスが振り向いてそう言った。それを聞いてカイトは安堵の溜息をついた。
カイトは役目を終えてフラフラと夜の街を歩く。酒場に行くか、もう寝るかどちらかしかないのだが。手が冷えるのでコートのポケットに手を入れた。
ふと前を見ると街の噴水が見えた。夜の噴水は綺麗でカップルがよく集まる。今も数組のカップルが体を寄せ合っていた。温かそうだ。
「冷えるな」
カイトは独語した。
独語した瞬間にとても虚しくなった。一緒にいたい人はいる。だがその女性は遠かった。カイトは情報屋としての仕事を長く続け過ぎた。もう裏の社会でしか生きられない。表の世界で生きる方法が分からない。ここで幸せそうにしているカップルのようにはなれない。それがとても悲しい。
「本当に冷えるな」
もう一度独語していた。その時に背後から誰かに抱きつかれた。甘い石鹸の匂い。この香りは覚えている。忘れる訳はない。
「これで大丈夫ですか?」
エレナはカイトを温める。
「ああ。温かい」
カイトはぽつりとつぶやいた。本当に温かい。冷えた心が温まる。ずっと会いたかった女性。でも、会いに行けなかった。
「最近、カイト君教会に来ないですよね」
エレナは少し寂しそうだ。
「ああ。忙しくて」
カイトはごまかした。
「……嘘ですね。半分は本当でしょうけど」
エレナが背中でクスリと笑った。
「……敵わないな。俺は裏社会で生き過ぎた。だから会わす顔がないんだよ」
カイトが自嘲の笑みを浮かべた。
「そんな事ですか。気にしないで会いに来てください。教会は誰でも受け入れます」
エレナは優しく諭す。
「……分かってないよ。エレナに会わす顔がないんだ」
そう言った時にエレナはカイトを解放した。そして、カイトの正面に立った。エレナの視線とカイトの視線がぶつかる。少し大人びたエレナがそこにいた。本当に久しぶりだと思う。自然と顔が赤くなる。
「どんな顔をしていてもいいのです」
エレナがカイトの頬に触れた。何も言えなかった。
「私が疲れたカイト君を癒しますよ」
最高の笑顔をエレナが向ける。それは誰にでも向ける最高の笑顔。皆を癒す天使の笑顔。カイトはその笑顔を独占したいと思った。でも、それは許されない。エレナはずっと修道女でいるだろうから。
「なら……また会いに行くよ」
精一杯それだけを返した。それを聞いてエレナが頷いた。
「待ってます。もう温まりましたか?」
エレナがカイトのコートの裾を綺麗に折りたたむ。
「出来ました。カイト君は本当に寒がりですね」
エレナがニコリと笑った。
「だから違うって!」
カイトはその時だけは12歳の時に戻った。
夜黙々とテントを組み立てる。数は二つ。
「私だけは別だね。何だかつまらない」
ローラが頬を膨らませてつぶやいた。
「さすがに男女で同じテントはないだろう。兄妹ならあるかもしれないけど」
ジルファが組み立てながらつぶやいた。
「なら久しぶりにお兄ちゃんと寝ようかな」
ローラが笑顔を向ける。
「お……おい。それは昔の話だろう」
クリスが慌てる。この年齢で一緒に寝るのはいけない気がする。
「つまらないなー。別にジルファとなら一緒でもいいのに」
ローラがさらりと言った。
「ほう。お前達一緒に寝た事があるのか?」
低いクリスの声が響いた。
「な……ないよ」
ジルファが首を振る。
「えー、一緒に出かけてテントが一つしかなく……むが……」
途中まで言いかけたローラの口をジルファが塞ぐ。
「いい機会だ。ジルファ、ゆっくり話そう」
クリスは組み立て終えたテントにジルファを強制連行した。
「つまんないなー」
ローラは頬を膨らませた。
クリス邸。今はツバキとカスミしかおらず時刻ももう遅い。静かになった食卓でツバキは西国のお酒を飲んでいた。今は明かりを燈していない。月明かりだけを頼りに杯に少量をついで飲む。今日はクリスがいないから退屈なのだ。
「お……お母さん」
その時にカスミの声がした。
「どうしたのですか?」
ツバキが首を傾げた。全部一人でできるように教えた。何も困らないと思ったので疑問に思ってしまった。この時間は本を読んでいる事が多い。だから邪魔はしないようにしていた。
「な……なんでもないの」
「そうですか?」
ツバキはさらに分からないという顔をした。見るとカスミの顔が赤い。熱でもあるのだろうか。心配になりカスミの近くによる。そして、額に触れた。少し熱い。
「熱はないよ。ただ……」
「ただ?」
優しくツバキが質問した。カスミがツバキに抱きついた。
「……寂しい」
やっと言葉に出来た。その時にツバキは衝撃を受けた。このしっかりした子から寂しいなんて言葉が出るとは。そんな素振りは全く見せなかった。
「そうですか」
ツバキが優しく撫でる。
「お母さんはお父さんが大切なのは分かる。だから我慢してた。でも……今日は……」
「何も言わなくていいですよ。分かりましたから」
ツバキは娘を撫で続けた。
「一緒に寝てもいい?」
カスミは涙を溜めてお願いした。
「はい。私も今日は寂しいですから」
ツバキはお酒を片付けてから娘と一緒にベッドに潜り込んだ。
クリスとジルファはテントの中に入った。ジルファは緊張をしていた。
「先ほどのは冗談だ。気にするな」
笑顔を向けてクリスがつぶやく。
「冗談には見えなかったけど」
ジルファは変な汗をかいていた。
「まあ気にするな。人の恋路の邪魔はしない」
それだけを言ってクリスは毛布に包まる。
「ち……違う」
ジルファは慌てて訂正した。
「そうか。それは失礼をした。だがローラは悪い人間ではないぞ」
クリスがジルファを見た。
「分かってる。あいつの優しさは嫌味がない。裏もない」
ジルファがゆっくりと語りだす。その言葉をゆっくりと聞く。
「だから俺みたいなひねくれた人間にはもったいない」
そう言ってジルファも毛布に包まった。
「もったいないか……それは関係ない。ジルファ……お前が大切に想えるかどうかが大切だ」
それだけを言ってクリスは瞳を閉じた。
「……大切に想えるかどうかか……俺は……そんな事は分からないよ」
ジルファはそれだけをつぶやいて瞳を閉じた。
ローラは一人で焚き火に当たっていた。見張りの時間である。
「…………」
無言で焚き火を見つめる。その時にカナデの花が視界に入った。カナデの花が揺れる。綺麗な音が鳴る。この音を聴くとシラヌイを思い出す。命を懸けて戦ったシラヌイ。自分にも同じ力が備わっている。でも、大きく違うと思った。
「私は……自分の幸せを求めている」
そう独語した瞬間にシラヌイに申し訳がない気がした。だが幸せそうなツバキを見ていると短い命なのかもしれないが、幸せを掴みたいと思う。相手はジルファなのかどうかは分からない。ローラはジルファが心配なのだ。どうにかしてジルファに前を向いてほしい。そう思う。それが恋心なのかどうかは分からなかった。
「なれるかな……お姉ちゃんみたいに」
そうつぶやく声は弱々しかった。代行者シラヌイ。二つの派閥を纏める引き金を引いた人物。7年前の戦いでは浄化の光を戦場に届け、今もなおあの戦場を癒している代行者。その力を受け継ぐ者。
「重いよ……お姉ちゃん」
ローラはもう一度弱々しくつぶやいた。
深夜1時。テントが開いた。そこからクリスが顔を出した。
「交代だ」
クリスが短く言った。
「うん」
ローラが短く言ってテントに戻る。
「お休み」
クリスが微笑んだ。ローラが一度頷いた。
毛布に包まって瞳を閉じる。すぐに眠る事ができた。
夢の中なのかどうかは分からない。ローラは真っ白な空間に浮いていた。そこには懐かしい人物がいた。
「久しぶり」
黒いローブを纏ったシラヌイが笑った。
「お姉ちゃん」
歓喜の声をローラが上げた。
「あまり時間がないんだ……簡単に言うぞ」
抱きついてくるローラを撫でながらシラヌイがつぶやく。
「何?」
ローラが一度離れる。
「お前は私ではない。だからお前が思うように生きろ。私はどんな道を歩んでも気にしない」
「でも……!」
シラヌイの優しい言葉にローラが反発する。
「お前は幸せになれ。戦う事しかできなかった……私の代りに」
それだけを言ってシラヌイが消えた。残ったのは光。その光を懸命に集めようとする。だが手からこぼれる。
「お姉ちゃん……分からないよ」
ローラは弱々しくつぶやいた。
早朝。壮年の騎士は馬に乗って平坦な道を駆ける。そろそろ目的の一団に接触する。馬から降りて意識を集中する。
「さて……まずはお手並みを見せてもらおう」
男は低くつぶやく。敵の力を把握してから本格的に動く。ブレイズのようにただ目的だけを見て失敗するわけにはいかない。
「いけ……我が同胞よ」
男の声に応じて異界の門が開く。そこから現れるのは一体は鱗を纏った獅子、もう一体は2M以上はある黒竜だ。獅子は平坦な道を走り、黒竜は巨大な翼を伸ばしてから空を舞う。空中に円を描いてから城塞都市ザイフォスに向けて飛んでいった。それを見て騎士の男がゆっくりと歩いていく。
耳をつんざくような声が上空から聞こえる。ローラは飛び起きてローブを羽織ながらテントから出る。
「何!」
ローラが上空を見る。そこには巨大な黒竜。ローラ達を無視してザイフォスに向かう。遅れてクリスとジルファがテントから出てきた。
「あれは……狙いはザイフォスか!」
クリスが拳銃を取り出すがとても届く距離ではない。舌打ちをしてホルダーに戻す。
「戻るか?」
ジルファがクリスに確認する。クリスは一度瞳を閉じた。
「行こう。あの獣を出した者がいるはず」
ローラが口を開く。それを聞いてクリスは瞳を開いた。
「あの獣に通常の武器は効かない。7年前の戦いでは殺す事もできた。だが今では浄化の力を使わなければ止めはさせない」
そこで一度言葉を切る。つまりザイフォスに代行者がいなければ倒せないという事だ。
「ザイフォスにはゼファーさんとお姉ちゃんがいる」
ローラが口を開いた。
「それに司祭とエレナがいるか」
クリスが再度思考する。近年、製作された一般の武器に浄化の力を宿す水。それを使えば一般の者でも獣を倒す事ができる。教会が管理している事もあり、聖水と名前がついた。それとは別に異界の門を一般の者が開く事ができる黒い水を東国の騎士達が開発した。それを不浄の水と呼んでいる。
「迷ってる時間はない」
ジルファが馬に向けて歩く。その後をローラが続く。
「最後の手段もあるか」
それだけを言ってクリスは二人の後を追った。
黒竜がザイフォス上空を飛ぶ。
「ほう……私の上を飛ぶとはな」
真っ白な少女は城門の上でランスを構える。隣でフリスも黒竜を睨む。
「矢を構えて下さい!」
歩兵隊がボウガンに矢を装填する。
「矢の無駄だ……私の上を飛んだ罰だ。貴様らにサービスをしてやる」
少女が不敵に笑う。それを合図にランスの雨が振った。ランスが獣の胴に刺さる。だが鱗が邪魔をして致命傷にはならない。だが翼には分厚い鱗はなく黒竜が力を失う。
耳をつんざく叫びを上げて黒竜が城壁に突撃してくる。
「行きます」
赤い鎧を着たキュリアは聖水をかけてから槍を構える。タイミングを見て飛ぶ。城壁にぶつかりそうな黒竜の頭上に飛ぶ。
「りゃあぁーーーーー!」
槍を真下に向けて突く。黒竜の鱗をぶち破る。黒竜は力を失って城壁にぶつかった。キュリアはそれを見てから黒竜の頭上から飛ぶ。城壁を滑って勢いを殺す。途中で白い馬が見えた。
「キュリア!」
スレインが叫ぶ。キュリアはスレインに向けて飛ぶ。スレインが何とかキュリアを受け止める。
「ありがとうございます」
キュリアが綺麗な笑顔を浮かべて礼をする。スレインは真っ直ぐに前を見て馬を走らせる。
「フリス、落としたぞ」
少女は役目を終えたと言わんばかりに落ちた黒竜を見下ろす。
「ここからは私が」
再度飛び立とうとする黒竜の翼目掛けてフリスが飛ぶ。落下の勢いも合わさって翼を両断。黒竜が苦しそうに叫ぶ。
刹那、黒竜がフリスを睨む。フリスを噛み砕くために口を開ける。
「下がれ」
ガイウスが大楯を構える。その大楯を黒竜にかませる。自身は大剣に聖水をかけてから振り下ろす。大剣が黒竜の頭部を直撃。
だがこの程度では倒せない。黒竜は一度暴れてから立ち上がり、城壁を殴りつける。城壁の上にいた騎士が落下する。
「くっ……これ以上は!」
ガイウスが大剣を構える。だが聖水を浴びていない大剣は黒竜の鱗に弾かれる。その隙をついて黒竜は尻尾を振り下ろすが、ガイウスは何とか大剣で防いだ。
「無理だ。下がれ」
フリスはガイウスの前に立つ。振り下ろされる尻尾に一太刀。だが弾く事しかできない。黒竜は翼を斬られた恨みを晴らすために太い腕をフリスに向けて振り下ろす。
「ちっ……」
尻尾を弾くだけで精一杯だったのだ、腕は防げない。相手の動きを見切って何とか回避。だがすぐに2撃目が振り下ろされる。
「助けるぞ」
それを見てスレインが馬を走らせる。キュリアが後ろで頷く。スレインは聖水をつけた槍を投擲。それが黒竜の腕を貫く。黒竜が動きを鈍らせた一瞬でキュリアが合図。
「歩兵隊、矢を!」
その叫びを聞いて歩兵隊が浄化の矢を放つ。黒竜の全身を矢が貫く。黒竜の咆哮が響く。
「異界に帰れ」
真っ白な少女が飛ぶ。獣が真っ白な少女を睨む。その瞳を平然と受け止める。ランスが黒竜を貫いた。
二頭の馬が走る。
「前!」
ローラが叫ぶ。それと同時に馬から飛ぶ。クリスも馬を止めた。
「我が命を代償に捧げ……」
空中で大鎌を掴む。
「意志を貫く力を!」
大鎌を掴んで着地。それと同時に意識を集中する。真っ白な雪が積もった雪原。何の障害物もない雪原を獅子が猛然と駆ける。前方には鱗が集中している。大抵の攻撃は弾くだろう。
「クリスはローラを!」
ジルファは真っ直ぐに獅子に向かって駆ける。クリスはローラの前に立ってキャノン砲を構える。
「クロちゃん、ミクちゃん……側面から!」
ローラが瞳を開く。それと同時に二体の黒竜が左右から噛み付く。鱗が破壊される。だが二体の黒竜を強引に吹き飛ばして獅子が突撃する。
「これなら」
クリスは鱗が剥がれた部分を正確に狙う。狙いを違わず直撃。力を失い獣が地面に倒れた。
「止めだ!」
ジルファの騎士剣が浄化の光に照らされる。獅子の頭部を浄化の剣が切り裂いた。それと同時に獅子は光に変わった。
「まだ……来るか」
ジルファは油断をせずに辺りを警戒する。刹那、東国の騎士がジルファに向けて駆けてきた。ジルファはそれを確かに見た。油断もしていない。だが分かっていても対応できる速さではなかった。なんとか半歩下がるのがやっとだった。
「ジルファ!」
ローラが高速で戦場を駆ける。ギリギリでジルファの前に立つ。大鎌が敵の騎士剣を受け止める。
「ほう。この速さに追いつくか。さずがは……シラヌイ」
壮年の騎士は感嘆の表情を浮かべた。だがどこかで人を見下した目だった。
「だがお前は先代にも、先々代にも及ばん」
騎士はローラの左隣に高速で移動。そのままローラを切り裂いた。
「え……?」
ローラは意味が分からなかった。シラヌイから受け継いだ速さはどの代行者よりも速いはずだ。それが追いつけていない。
「クロちゃん!」
騎士の2撃目を黒竜で防ぐ。だが3撃目は追いつけない。
「ローラ!」
クリスが白銀のハンドガンを持って駆ける。ローラを狙う剣を弾く。ジルファも加勢する。ジルファの剣が剣を振り下ろす。だが騎士は余裕で回避。クリスは着地の隙を狙うが致命傷にはいたらない。
「う……ぐ……ミクちゃん」
苦しそうに黒竜を呼ぶ。だが黒竜は攻撃しない。ローラを守る盾となる。
「……駄目だよ。私はいい。戦って」
ローラは霞む視界で敵を見る。その瞬間に敵の騎士が一気に距離を詰めた。黒竜が剣を受け止める。剣が黒竜に突き刺さる。鮮血が舞った。その鮮血がローラの頬につく。ローラの判断が間違っていた。身を守ってくれなかったら死んでいた。
「お前は……便利な力に頼りすぎだ。だから弱い」
それだけを騎士が言った所でクリスが接近。ハンドガンで男の剣を弾く。次の瞬間には銃を乱射。それを男は全て叩き落す。
刹那、男の姿が消える。ジルファは嫌な予感がした。失う予感。これは自分が家族を失った日に感じた恐怖。自然に体が動いた。気づいた時にはローラを庇っていた。振り下ろされる剣を体で受け止めて、ジルファは渾身の力で突きを放つ。それは正確に男を貫いた。濃い霧が溢れる。
「ぐっ……まさか小僧がここまでやるとはな」
男は一度後ろに飛ぶ。クリスが銃で追撃する。数発、当たったが霧を出すだけで意味がなかった。男はそのまま姿を消した。
「ジルファ、ミクちゃん!」
ローラは自分の傷を無視して、ジルファとミクの怪我を確認する。黒竜は異界の門に戻る。親であるクロが傷を確認する。一度短く鳴いた。大丈夫らしい。次にジルファを確認する。
「大丈夫だ。命に別状はない。応急処置だけはする」
クリスが手際よく止血してから包帯を巻く。それから馬に乗せた。ローラは不安な表情を隠す事ができなかった。
ザイフォス王城。
イリアは自室で立ち上がる。7年前と比べて女性らしく成長した姿は街の男が息を呑むくらいに美しい。綺麗な金髪は腰まで伸ばされ、体に密着した法衣は細い体のラインを際立たせる。それでいて街の住民には常に笑顔を向ける嫌味のない女性。それでいて7年前の戦いでこの国を救った英雄。本来はシラヌイとローラの功績だが、この国をまとめるために住民にはイリアが倒した事になっている。教会組織「エーデルワイス」もそれは承知していた。
イリアの部屋は、女王に与えられた部屋だけあり、その広さはとてつもない。人が三人は楽にいられるスペース。そのスペースに鏡台、二人は楽に眠れるベッド、机がある。そして一番目を引くのが巨大な本棚。数百冊はあるだろう。その中身を見ると寒気がする。経済学、政治学、戦術の本等、知識を得るのに必要な本ばかりだ。賢王だと言われるにはこれだけの勉学が必要なのだろう。
イリアは歩いて窓の外を見る。眩しい浄化の光。何とか撃退したのだろう。
「……あのような異形の獣の侵攻が続けばいつかはもたない時が来ますね」
憂いの表情で外を見る。自分は女王。どんな困難にも挑まねばならない。命を削って戦った代行者のように。
「もう一度……戦場に立つ日が来るのでしょうね」
イリアは自らの手を見た。しばらく槍を握っていない。こんな錆付いた腕でどこまで出来るだろうかと思う。だがやらなければならない。決意を込めてイリアは拳を握った。
カイトは城門付近にある岩を退ける。黒竜が体当たりをして破壊した物だ。
カイトは動きやすいウェアを着ている。ロングコートは着ていない。この寒さだがこれだけ動けば汗も出る。コートはさすがに着ていられない。本来は騎士の仕事だが騎士は負傷した者もいる。動ける者でなんとかしなければいけない。
「お疲れ様です」
エレナがにこやかに笑ってタオルを差し出す。それをカイトが受け取る。
「ありがとう」
カイトは顔を赤くして礼を言った。あれからエレナがよくカイトに話しかけて世話を焼いてくれるようになった。もともといらない事もする人だが、あれからはよく気にかけてくれる。それが素直に嬉しかった。
「俺にはないのかい?」
同じようにウェア姿のグレイスが笑った。彼もかなり汗をかいている。7年前の戦いからグレイスは戦場から身を引いている。負傷した騎士を運んだり、瓦礫を撤去したりなど裏方に徹する事が多い。能力の限界もあるが、英雄になりたくないのだろう。
「はい」
エレナが最高の笑顔でタオルを渡す。グレイスが焦る。
「おっと……エレナちゃんには通用しないんだった。でも、修道女だから関係ないと」
グレイスがタオルで汗を拭く。グレイスは相変わらずだ。女性を遠ざけるために軽い男でいる。もう30歳になるが女を連れて歩いている所を見た事がない。
「私は修道女ですから。グレイスさんの恋愛対象にはなりません。それに全ての人に等しく救いを与えるのが教会の者の務めです」
エレナは天に向かって祈る。
「まるで天使だねー」
グレイスが感嘆の声を出した。カイトはエレナの言葉を聞いて胸が痛む。
「あちらのを運ぶよ」
カイトは逃げるようにその場を去った。その背中をエレナが悲しく見た。
「私は……カイト君に嫌われることを何かしたのでしょうか……」
遠くに行くカイトの背中が何だか悲しげだった。
「エレナちゃんは悪くないよ……悪くないんだ」
グレイスは一度顔を落としてつぶやいた。
カイトはある程度距離を取ってから瓦礫を持ち上げる。その隣の瓦礫を持ち上げる青年。フリスだ。長い髪の間から鋭い眼光がカイトを見た。
「修道女かなんだか知らんが……さっさと奪えばいいものを」
フリスが瓦礫を運びながらつぶやく。カイトは危うく瓦礫を落とす所だった。
「出来たらしている。だが……俺は彼女のしたい事を……それに俺に好意があるのかどうか分からない」
カイトは全てを話してしまった。
「ふん。はっきりしろ。彼女をただ想うだけにするのか……それか伝えるか」
それだけを言ってフリスは離れていく。
「フリス……お前は?」
フリスの背中に問う。彼があの真っ白な少女に抱く想いは特別だ。
「俺はあの方と共に一生を生きる。そしてお守りする……それだけだ」
フリスはそれだけを言って去っていった。その背中は自信に満ちていた。カイトはとても悔しかった。
ローラは慎重に馬を走らせる。ローラにもたれるようにジルファが寄りかかる。時折苦しそうに呻く。
「もうすぐだ」
ローラの前をクリスが警戒しながら馬を走らせる。ローラは焦る気持ちを抑えて続く。
「分かった」
ローラは短く返事をする。その時にジルファが動く。気づいたのだ。馬に乗ってからずっと意識がなかった。今はローラの柔らかさと温かさが伝わってきた。この温かさがジルファを少しだけ素直にさせた。
「う……すまないな」
ジルファが弱々しくつぶやいた。
「いいよ。守ってくれたから。もう少し我慢してね」
ローラが優しくつぶやいた。
「守れてよかった。俺の……大切な人」
ジルファはそこまでを言って言葉を切った。
「え……大切な人?」
ローラが確認する。
「な……仲間としてだ!」
ジルファが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「うん!」
ローラが笑顔でつぶやいた。ジルファはローラが嬉しそうなので、一度口を閉じた。
「そうかー、大切な人か」
弾んだローラの声。
「だから一緒の教会組織として」
ジルファが訂正。
「大切な人……いい響きだねー。私もジルファは大切だよ」
ローラが前を向いてつぶやいた。
「え?」
「ジルファは家族みたいなものだから。だから大切なの」
ローラが微笑んでつぶやいた。その言葉を聞いたジルファの胸の中はどんよりと重かった。
黒い霧が東国の騎士の傷を塞ぐ。
「まさかここまでの傷を受けるとはな」
男が笑う。その時に背後に気配を感じた。
「……」
背後に立った男は何も言わない。
「相変わらず無口だな、フリッツ」
男が振り向いて顔を見る。フリッツと呼ばれた同じ東国の鎧を纏った男。歳は20代前半。眩しい銀髪を腰まで伸ばした長身の青年で必要な事くらいしか口にしない。
「俺が行こう」
フリッツがつぶやく。フリッツの体を黒い霧が覆う。
「いいだろう。一人は消せ」
男が短く指示をする。
「ああ。グレイル、お前の番はないだろう」
フリッツはそれだけを言って消えた。グレイルは仲間の姿を見送る。これで終わるならそれでよし。凌ぐなら自ら行くまでのこと、グレイルはそう心でつぶやいた。
ローラはザイフォスの教会まで馬を進めた。その瞬間に懐かしさがこみ上げてきた。7年前はここにいた。今は離れている。どうしても思い出すから。
「後は大丈夫だ」
ジルファが馬から降りる。ふらつきながらも自分で歩く。
「無理しないの」
ローラがジルファに肩を貸す。ジルファは仕方なく肩を借りる。その姿を見てクリスは馬を自宅に向ける。エレナに任せれば問題ないだろう。
「寄っていきなさい」
その背中に声が届いた。クリスが振り向く。そこには司祭が立っていた。本名は知らない。前は神父と呼んでいた男だ。まるで歳をとった感じがせずに見た目は同じ。気にはなるが聞かない事にしている。
「構わない。ツバキが待ってる」
クリスは微笑んでそう言った。
「ごちそうさまでした。ジルファはこちらで見ます。ローラの手当てもしておきます」
司祭が手を振った。クリスは片手を上げて応じた。
クリスは馬を走らせて街の馬小屋に預ける。そのまま自宅に足を向ける。家族4人が住むには少し狭い家。でも、クリスはここが気に入っている。
ドアに手をかけた時にドアが開いた。そこには着物を着たツバキがいた。本を読んでいたのだろうか赤渕の眼鏡をしていた。ツバキの代償は五感だ。今は目があまり見えないらしく眼鏡をかけている事もある。日常生活は何とかできるレベルである。
「おかえりなさい」
ツバキが笑顔を向ける。ツバキの後ろからカスミが顔を出す。
「ただいま」
クリスが屈んでカスミを撫でる。カスミは嬉しそうにした。
「ますは入って下さい。それと……あとで私も撫でて下さいね」
クリスが家に入った瞬間にツバキが抱擁した。
「また始まった」
カスミは溜息をついた。だがカスミの顔は穏やかだった。ツバキに甘えられたのがよかったのだろう。それにクリスが撫でてくれたのが素直に嬉しかった。
ジルファは生唾を飲んだ。今はベッドの上に寝かされている。
「行きますよ」
司祭が針を手に持っている。
「はい」
ローラが抑える。司祭の針がゆっくりと迫る。ジルファが目を閉じる。傷を治すために縫うらしい。想像するだけで寒気がする。叫び声を何とか抑えてジルファは堪えた。地獄のような時間が続いた。
数時間後。ジルファは瞳を開けた。体が重い。熱でも出たかと思ったが違った。
「ローラか」
ジルファに覆いかぶさるようにローラが寝ている。時刻は夕刻。看病をしているうちに寝てしまったらしい。そういう所は可愛いと思った。また守れなかった。それが悔しい。
「次は守るから」
ジルファがローラの栗色の髪を撫でる。
「はい」
ローラは顔を上げる。綺麗に微笑んだ。忘れていたローラは寝起きがとてもいい。少し揺らせばすぐに起きる。恥ずかしい言葉を聞かれてしまった。
「弱いままではいけない。俺は強くなる」
ジルファが表情を引き締めて宣言した。
「私も……お姉ちゃんに追いつく」
ローラも表情を引き締めた。
「一緒に……強くなろう」
ジルファはローラに手を向ける。
「はい」
ローラはその手を両手で包んだ。
早朝。ザイフォス教会隣の広場。よくシラヌイが特訓をしていた広場だ。
「懐かしいな」
クリスは銃を構えてそうつぶやいた。拳銃に模擬弾を込める。目の前にはナイフを握ったローラ、騎士剣を構えるジルファがいる。
「二体一でいいのか?」
ジルファがクリスに確認。クリスは溜息をついた。
「……実力の差を教えてやる……こい」
クリスが銃を構える。ローラはホルダーから投げナイフを掴む。
「ジルファ……行くよ!」
ローラはジルファを一度見てからナイフを投げる。クリスはそのナイフを模擬弾で撃ち落す。その隙をついてジルファが駆ける。
「これで!」
ジルファが剣を振り下ろす。それをクリスが拳銃で受け止める。
「この程度なら」
冷静なクリスの声が響く。ジルファが慌てて離れる。だが遅い。クリスの蹴りがジルファに直撃した。
「ジルファ!」
ローラは投げナイフを投擲。それを両手に握る銃で撃ち落す。そのまま接近。
「くっ……」
ローラが接近戦用の分厚いナイフを右腰から抜く。クリスの勢いは止まらない。ジルファが起き上がる時にはローラに接近している。
クリスが左手に握る銃を放つ。弾を投げナイフが弾く。それと同時にローラが接近戦用のナイフを構える。接近戦。先代、先々代が一番得意だった間合い。クリスが一番嫌がる間合い。ローラの頬に汗が流れる。クリスは銃を放たなかった。右手に握る銃を振り下ろす。狙いは右肩。
「これなら」
ローラが後ろに飛ぶ。
「やはりな」
クリスは左手に握る銃を構えた。ローラがナイフを投げるよりも速く弾が射出される。ローラの胴に当たる。
「つっ……!」
模擬弾を受けてローラが呻く。
「ローラ!」
ジルファが駆ける。その動きに合わせてクリスが銃を乱射。ジルファの足を腕を正確に撃ち抜く。ジルファはその反動で倒れた。
「ここまで」
特訓の様子を見ていた司祭が手を叩く。ローラとジルファは悔しそうに武器を収めた。
「ローラ、なぜ下がった?」
クリスも銃を収めながら質問する。
「クロちゃんとミクちゃんを活かすには下がる方がいい」
ローラが説明した。ローラの武器は黒竜だ。あの二体はとんでもない破壊力がある。だが呼び出している間は速さを失う。
「先代のシラヌイは大鎌を使った戦いを得意としていた。決め手はクローディアだったのは確かだが」
クリスは7年前を思いだす。あの速さを思い出す。あの時のクリスには別次元の速さだった。だが今のローラは明らかに遅い。黒竜に頼りすぎだ。
「お姉ちゃんの戦い方……」
ローラが独語した。先ほどの戦闘を思い出す。便利な力に頼りすぎている。それは黒竜の事だろう。
「私の速さを武器にする」
それだけをつぶやく。それがシラヌイの戦い方。
「次はジルファ」
クリスがジルファを見る。
「何が問題なんだ」
ジルファはクリスの言葉を待つ。真剣だった。強くなりたいのだろう。クリスは自然と微笑んでしまった。
「お前は技を磨け。それと実戦ではいつでも第五段階が使えるようにしろ」
クリスが短く指示。敵に向かって行く姿勢は悪くない。後は技と、能力の向上だけでいいだろう。
「技……俺の武器は騎士剣だ。それなら……」
ジルファはそれだけをつぶやいて駆け出した。クリスはその背中を見送った。
「うーん。青春ですね」
司祭がのんびりとつぶやいた。
騎士団長室。シュレインは伸ばしている髭に触れて思案する。先日の黒竜の襲撃の事で悩んでいるのだ。最近渋くなってきた顔をさらにしかめる。
「やはり一人は代行者を置いておかねば苦しいか」
報告書を見ながらつぶやく。戦闘で活躍したのはあの真っ白な少女とフリスだ。他は聖水がなければ致命傷を与えられない。戦える人材を置いておきたいとシュレインは思った。
考えている最中に部屋がノックされた。
「どうぞ」
シュレインは書類を見ながらつぶやく。
「入るぞ」
部屋に入ってきたのはヴォルフである。40代に入り、さらに渋さを増した表情、そして整えられた髭がよく似合う男性だった。
「ヴォルフ殿か、どうされた?」
シュレインは書類から目を離す。ヴォルフは一つの報告書を手渡す。
「これは……結構な額だな」
シュレインはつぶやいた。城門の修繕費用だ。直さない訳にはいかないが資金がかなり必要だ。
「限られた資金のやりくりは騎士団長様に任せる」
ヴォルフは微笑んだ。この男ほどの実力があれば資金のやり繰りぐらいは簡単だろう。だがそこまでは首を突っ込まない。街に被害が出れば率先して動くのだが。
「可能な限り努力しよう」
シュレインは微笑んでそれだけを言った。ヴォルフは片手を上げて部屋を去ろうとする。シュレインは再度書類に目を通した。ヴァルフが部屋のドアノブを掴んだと同時にドアがノックされた。
「おっと」
ヴォルフは開けようとした時にノックされたのに、少し驚いたらしい。相手のためにドアを開ける。そこに立っていた人物を見てさらに驚いた。ジルファだ。
「……!……」
ジルファもかなり驚いたようだった。
「失礼する」
ヴォルフはそれだけを言って隣を通過する。
「何であんたが」
ジルファは前を見たまま質問する。
「仕事だ。もういいか?」
ヴォルフはそれだけを言った。
「そうか」
ジルファは無視をして部屋に入る。
「いや……お前はどうしてここに?」
ヴォルフが振り返る。
「どうだっていいだろう。あんたには関係ない」
ジルファは怒りを含んだ言葉を返す。
「いいだろう。教えるくらい」
ヴォルフは悲しそうに微笑んだ。こういう表情をするから分からなくなる。捨てたくせに、どうでもいいという素振りをするのに、たまに悲しそうな顔をする。
「剣を教えてもらおうと思ったんだ」
それだけを言った。素直に答えてしまう自分もどうかしていると思う。
「剣を?」
シュレインが確認する。部屋の主を無視して話を進められても困るので会話に入る。
「はい。どうか教えてください」
ジルファが頭を下げる。ヴォルフはその姿を見て安心した。多少ひねくれているが真っ直ぐに育ったようだ。
「無理だな」
シュレインは即答した。
「やはり忙しいのですか?」
ジルファは悔しそうな顔をしていた。
「シュレイン殿は槍と剣を扱う。だが剣を使うにしても突く事が多い。お前の戦い方とは違う」
ヴォルフが説明した。
「その通りだ。俺は突き専門だ。スレインはランス、キュリアも槍だ。ガイウスは大剣だ。剣をまともに使えたのはサキアと……マーリメイアくらいだ」
シュレインが補足した。素人に教えるくらいはできる。だが常に戦っている代行者に教えられる者はいない。
「サキア殿ですか」
ジルファは悩んだ。
「彼女は引退して長い」
ヴォルフが追い討ちをかける。
「そうだ! ヴォルフ殿なら適任では?」
シュレインが名案を思いついた顔をしている。分かって言っている。
「なっ……」
ジルファは驚愕の表情を浮かべる。
「……シュレイン殿」
ヴォルフが溜息をついた。
「腕だけを見れば何の問題もない。それに相手を選ぶような人間が強くなれるとは思えない」
シュレインがジルファの瞳を見た。ジルファの瞳が揺れる。だがすぐに真剣な瞳をシュレインに返す。
「ヴォルフ殿、お……教えてください」
ジルファが頭を下げた。
「ふー、仕方ない。お前には必要なものは全て与えたつもりだった。生活に困らないように信用ある貴族の下に送った。教育も受けさせた。ただ自らの命を守るほどに強くはしていなかった。それは私の責任だ。いいだろう……こい」
ヴォルフは短くつぶやいた。ジルファが続く。
「どうなるやら」
シュレインはつぶやいてから書類に目を通した。
ローラは街の商店街を歩いていた。クリスに言われた事が頭から離れない。
「お姉ちゃんの戦い方か……」
ローラは独語した。私にできるのだろうか。
「ローラちゃん!」
キュリアの声が響いた。ローラが振り向く。商店街のとあるパン屋で子供達がキュリアに群がっている。その数は10人。そして、その隣ではガイウスが立っていた。
「……」
ガイウスは無言で立っていた。もともと無口で堅物な男である。無所気な子供達には今も慣れないらしい。
「お姉ちゃん、いつ結婚するの?」
小さな女の子がキュリアに質問する。
「うーん。隣の人次第かな」
キュリアがガイウスを見た。ガイウスは一度咳払いをした。
「おっさん、さっさとプロポーズしろよ。俺がもらっちまうぞ」
少年がキュリアに抱きついた。
「おー、トメル君が大きくなったらもらってくれるんだね。でも、その時にはいい歳だよ」
キュリアが少年に笑いかける。少年が顔を赤らめる。
「何歳でもいいんだ、お姉ちゃんなら」
もじもじと少年がつぶやく。
「駄目だよ。トメル君は私と一緒なの」
キュリアに質問した少女がトメルをキュリアから離そうとする。
「モテモテだね」
ローラが微笑んだ。
「お、ローラだ」
少年の興味がローラに移る。他の少年、少女もローラを見た。
「こんにちは」
ローラがにこりと笑って歩み寄る。キュリアと同じようにローラの周りにも少年と少女が集まる。
「……この二人……やはり似ているな」
ガイウスがぽつりとつぶやいた。
「ローラちゃんに手を出したら怒りますよ」
キュリアがにこりと笑った。ガイウスは背中に寒気を感じた。
「そういう意味では……雰囲気というのかな。だが……ローラ殿は戦う者ではない」
ガイウスがローラを見る。
「私もそう思う。あの子は私よりも戦いに向かない」
キュリアは悲しそうにローラを見た。命を削りながら戦う。とても普通の人間には無理だ。
「どうしたの?」
ローラが笑顔を向ける。無垢で柔らかい笑顔。
「ううん。なんでもない」
キュリアが笑った。
「そう。少し相談があるんだ」
ローラがぎこちなく笑ってそう言った。
「そうか。なら俺は行こう」
ガイウスが背を向ける。
「待って。ガイウスさんにも質問したい」
ローラが呼び止める。
「そうなんだ。トメル君、これを」
キュリアが銅貨を渡す。トメルはそれを受け取って皆にパンを買う。それを持って少年と少女が駆けて行った。
その背中をローラが見送る。そして、手を握る。
「守りたいよね。あの子達を」
ローラがつぶやく。
「そうだな。それが騎士の務めだ」
ガイウスも小さな背中を見送る。キュリアも頷く。
「……想いだけでは駄目なのかな……私はお姉ちゃんみたいになれない……」
ローラは顔を落とす。頬には涙が流れた。
「ローラはローラだよ」
キュリアがローラの肩を掴んだ。ローラが顔を上げる。瞳に大粒の涙を溜めた少女。そこに元気なローラはいなかった。
「代行者シラヌイ……7年前の戦いで常に皆の前で大鎌を振るった者。ただこの国を……教会を想って命を削った者。そこまでしたというのに歴史にその名を残していない人物。彼女の本名が教会組織についている事を知っている者は極僅かだと言うのだから悲しくなるな」
ガイウスは瞳を閉じてシラヌイという人物を思い出した。
「お姉ちゃんは強かった。私は同じ力を……ううん、それ以上の力を持っているのにまともに戦えない。どこかでクロちゃんとミクちゃんに頼ってしまう」
ローラは自らの手を見た。強くならなければならない。私は『シラヌイ』なのだから。
「ローラ、明日は城の訓練場に来て」
キュリアがローラの手を取った。ガイウスも頷く。
「どうするの?」
ローラは疑問のようだ。
「鍛えてあげる」
キュリアが笑った。
翌朝。とある貴族の庭。ここはヴォルフが訓練で使っているスペースだ。下は手入れされた芝生、辺りには何もない。ここなら自由に動ける。広さは平民の家が入りそうだ。
「無駄なスペース」
ジルファが溜息をついた。
「その無駄なスペースを使って訓練できるんだ。いいだろう?」
ヴォルフが笑顔を向けた。ジルファはヴォルフの笑顔を見た記憶がなかった。驚愕の表情がジルファの顔を満たす。
「呆けていると死ぬぞ」
ヴォルフが騎士剣を抜いて駆ける。ジルファは剣を抜いて応じる。
騎士剣が横薙ぎに迫る。ジルファはそれを受け止める。火花が散るのは一瞬。
「がっ……!」
ジルファは吹き飛ばされていた。芝生に倒れる。
「力で勝る相手の攻撃を受け止めるな」
ヴォルフが倒れているジルファに向けて剣を真っ直ぐに突き出す。
「なっ……」
ジルファは右に回転して避ける。
「死ぬだろうが!」
ジルファが叫んでいた。その時には芝生から剣を抜いたヴォルフが駆ける。その瞳を見て全身から汗が噴出した。殺気だらけ。
「ちくしょう!」
ジルファは立ち上がって剣を受け止める。
「そんな戦い方をしていると……死ぬぞ」
ヴォルフが再度吹き飛ばす。
「……受け止めては駄目だ。なら……」
ジルファが駆ける。速度を上げていく。
「ふん」
ヴォルフが剣を構える。それよりも速く下から剣を振り上げる。
「甘い」
下から振り上げられた剣を吹き飛ばす。ジルファの腕から騎士剣が飛んだ。後方に5歩下がった位置だ。
「ちっ……」
ジルファが下がる。その間に容赦なくヴォルフの剣が襲う。避けながらなんとか剣が刺さっている所まで来て引き抜く。
「速さだけは優秀だな」
ヴォルフが距離を詰める。本当に強い。だが速さでは勝てるらしい。後は一瞬の隙があれば。一つ深呼吸をする。
地面を踏み込む。ヴォルフの剣が頭上から襲う。
「あぁーーー!」
叫びながら渾身の力を込めて受け止める。
「少しは学べ……!」
ヴォルフが叫ぶ。渾身の力で吹き飛ばす。ジルファが地面に倒れる。起き上がろうとした時に首に剣が当てられた。
「どうすればいい……」
ジルファがヴォルフを見た。ヴォルフが睨む。
「敵に質問か……まあいい。その前にどうして強くなりたい」
ヴォルフが問う。
「守りたいんだ」
ジルファが簡潔に答えた。
「何を……この国か?」
「いいや……守りたい……大切な人がいるんだ。俺は守れなかった。だから強くなりたいんだ」
ジルファは必死で叫ぶ。
「自分を捨てた者に頭を下げてまでもか? プライドはないのか? 見返したいとも思わんか?」
ヴォルフが質問を繰り返す。
「そんなちっぽけなものを捨てるだけで守れるなら構わない」
「……そうか。立て、ジルファ」
ヴォルフが剣を離して数歩下がる。
(この子はもう大丈夫だ……ならば、父親としての最後の務めを果たそう)
ヴォルフが剣を構えて駆ける。ジルファも剣を構える。
「俺の剣をよく見ろ!」
ヴォルフが短く叫ぶ。ジルファが集中する。そして、受け止めようとする。
「受け流せ!」
叫んで振り下ろす。ジルファはその声に導かれるようにヴォルフの剣を受け流す。ヴォルフの胴ががら空きにある。ヴォルフの胴に剣が当たる前に止める。
「できた……」
ジルファがヴォルフを見た。
「力で敵わないのなら……受け流すか、避けるしかない」
ヴォルフが解説する。
「そうか。もう一度……頼む」
ジルファがヴォルフから離れる。
「いいだろう。次は避けてみろ」
そう言ったヴォルフの表情は穏やかだった。
城の訓練場。そこには槍を持った軽装姿のキュリア、重装備のガイウスがいた。その二人に対峙するようにローラとエレナが立つ。
「いつでもいいよ」
キュリアが槍を構える。ローラがナイフを構える。頬を緊張の汗が流れる。チラリと腰を見る。そこにナイフホルダーはない。ナイフ一本でキュリアの槍を越えなければならない。
「まずは見本を見せますね」
エレナが笑顔を見せてから駆ける。キュリアが槍を握る。
先手はリーチが長いキュリアの槍だ。高速の突きがエレナを襲う。
「はっ……!」
掛け声と共にキュリアの槍を上に弾く。キュリアは弾かれた勢いを足して右回りに一回転。槍を横薙ぎに振るう。
「さすがに……速いですね」
エレナは感心した。今にも槍が迫る。ローラは緊張した顔で槍を見る。あれは避けられない。受けたら無事ではすまない。
「……うそ……」
ローラはそうつぶやいていた。エレナは地面をスライディングして槍を避ける。
「予想範囲内」
キュリアの一回転が終わる。それと同時にエレナが立ち上がる。今はちょうど騎士剣の間合い。ナイフでは届かない。槍では柄で殴るしかない。キュリアは槍を放す。それと同時に半歩下がる。
「せい!」
エレナが接近してナイフを横薙ぎに振るう。それをキュリアの騎士剣が受け止める。それからは目を離す事ができなかった。ナイフの連続攻撃、それだけではなく時には蹴りも入っている。ローラはあの技を嫌というほどに見た。ローラを鍛えたのはエレナだからだ。
「本当に……修道女なの?」
キュリアが余裕の表情でエレナのナイフを捌く。
「ただのしがない修道女です。ここまでできますが……」
「決定打がない」
エレナのナイフに向けて騎士剣を振り下ろす。エレナが受け止める。その瞬間にナイフに亀裂が入る。エレナは落ち着いた表情で離れる。
「ナイフがもたないですね。見本としてはこんな所ですかね」
エレナがローラに笑いかける。これをやれというのか。大鎌を握っていればできるが。
「大丈夫だよ。訓練の相手は私だよ」
キュリアが笑う。キュリアなら大丈夫だとローラは思った。
「殺さないから安心してね」
キュリアがいつもの笑顔を見せる。ローラはキュリアの笑顔が一週間ほど苦手になった。
クリスは自宅のテーブルでコーヒーを飲みながら情報誌を読む。目の前にはツバキが座っていた。楽しそうにクリスの様子を見ている。
「どうした?」
クリスが気になって質問する。
「かっこいいなと思って見つめていました」
ツバキが笑顔でつぶやく。
「変わらないな」
クリスが苦笑した。
「変わりませんよ。ずっと……あなたが私を忘れてしまってもずっと側にいます」
ツバキがクリスの頬に触れる。ゆっくり近づいて口付けをした。
「あのー私いるんだけど」
カスミが溜息をついた。娘の前でよくここまで出来るものだ。素直に驚いてしまう。もはや呆れている。
フリッツは城塞都市ザイフォスを遠目で見た。
「…………」
無言で進む。フリッツの後ろに別の男が現れた。40代を越えた黒髪の男。細身の体は貴族の礼服がよく似合った。
「私も加勢しよう」
男はそれだけを言った。
「……ブレイダか……珍しいな」
フリッツが後ろをチラリと見てそれだけを言った。仲間の中でブレイダにはある程度の会話をする。
「ああ。たまには動かないとなまるからな。東国の貴族の相手も退屈だ。やはり戦場の空気が合う」
ブレイダはザイフォスを睨む。
「そうか……あちらでも暇なら戦ってたな。何度も襲われた俺はいい迷惑だ」
フリッツは過去を思い出す。まだ異界の門に、あの真っ暗な世界にいた時の事を思い出す。
「お前はいい暇つぶしの相手だった。さて……今回の相手は強いのか?」
「……恐いのは二人くらいだ。あとはたいした事はない」
フリッツが淡々と言葉を返す。
「そうか。つまらんな」
ブレイダは溜息をついた。
「油断はするな。若い者はすぐに成長する。それに戦力に数えていないが、ザイフォスの騎士はとんでもないのがいる」
「ほう。それはいい」
フリッツの言葉にブレイダは笑った。
キュリアの高速の突きがローラを狙う。それを何とかナイフで弾く。
「下がらない!」
キュリアが叫ぶ。それを聞いてローラは下がろうとする体を止める。その間に鋭い突きが放たれる。
「くぅ……」
苦しそうに呻く。何とか弾いたが突きが鋭い。ナイフを握る手が痺れる。下がりたい体を前に進ませる。距離が近くなった事もあり突きはさらに鋭い。とてもではないが弾けない。
「……負けない……」
ぼそりとローラがつぶやいた。キュリアの槍に突っ込む。キュリアの顔が青ざめる。止められない。
「そのまま!」
槍を見ながらローラが叫ぶ。キュリアは表情を引き締める。友を信頼した。
ローラは体を左にずらして走る。槍が右腕を掠る。
「つっ……これで!」
ローラが槍を掴む。そして強引に引く。だがビクともしない。
「それは通用しないよ」
キュリアが腕に力を込める。
「りゃあぁーーーー!」
キュリアは槍ごとローラを振り回す。ローラが簡単に吹き飛ぶ。空中で一回転して壁に足をつける。ローラがキュリアを見た。
「諦めない……私は……お姉ちゃんを超える!」
壁を蹴って跳躍。それと同時にナイフを握る。キュリアは槍を構え鋭い突きを放つ。突きを空中で体を捻って回避。
刹那、風を切る音がした。キュリアは一回転して槍の柄でローラを殴打した。ローラは即座に床に激突した。
「ぐう……負けない……」
ローラは血を吐きながら立ち上がる。キュリアは槍を構える。
「キュリア殿、そろそろ……」
「ううん。友達が必死なの……力なんか抜けない」
ガイウスの言葉を押し返す。ボロボロのローラがキュリアを見た。二人は微笑を浮かべてから表情を引き締める。
「次で最後……本気見せてね」
キュリアは深呼吸をして槍を構える。ローラはしっかりとした足取りで駆けた。
初撃は高速の突き。それを弾く。次は一回転がくるか、槍の柄で殴打されるだろう。今回は槍の柄がローラを襲う。それをナイフで防いだ。
「今ならいける!」
ローラは右手に握るナイフに力を込める。そして、それを支えにして左足を上げる。高速の回し蹴り。それが槍を押し返す。
「ローラ、突っ込んできて!」
キュリアは槍を放して騎士剣を抜く。その間にローラが突っ込む。剣とナイフがぶつかる。やっとここまでこれた。
「合格」
キュリアが微笑む。それと同時に後ろに飛ぶ。
「ガイウスさん!」
キュリアは叫ぶと同時に右に飛ぶ。
「分かった」
入れ替わるように大剣に重い鎧を纏ったガイウスが駆ける。ローラがナイフを構える。大剣が振り下ろされる。こんな物は受け止められない。
「くっ……」
ローラは大剣を左に飛んで避ける。重い音を立てて大剣が地面にぶつかる。ローラの頬に汗が伝う。
「その速さで私の懐に入れ」
ガイウスがつぶやく。ローラが表情を引き締める。
「ガイウスさん……ローラには優しいんだよね」
キュリアが頬を膨らませた。
ガイウスの大剣が振り下ろされる。それを最小限の動きで回避。左から回し蹴りを放つ。だが鎧に弾かれる。
「ぐう……」
ローラが顔をしかめた。硬すぎる。その間に大剣が横薙ぎに振るわれる。
「防げるか」
ガイウスが力を込める。それをローラがナイフで受け止める。嫌な音がした。慌てて後ろに飛ぶ。大剣の力も加わり後ろに吹き飛ぶように飛んだ。空中で一回転して着地。ナイフを確認してから地面を駆けた。
「……狙いは……」
ローラがガイウスの右手を見た。狙いは右手だ。
ガイウスの懐まで接近。一度大剣を回避する。そしてローラはナイフを逆手に握り、ガイウスの右手を狙う。
「それは効かん」
ガイウスの言葉の通りに篭手がナイフを弾く。それと同時にナイフが音を立てて砕けた。戦場で武器を失うのは戦死を意味する。抵抗する力はないのだから。
「ここまでだ」
ガイウスがつぶやいた。
「まだ……!」
ローラが訓練の続行を頼む。
「いいえ。ここまでです。それにもう大丈夫です」
エレナが笑った。キュリアも頷いた。
「大鎌を持っても前にいけるだろう。その速さで撹乱して、黒竜を叩き込め」
ガイウスが大剣を背負ってつぶやいた。
「ありがとう……皆」
ローラが微笑んでから頭を下げた。
昼過ぎ。カイトは街を歩く。その時にカイトの肩に鳩が止まる。
「手紙か」
カイトは鳩から手紙を受け取る。そこには情報屋の連絡があった。内容はザイフォスに東国の騎士と貴族が迫っているという情報だ。
カイトは思考する。この少人数はおかしい。おそらく相当腕が立つのだろう。また異界の門を開ける可能性もある。カイトは走り出した。
教会のドアをカイトが勢いよく開ける。だが誰もいない。急いでいるというのに。カイトは焦る気持ちを抑えて、右にある狭い通路を走る。そして角を曲がった瞬間に誰かにぶつかった。柔らかい感触がする。その勢いのままその人物を押し倒してしまった。
「痛いですよ、カイト君」
エレナが顔をしかめた。エレナはお風呂の後らしく湿った髪がやけに艶っぽかった。それを押し倒してしまった。カイトは顔を真っ赤にした。
「ごめん。悪気はなくて……えっと」
慌ててカイトが謝る。
「わざとでない事くらいは分かります。とりあえず……」
エレナが動こうとする。この体勢は苦しいらしい。
「ごめん」
カイトがとりあえず離れる。心臓が激しく鳴った。止まらない。
「そんなに焦ってどうかしましたか」
エレナが立ち上がる。
「ああ。この国に東国の騎士と貴族が二人迫っている。おそらく代行者の力が使えると思う」
カイトも立ち上がる。エレナは一つ頷いてから走っていった。
「あ……」
あまりにもすぐに行ってしまったので呆気に取られた。自分一人だけこんなに緊張しているのが、おかしかった。カイトは溜息をついてから外に向けて歩いていった。
エレナはあの場にいたくなかった。
「何なのでしょう。私はおかしくなりましたかね」
顔が火照ったままだ。収まらない。そんな所を見られたくなかった。エレナは苦しい胸を押さえた。一度深呼吸をして落ち着かせる。それから再度、走る。守らなければいけない。シラヌイが守った国を。
クリスの家をノックする。そこからローラが出てきた。
「どうしたの?」
ローラが首を傾げた。
「……代行者の力を使える者がこの国に向かっている可能性があります」
エレナが短く言った。ローラは表情を引き締める。それから家に戻る。ローブを纏い、ナイフホルダーを装着する。その姿はまさにシラヌイだった。シラヌイの持ち物をそのまま使っているのだから当然ではあるが。ローラのローブについているカナデの花のバッチが輝く。
「シラヌイさん……守ってあげてください」
エレナがパッチを見てつぶやいた。
「行ってくる」
ローラは短く言って外に出る。その後をクリスが続く。
「安心しろ。何かあったら俺が何とかする」
クリスが短く言った。
「ここに入ってきたら、私に任せてください」
ツバキが手を振りながらクリスの背中につぶやいた。
「そうならないようにする」
クリスが微笑んでから外に向かう。
フリッツは黒い水が入ったビンを宙に投げる。それは宙で割れた。
「いでよ……我が同胞よ」
フリッツの声に応えて一体の狼が現れる。辺りに降る雪と同じの白銀色の狼。
「私も呼ぼう」
ブレイダも同じようにビンを投げる。異界の門を開いて一体の獣を出現させる。現れたのは一体のワイバーン。その背に乗ってブレイダが空を飛ぶ。
「お前は外から攻めろ」
ブレイダの言葉に片手を上げて応えてから、フリッツは平原を駆けた。フリッツの前方には異界の門から出現した狼が走る。門から次々と現れ今は20体はいるだろう。
ザイフォスの城門前。ローラは手につけている手袋を引っ張る。これも以前シラヌイが使っていた物だ。手の平だけの革手袋。
「来るぞ。一体は上からか。俺は城壁に行く」
クリスはそれだけを言って城門に戻る。ローラは前から突っ込んでくる狼を見た。
「我が命を代償に捧げ……」
いつもの言葉を言いながら走る。
「……意志を貫くために力を!」
異界の門から白銀色の大鎌を掴む。先行するのはローラのみだと思った。だがその隣を同じローブを纏った青年が走る。ジルファだ。
「手伝う」
短く言って横を走る。
「うん」
ローラは一つ頷いた。
城壁の上。真っ白な少女はワイバーンを見ている。
「奴らはどうしても私の上を飛びたいらしいな」
忌々しそうにワイバーンを見る。
「撃ち落すか?」
クリスが少女の隣でキャノン砲を構える。
「ここは協同作業といこう」
少女が不敵に笑う。それと同時にランスを上空に出現。ワイバーンの翼を狙う。
「ふ……やるな」
ブレイダはワイバーンを器用に操る。ランスを掻い潜った所で鉄塊が襲う。それをギリギリで回避した。
「ザイフォスの代行者……その力を見せてもらおう」
ブレイダがワイバーンの背中から飛んだ。
クリスはキャノン砲をしまってハンドガンを構える。ハンドガンをブレイダに向けて乱射する。
「無理か」
クリスは独語して左手に握るハンドガンに力を込める。ブレイダはハンドガンの弾を弾きながら落ちてくる。ブレイダが握る上と下に刃がついたツインランスが振り下ろされる。
クリスはツインランスを受け止める。それと同時に右手に握るハンドガンを乱射。
「やるな。お前が戦力の内の一人だな」
ブレイダは後ろに飛びながらハンドガンの弾を弾いた。
「援護は任せた。フリス、お前はあれを落として来い」
少女がクリスの隣を走りながら指示をする。フリスは一度頷いてワイバーンを追う。
「ランス使いか」
ブレイダがツインランスを構える。少女が突きを繰り出す。それをブレイダが弾く。それと同時に下についた刃が少女を狙う。それを半歩下がって回避。
「今だ」
少女が冷静に指示。それと同時にしゃがむ。少女の長い髪に当たる事もなくクリスのハンドガンがブレイダを襲う。
「まだまだ」
ブレイダはツインランスで全てを弾く。それを予測していた少女はランスを上空に出現させる。
「いけ!」
指示を受けてランスが降る。ブレイダはすぐに回避行動を取るがランスが貫く。濃い霧が溢れる。
「やはりそうか」
クリスが独語してから畳み掛ける。ハンドガンを乱射して動きを止める。異界の者は簡単には倒せない。手を抜く訳にはいかない。
「同類……ではないな」
少女はブレイダを見て分析する。自分とは違う。自分は事故の産物。こいつらは異界からの侵攻者だろう。
少女のランスが動きを止めたブレイダを貫く。大量の霧が溢れた。だがこの程度では倒れない。少女はすかさず離れる。ブレイダのツインランスが少女を狙う。それを何とか回避する。
「ここまでとはな。どうやら戦力となる者の二人に出会ったようだな。いいだろう……本気を見せよう。絶望を感じ……諦めよ」
ブレイダを黒い霧が包む。少女とクリスは警戒する。ブレイダは異界の門に戻る。それと同時に巨大な異界の門が開いた。
そこから出たのは巨大な黒竜だった。3Mはあるだろう。
「ちっ……これがあちらでの姿か」
クリスが舌打ちをした。
一体の狼がローラに向かってくる。
「ローラはあの男を!」
ジルファが奥にいる男を指差す。ローラは頷いてから駆ける。ジルファは獣を睨む。こいつくらいは自分だけで倒す。意気込んでから騎士剣を構える。狼が飛び掛ってくるのをジルファは横に動いて回避。それと同時に腹に騎士剣を刺す。
「硬い!」
ジルファの剣が鱗で弾かれる。狼が向きを変える。だがジルファを噛む前に狼の頭部を銃弾が撃ち抜いた。
「どんどん来るぞ。油断するな」
手に銃を持ったカイトが駆けてくる。その言葉の通り狼が大量に駆けてくる。数を数えるとざっと20体はいるだろう。
「多いな」
ジルファは向かってくる狼を睨む。一体がまた飛び掛る。
「硬いなら」
ジルファが剣を構える。そして、狼の首を両断した。
「柔らかい部分を斬るだけだ」
狼が地面に落ちる。それを見ないでジルファが次の獣に向かって走る。出来ればローラに追いつきたい。
カイトはその様子を見て一安心した。大口径の銃を狼に向ける。このレベルの銃でないとダメージを与えられない。当然聖水をかけてある。引き金を引く。反動で吹き飛びそうになる。何とか踏みとどまる。その間に狼が飛び掛る。銃を向けて発砲。狼の頭部を潰した。
「反動がでかすぎる」
悪態をついてからカイトはバランスを保つ。その間に何体かが横を通過した。後ろに流れたのは騎士に任せるしかないだろう。この狼は対して強くはないが数が多い。今もどんどん増えている。騎士はその対処で忙しそうだ。
その中で見慣れた修道着を見た。エレナだ。負傷した騎士に肩を貸して城門に向かっている。辺りには狼がいるというのに。
「本当に……優しすぎるんだよ!」
カイトが地面を駆けた。銃を構える。エレナを狙う獣の頭部を狙う。
「俺の大切な人を傷つけるな!」
カイトが放った弾丸が狼の頭部を撃ち抜く。エレナがこちらを見た。それと同時に顔が青ざめる。何か叫んでいるが狼の足音、騎士の叫び声で聞こえなった。
刹那、カイトは腹部に痛みを感じた。狼が噛み付いてきたのだ。エレナを助ける事に意識を集中しすぎた。すぐに銃を放って頭部を潰す。
「がっ……本当に駄目だな。俺……」
狼は倒したが腹部から血が流れる。立っていられない。カイトはそこで意識を失った。
フリスは頭上を見上げる。そこには一匹のワイバーン。こいつは数が少ないがずっと空を飛ぶ厄介な相手だ。
「矢を構えて……今!」
キュリアが指示を飛ばす。矢がワイバーンを狙う。だが刺さるのは数本の矢だけ。致命傷にはならない。そのお返しにワイバーンは城門に突撃してくる。それを受けて騎士が吹き飛ぶ。
「消耗が激しすぎる」
キュリアは仲間の状態を見ながらつぶやいた。あの少女がいれば問題ないのだが。ここから離れた城壁の上で巨大な黒竜と戦っている。この程度はこちらで倒すべきだろう。
「ちっ……飛べればな」
フリスは悪態をついた。任されたが飛べないのでは攻撃できない。
「空を飛びたいですか?」
落ち着いた声がフリスの耳に届く。着物姿の代行者。引退したツバキだ。
「引退した奴は引っ込んでろ」
フリスは無視をした。
「そこまで邪険にするなら手伝いませんよ」
ツバキが溜息をついた。
「方法があるのか?」
ワイバーンの火炎を剣で防ぎながらフリスが確認する。
「すごい原始的な方法ですけどね」
ツバキが笑った。
「なんでもいい……教えろ」
「気に入らないですね。まあいいです」
ツバキは刀を異界の門から取り出す。
「行きますよ」
フリスを掴む。
「お……おい。何を……まさか」
フリスが焦る。
「いって……らっしゃーーーい」
ツバキが上空に向けてフリスを放り投げた。
「くっそが!」
フリスは悪態をつきながらも空中で姿勢を整える。ワイバーンに向けて突っ込む。下から剣を振り上げてワイバーンの翼を切断。そのままワイバーンの背に乗る。
「落ちろ!」
背に剣を刺す。ワイバーンは苦しそうに鳴いてから落ちていった。
ローラは狼を倒しながら進む。
「見えた」
異界の門を開いている銀髪の青年。冷たい青い瞳がローラを見た。冷え切った瞳だった。何も信じない青い瞳。その瞳をローラは真っ直ぐに見た。逸らす事ができなかった。
「……気に入らない」
青年は剣を構えた。それと同時に異界の門が閉じた。ローラは大鎌を構える。それと同時に消える。あまりの速さに消えたように見えるのだ。
フリッツは右から振り下ろされる大鎌を防ぐ。冷徹な瞳がローラを睨む。
「あなたは……」
ローラが一度離れる。再度、高速で駆ける。
「どうしてそんなに悲しそうなの?」
ローラは問いかけた。どうしてそんなに悲しそうな瞳をしているのか知りたかった。フリッツは驚いて目を見開いた。だが次の瞬間には冷たい瞳が戻る。
「お前には関係ない」
そうつぶやいてローラを吹き飛ばす。
「そんな事はないよ……私は知ってしまったから」
ローラはフリッツに微笑んだ。
「…………なにを」
「あなたを……そんな悲しい目をしていたら駄目だよ」
ローラはフリッツに言葉をぶつけた。フリッツは訳が分からないという顔をしていた。
「くだらん……不快だ。貴様はここで殺す」
フリッツが地面を駆ける。
「クロちゃん、力を貸して」
ローラが瞳を閉じた。クローディアがフリッツを狙う。フリッツが一度後ろに飛んだ。
「私はここで死ぬつもりはない。私は守りたい……この国を……そして助けたいあなたのような悲しい瞳をしている人を。この命がなくなっても。それが……私の戦いだから」
決意を込めた瞳がフリッツを見た。
「……もういい」
フリッツは口を閉じた。ただ冷徹な瞳をローラに向ける。感情を殺して剣を振るう。それをローラが全て受け止めた。
少女は巨大な黒竜を見上げる。
「……いいかげんにしろよ」
少女が低くつぶやいた。
「確かにこいつはでかいな」
クリスはキャノン砲を取り出す。黒竜は口から火炎弾を吐いた。その大きさは1M級。直撃すれば丸こげだ。
「私を上から堂々と見上げるとはな……」
少女がランスを構える。火炎弾をランスで弾き飛ばす。
「ひれ伏せ……この獣が!」
少女が駆ける。
「……そこが問題なのか」
クリスは独語してキャノン砲を構えた。
少女に向けて火炎弾が放たれる。それを弾きながら少女が駆ける。ランスを構えた所で腕が振り下ろされる。それを回避してから腕を駆け上がる。
「もらった!」
ランスが黒竜の瞳を貫く。黒竜が咆哮を上げて暴れる。少女は宙に飛ぶ。空中で一回転。
「ささっと放て」
クリスに指示を出す。それを聞くよりも速くクリスがキャノン砲を放つ。黒竜の鱗を吹き飛ばす。
「さて……どれほど効いた」
少女が着地をして黒竜を見た。見ると黒い霧が黒竜を包んで傷を癒していた。
「持久戦だな」
クリスは銃を放ちながらつぶやいた。
「ふー、しつこい奴だ」
少女は再度地面を駆けた。
フリスはワイバーンと一緒に落ちていく。今の高さは20M以上あるだろうか。強い風が全身に吹き付ける。フリスは剣にぶら下がる形で必死に堪える。だが途中で剣が抜けそうになる。
「ちっ……」
フリスは舌打ちをした。剣が外れて落ちたら無事ではすまない。ワイバーンは剣を抜くために空中で暴れる。剣が抜けていく。
その様子を城壁の上でキュリアとツバキが見ていた。
「ツバキさん、上げてください」
キュリアが上空を見ながら言った。味方がいる状態で矢を放つ訳にはいかない。助けるには飛ぶしかない。
「フリスさんの体は特殊です。でも、キュリアさんは……」
ツバキが迷う。キュリアは能力も使えない。打ち上げたら自力で降りる事は難しい。
「時間はありません!」
キュリアは強く言った。
「分かりました」
ツバキがキュリアを掴む。強引に能力で強化された力で投げる。
キュリアは上空に浮いた。槍を真っ直ぐ構える。槍をワイバーンの首に突き刺す。ワイバーンが絶命したのを確認してから、刺さった槍をよじ登る。下を見ると眩暈がする高さだ。ワイバーンの血で濡れた金属槍が滑る。それでも決して離さない。
「もう少し」
槍をよじ登ってからワイバーンの上にたどり着く。バランスを保ってからワイバーンの背中に剣を突き刺す。そして、手を差し伸べる。
「無茶をする」
フリスが手を握る。キュリアが引っ張る。フリスがバランスを取り戻す。それから地面を見る。
「どうします?」
「飛ぶしかないな」
フリスはキュリアを引き寄せてから飛んだ。落下した速度はそのままで城壁に足をつける。それから城壁を滑って勢いを殺す。足が擦れて霧が噴出する。
「勢いを殺せないか。すまんな」
フリスが焦りながらつぶやいた。キュリアはフリスを見た。
「構いません。あなたを救えてよかった」
キュリアが笑った。
「諦めるな!」
ガイウスがクッションになりそうな毛布を抱えて走っている。
「あんたはいい男を選んだな。行くぞ」
フリスはキュリアを投げ飛ばす。
「あそこに!」
空中でバランスを保つ。着地地点はクッションが置かれた場所。足は痛むかもしれないが生きられる。覚悟を決めてそこに着地した。
「ぐうぅーーー!」
足がとんでもなく痛い。だが生きている。
「心配させるな」
ガイウスがキュリアを抱きしめる。
「うん」
キュリアが一つ頷いた。
ジルファは目の前にいる狼と対峙する。ローラの元にたどり着くにはあと二体。ローラは大鎌を使った接近戦を中心に戦っている。腕は敵の方が上だ。有利なのは黒竜が使えるくらいのものだ。
「邪魔だ」
狼の首を両断する。あと一体。ジルファが地面を蹴った。
真っ白な少女が地面すれすれを走る。
「二発だ」
クリスが短く指示。
「ああ」
少女が返す。背中すれすれを鉄塊が通る。鉄塊が黒竜の動きを鈍らせる。それを見てから飛ぶ。空中で一回転してから勢いをつけてランスで黒竜の頭部を強打。そのまま黒竜の後ろに着地。
「叩き込め」
少女の声を聞いてクリスが鉄塊を乱射。黒竜に弾丸を浴びせる。
「これで……どうだ!」
少女がもう一度飛ぶ。黒竜の頭部を後ろから突き刺す。鱗が飛び散る。霧が噴出する。確かな手応えがある。だが倒しきれなかった。
黒竜が少女を掴む。
「ぐ……うあ……」
少女から霧が溢れる。クリスはキャノン砲を向ける。だが躊躇してしまう。
「さっさと撃て……」
「出来るか」
少女の言葉を無視してクリスが地面を駆ける。
「く……う……」
少女が呻く。額から汗を流す。噴出する霧も少なくなっている。これ以上は存在が消える可能性がある。
クリスは接近してから持っている銃の中で一番巨大な銃を選択した。これを離れて撃てば少女ごと消してしまう。そこで狙うのは肩だ。
「肩を吹き飛ばす」
クリスが大型の銃を肩に担ぐ。
「食らえ!」
クリスは引き金を引いた。大口径の弾が黒竜の肩を吹き飛ばす。少女は力をなくした手から解放された。
「助かった」
少女は荒い息を整えながらつぶやいた。黒竜を見ると大量の霧を肩から噴出している。だが黒い霧が傷を治す。だが治しきれずに異界の門に戻った。
「なんとか撃退したか」
クリスは肩に担いでいた銃を降ろす。
「そんな便利な物があるなら、すぐに撃てよ」
少女が溜息をついた。
「こいつは切り札なんだ」
大型の銃が消える。次の瞬間にはクリスが頭を抑えた。
「撃つとこうなる」
クリスはその言葉を最後に倒れた。
「お……おい」
少女はクリスを揺する。
「面倒な……こいつの嫁があっちで私の可愛いフリスを投げていたな」
少女はクリスを持ち上げて、ツバキを目指して歩いていった。
ローラは荒い息を整える。能力の限界だ。ふらつく足で地面を蹴る。大鎌がフリッツを狙う。
「……」
無言でフリッツが受け止める。次の瞬間には黒竜がフリッツを狙う。フリッツは右に動いて回避する。
「諦めてください。あなたの仲間は……」
「関係ない」
ローラの言葉をあっさりと切り捨てる。
「このままではあなたは……私達に倒されてしまいます」
ローラが必死に言葉をぶつける。
「なら……またあの何もない真っ黒な世界に帰れと言うのか」
ローラの攻撃を防ぎながらフリッツは淡々と返す。
「真っ暗な世界……まさかあなたは異界の門から」
「……」
ローラは彼がどんな存在かようやく分かった。フリッツは話しすぎたと思い顔をしかめた。
「それなら簡単です。一緒にこの世界で……この国で暮らせばいいんです」
ローラが笑顔で手を差し出す。
「な……なに?」
フリッツは信じられないという顔をした。異界の者と一緒に暮らす。そんな夢みたいな話がある訳がない。どちらかが全滅するまで戦うしかないとそう思っていたから。
「この国の女王は賢王と呼ばれた方です。だから……」
そこまで言った所でフリッツが斬りかかってきた。
「腕で敵わないなら……言葉か」
フリッツがローラを鋭く睨む。全く信じていない瞳。拒絶の瞳だった。その瞳を見た時にローラの胸が痛んだ。どうしても信じてほしい。この冷たい瞳に光を取り戻してあげたい。
「……信じて……もらうには」
ローラがフリッツを真っ直ぐに見た。信じてもらうにはローラ自身が光になるしかないと思った。フリッツが剣をまっすぐに突き出す。
ローラは大鎌を離した。そして、無防備に剣を受け止める。
「な……に?」
フリッツは驚愕の表情を浮かべた。フリッツをローラが包む。
「信じてください。あなたと私は言葉も……こうやって触れる事でお互いの事を……」
ローラが血を吐いた。フリッツは動けなかった。
「お互いの事を……」
そこまで聞いた時にはフリッツは剣を離していた。後ろに下がる。ローラは剣を胴に刺されても立っていた。
「分かるよ」
ローラはフリッツに笑いかける。
「分からない……」
フリッツは後ろに下がっていく。そして黒い霧となって消えた。それを見てローラは倒れた。
その様子をジルファは走りながら見ていた。今ようやくローラの所までたどり着いた。
「馬鹿野郎……お前が死んだら……俺は!」
ローラの傷を確認する。ローラも代行者だ。大鎌を握っていれば持つだろう。ジルファはローラを抱えて走る。
「死なせない……絶対に!」
ジルファが戦場を駆け抜けた。
ローラは気づいたらベッドの上にいた。起きようと思ったが動けなかった。傷は深いらしい。
「起きた?」
横を見るとカスミがいた。
「看病してくれたの?」
ローラが確認する。カスミが頷いた。
「処置はエレナさんだよ。ジルファがすごく心配してたけど、男と二人きりにできないからさ」
カスミが笑った。
「そう。別にジルファならいいのに」
ローラも笑った。
「前から聞きたかったけど……ジルファとの関係は……その恋人なの?」
カスミが緊張した面持ちで質問した。
「違うよー。ジルファに迷惑だよ」
ローラは笑った。
「違うの?」
「うん。私の代償は知っているよね? 私は消えてしまうの。だからジルファとは生きられない。でも、生きてる内にジルファを前に向かせたい。まあ、ジルファとも長いから家族みたいなものかな。手のかかる弟みたいな感じだよ。同い年だけど」
ローラは天井を見ながらつぶやいた。
「そうなんだ。今回の件は……? 敵を説得してたみたいだけど」
「うん。すごく悲しそうな瞳をしてたから、気になって。それに異界の世界に住む者とも一緒に生活できると思う。それを伝えたくて」
ローラは瞳を閉じた。少しでも伝わればいいと思う。
「ジルファ……強敵ができたよ」
カスミがぽつりとつぶやいた。ローラは小首を傾げた。
ツバキはベッドで眠るクリスをじっと見ていた。クリスの手を決して離さない。
「クリス」
ツバキがつぶやく。能力を使いすぎると記憶に大きな欠落ができる。記憶を整理するのは寝ている時だ。欠落を整理するために強制的に寝てしまうのだ。今回はどの記憶が失われるのかツバキは緊張していた。もしかしたら忘れられているかもしれない。それはとても恐いと思う。
しばらく眺めていたらクリスが瞳を開けた。
「ここは……?」
クリスが疑問の声を出す。
「クリスの家です。私が……その……分かりますか?」
ツバキが緊張した顔で質問する。
「ああ。分かる。少し記憶が抜けているけど……俺の大切な人だ」
クリスが微笑んだ。その言葉を聞いてツバキがクリスに抱きついた。
「よかった」
それだけを言ってツバキは何も言わなかった。クリスはツバキを包んだ。
ジルファはずっと教会隣の広場で素振りをしていた。ぼうっとしていると平静ではいられない。もう何時間素振りをしているだろうか。
「ジルファ、限度があると思いますよ?」
司祭が軽口を叩く。この人はいつもこんな感じだ。
「……でも、落ち着かないんだ」
言葉を返しながら剣を降る。
「ふむ。どちらですか?」
司祭が顎に手を置いて思考。
「……どちらとは?」
「分かっていますよね?」
誤魔化そうとするジルファに司祭が追い討ちをかける。ジルファの頬に汗が流れた。
「…………」
ジルファは素振りを止めて空を見た。
「……青春に浸っても見逃しませんよー」
司祭が言葉をかける。
「分かったよ。この不真面目司祭が!」
ジルファが叫んだ。
「不真面目なのは認めますが……司祭なんですから敬いなさい」
司祭が大げさに手を上げる。まるで天に祈るように。
「くっそ……両方だよ。文句あるか!」
ジルファが叫ぶ。ローラが心配なのと、敵を説得していた事。
「……そこまで直球だとつまらないですねー」
司祭は欠伸をしながらつぶやいた。
「こいつは……」
ジルファが剣を握る。
「まあこんな所で素振りしてる暇があったら会いに行ったらどうですか?」
司祭が背を向けてぽつりと言った。ジルファは呆気に取られた。
「そうだな」
顔を落としてジルファが弱々しくつぶやいた。
少女はこの国から与えられた自宅のテーブルに足を上げてのんびりとしている。
「その姿勢何とかなりませんか?」
フリスが忠告する。
「何か問題があるか?」
少女がちらりとフリスを見た。
「一般的な行儀の問題です」
フリスが少女の足を指差した。
「本当にそれだけか?」
少女が挑発的な笑みを浮かべる。フリスが顔を逸らした。
「やれやれあの時はただの小僧だったのにな。変わるものだ」
少女が足をテーブルから下ろす。フリスが咳払いした。
「ところで空を飛んだ気分はどうだった?」
少女が今度はテーブルに顎を載せてつぶやいた。立っているフリスの視線に合わせるように若干上目遣いになっている。
「……生きた心地はしませんでした」
「そうか……つまらんな」
少女は興味をなくしたように瞳を閉じた。
「眠るならベッドに行ってくださいね」
「フリスが運ぶからこのままでいい」
少女はそう言って寝ようとする。
「そうですか」
フリスが少女を抱えて運ぶ。
「おやすみ」
少女はフリスの耳元で囁いた。フリスは幸せそうな笑顔を浮かべて少女をベッドまで運んだ。
フリッツは真っ暗な空間で自らの手を見ていた。あの少女の血で満たされた手。もう何人もの人間を殺してきた。今さら血を見ても何も思わないし、感じない。だが今回は違った。犯してはいけない過ちを犯した気がする。
「なんだ……あの女は」
フリッツはその血を服で拭う。だが消えない。ずっと温かさが残っているような気がする。あの少女が自分を抱きしめた感触も残っていた。とても温かい。この世界にはない温かさ。温もり。自分達が求めるもの。少女は一緒に生きれると言った。あの光が温もりが得られると言った。
「……不快だ」
フリッツは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてつぶやいた。
翌朝。ローラはもう立っても平気だった。代行者の回復の早さに感謝して外に出る。まだ早朝というだけあって人はいない。その中で一人歩く黒いローブの男はかなり目立った。
「ゼファーさん、どうしました?」
ローラが声をかける。手には花を持っている。
「あ……ああ。少し用事があってな」
ゼファーは背中に花を隠した。
「そうか。今日はお姉ちゃんの……」
ローラは思い出した。今日は命日だ。毎年覚えているが今回は気絶していた事もあり、日にちの感覚がずれていた。
「まあ……なんだ。世話になったからな」
ゼファーはそれだけを言って去っていった。
毎年花が置かれているのは知っていた。だが誰が置いていたのかは皆知らなかった。どうやらゼファーが誰にも気づかれないように早朝に出かけて置いていたらしい。
「お姉ちゃん……ちゃんと伝えておけばよかったのに」
ローラは溜息をついた。でもこの形でよかった気もする。なんだか二人らしいと思うから。
戦場跡。カナデの花で満たされた平原。降り続いた白銀の雪と、真っ白なカナデの花。どこか儚さを感じる場所だ。だが、この地に眠る人物にはよく似合う光景な気がした。
カナデの花に満たされた平原の中心。ぽつりと寂しく咲く一輪のカナデの花。その前に立ちゼファーがしゃがむ。ズボンが汚れる事も気にせずに方膝をつく。
「会いにきた」
そうつぶやいて花を地面に置いた。色鮮やかな花の数々。
「花言葉などは詳しくない。間違った花を置いていたのなら許してくれ」
ゼファーが言葉を続ける。届いているかは分からない。そっと花に触れる。カナデの花が揺れる。儚い音がゼファーの耳に届く。これで十分だった。
「また」
ゼファーは短く言って立ち上がる。
ゼファーが立ち上がった瞬間に弱い風が吹いた。一斉に一面にあるカナデの花が鳴る。それと同時にこの戦場跡を浄化している光の粒が舞った。
輝く白銀の雪、踊るように舞う浄化の光、そして心を洗う音色。息を呑むような幻想的で綺麗な光景だった。これ以上に綺麗な光景をゼファーは見た事がない。この場の主が歓迎してくれているのが分かる。それが励みになる。
「本当におせっかいな女だ」
ゼファーは微笑んで去ってゆく。そこにはカナデの花が寂しく咲いていた。
教会の一室。エレナはカイトの包帯を替えていく。
「うぅ……」
カイトが一度呻く。代行者ではないために怪我の回復が遅いのだろう。エレナは心配そうに覗き込む。この怪我はエレナの責任だ。
「どうして守るのですか」
エレナは瞳に涙を溜めてつぶやいた。
「う……」
言葉に反応したのかカイトが瞳を開けた。
「痛みますか?」
エレナが平静を保って声をかける。
「たいした事はないよ。仕事しないとな」
カイトが起き上がろうとする。
「寝ていてください」
「いいや。行くよ」
カイトは無理をして立ち上がる。
「どうしてですか?」
エレナはカイトの手を引いた。カイトが止まる。
「……俺は頑張らないといけないんだ。エレナに負担をかけていてはいけない」
カイトはふらつきながらも真っ直ぐに進む。
「コートはどこかな?」
カイトの質問に対してエレナはコートをカイトに投げつけた。カイトは呆気に取られた。こんなエレナは始めてみた。
「もう知りません!」
瞳に涙を溜めたエレナ。カイトの胸を締め付ける。
「ごめん……」
カイトが顔を落とした。それから背を向ける。
「カイト君……」
その背中に言葉をかける。カイトが振り向く。
「どうしてそこまで必死なのですか?」
エレナの真剣な瞳がカイトを見た。
「……エレナには言えないよ」
カイトは力なく笑った。そのまま去ろうと思ったがエレナがもう一度手を引いた。決して離さないように強く握った。
「言ってください。言うまで離しません」
強い言葉でエレナが迫る。
「…………」
カイトの瞳が揺れる。言ったらエレナは困るだけだ。だから言えない。
「…………」
エレナが言葉を待つ。
「…………好きなんだよ、エレナが。助けられてからずっと……」
カイトは観念してそれだけをつぶやいた。手を握っていたエレナの力が弱まる。
「……え……」
エレナが戸惑っている間に、カイトは逃げるように去ってゆく。
「待ってください」
エレナの言葉が聞こえたがカイトは止まらなかった。心の中には後悔しかなかった。もうここにはこれないと思った。どんな顔をしていいのかも分からない。答えも聞きたくない。分かっているから。気づいた時には駆け出していた。
フリッツは平静を取り戻してから異界の門から出た。
外は眩しかった。眩しい光がフリッツを満たす。長年、求めている光。だがその光が霞んで見える。
「…………」
疑問を持って空を見る。だが今のフリッツには分からなかった。
「失敗したそうだな」
グレイルの声が後ろから聞こえた。
「……」
無言で返す。
「すまんな。俺もやられた」
ブレイダが弁解する。グレイルがちらりとブレイダを見た。
「次は失敗できない。三人で行くぞ」
グレイルが指示する。その背中にフリッツは質問した。
「本当に彼らを倒さなければいけないのか?」
フリッツは自分でも驚く事を口にしていた。ブレイダとグレイルが驚いた顔でこちらを見る。
「あの大鎌使いは異界の者とも一緒に暮らせると言っていた。だから……」
前に進んで言葉を重ねる。だが途中で止まった。グレイルが剣を向けたのだ。
「何を吹き込まれたか知らないが有り得ないな。私達はもう彼らを攻撃したのだから」
その言葉を聞いてフリッツの心が急激に冷える。もう後戻りはできないのだ。この状況で受け入れてもらえる訳がない。
「……」
ブレイダは何も言わなかった。黙って先に歩いて行く。
「行くぞ。俺達は光を手に入れるのだ」
グレイルは剣を鞘に戻した。フリッツも前を向いた。
ローラは黒いローブを纏って空を見上げていた。あの青い瞳が忘れられない。どうにかして救いたい。
「どうしたの?」
キュリアが隣に並ぶ。だがローラはずっと空を見ていた。
「うーん。恋でもした?」
キュリアが顎に手を置いて思考する。こんなローラは始めて見た。冗談も交えてとりあえず言ってみた。
「そうかも」
ローラはあっさりと答えた。
「え! 誰々」
キュリアがローラの肩を掴んで揺する。ローラの頭はがくがくと揺さぶられる。
「痛いよ」
ローラが抗議をする。
「ごめんね。だって……ローラの代償を考えれば恋は難しいでしょう。それでも好きになる相手なんて相当の人だよ」
キュリアが瞳を輝かせる。
「……」
ローラがキュリアを無言で見た。
「ふーむ。やはりジルファかな?」
「皆、私とジルファをくっつけたいの?」
また同じ名前が出たので気になる。
「違うの?」
「違う」
ローラが即答した。キュリアは頭を抱えた。ジルファ、頑張れと心の中でつぶやいた。
「なら誰よ。まさか……」
「うん。敵……」
ローラが儚く笑った。キュリアは頭を抱えた。ただでさえ寿命が短いのに、敵を好きになるなんて。
「友としてはっきり言う」
キュリアがローラの肩を掴む。二人の瞳がぶつかる。
「分かるよ。やめとけでしょう」
ローラが苦笑いを浮かべた。
「……違う。そんな事を言うなら絶交だよ」
キュリアが頬を膨らませる。
「え……」
ローラが驚いた。だが次の瞬間には笑っていた。
「応援する」
キュリアが笑った。
「ありがとう。次に彼が現れたらもう一度伝えたい。この世界はそんなに狭くない。一緒に生きられると」
ローラは胸に手を当てた。キュリアはローラを抱きしめる。
「伝わるよ。絶対に」
「ありがとう」
キュリアの優しさにローラは少しだけ甘えた。
ジルファは立ち尽くしていた。
目の前には抱き合うキュリアとローラ。聞きたくない事が聞こえた気がした。
「よりによって敵かよ。しかも一度しか会ってないのに」
ジルファが顔を落とした。守りたい人が遠くに行ってしまった感覚がした。これで二度目だ。自然と涙が出てきた。肩に雪が積もっていく。その様子にキュリアが気がついた。気を利かせてローラには気づかれないように離れていく。ジルファは一人だけ取り残された。
自分の手を見た。ボロボロの手。ローラを守るために必死に剣を握った手。ジルファは今までが無駄だったような気がした。急に足の力が抜けた。目標が見えない。前に歩けない。気づいた時にはジルファは岩で出来た硬い道に膝をつけていた。
「それで諦めるか……馬鹿息子」
ヴォルフが溜息をついた。ジルファが振り向く。
「くっ……見るな。こんな醜い……す……がたなんて!」
ジルファが泣きながら叫ぶ。
「あの娘のために必死になって剣を握ったのだろう? どこが醜い?」
ヴォルフはジルファの肩を掴んだ。その手は力強かった。
「え……?」
「強くなれ、ジルファ。前を向かねば想いは伝わらない」
ヴォルフが前を向いて言葉を紡ぐ。
「そうだな。特訓……付き合ってくれ」
ジルファは涙を拭いて立ち上がる。
「分かった」
カイトは馬を走らせる。見晴らしのいい丘の上で望遠鏡を覗く。こちらに向かってくる三人の男。
「やはりまた来た」
連れて来た鳩に手紙をつけて離す。カイトは素早く馬に乗る。その瞬間に傷が痛む。
「つッ……あまり無理できないな」
独語して傷に触れる。幸い傷は開いていない。カイトは気づかれないように馬を走らせてザイフォスを目指した。
教会の祭壇前。エレナは床に膝をつけて祈る。ステンドグラスから漏れた光がエレナを照らす。
「…………」
無言でただ祈る。心の迷いを無くすために。
「エレナが迷うなんて珍しいですね」
後ろから司祭が声をかけた。
「……分かりますか?」
祈ったままエレナが口を開いた。
「ええ。結構付き合い長いですからね」
司祭が軽口を叩いた。
「そうですね」
エレナが立ち上がる。そして弱く微笑んだ。
「……修道女を辞めても責めませんよ」
司祭が笑った。それに対してエレナは首を振った。
「私は辞めません。だから……」
「カイトにどう言うかですか?」
「はい。どうすれば傷つけないか」
エレナが顔を落とした。
「……あの子ももう子供ではない。全部話せばいいと思いますよ」
司祭が天井を見てつぶやいた。
「それで傷つくとしてもですか?」
「はい」
司祭が頷いた。
「そうですね。なんだか今日はちゃんとした司祭様ですね」
エレナが笑った。
「失礼ですねー。追い出しますよ?」
「それもいいのかもしれませんね」
エレナが儚い笑顔を浮かべて司祭の横を通り過ぎた。
「幸せになればいいのに……人は難しいですね」
司祭は溜息をついた。
クリスが革のジャケットを着る。
「また戦いになるのですか?」
ツバキがクリスの手を取った。
「ああ。カイトから連絡があった」
クリスはツバキの手を握る。
「無事に帰って来てね」
カスミが笑う。
「ああ。行って来る」
クリスが外に出る。外には真っ白な少女とフリスがいた。
「行くぞ」
真っ白な少女が短く言って城門に向けて歩き出す。
「遅れるなよ」
フリスが短く言って少女に続く。
「ああ」
クリスが一度頷いた。
城壁の上にローラは立っていた。今日も雪が降っている。視界は悪いが敵が来るのが分かる。
「来るよ」
キュリアが隣でつぶやいた。前方から来る殺気を感じているのだろう。
「うん」
ローラは城壁から飛んだ。
「我の命を代償に捧げ……」
強い風がローラを吹き付ける。だが決して前方から目を離さない。
「……意志を貫くための力を!」
ローラは決意の言葉を口にする。想いを伝える。それがローラの戦い。その想いを受け取って異界の門から大鎌が出現。ローラは白銀色の大鎌を掴む。それと同時に着地した。
「ローラ……お前は何を貫く」
手に包帯を幾重にも巻いたジルファが立っていた。相当訓練を積んだらしい。
「私は……伝えたい。戦う必要ないんだって」
ローラはただ前を見た。
「なら……手伝う」
ジルファは騎士剣を構える。
「道は俺達が開く」
クリスがハンドガンを構えてローラの横に立つ。
「城は守るよーーー!だから伝えて来てーーーー!」
キュリアの大声が届いた。ローラは後ろを振り返る。騎士が剣を上げて応える。皆が応援してくれる。
「ありがとう……皆」
ローラの頬に涙が流れた。
グレイルは異形の剣を異界の門から取り出す。
「行くぞ」
短く言って異界の門を大量に開く。そこからワイバーン、獅子、狼と今まで出現させたものを全て出す。
「……」
フリッツは獣と一緒に駆ける。
「先に行くぞ」
ブレイダはワイバーンに乗って先行した。
それを見てグレイルも戦場を駆けた。
少女は空を見た。
「また来たか。さて……前回の借りを返すとしよう」
少女が不敵に笑う。
「私が守ります」
フリスが少女の前に立つ。
「行くぞ!」
少女がランスの雨を降らせる。
ランスの雨がワイバーンを落としていく。その様子をイリアは見た。
「殲滅します!」
イリアは城門の前で槍を掲げる。
「行くぞ!」
スレインが号令を出す。騎馬隊が駆け抜ける。敵は大量の狼と翼を失ったワイバーンだ。
「ここは通すな」
後ろでガイウスが立ちふさがる。重装備の騎士が大楯を構えた。それを見てスレインは前だけを見た。
ローラは戦場を駆け抜ける。途中の獣はランスが貫いてくれる。だが全ては倒しきれない。
「行け!」
クリスが邪魔な獣を倒してゆく。道が開く。そこを駆け抜ける。そして前方にいる男がローラを睨んだ。冷たい瞳。光を求めた冷え切った瞳。
ローラは地面を蹴って跳躍。大鎌を振り下ろす。それをフリッツが受け止める。
「あなたに会いに来た」
ローラは言葉をぶつける。
「貴様は不快だ」
フリッツは強引に吹き飛ばす。ローラは空中で体勢を整えて着地した。フリッツが迫る。それを回避した瞬間にローラは地面を高速で駆ける。フリッツの右横に回り込んで大鎌を振るう。
「私はあなたに伝えたい!」
フリッツに攻撃を止められながら叫ぶ。
「…………」
フリッツは無言で返す。拒絶を刃で返す。ローラの大鎌を吹き飛ばして懐に入る。
「戦う必要はない!」
ローラは自らが斬られる瞬間にも言葉を続ける。フリッツは信じられないと思った。平静でいる者ならこんな事はしない。
「ちっ……」
舌打ちをしてからローラを切り裂いた。ローラの血をフリッツが浴びた。まだ生温かい血だった。
「一緒に生きられるよ」
ローラはふらつきながらも笑った。
「どうして……?」
フリッツはただローラを見た。
「私は……あなたの光になりたい」
よろよろとふらつきながらフリッツに歩み寄る。
「あなたの悲しい瞳に光を燈したい……お願い……信じて」
ローラがフリッツを抱きしめた。温かさが伝わる。ずっと求めていた温かさ。そして、光だった。
「これが……求めていたもの」
フリッツはローラを抱きしめた。
グレイルはその様子を遠目で見ていた。
「あの女が原因か」
睨みながら戦場を駆ける。もう使えないのならフリッツ事貫くだけだ。
「邪魔はさせない」
ジルファがグレイルに向けて騎士剣を横薙ぎに振るった。グレイルが剣で受け止める。
「小僧か」
グレイルがジルファを睨む。それと同時に高速の剣がジルファを襲う。
「倒れる訳にはいかないんだーー!」
グレイルの剣を受け流していく。だが数撃がジルファを掠る。鮮血が舞うが止まらない。
「邪魔だ!」
グレイルが剣を真っ直ぐに構える。高速の突き。
ジルファはその突きから目を離さない。ジルファに当たる瞬間に体を左に捻る。ジルファの体を掠りながら剣が進む。
「食らえーーー!」
剣を横薙ぎに振るう。グレイルの体を切り裂く。濃い霧が溢れる。
「小僧がーーーー!」
グレイルがジルファを掴む。剣がジルファに向く。
「ただではやられないさ……」
ジルファも剣を向けた。お互いに胴に剣を突き刺す。
「私の勝ちだな」
グレイルは胴から霧を出しながら立っていた。ジルファは口からを血を流して剣を離す。そのまま倒れるとグレイルは思った。
「優秀な奴は……最後が甘いんだよ」
ジルファが倒れながら不敵に笑った。グレイルの顔が驚愕に変わる。ジルファは倒れる前に異界の門から白銀の剣を抜いた。それをグレイルの右足に突き刺す。
「ぐっ……だがこの程度で」
グレイルはジルファを左足で蹴り飛ばす。
「ジルファよくやった」
クリスがライフルを異界の門から取り出す。グレイルは動こうと思ったが足を貫かれている。
「消えろ」
高速の弾丸がグレイルの頭部を撃ち抜いた。
ワイバーンからブレイダが落ちてくる。ツインランスを少女がランスで受け止める。
「またお前か」
ブレイダが睨む。
「悪かった……な!」
少女がランスで吹き飛ばす。それと同時にキュリアが横を通りすぎる。高速の突き。ブレイダが反応するよりも速く胴を貫いた。
「ぐっ……やるな。こんな姿では勝てんか」
ブレイダを黒い霧が包む。
「最初からその姿で来い」
少女がランスを構え直した。
戦場からランスの雨が止む。
「上で戦闘が始まったか」
スレインがつぶやく。狼の群れが襲ってくる。
「騎馬隊……密集しろ!」
スレインが指示を出す。それと同時に突撃をする。狼が吹き飛ぶ。順調だとスレインは思った。だがとある声を聞いてスレインの顔が青ざめた。
「くっ……この程度の事で」
イリアに狼が飛び掛っている。何とか振り落としたが法衣を血で汚していた。
「イリア様!」
スレインが馬を走らせる。イリアは飛び掛る狼を一匹叩き落す。だが別の一匹の体当たりを受けて馬から落ちた。
「間に合え!」
スレインは馬を走らせる。イリアに接近してから手綱を放す。そして、足で馬をしっかりと挟んで落ちないように固定。自らは体を横に倒す。
イリアの短い悲鳴がスレインの耳に届いた。スレインは何とか落ちて行くイリアを受け止めた。
「ご無事ですか」
スレインが安心した顔でつぶやく。
「ええ」
イリアは顔を真っ赤にして頷いた。
黒竜の腕が少女を襲う。
「危ない!」
フリスが少女を突き飛ばす。腕を剣で受け止める。だが巨大な腕を受け止めきれない。
「この!」
キュリアが騎士剣で腕を切断する。だがすぐに腕を黒い霧が治す。黒竜はお返しとばかりに火炎弾を吐く。二人はそれぞれに飛んで回避。
「どうすれば勝てるの!」
キュリアが叫ぶ。
「知らないな」
少女が溜息混じりにつぶやく。
「無事か」
ガイウスが大剣を構えて城壁を登る階段を登ってくる。
「持ち場は!」
キュリアがまず叫んだ。
「部下に任せた」
ガイウスが落ち着いて返す。
「もう」
キュリアは怒っているようだが、微笑んでいた。
「一つ案がある」
フリスが姿勢を低くする。黒竜が火炎弾を吐く。
「なんだ」
少女がランスを構える。火炎弾を弾き飛ばす。
「簡単だ……再生する前に消す」
言うと同時にフリスが駆ける。
「シンプルだな……悪くない」
ガイウスも駆ける。
「ガイウスさんまで……でもそれしかないかな」
キュリアも続く。少女も続いて地面を駆けた。
ローラはフリッツから離れる。荒い息を整えてフリッツを見た。
「えへへ。伝わった」
口から血を流してローラはつぶやいた。
「話すな」
フリッツがますは刺さった剣を抜く。血が流れる。
「ぐっ……」
ローラが血を吐いた。それと同時にフリッツに倒れかかる。
「大丈夫なのか」
フリッツは傷を確認する。代行者の力が何とか血を止めようとしている。
「この程度なら死なない。行かないと……」
ローラが血を流しながら前に進む。次第に流れる血は少なくなっているが平気とは思えない。
「止めろ。死ぬぞ」
フリッツがローラの肩を掴む。だが止まらない。フリッツは溜息をついた。
「つくづく面倒な女だ。仕方ない……手伝おう」
フリッツはローラを支えて前に進む。
「ありがとう」
ローラは微笑んだ。
クリスの弾丸がグレイルを貫く。これで終わればいいとクリスは思った。
だが黒い霧がグレイルを包んだ。この様子は見た事がある。本来の姿を見せるのだろう。
「ここまでやるとはな。いいだろう。絶望せよ」
グレイルが異界の門に入る。
クリスはライフルを構えた。ちらりとジルファを見た。何とか生きている。だが速くこいつを倒す必要があるだろう。
異界の門から現れたのは一体の悪魔のような獣。頭に角を生やし、背中には羽がある。爪も鋭い。
「まるで悪魔だな」
クリスは独語してライフルを放つ。それをグレイルが腕で弾く。
「ちっ……」
クリスは舌打ちをして後ろに飛ぶ。それと同時にハンドガンに変える。グレイルが鋭い爪を武器にして襲いかかる。それをハンドガンで防ぐ。
「はっ……!」
クリスは回し蹴りを放つ。それをグレイルが腕で防ぐ。硬い感触がクリスの足に伝わる。まるで金属を蹴った感覚だ。
「非力な」
グレイルがクリスの足を掴む。万力のような力でクリスの足を締め付ける。
「なめるなよ」
クリスがハンドガンを乱射。弾が腕を貫通する。緩んだ瞬間にクリスは一度離れる。
「ほう。やるものだな」
グレイルが貫通した腕を見た。だが黒い霧が傷を防ぐ。その間にもクリスは銃を乱射した。だが相手は避ける事もなく前進してくる。クリスは再度舌打ちをした。
後方に飛んで集中する。銃が赤く輝く。高速の弾丸がグレイルを貫く。
「終わらせる」
グレイルが地面を駆ける。一気に距離を詰めて腕を振るう。クリスがハンドガンで防ぐ。それと同時に回し蹴りを繰り出す。後ろにのけぞった所で両手のハンドガンを乱射。
「ふん。無駄だ」
グレイルの腕がクリスの首を絞める。
「あ……きらめるか」
クリスは異界の門からライフルを取り出す。それをグレイルに押し当てる。意識が飛ぶまで引き金を引く。
「ぐっ……貴様」
グレイルは堪えきれずにクリスを放り投げる。地面に倒れたクリスは再度ライフルを放つ。グレイルの腕を足を貫く。濃い霧が体から溢れる。回復が遅れていく。
「後は……任せて」
フリッツに支えられながらローラがつぶやいた。そして、大鎌を支えにして立つ。
「フリッツ……貴様」
グレイルがフリッツを睨む。
「俺の求めた光はここにいる。あなたも」
「つまらん事をほざくな!」
フリッツの言葉を無視してグレイルが駆ける。
「すまない。彼には伝わらない」
フリッツがつぶやいた。
「私にも分かる。あの人はこの世界にいる人を憎んでる。ただ消したいだけ」
ローラは瞳を閉じた。集中する。
「俺とは違う」
フリッツはグレイルの腕を剣で受け止める。
「クロちゃん」
ローラは瞳を開けて黒竜を呼ぶ。黒竜がグレイルを噛み砕く。
「消えろ」
フリッツが剣でグレイルを貫く。クリスがライフルで貫通した場所に剣をめり込む。濃い霧が溢れて止まらない。
「この裏切り者が……!」
グレイルは黒い霧に包まれて消えた。ローラはそれを見て気絶した。
巨大な黒竜に向けてフリスが駆ける。まずは跳躍して一太刀。黒竜はすぐに反応してフリスを殴りつける。
「今だ!」
フリスは吹き飛びながらもキュリアを見た。キュリアはフリスが切り裂いた部分を貫く。それと同時に槍を足場にして跳躍。黒竜は苦しそうに呻いた。
「ぬん」
ガイウスが気合を入れて大剣で下から切り上げる。黒竜が激しく暴れ、城壁が音を立てて崩壊する。ガイウスは足場が崩れていくのを感じた。
「ぐっ……」
少女が助けようとこちらを向いた。
「止めを」
ガイウスは大剣を城壁に突き刺して何とか落下を防ぐ。
「待っていろ」
少女は黒竜を見た。ランスを構えて頭部を貫く。フリスとキュリアが攻撃した部分を治しているらしく回復が間に合わない。
「消えろ」
全力で頭部を貫く。呻いている所でキュリアの騎士剣が首を切断した。頭部がゴロリと地面に落ちる。それと同時に黒竜は光に変わった。
「やったか」
フリスは起き上がる。それと同時に力が抜けた。
ローラはまたベッドの中で目を覚ました。
「う……」
呻きながら体の状態を確認する。どうやら動けるようだ。
「ローラはいつも気絶して運ばれてくるよね」
カスミが溜息をついた。
「ごめんね。でも……上手くいったよ」
ローラがかすかに微笑んだ。
「そうだね。彼はローラが面倒を見てね」
カスミはそれだけを言った。
「そうだね」
ローラが起き上がる。
「いいよ」
カスミがドアの外に声をかける。それと同時にドアが開いた。
「起きたか。俺のせいですまない」
フリッツが無表情で部屋に入ってきた。
「ううん。伝わったからいいの」
ローラが笑顔を向ける。
「そうか。俺は光を求めていた」
フリッツが顔を落とす。
「うん」
ローラが頷く。
「俺達は異界の門の中にいる獣だ。だからこの世界の光に憧れる」
フリッツが言葉を続ける。ローラは言葉を待つ。
「だがこの世界に出ても満たされなかった。だからグレイルはこの世界を破壊して、支配しようとしている。この世界を手に入れれば光が得られると思っている」
フリッツが拳を握る。
「それは違うよ。悲しいだけだよ」
ローラが首を振る。
「そうだな。光は温かいものだ。お前のように」
フリッツはローラに近づく。そして手を取る。ローラの温かさが手から伝わる。
「私はあなたの光になるよ」
「ああ。俺は光を得た。あとは……この世界がそれを許してくれるか」
フリッツが顔を落とす。
「受け入れてくれるよ。もし無理なら旅に出よう。二人で」
ローラが笑った。
「……それでも構わない、お前がいるなら」
フリッツが微笑んだ。ローラが始めてみたフリッツの笑顔だった。
「だが……その前に手伝ってほしい」
フリッツがローラを見た。
「止めるんだよね」
「ああ」
フリッツが頷いた。グレイルを倒してでも止める。
「手伝うよ。この国を守りたいから」
「すまない」
フリッツが顔を落とした。ローラはフリッツの手を引いた。
「ローラだよ」
フリッツの耳に囁いた。フリッツは驚いたようだったが、すぐに受け入れた。
「フリッツだ」
フリッツも名乗る。二人はしばらく抱き合っていた。
「だから私がいるって」
カスミは溜息をついた。どうして皆私の前で見せ付けてくれるのだろうか。
真っ黒な空間。黒い霧がグレイルの傷を塞ぐ。
「立て続けに失敗とはな」
しわがれた声が耳に届いた。グレイルが前を見た。老紳士がこちらを見ている。この異界の門の長であるクレイドだ。
「クレイドか……フリッツが裏切ったのでな」
「言い訳はいい。次で終わらせろ。貴様の命をかけてな」
クレイドが手に持つ杖を向ける。
「分かっている」
グレイルが頷いた。
時刻は深夜。傷を癒すために寝ていた事もありローラは寝付けなかった。今は屋根の上に上がってきた。木でできた屋根に上がり空を見た。
細かい雪が降る。その雪をローラは手の平で受け止めた。それはすぐに解けて水となる。
「…………」
ローラは無言で見つめた。シラヌイはこんな時は歌うのだろうか。よく屋根に上って歌っていた。星が綺麗だと言って。
「眠れないのか?」
フリッツが隣に座る。今日からこの家で暮らす事にしたのだ。クリスは承諾してくれた。だがローラはいつか二人で暮らそうと思っている。これ以上は迷惑をかけられない。
「うん」
ローラは頷いた。
「なら一緒にいよう」
フリッツはローラの隣でずっと夜空を見上げていた。青い瞳はもう冷たくはなかった。
早朝。凍える寒さを堪えてジルファはクリスの家をノックした。
「おはよう」
カスミが家から出てきた。元気な笑顔を向けてくる。その笑顔に疲れた心が少しだけ癒された。
「クリスとローラは?」
ジルファが質問する。元凶を倒しにいくのだろう。もしそうなら付いて行きたい。
「クリスはいるよ。ローラはお城に行った。彼のことでね」
カスミが言いずらそうに後半は小さな声で言った。こんな小さな子に遠慮されているようでは駄目だとジルファは思った。
「ありがとう」
包帯だらけの右手でカスミを撫でた。
「その手は大丈夫なの?」
カスミが左手を握った。小さな手だと思う。ジルファは頷いた。
「大丈夫な訳ないよね。ローラはもったいないな」
カスミはジルファの腕を撫でる。
「何がだ?」
ジルファが首を傾げる。
「これだけ頑張ってくれる人がいたら私はその人を一生大事にするよ」
カスミが顔を落とした。
「……ローラは俺を前に向かせてくれた。それで十分だ」
ジルファは笑った。辛いはずなのに。その笑顔がカスミの心に深く刻まれた。
「ジルファは……年下は好き?」
「はぁ? 別に構わないけど。どうした?」
ジルファが頭を掻きながらつぶやく。カスミは笑顔を浮かべてジルファの手を取った。
「寒いよね。入ってよ」
カスミがジルファを家に上げる。ツバキは二人の様子を見て瞬時に理解した。含んだ視線をカスミに送る。
「いらっしゃい」
ツバキが笑顔を向ける。ジルファはよく分からない顔をして椅子に座らされた。
「見つけたよ。ずっと大切にしたい人」
ツバキの耳元で囁いた。
「やはり私の娘ですね」
ツバキが笑った。
「え? お父さんは年下だよね」
「初恋は年上でした。14歳は離れていました」
それを聞いてカスミは驚いた。そして、ジルファを見た。
「二人して何を話してるんだ」
ジルファが堪えられずに質問。
「なんでもない」
カスミが笑った。
ローラとフリッツは王の間に続く階段を登る。騎士は複雑な表情をフリッツに向ける。
「…………やはりな」
フリッツは顔を落としてつぶやいた。ここに自分の居場所はない。
「諦めないで。キュリアが通してくれただけ感謝しないと」
ローラは前を見た。キュリアが王の間につながる大きなドアを開ける。
「私ができるのはここまで」
キュリアが微笑む。
「ありがとう」
ローラも微笑んだ。キュリアの微笑みに力をもらった気がする。
「もし……この国を離れる事になっても親友だよ」
キュリアが拳を突き出す。
「当然だよ」
ローラも拳を突き出した。二つのこぶしが重なる。二人は笑顔を向けた。
「行くよ。フリッツ」
ローラは前を向いて歩く。そこにはイリアが待っていた。
「ようこそ」
イリアが立ち上がり一つ礼をした。ローラが前に進み方膝をつく。フリッツも倣う。
「顔を上げてください。ローラにはだいぶお世話になりましたから」
イリアが微笑む。
「ありがたいお言葉です。今日はお願いがあってまいりました」
「キュリアから聞いております。ついでにどうか願いを聞いてあげてほしいと」
ローラの願いはもう知っていた。キュリアがお願いまでしてくれたらしい。
「よい友を持ったと思っております。彼女は私の人生の宝です」
ローラは微笑んでそう言った。
「そうですか。この国が彼を追放すれば会えなくなります。あなたは付いていくでしょうから」
イリアはローラとフリッツを見てゆっくりと言葉をかけた。
「……それは残念だと思います。その場合はお察しの通り二人で旅に出ます」
ローラは自分でも驚くような落ち着いた声が出た。
「そこまで本気だと言うのですね」
イリアは顔を落とした。
「もういい。俺のせいでおまえが不利になるという事がよく分かった。そしてこの世界の狭さも理解した」
フリッツは立ち上がった。そしてイリアに背を向ける。
「フリッツ!」
ローラは立ち上がってフリッツの手を引いた。
「離せ。もういい。お前はここにいろ」
フリッツはローラの手を振りほどいた。そして来た道を戻っていこうとする。だが途中で立ち止まる。
「案外諦めが早いな」
真っ白な少女がフリッツの前に立った。
「お前は……?」
フリッツは疑問の声を出す。
「私か……? キュリアに呼ばれて来たんだよ。気は進まないが、貴様が駄目なら私はいいのかと思ってな。どうなんだ……賢王?」
少女がイリアを見た。
「キュリア殿はここまでしますか」
イリアは溜息をついた。それからローラに微笑んだ。
「負けました。いいでしょう。イリア・ド・フェイエルアーツの名において宣言する。フリッツをこの国の住民と認めます。ただし条件があります」
イリアがフリッツを見た。
「交換条件か……まあ仕方ない。言ってみろ」
フリッツはイリアを睨む。
「有事の際はこの国を守ってください。そして、ローラを守ってあげてください」
イリアは綺麗に笑った。フリッツは呆気に取られた。
「な……なに? それだけでこの国にいていいと言うのか?」
フリッツがローラを見た。ローラは頷いた。
「ふん。私と条件が同じか。賢王が聞いて呆れる。もう少し工夫しろ」
少女は背を向ける。
「努力いたします」
イリアが微笑む。
「でも……悪くない」
少女が綺麗に笑った。次の瞬間にはキュリアが走ってきた。
「この国にいられるの?」
キュリアがローラに抱きつく。ローラは頷いた。
「いられるよ。フリッツも」
ローラは満面の笑みを浮かべた。
「イリア・ド・フェイエルアーツ」
フリッツがイリアに声をかける。
「なんでしょうか?」
「俺はローラを守る。ローラがこの国を守るというのなら俺は全力で戦おう。そう約束する」
フリッツが静かに誓う。
「分かりました」
イリアは一つ頷いた。
ローラとフリッツは揃ってクリスの家に向かう。
「…………」
「よかったね」
無言のフリッツにローラは声をかけた。
「ああ」
フリッツの返事は短い。こういう人なのだろう。ローラはそれでもよかった。ふとローラがフリッツの手を握る。
「……どうした?」
フリッツは疑問の声を上げる。
「恋人はこうして歩くんだよ」
ローラが満面の笑みを浮かべる。
「そうか……。恋人というのは知識としては知っているが、こういうものか」
フリッツはローラの手を強く握る。ローラも強く握り返す。
「そうだよ。……私の寿命の事なんだけど」
ローラは小さな声で切り出した。
「代行者は代償を払う事で我らの同胞の力を借りる。力を貸すのはその者が気に入った場合か、異界からの侵攻に反対した獣達だ。ローラの代償は命なのか?」
フリッツはそこまで推論した。
「うん」
「あと何年だ」
フリッツは前を見てそうつぶやいた。
「あと三年。何もしなければだけど。先代は三年の寿命を一年で使い果たした。私も……」
ローラが顔を落とす。
「……あの少女のように俺達に近づいて一生を生きるか、人として最後まであがくか……選べ」
フリッツはローラの手を引いて抱きしめる。黒い霧がローラを包む。
「……私は……人として生きたい」
ローラが微笑んだ。その微笑みは儚く脆いものだった。どこかで迷っている微笑だった。
「分かった」
フリッツがローラを解放する。
「いいの? 私……消えてしまうよ?」
「構わない。だがその間は一緒にいろ。俺の光でいてくれ」
フリッツはローラの手を離さなかった。
「ありがとう」
ローラはフリッツの腕に頬を寄せた。残りの寿命をこうして生きていきたいと思った。可能な限り。
カイトは街を歩いていた。そこでフリスを見かけた。
「今日は一緒ではないのか?」
「気安く声をかけるな」
カイトの疑問に対してフリスは素っ気無い言葉を返した。いつものやり取りだ。そのまま行ってしまいそうになる背中に声をかける。
「なあ」
「あ? またあの修道女の事か?」
すぐにフリスは分かったらしい。
「そうだ」
カイトは素直に頷いた。
「ちっ……あの方が戻るまでなら付き合ってやる」
それだけ言って酒場に入る。入ってすぐにカウンター席に座る。
「何に……なんだ、フリスかよ」
マスターは残念そうな顔をした。
「お酒を朝から飲むのか?」
「いいや。いつもの二つ。代金はこいつが払う」
フリスは慣れた様子で注文。
「あいよ」
マスターは手際よくコーヒーを淹れる準備をした。
「コーヒー?」
「上手いんだよ、ここは。で……なんだ?」
フリスはコーヒーができる過程を見ながら質問。
「ああ。言ってしまったんだ」
カイトが前を見ながらつぶやく。
「ほう。その様子は答えを聞かないで逃げたな」
フリスが長い髪の間からこちらを睨む。話が早くて助かる。仲が悪そうに見えるが少ない言葉で分かり合える貴重な友だと思っている。
「そうだ。俺は答えを気かないで逃げた」
カイトは顔を落としてつぶやく。
「なら決めろ」
フリスはマスターのコーヒーを受け取って一口飲んだ。
「…………」
カイトも受け取る。一口飲む。ほどよく苦く美味しいコーヒーだった。酸味はほとんどない。カイトはこういうコーヒーが好きだった。
「強引に口説くか……答えを聞け」
容赦のない言葉がカイトの胸に突き刺さる。
「答えを聞けば断られる事がわかっているという口ぶりだな」
「そうだろう。あの女は根っからの修道女だ」
根っからの修道女。それはカイトが一番よく分かっている。
「そうだな。なら……俺は……」
カイトが手を握る。
「諦められないなら強引に口説け」
「強引に?」
「ああ。しつこく告白するなり、強引にキスするなり好きにしろ。じゃあな」
それだけを言ってフリスはコーヒーを全部飲み干した。そして立ち上がる。カイトが一人取り残された。
「……俺も行こう……」
代金を払ってカイトが外に出た。
フリスは少女を探す。城に行くと言っていたがそろそろ来るだろう。そこで見慣れた修道着の女性を見かけた。
「……ふん……」
フリスは笑ってしまった。先ほど相談を受けた相手にすぐに出会うとは。
「おはようございます」
エレナが丁寧に挨拶をした。
「……あいつならあそこの酒場にいる」
フリスが今居た酒場を指差した。エレナは驚いた。そして迷う。
「行けよ。あいつは迷ってる。あんたの言葉が必要だ」
フリスはそれだけを言って去ってゆく。エレナは決意を決めて歩き出した。
カイトはコートの襟を立ててから道を進む。
「おはようございます」
エレナが挨拶をした。カイトは立ち止まる。
「……おはよう」
カイトがぎこちなく返した。
「この前の事ですけど」
エレナはすぐに切り出した。カイトは聞くことにした。
「ああ。あの時はすまなかった」
「本当です。答えを聞かないで去るなんて」
エレナは頬を膨らませる。何だか可愛らしいと思ってしまった。
「答えを聞かせてくれ。もう分かっているけど」
カイトは弱々しく笑った。
「はい。私はこの世界に住む全ての人を愛しています。それが修道女の務めです」
エレナは祈りながらつぶやいた。分かっているそういう人なのだと。
「そうか。知ってるよ」
カイトが頷いた。
「でも……カイト君は好きですよ。特別に好きです」
「え?」
エレナの言葉が理解できない。
「カイト君が望むなら別の道を歩んでもいいと思ってます」
エレナが綺麗に笑った。フリスの言葉が脳裏に走る。強引に口説く。カイトは首を横に振った。
「エレナは修道女であるべきだ。俺はこのままでいい」
カイトが笑った。エレナはゆっくりとカイトに近づく。そして抱きしめた。
「無欲な神の子に祝福を」
エレナが囁く。修道女の言葉を。
「感謝します」
カイトが返した。
ローラとフリッツが帰ってきた時にはジルファとクリスは準備を終えていた。
「行けるか?」
クリスが問う。二人が頷いた。
「なら行こう。この国を守るために」
ジルファが外に出る。クリスも続く。二人は準備のために一旦家の中に入る。
「送り出すのは慣れないですね」
ツバキが心配そうな顔を浮かべる。
「無事に帰るさ」
クリスがツバキを抱きしめた。
「はい」
ツバキもクリスを抱きしめる。
「…………」
ジルファは顔を真っ赤にした。
「この二人はいつもこうだよ」
カスミがジルファに微笑む。
「そうなのか」
「こういうのは憧れる?」
「そうだな。結婚したのならいいのかもな。でも、人前は恥ずかしいな」
ジルファは苦笑いを浮かべた。
「うん。分かった」
カスミがにこやかに笑う。先ほどからカスミがジルファによく質問する。そして、たまに獲物を狙うハンターの如く鋭い視線を向けてくる。ジルファは冷や汗をかいた。
「お待たせ」
ローラとフリッツが揃って出てきた。二人の手は握られている。
「フリッツ、今はいいよ」
ローラは恥ずかしそうだ。
「恋人はこういうものだと言わなかったか?」
フリッツが首を傾げる。
「知ってる人の前では恥ずかしい」
ローラが顔を赤らめる。
「そうか。あれはいいのか?」
フリッツが手を離すと同時にクリスとツバキを指差した。抱き合う二人。
「あれは例外」
ローラが溜息をついた。
その様子をジルファが悲しそうな表情で眺めた。カスミがジルファの手を握る。
「気をつけてね」
カスミが笑った。
「ああ」
無事を祈ってくれる人がいる。ジルファはそれで満足することにした。
グレイルは真っ直ぐに前を見た。近づいてくるのが分かる。
「来るがいい。そして終わらせよう」
グレイルが平坦な道を歩く。もう後戻りはできないのだから
三頭の馬が走る。クリスを先頭に右側にフリッツとローラ、左側にジルファがいる。
「ここで止まる」
クリスが馬を止める。まだ夕刻である。夜には早い。
「早くないか?」
ジルファがクリスに質問。
「……敵と戦う時に疲労していては意味がない。この判断は正しい」
フリッツが評価した。ローラも頷く。
「ちっ……」
ジルファは舌打ちをして馬から降りる。
「何か不満があるのか?」
フリッツが馬から降りてジルファを見る。
「ないよ」
ジルファは溜息交じりに言った。
「ジルファ、仲良くしてよ」
ローラが間に入る。ローラを見てジルファの瞳が揺れる。
「くっそ」
ジルファは拳を強く握る。
「言いたい事があるなら言え。簡単に受け入れられるとは思っていない」
フリッツがジルファに冷静な青い瞳を向ける。その瞳には迷いがなかった。
「止めておけ。これは時間がかかる問題だ」
クリスがフリッツを止める。
「まずはテントを準備しよう」
ローラがフリッツの背中を押した。
「すまない」
ジルファが顔を落としてつぶやく。
「気持ちは分かる。だが……これ以上輪を乱すなら置いていく」
クリスはそれだけをつぶやいてテントを準備する。ジルファも馬からテントを準備した。
皆が黙々とテントを準備する。
「テントは二つでいいよね?」
ローラがクリスに質問する。
「三つだろう? 俺がジルファと同じテントでいい」
クリスが首を傾げる。
「私達も一緒でいいよ」
ローラがフリッツを見た。フリッツが頷く。
「…………そうか」
クリスはしばし黙ってから頷いた。もう邪魔はしない。
「ま……待てよ。男女で同じテントなんて!」
ジルファが叫ぶ。
「同じといっても見張りの時間もある。一緒に寝る時間なんて短いものだぞ? 何か問題があるか」
フリッツが顎に手を置いて思考。
「ないよ。くっついて寝るだけだもん」
ローラがフリッツに笑顔を向けた。
「はは……もう俺は知らん」
ジルファは黙々と二つのテントが立つのを手伝った。
香ばしい美味しそうな匂いがした。その匂いに誘われるようにジルファがテントの外に出る。そこにいたのはフリッツとローラだ。二人はエプロンをつけて何かを煮込んでいる。
「カレーか。定番だな」
ジルファが座る。
「効率がいい」
フリッツは鍋をかき混ぜる。その隣でローラが何かを削っている。よく見るとスパイスだ。
「……大丈夫だろうな。俺は普通のカレーでいいぞ」
ジルファはそのスパイスを見た。何だか辛そうなのだが。
「問題ない。東国の者に習ったカレーだ。その配合が一番上手い」
フリッツが微笑む。
「はいはい、そうですか」
ジルファは退屈そうに手を振った。
「最近のジルファ、感じ悪い」
ローラが頬を膨らませる。
「俺がひねくれてるのは捨てられてからだ」
ジルファは溜息をついた。
「ジルファ!」
ローラが涙を溜めて叫ぶ。
「……ローラに嫌われた方が楽か?」
フリッツが鍋をかき混ぜながらつぶやいた。
「なんだって?」
ジルファが立ち上がる。
「ローラが好きなのだろう? ローラに嫌われて楽になろうとしているように見えるが」
そこまで言った所でジルファがフリッツの胸倉を掴んだ。
「図星か。この八つ当たりもそろそろ迷惑だ」
フリッツがジルファを睨む。
「お前……!」
ジルファが拳を握る。その瞬間に乾いた音がした。
「止めて」
ローラがジルファの頬を手の平で張ったのだ。
「あ……」
ジルファは驚いた。フリッツを解放して数歩後ずさる。
「はっきりしなよ。私は残りの寿命をフリッツと生きる。何か問題ある? 文句がある? なら言って! 全部話して!」
ローラが叫んだ。ジルファはさらに数歩後ずさる。そして、何かにつまずいて転んで尻餅をついた。何と情けない事か。
「……ローラ、もういい」
フリッツがローラの肩を掴む。
「黙ってて。これは私とジルファの問題」
ローラがジルファを見た。
「……はは。敵わないな。俺はずっとローラを守りたかった。でも、側にいられるのは俺ではない。フリッツ……お前だ。教えてくれよ……急に守りたかった人がいなくなってしまったんだ。どうすればいい?」
ジルファが顔を上げて二人を見た。ジルファの表情はボロボロだった。見ているととても痛い。心を締め付ける。
「ジルファ……」
ローラは全部分かった。ジルファが守りたかった人は自分だ。
「……また見つければいい。守りたい人を」
フリッツがジルファを見てつぶやく。
「そんなに簡単に見つかるか!」
ジルファが立ち上がって叫んだ。
「そうだろうな。だがそうやって現実から目を逸らしていると見えるものも見えないぞ」
フリッツはお皿にご飯を盛り、カレーをかける。ローラが削っていたスパイスも適量つける。
「なにを……」
ジルファは分からないという顔をした。
「お前に特別な感情を抱いている者がいる。ずっとローラを見ていたら気づいてあげられない」
フリッツがカレーをジルファに渡す。ジルファは受け取った。その瞬間にカスミが自分の無事を祈ってくれていることを思い出した。
「そうか……」
ジルファはカレーを見つめた。
「俺もこの世界で生きる者だ。上手く生きていきたい」
フリッツは背を向けた。
「すまない」
ジルファはそれだけをつぶやいた。
「構わん」
フリッツは振り向いて微笑んだ。
「え……なに? なんで仲直り……わかんないーーーー!」
ローラが叫んだ。その様子をテントの中でクリスが見守っていた。
「大丈夫だな」
クリスが微笑んだ。これ以上状況が悪くなったら飛び出すつもりだった。だが何の問題もないらしい。だが我が娘がジルファを好きとは。動揺を隠せないクリスだった。
ローラは見張りが終わりテントに戻る。中には毛布が二枚引けるくらいのスペースがあるだけである。フリッツは瞳を閉じて眠っている。
最初の見張りがクリス。フリッツは二人目の見張りだった。ローラは三人目。今はジルファが見張りをしている。二人はこれから朝まで寝ていてもいい。フリッツの隣に毛布が置いてあった。だがそれは使わない。
「…………」
フリッツの寝顔を見てからローラはフリッツの毛布の中に入る。
「ローラか……毛布あるぞ」
フリッツが目を覚ました。ローラの毛布がある場所を指差す。だが毛布はなかった。隅に綺麗に折りたたんであった。
「ここがいい」
ローラが抱きつく。
「そうか」
フリッツは黙って瞳を閉じる。二人はそのまま眠りについた。
早朝。軽い朝食を済ませる。
「行くぞ」
クリスを先頭に馬を走らせる。おそらく今日には交戦する事になるだろう。皆は緊張した顔を浮かべている。
「安心しろ。近づけばだいたい分かる」
フリッツが前を見てつぶやく。
「仲間の位置が分かるのか?」
ジルファが質問する。
「ああ。だいたいならな」
フリッツは前を見てつぶやく。これなら奇襲を受けることはないだろう。
それから数時間後。フリッツが手を上げた。合図だ。皆が馬から降りる。近くにある木に手綱を括りつけて警戒して歩く。森を抜けて開けた草原に一人の壮年の男が立っていた。グレイルだ。
「来たか……すぐに終わらせる」
グレイルは異界の門に入る。それからすぐに姿を現した。以前と同じ悪魔の姿。
「行くぞ」
クリスがライフルを構える。ジルファとフリッツは剣を。そしてローラは地面を走り先行する。これがシラヌイの戦い方だから。
「我が命を代償に捧げ……」
大鎌を掴む。
グレイルはそれに応えて地面を走る。接近してローラに腕を振り上げる。
「……意志を貫くために力を!」
大鎌を横薙ぎに振るう。金属がぶつかるような音が聞こえた。大鎌とグレイルの爪がぶつかる。
「貴様は生かしてはおかない」
グレイルの強い瞳がローラを睨む。全てを憎んだ瞳。救うことはもうできないだろう。
「離れろ」
フリッツが接近。ローラが一度離れる。高速の斬撃。だが、グレイルは爪で全てを防いだ。フリッツと入れ替わるようにジルファが接近。
「次は小僧か」
隙をついたジルファの剣を楽に回避した。
「な……!」
ジルファは驚きを隠す事ができなかった。
「鈍いな……守る者を失ったか。哀れな」
グレイルの爪がジルファの胴に向けて突き出される。その爪をライフルの弾が弾く。
「離れろ!」
クリスの叫びを聞いてジルファが後ろに跳躍。だがグレイルが追ってくる。
「まずは貴様だ」
グレイルは執拗に爪を繰り出す。それを何とか防ぐが間に合わない。腕を足を切り裂かれる。
「くっそ」
ジルファは後方に跳躍。だがその瞬間に斬られた足が痛む。力を失い尻餅をつくように地面に倒れた。グレイルは冷たい瞳でジルファを睨む。それと同時に爪を高く上げて、真っ直ぐに突き出す。
「ジルファ!」
ローラが地面を駆ける。クリスもライフルで腕を狙うが止まらない。
ぎりぎりでローラがジルファを救い出す。だがグレイルの爪がローラの足を切り裂いた。ジルファを離してローラが大鎌を構える。グレイルは狙いをローラに変える。
「下がれ」
フリッツがローラの前に立って爪を弾き飛ばす。ローラとジルファが後方に跳躍した。
「フリッツ、その姿で勝てるとでも?」
グレイルの高速の爪がフリッツを切り裂く。霧が噴出する。
「俺は人として生きる」
剣で防ぎながらつぶやく。
「違う。見せたくないのだ。あの娘に!」
グレイルの叫びにフリッツの瞳が迷う。その一瞬の隙をついて爪がフリッツの胴を突き刺した。
「フリッツ!」
ローラは傷ついた足が痛むのも無視して駆ける。血が流れていようがローラは止まらない。
グレイルは腕を右に振った。フリッツが吹き飛んで地面に倒れる。ローラはフリッツを庇うように立つ。
「その足でよく来たものだ」
グレイルが爪を構えて走る。クリスの弾丸を受けても止まらない。ローラは意識を集中させる。
「ローラ!」
ジルファがローラの前に立った。その瞬間に瞳を開けた。ジルファが爪を止める。
「クロちゃん、ミクちゃん!」
黒竜がグレイルに噛み付く。それと同時にジルファが離れる。ローラはフリッツを抱えて飛んだ。あらかじめ決めていた攻撃パターンの一つだ。敵の目の前でローラが瞳を閉じるのが合図である。クリスが援護のためにライフルを放つ。それを受けてもグレイルはまだ余裕だった。
「かゆいな」
グレイルが黒竜を強引に吹き飛ばす。霧が溢れるだけで動きは止まらない。
「くっそーーー!」
ジルファがグレイルに向けて走る。クリスも動きに合わせて援護する。
「まずい」
クリスはジルファの動きを見て焦った。攻撃に意識が向きすぎている。ライフルをしまってハンドガンに変える。それと同時に集中。ハンドガンが赤く光った。
ジルファが剣を振り下ろす。それを余裕の動作で防ぐ。
「お前はつまらん」
左腕で殴打。だがジルファは倒れない。
「動きが直線的すぎる」
再度殴打。クローディアが横から狙うが、爪で切り裂いて防いだ。
「センスのかけらも感じない」
よろけるジルファの肩を掴む。そして、胴に向けて爪をまっすぐに繰り出した。その瞬間にジルファは顔を上げた。
「センスがないなら……力技だ!」
突き刺さったグレイルの手を掴んだ。
「クリス!」
ジルファが叫ぶ。
「分かっている」
クリスは右に回り込んでハンドガンを乱射。
「厄介な。だがこれでどうだ?」
グレイルはジルファを盾にした。
「ちっ……」
クリスが一度下がる。グレイルがジルファを盾にしながらクリスに向かって走る。
「お兄ちゃん」
ローラが足を庇いながら走る。だがとても間に合わない。
「もらった」
ジルファを投げ捨ててから、爪を構える。
「後は頼む」
クリスはキャノン砲をグレイルに押し当てる。迷わず引き金を引いた。鉄塊がグレイルの胴を貫通したが徐々に回復していく。
「貴様を倒せば」
グレイルがクリスを切り裂く。クリスの頭部をつぶすために腕を振り上げる。だがそれよりも速く高速の一閃がグレイルの腕を切断した。この速さを出せるのは一人しかいない。
「大鎌使いか」
グレイルが睨む。腕を斬られたが、後はローラを倒すのみ。腕も徐々に回復している。
「やらせない」
傷ついた足を庇いながらグレイルの猛攻を防ぐ。相手もだいぶダメージが残っている。回復が遅れている。首を落とせば倒せる。
「どちらが先に倒れるか」
グレイルは狂喜の笑顔を浮かべた。ローラの頬に汗が流れる。
ローラは爪を回避してから大鎌を構え、一閃。右腕を狙った一閃は途中で止まる。威力が足りなかったのだ。
「勝った」
グレイルは治りかけている左腕で大鎌を握りつぶした。ローラは再度集中する。大鎌をもう一度異界の門から取り出さねば。
だがそれよりも速く、グレイルの右腕が振り下ろされる。
「間に合って」
ローラが大鎌を掴む。だが間に合わない。切り裂かれると覚悟を決めた瞬間に、その攻撃を一体の獣の爪が止めた。全身が燃えた怪鳥。
「不死鳥?」
ローラは疑問の声を出した。赤くギラギラした瞳がローラを見た。ローラはすぐに分かった。
「フリッツか……この死に損ないが!」
グレイルが不死鳥を切り裂く。だが切り裂いた瞬間にグレイルの腕が燃えた。
「今なら」
ローラが燃えた腕を切り裂く。再生させようとするが再生した瞬間に燃えてしまい治らない。
「くっ……」
グレイルが後ろに下がる。
「一緒に生きる気はある?」
ローラは大鎌をグレイルの首に当てた。
「…………悪かった。説得に応じよう」
グレイルは何とか笑顔を向ける。その瞳をローラが覗く。
「ローラ!」
フリッツが獣から人に姿を戻す。その瞬間を待っていた。
「馬鹿が!」
グレイルが腕を振り上げる。
「全ての者に伝えられることはないんだね」
ローラが消えた。グレイルは辺りを見る。
「さようなら」
白銀の大鎌が眩しい光を帯びてグレイルの首を切断した。グレイルが光に変わる。
「ローラ!」
フリッツがローラの肩を掴んだ。
「フリッツ?」
「あいつには通じないと言っただろうが!」
フリッツが叫んで肩を揺する。
「い……痛いよ」
ローラが顔をしかめて抗議する。だがそれはすぐに終わった。
「心配した」
フリッツがローラを抱きしめる。ローラは驚いた表情を浮かべたがすぐに瞳を閉じる。
「うん」
ローラもフリッツを抱きしめた。
「勝ったか」
クリスが起き上がる。ジルファも何とか起き上がった。
「うん!」
ローラが笑顔を浮かべた。
「これでお別れだな」
フリッツがローラから離れる。
「どうして?」
「見ただろう。俺の本当の姿」
フリッツが顔を落とす。不死鳥の姿に似た怪鳥。
「そんな事は気にしないよ」
ローラが笑った。
「なに?」
フリッツが驚く。信じられない物を見た顔をしている。
「お前相手はローラだぞ。そんな細かい事を気にするか」
ジルファが笑った。
「ああ。敵を説得するような奴だぞ」
クリスも微笑む。
「それは馬鹿にしてるのかな?」
ローラが頬を膨らませる。
「本当に平気なのか?」
フリッツがローラに寄る。
「うん。平気。私はあなたの光でいるよ」
ローラが綺麗に笑った。フリッツが強くローラを抱きしめる。決して離さないように強く抱きしめた。
「だから痛いよー」
ローラが幸せそうに笑った。
早朝。平和な朝が戻ってきた。そしてローラには新しい生活が訪れた。
「フリッツ、朝だよー」
エプロン姿のローラがフリッツを呼ぶ。
「ああ。起きている」
ローブを纏ったフリッツが部屋から出てきた。部屋が二つと台所の狭い家。だが二人で生活できる家だ。ここから新しい生活が始まる。
「ありがとう」
フリッツは微笑む。並べられた朝食はパンに目玉焼き、サラダ、スープもある。完璧だ。
「いい奥さん見つけたよ」
ローラが笑った。
「そうだな」
フリッツが微笑んで座る。そしてパンを齧る。その様子をローラは見ていた。狭い家を幸せな笑顔が満たした。