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神の代行者  作者: 粉雪草
6/8

-戦場に咲いた小さな花- 最終回

 早朝。シラヌイはベッドから起き上がる。ベッドにかけてあるローブを右手だけを使い纏う。それから顔を洗いに外に出る。木で出来た廊下をほどなく歩いて洗面所についた。

洗面所は鏡が目線の高さにあり、後は蛇口があるだけの簡素な作りだ。

 シラヌイは洗面所で鏡を見る。髪が寝癖で跳ねていた。まずは手で押さえる。

「…………」

 手をどけたがまだ跳ねていた。溜息をついてまずは蛇口を捻る。その水をすくって顔にかける。冷たい水が鈍い頭を叩き起す。それと同時に体が震えた。外を見ると雪が降っている。寒い訳だ。

「お湯で洗ってくださいね」

 後ろから優しい声がした。振り向かなくても分かる。エレナだ。エレナはそっとシラヌイにタオルを渡す。それを受け取って顔を拭く。

「ありがとう」

「はい」

 エレナがにこやかに笑った。それからシラヌイの髪を櫛で優しくといた。

「柔らかい髪ですね」

 エレナがシラヌイの寝癖を直しながらつぶやいた。

「そうか?」

 シラヌイは好きなようにさせていた。もう一度鏡を見ると寝癖が直っていた。

「これでよし。いい結果を待っています」

 エレナが綺麗に笑った。

「ああ」

 シラヌイも微笑んで返した。



 ザイフォス強行派の教会入り口にゼファーは立っていた。

「…………」

 ただ無言で待つ。ほどなくしてシラヌイが現れた。視線を合わせる。シラヌイも一度視線を合わせた。

「行こう」

「ああ」

 短いやり取りをして二人は向かうべき場所に向けて歩き始めた。

「本当に色気も何もありませんね」

 溜息をついてエレナはシラヌイの背中を見送った。



 訓練場に鋭い音が響く。その音に合わせてするどい突きが放たれる。

 甲高い音。だが鈍い。その突きは訓練用の人形を掠っただけだった。突きを放った人物は驚愕の顔で人形を見た。

「……そんな……」

 キュリアは痺れる手を握った。腕が確実に落ちている。心の問題なのか、二日間まともに槍を握っていないからだろうか。焦る気持ちを抑えて再度槍を握る。鋭い突き。だがその突きは鋭さが足りない。人形の装甲に弾かれるだけで終わった。

「楽に貫けたのに……嘘……」

 もう一度構える。だが結果は同じだった。

「……嘘です……この……この……!」

 何度も突きを放つ。だが全く手応えがない。それどころか槍が負けてへし折れてしまった。あの戦場を耐え抜いた槍があっさりと折れた。それだけキュリアの突きが鈍いのだろう。

「……う……あ……」

 キュリアの腕が震えた。槍が腕から落ちる。それから周りを見た。まだ早朝だ。誰もいない。今まではマーリメイアがいた。サキアも一緒に汗を流した。だがもう誰もいない。

 キュリアは落とした槍を拾ってから早足に街に出た。少しでも心を落ち着かせるために。



 とある貴族の屋敷。礼服に身を包んだヴォルフは書斎にある椅子に座って書類を読んでいた。手元の机にあるコーヒーをすする。

「ふう。足りんな」

 書類に書かれている金額を見て溜息をついた。

 次の瞬間にドアがノックされた。

「どうした?」

 ドアを見る。ドアの外から執事が現れた。手には手紙を持っている。

「ヴォルフ様にお手紙です」

「捨てておけ」

 ヴォルフはそれだけを言って読んでいた書類に目を落とす。

「しかし……」

「二度も言わすな」

 低い声でヴォルフがつぶやいた。

「それがあんたの本心か!」

 怒りを含んだ少年の声。歳は10歳くらいだろうか。長い黒髪を後ろで結んだ少年だった。礼服を着ている所から貴族なのだろう。

「……何しにきた」

 書類を読みながらヴォルフがつぶやいた。こちらを見ようともしない態度が少年をさらに怒らせる。

「この……母様はずっと手紙を待っていたんだ!」

「……お前達は捨てたのだ」

 少年の言葉に冷徹な声が突き刺さる。少年は拳を握る。

「愛がほしいなら……ブレアの所に帰れ」

「母様は……死んだ」

 ヴォルフに向けて少年は呪詛をつぶやくように低く返した。握った手からは血が流れる。ヴォルフは顔を上げた。ヴォルフの瞳は震えていた。だが怒りに震える少年にはそれが分からなかった。

「そ……そうか。お前は知り合いの貴族に紹介をしよう」

 ヴォルフは動揺を隠すようにそうつぶやいた。

「そんなに遠ざけたいのか……この汚れた血を……」

 少年はそれだけを言ってヴォルフに背を向けた。それから元来た道を走って行った。

「すまない……ブレア……ジルファ……」

 ヴォルフはジルファが去ってからポツリとつぶやいた。



 王城に向けて二人は歩く。整備された岩で出来た道が橋のように王城へと進む。王城にはこの道を進まないと行けない。

「昨日は眠れたか?」

 ゼファーは前を歩きながらつぶやいた。

「全く眠れなかった。ゼファー殿は?」

 シラヌイが目元を触る。隈など出来てはいないだろうか。そんな事を気にしている自分がいる事に内心驚いた。

「俺は……別の事が気になってしばらく起きていた。まあだいたいは予想できるから気にせずに寝たがな」

 どうやらゼファーは派閥を纏めるという大仕事でさえ緊張しないらしい。その強靭な精神を貸してほしいとシラヌイは思った。こちらは緊張をして喉もカラカラだ。

「別の事?」

 本題に入ると緊張をするので別の事を話す事にした。

「たいした事ではない。ツバキが帰ってこなかっただけだ」

「それは重要だろう! もしかしたら敵に」

 シラヌイが慌てて叫ぶ。今来た道を今すぐにでも戻りそうなのでゼファーは慌てた。

「クリス殿も戻っていないだろう?」

「そういえば見てないな。それがどうしたのだ?」

 シラヌイが来た道を戻ろうとする体を止める。

「貴殿は俺以上に鈍いのだな。いや……疎いのか」

「……馬鹿にしてるのか?」

 苦笑したゼファーに対して、シラヌイが軽く睨む。その表情は怒っているが何だか可愛らしかった。

「いや……おそらく一緒にいるのだろう。俗に言えば朝帰りというものだ」

「…………」

 それを聞いてシラヌイが顔を真っ赤にした。

「案外……ウブなんだな」

「心配した私が馬鹿だった」

 シラヌイはゼファーの隣を横切って早足で歩いて行った。その後をゼファーは落ち着いた足取りで追った。



 ザイフォスにあるとある宿。クリスは朝日を感じて目蓋を開けた。目の前にはツバキが眠っている。就寝用の浴衣を着て、幸せそうな顔をしてクリスに抱きついていた。

「夢のようだな」

 クリスはそうつぶやいてツバキを撫でた。

「おはよう」

 ツバキが眠そうな声で挨拶をした。

「おはよう」

 クリスは優しく返す。それを受けてツバキは優しく微笑んだ。

「もう少し一緒にいさせて下さい。それから帰りましょうか」

 クリスの胸にうずくまってツバキがつぶやいた。クリスは無言でツバキを受け止めた。



 キュリアは折れた槍を持って街を歩いていた。キュリアの瞳には生気が感じられなかった。力なく歩いていると、りんごがキュリアの目の前に現れた。

「いったいどんな顔をしてるんだよ」

 横を向くと果物屋のおじさんが悲しそうな顔をしていた。

「こいつを食べて元気になりな。キュリアちゃんの笑顔がないと……どうも調子が出ない」

 キュリアにりんごを渡す。

「ごめんなさい」

 キュリアが小さな口を開く。りんごを齧る。とても甘いりんごだった。自然と涙が溢れた。

「泣いたら駄目だよ、騎士様なんだから」

 野菜を売っているおばさんがキュリアを優しく抱きしめた。

「そうだ。俺らを守ってくれたんだ。胸を張るんだ」

 街の住民がキュリアの元に集まる。

「でも……もう私達の部隊は……」

 キュリアは泣きながら皆を見た。

「数がいるなら俺たちが戦う」

 平民がスラム街の住民がキュリアに笑いかける。

「皆さん……いいのですか?」

「ああ。力になりたんだよ。キュリアちゃんの笑顔で皆救われたのだから」

 それを聞いてキュリアは大粒の涙を流した。

「ほら……笑って」

 住民が笑顔を向ける。キュリアが立ち直るように。

「はい」

 キュリアは涙を拭ってから満面の笑顔を向けた。



 王城の城門を潜り、正面に見える階段を登る。赤い絨毯が敷かれた豪華な階段。登った先に見えるのは巨大なドア。

「行くぞ」

 ゼファーがそう言ってドアを開ける。ドアを開けた先は広い空間だった。目の前には座っているのはこの国を治める者。シラヌイは始めて会う。その姿に驚いた。

「始めまして……私がこの国を治めるイリア・ド・フェイエルアーツです」

 シラヌイと年齢が変わらないであろう女性が名を名乗った。綺麗な金髪に緑色の瞳が印象的な女性。身に纏うのは緑色の法衣のような物である。

「なっ……に、この国は男が治めていると……」

 シラヌイは驚いて声を震わせた。

「表向きはそうなっております。最強の国を女性が治めている……しかもこんな小娘が治めているとなれば他国もつけ込んできます」

 イリアは綺麗に微笑んだ。その笑顔は可憐な一輪の花のように儚い笑顔だった。とても厳格な騎士の国代表とは思えない。

「久しいな。カナデ・エーデルワイス。それとゼファー・ヴィンセント」

 イリアの左隣にいる大司祭が二人を見た。彼は強行派の代表である、大司祭マウリッツである。茶色の髪に白髪が混じり始めた50代ほどの司祭だ。

「ゼファーから話はだいたい聞いておる」

 右隣にいる穏健派の大司祭である、デールがゼファーを見た。60を超え髪と髭は白く染まり、小太りな体型が印象的だ。

「はい。二つの派閥の不毛な争いを収めたいのです」

 ゼファーが膝をついて恭しく礼をする。シラヌイも倣う。

「それは限定的に……かな?」

 マウリッツはゼファーに確認する。

「いえ……今後ずっとです」

 シラヌイはそう言ってマウリッツを見上げる。

「ほう。この状況だ。二つの派閥が協力をするというのは分かる。だがずっと協力体制をとると」

 デールは長い髭に触れて思案する。

「協力体制ではありません。一緒にするのです。二つの派閥を」

 シラヌイはデールを見た。デールは目を見開いた。次にマウリッツを見た。マウリッツはシラヌイをずっと見ていた。

「……カナデ・エーデルワイス、お前に力を渡した人物の事は知っているか?」

 マウリッツがシラヌイに優しく微笑んだ。

「はい。元を辿れば二つの派閥を一緒にしようとしたのはその方が最初です。その方の名前と力を引き継ぎ……そして意志も引き継ぎました」

 強い瞳がマウリッツを見た。それだけで分かった。真剣なのだと。

「本気なのか、マウリッツ?」

 デールはマウリッツを睨む。

「デール大司祭、二つの派閥が争う時代は終わったのです」

 ゼファーはデールを見上げてつぶやいた。

「認めん! 私が強行派の下につくだと?」

 デールは腕を振るわせた。

「上か下かにこだわるのであれば、私が大司祭の座を下りよう」

 マウリッツは大司祭の帽子を取った。膝をついて帽子をイリアに手渡す。

「確かに受け取った。デール大司祭……それでいいか?」

 イリアがデールを見る。デールは信じられないという顔をしてマウリッツを見ている。

「どうしてだ! なぜ長年守ってきたものを簡単に捨てられるのだ!」

「もうワシらの時代は終わったのだ。彼女の手を見てみろ、デール」

 マウリッツは立ち上がってシラヌイの手を指差した。消えかけている左手。その手を見てデールは一歩下がった。

「代償……確か貴殿の代償は命。代償を払い終えれば光と変わる」

「そうです。もう私は長くありません。次の戦いで最後でしょう」

 シラヌイは左手を見せた。

「どうしてそこまでできる。残った命で……何かしたいことはないのか」

 デールの質問にシラヌイは首を振った。

「私が求めるのはこの世界が平和になること。エレナが……教会にいる者、この国の者が笑って暮らせるようにすること。もう私のような者は現れてはいけないのです」

 シラヌイが悲しく笑った。

「自分の命よりも……世界の平和か……ふ……ふふ……」

 デールは自嘲の笑みを浮かべた。

「デール大司祭?」

 マウリッツがデールを見上げる。

「マウリッツ大司祭、私らよりもよっぽど司祭らしいと思わんか?」

「……そうですな」

 デールはシラヌイに微笑んだ。

「……あなたはすごい方ですね」

 イリアはシラヌイに笑顔を向けた。

「いえ……私はただこの命が燃え尽きるまで精一杯に生きただけです。先代の……シラヌイという人物が作った道をただひたすらに」

 それだけを言ってシラヌイは立ち上がった。役目は終わったとばかりにシラヌイは外に向けて歩き出す。あとは大司祭とこの国の代表が決めてくれるだろう。消えいく者のやることはもうない。

「……イリア・ド・フェイエルアーツの名においてここに宣言する。二つの派閥は本日を持って一つの教会組織となる。その名を『エーデルワイス』とする」

 イリアの言葉にシラヌイは振り向いた。イリアはにこりと笑った。二人の大司祭は膝をついて一礼した。

「正装は黒いローブにカナデの花を形どったバッチをつけることとする」

 イリアは力強く宣言する。

「カナデの花は浄化の花。教会の組織としてはうってつけですな」

 デールは一つ頷いた。

「一番の立て役者の名前でもある」

 マウリッツも頷いた。それを聞いてシラヌイの瞳から涙が溢れた。

「こんなに嬉しい日は……ない」

「そうだな」

 ゼファーは立ち上がりながらそうつぶやいた。

「一番の功労者であるカナデ・エーデルワイスに今度の教会代行者のまとめ役の称号『シラヌイ』を与える。以後、励むように」

 イリアはそれだけを言って立ち上がった。

「はい。この命に代えても」

 シラヌイは最高の笑顔を浮かべた。その笑顔をイリアは瞳に焼き付けた。もう二度と見れないだろうから。



 シュレインは数人の騎士を連れてザイフォス周辺の偵察をしている。偵察は機動力が高い騎馬隊の任務である。

「現在……敵はいません」

 部下の騎士が報告をする。シュレインは一度馬を止める。確かにいない。辺りを注意深く確認してから手を上げる。それから撤退の合図を出す。

「戻るぞ」

 一声かけてからザイフォスに向かって馬を走らせた。



 キュリアは志願した騎士を連れて城内に入った。辺りにいた騎士は奇異の目を向けてきたが、キュリアはまっすぐ前を見た。向かうは王座だ。迷わない瞳をまっすぐに前に向ける。王座に続くドアを開けた瞬間に黒いローブを纏った代行者に出会った。確か名前はシラヌイ、それにゼファーだ。

「歩兵隊副隊長、キュリアです!」

 代行者を視界に入れないでキュリアが叫んだ。他の事が見えていないのだ。

「あら。今日はお客様が多いですね。シラヌイ殿……また会いましょう」

 イリアが笑顔を向けた。シラヌイは儚い笑顔を残して去って行った。もう会えない事は分かっているのだから。その背中を見送ってからイリアはキュリアに微笑んだ。

「さて……何でしょうか?」

 イリアは微笑んでキュリアを見た。キュリアは一度深呼吸をしてから口を開いた。



 サキアは城下を走っていた。キュリアが王座にいるというのだ。

「何をしているんだ」

 舌打ちをしてから駆ける。

サキアでさえ王に一度しか会った事がない。それだけ王は絶対的な権力を持っている。下手な事をすればこの国の貴族に消されてしまう。キュリアはスラム街の出身だ。ただでさえ立場が危うい。何かおかしな事が起きる前に止めなければならない。

 サキアは王座に続く階段を駆け上がる。そして力任せにドアを開けた。

 そこにはキュリアと街の住民がいた。その様子を見て絶句した。

「なるほど……志願をした者を騎士にする……今の状態では仕方ありませんね」

 イリアは笑顔を住民に向けた。志願した住民は歓喜の声を上げた。

「な……なりません。こんなスラム街から出てきたような下賎な者の言う事を真に受けては」

 貴族がイリアに助言する。

「では……騎士が不足しているという現状を打開する案はありますか?」

 イリアが貴族に目を向ける。表情は笑顔。だが質問は鋭い。

「そ……それは?」

 貴族が言い澱む。

「何もないのに、そのような事を口にしたのですか?」

 イリアがさらに畳み掛ける。貴族が黙る。

「私は質問をしています。答えられないのであれば……即刻ここからさりなさい。私は父とは違うのです。立場、性別、出身等で相手を下に見る者を側に置きたくはありません。もっと広い視野を持ち出直しなさい」

 イリアは貴族を睨んだ。先ほどまでの可愛らしさはもうない。一国の王がそこにいた。

「……認めていただけますか?」

 キュリアが一歩前に出る。

「貴殿……無礼であるぞ!」

 別の貴族が前に出る。

「いい」

 イリアが制して立ち上がる。キュリアの前にゆっくりと歩いてくる。イリアが口を開くよりも前にサキアがキュリアの隣に立って、キュリアの頭を強引に下げた。

「部下が無礼を働きました」

 サキアはキュリアの頭を抑えながらつぶやいた。冷や汗が頬を流れる。

「構いません。今の国には必要な案です。貴族、騎士、市民……皆で守る必要があります」

 イリアがサキアに対して微笑んだ。

「はい」

 サキアが頷く。

「志願した者を現時点で騎士として認めます。所属は歩兵隊。隊長はサキア殿……あなたです。発案者のキュリア殿は構いませんか?」

 イリアはキュリアの手を取った。

「構いません。また共に戦える事が誇らしくあります」

 キュリアが微笑んだ。

「この国を……守って下さい。私も……共に戦います」

 イリアは腰にある剣を抜いて掲げた。志願した市民は歓喜の声を上げた。

(私は父とは違います。示して見せます。共に歩める道を……シラヌイと名乗った代行者のように)

 イリアは心の中で決意の言葉をつぶやいた。



 シラヌイとゼファーは城の外に出た。

「緊張した。喉がカラカラだ」

 シラヌイが溜息混じりにつぶやいた。

「いるか?」

 ゼファーは腰にある水筒を手渡す。

「すまない」

 シラヌイは受け取って飲んだ。乾いていた喉が潤った。

「よほど緊張したのだな。ツバキも実はこういう事が苦手でな……終わった後は水を欲しがる」

 ゼファーはシラヌイから水筒を受け取りながらつぶやいた。前例があるからこれだけ用意がいいのか、とシラヌイは心の中でつぶやいた。

「そうか、それは……うっ……!」

 言葉を途中で切った。左足が痛んだ。次の瞬間には感覚が薄れる。立っていられずにバランスを崩した。

「おい」

 ゼファーが受け止める。支えられるが自分では立てなかった。ゼファーの胸に寄りかかるような形で何とか止まった。

「く……足だけは待って欲しかったが……仕方ないか」

 シラヌイが左足を見た。左足から光が溢れる。浄化の光だ。

「……それでも戦うのだろう?」

「よく分かってるじゃないか」

 ゼファーの問いにシラヌイは微笑んだ。額に大量の汗を流して、顔を真っ青にしてもシラヌイは自分を鼓舞するために笑った。

「なら……今は無理をするな」

 それだけを言ってゼファーはシラヌイの膝下に腕を回す。そのまま持ち上げた。

「お……おい!」

 顔を真っ赤にしてシラヌイが叫んだ。

「黙って運ばれろ。俺が疲れる」

 ゼファーはシラヌイをお姫様抱っこの要領で運ぶ。シラヌイはしぶしぶゼファーの首に手を回した。

「…………ありがとう」

 シラヌイはぽつりとつぶやいた。



 翌朝。ブレイズは真っ直ぐに歩く。目標はザイフォス。

 前を見ると白銀の雪景色。下を見ると獣と騎士の死体、折れた武具。戦場の痕だ。その様子を無表情な目で見ていた。

 ほどなく歩いた所でザイフォスの城壁が見えた。

「これで……終わりにしよう」

 ブレイズが大剣を上空に掲げる。そして振り下ろす。

 それと同時に獣が現れる。1Mの異形の獅子が獲物を求めて戦場を駆けた。

「終わりにしなければ……争いは……」

 ブレイズはそうつぶやいて戦場を駆けた。



 獣が走る音が戦場に響く。

「来たか……」

 真っ白な少女はそっとつぶやいた。

「ブレイズは……どうしてあそこまでするのですか?」

 少女の後ろでフリスがつぶやいた。

「知りたいか?」

「はい」

 少女の問いにフリスが頷いた。

「まだ時間はある……聞かせてやろう」

 そうつぶやいて少女は語った。一人の男の物語を。



 ブレイズは、元は東国の騎士だった。まだ20歳と若いが東国で最強の大剣使いだった。

 いつものザイフォスとの小競り合い。お互いに手傷を負って撤退する。そんないつもの戦いだとブレイズは思っていた。だが今回は違った。

「お……おい……あいつは……ヴァステル・ド・フェイエルアーツだ!」

 仲間の騎士が叫んだ。ブレイズは耳を疑った。その名は敵国の王だ。

「馬鹿な。最前線に王だと」

 ブレイズは大剣を構えて戦場を駆けた。もし本当なら、これは好機だった。王を討ち取れば東国に有利に進む。こんなくだらない戦いは終わる。

 だがその考えは甘かった。

「なんだ……これは……人間なのか?」

 仲間が次々と倒れていく。たった一人の人間によって。狙うべき相手、敵国の王によって。

「……こんなに人は脆い者か……。つまらんな」

 瀕死の東国の騎士に止めを刺しながらつぶやいた。それから別の弱っている騎士に向かう。

「た……助けて……」

 東国の騎士は体を引きずりながら逃げる。

「駄目だな」

 敵国の王は容赦なく大剣を振り下ろす。

「止めろーーーーーー!」

 ブレイズは戦場を駆ける。壊れた城壁が、折れた剣が邪魔で走りにくい。だが足は緩めない。

「ふん」

 ヴァステルは大剣を横薙ぎに振るう。ブレイズは何とか大剣を受け止める。

「がぁぁ!」

 激しい衝撃がブレイズを襲う。人間の力ではない。

「もろい」

 ヴァステルは強引に横薙ぎに大剣を振り切った。ブレイズは軽々しく吹き飛んだ。壊れた城壁に体をめり込ませてようやく止まった。

「な……なに?」

 ブレイズは血を吐きながらつぶやいた。これは本当に人間の力なのか。

「俺を人間だとでも思っているのか?」

 ヴァステルは不敵に笑った。その瞬間に矢がヴァステルを貫く。だが血は流れなかった。濃い霧が溢れるのみ。致命傷ではない。

「う……嘘だ……」

 ブレイズは驚愕で震えた。

「お前は生かしてやる。そして伝えろ。ザイフォスの王は無敵だとな」

 ヴァステルは豪快に笑った。ブレイズは必死で逃げた。逃げた先で真っ白な少女と出会った。あの王と同じ力を持つ少女。人間を超えた神の力を持った少女。そして、この少女を利用してザイフォスを滅ぼす事を決めた。その先に戦争のない世界を求めて。



 少女はそこまでをフリスに話した。

「ブレイズが狙う相手は……この国の王か。でも……」

「今の王は奴ではない。だがそんな事は関係ないのさ」

 フリスの問いに少女はさらりと答えた。

「どうしたら人はそこまでに壊れる」

「さてな。私も壊れた人間だからな。だが……いつでも人は戻れるよ」

「それは……?」

 フリスが疑問の声を出した瞬間に少女はランスを構えた。

「来るぞ」

 そう言った瞬間にランスを構えて少女が駆けた。



 イリアは緑色の法衣をたなびかせながら馬を走らせる。騎士達の最前列まで進み剣を高く上げる。前方に見えるのは異形の獣。白銀の雪で姿は見えにくいが、平原を進む獣の赤い瞳は怪しく輝いていた。

「前方に見えるのは異形の獣です。ですが臆してはいけません。あなた達は、イリア・ド。フェイエルアーツに仕える優秀な騎士です。自信を持って……」

 そこで一度言葉を切る。それと同時にイリアは馬を走らせる。

「我に続きなさい!」

 イリアは単身突撃をする。それを見て騎士は一斉に武器を構える。

「遅れるな!」

 シュレインが馬の足音に消されない叫び声を上げる。それを聞いて騎士が全力で戦場を駆けた。



 シラヌイは背中に大量の足音を感じた。今はシラヌイも馬に乗っている。左足が使えない状態では馬に乗って戦うしかない。

「お姉ちゃん、来たよ」

 背中にピタリとくっついたローラが後ろを気にする。

「そうだな。行くぞ」

 言葉を出した瞬間にシラヌイの隣をイリアが駆け抜ける。シラヌイはその後を追った。

「この命が燃え尽きるその時まで……意志を貫く力を!」

 シラヌイは最後の決意の言葉を口にした。異界の門から白銀の大鎌が出現する。それを掴む。今は力のほとんどが使えない。もうすでにローラに力が渡っている。だから連れてきたのだ。もし自分が消えてしまうのなら、全ての力をローラに渡したいからである。



 クリスは白銀色に輝くハンドガンをそれぞれの手に持つ。

「行きましょう」

 ツバキはいつもと同じで太刀と刀をそれぞれの手に持っている。短く言ってツバキが駆ける。その後にクリスが続いた。

 クリスが拳銃を構えた瞬間に二人の女性が敵に突撃をする。これがこの戦いの始まりだった。



 シラヌイは大鎌を振り下ろす。地を走る獣の頭部に当たり獣は地面に叩きつけられる。チラリと左を見る。そこには剣をしまって、槍を持ったイリアがいた。

「はぁ!」

 鋭い槍が獣を貫く。獣は頭部を貫かれて倒れる。

「吹き飛びなさい!」

 そのまま獣を投げ飛ばす。飛ばされた獣は別の獣に衝突した。心配した自分が愚かだった。代行者並みに強い。別の獣がイリアを狙うがそれはシュレインが吹き飛ばした。

「騎馬隊はイリア様を守れ! 来るぞ。シラヌイ! お前は気にせず突っ込め!」

 シュレインはシラヌイに叫ぶ。それに手を上げて応えた。もとよりそのつもりである。



 ブレイズはゆっくりと戦場を歩く。途中で倒れた獣を見た。それをうっとうしげに蹴り飛ばして、さらに歩く。

「……あいつはもういない。だが……ザイフォスは許しておけない。戦いを巻き起こす国だ。東国も同じ。誰かが止めなければならない。その邪魔をするのであれば……」

 ブレイズは大剣を構えて駆けた。



 シラヌイは荒い呼吸を繰り返す。チラリと左肩を見た。消えかけている。

「もう少し待ってくれ……お願いだ」

 霞む瞳で前だけを見る。大剣を構えた倒すべき敵。だがその前には獣が10体以上はいるだろうか。

「ちっ……邪魔だ」

 大鎌で先頭の獣を切り裂く。だが途中で大鎌が止まる。力が足りない。

「クロちゃん、お姉ちゃんを!」

 後ろでローラが叫ぶ。クローディアがシラヌイが倒しきれなかった獣を噛み殺す。それからシラヌイを守るように盾になる。獣が二体体当たりするがビクともしない。

「助かった……だが……これでは」

 シラヌイは悔しそうに顔を歪めた。

「何をしているのですか?」

 クローディアに体当たりした二体を強引に吹き飛ばす女性。ツバキだ。いつものにこやかな笑顔を浮かべてシラヌイに微笑んだ。

「道は切り開く」

 クリスが拳銃を乱射。獣の足が鈍る。

「お前の意志を貫くためのな」

 ゼファーが鈍った獣を吹き飛ばす。それと同時に修道服を着た二人が駆ける。神父とエレナだ。

「行ってください!」

 エレナの声と同時に獣の首をナイフが貫く。10体の獣が地面に倒れた。

「すまない……皆……」

 シラヌイは薄れる意識を何とか保って馬を走らせた。



 ガイウスは城門の前で大剣を持って一人で立っていた。前方には大楯を持った黒い鎧を着た部下がいる。

「守ってみせます。隊長が守りたかったものを」

 ガイウスはゆっくりと大剣を上げた。

「手伝おう」

 ヴォルフが隣に立つ。今回は騎士剣だけを持っていた。

「助かります。葉巻は止めたのですか?」

 ガイウスは横目にチラリと見て質問した。

「ああ。愛する者が死んだ時に吸ってなどいられん」

 ヴォルフはそれだけを言って前を見た。黒い鎧を着た騎士が吹き飛ぶ。騎士を吹き飛ばして獣が進んでくる。

「そうですか。あなたも守りたい人がいるのですね」

 ガイウスはそれだけをつぶやいて大剣を構えた。



 スレインはランスで獣を貫く。それと同時に辺りを見渡す。シュレインはイリアを守るので手一杯だ。サキアとキュリアを見ると戦い慣れない志願した騎士のフォローで手一杯。皆、ギリギリだ。唯一自由に動けるのがスレインだった。

「ちっ……」

 スレインは軽く舌打ちをした。前に進むか、国を守るために下がるか判断が難しい。部下は判断を待っている。チラリとキュリアを見た。

 キュリアは視線に気づいてから、城を指差した。ここは自分達で支える気らしい。前と全く同じ。歩兵隊だけが一番苦しい所に置き去りにされる。

「だが……これが俺達の役目だ」

 それだけを言ってスレインは馬を走らせた。不利を有利に変えるために戦場を駆けるのが騎兵隊の役目なのだ。今は城下を守るのが最優先である。そう心に言い聞かせてスレインは馬を走らせた。



 キュリアは荒い息を繰り返す。槍の切れは元通りだ。だが集中して戦えない。横を見ると不慣れな騎士が獣に圧倒されて転ぶ。

「くっ……」

 キュリアは戦場を駆けて、騎士に迫る獣を串刺しにする。

「ありがとう、キュリアちゃん」

 騎士は涙目でキュリアを見た。

「いえ……皆さん、適度に離れてお互いをフォローしてください!」

 キュリアが叫ぶ。それに応じて騎士が動く。

 その様子をサキアは見て、自嘲的な笑みを浮かべた。数日走り回ったがこれだけの数は集められなかった。だがこの子はこれだけの数を集めてきた。そして、不慣れな騎士もキュリアの指示を聞いて上手く戦っている。

「引退だな……だがその前に一仕事をしよう」

 サキアは剣を構えて、獣をなぎ倒しながら最前列に駆けた。



 少女は冷静に戦場を見ていた。向かってくる獣はランスで軽々と貫く。

「これは……周りを援護した方がいいか」

 少女は瞳を閉じた。フリスは慌てて少女の前に立つ。

「私はお前が守れ」

 そう言うと同時に騎士を守るようにランスが空中から降った。自分を守るランスはない。身を守る余裕もない。だが何も恐れなかった。少女には最高の盾があるのだから。

「この命に代えても」

 フリスは少女の前で剣を構えた。少女はその姿を瞳をうっすらと開けて見た。それから優しく微笑んだ。



 シラヌイはブレイズの姿がようやくはっきりと見える所まで来た。

「やあぁぁぁーーーーーー!」

 掛け声と共に一閃。それをブレイズが弾く。シラヌイは馬の上で器用にバランスを保つ。馬を再度ブレイズに向ける。

「ローラ、クローディアを!」

 シラヌイが短く指示。それを聞いてローラが集中する。

「クロちゃん!」

 ローラの声に応えてクローディアがブレイズに噛み付く。

「邪魔だ」

 ブレイズはクローディアを強引に振り払う。その間にシラヌイは距離を詰める。大振りな一閃。

「食らえ!」

 叫ぶと同時に大鎌がブレイズを切り裂く。馬の速さが合わさった一撃を受けて大量の霧が噴出する。それをチャンスと見てシラヌイは馬から飛ぶ。ローラは慌てて手綱を握る。シラヌイは空中で大鎌を振り上げる。

 渾身の一撃。

「甘い!」

 ブレイズは勝利を確信した笑みを浮かべた。シラヌイに向けて大剣が真っ直ぐに向かってくる。ブレイズの勝利を確信した表情をシラヌイは見た。だがシラヌイは止まらない。こちらも絶対の自信があるのだから。

「食らえ!」

 シラヌイは体を空中で右に逸らす。その瞬間に大鎌を振り下ろした。それよりも早くブレイズの大剣がシラヌイを貫いた。眩しいばかりの浄化の光が溢れた。その光を見た時にブレイズの表情は驚愕に変わる。ブレイズの大剣は確かにシラヌイを貫いている。だが、そこにシラヌイの体はなかった。シラヌイの左側はすでに光に変わっていたのだ。

 その事実に気づいた時にはシラヌイの大鎌がブレイズを切り裂いていた。その衝撃を受けて数歩後ずさる。シラヌイはバランスを保てずに右側に倒れた。

「馬鹿な……瀕死の……今にも消えかけている者に……これで終わるものか。いや……終わらせない」

 ブレイズは体から止めどなく霧を噴出しながら、不気味に笑った。ブレイズの霧が戦場を包む。その霧に包まれた者が一人、また一人と倒れていく。シラヌイはその様子を倒れたままで見た。

「止め……て見せる」

 大鎌を強く握る。だがもう戦う力は残っていない。悔しそうに歯を食いしばった。



 シュレインは辺りを見渡す。部下が一人、また一人と馬から落ちていく。シュレイン自身も体が重い。

「なんだこの霧は……!」

 そう悪態をついた瞬間に獣が突撃してくる。シュレインの騎士剣が獣を貫く。だが途中で剣が折れた。驚いている内に獣がシュレインの馬にぶつかる。気づいた時にはシュレインは空を舞っていた。



 その様子をサキアは霞む視界の中で見た。

「シュレイン!」

 叫ぶが駆けつける訳にはいかない。自分はこの歩兵隊の隊長なのだから。

「行ってください。ここは……大丈夫ですから」

 キュリアが槍を支えにしてつぶやいた。キュリアの後ろには志願した騎士がすでに倒れていた。それを守るようにキュリアが立ちふさがる。

「だが……!」

「守りたい人を守ってください」

 キュリアが微笑んだ。

「私は隊長失格だな」

 サキアはそれだけをつぶやいてシュレインの元に走った。



 真っ白な少女がバランスを崩す。

「ちっ……不浄の光と言った所か」

 周りの霧を見てそうつぶやいた。人を汚す光。浄化の光とは全く逆の物だろう。異界の存在の近い自分でさえここまで負担を強いられるのであれば一般の者はさらに辛いだろう。

「下がってください」

 フリスが荒い息を整えながらつぶやく。

「誰に向かって言っている。支えるぞ」

 それだけを言ってランスを空に出現させた。



 ツバキは獣を切り裂いた。だが次の瞬間にはバランスを崩す。

「大丈夫か?」

 クリスがツバキを支える。左手に握るハンドガンで獣を牽制する。

「すみません。少し立ちくらみが……大丈夫です」

 ツバキがクリスから離れて刀を構える。

「このままでは持たんぞ」

 ゼファーが二人の前に立つ。

「はい……皆、倒れ…ています」

 神父に支えられながらエレナがつぶやいた。エレナは前方を見る。シラヌイはどうしているのだろうか。



 ローラは馬をようやく手懐けて戦場を駆ける。

「お姉ちゃんは」

 ローラはシラヌイを探す。シラヌイは倒れていた。そして、ブレイズからは怪しい黒い霧が溢れている。それを浴びて皆が倒れている。

「止めないと」

 そうつぶやいた時にローラに力が溢れた。今までの二倍、いや三倍以上はあるだろうか。シラヌイの力が流れてきている。今なら戦える。もう守られる存在ではない。決意を固めて馬の手綱を持った時に歌が聞こえた。この歌はシラヌイの歌だ。浄化の歌。

 刹那、浄化の光が溢れた。戦場の黒い霧を消す暖かい光。全ての汚れを無くす穢れなき光。

「綺麗……」

 思わずローラはつぶやいていた。

 シラヌイは歌い続けた。ブレイズに向けて歌う。心の痛みを消すために。戦場で汚れた心を癒すために。ただ一人を想い、救うために歌う。

 その歌を聴いてブレイズがシラヌイを見た。

「なんだ……この歌は……」

 ゆっくりと霧を溢れさせながら歩いてくる。だがシラヌイは止めなかった。



 シュレインは馬から落ちた衝撃で骨が折れる感触がした。起き上がれない。

「シュレイン殿!」

 イリアが馬から降りて守るように槍を構える。そこに獣が向かってくる。イリアの頬に汗が流れる。その瞬間に歌が聞こえた。その歌が戦場の霧を消していく。異形の獣は力を失う。突撃も今までの鋭さがない。イリアが槍を構えた瞬間に赤い鎧が見えた。

「はぁぁ!」

 気合の入った叫びと同時に獣をサキアが両断する。

「ご無事ですか!」

 まずはイリアを気遣う。

「はい、シュレイン殿を」

 短く言ってイリアが馬に乗る。辺りを警戒するが獣の動きが鈍い。

「各員、押し返します」

 イリアの声を聞いて騎士が最後の力を振り絞って立ち上がった。それを見てサキアはシュレインを抱き起こす。

「大丈夫なのか?」

「ああ」

 サキアの質問にシュレインは微笑んだ。

「そうか。心配だから来てしまった。隊長失格だな」

「そこが……サキアらしい」

 シュレインは微笑んでから瞳を閉じた。

「ゆっくりしてろ。お前は私がずっと守るから」

 サキアはそれだけを言って、シュレインに軽い口づけをしてから立ち上がった。



 フリスは剣で獣を切り裂く。だが一人では止められない。獣がフリスを吹き飛ばして、少女に向かって駆ける。その瞬間に歌が聞こえた。

「……やっとか。暴れたかった所だ」

 少女は不敵に笑って向かってきた獣を串刺しにした。力の弱まった獣はあっけなく倒れた。

 フリスは起き上がって少女の前に立つ。

「もう守る必要はない。こいつらは雑魚だ」

 フリスを後ろに控えさせて少女が駆けた。



 ゼファーとクリスは弱ったツバキとエレナの前に立つ。その後ろで神父がナイフを構えた。

「抜かせない」

「むろん」

 クリスとゼファーは荒い息を整える。先ほどの黒い霧のせいで立っているのも辛い。だが今は暖かな光が包んでくれる。だから戦える。

「行っても……いいのですよ」

 ツバキが弱々しく立ち上がる。青ざめた顔は少し元気を取り戻しつつあるようだ。

「その必要はない」

 ゼファーは前を見てそうつぶやいた。向かってくる獣をただ黙って切り裂いた。それでよかった。シラヌイに会って自分に出来る事はないだろうから。

 クリスは弱ったツバキの前に立ち銃を乱射する。その背中をツバキは見ていた。

「……守られてしまいましたね」

 ツバキは頬を赤らめてつぶやいた。クリスはもう一人でも戦える。それを示すように白銀色の銃は精確に獣を貫いていた。ツバキはゆっくりと瞳を閉じた。そして、膝を地面につける。戦えないのならせめて助けになりたかった。前で懸命に戦うシラヌイを助けたい。そう思って祈りを捧げる。ツバキは浄化の光をシラヌイの歌に載せて戦場に届けた。



 ガイウスは獣を両断する。だが腕が悲鳴を上げている。

「このままでは……」

 獣の軍勢に押し負けてしまう。国に残っているのは戦えない者ばかり。どうしても引くわけにはいかない。

「こちらも限界だ」

 ヴォルフは左腕を押さえてつぶやいた。額には大粒の汗が流れている。だがその様子をあざ笑うかのように獣は突撃してくる。

「待たせた」

 その声と共にスレインが獣の背中を貫く。前線から戻ってきたのだ。騎馬隊が獣を貫いていく。それを見た時に助かったと思った。だが次の瞬間には背中に悪寒を感じた。

「キュリア殿は!」

 ガイウスは叫んでいた。部下が驚いた顔をした。

「まだ前線にいる。だから……」

 それだけを言ってスレインが馬から降りる。

「行ってこい。ここは俺らで大丈夫だ」

 スレインの声を聞いた瞬間にガイウスは走っていた。

「隊長を援護しろ」

 黒い鎧を着た騎士がガイウスの道を塞ぐ獣をなぎ倒していく。

「たとえ伝わらなくとも……守ってみせる」

 ガイウスはそれだけを言って馬を走らせた。

「……ったく、世話をやかせるな。どいつもこいつも」

 スレインは独語して獣をにらみつけた。



 キュリアは前に向かって進む。後ろには倒れた騎士がいる。志願した騎士だ。もう限界なのだろう。

「私一人で勝てるかな……」

 キュリアは霞む視界で獣を見た。ざっと5体はいるだろうか。一体でも抜かれたら後ろにいる騎士はやられてしまう。

「マーリさん……ごめんなさい。私もそちらに行きます。でも……ただでは死にませんから」

 キュリアが獣を睨む。それと同時に5体の獣が駆けた。一体を串刺しにする。

「りゃあぁぁーーーー!」

 強引に吹き飛ばす。後ろを走る獣にぶつかって足が鈍る。

「これで!」

 気合と共に槍をまっすぐに投擲。それが獣の頭部を貫いた。それを見るよりも早く地面に刺さった剣を抜いた。向かってくるのは残り三体だ。一体は遅れてくる。先に来た一体の頭部を剣で貫く。

「ぐう……!」

 頭部を貫いたが衝撃が体を貫いた。キュリアの小さな体は軽く吹き飛んだ。獣は勢いを衰えただけでキュリアに突撃してくる。キュリアは瞳を閉じた。終わりというのは案外あっけないものだと思った。

「諦めるな」

 その声は待っていた声だった。墓場で弱っていた時からずっと待っていた声。不器用だけど優しい男性の声。その声に応えて起き上がる。そして手を差し出す。

「来い!」

 ガイウスがキュリアの手を引いて馬に乗せる。キュリアはガイウスの背に体を預けた。もう動けない。信じて瞳を閉じる。

「ぬん!」

 重い声が戦場に響く。大剣が獣を切り裂く。残りは一体だ。ガイウスは大剣を再度振り回す。獣の頭部を粉砕した。

「やっと来てくれた」

 キュリアはガイウスの背に抱きついた。

「すまない」

 ガイウスはそれだけを言った。だがこれだけで良かった。しっかりと優しさが伝わってきたから。



 シラヌイはただ歌う。想いが伝わるように。この世界にはまだ希望があるのだと伝えるために。

「耳障りだ」

 ブレイズは動けないシラヌイに向けて大剣を構えた。大剣の刃がシラヌイに振り下ろされる。それでもシラヌイは歌を止めなかった。

「消えろ!」

 ブレイズは大剣を振り下ろす。

 ローラは馬を走らせながらその様子を見ていた。

「クロちゃん!」

 涙を流しながら叫ぶ。それと同時に祈る。間に合うようにと。黒竜がブレイズに噛み付く。それと同時にローラは馬から飛んだ。大鎌はブレイズの首を狙う。

 だが間に合わなかった。シラヌイに大剣が当たる。そこにシラヌイは残らなかった。眩しいばかりの浄化の光。

「うわぁぁぁーーーーー!」

 ローラの一閃は正確にブレイズの首を切り裂いた。ブレイズは濃い霧を発して倒れていく。

 ブレイズは自らの体が地面に倒れていくのを感じた。そして、死ぬのだという事も分かった。これが壊れた人間の末路なのだろうと思った。ここで死ぬのは自然だと思った。

(……それは違う……)

 声が聞こえた。これはあの歌を歌った女性の声。ブレイズの体に触れているシラヌイの光。

(あなたは間違っただけだ……またやり直せる)

 その声は優しかった。

「本当に?」

 ブレイズは弱々しくつぶやいた。

(……ああ。 ……もう一度生まれ変われる。今の罪は私が浄化する。だから安心して眠れ)

 それを最後に声は聞こえなかった。ブレイズは自らの命が消える瞬間に心が洗われるような気がした。ブレイズはゆっくりと瞳を閉じた。



 翌朝。今日も雪が降っていた。ザイフォスは戦闘の被害の修復に追われている。

 その中でエレナは戦場の痕を歩いていた。ある場所でエレナは屈む。

「会いに来ましたよ」

 エレナは優しく微笑んだ。そこには白い花が一輪咲いていた。その花が風に吹かれて揺れる。その瞬間に澄んだ綺麗な音がした。

戦場の痕は黒い霧で汚れていた。だがこの花は枯れる事もなく咲いている。そして、今も音を奏でている。その音が穢れた霧を浄化していた。この花は浄化の花。

「まだ歌っているのですか。本当に好きですね」

 エレナが花に触れる。それと同時にエレナの頬に涙が流れた。

「嫌ですね……泣かないと決めたのに……涙が……止まりません」

 白い花はエレナの心を癒すように綺麗に鳴った。

「シラヌイさん……ずっと……この場所を浄化するんですね。たった一人で」

 エレナは涙を流しながら言葉を紡ぐ。

「寂しくは……ありませんか? 私はまた…………会いに来ますよ。来なくていいと……か寂しい……です……から言わないでくださいね」

 エレナは時折言葉をつかえて、でも懸命に言葉を続ける。

「私は……見守り続けます。あなたと……そして託された者を」

 涙を拭いてからエレナはやっと微笑む。

「だからそこで見ていて下さい。私達の歩む世界を」

 エレナは立ち上がる。そして背を向けた。カナデの花がもう一度静かに鳴った。



読んでいただきありがとうございます。シラヌイを主人公にした話はここで終わりです。次回からは後日談になります。

感想、批評をいただければ幸いです。

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