-戦場に咲いた小さな花- 5
白い雪が平原に降っている。辺りは白銀の世界。ここはザイフォスの砦があった跡地である。今では戦争で壊れ廃墟となっている。所々で破壊された岩の城壁が見える。
「…………」
無言でブレイズが平原を進む。前方には呼び寄せた異界の獣がいる。あと数時間でザイフォスにつく。相手がどこで陣を組むのか前を睨みながら考えた。おそらく城門の前だろうと断定する。この数の獣を相手にするには全軍で出る必要がある。全軍が出た所で東国に攻撃されたら終わり。そのために外に出られない。城攻めとなるが滅ぼすのが目的であるので問題はなかった。
「もう少しだ」
ブレイズは前を見ながらつぶやいた。
城塞都市ザイフォス。城門付近。
城門付近を慌しく騎士が走っている。敵が来る前に準備を済ませないといけない。その様子をヴォルフは葉巻に火をつけながら見ていた。ふと横を見ると見慣れた男がいた。
「お前は余裕だな」
黒いローブを着たゼラルドが同じように騎士達を見てつぶやいた。
「俺は騎士を指揮する権力はないんでね。市民は城に避難させた。やることはない」
ヴォルフが葉巻を吸った。
「そうか。それは俺らも変わらんか」
前方を見る。騎士に紛れた黒いローブの集団。シラヌイ、クリス、ツバキ、ゼファーだ。皆、黒いローブを着ている。今回は東国が介入してくる可能性がある。そのために黒いローブを着ている。戦争にもルールがある。敵味方関係なく市民は保護する事が東国とザイフォスの中で取り決めがされている。捕虜にいたってもそうだ。そのため市民と兵士がすぐに判別できるように正装をするのが決まりだ。このルールがなければ市民に紛れて攻撃するという事が可能であるからだ。市民に紛れて攻撃をしてしまえば、市民も攻撃対象にされてしまう。それを防ぐためのルールだ。
シラヌイ達の黒いローブは教会代行者の正装。強行派、穏健派とも北の宗教国を止めるために参加する。東国の騎士とは戦闘しないが、東国が攻撃してきた場合のみ応戦すると教会の代表から通知があった。参加しない代行者は事態が納まるまで私服姿で過ごすことになる。
「落ち着きませんね」
ツバキが黒いローブを眺める。16歳くらいまでは黒いローブを着ていたが、最近は着物ばかり。なんだか違和感を感じる。
「着物を着ていてもいいんだぞ」
シラヌイが前を向いてぽつりと言った。
「参加できないではありませんか」
「もしかしたら東国と戦争になる」
クリスがツバキを気遣う。
「そうなるかもしれないからいるのです。戦争になる前に止めます」
「そうだな。この状態で東国と戦争になったら両国はかなりの被害が出る」
クリスは一度頷いてからつぶやいた。それは止めないといけない。だが止められる可能性が低いことは分かっている。確実に介入してくるだろう。
「我らの手で止めるぞ」
ゼファーが歩き出す。
「……ああ。ちょうど情報を持ってきたらしいしな」
シラヌイも前を向いて歩き出す。城門付近で黒いローブを着たグレイスがいた。早足で駆けてくる。
「……はぁ……はぁ……こ……これを……」
グレイスが息を切らしている。よく見るとボロボロだ。
「大丈夫か?」
シラヌイが紙を受け取る。傷を確認しようと前に出たが、グレイスに止められた。
「いい……早くいけ……」
それだけを言ってグレイスが膝をついた。
「すまない。エレナ!」
一度、後ろに向けて叫ぶ。すぐに修道着を着たエレナが走ってくる。それを見てから前を見た。
「行こう」
シラヌイの声を聞いて、皆は前を見た。グレイスは気になるが、冗談を言わない所を見ると状況はあまりよくないらしい。エレナに任せてシラヌイ達は戦地に向かった。
城門を赤い鎧を着た騎士達が抜けた。サキアの歩兵隊だ。城門を抜けた先には右側に馬に乗ったシュレインの部隊。左には大楯と大剣を持ったグリウスの部隊がいた。グリウスの部隊は城門の守備。シュレインの部隊は守備隊の前で待機。サキアの部隊はいつも通り最前線に向かう。
「行くぞ」
低いサキアの声が隊員の耳に届く。その声を聞いて隊員は武器を構える。
「抜かるんじゃないよ、お前達!」
マーリメイアが剣を高く上げて鼓舞。騎士達が剣を高く上げて応える。
「サキア歩兵隊……前進です!」
最後にキュリアの声が部隊に届く。それと同時に歩兵隊が前進した。それを他の騎士が見送る。今回の相手は人ではない。異界の獣。代行者が呼ぶ獣の強さは皆、知っている。それが100匹はいるというのだ。だが騎士達に恐怖はなかった。
キュリアは槍を握り締める。今回は皆剣と、小盾を持っている。敵の強さが分からないために盾を持つことにしたのだ。だがキュリアには盾がない。子供達の世話で鎧すら直せないキュリアが普段は使わない盾を持っている訳はなかった。ほどなく歩いてグリウスの守備隊を抜ける所で視界を黒い盾が塞いだ。
「うん?」
不思議に思って辺りを見た。そこには真顔のガイウスがいた。
「盾がないのだろう。これをやる」
ガイウスが小盾を渡す。渡してから背中に背負っている大楯を構えた。
「ありがとうございます」
キュリアが微笑んだ。それから左腕に盾を固定する。
「無事で」
ガイウスはそれだけを言って前を向いた。
「うん!」
一つ頷いてキュリアが駆けていく。その背中を見送る。マーリメイアに小突かれながら小柄な少女が進んでいく。自分の役目はこの門を守ること。今はそれに集中する。
朝から降っている雪が平原に積もる。真っ白な世界に真っ白な少女が倒れていた。
「こ……こまでか……」
少女は前を向いて微笑んだ。前を見ると黒い霧が見える。ブレイズがザイフォスに向かっているのだろう。それを止める力はもうない。生きるのも限界だ。その時に誰かが走ってくるのが見えた。
「ご無事ですか!」
赤いローブを着た少年。フリスだ。
「最後に会うのはお前か。立場が逆になったな」
少女は笑った。
「いったい何が! あの獣は!」
フリスは瞳に涙を溜めて、自らが信じる神を助け起こす。恐くなるくらいに冷たい。少女の体から霧が溢れる。それを止められない。
「ふっ……裏切られた。ブレイズに野心があるのは知っていた。力を取り戻してから対処しようと思ったが遅すぎたらしい」
少女が自嘲した笑みを浮かべる。
「ブレイズが……」
フリスは顔を青ざめた。次の瞬間には手を握りしめた。爪が食い込んで血が流れる。でも、止めない。
「私程度の存在で怒るな。生きろ……フリス。お前では止められない」
少女がフリスの頬に触れる。その手が黒い霧となる。
「何とか……助ける方法は……」
フリスが少女に触れる。
「あるには……あるがな……」
少女は笑った。フリスは少女を抱きしめた。
「嫌だ……先にいかないで……俺はあなたがいないと生きていけない」
フリスは必死にしがみつく。
「やれやれ……潔くいこうと思ったら」
少女がクスリと笑った。その笑みは姉のようで、母親のようだった。
「お前の命……半分もらう」
少女がフリスに抱きついた。黒い霧がフリスを包む。
「あなたが生きるなら……死んでも構いません」
「寂しい事を言うな。お前の命は私の命、私の命はお前の命だ」
その言葉を聞いた時に全身が痛む。体の内側が破れて変異していくような感覚。堪えようのない吐き気がこみ上げる。
「これでいい。さて……行くぞ」
少女が不敵に笑って前を進む。
「どこえなりとも」
フリスは後ろを歩く。もう自分は人間ではない。あの異界の獣達と同類。もう戻れない。
「聞かないのだな……」
ぼそりと少女がつぶやいた。
「……この体になってなんとなく分かったから」
フリスは自分の体を指して言った。
「そうか……自分の体のことだ。聞いておくといい。私はあの異界の門に落ちた始めての人間だ」
少女は歩きながら全てを話した。
今から30年前。当時12歳だった少女は異界の門に落ちた。まだ代行者などいなかった時代。異界の門という知識はなかった時代。
少女は東国で生まれた。ザイフォスと東国の国境の小さな村。両国がぶつかると、必ず戦火に巻き込まれる土地だ。その時は頻繁に戦争があった。まだ東国とザイフォスの戦力が互角だったからだ。簡単な小競り合いが度々起こった。
少女ももう12歳。ザイフォスが攻めて来た時は剣を握らされた。素人の剣で戦争に行った。子供ばかりの特攻部隊。敵であるザイフォスの騎士ですら顔を背けたくなる状況だった。
結果は全滅。少女は一命を取り留めて平原を体を引きずるようにして、這った。
「生きたい……生きたいよ。助けて……神でも天使でも悪魔でもいい……助けて」
少女は祈った。その時に少女の前に黒い空間が開いた。その中から太い腕が伸びて少女を黒い空間に引きずりこんだ。
その中は真っ黒な世界。黒い霧が辺りを覆う。左右を見るが何もない。ただ黒い空間だけ。
突如、獣のような鳴き声が前から聞こえた。前を見ると背に黒い羽を生やし、頭には二本角。まるで悪魔だ。どうやら最後に言った悪魔が力を貸してくれるのだろうか、と少女は思った。
だが言葉が通じない。
「あなたは何?」
言葉をぶつけても首を傾げるだけ。獣も困っているようだった。
「それなら……」
少女は獣に近づく。そして、触れた。霧が少女を包む。激しい激痛が襲う。だが、内側から直っていく感じがした。
「同じ姿なら分かるかな?」
少女はその霧を受け入れた。獣は少女を待った。霧が少女を包み込んでから解放する。そこには元の少女はいなかった。綺麗な金髪は真っ白な髪へ、青い瞳は琥珀色に、肌はさらに白くなった。
「……あなたたちと同じ……通じる?」
少女は声をかける。
「……ああ。貴様は力がいるのか?」
「うん」
言葉が分かる。少女は元気よく頷いた。
「なら……この力をやろう。これはお前達の世界にはない力だ。いずれ……この世界からお前達の世界に行くものがいるだろう。それを好まない者はお前達に力を与える」
獣は語る。
「どうして来るの?」
「ここは退屈だからだ。周りは何もない。黒いだけ。心を病ませ、気力を失っていく。お前達の世界は光に満ちている。だから行きたいのだろう。だが、それはこちらの都合。他の世界へと渡ることを否定するものも多い。その者達が力を貸してくれるだろう」
獣は語る。少女は小首を傾げた。
「ふーん。こんな世界……あなたたちに渡してもいいと思う。戦争ばかりの世界。殺しあうだけ。この世界は醜いよ」
「……そうか。お前はこの力で何をする」
「……そうね。戦いを終わらせようかな。私の国を作るの。そして、いつかザイフォスを滅ぼす。それで戦争は終わる」
少女は微笑んだ。
「……そうか。お前の寿命は永遠だ。この霧がお前の体から全てなくなれば死ぬ。それ以外では死なない。緩やかに成長をするが自分の意志で成長も止めれる。ずっと見ていくがいい世界を」
獣はそれだけを言って消えた。少女は異界の門から元の世界に戻る。
少女はザイフォスを見た。
「待っていなさい。この世界に……もう死はいらない」
少女は歩き出した。北に向けて。数年後、そこに国を作った。この力を崇拝する者が集まる国を。そして、今に至る。
全てを話して白い少女は前を向いた。
「ザイフォスを……潰す。ブレイズはそれをするために」
フリスはザイフォスを見た。
「ああ。だが方法がいけない。異界の門に頼りすぎている。あれでは異界からの進行を助けるだけだ。これではいけない。私は東国とザイフォス、両国の力を均等にして、潰し合うか、世界の平和を願うか……どちらになるかを見たかった。いろいろと邪魔が入ったがな」
少女は前を向いて語った。
「……当初とだいぶ違うんだな」
フリスが苦笑してつぶやいた。
「何年前の事だと思っている。今のザイフォスには平和に導こうとする者もいる。だから潰すのは惜しいと今では思っている。もう少し見守りたい。それが手ぬるいと思ってブレイズは謀反を起こした」
「……西国を滅ぼしたのは?」
「……若気の至りだな。国の一つが滅びる。その事実を世界に与えたかった。戦いの痛みを伝えたかったのだ。それで戦う者はいなくなると思った。でも、その後に起きたのはザイフォスと東国の全面戦争。あの時は世界に嫌気が差した」
少女は遠い目をした。
「……今は?」
「さてな……私はその舞台から降りた。だが自分がしたことの責任は取ろう。だからゆくのだ。もうこの世界に私達はいらない」
少女はもう話さなかった。戦争を憎んで、世界を見続けた少女。世界に悲観し、絶望しても、最後に世界を信じてみたくなった少女。知的で、志が高い人間なら彼女がやったことは愚かしい事だろう。でも、人間らしかった。
「だから……ついて行きます」
フリスは微笑んで少女の後ろを歩く。少女も微笑んだ。
サキアは剣を二本抜いた。その隣には黒いローブを纏ったシラヌイ。
「まさか貴殿と共に戦うとはな。ここでよかったのか?」
サキアがちらりとシラヌイを見た。
「ああ。時間がないからな。東国と戦争にはさせない」
シラヌイは一度深呼吸をした。目の前には異形の獣の集団。ざっと100体。こちらの歩兵隊は500だ。数では圧倒的に勝っている。
「そうか。私はこの国を守る」
サキアが剣を構えたと同時に獣達が前進する。
「我が命を代償に捧げ……」
シラヌイは騎士達よりも早く戦場を駆けた。
「……意志を貫くための力を!」
異界の門から大鎌を取り出す。白銀色の大鎌が煌く。先頭を駆けてくる獅子に向かって大鎌を振り下ろす。頭部に当たり獣が地面に倒れる。それを足場に跳躍。すかさずナイフを手に持つ。
「はぁぁーーー!」
気合と共に投擲。ナイフが獣の目に突き刺さる。二体が瞳を失ってあらぬ方向に走る。仲間の獣にぶつかり動きが鈍る。
「今です!」
キュリアが槍を構えて走る。その後に騎士が100人付いて来る。
「目と足を狙え」
着地と同時にシラヌイ。
「あいよ」
キュリアの後ろを走っていたマーリメイアが首肯。
「食らえ!」
マーリメイアが剣を振り回す。その剣が獣の足を切り裂く。獣はバランスを崩して転倒。転倒した獣を乗り越えて別の獣が向かってくる。
「ちっ……」
マーリメイアは舌打ちした。これは避けられない。1Mはある獅子のような獣。体重は倍以上はあるだろうか。
「数で対応して下さい」
ツバキがマーリメイアを抱えて跳躍。次の瞬間にはかんざしを抜いた。
「せい」
落ち着いた声とは違い高速のかんざしが戦場を切り裂く。獣の頭部に直撃。貫通した。貫通したかんざしは地面に穴を開ける。
「やるねぇ。離れしておくれ」
「はい」
ツバキが空中でマーリメイアを離す。着地と同時にマーリメイアは別の獣の頭部を切り裂いた。前を向く。今まで獣は代行者が倒した物を合わせて10体は倒しただろうか。こちらの被害は。周りを確認する。
「ちっ……やわいねぇ」
仲間を見て舌打ちをした。騎士が獣の突撃を受けて吹き飛んでいる。一度の突撃で10人が宙に浮いている。
「体勢を立て直して!」
キュリアが獣を槍で横薙ぎに殴り飛ばして、仲間に叫ぶ。突撃を受けて何とか命を取り留めた騎士が立ち上がる。キュリアの後ろまで下がる。
「早く!」
キュリアが叫ぶ。逃げ遅れた騎士達が50人。そこに獣10体が突撃。助からない。そう思った瞬間に黒いローブを纏った男が駆ける。
「ゼファーさん、何体飛ばせる?」
「半分だ」
ゼファーがそう言って矛を構える。
「分かった。こちらも全開でいく。三体は飛ばす」
クリスは巨大な銃を異界の門から出す。あまり使わないキャノン砲だ。1Mクラスの鉄塊が飛ばせるキャノン砲。
「ふん!」
ゼファーが先頭の獣を吹き飛ばす。それが隣の獣と一緒に吹き飛ぶ。返す刃でもう一撃。二撃で三体が落ちた。最後に一度回転しての一撃。二体が吹き飛ぶ。
「クリス殿」
「ああ」
ゼファーの後ろからキャノン砲を放つ。向かってきているのは残り5体。三発を迷わず放つ。鉄塊が三体の頭部に直撃。残った二体がゼファーに向かってくる。
「ぬん」
腕で一体を止めて、もう一体を体で受け止めた。激しい衝撃がゼファーを襲う。
「クローディア!」
シラヌイの声と一緒にゼファーに体当たりした獣を黒竜が噛み殺す。余裕ができたゼファーは獣の頭部を地面に叩き落した。
「ふう」
ゼファーが一息ついた。
「大丈夫か?」
「心配せずとも大丈夫だ。すまんな」
ゼファーはそれだけを言って次の相手に向かう。シラヌイは一度微笑んでから大鎌を握る。
ブレイズは戦局を冷静に見ていた。開始数分で、こちらの戦力は三割がやられた。相手の騎士は200人は倒れただろうか。残り300と代行者がいる。
「代行者を倒せないのなら意味がないな」
ブレイズは大剣を肩に乗せて歩く。
「第二ラウンドだ」
ブレイズは黒いオーブを手に持った。この戦場で死んだ騎士の魂を回収する。その魂を捧げて異界の獣を呼ぶ。
「耐えられるかな」
ブレイズは新しい獣を呼んで、自らも前進する。代行者を倒せばすぐにでも勝負はつく。この戦場で一番影響力がある人物に向かって歩いて行った。
サキアは向かってくる獣を剣で叩き落とす。さらに左から向かってくる獣を左に握る剣で両断した。
「きりがないな」
独語して剣を構える。
「隊長!」
キュリアがサキアの隣に立つ。それと同時に前方を指差した。新たな獣を100体連れて、赤いローブの男が前進してくる。
「指揮官か。だが……この数では」
仲間の数を確認する。指揮官を倒すためにサキアが離れたら全滅だ。
「シラヌイ! 指揮官が来た」
力の限り叫んだ。サキアの前で戦っているシラヌイは片手を上げた。それと同時に前に向かって駆ける。
前方に向かう所でシラヌイはツバキを見かけた。見かけたと同時に叫ぶ。
「ツバキ!」
シラヌイの叫びを聞いてツバキは振り向く。
「一人で行くのですか?」
シラヌイが周りの獣を無視して戦場を駆け抜けて行くのを見てツバキは質問した。
「いや……二人で」
シラヌイはツバキを見ながらつぶやいた。頬を赤らめて恥ずかしそうだ。協力をするとは言ったが、頼むにはまだ遠慮があるらしい。こんなに可愛らしい所があるとは思ってもいなかった。ツバキは微笑んでしまった。
「仕方ありませんね。ゼラルドさん、任せました!」
ツバキが後方にいるゼラルドを見た。ゼラルドは戦線から離れて様子を見ている。ゼラルドに向けて叫ぶと同時に刀を上げて合図。それを見てゼラルドが疾走を開始した。
「行きますよ」
「ああ」
二人の代行者が前に向けて突撃した。シラヌイは前だけを見ていた。ツバキも前を見る。茶化すような余裕もないので終わったらにしようとツバキは思った。お互いに生きて笑顔を向けられたいいと思ったのだ。
シュレインは馬の上で戦況を見ていた。騎馬隊の前方にいたゼラルドは歩兵隊に加勢に向かった。それを見てシュレインが手綱を掴む。
「まだだ」
それを見てスレインが止める。
「分かっている」
シュレインは歯がゆそうに前方を見る。赤い鎧を着た歩兵隊が異形の獣に飛ばされている。サキアとキュリアもボロボロだ。シュレインが拳を握る。これでは見殺しだ。
「予想ではそろそろ来る。俺が東国の指揮官ならもう数分速く攻撃する」
スレインが東を見た。
「……来たか。先手を取る。防衛に集中している部隊がまさか突撃してくるとは思わないだろう」
シュレインが東に馬を向ける。
「冷静じゃないか。合図を!」
スレインが部下に合図。部下がグリウスの部隊に合図。グリウスの部隊が二手に分かれる。隊長であるグリウスは城門の前へ。部下のガイウスが前進した。シュレインの部隊の代わりである。第二の主戦場である。サキアの部隊を抜けた獣と、シュレイン達が倒せなかった部隊がなだれ込んでくるからだ。
仲間を残して騎馬隊が東から迫る東国の騎士に向けて突撃した。
ガイウスは大楯を構える。前方から獣が突撃してくる。サキアの部隊を抜けてきた獣である。体に剣を刺した獣。仲間を吹き飛ばした獣だ。
「大楯、構え!」
騎士達が10人で固まる。大楯を合わせて密集する。そこに獣が衝突する。
「耐えろ!」
騎士が獣の突撃を大楯で受け止める。獣の動きが止まる。
「解除!」
ガイウスの号令で大楯での密集隊形を解く。大剣が獣を切り裂く。初撃は何とか止めた。第二派が迫る。騎士達がまた密集する。大楯が獣を止める。
「くっ……」
ガイウスは大剣を強く握った。防ぎきれなかった騎士達が吹き飛ぶ。それでも何とか騎士が踏み留まる。
「耐えるんだ……決して通すな。前方で戦う仲間のために……明日のために!」
ガイウスが大楯を捨てる。突撃して獣を切り裂く。無防備になったガイウスを騎士達が大楯で守る。楯も鎧もボロボロの騎士達。だが決して後ろには引かなかった。
シラヌイは戦地を駆け抜ける。見ているのは大剣を構えた壮年の男。この騒動を起こした者だろう。
「速すぎます!」
後ろからツバキが注意。ツバキもかなり能力を使って加速している。それを振り切る速さでシラヌイが走る。
「もう止まれないから。時間がないんだ」
シラヌイは前を向いて、走りながらつぶやいた。シラヌイが右手に大鎌を持ち替えた。ナイフホルダーを捨てる。もう使えないから。
「あなたという人は……!」
ツバキが本気で怒った声をシラヌイは始めて聞いた。
「すまない……無理だったら頼む」
「断ります。生きてください」
ツバキはシラヌイの左手を見た。指が光へと変わっている。力を使っている時だけは消滅の危険があるらしい。もう時間がない。力を使わなくても一年生きられるかどうか疑問である。
(……どうしてシラヌイは……私を悲しくさせるのですか……)
二人のシラヌイに対して心の中でつぶやいた。だが今度は助けて見せる。隣にいるのだから。
「生きるぞ」
「ええ」
二人が目標に向けて駆ける。
ブレイズは大剣を構える。
「たったの二人で来るとはな」
前を睨む。まずはシラヌイが駆けてくる。高速の銀閃。ブレイズが目を見開いた。
「なるほど」
銀閃を受け止めて感嘆の声を出した。二人で来るだけの事はある。目にも止まらない速さだった。ハールベイトといい勝負だろう。
ちらりと左側を見る。太刀がブレイズを狙う。タイミングのあった連携。二つの派閥がここまで息を合わせられるとは内心では驚いた。
「吹き飛び……なさい!」
ツバキの声と共に太刀が振るわれる。それをブレイズが左手で受け止める。手から、腕から霧が溢れる。だがそれだけだ。
「諦めろ」
ブレイズが低くつぶやいた。シラヌイを大剣で吹き飛ばし、ツバキの太刀は左手で握りつぶした。ツバキは慌てて後ろに飛ぶ。
ブレイズが腕を上げて合図。異界の獣が二人を襲う。
「この程度で……止まるものか!」
シラヌイが叫ぶと同時に跳躍。獣を飛び越えて、さらに高く。日を背中に背負って大鎌を振り下ろす。回避することなく大剣で受け止める。刹那、シラヌイが消えた。
「ちっ……」
慌てて後ろに振り向こうとする。だが間に合わない。
「……滅……!」
高速の銀閃がブレイズの背中を切り裂く。大鎌を受けて半歩前にバランスを崩す。バランスを崩した所に刀が煌く。
「瞬撃!」
高速の6連撃。最後の一撃を当てた瞬間に半歩下がる。視線でシラヌイに合図。
「クローディア!」
シラヌイの声に応えて黒竜がブレイズに噛み付く。宙高く上げて、地面に叩きつける。地面に当たり、跳ねるように浮いた。
「刹那!」
ツバキが異界の門から刀を取り出す。空中でブレイズを突き刺して止める。それと同時にシラヌイが跳躍。
「……終撃……!」
シラヌイの大鎌がブレイズを左下から右上に切り裂く。さらに空中で一回転、胴を切り裂いた。ツバキの終撃よりも速く鋭い。ブレイズが地面に向けて吹き飛ぶ。
「人の技を勝手に使って……」
着地したシラヌイの隣にツバキが立つ。シラヌイがうっすらと微笑んだが、すぐに表情を引き締める。
「手応えがない……来るぞ」
砂煙の中から高速で突撃してくるブレイズ。シラヌイが駆ける。その動きに合わせてツバキが動く。
「調子に……乗るな!」
ブレイズがシラヌイに斬りかかる。それをシラヌイが回避。後ろに回り込む。背中を斬るために大鎌を振り上げる。
刹那、上空に違和感を感じて右側に飛ぶ。足を何かが切り裂いた。
「ぐっ……!」
足を押さえながら着地。そこには剣があった。
「シラヌイ、この力は!」
「分かってる」
シラヌイは嫌な汗を拭う。あの白い少女の力だ。武器の雨を降らせる技。足が思うように動かない。速さを失ってどこまでできるか。こいつだけは倒さないといけない。
「例え……この命が燃え尽きても……」
消えかけている左手を強く握った。
東国の騎士がザイフォスに向けて進む。今は傾斜を登っている。ここを登れば戦場を見渡せる。
「なんの音だ? 報告に聞いている獣か?」
東国の騎士が疑問の声を出した。何かが走る音。人間ではない。動物が走る足音だ。
「突撃!」
シュレインの声が馬の足音よりも大きく、部隊の全ての人員に聞こえるように響く。凛としたよく響く声。
「続け!」
スレインがランスを構えて突撃。傾斜を登りきった所で東国の騎士がいた。突如現れた騎馬隊に部隊は混乱。次々になぎ倒す。初撃は成功。
「数を減らせ」
シュレインが槍で騎士を貫きながら指示。こちらの数は500で、相手は約1500である。倍以上の数を圧倒するには初撃でどこまで減らせるかが重要である。
「相手は少数……怯むな」
東国の指揮官が即座に指示。東国の騎士の混乱が収まる。固まって数で押してくる。
「想定内……行ってくる」
スレインがシュレインの横を通り過ぎる。敵の指揮官を討つためである。
「待て!」
シュレインがスレインを止めるために声を張り上げたが遅かった。すでにランスを構えて突撃している。
「くっ……可能な者は続け!」
シュレインが素早く指示を出した。
サキアが剣を振り回す。それが獣の頭部に当たる。だが倒せることはなかった。途中で剣が折れる。
「くっ……」
勢いを止められない。残っている騎士はざっと100名。多くが倒れた。サキアを狙う獣をキュリアの突きが救う。
「下がって……く……だ……ゴホっ……」
獣は倒したがキュリアは苦しそうだ。言葉を最後まで言い切れずに血を吐いている。槍を支えにしてどうにか立っている。サキアの前で戦っているのだ。当然である。鎧はすでに元の形状を保っていない。槍もボロボロ。ガイウスから貰った盾は破壊されてしまった。盾がなかったらすでに倒れていただろう。
「下がるのはお前だ」
サキアが庇うように前に出た。
「そうだ。無理しやがって」
マーリメイアも前に出る。
「二人とも……死んじゃう……」
キュリアがボロボロと泣いた。二人とも立ってるのもつらいのに、守ろうとしてくれる。
「死なないさ。皆がいる」
サキアが周りを見た。赤い鎧を着た騎士がキュリアを守るように布陣。
「どうして……?」
「皆……あんたが好きなんだよ。それに一番歳下で、一番小さいのがここまで頑張ったんだ。私達がやらない訳にはいかねぇよ」
マーリメイアが一歩前に出る。
「そして、さらに前で戦っている者が4人もいるんだ。負けられない」
サキアも一歩前に出る。
「行くぞーーーー!」
マーリメイアが突撃。それに瀕死の騎士達が続く。キュリアは動かない体が悔しくて涙が出た。
サキアの歩兵隊の前方で三人の代行者が戦っている。サキアの歩兵隊が全滅しないのは彼らのおかげである。
ゼラルドの大鎌が獣に弾かれる。
「ちっ……」
ゼラルドが舌打ち。腕に力が入らない。これで100体目だ。さすがに限界だ。
「ぬん!」
ゼファーが矛を振り回す。数体吹き飛ばせずに体当たりを食らう。
「ぐっ……」
ゼファーが吐血。鋼の体もすでにボロボロである。
「諦めるか!」
クリスは霞む視界で銃を放つ。明らかに無理をしすぎだ。三人は最前線で戦い続けている。その前でツバキとシラヌイが戦っている。とてもではないが引けない。
倒れそうになる体を何とか支えた所で足音が聞こえた。振り向くと瀕死の騎士が突撃をしている。
「ふん。無理をしているのは俺らだけではないようだ」
「ふむ。ここで倒れたら恥だな」
「そうだな」
ゼラルド、ゼファー、クリスが口々につぶやく。彼らの瞳に光が戻った。
第二の前線。ガイウスが指揮をしている守備隊だ。突破してきた獣と東国の騎士がなだれ込んでくる。それだけなら何とか防げる。
「大楯を! 上にくるぞ!」
ガイウスの指示で頭上に大楯を構える。2Mはある岩が飛んでくる。敵の投石器だ。それを受けた騎士が吹き飛ぶ。小振りな岩はなんとか受け止められるが、無防備な所を獣と騎士に攻撃をされて騎士が倒れる。今では城門を超えて市内に向かった獣もいる。
「通すな!」
ガイウスが大剣を振り回す。岩を砕き、騎士を両断する。
「将がいるぞ。狙え!」
東国の騎士がガイウスに狙いを定める。矢が、岩が獣が突撃してくる。
「この程度で……」
血を吐きながら耐える。仲間が戦っている。ここで倒れる訳にはいかないのだ。
城門前。グリウス一人が城門の前に立っている。残りはガイウスの援護に向かわせた。
「来い……死にたいのであればな」
グリウスが大剣を向ける。東国の騎士は怯え、獣も後ずさる。それだけの迫力があった。
「一人で何人倒した?」
東国の騎士が後ずさる。ガイウスの部隊を抜ければ勝てると思ったのだろう。それが甘かった。グリウスはここを一人で支えている。どれだけ攻撃を受けても倒れない。鋭い瞳は決して衰えない。
「来ないのであれば……」
グリウスが駆ける。東国の騎士を両断。
「一斉にかかれ!」
東国の騎士が一斉に斬りかかる。
「ぬん」
大剣を横薙ぎに振るう。騎士を吹き飛ばす。隙をついて獣が突撃。グリウスを吹き飛ばす。だが倒れない。
「くっそ……構うな。通り抜けろ」
騎士がグリウスを無視して横を通り過ぎる。大剣が通り抜けようとする騎士を吹き飛ばす。だが数名が突破。
「くっ……突破されただと!」
グリウスが駆ける。今から間に合うだろうか。むしろここを離れたら市内に敵が入ってしまう。
だが突破した騎士は市内には入れなかった。
「手伝おう」
左手に葉巻、右手に騎士剣を持ったヴォルフが騎士を倒した。その剣技は見事としか言いようがなかった。背後で歓声。それを片手を上げて応える。ヴォルフは向かってくる騎士を流れる動作で切断した。
「後ろは任せた」
「ああ」
二人は城門を背にして武器を構えた。
ザイフォスの東側でシュレインの騎馬隊と東国の大部隊が戦っている。戦力比はざっと1対5だ。
「もう一度だ!」
スレインは部下に合図。スレインはランスを構える。後ろの部下も突撃用のランスを構える。スレインが馬を走らせる。狙いは隊長クラスの騎士だ。隊長の周りには大楯を持った重装甲の歩兵。
ランスを敵の大楯が弾く。次の瞬間には矢が騎馬隊を狙う。
「下がれ!」
槍で矢を弾きながらシュレインが馬を走らせる。それを横目で見ながらスレインが一度下がる。その後ろで部下が矢を受けて倒れる。ランスを握る腕に力を込める。とてもでないがもたない。シュレインの部隊だけで東国と戦争しているようなものだ。数が足りない。
「ぐっ……」
スレインの脇を矢が掠る。鎧が砕けてバランスを崩す。
「まだまだ……」
スレインは馬の向きを変える。再度、突撃の構えをする。前方ではシュレインが一人で戦っている。その隙に隊列を整えて再度突撃。敵は大楯を構え。その間に矢を装填したボウガンを構える。
「止まるな!」
スレインが叫ぶ。騎士は止まることなく突撃する。多くの騎士が突撃をする前に倒れる。だが止まらない。大楯を構える騎士を吹き飛ばす。馬が一頭通れる道を作る。
「シュレイン!」
スレインが叫ぶ。それを聞いてシュレインが出来た道を馬で駆け抜ける。その突撃は鋭く精確だった。
敵の隊長が慌てる。部下がボウガンを構える。矢がシュレインの鎧を貫く。だが止まらない。仲間が作ってくれた道だ。戻る気はない。
「その首……もらった!」
シュレインの剣が隊長を討ち取る。そのままの勢いで敵陣の突破。仲間と合流する。敵は隊長を失い、じりじりと後退する。だが、すぐに別の部隊と合流。隊を再編する。
「きりがないな」
スレインが額の汗を拭う。
「俺達はできる限り突破されないようにすればいい」
シュレインは刺さった矢を抜く。ポーチから包帯を取り出して、腕に巻いた。少しは出血を抑えられるだろう。
「ああ。乗り切るぞ」
スレインがランスを構えた。
ザイフォス、教会。
ローラは教会の祭壇の前で祈っている。皆が無事に帰ってくるようにと。戦いが始まってからずっと。本当は外で負傷した騎士の手当てを手伝いたい。だがそれはエレナに止められた。ローラにはまだ早いと言われたのだ。教会のドアを開ければ、そこはまさに地獄だった。負傷した騎士がずらりと並んでいる。その騎士をエレナを中心とした街の住民が手当てをしている。何もできない自分が悲しくて悔しい。
「戦う力はあるのに……」
ローラは腰につけたナイフを触る。金属の冷たさが手に伝わる。その冷たさを感じて背筋に寒気がする。まだ感じた事がない実戦の恐怖。その中にクリスとシラヌイはいる。今も無事かどうか。
「恐いけど……何もしない方が恐い」
ローラは立ち上がった。
「力を貸して」
ローラは門が開くイメージを頭に浮かべる。
「……我が命を代償に捧げ……」
意識を集中して決意の言葉を口にする。
「……大切な人を守るための力を!」
ローラの声に応えて小さな黒竜が出現する。
「行くよ」
ローラが立ち上がって外に向けて駆け出す。黒竜がその後ろをついて行った。
教会の外。エレナは騎士に包帯を巻く。そしてすぐに止血。
「う……あ……」
騎士は苦しそうに呻いてから気絶した。
「次は彼だ」
グレイスがふらつきながらも次の騎士を運ぶ。グレイスはボロボロの姿で戻ってきて、今も負傷した騎士を戦場から連れてきている。これしかできないからとグレイスは言っていたが楽な仕事ではない。
「分かりました」
エレナは頷いて傷を確認する。ふと顔を上げるとローラが走っているのが見えた。ナイフを構えて、後ろには黒竜が続く。
「あの子……!」
エレナは立ち上がろうとしたが、周りにいる騎士を見た。とても抜けられるような状況ではない。
「神父とカイトが城門前にいる。何とかしてくれる」
グレイスが同じくローラを見てつぶやいた。
「……あの子が決意した事です。止めてはいけませんね」
エレナはそれだけを言って、手当てに意識を向ける。だがエレナの顔は蒼白だった。心配しているのだろう。優しい女性だとグレイスは思った。
「行って来る」
それだけを行ってグレイスが戦場に戻る。負傷した騎士を救うために。
「はい」
エレナが一つ頷いた。
流れるような剣が騎士を切り裂く。隙をついて別の騎士がヴォルフを狙う。だが突如飛んできたナイフが騎士を貫いた。
「加勢に感謝する」
ヴォルフは軽く手を上げて、次の敵に向く。
「いえいえ、遅れた分は取り戻しますよ」
神父がナイフを構える。神父は以前負傷した傷が原因で参戦が遅れてしまった。今は城門前で戦っている。まさか自分が住民を守るために戦う事になるとは思ってもいなかった。自嘲的な笑みを浮かべてナイフを投げる。そのナイフが騎士を貫いた。
「もう傷は大丈夫みたいだね」
両手に銃を持ったカイトが神父の隣に立つ。
「はい。カイト君がここまでやれるとは思っていませんでしたけどね」
神父がカイトにいつもの微笑を向けた。
「守りたい人がいるから」
カイトが騎士に銃を向ける。騎士の頭部を精確に撃ち抜く。それを見てカイトが駆ける。別の騎士が剣を振り下ろすのを見るよりも速く、小さな体が騎士の懐に入る。
「ごめんね」
騎士の首に銃を当てる。迷わず発砲。さらに向かってくる騎士に投げ飛ばす。バランスを崩した騎士には神父のナイフが飛んだ。だが東国の騎士がさらに城門を突破しようと向かってくる。
「くっそ」
カイトが後ろに飛んで弾を込める。銃の弾は頭に入れているが数が多すぎて弾を込める機会が少ない。チャンスと見て騎士が突撃してくる。神父がナイフで援護するが、二人が突破。
「シラヌイ直伝だ……食らえ!」
カイトの回し蹴りが騎士を吹き飛ばす。だがもう一人がカイトに向けて剣を振り下ろした。回避できない。
「ミクちゃん!」
ローラの叫びが響く。黒竜が騎士に向けて飛び掛る。体はローラほどの身長しかないが、力は竜である。騎士を軽々と吹き飛ばす。
「ローラ!」
神父が驚いた顔をした。
「戻れ……なんて言わないでね」
ローラがナイフを構える。黒竜はローラを守るように前に立った。
「守られた側としては何もいえないな」
カイトが頭を掻いた。
「カイト、ローラ、側を離れないように」
神父が前に出る。その後ろにカイトとローラがそれぞれの武器を構える。
(……貧乏くじですね。まあ悪くはありません)
心の中で神父がつぶやいた。そして、表情を引き締める。次の世代の者を守るために。
シラヌイは荒い息を整える。チラリと左手を見る。消えかけている。慌ててローブの中に手を隠した。
「……シラヌイ、決着をつけますよ」
ツバキが前に出る。シラヌイを気にしてできるだけ早く決着をつけようとしてくれているらしい。
「すまない」
素直に感謝する。もう長くはない。命の消費が早い。ここで能力を止めても、もう長くは生きられないだろう。
対する相手は余裕である。
「無駄な足掻きだ」
ブレイズが大剣を構えて駆ける。それをツバキが受け止める。強引にブレイズを吹き飛ばす。追撃のためにツバキが踏み込む。だが追撃の刃は精度に欠ける。視界が霞む。この視界で当てるには慣れが必要だとツバキは思った。利き目の右目がほとんど見えない。
「見えていないのだな」
ブレイズがツバキの右側に回り死角である右側から大剣を振り上げる。
「やはりきましたか」
ツバキが決意の表情を浮かべる。大剣を右腕に握る刀で受け止める。だが正確に当てられなかったために右腕が嫌な音を立てた。鈍った感覚でも痛みが走る。常人なら気絶するような痛みだろう。
「これで……どうです!」
ツバキが渾身の力を込めて左に握る太刀でブレイズを切り裂く。大量の霧がブレイズの体から噴出す。
「足りん」
ブレイズが倒れる事はなかった。大剣がツバキを襲う。それをシラヌイが間に入って防ぐ。大鎌が折れて、シラヌイを切り裂く。
「ぐっ……まだだ」
シラヌイは大鎌を使わないで駆ける。途中で新しい大鎌を異界の門から取り出す。体から血が流れる。ふらつく体で走る。
「この命が燃え尽きても」
大鎌がブレイズを切り裂く。この程度では倒れない事は分かっている。だが諦めない。
「消えてし……まう……としても」
よろめく体を何とか支える。
「私は……」
大鎌を振り上げる。ブレイズが大剣を構える。
「エレナや……ローラ達が生きる未来を」
ブレイズよりも速くシラヌイが切り裂く。ブレイズはバランスを崩す。大量の霧が溢れる。ブレイズの表情が焦りに変わる。
「守りたいんだぁぁーーーー!」
渾身の一撃。
「がぁぁーーーー」
ブレイズが後ろに吹き飛ぶ。霧が溢れて止まらない。
「貴様……!」
霧が溢れるのを無視してブレイズが駆ける。力を失い倒れそうになるシラヌイを大剣が襲う。
「シラヌイ!」
ツバキが間に入る。太刀で受け止める。
「最強の代行者も限界があるようだな」
ブレイズが大剣を押し込む。ツバキが力で押し負けている。限界だ。能力が低下している。
「食らえ!」
大剣が太刀をへし折り、ツバキを切り裂くために迫る。ツバキは刺し違える覚悟で異界の門から刀を抜いた。
サキアはふらつく体を何とか支える。
「残ったのは二人か……寂しいものだな」
隣に立つマーリメイアに声をかける。
「隊長を残して逝くなんて、手ぬるい」
マーリメイアはサキアの前に立つ。
「次はこんな事では倒れない騎士を育てよう」
サキアが立ち上がる。
「それは……隊長に任せるよ」
マーリメイアが深呼吸。
「マーリメイア?」
サキアが疑問の声を出す。
「来いよ……化け物」
マーリメイアが前にいる獣2匹を睨む。獣が狙いをマーリメイアに定める。
「待て!」
サキアが静止の声を出す。
「一緒に戦えて幸せだったよ。キュリアをよろしく」
マーリメイアが戦場を駆ける。一体の獣を剣で突き刺す。それと同時に地に刺さっている剣を抜いた。
「くたばれぇーーーー!」
突撃してくるもう一体に剣を突き刺した。だがそれでは獣は止まらずに、体当たりをする。マーリメイアの体が浮いた。それと同時に獣が倒れる。
「マーリメイアーーーー!」
サキアの悲痛な叫びが戦場に響いた。
霞む視界で狙いを定める。クリスはキャノン砲を獣に向けて放つ。鉄隗が獣に当たるが獣は倒れない。
「ちっ……」
クリスはキャノン砲を持って右に飛ぶ。獣は向きを変えて突撃してくる。キャノン砲で受け止めるが、クリスは軽く吹き飛び地面に叩きつけられる。
「諦めるか……」
クリスを吹き飛ばした獣が突っ込んでくる。右目で狙いをつけようとした瞬間に血が目に入る。利き目が開かない。霞む左目で狙いをつける。
「諦めてたまるかーーー!」
クリスが引き金を引いた。
二体の獣がゼファーに体当たりをする。
「ぐっ……」
ゼファーは吹き飛びそうになる体を何とか止める。前を見るとさらにもう一匹獣が見える。これを受けたらもたない。
「この程度……!」
ゼファーは前を見つめる。獣で視界は塞がれている。だがこの先にいるのだ。ツバキとシラヌイが。倒れそうになっても戦っているのだ。自分がこんな所で倒れる訳にはいかない。
「倒れるものか!」
矛で体当たりした2匹を吹き飛ばす。正面から来る獣を受け止める。激しい衝撃がゼファーを襲う。ゼファーの口から血が吐き出された。
黒い影が戦場を駆ける。
「……滅……」
ゼラルドが獣を切り裂く。だが大鎌は獣に弾かれる。獣は斬撃を気にすることもなく突撃してくる。それを避けようとするが足が獣の体を掠る。
「これでは……!」
足が嫌な音をたてる。着地と同時に激しい痛みが全身を駆け抜けた。確実に折れている。動く事ができない。額に浮かぶ汗を拭う。
前を見ると別の獣が突撃してくる。
「ちっ……情けない」
ゼラルドは迫る獣を睨みながら、足を引きずり駆けた。
ガイウスは獣を大剣で切り裂く。隣では騎士が東国の騎士の攻撃で倒れていく。
「ここまで……な……のか……」
ガイウスの体から力が抜ける。鎧は砕けて全身から血が流れている。倒れそうになるのを誰かが支える。
「よく耐えた」
グリウスがガイウスを支える。グリウスの鎧もボロボロである。これだけ傷ついたグリウスを始めてみた。
「すみません」
ガイウスは地面に膝をついた。目が霞む。だが倒れる訳にはいかない。
「こい……獣共……私が相手だ」
グリウスが大剣を構える。グリウスに向けて獣が東国の騎士と異界の獣が向かってくる。その様子を大剣を構えて待った。
ボウガンの矢がシュレインの騎馬隊を襲う。白い鎧を着た騎士が馬から落ちていく。
「ぐっ……!」
シュレインの肩に矢が刺さる。
「やらせるか!」
スレインはシュレインよりも前に馬を走らせる。壁になろうとした瞬間に矢が体を貫く。吹き飛びそうになる体を馬の手綱を強く握って耐える。
「これが……最後だーーー!」
スレインがランスを振るう。ボウガンを握った騎士が吹き飛ぶ。だが次の瞬間にはスレインは包囲された。
「スレイン!」
シュレインが馬を走らせる。包囲した騎士を槍で吹き飛ばす。それと同時にスレインは矢を受けて馬から落ちた。
シラヌイは薄れる意識でツバキが斬られそうになるのを見ていた。ゆっくりに見える。せっかく協力できそうなのに。同じ敵を相手に戦えるのに。ここで終わりなのだろうか。皆、死んでしまうのだろうか。嫌だと思った。
「諦め……たく」
シラヌイは薄れる意識で大鎌を掴んだ。
「……ないよ」
それは弱々しい声。倒れそうになる体を強引に起こそうとする。だが体は地面に向かって落ちていく。それを誰かが支えた。
「なら……私が道を切り開こう」
凛とした少女の声。
「そう……これは贖罪だ。例え許されることはないとしてもな」
真っ白なランスが視界に入る。シラヌイを支えた真っ白な少女が不敵に笑った。
白銀の雪が舞う戦場。だが地面は真っ赤だった。獣と騎士の死体で満たされた戦場。まさに地獄だった。
「いや……」
キュリアは動けない体で前を見ていた。瞳からは涙が溢れる。自分を残して突撃した歩兵隊。一人また一人と倒れていった。次の世代を守るために。守られている自分が悔しかった。
それでもサキアとマーリメイアだけは無事に生き残ると信じていた。だが結果は違った。残酷な現実がキュリアを襲った。
「そんな……マーリさーーーーーん!」
キュリアの悲鳴に近い叫びが戦場に響いた。
獣の突撃を受けて宙に浮いたマーリメイア。霞む視線で倒れる獣を見た。
「はん。ざまあないね」
マーリメイアが倒れた獣に向けて不敵に微笑んだ。それと同時にキュリアの叫びが聞こえた。
「……あの子を置いていくのは心配だね……でも……ここで終わりだねぇ」
マーリメイアの体が地面に叩きつけられる。体は動かない。血が流れているのが分かる。助からない事も。何とか首を後方に向ける。キュリアが槍を支えにしてこちらに向かって来るのが分かった。何度倒れても起き上がる。
「あんたは生き残りな……私達の分も……あんたならやれるさ……隊長……」
次はサキアを見る。サキアがこちらに駆けてくる。サキアに手を向ける。
「先に……いき……」
マーリメイアはそれだけをつぶやいて瞳を閉じた。
「おい、マーリメイア!」
サキアが屈んでマーリメイアを抱き起こす。だがマーリメイアが目を開ける事はなかった。
「くっそぉーーーーーーー!」
サキアが叫んだ。次の瞬間にはマーリメイアの剣を握る。ボロボロの体で獣に向かって突撃する。だがその獣を斬る前に真っ白なランスが獣を貫いた。
呆気に取られてその様子を、ただ見ていた。それだけ圧倒的だった。
霞む左目でキャノン砲を放つ。それを獣が左に飛んで避けた。
「ちっ……」
すぐにキャノン砲を獣に向ける。引き金を引こうとするが間に合わない。その様子を見てゼラルドが戦場を駆ける。足が激しく痛む。
「やらせるか!」
ゼラルドは獣がクリスを弾く前に動けないクリスを抱えて飛ぼうとする。だがその瞬間に足が激しく痛んだ。
「がぁ!」
ゼラルドがバランスを崩す。
「俺はいい!」
クリスがゼラルドから離れようとする。
「くそが!」
ゼラルドがありたけの力でクリスを放り投げた。クリスをゼファーが受け取る。
「これが……最後か……案外あっけないな」
ゼラルドが獣を睨む。
「シラヌイ……平和な世界を作れよ」
ゼラルドが体当たりを受けて吹き飛んだ。
「ゼラルドさん!」
クリスがバランスを崩しながら走る。それをゼファーが止めた。
「止めろ。無駄にするな」
ゼファーの声は低く重かった。怒りを含んだ声だった。それを受けてもクリスは止まらなかった。クリスは一度銃を異界の門にしまう。
「俺の意志に応えてくれるのなら……どんな記憶を消しても構わない……」
クリスが獣に向かって駆ける。武器を持たぬまま。
「戦う力を……失わないための力を……貸してくれ!」
クリスが銃を掴んだ。それは白銀色のキャノン砲。クリスがキャノン砲を構える。それと同時に獣を真っ白なランスが貫く。獣が動きを止める。霞んだ左目で狙いを定める。
「消えろーーーーー!」
引き金を引くと同時に鉄塊が獣を吹き飛ばした。
グリウスが大剣を振るう。それを獣が頭部の硬い鱗で受け止める。
「ぐっ……」
大剣が音を立てて折れる。武器を失ったグリウスに向けて獣が体当たりをした。それを受け止める。
「がぁぁーーーー!」
血を吐きながらも何とか獣を抑える。後ろには騎士と民がいる。ここで倒れる訳にはいかない。
「例え……この……体が……」
全身から不快な音が響く。それでも踏みとどまる。
「朽ち果てようと……守りたいのだ。この国を!」
グリウスが獣を地面に叩きつける。次の瞬間には東国の騎士が左右から剣を突き出す。
「なめるな!」
左右からの剣を全身で受け止める。剣が止まる。次の瞬間には東国の騎士を掴んで強引に地面に叩きつけた。
「ぬぁーーー!」
叫びながら獣に向けて突撃する。拳を握り、突撃してくる獣に正面から正拳突きを繰り出す。腕が衝撃で折れる。
「これで……終わりだ」
左の拳を握る。躊躇なく獣の頭に拳を繰り出した。獣が倒れるのを見てからグリウスは不敵に笑った。
「ガイウス……守り抜けよ」
グリウスはそうつぶやいて地面に倒れた。
「隊長……次は……私の番だ」
ガイウスが何とか立ち上がる。口からは血が流れる。だが獣と東国の騎士に向かって歩いていく。獣と騎士が戦場を駆けた瞬間にランスの雨が振った。東国の騎士を、獣を貫いた。
「な……にが」
ガイウスは一度止まって様子を見た。
スレインの視界が急に空に変わった。その瞬間に馬から落ちているのだと理解した。地面に落ちると同時に背中を激しい痛みが襲う。
「スレイン!」
シュレインの声が響く。その声を聞くと同時に東国の騎士が剣でスレインを貫こうとしているのが見えた。避けようとしたが背中の痛みがあって動けない。剣が突き刺さるよりも前に白い鎧が視界に入った。
「……シュレイン?」
スレインの顔が恐怖で染まった。シュレインがスレインを庇ったのだ。シュレインを剣が貫いている。幸い貫いている箇所は肩だが、無事ではすまないだろう。
「勝手に突っ込むなよ、バカ……野郎……が……」
シュレインはそれだけを言って気を失った。
「バカはどっちだ」
倒れてくるシュレインを左手で飛ばして、スレインのランスが東国の騎士を貫く。それと同時に立ち上がる。シュレインを守るようにランスを構えた。東国の騎士が向かってくる。荒い息で迫ってくるのを待つ。
「なに?」
スレインは上空を見た。ランスが東国の騎士を貫いたのだ。
ブレイズは大剣を構えてから駆ける。ブレイズに向けて真っ白な少女がランスを構えて突撃する。
「力を取り戻したとでもいうのか」
ブレイズが少女を睨む。少女は不敵に笑った。この戦場の全てにランスの雨を降らせながら、対等に戦っている。力が弱まっていた時と比べれば違いは歴然だ。
「まあ50%といった所だな」
少女はランスを振るう。ブレイズの大剣が吹き飛ぶ。
「ぐっ……だがこの程度ならば!」
ブレイズが後ろに飛んで地面に刺さった大剣を引き抜く。その隙に少女が接近する。
「負ける訳がない!」
ブレイズの大剣が少女を捉える。少女の体から霧が溢れる。
「フリス!」
少女の声に応えてフリスがブレイズに接近する。
「小僧が!」
接近したフリスに大剣を横薙ぎに振るう。それをフリスが受け止めた。
「さっさとしろ」
フリスが大剣を受け止めながら後ろに向けてつぶやいた。
「クローディア!」
シラヌイの叫びが戦場に響く。ブレイズをクローディアが噛み砕く。
「くっ……このままでは」
ブレイズの体半分が霧に変わる。霧に変わる事でクローディアの攻撃を逃れたブレイズは後ろに飛ぶ。それよりも速くシラヌイは動いていた。
「逃がさない!」
高速の銀閃がブレイズを切り裂く。半身を失ってもブレイズは大剣を構えた。
「貴様だけは!」
ブレイズは大剣でシラヌイを貫く。
「くっそ……逃が……す……か」
シラヌイが大鎌を支えにして、起き上がろうとする。だがバランスを崩して地面に倒れた。ブレイズはそれを確認して素早く異界の門にその姿を消した。
「ちっ……逃がしたか」
少女が苦々しくつぶやいた。その声を聞いてシラヌイは意識を失った。
翌日。
教会の自室でシラヌイは目を覚ました。全身が痛む。特に貫かれた胴が痛い。どうやらベッドで寝ているらしい。
「ぐっ……」
呻きながらも半身を起こそうとする。
「動かないでくださいね」
隣で椅子に座っているエレナがシラヌイの肩を掴んだ。
「エレナか……」
弱々しくシラヌイがつぶやいた。眩暈がする。とても動けそうにない。ふと窓の外を見た。朝日がシラヌイを照らしている。朝らしい。
「あれからずっと眠っていたのですよ」
エレナが優しく微笑んだ。
「……そうか。皆はどうしてる?」
言葉にした瞬間に寒気がした。
「……多くの方が命を落としました。こちらも……」
エレナが顔を落とす。シラヌイの顔が青くなる。
「だ……誰が……!」
シラヌイが起き上がり、エレナの肩を掴んだ。エレナは痛みで顔をしかめた。
「つっ……」
エレナが呻く。
「あ……すまない……」
シラヌイが手を離す。それと同時に体が痛む。大人しくベッドに体を戻す。エレナは蒲団をかけてから口を開いた。
「亡くなったのは……亡くなったのは……」
エレナの瞳から涙が溢れた。その様子を見て誰が命を落としたのか理解した。シラヌイは無言で瞳を閉じた。
教会横の広場。クリスは銃を構える。ツバキは銃口から逃れるように広場を駆ける。
「これで……!」
白銀色のハンドガンがツバキの動きに合わせて放たれる。
「くっ……」
ツバキの顔が歪む。ギリギリで全ての銃弾を叩き落とす。
「まだまだ」
クリスは素早く引き金を引く。
「……せい!」
ツバキがかんざしを髪から引き抜いて投げる。かんざしがクリスの銃弾を弾きながら突き進む。
「ちっ……」
クリスが舌打ちをした。
かんざしが右手に持つハンドガンを貫いたのだ。残るは左手に握っているハンドガンだけ。
ツバキがクリスから見て右側に迂回して駆ける。左手に握ったハンドガンがツバキを狙う。だが右手で構えるよりも遅い。その一瞬の時間でツバキが距離を詰める。今までのクリスなら反応ができない速さ。だが、今のクリスなら動きが見える。すぐに半歩下がる。
甲高い金属音。ハンドガンが刀と衝突をする。ツバキとクリスの瞳がぶつかった。その瞬間にツバキが微笑んだ。嬉しそうな笑顔だった。その笑顔を見た時に一瞬だけ力が抜けた。
「隙あり」
左手に握る太刀がクリスの首目掛けて進む。クリスは慌てて右手を異界の門に入れる。ハンドガンを取り出して防ぐ。だがものの一秒で砕けた。
「クリスの負けです」
満面の笑顔のツバキ。太刀がクリスの首の手前でピタリと止まっている。
「降参だ」
クリスがハンドガンを異界の門にしまう。
「強くなりましたね」
ツバキも異界の門に刀をしまう。幸せそうな笑顔を向けてくる。クリスが強くなったのが嬉しいらしい。
「ああ。まだ強くならないとな」
クリスも微笑んだ。少しでも追いつけたのが素直に嬉しい。だが次の瞬間に表情が曇る。
「……気にしてしまうのは仕方ありません。ただ……」
そこでツバキが言葉を切る。
「背負いすぎたらいけない……落ち込んでいる暇があるなら強くなる」
クリスが言葉を繋いだ。ツバキが一つ頷いた。残された者は守られた者は強く生きなければならない。命を失った者の変わりに。そして、未来に向けて歩み続けなければならない。
「分かっているではないですか。さすがは未来の夫ですね。頼りになります」
頷いてからツバキがいつもの笑顔を向けた。それを聞いてクリスが赤くなる。
「あ……あのな」
なんだか慌てている。その様子がおかしかった。
「今なら……言ってもいいですよ。私は……拒みません」
ツバキが微笑む。
「分かった」
クリスが表情を引き締める。
「明日の夜に……会えないかな」
クリスが言葉を何とか発する。心臓が早鐘のように鳴った。
「そうきましたか」
ツバキは残念そうにそっぽを向いた。それからクリスを見て微笑む。
「それではまた明日。指輪……待ってます」
上機嫌なツバキが広場を後にする。
「だから……早いから!」
その背中にクリスが叫んだ。ツバキは振り返らなかった。その後、クリスはありたけの金を掴んで市内に飛び出した。
城塞都市を西に一時間歩いた所に墓地がある。キュリアは真新しい墓にお花を置いた。周りは同じ大きさのお墓が並んでいる。とても殺風景な場所。遮る物がないからだろうか、とても冷たい風が吹いた。
「遅くなってごめんなさい」
キュリアが屈む。
キュリアの瞳は腫れていた。あれから一睡もしていない。眠れなかった。ずっと泣いていた。やっと外に出られたのだ。キュリアの言葉に応える者はいない。
「もし……マーリさんが生きてたら……こんな姿を見たら怒るかな」
キュリアが力なく微笑んだ。だがすぐに無表情に戻る。もう涙は出ない。こんなに悲しいのに。その時に肩に手を置かれた。キュリアが見上げる。そこにはガイウスが立っていた。隣にはスレインがいる。
「ガイウスさんに……スレインさん」
弱々しくキュリアが名前を呼んだ。
「外に出られたのだな……心配していた」
ガイウスの声も弱々しい。隊長であるグリウスが戦死したのだ。彼も傷ついているのだろう。
「ありがとうございます」
キュリアが力なく微笑んだ。その笑顔は壊れそうな人形のようだった。
「本当に大丈夫なのか?」
スレインが顔を覗き込んだ。キュリアが弱々しく微笑んだ。元気なキュリアはもうそこにはいなかった。この子はもう一度戦えるのだろうか、二人は不安を感じた。
「辛いのなら……ゆっくりするといい」
それだけを言ってガイウスは去って行った。一人にしてくれるらしい。それはガイウスなりの優しさなのだと思った。だがキュリアが求めていた優しさではなかった。去っていく背中を見るのがとんでもなく寂しい。恐怖すら感じる。マーリメイアは自分を置いて逝ってしまった。キュリアは震えていた。
「辛いのなら頼れよ」
キュリアを温かさが包んだ。スレインが抱きしめてくれたのだ。寒さが和らぐ。冷えていた心が温まる。
「スレインさん……うぅ……」
スレインの胸に顔を押し付けて、キュリアが残った涙を全て流した。スレインはずっと側にいた。キュリアが泣き止むまで。ガイウスは一度だけ振り向いた。
「これでいい。俺は……あそこまで器用にはなれん」
そうつぶやいたガイウスは城塞都市に戻っていった。隊長が戦死したのは自分の弱さが原因。とてもではないが恋愛をしている暇はない。スレインが幸せにしてくれるならそれで構わないと思う。
「俺は国を守る。隊長のように」
ガイウスが拳をきつく握った。
サキアは城の中に用意された部屋にいた。机に両肘をついて頭を抑えている。
(……全滅……)
サキアとキュリアを残して部隊は全滅だ。責任を取らなければならない。
(……部隊の再建……をしたい。だが許されるのか)
サキアが呻く。そうしたい。だが全滅させた指揮官の元に騎士が集まるだろうか。それが問題だ。それに適任者なら他にもいるかもしれない。そこまで考えた所でドアがノックされた。
「誰だ」
低い声が出てしまった。
「俺だ」
シュレインの声がした。
「会いたくない」
サキアは顔を落としてつぶやいた。こんな姿を見せたくない。
「そうか。なら入らせてもらう」
シュレインがドアを開けた。そして優しい笑顔を浮かべた。
「……お前は……」
サキアはその笑顔を見て溜息が出た。
「サキア殿は打たれ弱いからな。一人にするのは心配だ」
シュレインがサキアの隣まで近づいた。
「本当によく知っているな。なあ……」
サキアが顔を落としてつぶやいた。
「したいようにすればいい。もう一度一からスタートだ」
「……そうか」
シュレインの言葉を聞いて思い出した。女性で初めてのブレイブナイツ。自らの歩兵部隊を作るのにどれだけ苦労したことか。それを支えてくれたのがマーリメイアとキュリアだ。マーリメイアが皆を引っ張っていく。細かいケアとフォローはキュリアの仕事だ。サキアは隊長として構えているだけでいい。戦場で誰にも越せない剣技を見せるだけでよかった。その姿を見て皆が剣の技を磨く。そうやってまとまってきた。
「もう一度、部隊を作る。私は諦めない」
「それでいい」
「だが……それには力が必要だ」
サキアが顔を落とした。シュレインが小首を傾げる。
「どうすればいいんだ」
「鈍いな、お前は!」
サキアがシュレインに抱きついた。
「しばらくじっとしてろ」
「分かった」
顔を真っ赤にしたサキアにシュレインが優しく微笑んだ。
城塞都市ザイフォスから北に馬で半日走った所でカイトは馬を止めた。辺りは古城の痕だろう。壊れた城壁と石が辺りにまばらに散っている。一度冷えた手に息をかける。
「冷えるな」
独語して馬を走らせる。ここは外れらしい。ザイフォスを狙った主犯が近くにいる可能性があり馬を走らせたが無駄になってしまった。敵も傷を負ったのだ、まだ動かないのかもしれない。
「戻るか」
カイトは馬を反転させる。その瞬間に黒い影が迫る。カイトは素早く馬から降りて銃を構えた。黒い影が剣を抜く。
「止めろ。教会の情報屋だ」
落ち着いた声がした。幼いようで、大人びた不思議な声だった。黒い影が止まった。赤いローブを纏った少年。歳は同じくらいだろう。その後ろから真っ白な少女が姿を現した。咄嗟に銃を構える。
「小僧、助けた相手に銃を向けるか?」
少女は不敵に笑った。それを聞いてカイトは銃を降ろした。あの戦場のバランスを崩したのはこの少女のランスのおかげだ。カイトもそれで救われた。
「すまない。何か知らない?」
「はてな」
カイトの質問に少女は肩をすくねた。少女の後ろにフリスが控える。鋭い視線がカイトを見た。何かするなら斬ると言いたいらしい。
「そうか。邪魔をしたね」
それだけを言ってカイトが馬に乗った。
「なあ……お前の所の代表と話ができないか?」
少女の提案にカイトは目を見開いた。
「……いいけど……本当に?」
「嘘は言わない。ここにいれば誰か来ると思った。いきなり行ったら何をされるか分からないから」
少女は溜息混じりにそう言った。
「まあそうだね。付いてきてよ」
「そうさせてもらう」
少女とフリスが後を追うように歩いた。
翌朝。シラヌイは何とか起き上がる事ができた。顔を洗ってから広場に出る。軽く体を動かす。
「そんな状態で戦えるのか?」
涼しげな声が早朝の広場に響く。大人のような、それでいて幼さを感じさせる声だった。シラヌイは勢いよく振り向いた。そこには真っ白な少女がいた。
「……何をしにきた……」
低い声を出してシラヌイが少女を睨む。
「……私が憎いか……そうだろうな。だが、今はその気持ちを抑えてほしい」
真っ白な少女はゆっくりとシラヌイに向けて歩いてきた。シラヌイは拳を握った。その後ろから控えめにカイトと赤いローブを着た少年が続く。カイトが一つ頷いた。
「…………いいだろう」
シラヌイは数秒黙ってからそうつぶやいた。
スレインは家のドアを開けて外に出る。早朝訓練のためだ。いつもは一人で向かう。外に出ると雪が降っており憂鬱になる。だが今日は違った。
「おはようございます」
キュリアが立っていた。元気を取り戻したのか、少しだけ微笑んでいる。だがこれでも3割回復したくらいだろうか。何か足りない。やはりこの子を全開させるには別の男性が必要だとスレインは思った。
「どうした?」
スレインは何をしにきたのかだいたい分かったが、とりあえず質問した。
「迎えに来ました。迷惑でしたか……」
キュリアの表情が曇る。
「すまない。キュリア殿が迎えに来てくれるなんて思わなかったからな」
スレインが微笑む。キュリアが弱々しい笑顔を浮かべる。
「行こう」
スレインがキュリアの手を引いた。
「はい」
キュリアは手を引かれて歩き出した。今のキュリアは何かに頼らないと前に進めないのだろう。その役目が自分なのかスレインは疑問に思わずにはいられなかった。この子を元気にさせられない自分でいいのだろうか。その思いを吹き飛ばすようにスレインは歩き出した。
大剣をガイウスが振り下ろす。練習用の人形を切り裂く。
「まだだ!」
ガイウスがもう一度人形を切り裂く。ガイウスの額に汗が伝う。だが、人形を斬った時に腕に痛みが走った。
「ぐっ……くっそ……」
大剣を落としてしまった。周りを見る。訓練施設には切り裂かれた人形が10体は転がっている。一体を倒すのに一時間はかかるほど頑丈な物である。それが10体である。腕が悲鳴を上げるのは当然である。大剣を持つが持ち上がらなかった。
「私は……なぜこんなにも弱いのだ」
何とか大剣を持ち上げる。その時に後ろに気配を感じた。スレインとキュリアが来たらしい。仲良く手を握っていた。
「わぁーー、すごい」
キュリアが感嘆の声を出した。破壊した人形の事だろう。
「あれからずっと訓練してたのか?」
スレインが呆れながらつぶやいた。
「……そうだ。俺は邪魔だな」
そうつぶやいてガイウスが背中に大剣を背負う。そして、訓練場を去った。
「待てよ」
その背中にスレインが声をかける。
「なんだ」
振り向かないでガイウスがつぶやいた。
「何も言わないのかよ」
スレインが低くつぶやく。キュリアが心配そうに二人を交互に見る。
「ああ。俺は……これでいい……これで……いいんだ」
ガイウスが立ち止まってそれだけを言った。
「嘘をつくなよ! ぶん殴っても文句は言わない」
スレインがガイウスの背中に叫ぶ。
「……これ以上……無様な姿を晒すことはできん」
ガイウスが振り向いた。弱々しく笑っていた。いろいろなものを諦めた顔だった。その顔がスレインは気にいらなかった。
「いいかげんにしろよ……」
スレインがガイウスに掴みかかる。
「止めろ……俺は二人が幸せに……」
そこまで言った所でスレインがガイウスの顔を全力で殴った。
「ぐっ……」
ガイウスが呻く。
「自分の気持ちに嘘をつくなよ。ちゃんとぶつけてこいよ」
スレインがガイウスの胸倉をもう一度掴んだ。
「……俺は貴殿のように器用ではない」
「それがどうした!」
弱気になるガイウスにスレインが言葉をぶつける。
「貴殿には分からん。これだけ腕を磨いても守るべき隊長も守れない惨めな男の生き様など。幸せなど……遠い世界の話だ」
そう言ったガイウスの顔はボロボロだった。
「止めてください!」
キュリアが叫んで二人の間に入る。スレインの腕を強引に離させる。それから乾いた音が訓練場に響いた。
「うっ……」
スレインが呻いた。キュリアがスレインの頬を叩いたのだ。
「キュリア殿……ぐっ……」
声をかけたガイウスの頬もキュリアが叩く。二人は呆気に取られた顔をしていた。
「スレインさんは自分の考えを押し付けすぎです」
キュリアがスレインを指差す。
「ガイウスさんは言いたい事があるならはっきり言ってください」
次はガイウスを指差した。
『……ああ』
二人の男が同時に頷いた。
「さあ何が問題なんですか」
キュリアが二人の男を見る。二人は同時にお互いの顔を見た。二人は観念して全てを話した。
教会の食堂。そこにはシラヌイ、神父、真っ白な少女、少女の後ろに控えるフリスがいた。
「……ブレイズを止めたいか。それが罪滅ぼしだと」
シラヌイが少女を睨みながらつぶやいた。
「ああ。それで許されることはないだろう。だが、自らの失態だ。協力はする。限定的にだがな」
少女は出されたお茶をゆっくりと飲んだ。
「……悪い条件ではないですね。そして、先ほどの戦闘でも力を貸してくれました。信用はできそうですね」
神父がいつもの微笑を称えてつぶやいた。
「…………」
フリスは無言でシラヌイを睨んでいる。
「……分かった。それなら協力してくれ」
シラヌイが重い口を開いた。
「ほう」
少女は驚いた顔をしてつぶやいた。以前会った時とは印象が違う。チラリとシラヌイの左手を見る。消えかけている。余裕はないらしい。命の危機に立たされて冷静になれているのかもしれないと少女は思った。
「それがいいでしょう。後ろの彼もいいですか?」
神父がフリスに確認する。
「…………俺はこの方についていく」
それだけを言って口を閉じた。
「可愛げのない番犬だな」
それだけをつぶやいてシラヌイが立ち上がった。フリスは無視した。
「ふ……見る目がないな。こいつは可愛い奴だよ。行くぞ」
少女は立ち上がってフリスに微笑む。フリスは一度頷いて後に続く。
時刻は12時。エレナとクリスは商店街を歩いている。昼といってもこの大陸は寒い。エレナは修道着の上に白色の分厚いセーターを着ている。クリスはいつものジャケット姿である。
「この店はどうだろうか?」
クリスはとある宝石店を指差す。
「お手ごろですね。見た目もシンプルです」
エレナが宝石を見る。特に指輪を中心に見ている。クリスは昨日、指輪を選びきれなかった。いい店も知らず、どの指輪がいいのか確認する相手が必要だった。ツバキを連れてこれば一番早いのだが、それはいけない気がした。エレナに確認したら一緒に選ぶのも一つの手段のようだが。結局手伝ってもらうことにした。ローラは今頃シラヌイが面倒を見ていることだろう。内心、二人で何をしているのか疑問ではあるが。
「そうか……ならこれは?」
クリスが金色で豪勢な宝石がついた指輪を手に取った。
「……男というのは」
エレナが溜息をついた。高くて豪華ならいいのではないのだ。そういうのが好きな女性もいるのは確かだが。
「い……いけないか」
クリスが指輪を置いて、他の物を探す。
「できる限りシンプルにして下さい」
エレナが釘を刺す。クリスの頬に冷や汗が流れる。追いつめられたクリスが手に取ったのは銀色の指輪。そこには控えめな宝石がついている。
「…………」
エレナが指輪を凝視する。
「ど……どうなんだ?」
「今、話しかけないで下さい」
エレナはずっと指輪を見ている。待つこと一分。
「大丈夫です。本物です。デザインも悪くないですね。ツバキさんは着物が多いですから、これくらいシンプルな方がいいです」
エレナが柔らかく笑った。クリスが頷く。
「おや。決まりましたか。お二人に似合いそうですね」
店員がにこやかに笑う。
「私はお手伝いです。神に仕える身ですから」
エレナが修道着を見せる。
「これは失礼しました。これだけ可愛い子が手伝ってくれるなんて、あんたぜいたくだねぇ。これで奥さんが美人だったら、一生分の運を使ってるよ」
50代の店員が溜息をつきながらクリスから金貨を受け取る。
「告白する相手はとんでもなく美人かな」
クリスが顔を真っ赤にしてつぶやいた。
「ごちそうさま」
店員が苦笑いを浮かべてつぶやいた。
「ツバキさんですよ」
エレナが店員に耳打ちをする。
「あのツバキさんか! こいつはすごいな。あの美人を落とす男がいるとはな」
店員は驚きを通り越して、感心している。
「そんなに有名なのか?」
「この国で知らない男はいないよ。美人だからね。可愛いと言えば、シラヌイちゃんも有名だけどな。ただあの子はまだ手をつけるには幼い。それに……おっかないから」
クリスの質問に店員が笑顔で答えた。
「そうか。シラヌイはおっかないのか?」
「ああ。言い寄った男を投げ飛ばしたとか、蹴り飛ばしたとかね。いろいろ聞くよ。まあ口説き方がなってないからだがな。あの子は茶化さないで、真摯な気持ちを伝えたら真面目に応えてくれる。本当にいい子だよ。何であんないい子が消えてしまうのかね」
店員は溜息をついた。
「……」
エレナは無言で顔を落とした。クリスも一度顔を落とした。
城塞都市ザイフォスから南西に進んだ所に草原がある。一年中が冬であるこの大陸において比較的温かい場所である。そこにシラヌイとローラは来ていた。
「始めてだね」
「ここに来るのがか?」
シラヌイに手を引かれながらローラが歩く。ローラは白いワンピースの上にコートを着ている。シラヌイはセーターにロングスカート姿だ。
「ううん。一緒にお出かけすること」
ローラが微笑んでシラヌイの手を握る。そう言われれば始めてかもしれない。
「そうだな。今日はゆっくりしよう」
シラヌイが笑顔を向ける。おそらく最後の機会だ。力を託す相手。何か思い出くらいは残したいと思った。
「うん。最後なんだよね」
ローラがシラヌイを見上げて微笑んだ。大人びた顔をしている。両親を失っているのだ。死に対して少しは慣れているのだろう。だがこんな幼い子が慣れていていいのかと疑問に思う。
「ああ。次で……私は消えてしまうだろう。その前にやっておかないといけない事もある。その前の休憩だ」
そう言ってシラヌイが草原に座る。前を見ると長く続く地平線。辺りには花々がちらほらと咲いている。
「ゆっくりしよう。今はシラヌイの側にいたい」
ローラも座る。そして、シラヌイに抱きついた。シラヌイはしばらく前を見ていたが、その瞳を閉じた。そして、ゆっくりと歌い出した。悲しいけれど、温かさを感じる歌。家族を失った日、シラヌイ達に拾われた夜に聞こえた歌。自然と涙が出てきた。ローラはシラヌイを抱きしめる腕に力を込めた。シラヌイはローラの頭を撫でながら歌った。
時刻は夜。約束の場所でツバキは待っていた。いつもの着物姿だが、月夜に照らされて、より美しかった。城塞都市から西に少し歩いた場所に巨大な木がある。この寒さのせいで葉はないが、この巨大さのせいもあってかなり目立つ。そのために待ち合わせ場所としてよく使われている。
「……」
後ろから人が近寄ってくる気配がする。この歩幅と、速さはクリスだ。何か企んでいるのだろう、いつもよりも慎重に歩いている。気づかれないように。ツバキはそれが気配だけで分かってしまう。少し残念な気もした。だから気づかない振りをした。
「お待たせ」
クリスがツバキを後ろから抱きしめた。大胆な事をするものだとツバキは思った。いつもは余裕があるが今日はない。呼び出されたのもあるが、クリスから抱きしめてきたのだ。自然と頬が赤くなった。
「遅いです」
「約束の30分前だけど」
クリスが微笑んで返した。
「そうですね」
ツバキも微笑む。しばらく二人は無言だった。言葉を伝えなくても気持ちは伝わった。今はこうしていたいと思ったのだ。
「渡したい物がある」
クリスはつぶやいてツバキの左手の薬指に指輪をはめた。
「……綺麗」
ツバキは指輪をみつめた。
「……愛してる」
クリスがはっきりと言った。
「……はい」
ツバキが短く返事をした。今日はクリスのペースだった。さすがのツバキも鼓動が速くなっているのを感じた。ツバキはゆっくりと振り向く。赤くなったツバキの顔を見てクリスは一瞬驚いた顔をしたが優しく微笑んだ。
「一緒になろう」
微笑んだままクリスがつぶやいた。ツバキは一つ頷くことしかできなかった。ずっとこちらのペースで進めてきたのに、立場が逆になってしまった。こんなにもしっかりと告白するとは思わなかった。どこかで年下だと思っていたのだろう。
そう考えていたらツバキの頬にクリスの手が触れた。自然とツバキは瞳を閉じた。クリスとツバキはゆっくりと口付けを交わした。
キュリアは自分の家に戻り、窓を開けて夜風に当たっている。明かりはつけていない。月明かりだけがキュリアの火照った頬を照らしている。今は就寝用の楽な服を着ている。
「…………」
キュリアは無言でスレインとガイウスが言った言葉を思い出していた。
頬を叩かれた二人はお互いの顔を見てから溜息をついた。
「観念しろ」
スレインがガイウスを見てつぶやいた。
「……そうだな。言った方がすっきりする事もある。今さら言ってもどうにもならんがな」
それだけを言ってガイウスがキュリアを見た。
「何ですか?」
キュリアは小首を傾げる。二人が何を言いたいのか分からない。
「私はずっと……キュリア殿に好意を抱いていた」
ガイウスはゆっくりとそう言った。とても穏やかな顔をしていた。
「俺も同じだ。だが……」
「私に遠慮をして……スレインは気持ちを伝えなかったのだ」
ガイウスが次は申し訳なさそうにつぶやいた。
「え……? 二人が? 私を?」
キュリアが瞳を見開いた。
「ああ。だが……あの戦いで私は守るべき隊長を失った。恋愛をしていてはいけない気がするのだ。だからスレインに全てを任せることにした」
ガイウスが顔を落とした。
「…………ガイウスさんのバカ…………」
キュリアは弱々しくつぶやいた。それから力を失ったようにキュリアは地面に膝をついた。そして、ぼろぼろと泣き出した。
「……本当にバカだよ……」
スレインが自嘲気味に笑った。ガイウスは二人を見て困った顔をした。
「……どういう事だ」
ガイウスはスレインを見た。
「あの時……キュリアを抱きしめるのがガイウス殿ならよかったんだよ」
スレインはガイウスの背中を押す。ガイウスはバランスを崩してキュリアにぶつかった。キュリアの瞳とガイウスの瞳がぶつかる。しばらく見つめあう。
「これでいいな」
そう言ってスレインは訓練場を後にした。
キュリアは現実に戻った。抱きしめてくれたスレインに寄りかかって、次はずっと気にかけてくれていたガイウスが気になる。
「最低ですね」
キュリアが自嘲の笑みを浮かべた。サキア隊長は部隊再建のために駆け回っている。自分は男に寄りかかって支えてもらおうとしている。そんな駄目な自分を怒ってくれる人はもういない。
「分からないよ……マーリさん」
キュリアは顔を落としてもう一度泣いた。
夜道をシラヌイが歩く。背中には疲れて眠ってしまったローラがいた。歌を歌ってから草原をローラに手を引かれながら走り回った。相当疲れたのだろう。
「いい思い出を残せたな」
シラヌイは寂しそうに独語した。あと少しでザイフォスが見える。ゆるやかな斜面を上がる。そこに見慣れた男がいた。ゼファーだ。
「……こんばんは」
シラヌイはそっぱを向いて挨拶した。
「うむ。貴殿から挨拶される日がくるとはな」
ゼファーは微笑んで返した。その顔を見てシラヌイは驚いた。今まで敵だったゼファーがこんな顔をするとは思わなかった。
「そうだな。私は……馬鹿らしいと笑われるかもしれないが……二つの派閥を」
「一緒にしたいのだろう」
言いよどんだ言葉をゼファーが続ける。シラヌイはゼファーを見た。
「いいだろう。明日、お前を大司祭の元に案内する。そこで想いをぶつけるといい。お前達の大司祭も呼んである」
「それを伝えに……?」
シラヌイの問いにゼファーが頷いた。
「まだ一日くらい時間はある。やるべき事をするといい」
「すまない……ありがとう」
シラヌイの瞳に涙が輝いた。信じてくれたのが素直に嬉しかった。
「泣くな……俺は器用ではないのだから」
ゼファーは微笑んでからシラヌイの涙を手で拭った。その手は代償のせいで岩のように硬く冷たかった。でも、優しく温かかった。
「……もう少し早く……お互いの事を知りたかった」
「……戦ってばかりいたからな」
シラヌイはゼファーの横を通り過ぎた。シラヌイの背中にゼファーは言葉をかけた。シラヌイは振り返らなかった。もう遅いと分かっているから。シラヌイは次の戦いで消えてしまう。だからこれでよかった。
ほどなく歩いた所でローラが口を開いた。
「お姉ちゃん……後悔するよ?」
ローラの声がやたらと大人びて聞こえた。
「聞いてたのか?」
「うん」
シラヌイの質問にローラはコクリと頷いた。
「そうか……そうかもな。だが……これでいい」
「どうして?」
「……相手を後悔させたくない。それに恋愛感情とは少し違うな」
「?」
シラヌイの言葉にローラは小首を傾げた。
「同志みたいなものだな」
シラヌイは微笑んでそうつぶやいた。ローラは納得がいかないのかうなっていた。