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神の代行者  作者: 粉雪草
4/8

-戦場に咲いた小さな花- 4

 早朝。シラヌイはベッドから半身を起こした。体に合った動きやすいウェアだけなので、身が凍えるような寒さを感じる。だが、動く事ができない。

「…………」

 ぼうっと前を見ている。シラヌイは朝が弱い。動きたいが動けないのだ。しばらくそのままでいたらドアが乱暴にノックされた。ゆっくりとドアを見る。返事を聞かないでドアが開いた。

「何をしている、早く外に出ろ」

 ゼラルドが腕を組んで立っていた。体にフィットしたタイトな黒い服の上にローブを纏っている。いつもの恰好だ。

「……4時?」

 シラヌイは時計を確認してつぶやいた。

「もう4時だ。さっさとこい」

 ゼラルドがシラヌイに近づいて引きずるように部屋の外に連行する。

「ちょっ……と、待って」

 シラヌイの抵抗もむなしく早朝の訓練が始まった。



 響く金属音。そして、風を切る音。その音を聞いてエレナはベッドの中で瞳を開けた。隣にはローラがエレナに抱きつくようにして眠っている。しっかりした子ではあるがまだ幼い。誰かと一緒でないと寝付けないのだ。淡いピンク色の寝巻き姿のエレナは起こさないようにゆっくりと動く。

「……う?」

 ローラがそれに反応して声を出す。

(まずい……)

 そう心の中でつぶやいた時には遅かった。

「もう朝?」

 ローラが目蓋を擦りながら半身を起こす。薄い水色の寝巻きを着ている。この子は少しでも揺らすと起きてしまうのだ。もう少しベッドで横になっておくべきだった。

「まだ4時です。寝ていていいですよ」

 エレナが優しくローラを撫でる。

「一人は嫌」

 ローラがエレナに抱きついた。

「仕方ない子ですね」

 たまにローラは甘えん坊な所がある。ただシラヌイも心配なのだ。あの音は大鎌を使っている音だからだ。怪我をしている可能性が高い。ゼラルドは厳しいから。そこまで考えた時にエレナはいい考えが浮かんだ。

「私はシラヌイさんが心配なので外に行きます」

「うー」

 それを聞いてローラが腕に力を込める。ローラを優しく撫でる。

「寂しいならお兄さんの所に行くのはどうですか?」

 エレナが笑顔でそう言った。ローラの顔が明るくなる。

「うん。お兄ちゃんと一緒に眠る」

 ローラがベッドから跳び降りる。自分の枕を抱きしめてクリスの部屋に向かっていった。それを見送り、エレナは修道着に着替えた。



 高速の大鎌が空を切る。それを後ろに下がって回避したシラヌイは腰にあるナイフホルダーに手を伸ばした。

「……滅……」

 それよりも速くゼラルドの高速の大鎌がシラヌイを襲う。咄嗟に両手で大鎌を握って防ぐ。

「はあぁぁーーー!」

 シラヌイは叫び大鎌を押し返す。力は相手の方が上だ。全力で押し返さないと吹き飛ばされる。何とか押し返した所で背後に殺気を感じた。振り向いて大鎌を構える。

「遅い」

 ゼラルドは異界の門から鎖鎌を取り出して投げた。それを左に動いて避ける。鎖鎌がシラヌイの右腕に掠る。鮮血が宙に舞う。

「つっ……」

 シラヌイの顔が痛みで歪む。だが止まれない。バランスを崩したシラヌイにゼラルドが容赦なく大鎌を振り下ろす。当たれば即死の本気の一撃だ。

「……滅……!」

 シラヌイの叫びが広場に響く。ゼラルドが大鎌を振り下ろすよりも速く。高速の一撃がゼラルドを襲う。だがそれは当たる事はなかった。ゼラルドは大鎌を離して、異界の門から鎖鎌を出現させる。鎖鎌が大鎌を防ぐ。

「ぬるい」

 鎖鎌を強引に横薙ぎに振るう。シラヌイが軽く吹き飛ぶ。なんとか倒れずに踏みとどまった所にゼラルドが接近。シラヌイの首筋に大鎌がピタリと止まる。

「終わりだ」

 ゼラルドはそれだけを言って異界の門に大鎌を戻した。

「続けないのですか?」

 シラヌイは左手で右腕を押さえている。血が止まらない。

「その必要はない。俺の技が使えるようになるとはな。正直驚いた」

 それだけを言ってシラヌイの横を通り過ぎる。微笑んでいるようにも見えた。シラヌイは慌てて振り向いた。

「ありがとう……ございます」

 シラヌイが頭を下げた。

「そのまま強くなれ」

 それだけを言ってゼラルドは教会に戻っていった。ゼラルドと入れ替わるようにエレナが広場に来た。

「大丈夫ですか?」

「……ああ」

 シラヌイは左手を離す。心配はさせたくない。

「やせ我慢はいけません!」

 エレナは強引にシラヌイの右腕を掴む。そして、傷の具合を確認する。

「たいしたことはない」

「……本当ですね。あのゼラルドさんと戦ったのに」

 シラヌイが言うように軽傷だ。血は流れているが。情け容赦ないゼラルドとの訓練の後はいつも瀕死の重傷である。そうならない程度に強くなったのだろう。エレナは自分の事のように嬉しかった。

「包帯を巻くなら早くしてくれ」

 だんだん意識が遠くなってきた。エレナがいないとしたらすぐにでも止血しているだろう。

「すいません」

 エレナが手に持っていた救急箱から道具を取り出した。



 クリスは何だか体がいつもよりも熱い気がした。毎日が冬であるこの大陸で生活するには毛布は必須だ。クリスも毛布と厚い蒲団を木のベッドに載せ、その中に入っている。この組み合わせは早朝であっても十分に温かい。だが今日はいつも以上に温かい。いや、むしろ暑い。

(……暑い……異常気象か?……)

 年に数回温度が10℃以上上がる日がある。その日なのかとクリスは思った。寝苦しく毛布を退かそうと思った時に柔らかい感触がした。

 いぶかしんでそっと目蓋を開いた。そこにはローラがいた。クリスに抱きついて眠っている。クリスは抱き枕状態である。

「……うわ!」

 クリスは思わず叫んでしまった。

「うーー」

 ローラの表情が歪む。それからすぐに瞳を開けた。

「どうしたの?」

 ローラが小首を傾げた。それを聞きたいのは自分だとクリスは思った。

「いや……どうしてここに?」

「エレナが起きたから」

 それを聞いて納得した。ローラは一人では眠れない。エレナは何かあって起きたらしい。今はまだ早い。もう一度眠りたくてここに来たらしい。

「そうか。ごめんな、起こして」

「いいよ」

 それだけ言ってローラはクリスに抱きついて瞳を閉じた。クリスはローラの栗色の髪を優しく撫で続けた。ローラは幸せそうな笑顔を浮かべてもう一度眠った。



 鎧を着ていない軽装姿のキュリアが歩いている。目的地は商店街だ。そろそろ朝市が始まってしまう。急いでパンを買わないといけない。できる限り人混みは避けたいのである。

「あれは……」

 キュリアの姿を見てガイウスがぽつりとつぶやいた。こんなに早くにどこに向かうのだろうか。気になって視線で追う。

「ください」

 キュリアが銅貨を10枚渡す。

「あいよ」

 商人がパンを一つ渡す。銅貨一枚でパンが二つというスラム街に人気のパン屋だ。だが金額とパンの数が合っていない。まさか騙されているのかと思い声をかけるために近づく。その前に物陰に隠れていた少年、少女が飛び出した。

「パン、頂戴!」

 商人に手を差し出す。

「あいよ」

 商人が子供達にパンを渡す。

「ありがとう、キュリア姉ちゃん」

 子供達がパンを食べる。その様子を嬉しそうにキュリアが見ていた。毎日、子供達にパンを与えているというのか。スラムの出身であるというのは本当らしい。

「覗きかい? 見世物じゃねぇよ」

 ガイウスの後ろから低い女性の声がした。軽装姿の30代の女性だ。ほっそりと引きしまった体、凛々しい顔。その凛々しい顔には傷がある。サキア歩兵隊のナンバー3、マーリメイア。実力だけならナンバー2である。あのキュリアよりも強いのだから驚きである。

「すまない。そんなつもりはなかった」

「あんたは嘘を言わないね。でも、見世物でないのは本当だ。さっさと行きな」

 マーリメイアが城を指差した。さっさと城に行けと言いたいらしい。

「そうだな。ここで見ていていいものではない」

 それだけ言ってガイウスが城に向かって歩いていく。

「あっ……マーリさんとガイウスさん!」

 キュリアが元気よく手を振る。

「見つかっちまったよ」

 マーリメイアが頭を掻いた。ガイウスも一度立ち止まる。キュリアが早足でかけてくる。満面の笑顔だ。そのままマーリメイアに抱きついた。

「おはようございます!」

「相変わらず元気だね。あんたは」

「えへへ。ガイウスさんも、おはようございます」

 マーリメイアに抱きつきながらガイウスに敬礼。ガイウスも敬礼した。騎士団に敬礼をする習慣はない。だがこの少女はなぜか敬礼をする。それを自然と返してしまうのが不思議だ。

「ああ。おはよう。毎日、あげているのか?」

 ガイウスが子供達を指差す。

「はい。あの子達はお腹を空かしてますからね」

 キュリアが子供達を見た。子供達は満足した顔をしている。キュリアの軽装を見るともうボロボロである。鎧も新しくしないで子供達を食べさせているらしい。

「ほどほどにしろよ。また増えてるじゃねぇか」

 マーリメイアが子供達を指差す。

「いいんです。彼らの笑顔を守るのも騎士団の務めなのです!」

 キュリアが笑顔で言い切った。このザイフォスでこんな事を言う人物がまだいるとは思わなかった。ガイウスは衝撃を受けた。それと同時に背中に背負っている大楯を外してじっくりと見る。代行者との戦いで破壊され、新品に換えたばかりの大楯。

「……私も同じ事を思うよ。こいつを見てるとな」

 マーリメイアがガイウスの大楯を見てつぶやいた。騎士が装備を整え、戦いに備えるのは基本的なことだ。だが、その新品の楯で何人の子供を食べさせる事ができるだろうか。そう考えてしまうのだ。

「どうかしました? お! 新品ですね」

 キュリアが大楯を見て笑顔を浮かべる。

「ああ。いい楯だろう。この楯で守ってみせる。この国を」

 笑顔でガイウスが返した。

「守りましょうね!」

 それだけを言ってキュリアが子供達の所へ向かった。大忙しである。

「…………」

 無言でキュリアを見送った。ガイウスの手は震えていた。

「その楯で国を守るんだろう。自信を持てばいい」

 腕組みをしてマーリメイア。

「そうだな。俺は彼女のようにはなれない」

「あたしもだ。だが、ああいう生き方があるのは覚えておくんだね」

 それだけをつぶやいてマーリメイアは去って行った。



 修道着に着替えた神父はいつもの微笑を浮かべて教会の通路を歩いている。今日も日課の訓練である。シラヌイとの訓練も最初は嫌だったがここまで続ければ日課となってしまった。

「さて、今日もいい汗をかきましょうか」

 爽やかな笑顔を浮かべてドアを開ける。そして、訓練をする広場に出る。そこには誰もいなかった。

「今日は早く来すぎてしまいましたね」

 約束の時間である5時にはまだ早い。たまの早起きもいいものだと神父は思った。準備運動をして軽く体を動かす。

 それから数分。シラヌイがそろそろ来てもいい頃だ。暇なのでナイフを投げる。それが的を精確に貫く。今日は精度も完璧。素晴らしい朝だ。今日はシラヌイを軽く倒せそうである。

 さらに数分。シラヌイがこない。そして、クリスすらこない。どちらかが寝坊したのなら片方は来る。いぶかしんで教会を見た。だが来ない。不思議に思ったが、暇なので神父は軽い運動から本格的な実戦さながらの訓練に移る。額にはうっすら汗も輝いている。準備は万端だ。

「まあもうすぐで来るでしょう」

 額の汗を拭ってナイフを構えた。さらに数分が経った。やっと教会のドアが開いた。そこから現れたのは斧を持ったゼラルド。

「やっと来ましたかー。てっ……ちがーーう!」

 神父がゼラルドを指差す。

「なんだ? 俺は薪割りに来たのだが?」

「薪割りは訓練と食事の後でしょうが!」

 神父が珍しく叫んだ。

「は? 訓練も朝食ももう終わったが?」

 先ほど朝食を食べた。訓練ももう終わった。クリスはローラの面倒があるために今回はお休みだ。

「終わった?」

 その言葉を聞いて全てを悟った。訓練はゼラルドがつけた。朝食はたまの早起きが仇になったのだろう。神父がいつもの時間に部屋にいない。情報収集のために出かけたとエレナは思ったらしい。

「なんですとーーーー!」

 神父の叫びが早朝の教会に響いた。



 シラヌイは自分に与えられた部屋の椅子に座っている。右腕が痛むため今日はゆっくりする事にしたのだ。時刻はもう7時を過ぎた所だ。やることがない。思えば暇があれば武器ばかり振り回していた気がする。年頃の女性からしたら目も当てられないだろう。そう思うと苦笑してしまう。

 そう思っていたら部屋がノックされた。

「どうぞ」

 声を聞いてドアが開いた。そこにはエレナが立っていた。白いワイシャツの上に薄い緑のカーディガン、下はベージュのロングスカート。修道着ではないのが意外だった。

「どうしたんだ?」

 まずは疑問の声が出てしまった。

「外に行きませんか?」

 エレナが綺麗に笑った。

「外?」

 シラヌイが疑問の声を出す。

「そうです。シラヌイさんは今日、退屈でしょうから」

 それだけを言ってエレナがシラヌイの部屋を見渡す。そして、服がしまってある棚から服を取り出す。慣れた手つきで服を出す。シラヌイの服はエレナが管理している。シラヌイが服に無頓着だからである。いつも動きやすいウェアが多い。

「出かけるのか。これでいいが」

 シラヌイが黒いローブを指す。

「却下です」

 エレナが無視をする。そして、一つの着物を手に取った。薄い黄色の着物、そして、白い帯だ。

「……それは……」

 エレナに勧められた着物だ。あまりにも色が女性らしくてシラヌイは一度も着ていない。

「可愛いと思います」

 エレナが笑顔で寄ってくる。

「私はこれがいいなー」

 シラヌイが黒いウェアを指差す。

「却下です」

 シラヌイの肩をエレナが掴んだ。そして、シラヌイの服を脱がしていく。

「ちょっ……」

 抵抗するがエレナの力はとんでもなく強い。

「分かった。着るから。自分で着替える」

 溜息をついてシラヌイが着物を受け取った。

「はい」

 笑顔でエレナが頷いた。



 城塞都市ザイフォス。騎士の国とも言われるこの国にも商店街がある。南の城門付近に店が並び、必要な物はここで全てが揃う。ザイフォスの住民、近隣の村人が集まり人で溢れている。

 その人だかりに体をきつそうにして一人の大男が歩いている。ゼファーである。いつものローブ姿である。

「……すまない……」

 丸太のような太い腕が住民にぶつかる。鍛えられた戦士ならいいが一般の住民には応えるだろう。ぶつからないように慎重に歩く。まだ8時過ぎだというのにここまで人がいるとは。

「朝の大安売りだよー!」

 商人の声がゼファーの耳に届く。なぜ人がここまでいるのかその声を聞いて理解した。そして、なぜツバキがここに行くように言ったのか理解した。大安売りだ。

「ぬう」

 この人だかりは確かにきつい。年配の女性達が瞳を輝かせて突撃してくる。吹き飛びそうになる体を何とか堪える。

「ぬうう」

 押されながら何とか目的の場所にたどり着いた。その店は布がメインの店だった。衣服に使う布だ。布と着物に使う反物を買いに来たのだ。

 ゼファーが値段を見る。銅貨2枚で衣服5着は作れる量が買える。

「な……なに!」

 ゼファーの目が見開いた。ここまで安いとは。どうりで人が集まる訳だ。

「兄さん、安いよ」

 商人が笑顔で勧めてくる。これは買わねばならないだろう。手を伸ばそうとした所でカーディガンを着た女性がその布を掴んだ。

「ぬ……」

 諦めて別の布を掴もうとする。それを着物姿の女性が掴んだ。

「くっ……!」

 ゼファーが次の獲物を狙う。それを最初のカーディガンを着た女性が取った。

「ない」

 布が全て取られてしまった。素早く着物に使う反物だけは確保する。ゼファーの背に冷や汗が流れる。収穫無しではツバキに何を言われるか。

「これ……いるのか?」

 薄い黄色の着物を着た女性、いや少女が布をゼファーに差し出す。短い髪には白い花の髪飾りをしていた。着物姿はツバキで見慣れていた。だがこの少女は印象が違った。ツバキは美しいという言葉がよく似合う。だがこの少女はとても可憐だった。荒野に咲く一輪の花のようである。素直に可愛らしい女性だとゼファーは思った。

「すまない」

 ゼファーが布を受け取る。

「シラヌイさん、大切な戦利品を!」

 カーディガンを着ていた少女が着物姿の少女に叫ぶ。

「それだけあればいいだろう。こういう競争は苦手なんだな」

 呆れながらこちらに話しかけてくる。シラヌイと呼ばれていた、と頭で考えその少女をまじまじと見てゼファーは目を見開いた。

「代行者、シラヌイ!」

 ゼファーが慌てて距離を取る。

「お……おい、どうした」

 シラヌイが慌てて声をかける。まじまじと見ると確かにシラヌイだ。だがあまりにも印象が違う。まさか薄い黄色の着物を着ているとは。16歳の時のツバキが着物を着た時を思い出した。女性はどうして服装一つでここまで変わるのだろうか。不覚にも可愛いと思ってしまった。

「……すまん、取り乱した。貴殿があまりにも可愛らしい服装をしているのでな。別人だと思っていた」

 ゼファーが緊張を解いて一歩寄ってきた。ぎこちなさはなくいつものゼファーだ。

「失礼な奴だ」

「ふっ……すまんな」

 ゼファーが苦笑した。その様子をエレナは注意深く見ていた。この二人は敵対しているが相性はいいのではないだろうか。信念を貫くという強い想いを心に刻んでいる二人。逞しくて男らしいゼファーと、可憐なシラヌイ。共に歩み寄れば一緒にいられるのではないだろうかとエレナは思った。

「その布はそちらに譲ります。欲張るのもいけませんからね」

 エレナがゼファーに笑顔を向けた。

「ありがたくいただこう」

 三人は代金を支払って店を後にする。

「これからはどうするんですか?」

 エレナがゼファーに質問する。

「……服と、あとは食材だ」

 ゼファーがメモを取り出す。綺麗な文字で必要な物が書いてあった。ツバキが書いたのだろう。

「こちらは後は何かあるのか?」

 シラヌイが確認する。

「ないですよ。シラヌイさんは何かあります」

「ああ。花を見たい」

 頬を朱色に染めてシラヌイが控えめに言った。

「花が好きなのか」

「おかしいか?」

「いや……お前の優しさの理由が少し分かった気がする」

 ゼファーが若干微笑んだ。花を愛せるなら、人も世界も愛せるのだろう。自分のようにただ戦うだけの者ばかりではこの世界は荒んでしまう。

「そうか」

 それだけを言ってシラヌイは横を向いた。恥ずかしいらしい。

「ああ。恥じる事はないだろう。よい趣味だと思う。ではな」

 それだけを言ってゼファーが歩いて行った。

「いい雰囲気でしたねー」

 エレナが笑顔でシラヌイに寄る。

「何を言ってるんだか。あいつは敵だよ」

 悲しそうな顔でシラヌイはつぶやいた。

「違います」

「え?」

「一緒にするんでしょう。二つの派閥を」

「……そうだったな。さて、花を見よう」

 ここで止まっていては邪魔になってしまう。シラヌイとエレナは歩き出した。



 クリスはローラからやっと解放された。起きて朝食を食べてからもエレナがいないためにずっとローラはクリスの側を離れなかった。今、ローラは勉強中だ。エレナから与えられた宿題をしている。

「さて、どうするかな」

 そうつぶやいてクリスは長机に備えられた椅子に座る。

「いろいろ大変ですね。お茶、淹れますね」

 女性の声がクリスの耳に届く。この声は聞いたことがある。でも、ありえない。疲れておかしくなっただろうか。ゆっくりと振り向く。そこにはいてはいけない人物がいた。

「返事くらいしてくださいよ」

 笑顔でその女性がクリスを見ている。

「どうして?」

「会いに来てはいけませんか?」

 質問に質問で返された。ツバキは笑顔でクリスを見ていた。穏健派のツバキが、強行派の教会で自然とお茶を淹れている。ありえない光景だった。

「この状況はまずい。もし、ゼラルドさん辺りが見たら」

「許可を得てますよ。お茶を飲むくらいですから」

 ツバキが笑顔で返す。

「そ……そうなんだ」

 クリスは苦笑いを浮かべた。

「クリスの部屋に行って驚かせてあげようと思ったんですけど、それはさすがにまずいでしょうからね」

 最高の笑顔でツバキがクリスを見た。

「それは止めてくれ」

 顔を真っ赤にしてクリスがつぶやいた。

「どうしてですか?」

 ツバキの表情が少し曇る。こういう表情もするという事を始めて知った。いつも大人の雰囲気をしている女性という印象がする。どんな状況でも落ち着いて凛としているような気がするのだ。

「えっと……俺の心臓が持たない」

「そうですか。それなら問題ないですね」

 ツバキの表情が戻った。問題ではないらしい。このまま関わっていると本当に心臓が持たない気がした。

「はは……お手柔らかに頼むよ」

「はい。まずは……どうぞ」

 ツバキがお茶を出した。それをクリスが飲む。とても美味しいお茶だった。そう思えるのはツバキが淹れてくれたからだろうとクリスは思った。



 その様子をカイトが遠目で見ていた。

「ここで話しかけるのは野暮だね。仕事があるんだけどな」

 カイトが顎に手を当てて考える。クリスが駄目ならシラヌイと思ったが、シラヌイも出かけている。さて、どうしようか。そこでゼラルドの顔が浮かんだ。

「ゼラルドは……おっかないからな」

「ほう。なかなか言うようになったな、小僧」

 カイトは背筋に悪寒がした。ゆっくり振り向く。そこにはゼラルドが立っていた。

「あはは……仕事があるんだ」

「……誤魔化したか……まあ、いい。なんだ?」

 ゼラルドが腕を組んで催促。

「ええと……」

 カイトが遠慮がちに口を開いた。



 城塞都市ザイフォスの住民街と、スラム街の代表であるヴォルフは空を見た。曇りもない晴天だ。住民街の中心にある噴水の柱に寄りかかり、暇を持て余している。葉巻に火をつけて、マッチを一振り。火が消えたのを確認してから、半分に折る。それをロングコートの中にある袋に入れた。

「ふぅーー」

 煙を吐き出す。そろそろ来てもいい頃合だ。さて、誰が来るやら。

「……まだ止めてないのか」

 低い男性の声が耳に届く。振り向くと白髪の男がいた。ゼラルドだ。

「ええ。依存症ですから」

 ヴォルフは微笑んでゼラルドを見た。まさか引退した代行者が来るとは思わなかった。

「まあいい。話を聞かせてくれ」

「はい。私も暇ではないですからね」

 ヴォルフは柱から体を離して口を開いた。



 クリスは出されたお茶を飲む。いつものお茶だ。だが味が全く違った。

「美味しい」

 素直な感想を述べた。エレナが出すお茶も美味しいがこのお茶は格別だった。

「それは嬉しいです」

 クリスの右隣に座るツバキが笑顔を向ける。クリスの行動をずっと見ていた。かなり恥ずかしい。

「不思議だな。淹れる人によって味が変わるなんて」

「ふふ。西国の人間はお茶をよく飲むんです。シラヌイもお茶を淹れるのが上手いと思いますよ」

 クリスはシラヌイが出したお茶の味を思い出す。たまにしか淹れないが確かに美味しい。

「シラヌイのお茶も美味しいよ。でも、これには勝てないな」

「なかなかお上手ですね。そうやって何人の女を落としたんですか?」

 ツバキが笑顔で質問。

「俺はそんなに器用ではない。思った事を言うだけだ」

 クリスは顔を真っ赤にして応えた。

「そういう方ですよね。少しいいですか?」

 ツバキが右手でクリスの左頬に触れる。それからツバキの方に顔を向ける。ツバキの顔が正面にある。

「どうしたんだ?」

 クリスの質問を無視してツバキの顔が寄る。瞳を閉じて顔がどんどん近づく。クリスの心臓が早鐘のように鳴る。もう少しで唇が触れそうになる所で、クリスはツバキの肩を掴んで止めた。

「駄目だ」

「どうしてですか?」

 真剣なツバキの瞳がクリスを見た。

「こういうのはしっかりと気持ちを伝えてからでないと」

「真面目ですね」

「かもしれない」

「なら伝えます」

「それは俺から伝えさせてくれないか」

「……その方が嬉しいです。では……どうぞ」

 ツバキがじっとクリスを見る。今ここで言ってほしいらしい。

「……今は無理だ。気持ちが整理できていないから」

「…………」

 無言で返すツバキ。言葉を待っている。

「整理ができて……成すべき事がなせたら伝えたい」

「分かりました。その時に伝えて下さい」

 最高の笑顔をクリスに送った。怒ったりするのかと思ったが、そうでもないらしい。

「怒ったりはしないのか?」

「いえ……むしろここでキスをしたり、流れに任せて気持ちを伝えてくるなら失望していました」

 ツバキが大人の笑みを浮かべた。それと同時にツバキが離れた。試されていたらしい。

「敵わないな」

 がっくりとクリスがうな垂れた。まだまだ気持ちを伝えられるには時間がかかるとクリスは思った。



 片手に布を持ったエレナと、同じく片手に花の種を持ったシラヌイが教会に向けて歩いている。

「収穫はありましたね」

 エレナがシラヌイの持っている種を見てつぶやいた。

「ああ。また植えるさ」

 シラヌイは満足そうな顔をしている。カナデの花の種である。花壇を埋め尽くすには少し足りなかったのだ。これで花壇一面にカナデの花が咲くだろう。それを見れるかどうかは分からないのだが。

「見れるといいですね」

 エレナが寂しそうにつぶやいた。

「ああ」

 一つシラヌイが頷いた。ほどなく歩いて教会が見えた所で、教会のドアが開いた。そこからツバキが出てきた。なんだか満足そうな顔をしていた。

「クリスに会ったのか?」

「ええ」

 笑顔でツバキが返した。幸せそうな顔をしている。こんな笑顔を向けられたら会いに来る事を止めることはできない。

「そうか。良かったな。今は争う理由もない」

「はい。また来ますよ。では、また」

 それだけを言ってツバキが歩いて行った。このまま争う事もなく暮らせればいいと思う。それが無理な事は分かっているのだが。



 昼となり寒さが和らいだ通りを赤いローブを纏った少年が駆ける。無言で地面を駆け抜ける。目指すは東国である。数分走った所で鎧を着た騎士が10人ほど見えた。

 それを見て少年が止まる。

「フリス殿か?」

 先頭の騎士が質問する。

「ああ」

 フリスと呼ばれた赤いローブを纏った少年が短く返答。

「……まさか子供とはな」

 騎士は溜息混じりにつぶやいた。身長と、声変わり前の高い声で子供と判断したのだ。それを聞いて少年が動いた。腰にある剣を抜いて騎士に斬りかかる。騎士が剣を抜くよりも速く、瞬きするよりも速く少年は動いた。

「その子供に負けるあんたはどうなんだい?」

 フリスは騎士の首に剣を当てた。騎士の首から血が流れる。少し力を加えれば致命傷だ。

「わ……悪かった」

 騎士は一歩後ろに下がる。それを見てフリスが剣をしまう。

「こちらは相棒が死んで気が立ってるんだ。怒らせないで……殺すよ?」

 少年の瞳がぎらりと輝く。殺気を含んだ瞳。騎士は震えた。それと同時に何があったらこんな少年がこんな瞳になるのか疑問に思った。

「分かった。俺達はどうすればいい?」

「……今回のターゲットは代行者だ。君達にはこれをあげるよ」

 フリスは異界の門を開ける。そこから異形の剣が10本出現する。

「これが代行者の力が使える剣か」

 騎士達が剣を握る。

「そう。他人の命を代償に使って力を得る剣だ。活躍してね。そうでないと……その剣を爆発させるから」

 フリスが不気味に笑った。騎士達はもう戻れないと悟った。



 ザイフォス城下の一室。書類を眺めながらシュレインは熱いコーヒーを飲んでいる。

「はい、追加」

 スレインが大量の書類を机の上に置く。ものすごい音がした。

「おい」

「なんだ?」

 シュレインがスレインを睨む。笑顔でスレインが質問する。

「多くないか?」

 通常の三倍あるのは気のせいだろうか。

「それはグリウス殿と、サキア殿が書類仕事を全くしないから」

 スレインがやれやれと言ったように肩をすくねる。何を今さらと言いたげだ。

「それを……やらせるのが副官の任務では?」

「まさか副官の任務は隊長の代行。つまり……隊長がいる時はただの兵士と一緒だ」

 スレインが笑顔でつぶやいた。

「……あ、そういえばサキア殿と訓練が」

「逃がしませんよ」

 スレインがシュレインの肩を掴んで座らせる。シュレインがやらなければスレインがやるしかないのだ。ガイウスは訓練ばかり、キュリアは住民街とスラム街の巡回に出かけてしまうのだ。

「くっ……俺の将来が見えてきた」

 シュレインが書類を睨む。将来は書類を処理する係りだ。

「将来、安泰ですね」

 スレインが笑った。

 その時に部屋がノックされた。

「どうぞ」

 シュレインが入室を促す。それと同時にサキアが現れた。

「シュレイン、訓練だ」

 サキアが剣を持って現れた。

「書類がこんなにあるんだが?」

 シュレインが書類を指差す。

「そんな物、終わった後にでもするんだな。騎士たるもの腕を磨くのを怠ってはいけない」

 サキアがシュレインに寄る。そして、シュレインを引きずるように連行。

「書類がーー!」

 シュレインの悲鳴が城に響いた。

「やれやれここは副官がやりますかね」

 副官であり、友でもあるスレインはシュレインが戻るまで書類と格闘をした。



 ヴォルフが葉巻を吸う。そして、煙を吐き出す。説明を聞いている間に何度煙を吐いた事だろうか。

「……また東国か。あそこは貴族の国だからな。騎士の国と真っ向から戦えば勝てない。そこで宗教国と手を結んだ……いや、利用されているという事か」

 ゼラルドが溜息混じりにつぶやいた。

「そんな所だ。狙いは……お前らだ」

「そうか。なら迎え撃つまでだ」

 ゼラルドが不敵に笑う。

「おいおい、相手は腐っても騎士団だぞ」

「ふん。技量で負けるものか。数もそう多くはこないだろう。大人数で押しかけたらザイフォスとの戦争になるからな。俺達を消せるだけの数でくる。問題はあるまい」

 ゼラルドは顎に手を置いて思考する。間違いはないだろう。

「驚いた。ここまで考えられる代行者がいるなんてな。騎士団にほしいくらいだ」

 ヴォルフが意外な顔をしていた。

「来て10名。それを指揮する赤いローブの者が一人か、二人だな。こちらは代行者が三人と、腕利きが一名といった所か」

 数では負けている。倍の数を凌げるかが問題だ。

「戻って考えるんだな。無理なら言ってくれ騎士団を動かす」

「ブレイブナイツか……、本当に戦争になるぞ」

「こちらとしては戦争になったほうがいい。東国は邪魔だ」

 低い声でヴォルフがつぶやいた。どうやら本気らしい。

「こちらは無駄な戦争には反対だな」

 それだけを言ってゼラルドは去って行った。

「遅かれ早かれ戦争になるのだがな」

 ヴォルフが淡々とつぶやいて葉巻を吸った。



 宗教国ヴェルス。白いローブを纏った少女が無表情で報告を聞いている。

「フリスが勝手に……」

 少女の顔が歪む。トルティの死でフリスが動くとは思ってもいなかった。

「やはり救援を送りますか?」

 赤いローブを纏った男達の先頭にいる男が口を開いた。初老の男性で年齢に似合わずにがっちりとした体格をしている。その腰には2Mはあろう巨大な大剣がある。

「それは……」

 少女が悩む。こんな特別扱いが許されるかを考える。部下への示しもある。

「我らへの配慮ならいりません。どうかその広い心で救ってあげて下さい」

 男が恭しく礼をする。

「そうだな。すまんが、ハールベイト」

「はっ……」

 初老の男性の隣にいるほっそりとした40代後半の男性に向く。茶色の髪に、髪と同色の髭、その手には杖を持っている。

「フリスを止めてくれ」

「了解しました」

 それだけを言ってその人物が消えた。少女は溜息をついた。

「申し訳ありません。我らの神にいらぬ心配をかけてしまいまして」

「構わんさ。問題があるとすれば力が今だ戻らないことくらいか」

 少女が手を握る。まだ3割しか戻っていない。

「その件については尽力いたします」

「頼む」

 それだけを言って少女が宗教国の頂上に向けて山を登っていく。それを男達が見守る。

「尽力致しますよ。私の計画にはあなたの力が必要ですから」

 初老の男性が不気味に笑った。



 ザイフォスにある城の訓練施設。そこで二人の騎士が訓練をしている。他にも騎士がいるが周りの騎士はその様子を見ていた。見ているだけで参考になるからである。シュレインとサキアが試合形式で訓練しているのだ。

「はぁぁーーー!」

 サキアが叫ぶ。その叫びに応じて騎士剣が双剣が煌く。一つは振り下ろされ、それを相手が回避した瞬間に回転斬り。

「ぐっ……」

 シュレインが回転斬りを受け止める。強引に力で受け止めて、サキアを吹き飛ばす。

「やるな……だが!」

 すかさず着地をして、サキアが駆ける。シュレインが剣を構えるよりも速くサキアが剣を振り下ろす。それを綺麗にシュレインが回避する。その間に剣を真っ直ぐに構える。

「はっ……!」

 剣での突きである。それはサキアの左手を狙う。それを篭手で防ぐ。そのまま剣の軌道をずらす。

「もらった!」

 双剣の強みを活かした連続攻撃がシュレインを襲う。

「…………」

 それを無言でシュレインが後ろに下がって避けた。その動きが全く見えなかった。

 気づいた時にはサキアの首元に騎士剣があった。

「勝負あり」

 シュレインが笑った。これで50戦、25勝、25敗だ。実力は数字では五分五分。だがサキアはシュレインがために見せるあの動きが納得できない。シュレインが勝つときは決まってあの高速の動きをする。

「なんだ……あの動きは」

「というと?」

「いつもしらばくれて」

 サキアが拳を握る。これだけは何度聞いても教えてくれない。そして、何度見ても見えない。見えれば習得できるというのに。

「危なくなると集中するだろう。その時はできるんだよ」

 シュレインが笑った。いつもそう言うのだ。いつか種を明かして見たいとサキアは思った。

「今日は負けだ」

 サキアが兜を外す。激しい運動だったからだろうか熱気で頬は赤くなっている。シュレインも兜を外す。こちらも汗で濡れていた。

「次はサキア殿の勝ちかな」

 シュレインが汗を拭くためのハンカチをサキアに差し出す。

「すまない」

 サキアが汗を拭いた。

「次は勝つさ」

 サキアが拳を握って宣言した。



 時刻は夕刻。シラヌイは食事の前にお風呂で体を清める事にした。湯船に数分漬かり、すぐに出る。いつ戦いになるか分からない。そのために長くお風呂に入る習慣がない。すぐに出るので周りにもお風呂に入るとは言っていない。濡れた体を軽く拭いてバスタオルを体に巻く。短いタオルを頭に乗せて拭いている所でドアが開いた。

「…………」

「…………」

 ドアを開けたクリスと、シラヌイが視線を合わせる。すぐにクリスの顔が赤くなる。驚きで硬直しているらしい。

「寒いから閉めてくれないか?」

 シラヌイが睨んで一言。風邪を引いたらたまらない。

「すまない」

 クリスが慌ててドアを閉める。シラヌイは髪も完全に乾かさずに、体を拭いて服を着る。いつもの体に合ったウェアだ。その上にローブを纏う。

「……いいぞ」

 短くシラヌイ。

「ああ」

 クリスがドアを開けた。そこには湯上りのシラヌイがいた。髪はまだ湿っていて艶っぽい。石鹸の匂いだろうか甘い匂いがした。

「どうした?」

「いや……女性らしくて驚いた」

「失礼な奴だ」

 本日二回目の言葉を浴びせる。クリスが動かないのでシラヌイが動いた。

「女性を褒めるならツバキに言うんだな」

 横を通り過ぎる時に耳元で囁いた。その声がとても大人っぽく艶やかに感じた。慌ててクリスが振り向いた。

「この調子ではまだくっつくには時間がかかるな」

 シラヌイが余裕のある表情で笑った。

「女性が苦手になりそうだ」

 クリスが苦笑した。

「それは悪い事をした」

 それだけを言ってシラヌイが去って行った。今日始めてシラヌイが年上であることを意識したクリスだった。



 貴族の国フリッツベルグ。王政を中心とした貴族が政治に強く関わる国。騎士は形だけであり、貴族の言いなりである。

 夕刻を過ぎて夜になろうという時間。とある館の寝室でとある貴族が窓の外を見ている。その貴族の後ろに人が立つ気配を感じた。

「ハールベイトか」

 貴族の男がつぶやいた。

「はい」

 ハールベイトと呼ばれた男が短く返答。

「手勢は10名だ。足りるか?」

「足りないでしょう」

「なに? 相手は三人だろう?」

 貴族が驚いた顔をした。たったの三人を倒せないというのだろうか。

「おそらく穏健派も動きます。最近はツバキ、ゼファーとシラヌイは接近してますからね」

 彼らが合流すれば勝てないだろう。

「では……今回は?」

「邪魔な者がいまして……それを殺しにきました」

「それは……?」

「フリスという小僧と、代行者ゼラルド。それ以外に興味はありません。後はご自由に」

 それだけを言ってハールベイトが消えた。

「……ついに動くのか彼らが。神の力を得た人間は世界をどう導く」

 貴族の男は外を見てつぶやいた。



 早朝。シラヌイはベッドにかけてある黒いローブを手に取った。それを羽織る。身が凍える寒さが和らぐ。時刻は5時。部屋の中にいるというのにシラヌイの吐く息は白い。

そろそろ外に出ないと待たせてしまう。エレナからもらった革の手袋をしながら、物の少ない部屋を一度眺める。本当に何もない部屋だと思う。いつ死ぬか分からないから物を置かない。時折、寂しい思いをすることもある。物をたくさん置いて、化粧などをして町に飛び出る。生まれ変わったら、そんな生活もいいと思う。だがもし生まれ変わったとしても、こんな生活をしているような気もするのだが。

いらない想像を追い出してドアノブに手をかける。迷わずドアを開ける。ドアを開けた瞬間に声がした。

「おはよう」

 眠気を感じさせない表情でクリスが挨拶。どこかぎこちない感じがするのは昨日の出来事があったからだろうか。時折、顔を逸らす。こちらは何も気にしていないのだが。またいたずら心が湧いたが女性嫌いになったらツバキに斬られそうなので止めた。

「ああ、おはよう」

 シラヌイが軽く返す。

二人が狭い通路で並ぶ。目的地は同じだ。無言で歩く。聞こえてくるのは木でできた通路が軋む音だけ。窓からは朝日が差し込み二人の顔を照らす。その日を浴びて体が目覚めていく。歩く事で体が解されていく。シラヌイは朝が苦手なだけあって、この体が目覚めていく感じが好きだった。好きではあるが表情は緩まない。訓練に向かうだけあって表情は引き締まっている。隣のクリスも厳しい表情をしている。二人はシラヌイを先頭にして広場へと続くドアを開けて、辺りを見る。

 広場には神父が立っていた。ちょうど中央だ。辺りは短い枯れ草で覆われている。時折風が吹いて枯れ草が揺れている。そんな事はお構い無しに神父はナイフを構えている。

「……珍しいな」

 シラヌイが腰からナイフを抜いて声をかける。肌を焦がすような殺気を感じる。今日は本気らしい。

「ええ。昨日は訓練できませんでしたから二倍です」

「いいのか? 傷が開くぞ」

 それだけを言ってシラヌイが地面を駆けた。ゆっくり近寄ろうと思ったが、そんな余裕はなかった。神父がナイフを投げたからである。ナイフを姿勢を低くして回避。ナイフは獲物を失い、後ろに立っていたクリス目掛けて飛んでいく。

「おっと」

 シラヌイが避けたナイフをクリスが腰にある拳銃で弾いた。これは代行者の能力を使って出した銃ではない。一般の者でも使える銃だ。銃の傷を確認してから、二人から離れて銃を解体する。日課の掃除だ。

 金属が削れる音が広場に響く。神父とシラヌイのナイフから火花が散る。それを幾度か繰り返した所でシラヌイの蹴りが神父の顔を目掛けて繰り出される。

「甘い」

 それを屈んで神父が避ける。

「どう……かな!」

 蹴りの勢いを保ってシラヌイが一回転。隙をついた神父のナイフを振り向き様にナイフで受け止める。その勢いを借りて神父を吹き飛ばした。体勢を立て直している間に距離を詰める。蹴りを警戒して神父が腕を構える。

「はあぁぁーーーー!」

 渾身の蹴りが神父の腕を強打。腕でのガードを解く。だがこの程度で倒せるほど甘くはない。シラヌイが右手に握るナイフが神父の首に狙いを定めるよりも速く、神父のナイフが飛んだ。

「ちっ……!」

 シラヌイが慌てて投げナイフを弾く。その隙に神父のナイフがシラヌイの首に向けて突き出される。あまりにも速く反応できない。

「今回も勝ちです」

 ピタリと首元でナイフが止まる。実戦なら即死の一撃。やはりナイフでは敵わない。

「ふー、まだ無理か」

 シラヌイがナイフをしまう。

「私のガードを崩せるようになったのです。まずは進歩ですね」

「その後の詰めが甘いか」

「そうですね。これはまた次でしょう」

 お互いの距離を離してナイフを構える。そしてまた駆け出した。



 クリスは銃をばらして掃除をする。毎日掃除しているので綺麗な物だ。組み立てて構える。銃を構えた先には黒髪の女性がいた。クリスと同じように屈んでおり。掃除の様子を見ていたようだ。距離はかなり近い。銃口はツバキの額に向けられている。

「撃たないでくださいね。模擬弾でも痛いですから」

 銃口を見ながらツバキがつぶやいた。若干上目遣いになっている。

「うわ!」

 クリスは驚いて声を出した。危うく引き金を引く所だった。もし引いてしまったら練習用の模擬弾がツバキに直撃していた所だ。

「……危ないですから、掃除中は寄らないようにします」

 ツバキが立ち上がって離れた。

「びっくりした。頼むから気配を消して近寄るのは止めてくれ」

 クリスが溜息をついた。普通に近寄れば気づくが、ツバキほどの実力者が本気を出せばここまで気づかずに接近できる。それだけ実力の差があるのだろう。それが悔しく感じた。

「それはクリスが修行して下さい」

 にこりとツバキが笑った。最高の笑顔だ。

「今日はどうしてここに?」

「クリスに会いに」

 クリスの質問に満面の笑顔で答えた。クリスの顔がみるみる顔が赤くなる。ツバキはその様子がおかしくて可愛いと思った。

「そ……そうなのか?」

「……嘘です。冗談通じませんね」

 溜息をしながらツバキがつぶやいた。

「もしかして……」

「そうです。あなたたちが赤いローブの者達に攻撃される可能性があることは分かっています。穏健派としては何もしない訳にはいきません。先日の騒動もありますから協力をしなければ溝は深まるばかりですから」

 さらりとツバキが教えてくれた。そういうのは隠す所ではないのだろうかと疑問に思う。言わなくてもそれくらいは予想できる事なのだが。

「……協力はするが、派遣できるのは少数」

「ええ。強行派に関わりすぎるのも問題ですから」

 ツバキが首肯。

「数よりも使えるかどうかだな」

 腕組みをしながらゼラルドが教会の中から現れた。

「あら。私では不服ですか? 他にもゼファーが来ますけどね。戦いになったら現れるそうです」

 ゼラルドをまっすぐにツバキが見た。クリスはツバキの瞳を見たが、感情を読み取れなかった。

「ふん。言葉だけではな」

 それだけを言ってゼラルドが消えた。それと同時にツバキがかんざしを抜いた。結ってある長い髪が解ける。

「……滅……」

 ツバキの背後にゼラルドの大鎌が振り下ろされる。今からならクリスが銃を出しても防げない。

「…………」

 高速の一撃を無言でツバキが防いだ。左手に太刀を握り、右手に握るかんざしで大鎌を防いでいる。

「ふっ……さすがだな」

 ゼラルドは一度微笑んで大鎌をしまった。その笑みは強敵を見つけた修羅の笑みだった。

「急に攻撃しないで下さい。シラヌイのように速くはないのですから」

 シラヌイのように速ければ咄嗟に武器を出して、武器で防げる。ツバキの速さでは刀を掴んで、構える間に斬られてしまう。そこで刀を掴むのと、かんざしを構えるのを同時に行い、相手の動きを読んでかんざしで防ぐ。後は強引に力で防げばいいだけだ。

「まさかそのかんざしが迎撃用だとな。驚いた」

 大鎌の一撃を受けても折れない銀色のかんざし。一度、異界の門に通しておいた物だろう。

「これは飛び道具ですよ」

 かんざしを持ってツバキが微笑んだ。大鎌を防げるかんざしをツバキの力で投げたらどんな破壊力があるのか、クリスは想像するのも恐かった。

「お姉ちゃん、強い」

 ローラがツバキに向けて駆けてきた。ツバキの足に抱きついた。

「……あなたは?」

 ツバキがローラの頭を撫でる。

「私はローラ。お兄ちゃんの妹」

 ローラがクリスを指差した。

「妹がいたのですか?」

「義理の妹だよ。スラムに住んでいた所を保護したんだ」

 ツバキの疑問にクリスが答えた。

「そうなんですか。よろしくね」

 ツバキが屈んだ。ローラの青い瞳を真っ直ぐに見た。

「うん。私のお姉ちゃんになるんだよね?」

 ローラは青い瞳を輝かせた。

「はい。もう少し待ってくださいね」

 最高の笑顔をツバキが浮かべた。

(まだ、早い……)

 クリスは心の中でつぶやいた。ツバキがこちらに期待した表情を浮かべる。

「ふっ……」

 ゼラルドが含んだ笑いを浮かべて教会に戻る。

「待つんだね。分かった」

 ローラがツバキに笑顔を向けた。ローラを優しく撫でる。姉というよりも母親が娘を撫でるような温かさを感じた。

「はい」

 ツバキが笑顔で首肯した。

「ねえ、お兄ちゃん」

「なんだい?」

「私もお姉ちゃんみたいに強くなれる?」

 それを聞いて二人は驚いた顔をした。

「これは誰でも使える力ではないんだ」

「どうしたら使える?」

 クリスのつぶやきに真摯な瞳を向けてローラが確認する。

「突然、目覚めるか……誰かから引き継ぐかですね」

ツバキがローラを撫でながらつぶやいた。クリスはツバキを見た。その瞳から言ってもよかったのかと質問しているような気がした。ツバキは一つ頷いた。

「突然……それなら今でもいいんだよね?」

 ローラが自らの小さな手を見た。

「ローラが選ばれた子なら」

 ツバキが笑顔で頷いた。

「どうすればいい?」

「瞳を閉じて……門を開けるイメージを持って下さい」

 ツバキがゆっくりと伝える。それに合わせてローラが習う。クリスは見守った。内心では期待しながらも、ローラには代行者になってほしくないと反発する心が生まれた。次の世代に失う者を残したくないのだ。出来れば自分達の世代で終わらせたい。そう思う事がある。

「…………」

 無言で集中する。数秒待った所でローラの右側に変化が訪れた。異界の門が開く。しかもこれは召喚に使う門だ。

「第四段階! シラヌイ!」

 ツバキがすぐに太刀を抜いて叫んだ。たまにいるのだ。こういうイレギュラーな代行者が。実力も整っていない内から高い能力を持つ者。こういう者は力の暴走に耐えられずに代償の全てを払うまで暴れる事が多い。こんな幼女でも暴走したらとんでもない。決まってイレギュラーな者は現存の代行者よりも強いからである。

 ツバキの額に汗が滲む。太刀を力強く握った。



 今から16年前。農業を生業とする小さな村。木で出来た家の隣に水を引き、そこで作物を作っているよくある村だ。作物を西国に収めて、残りは自分達で食べる。そんな暮らしがずっと続いている村だ。

 そこに幼いツバキは遊びに来ていた。親戚がいるのだ。ツバキの親戚は国で生活するのを嫌った。国に縛られずに自由に生きたかったのだ。

 親戚のおじさん、おばさんと一緒に畑に来ている。

「ツバキちゃん、いるかい」

 親戚のおばさんが白い野菜を渡す。確か大根と言うものだ。

「ありがとう」

 ツバキが大根をかじる。

「どうだい?」

「美味しい」

 笑顔でツバキが返した。この時はまだ無邪気だった。戦いなんて遠くの出来事だと思っていた。でも、それはすぐに崩れた。村の男達がなにやら騒がしい。

「なにかね」

 おばさんも首を傾げる。ツバキも首を傾げた。

「盗賊の集団だ! ザイフォスの騎士にアジトを追い出されたんだろう。逃げろ!」

 ツバキのおじさんが顔を青ざめてつぶやいた。おばさんがツバキの手を引いた。ツバキはおばさんに手を引かれて逃げた。土の道をひたすら走る。西国に逃げるのだ。

「がぁ!」

 後ろでおじさんの声がした。ツバキは振り返った。おじさんが盗賊に殺されている。ツバキは恐怖で足が止まった。

「止まったら駄目!」

 おばさんがツバキの手を引いた。

「ぐっ……」

 おばさんの苦しそうな声がした。ツバキが振り向く。おばさんは口から血を流していた。矢が体に刺さっている。

「譲ちゃんは連れていくか」

 盗賊が近寄ってくる。

「嫌……」

 ツバキが後ろに下がる。その時に地面に落ちている桑で足を滑らした。盗賊が寄ってくる。ツバキは桑を掴んだ。

「そいつで戦うのかい。勇ましいね」

 盗賊がナイフを抜いた。ツバキは震えた。盗賊の後ろを見る。村人が殺されている。戦えればこんな奴らは倒せるのに。それが悔しかった。

「こいつはいらない」

 盗賊が桑を握る。そして、強引に桑をもぎ取る。もう武器はない。

(……武器がほしい……戦える力を……)

 ツバキは願った。その時にツバキの右横に異界の門が開いた。迷わずに握った。門から取り出す。それは銀色の刀。

「代行者!」

 盗賊が顔を青ざめた。ツバキは自然に動いていた。盗賊を切り裂く。頭は働かなかった。ただ目に入った盗賊を斬る。

「助け……」

 助けを求める盗賊をツバキは無言で盗賊を切り裂いた。だが力が弱いのかまだ息がある。力を使いこなせていないためだろう。

「助けて……」

 盗賊が逃げようと体を引きずる。ツバキは刀を構える。ツバキは瞳からは涙を流している。止めたいのに止まらない。意識に反して刀が振り下ろされる。

「止めろ!」

 少年の声。ツバキの腕を掴んで止める。

「止めて!」

 ツバキは少年に向けて刀を振り回す。少年は矛で受け止める。

「暴走してるのか!」

 少年は矛を構えて一度後ろに飛ぶ。初めての能力の解放で銀色の武器。第5段階以上の力。完全に能力が暴走している。この状態は異界の獣が戦う事を強要する。代行者は強すぎる力を制御できない。イレギュラーだ。

 少年の額に汗が流れる。止められるだろうか。ツバキが突撃してくる。完全に素人の動きだ。

「これなら!」

 少年は素早く懐に入る。そして、渾身の力でツバキの胴を殴った。矛で殴るわけにはいかないので素手を選んだ。

「う……」

 ツバキはその後も暴れたが、少年は体が傷つくのも気にしないで押さえ続けた。

「止まれ!」

 少年の叫びを聞いてようやくツバキは止まった。刀を強引に異界の門にしまい、周りを見た時には平静ではいられなかった。盗賊が無残に切り裂かれている。

「私がやったの?」

「ああ。能力の暴走だ」

 少年は傷を抑えてつぶやいた。ツバキは震えた。

「君の力は危険だ。教会に来て欲しい。正しく使うんだ」

 少年は手を差し出した。その手を取った。これが能力の目覚め。ゼファーとの出会いだった。



 ツバキが現実に戻る。この子が暴走するなら、何としても止めたい。震えを止める。もう弱くはないから。

 シラヌイが訓練を止めてこちらに駆けて来る。

「召喚か! クローディア!」

 暴走した獣を抑えるには召喚した獣をぶつけるのが一番速い。緊張した顔でクローディアを呼ぶ。クローディアは異界の門から顔を覗かせたが、攻撃をする素振りを見せない。

「どうした?」

 シラヌイがクローディアを見た。全く動こうとしない。何かを待っている。シラヌイもローラが出した異界の門を見た。そこから小さな手が出てきた。それから小さな頭が出てくる。黒い鱗がついた黒竜の子供だ。黒竜は辺りを見渡してからローラを見た。手をばたつかせてから黒竜が飛んだ。背中にある小さな羽根を羽ばたかせるが、大きなお腹が邪魔をして地面に落ちていく。

「危ない!」

 瞳を開けたローラが黒竜の子供を受け止めた。

「う……」

 あまりの重さに呻き声を上げるが、何とか支える。ローラの身長くらいはある子供の黒竜だ。黒竜は短く鳴いてローラの頬を舐める。助けてくれたお礼らしい。

「くすぐったいよ」

 ローラが笑顔で黒竜を撫でる。その様子を見てクローディアが黒竜に近づく。そして、黒竜に頬ずりをした。黒竜は嬉しそうに鳴いてから、甘えた。

「……どういうことでしょう?」

 ツバキがシラヌイに説明を求めた。緊張していた自分が馬鹿みたいである。無駄に嫌な過去を思い出してしまった。

「知らん」

 シラヌイが腕組みをして考える。

「親子ですかねー」

 神父が竜を見てつぶやいた。

「親子だとしたら、なぜ別の者が呼べるんだ」

 シラヌイが難しい顔をした。異界の獣にも寿命がある。クローディアもいつか世代交代するだろう。それがあの黒竜ならシラヌイの異界の門から出てくるだろう。だが呼んだのはローラだ。

「世代交代ではないですか? 代行者の」

 神父がシラヌイを指差してから、ローラを指差す。

「……あの黒竜と一緒に戦うのがローラということか?」

 シラヌイがクローディアを見た。クローディアは一度鳴いた。

「なるほど。私にはお前だけで十分だ。ローラの時も力を貸してやってくれ」

 シラヌイが手を差し出す。クローディアが頭を向けた。シラヌイが優しく撫でる。

「それにしても子供がいるなら教えろよな」

 シラヌイが頬を膨らませてクローディアを見た。クローディアは楽しそうに鳴いてから異界の門に戻った。

「シラヌイ、この子の名前どうしよう」

 ローラは黒竜を抱きながら振り向いた。重そうだ。

「まずは降ろそう」

 それを聞いてローラが黒竜を地面に降ろす。そして、凝視する。

「可愛いね」

 ローラが黒竜を撫でる。

「可愛いだって」「可愛いですか?」

 クリスとツバキが顔を見合わせる。仮にも竜である。かっこいいなら分かるのだが。

「え? 目がギョロとして、牙もジャギジャギして可愛いよ。腕も足もまだプヨプヨしてる」

 ローラは鱗がない腕と足をつつく。黒竜はくすぐったそうだ。

「……そうか」「……そうですか」

 二人が引きつった笑顔をしていた。

「さて……夫婦漫才は放っておいて名前か……親がクローディアだからな。父親の名前は知らんが」

「うー、小さいクローディアだね。この子、オスかな?」

 ローラが黒竜を見る。シラヌイが黒竜の頭を撫でる。

「オスだな。ここから角が生える。さすがに小さいクローディアはないな」

「駄目? ならミニクロ」

 ローラが笑顔で提案。シラヌイが頭を抑えてクリスを見た。クリスが顔を振った。次にツバキを見たが顔すら合わせない。意図的に横を向いている。

「ほ……他にないか?」

「うー、ならミクだね。ミク」

 ローラが名前を呼ぶ。ミクと呼ばれた黒竜が鳴いた。名前だと認識したらしい。

「……オスで……ミクか。まあいいか」

 シラヌイが屈む。

「よろしくな、ミク。次の世代は任せた」

 シラヌイが悲しそうな顔でミクを撫でた。こいつが戦えるだけ大きくなる時には自分はいない。シラヌイの命が尽きる頃には、クローディアと共に全ての力がローラに移るだろう。シラヌイに力が渡ったように。

「シラヌイの力をもらうんだね」

 ローラがシラヌイを見た。

「ああ。ローラは私のようにはなるな」

「私はシラヌイみたいになりたい。強くなりたい」

「いや……お前は生きろ。私がこの命を掛けて、この世界に平穏を作る。その世界で生きてほしい」

 シラヌイがローラを撫でた。ローラは瞳に涙を溜めた。

「泣くな。まだ死なない。ぎりぎりまで生きる。私はまだ何もできていないから」

 優しくシラヌイがローラを抱きしめた。その様子をツバキが複雑な顔で見ていた。

「変わるさ。今……ここにツバキがいてくれるから」

 クリスがポツリとつぶやいた。

「そうですね」

 シラヌイが生きている間に二つの派閥を一緒にできたらいいと、ツバキは思った。



 訓練が終わり朝食を済ませたシラヌイは教会の祭壇に向けて、膝をつけて祈っている。教会天井のステンドグラスから光が漏れ、シラヌイを照らしている。その後ろ姿をエレナは見ていた。とても儚げな背中。あとどれだけこの背中が見えるだろうか。エレナは暗くなる表情を引き締めてからシラヌイの隣に座った。

「朝からお祈りですか?」

「ああ」

 エレナの問いに短く返答。まだ祈っている。何を祈っているのか気になるが質問はしない。エレナも同じ恰好で祈る。少しでもシラヌイが生きれるようにと。

「あなたでも祈るのですね」

 二人の背中にツバキが声をかけた。

「いけないか?」

「いいえ。いい事だと思います」

 シラヌイの問いに笑顔で返す。

「ツバキさんは祈らないのですか?」

「……私は祈りません。もし神様がいるのなら……あの人と出会うような悲しい運命はなかったでしょうから」

 エレナの問いにツバキが悲しそうにつぶやいた。

「そうか」

「……何も言わないのですね。教会にいる者が主を否定しているのに」

 ツバキが顔を落とした。

「私達は修道女ではない。ただの代行者だ。教会には所属しているが、それだけだ。とやかく言うつもりはない」

 シラヌイが立ち上がりながらつぶやいた。祈りは終わったらしい。

「そうですね。行きましょう。男性陣は外で待ってますから」

 ツバキが手を差し出した。シラヌイが戸惑っている。

「何を躊躇しているのですか。一緒にするのでしょう」

 笑顔でツバキが手を向ける。それを掴んだ。

「そうだな」

 シラヌイがツバキに笑顔を向けた。

「いい笑顔です。ゼファーはともかく私は……協力します」

「いいのか?」

「その笑顔が嘘なら……もう誰も信じません」

 ツバキが苦笑した。共に歩んでくれる。この輪を広げたいとシラヌイは思った。シラヌイとツバキは一緒に教会を出た。



 キュリアは早朝の訓練をしている。場所はドーム状の訓練施設。地面は乾いた土だ。もう子供達にはパンを与えて来た。鋼鉄で出来た鎧に向けて突きを繰り出す。金属同士がぶつかり火花が散る。

「前よりも軽い?」

 突きを出した感想を口にした。

「私には一緒に見えるけど?」

 隣で剣を振っているマーリメイアがキュリアに疑問をぶつける。

「軽いよ。これなら突きが鋭くなる。でも……」

 槍を不安そうに見つめた。

「強度不足ですか?」

 スレインが眼鏡を上げながら指摘。

「金属槍を簡単にへし折るからね、あんたは」

 マーリメイアが笑った。

「それならこの武器はどうだ」

 ガイウスが大剣を構える。

「じょ……女性が使う武器ではないです!」

 キュリアは大剣を指差して叫んだ。

「す……すまん。キュリア殿なら使えそうだったので」

 ガイウスが謝る。キュリアの力はとんでもなく強い。大剣くらいなら余裕で振り回せる。強度が不安ならこの選択も十分にあるだろう。

「もう」

 キュリアが頬を膨らます。悪気がないのは分かっているのですぐに笑顔を向けた。

(……おい、それはないだろう)

 スレインが小声でガイウスに話しかける。

(……器用ではないのだ)

 ガイウスも小声で返す。

「こそこそ話さない」

 マーリメイアが剣を男二人に向ける。

「そうだな」

 ガイウスがごまかすように大剣を構えた。キュリアは小首を傾げた。

「やれやれまだまだかかりそうだ」

「めんどくさいねぇ。あいつがのんびりしてるなら、さっさともらったらどうだい? お茶に行ったんだろう」

 スレインに向かってマーリメイアがつぶやいた。ガイウスが驚いた顔をした。

「はは。その前に拳で語り合いますよ」

 スレインがガイウスを見て拳を作る。

「めんどくさいねぇ。でも……悪くないね。その考え惚れそうだよ」

 マーリメイアが豪快に笑った。キュリアだけは分からずに小首を傾げていた。



 その様子をシュレインとサキアが見ている。

「悪くないな」

 シュレインがつぶやいた。

「ああ」

 サキアが頷く。

腕前はブレイブナイツに追いつきつつある彼ら。そして、お互いの事を理解しつつある。騎士同士の連携は重要だ。それができない者はいらない。腕前ではマーリメイアの方がキュリアよりも上だ。副官にはマーリメイアを置くのが自然に見える。だがキュリアは他人との連携が上手い。戦いながら指示も出せる。無害な彼女を嫌う者はいない。素直に指示を聞いて部隊がまとまる。その素質を見抜いたサキアはキュリアを副官にしている。マーリメイアもキュリアなら仕方ないと納得している。キュリア以外の奴なら今頃決闘していると言っていた事から副官の位置にはいたいらしい。だがそれを諦めてしまうだけキュリアの人柄がいいのだろう。

「彼女は魔法使いだな」

 シュレインがつぶやいた。

「だな。我が部隊には外せない人材だ。やらんぞ」

 サキアがシュレインに向いて警告。

「本人の意志を尊重するさ」

 シュレインが笑った。

「なあ……」

「なんだ?」

「若い方がいいか?」

「はぁ? うーん。我が部隊は若いのが多いからな。年配の騎士が欲しいな」

 シュレインがサキアの質問に真剣な顔でつぶやく。サキアは頭を抑えた。

「聞いた私が馬鹿だった」

「なにがだ。部隊の話だろう?」

 シュレインが小首を傾げた。何だかこいつはキュリアに似ていると思う。シュレインとキュリア。天然の二人は一生かかってもくっつかないと思った。むしろ気づかない。若い女性が好みなら強敵だと思ったが関係ないらしい。サキアは自分の気持ちが伝わっているのか疑問に思った。

「違う。まあいい。仕事するぞ」

「なんだよ。気になるな」

 サキアの後ろをシュレインが歩く。向こうからグリウスが歩いて来る。話は半分聞こえていただろう。サキアの顔が赤くなる。

「ふっ……」

 全てを悟ったグリウスが笑った。グリウスの足をサキアが思いっきり蹴った。



 昼過ぎ。フリスは城塞都市を見上げた。

あと一時間でも歩けばたどり着くだろう。だがたどり着く前に目的の人物が目に入った。黒いローブを着た大鎌使いだ。その他にも見た事がある者がいる。辺りは平原。枯れ草ばかりの開けた場所。そこに昼から降ってきた雪が積もりつつあった。木はなく戦いにはうってつけの場所。ここを選んで待っていたらしい。

「こいつらだ」

 フリスが剣を構えて後ろの騎士に合図。騎士も剣を構えた。

「我が命を代償に捧げ……」

 シラヌイが地面を駆ける。フリスも地面を駆ける。

「意志を貫くための力を!」

 シラヌイが大鎌を取り出す。次の瞬間にはシラヌイの姿が消えた。

「くっ……!」

 フリスは剣を構える。煌く銀閃。気づいた時にはフリスは剣を飛ばされていた。銀色の大鎌を持ったシラヌイがさらに距離を詰める。それを一人の騎士が防いだ。

「まずは下がれ!」

 東国の騎士団長だ。周りの騎士が飛ばされた剣を抜いてフリスに投げる。フリスはそれを受け取って後ろに下がる。

「来るぞ!」

 フリスが叫んだ。あの大鎌使いも恐いが、それ以上に危険な存在がいるのだ。黒い着物に白い帯を巻いた代行者。この大陸において知らない者はいない最強の代行者である。

「どきなさい!」

 ツバキの声を聞いてシラヌイが慌てて後ろに飛んだ。

「せいっ……!」

 太刀を騎士に向けて振り下ろす。騎士団長が剣で受け止める。だがその剣は数秒でへし折れる。そのままの勢いで両断。光へと変わった。周りの騎士は顔が青ざめている。数秒で騎士団長が消えたのだ。震えないほうが不自然だろう。

「臆するな! 相手はたったの6人だ」

 フリスが叫ぶ。だが騎士は震えて動けない。

「やれやれもう終わりですか」

 その声と同時に白髪の老人が現れた。太刀を構えるツバキに向けて手に持つ杖を振る。ツバキが太刀で受け止め、杖を強引に押す。老人が吹き飛ぶ。

「さすがに力は強いですな」

 老人の声が背中から聞こえた。ぞくりと背中に寒気がした。まるで見えない。慌てて振り向く。そこには杖を振り下ろす老人が見えた。

「何をしている」

 シラヌイが慌てて間に入って杖を防ぐ。

「すみません。ほとんど見えません」

 ツバキが額に汗を流してつぶやいた。速すぎる。

「そいつは任せる。こっちは何とかする」

 ゼラルドが大鎌を構える。騎士とフリスに向く。

「分かった」

 シラヌイが大鎌を構える。その間にも老人が杖を巧みに操り襲いかかってくる。それを大鎌で防ぐ。

「これなら」

 ツバキが白銀の刀に変える。能力を上昇させて駆ける。この状態で何とか相手の速度に追いつける。だが相手の方がはるかに速い。刀を振り下ろすが、それを綺麗に回避して杖を繰り出す。太刀で防いで押し返す。

「シラヌイ!」

 ツバキの叫びを聞いて、シラヌイが踏み込む。

「ついてこれますかな」

 老人が笑った。シラヌイの高速の大鎌をさらりと避けた。バランスを崩した体勢から、大鎌を避けて見せたのである。シラヌイは大鎌を空振りして逆に体勢を崩す。老人の杖がシラヌイの腹部を強打した。

「ぐっ……」

 シラヌイが腹部を押さえる。

「あなたよりも速い代行者がいるとは思いませんでした」

 ツバキが刀を構えてつぶやいた。

「ああ。あれは異常だ」

 霞む視界で前を見た。

「ハールベイトと申します」

 老人は恭しく礼をして名を名乗った。



 ゼファーの矛が騎士を3人吹き飛ばす。バランスを崩した所にクリスが銃弾を浴びせる。神父もナイフを構えて投げる。さすがに能力を使っているだけあってすぐには倒せない。だが苦戦をするような相手でもない。

「任せてもいいか?」

 ゼラルドがシラヌイとツバキを見てつぶやいた。連携をしているあの二人を相手に互角以上の戦いをしている代行者。明らかに危険だ。あの二人なら楽に勝てると思っていたが、思ったよりも強敵だったらしい。

「ああ。あいつは危険だ」

 ゼファーが騎士を吹き飛ばしながらつぶやいた。

「すまん」

 ゼラルドが三人を残して駆ける。

「待てっ……」

 それを追う様にフリスが続いた。あのゼラルドという男に相棒がやられたと聞いている。あいつだけは倒したい。そう思いフリスが地面を駆ける。離れていくフリスに向けてクリスが銃を向ける。銃を向けた瞬間に騎士剣が見えた。

「食らえ!」

 クリスの近くにいた騎士が叫んで剣を振り下ろす。狙いをフリスから騎士に変える。銃弾が騎士を撃ち抜く。再度、フリスに向けた時には射程外だった。

「ちっ……」

「こちらはこいつらを倒す事を考えろ」

 ゼファーが矛を構える。数では相手の方が多いのだ。クリスまで抜けたらもたない。クリスはもう一度騎士に狙いを定めた。

 騎士が三人駆けてくる。クリスは両手にハンドガンを持ち、構える。一つ呼吸をして放つ。まずは真ん中にいる騎士の腕と足に着弾。すぐさま向かってくる二人に銃を向ける。

「ここまでこれば!」

 騎士が剣を振り下ろす。それを半歩下がって回避。騎士剣がぎりぎりの所で触れない。

「…………」

 無言で騎士の首にハンドガンを向ける。迷わず引き金を引く。倒れるのを確認しないで、向かってくる最後の一人に瞳を向ける。騎士剣が真っ直ぐ突き出される。後ろに下がろうとする体を止める。右に体を動かす。騎士剣がクリスの左腕を掠る。何とか掠るだけに留めたクリスは銃を相手の頭部に向ける。すかさず2発撃ち込む。倒れるのを確認してから残りの敵に向ける。

「やるようになったな」

 ゼファーが騎士を吹き飛ばしながら褒める。

「まだまだだ」

 クリスは掠った左腕を見てつぶやいた。接近戦ができていない。そして、すぐに後ろに下がる癖も抜けない。これではまだ追いつけない。

「ふっ……その姿勢は賞賛に値する」

 ゼファーは努力する人間が好きである。特に向上心がある人間は。代行者の力に溺れて努力しない者を多く見てきた。だが、シラヌイやクリスは強くなろうとしている。前に進もうとしている。その姿を見ると協力するのも悪くはないと思う。だがらこの場にいるのである。

「賞賛は……強くなってからだな」

 ハンドガンを構え直してクリスがつぶやいた。

「切り抜けるぞ」

「ああ」

 二人は残りの騎士に向けて駆け出した。



 シラヌイはハールベイトが体勢を崩した瞬間に大鎌を横薙ぎに振るう。ハールベイトは杖で大鎌を防ぐ。

「何と非力な」

 ハールベイトは杖を横薙ぎに振るう。シラヌイが宙に浮いて吹き飛ぶ。力がまるで違う。

(なんだこいつは……)

 心の中でシラヌイがつぶやいた。速いだけではなくて、力もとんでもなく強い。

「力でなら……負けません!」

 ツバキが太刀を振り下ろす。

「ほう。ワシに抜かせるとはな」

 ハールベイトは杖の先端を持った。そして、杖の先端が木のもち手となり、杖の中から刀身が現れる。この杖は刀の鞘だったのである。

「せい!」

 ツバキが渾身の力で振り下ろす。それをハールベイトは受け止めた。足が地面に埋もれていく。だが刀は折れない。

「…………」

 ハールベイトが無言で受け止める。もう一押しという所でツバキは寒気を感じた。慌てて後ろに飛ぶ。

「ほう。さすがは最強の代行者。避けましたか」

 手にはいつの間に出したのかもう一振りの仕込み杖を持っていた。一瞬でも判断が遅れていたら斬られていた。

「はぁ……はぁ……」

 ツバキは荒い息をしていた。ツバキの消耗が早い。能力を限界まで使わないとあの速さに追いつけないのだ。目が霞む。一時的に感覚が鈍っている。ツバキは瞳を閉じた。見えないなら見ない。

「…………」

 ハールベイトは無言で、瞳を閉じたツバキに向けて容赦なく刀を振るう。シラヌイが防ぐために駆ける。だが間に合わない。

「…………」

 ツバキは無言で集中する。研ぎ澄まされた感覚が相手の殺気を読む。太刀を横薙ぎに一閃。相手を刀と一緒に吹き飛ばす。相手が着地するよりも速くツバキが駆ける。相手の胴に右手に握る刀で一閃。手応えを感じて瞳を開けた。ハールベイトの胴から黒い霧が溢れる。

「ぐっ……まさか人間風情が」

 ハールベイトは胴を抑えた。強さの原因がやっと分かった。あの真っ白な少女と同じなのだ。

「食らえ!」

 追いついたシラヌイが大鎌を構える。バランスを崩したハールベイトに斬撃を浴びせる。

「この程度では!」

 ハールベイトが後ろに飛んだ。霧が収まる。ハールベイトが警戒して刀を構える。だがシラヌイの姿は消えている。

「……滅……!」

 シラヌイの叫びが戦場に響く。高速の銀閃。

「ぐっ……」

 大量の霧が溢れる。だがすぐに収まる。シラヌイがさらに接近。追撃の一撃を浴びせるために大鎌を構えた所でハールベイトが消えた。

「ちっ」

 舌打ちをして辺りを見る。速さで負けてはいけない。それが唯一の武器なのだから。刀の輝きを見てから相手の刀を避ける。刀が右肩を掠める。

「捕らえた!」

 大鎌がハールベイトの胴を切り裂く。

「甘い」

 ハールベイトは左手で大鎌を掴む。右手に握った刀がシラヌイを狙う。

「噛み砕け……クローディア!」

 シラヌイは大鎌を異界の門に戻す。戻った瞬間にクローディアが現れ、ハールベイトを噛む。その瞬間にシラヌイは後ろに飛んだ。

「倒せるか」

 肩で荒い息をしながら、ハールベイトを見た。だがハールベイトはクローディアを力任せに吹き飛ばす。

シラヌイは斬られた肩から血が溢れ、意識が跳びそうになるのを何とか堪える。相手は黒い霧が出るだけで致命傷にはならない。心が折れそうになる所でシラヌイの前に黒い影が現れた。

「任せろ」

 低い声が響く。ゼラルドの大鎌がハールベイトを切り裂く。高速の大鎌が容赦なく切り裂く。大量の霧が溢れる。

「このままでは」

 ハールベイトが数歩下がる。シラヌイは意識がゼラルドに向いている間に接近。追撃のために地面を駆ける。だがそれを防ぐ影が見えた。

「やらせるか!」

 遅れて駆けてきたフリスがハールベイトとシラヌイの間に入る。

「邪魔だ!」

 シラヌイの大鎌がフリスを切り裂く。

「くっ……」

 フリスは倒れずにシラヌイを掴む。

「俺の前で仲間を殺させない!」

 血を吐きながらフリスがつぶやいた。

「そのまま掴んでいなさい」

 低くハールベイトがつぶやいた。

「まずい」

 ゼラルドが何をするかを悟り、地面を駆ける。シラヌイは動けない。ハールベイトはフリスを容赦なく貫いた。そのままシラヌイに向けて刀が突き進む。

「くっ……」

 シラヌイが瞳をつぶった時に横から衝撃が伝わった。ゼラルドが体当たりをしたのだ。刀がシラヌイに当たる前に横に吹き飛ばされた。フリスには刀は刺さったままだ。

「少し予定は狂いましたが……これでいいでしょう」

 ハールベイトが地面を駆ける。ゼラルドが体勢を整えるよりも速く、ハールベイトの刀がゼラルドを切り裂いた。

「ぐっ……」

 ゼラルドが血を吐く。

「決めろ……穏健派!」

 接近したハールベイトの腕をゼラルドが捕まえる。それを見るよりも速くツバキが駆ける。

「消えなさい!」

 太刀を力任せに振り下ろす。太刀はハールベイトを地面に叩きつけて、地面に大穴を開けた。大量の霧が体から溢れる。

「がぁぁーーーー!」

 獣のような叫びが戦場に響く。ハールベイトの体が黒い霧に変わっていく。ツバキは力を緩めない。感覚が薄れていく。能力の使い過ぎだ。目が見えない。その時に誰かに腕を掴まれた。

「もういい。変わって」

 クリスの声だった。その声を聞いて刀を放す。重い銃声が戦場に響いた。霞む視界でそれを確かめてから刀を異界の門に戻した。



 フリスは震えていた。血が止まらない。

「生きたいか?」

 シラヌイがフリスに質問した。

「こ……殺せ」

 血を吐きながらフリスがつぶやいた。その声は震えている。

「震えながら言われてもな」

 シラヌイがフリスの止血をする。エレナに見せれば助かるかもしれない。

「どうして……?」

「生きたい者を放ってはおけない」

 シラヌイがフリスを持ち上げて運ぶ。左手には大鎌が握られている。能力を使って運んでいるらしい。

「お前達を……ゴホ……」

 言葉の途中で血を吐いてしまった。

「黙って運ばれろ。面倒だ」

 それだけをシラヌイが言った。フリスはそれを最後に気絶した。



 フリスは夢を見た。まだ戦う事もできなかった時の夢だ。親は物心ついた時からいなかった。街の隅のスラム街で住み、食料を探す毎日だ。

 食料もなく飢えと戦う毎日。権力を持った者のストレスの発散のために殴られる毎日。それに抵抗できない自分。今日も貴族共に殴られている。感覚が薄れて何も分からない。ただ衝撃だけが体を揺らす。それが途中でピタリと止んだ。

 フリスが上を見た。そこには真っ白な少女がいた。無表情にフリスを見下ろしている。

「おい」

 少女はフリスにそう声をかけた。とても偉そうだ。

「な…………に?」

 フリスは掠れた声を出した。

「私に協力しないか?」

 少女はフリスを抱き起こす。真っ白な服が汚れた。そんな事は気にしていない。

「俺に……できるの?」

「ああ」

「なら……やる」

「それなら付いてこい」

 それだけを言って少女は少年を立たせた。少年を殴っていた貴族は血を流して倒れていた。

「この人達は」

「私が殺した。この世界にこいつらはいらない」

 さらりと言って少女が歩く。その後をフリスは続く。この少女だけがフリスに生きる道を与えてくれた。理不尽な貴族を倒してくれた。だから一緒に行こうと思った。フリスが信じる絶対者についていこうと思ったのだ。



 そこまで夢を見てフリスは瞳を開けた。瞳を開けた所には綺麗なブロンド髪の修道女がいた。

「目が覚めましたか?」

 綺麗な笑顔を浮かべる女性だった。その笑顔はとても神聖で天使の様だった。

「ここは……」

 辺りを見渡す。木で出来た部屋だ。辺りはぬいぐるみなどの可愛い物が多い部屋だった。この女性の部屋だろうか。そこまで考えた所で代行者と戦っていた事を思い出した。そして、修道着を着た女性。教会に連れてこられたと、すぐに分かった。状況を理解した瞬間にフリスは女性の肩に飛び掛り、押し倒す。

「うっ……」

 女性が呻き声を上げた。助けてくれた人に乱暴を働く。良心が痛むが敵に捕らわれる訳にはいかない。

「大人しくしてください」

 女性が困った顔をした。

「俺は逃げない……ぐっ……」

 急に腹部が痛んだ。傷口が開いただろうか。意識が薄れる。腹部に触れると血がついた。

「傷が治る間だけでいいですから」

 女性は力が抜けたフリスを押し返して、抱きしめた。修道着が汚れるのはお構いなしで抱きしめた。その様子が我らの神が過去に助けてくれた時と重なった。フリスは抵抗しなかった。ベッドに眠る。女性は手際よく処置をした。その様子を薄れる意識の中で見た。



 ゼラルドは重い目蓋を開けた。気づいた時にはベッドで寝かされていた。見慣れた天井。自分に与えられた部屋だ。

「大丈夫ですか?」

 声に反応して首を動かす。それも億劫だ。そこには椅子に座ったシラヌイがいた。

「ふん。この程度なら大丈夫だ」

 起き上がろうとするが力が入らない。

「無理はしないほうがいいです。寝ていてください」

 シラヌイはゼラルドを押さえつける。

「ちっ……、弟子に面倒を見られるとは。落ちたものだ」

 ゼラルドは悪態をついたが、そのまま大人しく瞳を閉じた。

「たまには弟子に甘えてください」

 シラヌイが綺麗に笑った。

「ふん。黙っていれば可愛いのにな。もったいない女だ」

「……どうせこんな女ですよ」

 シラヌイが頬を膨らませた。だが怒ってはいなかった。ゼラルドもそれは分かっていた。

「こうやって看病されるのも、これが最後かもな」

「今日はしんみりしてますね」

「負けたからかもしれんな」

 ゼラルドが笑った。シラヌイも微笑んだ。



 ツバキはクリスの部屋にある椅子に座っている。自分の手を見る。霞んで見える。視力が落ちている。いつかこういう事も起きると思っていたが、急すぎる。

「見えないのか?」

 クリスが確認する。それには応えない。言いたくない。

「…………」

 無言で立ち上がる。部屋から出るためにドアへと向かう。

「教えてくれ」

 ツバキの肩を掴んだ。その肩がいつもよりも細く感じた。

「そんな事は関係ない事です」

「関係ある」

 言葉で突き放すツバキにクリスは肩を強く掴むことで応えた。

「……痛いです」

 ツバキがクリスの方向を見ないでつぶやいた。クリスは離さない。

「もうこれだけ強く掴んでも痛みは感じないのだろう?」

「……よく知ってますね。離したら逃げようと思ったんですけど」

 ツバキが顔を落とした。最強の代行者から逃げるという言葉を聞いて、クリスは驚いた。

「全てを話してくれ」

「……聞いたらどうします? 止めますか?」

 ツバキが振り向いた。決意のこもった瞳がクリスを見た。逸らしたいと思うような強い瞳だった。

「……ああ」

 クリスは瞳を晒さないで頷いた。

「……私がそれでも戦いたいと言ったら?」

「一度、止めても戦うというのなら止めない」

「そうですか。なら……戦います」

 ツバキは前を向いてドアを開けた。止めたいと思った。彼女は限界まで戦う。戦えなくなるまで。

「……どうしたら……」

 クリスはぽつりとつぶやいた。その続きは言葉にしない。ツバキが止まる。いつもなら何を言いたいか分かっていても振り返らなかった。だが今日は振り向いた。

「どうしたら戦いを止めるかですか?」

 クリスが言いたい事をツバキが口にした。

「……それを言わせるのはいけないな。自分で……」

「あなたが私を射止めて……可愛い子供でもできたら止めます」

 ツバキが笑顔で言い切った。

「なっ……こちらは真剣に……!」

「真剣です」

 ツバキが一指し指でクリスの口を塞いだ。

「冗談ではないですよ。代行者としてやるべき事をしたいです。でも……幸せを掴みたいというのも本音です」

 ツバキが綺麗に笑った。クリスは口を塞がれたまま頷いた。

「私を止めてみて下さい。簡単には止まらないですけどね」

 ツバキがクリスの口を解放した。

「敵わないな」

 クリスが苦笑した。それを聞いてツバキがもう一度綺麗に笑った。



 教会の外。あれからずっと警戒のために神父とゼファーは外に立っている。

「…………」

「……何も起きませんねー」

 無言のゼファーに神父が声をかける。

「…………」

 だがゼファーが応える事はない。諦めて神父が前を向いた所で教会のドアが開いた。カイトがコートを着ながら外に出る。

「おや、もう行くんですか?」

「うん。ここにいても仕方ないからさ」

 カイトが一度教会を見た。寂しそうな顔をしてから、ドアを閉める。

「エレナは忙しいですからね」

 神父が微笑んで教会を見た。

「……エレナは関係ない」

 カイトが一度咳払いをした。またチラリと教会を見た。かなり気にしている。あまりいじめるのは可哀相なので、関係ないという事にした。

「また調べてくるよ」

 それだけを言ってカイトが歩いて行った。

「貴殿もあの真面目さを見習ったらどうだ」

 ゼファーが腕組みをして神父を見た。

「私はのんびりやりますよ」

 神父が手をひらひらと振った。



 翌日。フリスは重い目蓋を開けた。あれからまた寝てしまったらしい。辺りを見渡す。そこで綺麗な緑色の瞳とぶつかった。

「おはようございます」

 女性は綺麗に笑った。ずっと見ていてくれたらしい。

「どうして……助ける。放っておいてくれ」

 フリスが横を向いた。

「むー。カイト君と同じ事を言うんですね」

 女性は微笑んでフリスの髪を撫でた。優しさが手から伝わってくる。その優しさに温かさに触れていたいと思う。荒んだ心が洗われていくようだ。

「やめろ!」

 その手をフリスが叩いた。このままだとこの女性と戦えなくなる。敵だと思えなくなる。女性は腫れた手を気にせずにフリスを見た。

「もう……戦わなくてもいいのですよ」

 女性が笑った。

「なら……どうすればいい! 俺は……戦わないと……あの人の役に立たないと生きて……いけない」

 最初は叫んで、後は泣いていた。ここでこんな事をしていてはいけない。立ち上がろうとした所で抱きしめられた。

「あなたは傷ついています。心が癒えれば……道が見えます」

 優しい言葉がフリスの耳に届く。

「……勝てない」

 ぼそりとフリスはつぶやいた。実力でも心でも勝てないと思った。

「それでもいかないと」

 フリスは女性を押した。

「では……行って下さい」

 女性はフリスを解放した。

「いいのか?」

「ゼラルドのきつい拷問の方がお好みですか?」

 きょとんとしたフリスをよそに女性が笑った。

「ありがとう」

 フリスは赤いローブを身に纏ってドアを開ける。ドアを開けた所で黒いローブを纏った女性がいた。

「エレナに免じて……一度だけ見逃す」

 ローブを纏った女性が道を開ける。

「あんたたち……甘いよ」

 フリスは下を向いてつぶやいた。

「分かっています。でも……その甘さが人を救うこともあります」

 修道女が笑った。その甘さで救われた自分は何も言えなかった。

「また会おう」

 ローブ姿の女性が背を向けた。また戦いの場で会うだろう。勝てなくても戦わなくてはならない。我らの神が望むのであれば。



 宗教国ヴェルス。ハールベイトが倒されたという報告はすぐに伝わった。そして、フリスが捕らえられた事も。

「伝えますか?」

 赤いローブを着た男が、代表に質問する。

「いや……伝えることはない。計画通り進めよ」

 代表はフードを取った。30歳後半の茶色の髪をオールバックにした男。その腕は引き締まっており、腰にある大剣を軽く振れそうである。

「ついに……あの力をブレイズ様が」

「ああ。あの力を人が扱う時がきた」

 ブレイズがオーブを掲げる。禍々しい霧を放つオーブだ。赤いローブを纏った集団が声を上げる。

「続け!」

 男を先頭にして男達が続く。



 真っ白な少女はなだれ込んでくる男達を見た。

「これは皆、どうした?」

 立ち上がりながら少女が確認する。

「その力をもらいに来た」

 ブレイズが大剣を構える。左手には禍々しいオーブ。

「力が戻らないと思ったら、お前が原因か」

 少女が溜息をついた。

「ああ。ここに保管している。私が力を得た時のためにな」

「人から……神になるか。物好きだな」

 不敵に笑うブレイズとは別に少女は呆れ顔だ。

「余裕だな。これから死ぬのだぞ」

「ふっ……舐めるなよ」

 少女がランスを取り出す。

「人間が!」

 少女がランスを片手で握り、駆ける。

「ここまで落ちたか」

 ブレイズは大剣を片手で振った。少女のランスが砕ける。そのまま胴を切った。霧が噴出する。

「ぐっ……」

 少女は胴を抑えてうずくまる。

「1割も力が出せないのだろう? 不便なものだ」

 ブレイズがうずくまった少女を突き刺した。少女の体から霧が噴出する。

「舐めるなと……言っている」

 少女が手を上にかざす。

「ほう」

 ブレイズが驚いた顔をした。頭上にランスが現れたのだ。その数は数えるのも馬鹿らしい数だ。数千、数万だろうか。

 少女は手を下ろした。ランスが降る。

「その力をいただこう」

 ブレイズがオーブを少女に向ける。少女の霧をオーブが吸収する。それと同時にランスがブレイズを、後ろにいた赤いローブの男達を貫いた。



 数秒後、ブレイズは瞳を開けた。そこに真っ白な少女はいなかった。後ろを向くと、串刺しにされた赤いローブの男達。まだ息はある。

「甘い女だ。最後の最後で殺せないとはな」

 ブレイズは生き残っている男達を見た。助けを求めて手を差し出す。

「まあいい。貴様の力はいただこう」

 オーブを胸に当てて、押し込める。オーブが体に入る。意識を失いそうな激痛が体を襲う。体が内部から切れる。それを黒い霧が治す。その繰り返しが数秒続く。

「これが……あの女の力か」

 ブレイズは痛みを堪えてつぶやいた。もう人ではない。神と崇められた力。代行者を越えた力。

「お前達は……私の力になってもらう」

 ブレイズが動けない男達の後ろに異界の門を開いた。そこから異形の獣が現れ、男達を異界の門に引きずり込む。悲鳴を耳に残して、異界の門がしまった。

「最初からこうすればいいものを。あの女は甘すぎるのだ。この世界は私が導く」

 ブレイズは山の頂から城塞都市ザイフォスを睨んだ。

「さあお前達に罰を与えよう」

 ブレイズは手を向ける。ブレイズの後ろに異界の門が開く。そこから無数の異形の獣が溢れた。

「戦争の始まりだ」

 ブレイズが手を振ると同時に獣が走った。

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