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神の代行者  作者: 粉雪草
2/8

-戦場に咲いた小さな花- 2

窓から朝日が差し込む。その朝日を受けてシラヌイは眩しそうに顔を歪めた。

「朝か……」

 ポツリとつぶやいて動こうと思ったが、身を切るような寒さのためベットから出る事ができない。毛布を引いて身を丸める。

「…………」

 じっくり5分の時間をかけてからシラヌイはのそりと起き上がる。就寝用の楽な服装をゆっくりとした動作で整えてドアに向かう。その動きはとても遅い。

 シラヌイは朝が弱いのだ。起きてからきっかり10分はこの調子である。余計な物がほとんどない部屋を後にして、洗面所に向かう。外に出る事が多いため物をあまり置いていないのだ。

「……大丈夫か?」

 のそのそと歩いていたら二人がぎりぎりで通れる広さの廊下で、クリスが怪訝な顔をしてシラヌイを見ている。朝一番に出会うのは始めてなので戸惑っているらしい。

「…………今の私に話しかけるな…………」

 それだけを口にしてシラヌイはクリスの横を通り過ぎた。

「能力の使いすぎて疲れているのか? それならもう少し休んでいたほうが……」

 今度は心配そうな顔をしている。何か反応をしないとさらに心配しそうだ。何とか返そうとするが頭が回らない。

「……エレナにでも聞いてくれ……」

 それだけ言い残してシラヌイは顔を洗いにのそのそと動き出した。首を傾げるクリスだけが廊下に取り残された。



 教会の台所で、ローラが小さな手に包丁を持って豆腐を切っている。その動作はとてもぎこちない。隣で鍋の準備をしているエレナは心配で目が離せない。いつもならすでに終わっている朝食作りもローラが心配で倍の時間がかかっている。

「うーー」

 手を震わせて慎重に豆腐を小さな手に載せて切っている。

「力まないでゆっくり……ゆっくりですよ」

 エレナが出来る限り優しく声をかける。焦らせたらいけない。見守る中ローラは何とか豆腐を切る。

「切れた! どうするの?」

 ローラが首を傾げる。こちらの準備ができていない。

「ちょっと待ってくださいね」

 慌てて鍋に水を入れて沸かす。その様子をローラは手に豆腐を持ったままじっと待っていた。

「二人は朝食の準備をしてたんだな」

 水が沸いて味噌を溶かして、豆腐を入れた時にクリスが現れた。シラヌイが気になったが言われた通りエレナに聞くことにした。

「うん。豆腐を切った」

 ローラが誇らしげに微笑んだ。

「そうか。頑張ってるな」

 クリスは微笑んでローラの頭を優しく撫でた。ローラは頬を赤らめて嬉しそうにしていた。

「まるで親子みたいです」

 素直な感想を口に出した。

「お兄ちゃんだよ」

 ローラが首を傾げた。

「まあ……兄でも父親でもいいよ。やる事は同じだからな」

 ローラの頭を撫でながらクリスがつぶやいた。ずっとこの子の家族の代わりでいてあげたいのだ。

「そうですか。どうかあなたのその優しさに神の祝福が訪れますように」

 エレナが短い祈りを捧げた。

「そういえばシラヌイの様子がおかしいんだ」

 クリスが怪訝な顔をして口にした。エレナの表情が真剣な顔になる。

「まさか能力の使いすぎですか?」

 エレナがクリスに詰め寄る。かなり近い。クリスにしてはもう少し離れてもらいたい。

「いや……使いすぎかどうかは分からない。ただ少し反応が鈍いんだ」

 クリスの言葉をエレナが真剣に聞いている。

「お前達何をしてるんだ?」

 防寒用にローブを纏ったシラヌイがいつもの様子で質問してくる。手にはじょうろを持っている。

「……いつもと同じですよ?」

 エレナが笑顔でクリスに質問した。笑顔なのに恐いのはなぜだろうか。

「先ほど会った時は……本当に鈍かったんだ。だから聞きにきたんだ」

 なぜか冷や汗が流れる。尋問を受けているような気分だ。

「シラヌイは朝鈍いんだよ」

 ローラがクリスに説明した。

「その事を知らなかったのですね。神父さんのいたずらかと思いました」

 エレナの笑顔がいつもの笑顔に戻った。この教会の中で誰が一番危険かその時始めて分かったクリスであった。



 教会の外には花壇がある。そこには花の蕾があった。毎日が冬であるこの大陸にしか咲かない花で、遠い昔には咲くことはなかった。だが、代行者が現れ異界の門を開け始めた頃から、今はない西国で咲き始めた花である。花が咲き、その花が揺れると透き通った音がする。音がする花を最初は不思議に思ったが、その音があまりにも綺麗な音なので人々はその花を受け入れた。その花の名前を知っているのは西国の生き残りか、西国から出た者の子孫くらいだろう。

「もうこんなに大きくなったか」

 その蕾を優しい眼差しでシラヌイが見つめる。この花壇はシラヌイが世話をしている。外に出て戻れない時くらいしかエレナは手を出さない。じょうろで水を適量かける。そして蕾の状態を丁寧に確認する。問題はない。

「お前達は綺麗に咲けよ。私のようにはなるな」

 蕾を優しく撫でる。その時にエレナが教会から出てきて横に並んだ。

「ご飯ができたのか?」

 蕾を見ながらシラヌイが聞いた。エレナが一つ頷いた。

「綺麗に咲くと良いですね。カナデの花」

 エレナも蕾を見る。シラヌイが驚いた顔をした。

「よく名前を知っているな。西国の者でないと知らないような花なのに」

「ええ。シラヌイさんが教えてくれないから、優しい方に教えていただきました。ついでにカイト君に頼んでどうして教えてくれなかったのかもバッチリ確かめました」

 エレナが笑顔で言った。西国出身の優しい人、自然にとある人物の顔が浮かんだ。カイトもエレナに頼まれて調べるとは。将来は尻に轢かれるなと心の中でつぶやいた。

「二人ともおせっかいだな。ついでに教えた者も分かってて教えたな……」

 それだけ言ってシラヌイが立ち上がった。

「心配なんですよ。それにあなたの未来は悲しすぎる。だから……優しくしたくなるのでしょう」

 去っていくシラヌイの背中に言葉をぶつける。シラヌイはこの優しさが痛かった。どれだけ優しくされても自分は立ち止まれないのだから。自分のような者が二度と現れない世界にするために戦い続けるだろうから。この命が燃え尽きるまで。

 その時に強い風が吹いた。蕾が揺れる。だが、その花が音を奏でる事はなかった。まるで何かを待っているかのようにその蕾を閉ざしていた。エレナはその蕾を悲しげに見つめた。

「行こう……皆が待ってる」

 シラヌイが手を差し出す。それをエレナがいつもの優しい笑顔を浮かべて握った。



 ザイフォスの西、穏健派本部の教会のドアをツバキが開けた。服装はいつもの着物姿ではない。白いワイシャツに薄い水色のカーディガン、下はロングスカートだ。ザイフォスの住民街で歩いていても何も不自然ではない服装である。

「それでは行ってきます」

 ツバキが見送るゼファーに振り向く。

「ああ。後でグレイスも合流する」

 ゼファーはいつものように腕を組みながら事務的に言った。

「グレイスですか……はぁ……」

 ツバキが一つ溜息をついた。

「……お前にも苦手な人間がいるんだな。まあ、分からんでもないが」

 ゼファーが瞳を閉じて一つ頷いた。

グレイスとは穏健派の代行者だ。いろいろな教会を転々と移動している20代中頃の男だ。この教会からさらに西に行った所にある大聖堂から、この本部に移ってきたのだ。

性格は明るく社交的ではあるが、明るすぎて疲れてしまう所もある。そして、女性にはとりあえず声をかけるという軽い所もあり、女性としては溜息も出るのだろう。特にツバキは、グレイスの評価でザイフォス近辺、またはこの大陸に置いて一位、二位を争うほどの美人らしくいろいろと誘われる事が多い。気の長いツバキも少々困っているらしい。

「まあ任務中は大丈夫でしょう。仕事はやる人ですから」

 それだけを言って本部前に呼んであった馬車に向かう。

「ああ。仕事はやる男だ」

 ゼファーも仕事の腕だけは信頼している。むしろそこだけしっかりしていれば文句はない。ゼファーは普段は明るく、やる時はしっかりとやる男に女性は惚れるものではないのかと思っていた。だが、ツバキの反応は違っていた。むしろ逆効果。女性は難しいものだと常々思う。自分も30歳。そろそろ身を固める年齢だ。グレイスを少しは見習うべきなのかとも思う。それと同時にこのままでもいいかとも思う。出会える時に出会えるだろうから。そんな事を考えていたらツバキが馬車に乗り込むのが見えた。

「途中でザイフォスに向かうけどいいかい?」

 馬車屋の主人がツバキに向かって質問する。

「…………嫌な予感がしますね」

 ちょうど彼女が動きそうな所でザイフォスに寄るとは。彼女か、その仲間ともしかしたら一緒になる可能性があると確信に近いものを感じた。だが、ツバキはしかたなく頷いた。



 食堂に二人がついた時には三人は黙って待っていた。

席について時にはローラのお腹が鳴っていた。顔を赤らめて恥ずかしそうにしている。悪い事をしたなと心の中で思いつつ、手を合わせてから、それぞれ食べる。

「そういえばカイト君から連絡鳩が届きましたよ」

 神父がポケットから手紙を取り出した。それを受け取ってシラヌイが広げる。

「前略  現在教会で戦える人に護衛を頼みたい。時間は10時。広場で待つ。向かう先は北の宗教国近辺の村。そこで赤いローブを着た二人組みの目撃情報あり。神父さんにはザイフォスでの調査をお願いしたい」

 必要な事が簡潔に書いてあった。ダラダラ長く書かれるよりかは断然いい。

「北か……。食べたら出発だな」

 クリスを見る。クリスは一度頷いた。

「一応変装して下さいね」

 神父が食べながら難しい注文をしてきた。

「変装だと?」

 シラヌイとクリスが驚いた顔をした。

「私やカイト君がするような変装なんて期待してませんよ。特徴的な服を着ないでくれればいいです。例えばシラヌイは黒いローブ、クリスは革のジャケット」

 神父がシラヌイのローブとクリスのジャケットを指差した。

「これがないと私ではない!」

「これがないと俺ではない!」

 シラヌイがローブを手に持って主張する。クリスもジャケットを手に持つ。

「…………だから駄目なんですよ」

 神父が一つ溜息をついた。

黒いローブの代行者、そして強行派本部所属の金髪に革ジャケットの代行者。そうして世間に名前が広まっている事をどうやら知らないらしい。それからエレナと神父の指導を受けて二人はしぶしぶ着替えた。

 10時。二人は広場に来た。

中心には噴水があり、地面に敷き詰められた岩はしっかりと並べられていて歩きやすい。周りには等間隔に木も植えられている。その広場の噴水の近くにカイトがいた。以前とコートが違う。カーキ色のロングコートを着ている。当然、襟は立てられている。そして普段はかけない眼鏡をかけている。見慣れているシラヌイだからすぐに気づく事ができたようなものだ。

「ああ、来た来た。待ったよ。二人とも服装は……まあ及第点だね」

 カイトが二人の服をチャックする。シラヌイは白いワイシャツに青いズボン。その上に黒いコートを着ている。全く女性らしくない。チラリと見るだけなら青年に見える。

クリスは肌に密着した白いセーターにベージュのズボンを履いている。優しいクリスのイメージがしっかりと伝わってきた。

「エレナさんと、神父さんのチャックが入ったからな」

 クリスが自分の服を見ながら言った。どうやらまだ慣れていないらしい。

「では行こうか。でも、馬は1頭しかないんだ。シラヌイは馬車で行ってよ。現地で合流しよう」

 それだけ言ってカイトが歩いて行った。その後をクリスがついていく。

「……馬車か……」

 シラヌイが溜息をついた。馬の方が自分で速さを調整できる分だけ飽きないのに、と心の中でつぶやいてから北門に向けて歩いて行った。



 シラヌイが北門に着いた時にはもうすでに馬車が出ようとしていた。これに乗れないと数時間待つ事になる。

「待って!」

 シラヌイが叫んでから走る。馬車はほどなく走ってから止まった。その馬車に飛び乗るようにして乗る。荒い息を整えている所で先に乗っていた人物が声をかけてきた。

「相変わらず忙しい人ですね。今回はどちらに?」

 聞き慣れた声だった。警戒レベルが一気に上がる。危うく異界の門を開く所だった。一度深呼吸をしてからその人物を見た。そこにはツバキがいた。いつもの着物姿ではなかった。

「少し北に。お前は?」

「私も北に」

 ツバキがいつもの笑顔で返した。

ツバキの確信は現実となった。まさか彼女にこんなに早く出会うとは。シラヌイという名前と相当に縁があるらしい。シラヌイは一度溜息をついてから一様の情報交換をした。どうやら目的地は同じ。追う者も同じ。ただ強行派は目標を狩るのに対して、穏健派は捕らえてからザイフォスで裁くのが目的らしい。

「どうする? ここで戦うか?」

 シラヌイは今後の行動の邪魔になるかもしれないツバキを睨む。

「不安材料はここで消すのがいいのでしょうが……この馬車を破壊するのはいけませんよ」

 ツバキが笑顔でマイペースに言った。もうシラヌイは見ていない。馬車の右側についている窓から外の景色を見ている。だがシラヌイが異界の門を開くなら応戦する気らしく、シラヌイに向かって強烈な殺気を送ってきた。

「分かった」

 それだけ言ってシラヌイが座る。そして、ツバキとは別の左側にある窓から景色を見た。ついでにツバキに向けての殺気を消す。それと同時にツバキからの殺気は消えてツバキからは優しい親しみやすい雰囲気が漂ってきた。

「…………彼もくるのですか?」

 数秒お互いに黙っていたがツバキが先に口を開いた。このままずっと口を閉ざしていてもよかったのだが、話しかけられたのなら応じるのが礼儀だろう。大人であるツバキが気にして先に話しかけてくれたのかとも思った。たまに敵なのかと疑問に思う事がある。

「彼……?」

 シラヌイは聞き返した。神父、カイト、クリスと男が三人もいるから確認しないといけないだろう。いらない情報は渡したくはない。

「……そういえば男性が三人いるんでしたね。クリスフェラールと名乗った若い代行者です」

 ツバキが窓の外を見ながらポツリとつぶやいた。

「クリスか。奴も来る。今回は二対一だ。ついたら勝手はさせない」

 先に釘を刺して置くのもいいと思い、シラヌイが挑むようにして伝える。

「そうですか。こちらも追加で一人来るんですよ。条件は同じです。旅は長いんですから、そう喧嘩を売らないで下さい。馬車ごと両断しますよ」

 さらりととんでもない事をツバキは言ってのけた。馬車の主人が顔を青ざめている。

「……そうだな。馬車の主人が可哀相だ。ところで、なぜクリスの事が気になる?」

「…………以前の戦いに違和感があるからです。他意はありません」

 シラヌイの質問に少しの間を置いてからツバキが答えた。その間がやけに気になった。

「……変わった奴だとは思う。私より真っ直ぐで真面目だよ。そして優しい」

 シラヌイがクリスから得た印象を独り言のようにつぶやいた。

「人としては完璧ですね」

「ああ。だが……」

 その先の言葉をシラヌイは言えなかった。ツバキがゆっくりとこちらに振り返る。

「ですが戦う人としてはどうなんでしょう?」

 言いよどんだ事をツバキが言葉にする。シラヌイがどう考えるのか聞きたいのだろう。なぜかこの歳上の代行者に試されている感じがした。

「問題だとは思う。だが、不思議と力を貸したくなる。彼の優しさは一つの武器になると思っている。そして、いくら信念を貫いても世界に対して優しくなれなければ代行者として戦う意味はない」

「…………世界に優しくならなければ意味がないですか。確かにそうですね。クリスフェラールさんはシラヌイに似ているのかもしれません」

 シラヌイの言葉を聞いて、ツバキが遠くを見ているような感じがした。シラヌイと言ったのはおそらく自分の事ではないと思った。自分に力をくれた人、自分の名前となった人の事だろう。

「前のシラヌイか……」

「そうです。戦う人とは思えないくらいに優しかったです。味方にも敵にも優しくて、二つの派閥を一つにまとめようとした。目的は同じですからね。私は彼の優しさが大嫌いでした」

 大嫌いという言葉を使ってはいるがツバキの顔は笑顔だった。とても優しい笑顔をしていた。

「二つの派閥を一つにか……。あの時代でそう言える人物がいるなんてな」

「二つの派閥は顔を合わせただけで戦っていた時代でしたからね。彼の努力のおかげで少しだけ溝が埋まりました。彼がもう2年でも長く生きていれば二つの派閥は一つになっていたことでしょう」

 ツバキは残念そうな、悔しそうな顔をしていた。ツバキと一代目シラヌイの間に何かがあったのだろうと思ったがそこまでは聞けなかった。

「今からでも……」

 そこで一度言葉を切る。シラヌイの手は震えている。あの時に言えなかった言葉を今なら伝えられる気がするからだ。ツバキは真っ直ぐにこちらの目を見た。何も言わずに言葉を待っている。

「今からでも二つの派閥を一つにできないか?」

 何とか言葉にする。震えが止まらない。自分の弱さに嫌気が差す。断られる事に怯えている。頭の中で分かっているからだ。断られることが。

「……30点ですね」

 それだけ言ってツバキがそっぽを向いた。

「えっ……?」

 シラヌイは間の抜けた声を出した。

「だから30点です。100点満点中の採点ですよ」

「な……なに? こちらは真剣に言っているのだぞ!」

 思わず叫んでしまった。それを耳を塞いでツバキがやり過ごす。

「そんな事は分かってます。真剣かそうでないかくらいは分かります」

「では……どうしてだ?」

 シラヌイが顔を落とす。全ての代行者とは協力できなくても一部の代行者とは手を組めると考えるのは甘いのだろうか。

「そこまで言わせますか。いいでしょう。はっきり言います。あなたは始めから諦めています。どうせ無理だと心の片隅で思っているのです。そんな人の言葉を聞く価値はありません。30点と言ったのはあなたが真剣だという事が分かったからです」

 その言葉を聞いてシラヌイは顔を落とした。何も言い返す事ができない。その通りだからだ。

「そうだな。言っている人間がその光景を信じていない」

「分かっているのなら大丈夫です。もう少し考えをまとめてからあなたの言葉でぶつけてきなさい。その想いをあなたの大鎌に乗せてぶつけてきても構いませんから」

 ツバキが綺麗な笑顔を向けた。敵わないなと思った。シラヌイは強さでも、人間としても敵わないと思った。

「ふう。敵を成長させてしまいましたね。まあ、敵の一代目には大変世話になりましたからね。その恩返しを二代目にしても責められる事はないでしょう」

 それだけを言って窓の外を見た。それ以降、ツバキは話しかけてこなかった。シラヌイは言われた事についてずっと考えていた。



 クリスが馬を走らせ、カイトは馬の後ろに乗っている。

「上手いもんだね」

 カイトが素直な感想を述べた。

「まあ移動はほとんど馬だからな。馬車もいいがあれは退屈で仕方ない」

 クリスは前を見ながら馬の操作に集中する。

「そ……そういえばさ」

「なんだ?」

 カイトが何か言いにくそうにしている。クリスが言いやすいように促す。

「あ……えっとさ。クリスはエレナの事をどう思ってる?」

「エレナさん? 優しい人だとは思う。ただ怒らすと恐いだろうな」

カイトの質問にクリスが素直に答える。

「やっぱり優しいと思うよね。クリスは優しい人が……好きなの?」

「まあ優しい方がいいのは確かだ」

 後ろのカイトが震えたのが伝わる。クリスは小首を傾げる。後ろにいるからよく分からない。

「まさかクリスもエレナが好きなの?」

「人としては好きだな。だが、異性としては意識していない。だから安心しろ」

 カイトが安心するようにはっきりと言った。カイトが安心して溜息をついた。

「それならさ……クリスはシラヌイがいいのかな?」

「エレナさんと同じだよ。一緒に戦うが恋愛対象ではないよ」

 苦笑してクリスが返す。後ろのカイトがつまらなそうに文句を言った。ほどなくしてカイトが思いついたように口を開いた。

「穏健派のツバキさんは?」

 カイトは瞳を輝かせて楽しそうだ。こういう所は歳相応らしい。ツバキという名前を聞いた時に背に乗って教会まで運ばれたのを思い出した。ツバキの思ったよりも細い肩、そして女性らしい甘い香りが脳裏に蘇った。

「…………」

「あ……あれ? クリス、どうしたの? まさか当たり?」

 カイトが楽しそうに質問してくる。

「ま……まさかまだ二回しか会ったことないんだぞ」

「そんな事は関係ないよ。エレナを好きになったのは始めて会った時だし」

 言い訳をするクリスに追い討ちをかける。

「…………分からない。誰かを好きになった事はないからな。それに派閥も違う。これから戦う事もあると思う。できれば話し合いで解決はしたいけれど」

「穏健派と話し合い! そんなの無理だよ」

 カイトが驚いた声を出した。話し合いができるならこれだけ長く二つの派閥で争っていない。

「無理ではない。言葉は伝わる」

「すごい自信だね。そこまで言う根拠は?」

 カイトはクリスの自信の正体が知りたかった。

「……根拠はない。ただ彼女は同じ事のために戦っていると思うんだ。それなら伝えられる」

「根拠無しか。それは子供が語る夢と同じだよ」

「夢か……。人はそう言って諦めてしまう。だが俺は諦めたくないんだ。伝わるまで何度でも伝えるさ」

 クリスの強い決意の声をカイトは聞いた。代行者はこんな人ばかりだと思う。理想がかなり高い。

「成功の確率は低いよ」

「分かっている。でも、伝える前から諦めたくない」

 はっきりと言い切った。これだけ言い切れるなら伝えられるかもしれないとカイトは思った。全く根拠はないが。

「それなら見せてほしいな。期待して待ってるよ」

 カイトが笑顔で言った。

「ああ。必ず成し遂げる」

 クリスも笑顔で言った。カイトは、クリスはツバキが好きなんだと思った。そうでもないとここまで頑張れないと思うからである。カイトはエレナがいなかったら、エレナを好きにならなかったらここまで生きられなかった。自分の過去の辛さに耐えられなく逃げていた。それに耐えて前を向けたのはやはり側にいたいと思える人がいたからだ。そして、今も頑張れるのだ。情報屋も楽な仕事ではない。完全な裏社会。ミスをすれば貴族から送られた刺客によって消されてしまう。時には大の大人相手に交渉をしたり、脅すこともある。自分の手は完全に汚れている。それでもエレナだけはそんな自分を包んでくれるから頑張れるのだ。

「おい、カイト?」

 しばらく黙って過去を思い出していたらしい。反応がないためにクリスが心配したらしい。

「あ……ごめん。考え事」

「そうか。もう少し走ったらつくぞ。ついた時はもう時刻が遅い。シラヌイと合流して一泊しよう」

 さほど気にした様子もなくクリスが馬を走らせる。カイトは今はしっかりと仕事をしようと思った。



 馬車が揺れる。馬車屋の主人、シラヌイ、ツバキは無言だった。定期的に揺れ、馬車が揺れる音がする。

「お嬢さん方、そろそろつくよ」

 馬車屋の主人がツバキとシラヌイに振り向いてそう言った。この厄介な客を早く降ろしたいのだろう。

「ありがとうございます」

 ツバキがとびきりの笑顔を向ける。シラヌイはチラリと一瞥しただけだった。ほどなくして馬車が止まる。それからシラヌイはのそりと立ち上がる。ツバキもそれに倣って立ち上がり馬車から降りる。

「御代は二人で銀貨1枚だ」

 主人が手を差し出す。二人はそれぞれ銅貨を50枚ずつ渡す。それを受け取って馬車屋の主人はまた馬車を走らせた。それを見送ってから空を見た。もうすでに星が見える。周りの空気も冷たい。何とか目的地についたがもう時刻も遅い。聞き込みもできない時間だろう。

「……宿でも探しますか」

 シラヌイを見て独り言のようにつぶやいた。何時間ぶりに話しただろうか。

「探す必要はなさそうだがな」

 それだけ言って前を指差した。村の入り口にクリスとカイトがいた。カイトが分かりやすいように手を振っている。先についていたらしい。そして、その後ろに意外な人物がいた。確か大聖堂に所属している穏健派の男だ。確か名前はグレイス。代行者のよく着る黒いローブ姿ではなく、ラフな恰好をしている。

「…………おい」

「言いたい事は分かりますが……私のせいではありません」

 シラヌイが明らかに嫌悪の表情でツバキを見る。ツバキは誤魔化すように横を向いた。

「仕方ないか……」

 それだけ言って前を向いて歩き出した。ツバキも後を追う。

ほどなくして村の様子が見えた。木で出来た家の隣には畑がある一般的な村だった。だが宗教国に近いからだろうか、地面に頭をつけて祈っている人がちらほらといた。さらに北に来た事もあり身を切るような寒さはさらに増しているというのに、そんな事はお構い無しに祈っている。

 その様子を気にしながら仲間と合流した。

「早かったな」

 シラヌイがクリスとカイトに向けて一声かける。

「ああ。こちらは身軽だからな。馬もよく走った」

 クリスが宿の隣にある馬小屋に繋がれている馬を指差した。

「そうか」

「宿も取ってあるよ。情報収集もばっちり」

 カイトがポケットから紙を取り出した。変装の効果があるのか村に入っても怪しまれる事はない。情報収集も上手くいったらしい。

「話は後にしよう。ここではお互いにゆっくり話せないだろうからな」

 ツバキをチラリと見てから言った。ツバキも一つ頷く。お互いに聞かれたくないこともある。

「行こう」

 シラヌイが二人を促す。

「あらあら行っちゃたよ」

 グレイスが癖がある収まりの悪いブロンド髪を掻きながらぼやいた。

「それは行くでしょう。お互いに聞かれたくない事がたくさんありますからね」

 シラヌイの背中を見ながらぽつりとつぶやいた。

「まあ、俺としてはこんな美人が一人いればいいんだけどね」

 グレイスがにこやかに笑った。

「……冗談はそこまでにして下さい。情報収集は終わっていますか?」

「ちょっ……冗談ではないんだけど」

「……まさか強行派の情報屋に負けたのではないでしょうね」

「それはないよ。仕事はやるよ。完璧にね」

 ズボンのポケットから紙を取り出した。

「本当に完璧ですね」

 その紙を受け取って一通り目を通す。目撃情報、向かったと思われる場所、その理由、裏付けまでしっかりと書かれていた。

「どうだい? 惚れたかい」

 にやりと笑った。辺りはは薄暗いのにグレイスの白い歯が光ったような気がした。それを無視するように宿に向かう。

「ちょっ……無視しないでくれよ」

 グレイスも後を追う。

「あれが無ければ完璧なんですけどね」

 ツバキがグレイスに聞こえないようにつぶやいた。

容姿端麗、性格は前向き、仕事は完璧。文句はない男なのである。だがこの軽さが女性を遠ざけてしまう。だが、このグレイスという男を突き放すつもりはツバキにはない。どうして軽くなってしまったかを知っているからである。

東国とザイフォスとの戦争でグレイスは恋人を失っている。それも目の前で、グレイスを守るために剣で貫かれたのだ。その彼女の力が今はグレイスを守り続けている。それからの彼は深く傷ついてしまった。女性を恐れて触れられないほどに。また失う事を恐怖したのだ。

それから数年が経ち、ツバキがまた彼を見た時はすっかりと変わっていた。いろいろな女性に声をかけていたのだ。ツバキは目を疑った。あれだけ恐れていたのに、彼に何があったのか。それを確かめるためにしばらくグレイスを観察して分かった事があった。わざとそうしているのだ。一見は女性を求めているように見えるが、あの軽さのせいで女性は寄ってこない。表面上だけ親しくしているだけのだ。本当の心を、弱さを見せる事はない。彼は戦争の犠牲者のままなのだ。それを本当に理解できる女性が現れる事をツバキは祈っていた。

 宿に入った時にはシラヌイが待っていた。

「遅い」

 溜息をつきながら開口一番に文句を言われた。訳が分からずに首を傾げる。

「ああ。二人一部屋なんだよ、ここ」

 グレイスが説明した。理由が分かった。女性はシラヌイとツバキだけなので必然的にこの組み合わせになる。

「俺としてはどちらかと同じ部屋でもいいんだけどね」

 にやりと笑ってグレイスが微笑んだ。

「お前と同じ部屋なら死体が一つ増えるな」

 シラヌイがナイフに手をかける。本当に投げそうだ。禍々しい殺気が感じられる。

「痺れるねー。その怒った表情もいいよ。普段の冷たい雰囲気と、幼い表情とのバランスも素敵だよ」

 片手を天にかかげて聞くに堪えない事を口にしている。

「……こいつをどうにかしてくれ」

 シラヌイが溜息をついてナイフをしまった。それから部屋に向かう。

「いつもの事なので無視して下さい」

 ツバキも苦笑いを浮かべて部屋に向かう。どうしてこうなったかの理由を知っていても許容範囲があるのである。

「くっ……美女二人に逃げられたか」

 残念そうな安堵したような顔をしてグレイスがつぶやいた。

「でも……これでいいんだよな……イレイナ……」

 そうつぶやいたグレイスの顔は泣きそうな子供のような顔をしていた。



 翌朝。村近辺の洞窟に赤いローブを纏った人物が二人いた。一人は180センチを超える無口な男。もう一人は150センチほどの少年だ。洞窟だけあって周りは薄暗く、じめじめしている。

 長身の男が石の台に置いてあるオーブに向けて剣を向ける。そしてゆっくりと剣をオーブに入れていく。剣はオーブにゆっくりと入っていく。まるで異界に入っていくように剣がすっぽりとオーブに入っていった。それを確認してから剣を抜く。

「それでいいのかい?」

 少年が頭の上で手を組んで興味がなさそうに形だけの質問をした。

「ああ。以前よりも魂の量を増やした。代行者と戦っても遅れは取らないだろう。お前は何がいい?」

 男が後ろにある武器を指差した。

「なんでもいいのかい。なら、こいつだね」

 少年が槍を手に取った。それを男に投げる。それを男が受け取ってオーブに通す。

「さて、これでいいだろう。場所を移るぞ」

 オーブをローブの内ポケットに隠してから男性が立ち上がる。

「どうしたんだい。やけに慌てて」

 少年が欠伸でもしそうなくらいにゆっくりと言った。

「時間をかけすぎた。もし相手が有能なら追いついてくる」

「ふーん。いいじゃないか。試していこうよ」

「…………無駄な事はするのはいけない」

「相変わらず固いね。でも、今回はやるしかないよ」

 それだけを言って少年が洞窟の外を睨んだ。男も洞窟の外を見る。

「来るのか?」

「ああ。来るよ。3人……いや、4人かな」

「4人だと……!」

 男が慌てた声を出した。

「我らの神が来るまでに死なないでよ」

 それだけ言って少年が洞窟の外に向けて歩いて行った。

「我らの神がおいでになるのか」

「ああ。来てくれるよ。その前に終わらせたいよね」

「そうだな」

 それを最後に二人が洞窟を出た。村から徒歩数時間もかからずに来る事ができる洞窟。その洞窟の外は芝生となっている。数分でも歩けば整備された道も見えてくるが、辺りは木々で覆われ道を知っていなければ辿りつけないだろう。もう少し武器の製作に時間がかからなければ、村人に武器を渡して戦わす事ができた。だが、今ではもう手遅れだ。

 男性が武器を構えたと同時に黒いコートを着た短い黒髪の女性が走ってきた。咄嗟に武器を構える。

「我が命を代償に捧げ……」

 その女性が全身のバネを生かして飛ぶ。上空に異界の門が開く。

「……意志を貫くための力を!」

 甲高い金属音。巨大な大鎌が男目掛けて振り下ろされていた。私服姿だがこの大鎌には見覚えがある。

「代行者、シラヌイか!」

 男が叫ぶ。その時にはシラヌイは男の背後に回っていた。舌打ちをしてすぐに振り返って大鎌を防ぐ。

「クリス!」

 シラヌイの叫びを受けて、クリスが地面を駆ける。そして、男性に向けてハンドガンを構えて迷わず引き金を引く。

「油断しないでよ」

 赤いローブを纏った少年が槍を器用に扱って銃弾を叩き落す。一息ついた瞬間に高速の刀が少年を襲う。とても避けれる速さではない。少年の後ろにいた男性が少年を抱えて右に飛んだ。間一髪で刀を逃れる。

「これが……瞬撃……」

 男が剣を油断なく構えてツバキを見た。瞬撃とは代行者ツバキの高速の6連撃である。一撃でも当たれば目を瞑る間に5回もの斬撃が繰り出される高速の剣技である。

「俺も忘れたらいけないぜ!」

 頭上からグレイスが降ってきた。手にはグローブがつけられている。手を握り、拳を繰り出す。

「ちっ……!」

 舌打ちをして剣でグローブを受け止める。激しい衝撃が男を襲う。

「これは不利だね。本気で行くよ」

 少年は一度瞳を閉じた。次の瞬間には少年が握る槍が赤く光る。慌ててグレイスが後ろに飛んだ。

「へっ……のろいんだよ」

 少年が地面を駆ける。グレイスが着地をする前に高速の突きを繰り出した。グローブで防御しようとするが、防具ではないためにこのままでは貫通される。その時にグレイスの横から衝撃が伝わる。ツバキが横からぶつかってきたのだ。グレイスの変わりにツバキは刀で槍の軌道を逸らす。がら空きになった胴に向けて刀の刃を逆にしてから横薙ぎに振るう。殺す事が目的ではないため、そのまま斬る事はできない。

「手を抜くから!」

 刃を逆にしている間に少年が後ろに飛んだ。刀が何もない空間を横切る。

「本気できなよ」

 余裕を見せた時に少年の右から激しい殺気が送られてきた。慌てて槍を向ける。その時には高速の大鎌が少年に向けて振り下ろされる。それを半歩下がって避ける。気絶させるために蹴りが来ると予想したが、シラヌイはすかさず大鎌を横薙ぎに振るった。

「フリス、そいつは強行派だ!」

 男が叫んでから間に入り、剣で大鎌を防ぐ。

「すまない」

 フリスと呼ばれた少年は焦りながらも距離を取る。シラヌイも一度後ろに飛んだ。

「何だ、あの力は?」

 一度、クリスの所まで戻ったシラヌイにクリスが質問した。

「お前はまだ第三段階か?」

「ああ」

「そうか。第四段階は召喚かリミットブレイクが使えるようになる」

「リミットブレイク?」

「説明するよりも実際に見てれば分かる」

 それだけを言ってシラヌイが地面を駆ける。説明する時間はないのである。

リミットブレイクとは召喚ができない代行者の切り札である。武器が赤く光るのを合図に代行者の能力が飛躍的に向上する。召喚と同様多くの代償を必要とするが、その能力の向上は魅力的である。だが、第三段階までくるのがやっとという代行者も多く、使える者は少ない。

代行者の能力は段階を置いて上がっていく。第一段階は異界の門を開く事ができるようになる。まだ専門の武器を使う事ができない段階。第二段階は赤い色をした武器を異界の門から出す事ができるが、その能力の向上は一般の者と大差はない。第三段階は漆黒の武器を異界の門から出す事ができる。能力の向上は赤い武器とは比べ物にならない。このレベルが一般的に代行者として恐れられているレベルである。クリスとグレイスは今この段階である。次の第四段階が先ほどの通りリミットブレイクか召喚が使えるようになる。シラヌイが今この段階である。最後の第五段階は白銀色の武器を使う事ができるようになる。ただでさえ一般の人と能力の差がある代行者の能力がさらに飛躍的に上昇する。ここまでこれる代行者は一世代で一人くらいである。今ではツバキ一人しか使えない段階である。

 それぞれ武器を取り出す時に段階を決める事ができる。ほとんどの場合は第三段階の武器を出す事が多い。そして、自らがピンチになった時に第四段階へ変えるか、第五段階の武器に変えるのだ。

 クリスは銃を相手に向けるがまるで狙いが定まらない。元々クリスの能力の向上は少ない。それなのに相手はリミットブレイクを使っている。劣化した武器を使ってはいるがリミットブレイクをすれば並みの代行者は越えられるらしい。

「くっ……俺にも使えれば!」

 ハンドガンを構えて連射する。それを赤いローブを纏った男が剣で全てを叩き落す。そして、すぐにシラヌイに体を向ける。まるで相手にされていない。

 シラヌイはクリスとの連携を絶っている。リミットブレイクを使う者が二人もいる状況はシラヌイも気を抜けない。自分の事で精一杯だった。フリスの槍での突きを避けるために一度後ろに飛んだ時に右にツバキがいた。

「劣化した武器を使う相手くらいすぐに終わると思ったのですけどね」

 それだけ言ってツバキが一度瞳を閉じた。

「……こちらも使うしかないか」

 シラヌイも一度深呼吸をした。その様子をグレイスとクリスが見守る。今、この二人に近寄るのは危険だ。

「先に行かせてもらう」

 シラヌイが地面を駆け抜ける。敵の二人が武器を構える。先に男が前に出た。男目掛けてシラヌイが飛ぶ。相手は何をするか分かったのだろう剣を上に上げる。敵の予想通り大鎌を振り下ろす。強烈な一撃を男が何とか受け止める。足が地面に埋もれていきそうになるが何とか堪える。目的はこの大鎌使いの動きを止めることである。

「もらった!」

 動きが止まったシラヌイをフリスの槍が襲う。ここまでは予想通りだ。

「噛み砕け、クローディア!」

 短い命令を与える。それを受けて禍々しい異界の門が開いて異形のドラゴンが姿を現した。クローディアと呼ばれた雌のドラゴンはフリスの槍を噛み砕く。そして、すぐにその巨大な手でフリスを殴打した。フリスの小さな体は軽々と吹き飛ぶ。二、三度跳ねてから地面を滑る。フリスは起き上がろうとしたが力が入らなかった。ただ殴られただけだというのにまるで馬車で跳ねられたような衝撃だった。

「フリス!」

 男が仲間を心配して叫ぶ。

「いつまでそうしているのですか? 一緒に飛ばしますよ」

 その声を聞いてシラヌイは後方に飛んだ。ツバキはこういう時に嘘は言わない。間に合わないなら本当に一緒に吹き飛ばすだろう。シラヌイと対して変わらない速度で地面を駆け抜けたツバキは両手に持った赤く光った刀を二つとも逆刃に変える。それを見た男は剣で刀を破壊するために振り下ろす。その剣を逆刃の状態で砕き、武器を失った男の胴に逆刃での一撃を放つ。男は五度跳ねてから洞窟の壁に体をめり込ませてから止まった。もはや意識はない。

「……やりすぎだよ。生きてるのか?」

 後ろでグレイスがぽつりとつぶやいた。それを見たフリスは悔しそうに顔を歪ませた。とてもではないが敵わない。召喚で出した獣よりも力が強いなんて、明らかに世界のバランスを崩す力を持っている。そして、あのシラヌイという代行者は召喚ができるくせに基本的な能力が高すぎる。

「さてと情報をいただきましょうか」

 ツバキはリミットブレイクをといて近寄る。

「いや……ここで止めを刺す」

 シラヌイは大鎌を構えて近寄る。ツバキが一度シラヌイを睨む。分かっていた事だが最後に問題が生じてしまう。情報をもらってから狩ればいいだけの話なのだが、お互いに譲るつもりはない。

「ふふっ……こちらの勝ちだよ」

 フリスの顔が悔しい表情から歓喜の表情に変わる。シラヌイとツバキがいぶかしむ。勝てる要因はない。だが笑っているのだ。不気味にも見える。

 その瞬間鋭い殺気を感じた。刹那、シラヌイは後ろに飛びクリスを抱えて飛ぶ。ツバキもグレイスを抱えて飛んだ。今まで彼らがいた所には大きな穴が開いていた。

 その大穴の中心には一人の少女が立っていた。白い髪に、白い肌。そして、白いローブを身に纏っている。その少女が顔を上げる。この世界に置いては見たこともない黄色、いや琥珀色と表現するのが適切な目を四人の代行者に向ける。両手には3Mは優に超える巨大な白銀色のランスを持っていた。まさに異様だった。完全に浮世離れしている。人間なのかと疑問に思うくらいである。

「なぜ……彼女が……」

 ツバキが震えながらそうつぶやいた。顔は真っ青だ。

「嘘だ……ツバキが倒したのに……」

 グレイスも震えていた。少女が無表情な顔を向ける。そして、右手を上げる。少女の上空に真っ白いゲートが6つ開く。そこから1Mほとのランスが現れて四人の代行者に向けて真っ直ぐに飛んでくる。

「シラヌイ、協力してください。彼女は……!」

 ツバキが叫ぶ。とても一人では敵わない。

「分かってる! どうすればいい」

 シラヌイも敵の強さが分かるのか飛んできたランスをクリスを抱えながら叫ぶ。

「まずは一度……引きます。グレイスを頼みます」

 それだけ言ってグレイスを離す。それを受け取ってから逆にクリスをツバキに渡す。

「行くぞ」

 シラヌイは飛んでくるランスを回避しながら元来た道を駆ける。グレイスは無言だった。軽口が叩ける状況ではない。そして、それに答えて反応を遅らせる訳にはいかないのだ。こちらにグレイスを渡したのは、グレイスは遠距離での攻撃ができないからだ。素早いシラヌイに渡して回避しながら距離を取ってもらうしかないのだ。受け取った方は大変だが、こと速さに関してはシラヌイに勝てるものはいない。

 たいしてツバキはランスをぎりぎりで回避していた。

「後ろのランスを吹き飛ばしてください」

 その指示を受けてクリスがキャノン砲を放つ。ランスが吹き飛ぶ。ただ走るだけでは全て回避できないのでクリスの力を借りているのだ。クリスはツバキの指示を的確に聞いて銃を放っている。命が掛かっている状況で反発する理由はない。そして、そんな事でいちいち反発はしないだろう事は二回話しただけでも分かる。このクリスという男を信頼している自分がいる事を心の内面では驚いたが、そんな事を気にしている状況ではない。雨のようにランスが降ってくるからである。

「少し余裕ができてきた。もう少しだ」

 クリスがキャノン砲を放ちながら優しく言った。その激励の言葉を聞いた時に力が戻るのを感じた。そういえば自分を頼る者、同じ視点で立っている者ばかりで優しく激励された事などほとんどない気がした。

「分かりました」

 そう素直に答えていた。不思議な人だとツバキは思った。

 敵は二人を救出するのがとりあえずの目的らしく、ランスの雨を降らせるだけで追ってはこなかった。ある程度の距離を取った時にはランスの雨は止んだ。

 何とか四人は一息つく事ができた。後ろを見るとランスが降ってできた大穴が開いていた。木々は倒れ、見るに耐えない状態だ。シラヌイはグレイスを投げ捨て、ツバキは丁寧にクリスを降ろした。

「いったーーーー!」

 地面に背中をぶったグレイスが悲鳴を上げた。

「重かった。クリス、無事か?」

 肩を回しながらクリスの状態を確認する。どうやら無事らしい。

「ああ。大丈夫だ。これからどうする?」

 顔を赤くしながらクリスが誤魔化すように先の事を聞いた。

「今から戻ってもまたランスの雨を降らされるだけですよ」

 ツバキは元来た場所を見てそうつぶやいた。

「戻るしかないか……」

 シラヌイの言葉に二人が頷く。対策をしてから挑むしかないだろう。

「シラヌイちゃん、何で落とすかな」

 グレイスが腰に手を置いてご立腹の状態だ。

「重かったからな。あと、必要なら仕方が無いが一秒でも触れていたくない」

 それだけを言ってシラヌイが村へと続く道を進んでいく。

「行きましょう」

 ツバキが自然な笑顔をクリスに向ける。

「ああ。ここにいても仕方が無い。戻って体を休めて作戦を練らないと」

 クリスも笑顔で頷いた。

「……こちらは何やらフラグが立ちそうな勢いなのに……俺の扱いは……」

 グレイスは一人取り残される。

「でも……これでいいんだ……よな……」

 そうつぶやいてグレイスも後を追う。



 村に帰った時には夕方だった。宿に戻り用意された夕飯を食べて各々が部屋に戻った。二人部屋の部屋はベットが二つあり、部屋の一番奥には机と椅子がある。その椅子に座りシラヌイは本を読んでいる。クリス達が乗ってきた馬に括りつけてあった荷物から取り出した物である。先代が戦った相手や能力について細かく書いてある。シラヌイも時間があった時はつけている。

「あった」

 とあるページで先ほど戦った相手について書かれていた。戦闘回数は一回。武器は両手の大型ランスと、中型ランスを空から降らしてくるらしい。速さ、パワー共に最高レベル。単独での戦闘において勝ち目はない。

 そこまで読んだ時に寒気がした。こんなのと遭遇したというのか。ツバキが本を覗き込む。それを見えないように隠しながらシラヌイがさらに読む。

「戦った事があるから知ってますよ」

 ツバキが溜息をついた。

「そういえば……敵を知っているみたいだったな」

「ええ。一度戦ったことがあります。あなたの先代は二度戦ったらしいですね」

 シラヌイから本を奪って内容を確認する。間違いはない。

「これには一度と書いてあるが」

 もう一度本を奪って確認する。その瞬間にツバキが顔を落とした。

「……もしかして……あの日にいたのか」

 シラヌイの声も震えている。ツバキが力なく頷いた。

「いました。あなたの先代はありったけの力を彼女にぶつけました。それから西国を助けに行ったのです。そこからはあなたも知っているでしょう」

「そこで力を完全に使い切って消えたのか。その力が私に渡ったのだな。という事は西国を襲ったのは奴らか」

「ええ。目的はあの異形の武器を作るためです。そして、彼らが神と拝める者が……」

「あの白い女性……」

「そう。名前も知りません。そして、その時に弱った彼女を私が斬ったはずなのです」

「斬っても蘇るか……。なるほど。それで神か……」

「彼女自身は自らを《神の使い》と言っていました」

「《神の使い》?」

 シラヌイの疑問に対してツバキは一通りの説明をした。神の使いを名乗り、過ぎた力を持つ者を断罪しており、それを支持し支えているのがあの赤いローブを纏った集団だというのである。

「そうか……言ってよかったのか?」

「ええ。私一人では勝ち目はありませんから。第五段階を使います。あなたはクローディアを使って一撃を確実に当ててください」

「分かった」

 シラヌイがゆっくりと立ち上がる。そして、手を差し出した。

「今だけは味方です」

 ツバキはシラヌイの手を握った。シラヌイはとまどいながらもしっかりとその手を握った。

 その時にノックの音がした。

「はーい」

 ツバキが返事をしてドアを開けた。その時にクリスとグレイスがいた。

「やあ、君達のグレイスが来たよ。ツバキ、今夜は一緒にどうかな?」

 白い歯を輝かせてグレイスがツバキに寄る。ツバキの頬が引きつる。

「おい。お前、ツバキさんが困っているだろう」

 クリスがグレイスの肩を掴んだ。

「男には用はないんだ」

 グレイスが無視をしてさらに前に出ようとする。

「いいかげんにしろ! それ以上続けるのなら表に出てもらう」

 クリスが叫ぶ。場の空気が完全に凍った。ツバキも焦っている。

「あの……そういうことではないのです」

 シラヌイに助けを求める。

「クリス」

「シラヌイもこの状況で黙っているのか!」

 左手の拳をきつく握っている今にも殴りそうだ。

「いいぜ。俺に素手で挑むのかよ。勇ましいね」

 グレイスが肩を掴んでいる手を振りほどいて指を鳴らす。シラヌイがめんどくさそうに溜息をついた。まずはグレイスに寄る。そして、グレイスの右側から拳で一撃をお見舞いしてから、クリスを見た。

「あれはグレイスの冗談だ」

「なっ……冗談!」

 今、始めて知ったという顔をしている。

「うっ……ゴホっ……そうだよ。軽い挨拶みたいなものだって」

 咳き込みながらグレイスが説明した。

「えっ……いや……でも、先ほどはやる気だったのに」

「あれも冗談だ」

「なんだって! すまない事をした」

 クリスが屈んでグレイスを助け起こす。

「クリスフェラールさんは面白い方ですね」

 ツバキが戸惑うクリスを見て笑った。

「真面目もここまでくると困ったものだ。冗談すら通用しないなんてな」

 シラヌイもやんわりと微笑んだ。グレイスは完全に殴られ損だ。

「すまない」

 クリスが恥ずかしそうに謝った。

「ところでどうしたんだ?」

「ああ。少し聞きたいことがあるんだ」

「俺は明日まで眠るんで何かあったら呼んでくれと言いに来ただけだよ」

 グレイスは腹をさすりながら退場した。

「聞きたいこと?」

「ああ。あのリミットブレイクはどうしたら使えるんだ?」

「召喚士に聞かれてもな」

 召喚はできてもリミットブレイクは使えない。ちらりとツバキを見た。

「リミットブレイクですか。才能があればすぐに使えますよ」

「そうなのか。対立しているのは知っている。だが……どうしても強くなりたいんだ。方法を教えてほしい」

 クリスが頭を下げる。

「私は邪魔だな」

 それだけ言ってシラヌイが部屋を出る。二人は取り残された。

「頭を上げて下さい。次の世代を育てるのも今の代行者の務めでしょうね。いいでしょう」

 少し考えてからツバキは教えることにした。

「ありがとう」

 顔を上げて優しく微笑んだ。

「ただ一つだけ教えてください。あなたは何のために戦っていますか?」

「俺は弱き者を守るために戦っている」

 その言葉を聞いた時に別の派閥でいる事が残念に思えた。

「そうですか……」

「ツバキさんは何のために?」

「私も弱き者を守るために戦っています」

 その言葉を聞いてクリスは自分が考えていた事が正しかったと思った。そう思った時にはツバキの手を掴んでいた。

「それなら協力できる。派閥が違っても力を合わせられるはずだ」

 真剣な青い瞳がツバキの黒い瞳を真っ直ぐに見つめる。その目を見て分かった嘘ではない。真剣なのだと。

「60点」

 ツバキが笑顔でつぶやいた。

「60点?」

「あなたの点数です。100点が満点ですよ」

「……あと40点は何が足りない?」

「それは……言葉だけではいけません。強くなければ弱い者は守れません。そして、行動して見せていただけないと信じることはできません」

「厳しいな。だが……必要な事だ。だから強くならなければいけない」

「そうですね。表に出ましょう」

 ツバキが微笑んだ。それを見てクリスも微笑む。

「それとツバキでいいですよ」

「歳上を呼び捨てなんてできない! 俺の事はクリスでいいが……」

「クリス、師匠命令です」

 ツバキが綺麗な笑顔を浮かべて命令した。クリスは一歩下がったが仕方なく頷いた。

「分かった。ツバキ師匠、今日はお願いします」

「……師匠、外してください」

 ツバキが残念そうに肩を落とした。



 シラヌイは宿の天井に上がって夜風に当たっていた。木で出来た屋根は傾斜になっていて気を抜いたら滑りそうだ。

「いたいた」

 その隣にカイトが腰を降ろした。

「危ないぞ」

 チラリと横を向いてから微笑んだ。

「落ちないよ」

「どうした?」

「まずは仕事の事」

 カイトがまたポケットから紙を取り出した。

「お前は本当にいい仕事をするな」

 紙を開いて確認する。敵が向かったとされる場所が丁寧に書かれている。

「まあね」

 カイトが無邪気に笑った。そのカイトの頭をシラヌイが撫でた。

「子供扱いするなよ!」

 カイトは顔を赤くして反発する。その姿は本当に子供のようだ。

「エレナなら文句を言わないのに。つまらん奴だ」

 シラヌイが撫でるのを止めて前を見た。宿の前ではクリスとツバキが特訓をしている。専用の武器に力を伝える方法を伝えているらしい。

「そうだ、情報のお礼の変わりに一曲歌ってよ」

 カイトが明るい顔でリクエストをした。

「これだけ星が綺麗な夜だ。私も一曲くらいは歌いたかったんだ。いいだろう」

 シラヌイが瞳を閉じる。それから歌い出した。心が落ち着く優しい歌が夜に響く。カイトは瞳を閉じて歌を聴いた。少し歌を聴いてからカイトは瞳を開けた。チラリとシラヌイを見た。シラヌイは歌に集中しているためか全く気づいていない。歌を歌っているシラヌイは月明かりに照らされて綺麗だった。戦わないで、歌を歌っていればこんなにも綺麗なのにもったいないとカイトは思った。エレナには負けるがカイトはシラヌイを人として好きだった。こんな姉がいてもいいと思う。そのため、あと数年で死んでしまうのがとても悲しい。だからこの歌をしっかりと覚えておこうと思った。心に焼き付けるような思いでカイトはその歌を最後まで黙って聴いていた。



早朝。教会の隣、巻き割り用の広場でエレナとローラはナイフを構えている。もうすでに朝食は済ませている。二人は時間を見つけては訓練をしている。木製のナイフを左手に持ってローラが駆ける。

「遅いです」

 エレナの冷たい声が広場に響く。それと同時にローラのナイフを弾く。ローラのナイフは後方に飛んでいき、ローラはバランスを崩す。いつものエレナなら倒れる前に助けてくれるが今はそんな事はない。ローラが尻餅をつくように倒れた。

「うっ……」

 ローラの頭上にナイフが向けられる。戦いの場なら死んでいる。そのナイフを涙目で見た。

「エレナ、恐いよ」

 震えながらローラがつぶやく。だが決して泣かない。やはり強い子だと思う。

「恐いのは当たり前です。戦う方法を教えているのですから。ただ本当の戦いの場はもっと恐いのです」

 ナイフを決して逸らさずにエレナがつぶやいた。そのナイフをじっと見た。これは木製のナイフだ。間違って当たっても腫れるくらいで済む。エレナもそこだけは加減してくれる。エレナくらいの実力なら子供の腕くらい本気を出せば折ることくらいはできるだろう。本物のナイフなら折れるくらいではすまない。確実に怪我をする。それは今よりもさらに恐いことなのだろうとローラは思った。こんな世界にシラヌイとクリスはいる。その世界に自分は入ろうとしている。

「……恐い。でも、頑張る。言い出したのは……私だから」

 ローラは向けられたナイフを見ながら立ち上がった。ローラの足は震えている。だが、その瞳は戦う者の瞳だった。この子は強くなるとエレナは思う。私よりも、そして代行者になればシラヌイと並ぶくらいに強くなれるという確信がエレナにはあった。そのため訓練中は心を鬼にしている。冷たい言葉もぶつける。必要があればナイフも当てる。この冷たさが、ローラの将来のためであると伝わらなくても構わなかった。エレナは見返りを求めない。ただローラの未来のために今はナイフを教える者としていようと思う。

「さあ、来なさい」

 エレナがナイフを構える。ローラはナイフを拾って構える。二人の訓練は昼間まで続いた。



 同じ頃、村唯一の宿の前でクリスは瞳を瞑っている。

「そこで力を伝えます」

 ツバキの落ち着いた声がクリスの耳に届く。その瞬間にクリスは銃に力を伝える。その瞬間に武器が赤く光った。

「……出来た」

 クリスがゆっくりと目蓋を開けた。それからツバキに微笑んだ。

「出来ましたね」

 ツバキもとびきりの笑顔を浮かべた。その笑顔を見た時にクリスは全身の力が抜けた。成功した事と、ツバキの笑顔を見た事で緊張が解けてしまったらしい。武器を包んでいた光が消える。

「あ……」

「集中力が足りせんね」

 ツバキがやんわりと注意する。どうして集中力が切れたのか分かっているのだろう。さらにクリスの顔が赤くなる。それなのに平然としていられるのはツバキが大人だからだろう。敵わないなと思う。

「あとは実戦で使えるかだな」

「相手は強敵です。嫌でも集中できると思います」

「……そうだな。あんな敵は始めてだ」

「あれだけの強敵には生きていて一度か二度しか会いませんよ」

 ツバキは二度も会ってしまった。もう二度と会いたくはない。

「完成したのか?」

 後ろから私服姿のシラヌイが現れた。

「ああ。ツバキ師匠のおかげだ。夜と早朝の間付き合ってくれたから」

「…………結局師匠が外れません」

 にこやかなクリスと、残念そうなツバキ。その様子を見てさらに進展してるとシラヌイは思った。こういう感覚が自分にまだ残っていた事を内心で驚いた。

「ツバキと特訓なんていいねー。俺も二人きりで手取り足取り教わたいぜ」

 シラヌイの後ろからグレイスが現れた。

「謹んで辞退します」

 ツバキは一歩下がった。グレイスが一歩迫る。

「今夜で……ゴフっ……!」

 さらに迫るグレイスをシラヌイが横から殴打した。

「緊張感が足りない。今度は助けないからな」

「いたた……シラヌイちゃん、痛い。もしかして妬いた?」

「……ここで死ぬか?」

 シラヌイがナイフを抜いて構える。そのナイフには殺気がこもっている。

「あはは……冗談です」

 グレイスの頬に冷や汗が流れる。シラヌイに冗談は危険だ。本当にナイフが飛んでくる。

「さて、行こうか」

 ナイフをしまってシラヌイが目的地に進む。その後をクリス、ツバキ、グレイスが続く。村をさらに北に進んで、少ししたら右の獣道を進む。敵はそこにいる。



 村近くの洞窟。フリスは仲間の包帯をかえている。

「すまない」

「いいよ。仲間だろ」

 フリスは少し恥ずかしそうにしながらも包帯を全部交換してくれた。

「動けるか」

 白い髪の少女が確認する。

「動けます。我らの神よ」

 男が立ち上がり膝をついた。フリスも倣う。

「そうか。お前達は逃げよ。私は……あの者たちを足止めする」

 それだけを言って少女が外に出た。その後を二人が続く。

「申し訳ありません。本来であれば我らが戦う所を」

 男が心底申し訳なさそうにした。

「構わない。トルティもフリスもよく尽くしてくれている。主である我が戦わずしてどうするか」

 その言葉を聞いて、トルティと呼ばれた男とフリスは頭を地面につけ祈った。

「さあ、ゆけ。ここに奴らが来る。あの娘には借りもあるしな」

 少女が無表情に前を向いた。そこから強烈な殺気を感じた。あの娘の殺気だ。その殺気は数年前と比べて弱くなっている。だが、真っ直ぐな強さも感じる。

「時が人を変えるか……。だが、それで我に勝てるか。もうあの男はいないぞ」

 それだけつぶやいて白いゲートを出現させた。巨大なランスを両手にそれぞれ持つ。次の瞬間、少女は飛ぶように戦場を駆けた。



 前方から強烈な殺気を感じた。

「これは……!」

 次の瞬間には異界の門を出現させた。狙いはツバキだ。どうやらまだ覚えていたらしい。

「来るのか……初撃は任せろ!」

 シラヌイが地面を駆ける。一番速いシラヌイが向かうのは選択としては正しい。

「我の命を代償に捧げ……」

 白い少女が、立っている木々を避けながら向かってくる。そして、木を抜けて広い草花のある開けた空間に飛び出した。その場所にシラヌイも出る。

「意志を貫くための力を!」

 シラヌイは大鎌を掴む。そして、相手のランスでの一撃を綺麗に回避して、大鎌を横薙ぎに振るう。少女はそれを左手に掴んでいるランスで受け止めた。

「非力な」

 少女がぼそりとつぶやいた。シラヌイは後ろに飛ぼうと思った。だが遅かった。

「ひれ伏せ!」

 ランスを強引に横薙ぎに振るう。その力を受けてシラヌイが吹き飛ぶ。

「噛み砕け、クローディア!」

 吹き飛びながらもう一つゲートを開く。禍々しいゲートの中から巨大なドラゴンの口が現れる。刹那、ドラゴンが少女に噛み付いた。

「このドラゴンは!」

 少女の無表情が歪む。それは怒りなのか、憎悪なのか。これで終わる事はなく少女は強引にドラゴンを吹き飛ばした。体からは血ではなく、黒い霧のような物が溢れた。そして、霧はすぐに止んだ。

「やはり第五段階でないといけませんね」

 ツバキが戦場を駆ける。吹き飛んできたシラヌイは何とかクリスが受け止めた。まだダメージはない。ツバキの手には白銀色の刀が握られている。第五段階だ。その速さはシラヌイと比べれば若干遅い。だが今のクリスにはまるで見えない速さだった

「……瞬撃……!」

 ツバキが叫んだ。クリスが一度瞳を閉じる間に少女のランスに6回もの斬撃が繰り出された。少女はそのランスを捨てる。そして、もう一つのランスでツバキに高速の突きを繰り出した。

「刹那!」

 異界の門が6つ開き、その高速の突きよりも速く刹那の刃がランスを貫く。

「…………」

 少女はツバキを無表情で見た。新しい異界の門を開いてランスを取り出す。それと同時に上空に異界の門を開く。ランスの雨がツバキを襲う。

「クリス!」

 クリスの名前を呼んでから一旦後ろに飛ぶ。クリスは上空にキャノン砲を放つ。その射撃を逃れたランスが地上を貫く。その間を縫うようにツバキ、シラヌイ、グレイスが駆ける。

「初撃は任せろ」

 グレイスが白い歯を輝かせて笑った。その瞬間にグレイスは姿勢を低くする。少女のランスがグレイスを狙う。だが、姿勢を低くしていた事もあり、グレイスの背中ぎりぎりを通過する。

「折れろ!」

 グレイスは地上に手をついて足でランスを蹴り上げた。ランスは中心から亀裂が入り砕け散る。

「もう一つは私だ。クローディア!」

 その命令を聞いてクローディアが相手のランスを噛み砕く。武器を失い少女が一歩下がる。

「……終撃……」

 一撃目は左下から右上に切り裂いた。二撃目は時計回りに回転して胴を切り裂いた。胴を切り裂き、絶命させる技だ。終わらせるための止めの一撃。

「さすがは我を一度殺した者だ」

 少女はその二撃を受けても倒れない。体から黒い霧を出しながら無表情な顔をツバキに向けた。三人はその異様な光景に一度下がる。

「本気でいこう」

 少女が消えた。四人は辺りを見渡すが見えない。

「グレイス!」

 シラヌイは地面を高速で駆け抜ける。そして、グレイスに体当たりをした。

「やはり貴様は追いつくのか。厄介だ」

 少女はシラヌイの大鎌を見て苦々しくつぶやいた。ランスがシラヌイを襲う。一撃を何とか受け止める。

「クローディア!」

 ドラゴンが二撃目を噛み砕く。

「まずはお前が邪魔だ」

 シラヌイの頭上にランスの雨が降る。ここでは自分も当たるというのに。ここからでは逃げられない。少しでもダメージを減らすためにシラヌイは体を動かす。



 その光景をグレイスは見ていた。あの時と同じだ。また守られて女性が死ぬ。前は恋人だった。今回は敵の派閥の者。敵でも助けてくれた。あれだけ毛嫌いしていたのに。弱き者を守るために戦う。それが今助けてくれた代行者の貫きたいもの。俺は弱い者なのだろう。恋人も、助けてくれた人も守れない。

「これでいいのかよ」

 自然と体が動いた。その手には一振りの斧が握られていた。

「いいわけが……ないだろうがーーー!」

 グレイスは吼えた。ランスの雨に貫かれながら駆け抜ける。目の前ではシラヌイが懸命にランスの雨を回避している。ランスが腕や足に掠り血が出ている。そのシラヌイを押し倒すようにして抱きしめる。ランスの雨がグレイスの背中を貫く。

「グレイス!」

 ツバキが叫びながら駆ける。降ってくるランスをクリスと一緒に弾き飛ばす。少女がツバキに向いた。ランスの雨が止む。ツバキは少女の意識をこちらに向かせるために数撃を浴びせる。少女はちらりとシラヌイ達を見たが一旦下がった。

「おい、大丈夫か!」

 シラヌイは顔を青ざめて質問する。

「もちろん。今はゼファーの旦那並みに丈夫なんでね。こんなの貫通しないぜ」

 グレイスが立ち上がる。刺さっていたランスが地面に落ちる。シラヌイもふらつきながら立ち上がった。まともに戦える状態ではない。

「すまない。助けたつもりが助けられたな」

「構わんさ。今日は本気でいく」

 グレイスが斧を構える。その手にはグローブがつけられている。能力を二つ同時に使っているのだ。元々能力が使える者が、別の誰かから能力を受け継ぐ事で二つ使う事ができる。

「後ろで援護する」

 シラヌイは荒い息をしながら大鎌を握った。タイミングを見てクローディアで攻撃するのだろう。

「頼む」

 グレイスが地面を駆ける。少女はランスでの突きを繰り出す。それを左手のグローブで弾く。それと同時に斧を振り下ろす。少女のランスと激突してランスを砕く。

「ツバキ!」

 グレイスが叫ぶ。それを聞いてツバキは少女に斬りかかる。数撃当てたが黒い霧が出るだけだった。

「こいつは不死身なのか!」

 グレイスが叫ぶ。人間ならとっくに死んでいる。だが、少女は動きが少し鈍くなったくらいで致命傷ではないらしい。

「邪魔だな」

 少女が戦況を冷静に見る。大鎌使いはあの傷だ、いつでも倒せる。後ろの銃使いは戦力外。斧使いは固いだけ。後でランスの雨を浴びせ続ければいい。問題は刀使い。唯一攻撃を当ててくる。隙も少ない。だが、弱点となりうる所はすでに見つけている。

 少女が動かない時にツバキは仲間の様子を確認している。そして、位置を修正する。シラヌイと、クリスに攻撃がいった時に対応するためだ。当然、グレイスとの距離も測る。一番の年長者であるために周りを気にしてしまうのだろう。少女はこれを弱点だと認識した。

 少女は弱点を認識した瞬間に地面を駆ける。狙いはグレイスでもツバキでもない。後ろの銃使いであるクリスだ。

 クリスは銃を乱射する。だがこの程度は全て叩き落せる。

「さあ……どうする!」

 ランスでクリスを突く。クリスは舌打ちしてから集中する。戦いになってから集中しているがリミットブレイクが安定しない。発動してもすぐに途切れてしまう。これは慣れも必要らしい。相手の突きは避けきれない。銃を盾代わりにする。だが、これではとても防げない。その時にクリスは右側から衝撃を受けた。少女の思った通りの展開となった。ツバキがクリスを庇ったのだ。

「ぐっ……」

 ツバキの右腕をランスが貫く。ツバキは前を向いて刀で少女を貫いた。濃い黒い霧が溢れる。

「痛みを感じないらしいが……動けるかな」

 少女はランスを強引に押し込む。ツバキの顔が歪む。痛覚は鈍いが全く痛みを感じない訳ではない。

「ツバキ!」

 クリスは叫びキャノン砲を構える。その銃は赤く光っていた。迷わず引き金を引く。巨大な鉄塊が少女を直撃する。少女はランスを手放して、数歩後ずさる。その少女にクリスは鉄塊を連射した。鉄塊が少女を何度も打ち付ける。濃い黒い霧が体から溢れる。

「……一撃だけでも……噛み砕け、クローディア!」

 体を何とか支えてシラヌイは最後の一撃を放つ。ドラゴンが少女に噛み付く。それを見届けてからシラヌイの大鎌は消え地面に倒れる。

「手伝うぜ」

 グレイスが飛ぶ。斧を頭上まで上げて振り下ろす。少女の右肩に当たり霧が噴出する。

「ぐっ……!」

 少女の無表情が歪む。慌てて距離を取る。グレイスとクリスはそれを好機と思った。シラヌイとツバキは戦えない。ここは自分達がきめるしかない。

「行くぜ」

「ああ」

 クリスは少女に向けて駆ける。距離を取る少女にリミットブレイクを発動して、速さに適応した体で精確に狙いを定めて強化された弾を撃ち出す。それは狙い通りに少女に当たる。

「食らえ!」

 グレイスの斧が赤く光る。少女がランスをクロスさせて防御する。防御に使ったランスを強引に破壊する。斧はそのまま少女の体に直撃した。

「ぐっ……調子に……乗るな!」

 少女はグレイスの首を片手で絞めた。グレイスが首を掴むがその手はびくともしない。呼吸ができない。ほどなくしてグレイスは投げ捨てられた。地面を滑り、力なく横たわる。数秒後、何とか体を起き上がらせたが上手く体が動かない。とんでもない力だ。

「次はお前だ」

 クリスに向けて少女が走る。クリスはツバキを守るように、ツバキの前に立った。

「守ってみせる」

 ツバキはその言葉を薄れる意識の中で聞いた。まさかこんなに歳下の、つい先ほど戦い方を教えた相手に守られるとは。自分はどれだけ弱くなった事か。でも、守られることが素直に嬉しかった。そして、クリスは負けないと信じる事ができた。

クリスがキャノン砲を構える。そして、狙いをつけて放つ。高速の弾が少女の顔に直撃した。

「ぐっ……!」

 少女は顔を押さえた。濃い黒い霧が溢れる。だが、今回は様子が違った。濃い黒い霧が止まらないのだ。少女はクリスを倒せばいいだけの状態にも関わらず、少しずつ後退した。それを追う力はクリスになかった。頭が痛い。自分の中のいろいろな物が抜けていく。大切な物も。それを拒絶している脳が悲鳴を上げている。クリスはそれを最後に意識を失った。



 木製のナイフで訓練をする音が教会の中にいても聞こえてきた。もう昼が近いというのに、あの二人は努力家だと神父は思う。

「私も仕事をしますかね」

 独り言をつぶやいて教会の外に出る。外に出て辺りを見渡すと慌しく騎士達が走っていた。

「失礼」

 外に出た神父にとある貴族が声をかけてきた。その貴族に神父が微笑を称えて振り向いた。

「これはヴォルフ殿、いかがしました? ちゃんと税は納めていますよ」

「私は前の貴族とは違い幼女一人の税に固執するほど愚かではない。分かっているのだろう?」

 ヴォルフと呼ばれた貴族は神父と同じように微笑を浮かべた。ヴォルフはこのザイフォスの住民街とスラム街の代表である。年齢は30代。ブロンドの髪をオールバックにしており、髪と同じ色をした口髭を生やしている。以前のラインバックと違い住民とスラムに住む者を平等に扱い、食料の不足分は自らの財産を使ってまかなっている。そのため住民街だけでなくスラム街からの人気も高い男である。

「騎士が慌てている原因ですか?」

「そうだ。東国の騎士がザイフォスに向かってきている。その中に報告のあった赤いローブを纏った男が一人いる。その男と東国の騎士は異形の剣を持っている」

「それはおそらく代行者の力を使える剣ですね。劣化していますけど」

「劣化しているか……そちらの代行者であれば倒せるという事か。奴らは何を代償に払っている」

 口髭に手を置いて考える仕草をした。無駄な情報は与えたくないが、このヴォルフという男は予想がついている。

「代償は他人の命です」

「……やはりそうか。過去にあった西国での虐殺。そして、最近起きた南の村での事件。関係があるのだな」

「ええ。あります。さて……今回はどうします?」

「……代行者は穏健派のゼファー殿しかいないのだったな」

「ええ。皆、北に向かっていますから。ただ時間をいただけるなら強行派のゼラルドが来ます」

 東国が不穏な動きをしているため本部から強行派のゼラルドを呼んである。ゼラルドとはシラヌイの師匠である。武器は大鎌を使うシラヌイと同じスピードタイプの代行者だ。年齢は40代前半。長い銀髪を後ろで一つに結んでおり、戦士にしてはほっそりとした体格をした男だ。だが、その青い瞳はとてつもなく冷たい。場の空気を一瞬で冷やしてしまうほどだ。

「ゼラルド殿か。それはすごい戦力を動かしたものだ。後はゼファー殿がどう動くか」

「今回の件は東国が一方的にこちらに敵意を示している。昔から戦争はしていますが、この行動は明らかに東国に非がある。味方をしてくれるとは思います。ただ……こちらはその赤いローブを纏ったものを狩ります」

 そこまで言った時に筋肉質の男がこちらに向かってくるのが見えた。

「……我らはその男を捕らえる」

 代行者ゼファーだ。いいタイミングで現れるものだと神父は思った。

「では、敵の前で戦いますか?」

「そちらが望むのであれば」

 神父とゼファーが睨みあう。

「それでは敵が有利になるだけだ」

 ヴォルフが腕を組んで二人の間に入る。

「では、どちらかが譲歩しろと? それは無理な話だ」

「こちらも無理ですね」

 神父は溜息をつき、ゼファーはヴォルフを睨む。

「譲歩の必要はありません。競争というのはどうだ? お互いの邪魔はしないというルール付きで」

 ヴォルフは二人を見た。つまり強行派は穏健派が相手捕まえる前に狩る。穏健派は強行派が狩る前に捕らえる。捕らえた相手を狩ることはしない、狩ってしまった場合は引き下がる。

「ゼラルドが遅れる分だけはこちらが不利ですね。ただこのザイフォスを守るという点においてはそれが一番いいでしょう。そちらは?」

「異論はない」

 ゼファーはそれだけを言って去っていった。

「お前達目指す所は同じなんだろう? どうして上手くできん」

 ヴォルフは溜息をついた。

「長く争いすぎたのでしょう。答えが分かっていても認め合えないのです」

 神父も呆れた様子で溜息をついた。



 シラヌイが目覚めた所はベッドの中だった。見慣れた天井だ。おそらく村の宿に戻ってきたのだろう。

「まだ動かない方がいいよ」

 首を動かすとカイトがいた。カイトが看病してくれているらしい。

「……掠り傷と能力の使い過ぎか」

 体に力を入れる。何とか動けそうだ。

「傷が開くよ」

 カイトがシラヌイを寝かせる。代行者は傷の治りが一般の者より速い。異界の獣が治癒力を分けてくれているらしい。ランスが掠ったくらいだ。だいぶ治っているとは思う。

「もう少し寝ているか。ところで何でカイトなんだ?」

 よく見渡すとここはクリスとカイトの部屋だ。このベッドはカイトのだろう。

「ああ。なんだかあの部屋が気まずくてね。クリスのベッドは使えなくてさ……」

 カイトが少し申し訳なさそうにした。

「気にするな。弟のベッドで寝ていると思えば気にならない」

「こちらも姉を寝かせていると思えば気にならないよ。ゆっくりしてよ。今は動けないからさ。グレイスが外を警戒してる。今から追うのは無理だ。一旦戻るしかない」

「そうだな。この状態では追えない。悔しいがな」

 シラヌイは悔しそうに表情を歪ませた。



 クリスはうっすらと意識を取り戻した。甘い香りがした。石鹸なのか、香水なのかは分からない。そこで疑問に思った。なぜこんなに近くで甘い香りがするのか。そして、この香りを覚えていた。

「気づきましたか?」

 優しい声がクリスの耳に届く。その声を聞いてクリスは瞳を開けた。綺麗な女性の顔が目の前にいる。そして、頭は柔らかい感触がした。膝枕をされていた。その女性は腕を固定されている。怪我をしているようだ。

「どうして……?」

 疑問が頭の中によぎる。そもそも自分は何をしていただろうか。思い出せない。

「クリスは戦闘後に気絶したのです。能力の使い過ぎでしょう」

 その言葉を聞いて顔から血の気が引いた。断片的な記憶しかない。能力を使いすぎたのだろう。記憶が抜けている。目の前の女性の名前を思い出せない。確かに関わりがあるはずだ。

「あなたは……?」

 クリスが確認する。ツバキは驚いた顔をした。

「……クリスの代償は記憶でしたね。私はツバキです。クリス……あなたの敵です」

 声を何とか絞り出す。ショックを受けている自分を感じた。自分で敵だと言うのにも衝撃を受ける。

「敵……? ツバキ……」

 クリスが断片的な記憶を呼ぶ。激しい頭痛が脳を襲う。まだ整理がついていないらしい。このツバキと名乗った女性との記憶は確かにあった。でも、少ない。

「敵ではない。俺にとって大切な人だ」

 真剣な青い瞳がツバキの黒い瞳とぶつかった。こんな真剣な瞳で大切な人だと言われるのは始めてだった。記憶を失う前ならこんな事は思っていても恥ずかしくて言えないだろう。

「私とクリスは敵です。私は穏健派。クリスは強行派」

「それでも同じ目的で……同じ想いで戦っているのは覚えている」

 真剣な瞳のままでクリスが言った。そういう事は覚えているらしい。ツバキは自然と笑顔になってしまった。気持ちの面では勝てないと思った。

「そうです。私達は弱き者のために戦っているのです」

「ああ。でも、敵なんだな。俺はどうしていた?」

「……それを敵に聞きますか。まあ、いいでしょう。あなたは二つの派閥を一緒にしたいと言いました。目的は同じですから」

 ツバキが笑って言った。綺麗な笑顔だとクリスは思った。自分はこの人が好きだったんだろう。そんな事は関係ないと思った。今、この時にまた好きになったのだから。同じ想いを背負って戦う女性。その女性と共に戦える日がこればいいと思う。

「そうか。例え明日には敵になるとしても……俺は諦めない。同じ想いを背負って戦うんだ。敵対する理由はない。俺はツバキさん……あなたと一緒に戦える日のために努力する」

 真っ直ぐな言葉をぶつけてくる。記憶を失ってもクリスは変わらなかった。今のクリスはこちらが恥ずかしくなるような事も平気で言えるらしい。こちらはその方がありがたかった。

「クリス……あなたの想いは受け取りました。派閥は違いますが、同じ目的のために戦いましょう。どうかクリスと刃を交える事がないように」

 ツバキは祈った。クリスも瞳を閉じて祈った。

「……それと忘れてるようですから言いますが。呼び捨てで構いませんから」

「……なんだか呼び捨てで呼んでる記憶がない。何かつけてた気がする」

 クリスが懸命に思い出そうとする。

「そうだ。リミットブレイクの使い方を教えてもらって……!」

 そこまで言った時に頭が宙に投げ出される。ツバキが動いたのだ。

「もう知りません!」

 ツバキは部屋の外に向かう。

「すまない。またよろしく、ツバキ」

 クリスが頭をさすりながら笑った。

「まあ、いいでしょう。再びよろしくお願いします、クリス」

 ツバキも笑顔を浮かべた。派閥が違う二人に今日この時に絆が生まれた。



 ザイフォスにある城門の前は慌しかった。騎士が指示を飛ばしている。

「全員揃いました」

 キュリアがサキアに報告する。サキアが一つ頷く。

「私達は先遣隊だ。突破されてグリウス殿の世話になるな!」

 サキアが部下に叫ぶ。赤い鎧に身を纏った騎士達が胸の前で騎士剣を構える。その後ろには黒い鎧を纏ったグリウスの大部隊がいる。数はサキアの先遣隊が100であるのに対して、グリウスの部隊は500。相手の数は50である。倍の数を用意したが異形の剣の事もあり、保険としてグリウスの部隊と、シュレインの騎兵隊も潜ませている。当然、城の守り、辺りを警戒する兵士も城に残してある。

「敵は少数だが……異形の剣を持ちその戦闘力は侮れない。だが、私の部下が武器に頼るような軟弱な者に遅れを取るとは思っていない。全員無事に戻れるよう奮起せよ!」

 サキアが騎士剣を掲げる。それに倣って赤い鎧を纏った騎士が騎士剣を掲げた。



 城門を出て数メートル歩いた所に白い鎧を着た一団がいた。シュレインの騎兵隊だ。

「シュレイン殿、準備が整った」

 シュレインの副官であるスレインが報告をした。歳は24歳でありシュレインと同じ歳である。輝くような長い金髪を持ち、常に眼鏡をかけている。同じ時期に騎士団に入った事もあり、部下ではあるが友でもある。シュレインとスレインは住民街において女性に人気が高い。二人とも長身で端正な顔立ちをしており、住民街の女性は放ってはおけないのである。柔和なシュレインとは違い、スレインは真面目でクールである。優しい男性が好きな女性はシュレインの、クールな男性が好きな女性はスレインのおっかけとなっている。最近ではシュレインとサキアの仲が進んでいることもあり、スレインのおっかけが増えているのが現状である。周りの男達はこのイケメン二人を羨ましそうに見るだけに留めている。二人とも槍を持たせれば一人で百人は相手をできる腕だからである。見た目ではなくその腕と人柄を慕い命をかけているのだ。

「そうか。サキア殿の部隊で戦いが終わればいいが」

「やはり心配か」

 前を見ているシュレインの隣でスレインが眼鏡を上げた。表情を見たが無表情だ。この男は表情を見ただけで何を考えているか分からない。

「……心配ではある。あの異形の剣が代行者の力を使えるなら倍の数でも危うい」

「確かにこの場合は心配にもなる。だがこちらには代行者ゼファーがいる」

 サキアの部隊の隣に黒いローブを纏った人物がいる。代行者ゼファーだ。代行者の力には代行者をということか。昔の東国の戦争でも代行者同士が戦った。二人ともまだただの騎士でしかなかった時の話だ。

「他にも代行者ゼラルドが参加するのだったな」

「ああ。有事の際は突撃をするのだろう?」

 スレインが背を向けて馬を見る。騎士も馬も準備は整っている。

「ああ。いつでも突撃できるように頼む」

 シュレインの部下は槍を掲げてそれに答えた。



 東国の騎士たちが平野を進む。その手には異形の剣を持っている。

「こんな物で本当に勝てるのか?」

 騎士の隊長が赤いローブを纏った男に確認する。

「勝てるさ。分からないのか? この湧き上がる力を」

 赤いローブを纏った男は剣を構えてみせた。隊長も剣を構える。自らの能力が向上しているのは分かる。これならあのザイフォスの騎士達とも対等に戦えるだろう。だが、相手にはあのブレイブナイツがいるのだ。

「ブレイブナイツと代行者はどうする?」

「代行者は私が相手をしよう。ブレイブナイツはあなたが戦えばいい」

 それを聞いた時に隊長は震えた。ブレイブナイツのサキアと戦えというのか。数年前の戦いでは《鮮血のサキア》と呼ばれて東国において恐れられた人物である。女性でありながら男性の騎士に混じり、一人で百人は斬ったとされる騎士だ。その纏っていた鎧は東国の騎士の返り血で真っ赤になっており、その異名がついたとされている。その後はその功績を称えられて女性で初のブレイブナイツとなった。女性でも実力があれば高位に立てる事を証明したザイフォスの女性の希望である。そんな人物としがない隊長でしかない自分が戦うとは。

「勝てますよ。その力があれば」

 それだけを言って赤いローブを纏った男が敵の代行者に向けて歩いていった。もう戦うしかない。覚悟を決めて隊長は武器を構えた。それが合図だった。両国の騎士が己の国のために地面を蹴った。



 サキアは腰から剣を二本抜いた。その後ろではキュリアが槍を構えている。

「行くぞ」

「はい」

 サキアの声を聞いてキュリアが返す。二人を先頭にして平地を駆ける。敵も隊長を先頭にして駆けて来る。東国にしてはまともな将らしい。東国は貴族の国だ。貴族が権力を握り、騎士は形だけのもの。戦場においても部下に指示を出すだけの将が多い。

「将は私が倒す。部下を頼む」

 それだけを言ってサキアが駆ける。敵の将も剣を構える。他の者は遅れて平地を駆ける。

 敵の隊長が異形の剣を上から振り下ろす。

「はあぁぁ!」

 掛け声と共に右手に握る剣で受け止める。

隊長は驚いた顔をした。この剣のおかげで筋力は向上している。それを片手で受け止めるとは。そして、その剣捌きは明らかに速い。気づいた時には胴を斬られていた。鎧は砕け、胴に騎士剣が食い込む。だがそこで止まった。体も能力のおかげで硬質化されている。

「くっ……!」

 サキアの騎士剣がピクリとも動かない。右手だけでは相手に押し込まれる。敵の騎士も追いついてくる。

「皆、周りはお願いします!」

 キュリアのとんでもなくでかい声が戦場を満たす。それを受けて赤い鎧を纏った騎士達がサキアを守るように相手に突撃をしていく。キュリアはありったけの力を込めて槍の柄で敵の隊長を殴打した。その小さな体から予想も出来ない力が隊長を吹き飛ばす。吹き飛ぶ瞬間に刺さっている騎士剣を引き抜く。相手は胴から血を流してはいるがまだ戦えるらしい。

「助かった」

 サキアは双剣を構える。そのサキアにピタリと寄り添うようにキュリアが槍を構える。

「それが勤めですから」

 副官としてこの命が尽きようとも守ってみせると心に誓う。それは周りの騎士も同じのようだ。



 ゼファーは矛を異界の門から取り出して構える。

「さて、本物の力を見せてもらいましょうか」

 赤いローブを纏った男が剣を構える。その剣が赤く光る。リミットブレイクである。一瞬で姿が消える。ゼファーは何も見えない所に高速の突きを繰り出した。赤いローブを纏った男は慌てて剣で防ぐ。その剣捌きには焦りが混ざっている。

「その程度の速さでは敵わんぞ」

 ゼファーは的確な突きを繰り出す。それを慌てて男が防ぐ。この代行者はパワータイプだと聞いていたが、速い動きにもついてこれるらしい。

「それならば!」

 男はオーブを取り出して、剣をオーブに通す。その剣を見てゼファーは驚いた。白銀色になっている。第五段階と同じ色である。ゼファーは素早く突きを繰り出す。

「ぐっ……!」

 その瞬間には背中を斬られていた。一度だけツバキの第五段階を見た事があるが、それに近い速さと強さがある。本物の第五段階には遠いが、それに近い強さを出せるらしい。

「どうだ。これならあの瞬撃ですら再現できる」

 男の耳障りな声が響く。瞬撃と言った通り6回の斬撃がゼファーを襲う。腕を足を斬られる。ゼファーは瞳を閉じた。

「降参ですか?」

 その声を無視して集中する。そして、斬撃が当たる瞬間に動く。剣がゼファーの腕に食い込む。そこで固まる。切断できるほどのパワーはないらしい。

「くたばれ」

 矛を構えて高速の突きを繰り出す。男はそれを紙一重で回避する。強引に引き抜いて距離を取る。これで倒せるほど甘くないらしい。

「加勢しましょうか?」

 後ろでさらに耳障りな声がした。

「下がっていろ。一般人の敵う相手ではない」

 神父がナイフを構えている。

「それはどうでしょう?」

 神父が地面を駆ける。赤いローブを纏った男も駆ける。神父は敵の剣を凝視する。そして、一般人にはまるで見えないだろう斬撃を避けて見せた。呆気に取られている男に向けてナイフを投げる。我に返った敵はナイフを弾いた。

「ふん。役には立つな」

 ゼファーは地面を駆ける。神父を注視している敵に向けて矛を繰り出す。それも敵は回避して見せた。やはり第五段階は侮れないらしい。



 シュレインは戦況を冷静に見ていた。サキアの部隊が押されている。

「突撃をかけて撹乱する」

 その声を聞いて馬に乗る。部下もそれに倣う。

「突撃の後は?」

「距離をとってから戦況を見る」

 スレインの確認にシュレインが答えた。その答えに満足した。冷静だ。

「突撃!」

 シュレインの声を聞いて騎兵隊が戦場を駆けた。



 サキアの双剣が舞う。その剣は相手の鎧を破壊する。だが、ダメージがない。体に刺さるだけで倒せない。

「くっ……固すぎる」

 サキアは痺れる手を一度握って開いた。チラリと横を見ると、キュリアの槍はすでに折れそうである。それなのにサキアの前に立つ。

「そんな槍で私に向かうか!」

 攻撃が効かない事をいいことに敵の隊長はすっかり自信を取り戻していた。キュリアが真っ直ぐに敵を睨んだ。敵の隊長が一瞬だけ怯む。

「例えこの命が尽きても!」

 キュリアが地面を駆ける。怯んだ敵に高速の突きを繰り出す。それは胴に突き刺さった。完璧な突きだった。強化されていなければ鎧ごと貫通する突きだ。だが、強化された胴には半分しか刺さらずに槍は折れた。

「ふん。小娘が!」

 隊長が駆ける。キュリアは腰にあったナイフを抜いた。決して逃げない。後ろには守るべき人がいるのだから。死ぬ覚悟をもってナイフを繰り出す。

 その瞬間、敵の隊長が吹き飛んだ。周りにいる騎士も吹き飛ぶ。慌てて前を見た。白い馬が横ぎる。

「無事か!」

 長い金髪が兜の下から見える。この金髪はスレインだとキュリアはすぐに分かった。

「何とか。槍を貸して」

 キュリアが手を差し出す。

「壊すなよ。剣を」

 キュリアは槍を受け取り、スレインは剣を受け取った。騎兵隊が一度戦線を離脱する。再度、突撃するために隊形を整えている。

「シュレインに借りができたな」

 サキアは去っていくシュレインを見ながらつぶやいた。後でお礼を言わねばいけないだろう。敵の隊長はサキアの剣舞を受け、槍を胴体に刺し、馬に跳ねられても立ち上がった。

「このぉーーー!」

 低い怒りの声を出した。さすがに寒気がした。人間ならとっくに死んでいる。

「私がきめる。キュリアは皆を援護してくれ」

「分かりました」

 キュリアは新しい槍を構えて駆ける。この危険な敵は私が仕留めなければならないだろうとサキアは心に決めた。



 神父に向けて剣が振り下ろされる。

「おっと」

 それを余裕の表情で避けた。その動きは戦い慣れている者の動きだ。隙をついてナイフを投げる。それを赤いローブを纏った男が避けた。男は着地した瞬間に後ろから殺気を感じた。ゼファーの矛が振り下ろされる。それを剣で防ぐ。

「いくら攻撃してこようと。この力の前では無力」

 強引にゼファーを吹き飛ばす。ゼファーが着地する前に男が駆ける。ゼファーは一度瞳を閉じる。それから矛を構えた。

「来たれ、バルス」

 男の剣があたる直前に異界の門が開く異形の獣が現れた。3Mを超えた身長。鋭い牙に、二本角。背中には巨大な羽が生えている。まるで小説に出てくる悪魔だ。その悪魔は剣を右手で受け止めて、左手で男を殴打した。男は空中で体勢を整えた。

「召喚士でしたか。見かけによりませんね」

 男は血を吐きながらつぶやいた。この威力は侮れない。だが、当たらなければ恐くはない。男は高速で地面を駆ける。狙いはゼファーだ。あの悪魔のような獣は動きが遅い。間に合わないだろう。

「……バルス、飛べ」

 その声を聞いて羽を動かす。次の瞬間に悪魔は姿を消した。否、低空飛行をして男に向かって高速で向かってくる。男はそれを右に回避した。

「ちっ……!」

 悪魔はすぐにターンをして男に向かってくる。あの速さで、あの力でぶつかってきたら即死だ。

男の頬に冷や汗が流れる。

「くっ……」

 その時にゼファーの顔が歪む。そう長く召喚をしていられない。男の顔に余裕が生まれた。数回避ければ勝機はある。

「すみませんが、こちらの勝ちです」

 神父がゼファーを見てつぶやいた。

男は神父を睨む。確かに能力を使った状態の剣を回避できるのは驚嘆に値するが勝てるとは思えない。代行者を殺し、次はこの神父を倒せば終わる。

「そのようだな」

 ゼファーも溜息をついた。何を言っているのか理解できなかった。

「3分で決める。死にたくなければ……去れ」

 白銀色の大鎌を持った代行者が立っていた。白髪を後ろで一つに縛った細身の男だ。青い瞳が男を睨む。その瞬間に男は全身が震えた。これは恐怖だ。ここにいたら殺される。この男は知っている。代行者ゼラルド。引退した代行者だ。現在第五段階を使えるのは代行者ツバキのみ。ただ過去に第五段階を使えた人間が三人いた。それは先代シラヌイ、カーマイン、そしてこの男ゼラルドである。この三人は引退したかすでに死んでいる。

「なぜお前が……」

 震えて一歩下がる。

「貴様が知る必要はない」

 男の後ろから低い冷たい声がした。全く反応できない。これが本当の第五段階。

「……滅……」

 振り向こうとした瞬間には斬られていた。男は力なく倒れた。

「ゼラルド、10秒も立ってない」

 神父が微笑を称えてゼラルドに話しかける。

「ここまでもろいとは思わなかったのでな」

 大鎌を異界の門に戻す。そして、ゼファーに振り向いた。

「こちらに戦う力は残っていない」

「そのようなだな」

 たいして興味もなくゼラルドはザイフォスに向けて歩いて行った。

「私も引きますかね。後は騎士達の……国の戦争です」

 神父は騎士達の戦いを見た。これ以上は関わってはいけない。自分達は悪しき者を狩るだけだ。戦争に介入するべきではない。代行者の力は戦争の結果を大きく変えてしまうからだ。



 サキアは双剣を構える。度重なる騎兵の突撃のおかげで何とか対等に戦えている。ちらりとキュリアの様子を見る。

 キュリアは騎士剣を一歩下がって回避してから高速の突きを繰り出す。それが相手の胴に刺さる。だが貫通しない。

「今です!」

 キュリアの指示を聞いて他の騎士が援護に回る。3人の騎士が同時に騎士剣で斬りつける。

「りゃあぁぁーーー!」

 キュリアが叫ぶ。あの小さい体のどこにそんなパワーがあるのか分からないが相手が宙に浮く。そのまま槍を振り回す。その時に槍が折れる。相手の騎士は折れた槍ごと吹き飛んで地面に衝突した。それからはピクリとも動かない。その光景は仲間の騎士ですら唖然としていた。あの年齢であれだけ強いのだ。将来が楽しみだと思う。部下の安全を確認してからサキアは目の前の敵を見た。

「ぐうぅーー」

 敵の隊長の目は虚ろだった。何度攻撃を当てても死なないのだ。特注の双剣にヒビが入っていた。さすがのサキアの息も荒い。その時にシュレインの部隊が後ろから現れた。数も減った事もあり馬から降りている。少ない兵に突撃をしても効果は薄い。馬から降りて加勢したほうが効率がいい。

「大丈夫か?」

 シュレインが横に並ぶ。

「ああ。すまないが手伝ってくれるか?」

「ああ。厄介な相手のようだからな」

 二人が武器を構える。先にサキアが駆けた。敵の隊長も駆ける。その動きはとんでもなく速い。意識が半分ないらしく体のリミッターが外れているらしい。人間は自分の体を壊さないように制限をかけている。代行者は一般人が出せない力を出せる分体への負担も高い。異界の獣が力を分けてくれる事でバランスをとっているのだ。だがこの剣は違う。筋力が上がることで負担も減らせるが限界もある。この男は自分の体を破壊しながら戦っているのだ。

「終わらせる」

 サキアは低くつぶやいた。右手の双剣で相手を切り裂く。敵はバランスを崩す。そこにシュレインが槍での突きを繰り出す。槍は相手を貫通して止まる。

「捕まえた」

 男は槍を掴む。シュレインは槍を抜こうとするがビクともしない。男の剣がシュレインに振り下ろされる。その剣が当たる事はなかった。サキアの左手の剣が男の剣を止める。

「今なら!」

 抜けない槍を即座に放していたシュレインは腰から騎士剣を抜く。そして、すかさず男の首を渾身の力で切り裂く。男の首が地面に落ちる。それを合図に男は倒れた。

「やっと倒せたか」

 サキアは双剣の構えを解いてシュレインを見る。

「助かった」

「抜けない瞬間に槍を放していたのだろう。避けれただろう?」

「避けれたが守ってくれた事は変わらない」

 シュレインが柔和な笑顔を向けた。

「構わない。守るために双剣を使っているのだからな」

「どういう事だ?」

 シュレインが疑問な顔をしている。扱いやすいからだと思っていたらしい。一本は相手を倒し、自らを守るため。そして、もう一本は大切な人を守るために双剣を使っているのだ。シュレインほどの男がどうして気づかないのか疑問に思う。グリウス、ガイウス、キュリア、スレインと皆知っているというのに。

「分からないならいい。残りを倒すぞ」

「ああ」

 シュレインは分からないという顔をしたが、仲間のために駆け出した。



 時刻は夕方。シラヌイ、クリス、ツバキが動けるようになり一度教会に帰ることとなった一向は馬車と馬に乗るために進む。

「ツバキ、乗っていかないか?」

 グレイスは自分が乗ってきた馬の後ろを叩いた。

「遠慮します」

 ツバキが即答する。

「冷たい……。なら、シラヌイちゃんは?」

「ツバキが駄目なら私か。お断りだ」

 シラヌイはグレイスを見ないで馬車に乗った。

「振られましたね。最初に誘ったら乗ってくれたかもしれませんよ?」

 ツバキが笑顔でグレイスに言った。シラヌイは律儀な人間だ。今回は助けられた事もあったので一度くらいは聞いてくれたかもしれない。

「まあ、そうかもな」

 寂しそうな遠い目をしてグレイスが言った。ツバキはすぐに分かった。またわざとそうしたのだ。シラヌイが間違っても自分の事を見ないように。ただの女たらしだと思い離れるように仕向けたのだ。

「そんな生き方ばかりしてると老けますよ?」

「そんな冗談―」

 グレイスが笑った。冗談ではないのにとツバキは思ったがこれ以上は何も言わずに馬車に乗った。



 カイトは行きと同じようにクリスが手綱を握る馬の後ろに乗っている。

「後ろはツバキさんがよかった?」

 カイトが楽しそうに質問した。クリスは耳まで赤くなっている。カイトとシラヌイに今までの事を全部聞いた。ツバキとの関係は自分が思っていたよりも離れていたらしい。それなのにあんな恥ずかしい事を言っていた。思い出すだけでも顔が真っ赤になる。

「…………」

 クリスは答えない。

「あー、これは重傷だ。ごめん、ごめん」

 カイトが楽しそうにしている。恋愛の話は好きなんだなとクリスは思った。少しだけ放っておいてほしいと思う。恥ずかしくて死にそうだ。ここでまたツバキと一緒だったら何を話していいか分からない。

「……でも、伝えられた」

 クリスがぼそりとつぶやいた。

「えっ……! 告白したの! カッコイイ」

 カイトが歓喜の声を出した。

「してない!」

「えー、違うの。つまんないなー」

 カイトは心底残念そうだ。

「二つの派閥を一緒にする事だ」

「……どう言ってた?」

 急にカイトが真剣な声を出した。

「ああ。まだ足りないんだよ。俺は口だけだ。まだ行動できてない。だから60点だ」

「60点か。まあ、そんな所だね。あと40点頑張ろうよ」

 カイトは落ち着いた声で返した。たまにこの少年が大人びて見える時がある。気のせいだろうか。

「そうだな。頑張るよ」

 クリスは前を向いてつぶやいた。



 馬車が揺れる。何の巡り会わせか同じ馬車屋だった。引きつった顔で二人を載せた。

「…………」

「…………」

 二人は無言だ。たまにシラヌイの視線を感じる。

「なんですか? 何かあるならかはっきりと言って下さい。馬車ごと両断しますよ」

「行きもそんな事を言ってたな」

 馬車屋はもう泣きそうだ。

「言いましたね。敵ですから」

「結構、頑固だよな」

「……頑固ですか……。まあ、そうですね」

 またツバキが遠い目をしていた。昔を思い出しているのだろうか。

「また過去を思い出しているのか? それかクリスの事を考えているのか?」

「…………何だか本当に両断したくなってきました」

 どうやら両方らしい。シラヌイに見透かされたのが気に入らないらしい。嫌われたものだと思う。

「……なあ」

 遠慮がちにシラヌイが声をかける。

「なんです?」

 窓の外を見ながらツバキが言葉を返す。こういう所は律儀だと思う。

「教えてくれないか」

「……嫌です」

 即答だ。ここまではっきりしてると逆に気分がいい。

「お互いの事を知れば……もう少し上手くやれると思うんだ。いけないか」

 シラヌイは真っ直ぐにツバキを見ている。何か変わったと思う。心を開こうとしてくれている。それに答えるかは自分次第という事か。

「ふう……あなたたちは本当にあの人に似ている。本当に大嫌いです」

 ツバキは溜息をついてからシラヌイを見た。ツバキの瞳は覚悟はあるかと聞いていた。シラヌイは一度頷いた。

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