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神の代行者  作者: 粉雪草
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-戦場に咲いた小さな花- 1

神の代行者


プロローグ


 一人の少女が座っている。視界に移るのは真っ赤な世界。木製の家は燃え、辺りは真っ赤な鮮血。真っ赤になった自分の大切な家族だった人。ただただ赤い。動かないといけないのに、少女の体は動かない。動く気力が湧いてこない。

「……逃げて!」

 その声を聞いて、のそりと振り向く。振り向いた瞬間に赤い液体が顔にかかった。隣に住んでいたお姉さんが少女に覆いかぶさるように倒れてきた。少女も同じように倒れる。

「まだいたか。……少女だが例外はない」

 甲冑を着た騎士が剣を構えた。そこには鮮血がついていた。それをぼんやりとした目で見た。頭がついていかない。数分前まで皆、笑っていたのだ。それが今ではこんなに真っ赤な世界となっている。分からない。自分がもうすぐにでも死ぬということも理解できていなかった。

 騎士剣が振り下ろされる。それが少女に向かってまっすぐに向かってくる。それでも動けなかった。だが、その騎士剣は少女を切り裂く事はなかった。突如現れた黒いローブを纏った長身の人物が不気味な漆黒の大鎌で騎士剣を止めたのだ。

「なんだ……貴様は!」

 騎士が慌てて、後ずさる。

「…………」

 黒いローブを纏った人物は無言で騎士との距離を詰めて、大鎌を横薙ぎに一閃した。その大鎌は騎士の鎧を……体を実体がないかのようにスルリと通過した。その瞬間に騎士の鎧が地面に落ちた。騎士は血を流すこともなく、消えた。そこには眩しい光の粒があるだけだった。

「……罪深き者に……一つの救いを……」

 ローブを纏った者が瞳を閉じて、一瞬だけ黙祷をした。その光が天に向かって昇っていく。その様子を少女は黙って見ていた。

「大丈夫か……?」

 黒いローブを纏った人物が少女に確認をした。顔はよく見えない。少女はコクリと一つ頷いた。その瞬間にローブを纏った人物が苦しそうに表情を歪ませる。次の瞬間には首からかけている懐中時計を開けた。

「……これが最後か……。最後に救えてよかった」

 そう言った瞬間に先ほどの騎士と同じようにローブを纏った人物が光に変わっていく。少女は覆いかぶさってきた女性をどけて、近づく。

「痛むの?」

 少女がローブを纏った人物の頬に触れて質問する。

「ああ。代償を払わないといけないんだ。これは仕方のないことだ」

 目線を合わせて少女に言った。その声は冷静だった。

「もう死ぬのはみたくない。あなたのような力があれば救える?」

 少女が黒い瞳をまっすぐにローブを纏った人物に向けた。

「これは……誰にも使える力では……ない……」

 光に変わりながら苦しそうに言った。その瞬間に少女に変化が起きた。少女の右横に黒い空間が現れたのだ。少女は自然にその空間に手を入れた。そして、何かを掴んだ。

「そうか……。君は使えるのか……。ここで消えるのは……天命だな。私の名はシラヌイだ……。それを持って……城塞都市……《ザイフォス》へ……。そこへ行って……自らの進む道を決めるといい」

 それだけを言って、ローブを纏った人物は光へと変わった。それと同時に少女が黒い空間から漆黒の大鎌を取り出した。シラヌイと名乗った人物が持っていた物だ。

「……私は戦える……もう……誰も……死なせない」

 大鎌を持って少女は歩きだした。今日……この日からこの街にいた一人の少女は死んだ。シラヌイという名前を継いだ《代行者》が最初の一歩を踏み出した。
























 城塞都市ザイフォス。10M以上はある城壁に囲まれ、山なりの頂上には石でできた城がある。城壁の内部は中央に市民と城で働く騎士達が暮らす生活街、右に行けば城で働く貴族が住む貴族街、左は市民権のない者が集まるスラム街となっている。城壁の付近は商店街となっており、多くの人で賑わう場所となっている。

 中央の生活街の真ん中に市民の拠り所となる小さな教会がある。そこから金属がぶつかる音が、冬の肌寒い朝に響いてくる。音の発信源は教会の右にある幅5Mくらいの広場。主に薪を割ったりするのに使うスペースである。

「遅いですよ」

 黒い修道着を着た20代後半に見える茶髪の神父が余裕の表情を浮かべて、さらりと言った。神父と言っても、その手には投げナイフが握られている。

「これで……どうだ!」

 その神父に黒いローブを纏った小柄な少女がナイフを持って駆ける。そのナイフが神父に真っ直ぐに突き出される。それを神父は左に少し避けただけで避けて見せた。

「甘い、甘い」

 神父が笑って言った。そして、少女の背をナイフの柄で殴打。少女が地面に倒れる。

「ぐっ……」

 少女が苦しそうに呻いた。

「やれやれ……代行者の力を使わないとこの程度ですか? 修行が足りませんよ。これでは先代シラヌイには遠く及びません」

 やれやれと言った感じで肩をすくませた。

「黙れ。いつか追いつく」

 そう言って少女が立ち上がった。

「シラヌイさん……ご飯ですよー」

 その時に落ち着いた声がした。左を見ると綺麗なブロンド髪をした修道女がいた。10代後半とまだまだ修行中の身ではあるが、孤児の世話、生活街の巡回など生活街の中では評判がいい。

「エレナか……。今日は終わりだな。また頼む」

 そう言って教会に入る。

「はい。それが仕事ですから。ああ……そうだ。仕事の話があるんですよ」

 神父がにこりと笑って言った。

「……早く言えよ……。食べながらでいいか?」

 シラヌイが振り向いて神父に言った。

「はい」

 表情を変えないで、神父が言った。



 貴族街のとある館の一室。生活街の一室と比べて、広い一室には高級そうな机、イスがあり、天井にはきらびやかな照明があった。その一室で30代半ばの男性が、部屋の窓から生活街の様子を見ている。

「生活街でさえこの状況か……」

最近伸ばし始めた顎鬚を撫でながら難しい表情をする。

「ここ最近では生活街でさえ飢えで苦しむ者がおります。そこで貴族へ助けを求める者が後を断ちません」

 後ろに控えていた部下も難しい顔で応えた。

「そうか……。今年の冬は昨年に比べて、だいぶ冷えたからな。作物が足らんのだろうな。隣国から買うにしても限界がある」

 窓を見たままで貴族の男が独り言のようにつぶやく。その時にノックの音がした。

「はて……? 今日は面会があったか?」

 部下の顔を見るが、部下も驚いた顔をしていた。急な来客らしい。

「どうぞ」

 貴族がそう言った時に一人の騎士が部屋に入ってきた。白い鎧を纏った騎士だった。部屋に入るなり兜を取った。銀髪が印象的な20代半ばの青年だった。貴族の男はこの男を知っていた。いや、この国にいる者なら誰でも知っている。

「シュレイン殿……ブレイブナイツ様が、私に何か御用ですか?」

 貴族の男が一つ礼をした。ブレイブナイツとは騎士の称号である。実力、知識、品格が揃った者に与えられるこの国最高の誉れである。

「簡潔に言う……ラインバック殿、騎士達の報告では生活街及びスラム街への食料の配給を一部止めているらしいな。それは確かか?」

 シュレインは片手で兜を持ち、もう片方の手で書類を持っていた。騎士の報告書だろう。

「…………確かです。この国の食料の残りが少ないのはご存知でしょう。節約せねばなりません」

 ラインバックと呼ばれた貴族の男がシュレインの青い瞳を見て言い切った。

「無計画に食料を配給できない状況であるのは確かだろう。だが……スラム街の住人に対して一週間以上食料を配給していないと報告があるが? 私もこの目で見たがあの状況は以前から食料を配給していなのではないか」

 シュレインが報告書をめくりながら言った。ときおりこちらを見る青い瞳は鋭い。ラインバックは額に汗が浮かぶのを感じた。

「……我々貴族が保護をするのは生活街にすむ市民まで。スラム街の者への食料の配給は義務ではない。市民を守るための行動を懸命に行っている」

 ラインバックが胸を張って言い切った。シュレインは一度鋭く睨んだが、すぐに背を向けた。

「確かに貴族が守るのは確実に税を納める市民まで。スラム街の者は税を全て納める力がないからな。あなたを拘束する力を騎士団は持っていない」

 それだけを言ってシュレインが歩いて行った。その背を見てランバックは一つ溜息をついた。

(だが……彼女は動くだろう。弱き者を救うために。彼女を見ていると何が正義なのか……考えさせられる)

 戻る道を進みながらシュレインは心の中でつぶやいた。



 教会の10人以上は座れる長机にシラヌイ、神父、エレナが座っている。長机には硬そうな長いパン、小皿に盛られたクリームシチューがあった。

「スラム街の食糧難か……」

 シチューを食べながらシラヌイが難しそうな顔をしてつぶやいた。

「ええ。スラムの住民から食料を分けてほしいとお願いされています」

 神父が一つ頷いてからいつもと対して変わらない口調で言った。

「教会にある食料を分けるには限界があるか……。なぜ生活街の政治担当であるラインバックという者は食料を分けない?」

 するどい視線を神父に向けた。

「私を睨まないで下さいよ。理由は簡単です。貴族が守るのは生活街の市民まで。スラムの住民が飢えようが……死のうが関係ないからです」

 一般の者では言いよどむ様な事をさらりと神父が言ってのけた。

「……貴族という奴は……!」

 シラヌイが一つ大きい声を出して立ち上がった。そして椅子にかけてある黒いローブを掴んで走りながら着た。

「待ちなさい。行動するのは夜です」

 神父がマイペースに朝食を食べながら言った。

「待っていられるか! 今にも人が飢えて苦しんでいるというのに!」

 振り向いてシラヌイが叫んだ。

「今から行動するのは目立ち過ぎます」

 冷静な神父の声がシラヌイを止める。シラヌイは両手の拳をきつく握り締める。

「様子を見るだけでもいいですから、行って来てはどうですか?」

 今まで黙っていたエレナが口を開いた。シラヌイに柔らかい笑みを向ける。その笑みに一つ頷いてからシラヌイは駆け出した。

「エレナはシラヌイに甘すぎます」

 神父が溜息をつきながらつぶやいた。



 城塞都市ザイフォスから西へ半日進んだ所に大きな教会がある。その大きさは城塞都市にある城と比べても遜色ないくらいである。その教会の祭壇の前で、薄い緑の着物に真紅の帯を巻いた女性が祈りを捧げていた。長い黒髪を腰まで伸ばした女性で歳は20代中頃だろうか。

「ツバキ、ザイフォスで戦いが起きそうだ」

 祈りを捧げるツバキの後ろから低い男性の声が響く。ツバキは祈りを止めてゆっくりと立ち上がった。

「食料の枯渇は深刻ですからね。ついに彼女が動くまでの問題になりましたか」

 振り向きながらツバキが言った。ツバキの後ろには筋肉質で長身の男性がいた。彼はツバキと同じ教会に所属する代行者である。代行者とは異界の門から専用の武器を取り出せる異能者の事である。専用の武器を手にした時は常人を超えた戦闘力を得られるが、武器を取り出すだけでも代償を払わなければならない。代行者となれる者は限られており、使えたとしても代償を恐れて好んで使うものは少ない。そのために戦う代行者の数はこの世界において少ないのが現状である。なぜ代行者と呼ばれているかというと、神の代わりに弱き者のために戦う者であるからである。

「ああ。かなり深刻だ。彼女は数日前まで別の件で国を離れていたからな。気づくのが遅れたのだろう」

 筋肉質の男は腕を組んだまま説明的な口調で言った。

「私達、穏健派は……どうします?」

 ツバキが真剣な顔をして聞いた。

「分かっているのだろう? 俺達は彼女のような強行派ではない。穏健派は悪意ある者を弱き者のために捕らえ、然るべき手段を用いて裁く。裁くのは市民だ。今回、問題になっている貴族は定められたルールを破ってはいない。捕らえる必要はない」

 説明的な口調のまま言い切った。

「そうですね。今回は行動すべきではないのかもしれません」

 それだけを言ってツバキが立ち上がった。

「納得はしていないようだな。お前は優しすぎる所があるからな」

「……穏健派を不利にするような事はしません。ただ私個人としては救える命は救いたいのです」

 ツバキは顔を落としてつぶやいた。ツバキの片手はかすかに震えていた。

「ならば後処理だけでも手伝ったらどうだ?」

 男が前を向いたまま素っ気無く言った。

「ありがとうございます、ゼファー」

 ツバキが綺麗な笑顔を浮かべて一つ頷いた。ゼファーは溜息を一つだけついただけで何も言わなかった。



 ザイフォスの左側にあるスラム街をシラヌイが歩いている。道は整理されていないのかまばらな石でできた歩きにくい道だった。

辺りには飢餓で苦しむ住民が地面に倒れている。泣き叫ぶ子供もいた。石で出来た家はボロボロであり今にも壊れそうだ。とても生活できる場所ではない。

「……お母さん」

 ふと女の子の声がした。その声に引かれて振り向いた。そこには栗色の髪をした5歳くらいの少女がいた。地面に寝ている少女の母親らしき人物を揺すっていた。まるで反応しない。シラヌイは苦渋の表情を浮かべた。おそらく死んでいる。あの少女にだけは食料を与えていたのだろう。自らが死ぬと分かっていても。

「……うぅ……お腹空いたよ。お兄ちゃん」

 少女が涙声でつぶやく。その隣で少女の兄は困った顔をした。手元に食料がないのだろう。シラヌイはその少女とその兄を見捨てる事はできなかった。

「……お腹空いているのか?」

 シラヌイが屈んで少女に話しかける。少女が大きな瞳をさらり大きくさせる。それから怯えた顔をした。

「少しならある。食べるか?」

 シラヌイが持ってきた手持ち用の袋から携帯用の食料を取り出した。スチィック状の固形物のような物を包装紙から出して少女に向ける。

「……いいの?」

 おずおずと手を向ける。

「ああ」

 シラヌイが優しく笑った。少女もつられて笑顔を向ける。

「ありがとう。お兄ちゃんも」

 少女が自分の兄を見てそう言った。兄は食料を受け取ったが、それをすぐにポケットに入れた。

「…………」

 シラヌイは悲しそうな顔をした。その食料はまた少女がお腹を空かせたらあげるのだろう。どれだけこの兄に食料を渡しても同じ事をするのだと分かった。兄の瞳が何も言わないでくれと語っていた。言葉を選んでいるうちに少女が口を開いた。

「……お母さんもう動かないの? これが死ぬという事なの?」

 少女が受け取った携帯食料を見ながら力なくつぶやいた。

「……ああ」

 シラヌイが悲しそうな顔をして一つ頷いた。こういう時に気の利いた事が言えない自分に内心では腹が立った。そして、この状況を見ても動かない貴族に怒りを覚える。

「……私……どうしよう」

 少女が携帯食料をかじりながらつぶやいた。

「……この国の教会に来るか?」。

「教会……? あそこは市民しかいけない」

 少女は首を振った。

「私と一緒なら大丈夫だ。この国は税さえ払えば文句を言わないからな」

 シラヌイが笑った。その笑顔を見て少女も笑顔になった。

「なら行く。お兄ちゃんも一緒! 私はローラ。お姉ちゃんは?」

「私はシラヌイだ」

 シラヌイはローラの栗色の髪を優しく撫でた。ローラは甘える妹のように携帯食料をかじりながら幸せそうな笑顔を浮かべた。

「その前に行かないといけない所があるんだ。待っていてくれるか?」

「うん!」

 ローラが笑顔で頷いた。その横で兄が力なく笑った。その笑顔が妹だけでも助けてくれと言っているように感じられた。急がなければならない理由が一つシラヌイには増えた。



 日が落ちて寒さが深みを増す中で黒いローブを着たシラヌイは教会の祭壇の前で祈りを捧げていた。教会の天井付近にある窓から月明かりがもれ、シラヌイを照らしていた。

「シラヌイさんは戦いの前はいつも祈ってますね」

 シラヌイの背中に優しい柔らかい声が届いた。

「…………ああ」

 数秒の間を置いてシラヌイが応えた。ゆっくりと立ち上がって振り向いた。

「行ってらっしゃい。どうかか弱き者を救ってください」

 エレナが胸の前で十字をきった。

「……なあ救うために戦うのは正しいのか?」

 一度顔を落としてからシラヌイがぽつりとつぶやいた。

「……はい。それで救える命がありますから」

 エレナが綺麗に笑って答えた。その笑顔を見ているとなんだか救われた気がした。

「……そうか。なら、行ってくる」

 黒いローブを纏った代行者が夜の闇に溶け込むように教会の外に飛び出した。



 赤い鎧を着た20代後半の女性がシュレインの隣に立った。場所は貴族の館の前である。目の前には豪華な門がある。この国にいる代行者が動く可能性があるため、警護のために数名の騎士と共に見張っているのである。

「サキア殿か。どうした?」

 同じく鎧を纏ったシュレインが少し微笑んでから隣を向いた。

「……来ると思うか?」

 サキアと呼ばれた女性騎士は前を向いたまま難しい顔をしていた。

「おそらく来る。だからこそ私とサキア殿……二人もブレイブナイツが来ているのだから。その辺の夜盗なら逃げ出すだろうな」

 シュレインも前を見たまま言った。二人は感じていた。冷たい殺気が前方からくるのを。その殺気から目を離す事ができない。たとえそれが自分に向けられたものでなくても。ほどなくして一つの影が現れた。



 シラヌイが警戒しながら一定のペースで館に向かう。貴族が住む場所であるためか道は石が綺麗に並んでおり歩きやすい。周りはこの寒さで葉が落ちた木が等間隔にならんでいた。

(貴族街か……何度来ても嫌な気分になる)

 綺麗に整備された道、豪華な館を見ると生活街とスラム街で飢えと戦っている者達が悲しく見えるのだ。どうして世界はこうも不平等なのかと考えてしまう。それを正すためにこの10年の間戦い続けてきた。それでも変わる事はなかった。

(少しでもいい。少しでも良くなるというのであれば戦い続ける。自らの命を削ろうとも……私のような者が存在しない世界にしてみせる)

 シラヌイは前を向いて標的がいる館を睨んだ。その館には数人の騎士がすでに騎士剣を抜いて構えていた。

「道を開けろ!」

 短く叫んで数秒待つ。だが騎士達は剣を収めなかった。白と赤の鎧を纏った騎士を先頭にして門を開けて進んでくる。

「あちらはやる気みたいですね」

 シラヌイの右側にある木の上にいる神父がゆっくりとした口調で言った。

「そのようだ。赤い鎧の方は確か……サキアといったか。頼む」

 それだけ言って異界の門を出現させた。

「はい」

 神父が短く言って木の上から飛んだ。

「自らの命を代償に捧げ……」

 シラヌイが異界の門に手を入れる。

「意志を貫くための力を!」

禍々しい黒い空間から漆黒の大鎌を取り出す。これがシラヌイ専用の武器である。大鎌を手に持っている時だけシラヌイは常人を超えた速度で動く事ができ、力も常人の1.5倍の強さがある。

「はぁぁ!」

 気合の叫びを上げてシラヌイが疾走する。狙いは白い鎧を着たシュレインである。周りの騎士がシュレインを守るように前進する。数はシュレインの前に3人。後ろに2人いた。

「邪魔をするな!」

 シラヌイが叫びながら腰にある投げナイフを投げる。2本の投げナイフが騎士の鎧を砕く。騎士が力を失ったように倒れた。前を遮るのはあと1人。怯えて後ずさる騎士に向けて大鎌を横薙ぎに振るう。大鎌が鎧を砕きながら騎士を右横に吹き飛ばす。

数秒もかけずに訓練を積んだ騎士を倒したシラヌイは、その勢いのまままるで瞬間移動したかのような速さでシュレインとの距離を詰める。相手の胴に向けて横薙ぎの一閃を繰り出す。常人には全く見えない高速の斬撃が飛ぶ。

「この程度!」

 だがシュレインはその高速の斬撃を半歩下がっただけで避けて見せた。大振りになってしまったシラヌイは慌てて体勢を立て直す。その間にシュレインは剣を真っ直ぐに構えて剣での突きを繰り出した。

「くっ!」

 シラヌイが慌てて後ろに飛ぶ。相手の武器が槍であったら避けられなかっただろう。最高の騎士であるブレイブナイツの称号を持つ者だけあって簡単には終わらないと一瞬で悟った。



 シラヌイの左側では神父とサキアが戦っていた。

 サキアが両手に持つ双剣を器用に扱い神父に怒涛の勢いで迫る。上から振り下ろされる斬撃、それを避けた時には横薙ぎの一閃が神父の胴目掛けて迫る。その一閃をナイフで受け流す。

「やりますね。だが!」

 攻撃を受け流して作った余裕を使い投げナイフを投げる。それをサキアが右手に持つ騎士剣で弾く。それを予想していた神父が懐に入るために駆ける。

「双剣使いを舐めるな!」

 左手に持つ騎士剣で懐に入ろうとする神父に横薙ぎの一閃を放つ。

「おっと」

 それを余裕の表情で後ろに半歩下がって避けた。サキアは当てられる自信があったらしく驚いた顔をした。そのサキアを挑発するように神父が左で手招きした。

「……いいだろう。望み通り我が剣技を受けよ!」

 サキアが神父に向けて駆け出した。



 シュレインとシラヌイの戦いは膠着状態だった。シラヌイが高速の斬撃を放つがそれをことごとくシュレインが防いでしまうからだ。防いでからの反撃はシラヌイの速さが勝っているために当たる事はない。

「……はぁ……はぁ……」

 シラヌイは左手で心臓を掴む。代償である自らの命が燃えている。代行者の中で最高の速さを得られる変わり能力の持続時間は短い。我慢すれば戦えるが、それはかなりの苦痛をともなう。また常人では出せない速さで動くために身体のダメージも大きい。長時間戦うのは自殺行為である。

「苦しそうだな。引き返すか?」

 シュレインが油断なく剣を構える。その質問に答えているだけの時間もないシラヌイは地面を蹴った。シュレインに向けて大鎌を振り下ろす。

「何度来ようと!」

 その一撃をシュレインは剣で受け止めた。動きが止まったシラヌイに対して左の拳を繰り出す。その拳を左手で受け流すと同時にその力を使って距離を取る。

「こちらの方が速いのに!」

 代行者の力を使っているのにまるで攻撃が当たらない。武器を使った戦闘では相手の方が上らしい。だが先ほどの拳による格闘の鋭さはシラヌイでも問題なく避けられる程度であった。

「お前の攻撃は大振りすぎて簡単に見切れる。あきらめろ」

 シュレインが剣を真っ直ぐ前に構える。全く隙がない。だが引くわけにはいかないのだ。シラヌイはもう一度地面を蹴った。

「そこまでしてなぜ……戦う!」

 シュレインが振り下ろされた大鎌を防ぐ。

「救える命があるからだ」

 シラヌイは一旦距離を取る。そして、素早く投げナイフを抜いて投げる。

「お前の行動はこの国の定めた法に反している。それでは市民の生活に支障がでる!」

 投げナイフを弾きながらシュレインが力の限り叫ぶ。

それに応えるように投げナイフを弾いた瞬間に一気に距離を詰め、横薙ぎの一閃を繰り出す。二人の武器がぶつかりお互いの動きが止まる。二人の視線がぶつかり睨みあう。

「飢餓で苦しみ……死んでいく人間がいるのに動かないからだ。この国は弱い者を平気で見捨てる。それでは駄目だ。私は……」

 そこまで言って後ろに飛ぶ。シュレインが騎士剣を構える。

「私の行動が罪であるとしても……救える命があるならば戦い続ける……この命が燃え尽きるまで!」

 決意を込めたシラヌイの声がシュレインの心を揺さぶる。どうしてここまで真っ直ぐなのか、どうしてここまで他人のために戦えるのか、何が正しいのか、この国の法を遵守する騎士団は正しいのか考えずにはいられなくなるのだ。

「なぜ……そこまでできる?」

 素直な疑問が声に出てしまった。僅かに騎士剣の構えが緩む。

「……私のような存在が必要なくなる世界にしたいからだ。おしゃべりは……ここまでだ」

 それだけ言ってシラヌイは地面を蹴った。



 サキアの怒涛の攻撃が神父を襲う。一息つく暇もない高速の剣舞だった。

「よく疲れませんね」

 神父が息一つ乱す事なく両手に握ったナイフで受け止める。

「貴様もな!」

 サキアがさらりペースを上げる。周りにいる騎士はその剣舞の速さについていけずに介入することすらできないでいた。また近寄ると神父からの投げナイフによって貫かれてしまうために近寄れない。

「さて……そろそろ動きが見えてきました」

 右手のナイフでサキアの騎士剣を止めて、素早く左手のナイフを投げる。それはサキアの左手の篭手を貫く。

「くっ……!」

 左手を貫かれても騎士剣を落とす事はなく、驚く事に神父に切りかかってくる。

「……はぁ!」

 気合の声と共に左手での斬撃が神父を襲う。その一撃はあまりにも速かった。神父が動くよりも速く神父の体に向けて必殺の一撃が振り下ろされる。だがその一撃は戦いを終える決定打とはならなかった。

「……ぐっ……だが、甘い!」

 甲高い音が響くと同時に神父は次の行動に移る。

いつもの微笑を顔に貼り付けて、サキアの胴に向けてナイフを投げる。それは今までの戦いの中で一番速い一撃だった。サキアの特注の鎧を砕き、吹き飛ばす。

「ぐっ! なぜ……」

 空中で回転して綺麗に着地する。次の瞬間に神父の修道着を見た時にサキアは驚きの表情をした。神父は修道着の下に金属で出来た鉄板のような物をつけていた。

「これは特注品でして……岩をも砕くサキア殿の一撃でも防げますよ」

 神父が余裕の表情をした。

「ならば……その特注品が壊れるまで!」

叫んだ瞬間にサキアの口から血が溢れた。先ほどの一撃が効いているらしい。

「サキア殿!」

 周りであまりの戦いのレベルの高さに介入できなかった騎士が駆け寄る。

「安心してください。すぐに動けますよ」

 神父がゆっくりと言って、シラヌイが戦っている方向を見た。



 シラヌイは攻撃のパターンを変えてシュレインに挑んでいた。

「はぁ!」

 気合を入れて腰から投げナイフを引き抜いて投げる。それをシュレインが騎士剣で弾く。その隙にシラヌイが距離を詰める。シュレインが騎士剣を正常の位置まで戻す間に接近して大鎌を横薙ぎに振るう。

「ちっ!」

 舌打ちをしてシュレインが後ろに飛ぶ。大鎌が何もない空間を切り裂く。

「今なら!」

 慌てて後ろに飛んだシュレインに追い討ちをかける。着地をする前に距離を詰める。シュレインは大鎌の一撃を警戒して騎士剣を構える。その瞬間にシラヌイは勝利を確信した。

 大鎌を地面に突き立てて、自らが高速の弾丸となって飛ぶ。シュレインが反応する前にシラヌイのとび蹴りが炸裂した。その威力はシュレインの鎧を軽々と砕き吹き飛ばすほどであった。

「ぐっ……!」

 シラヌイの全身に痛みが走る。力の反動が全身を襲う。だが止まれない。突き立てた大鎌の所まで戻って大鎌を引き抜く。振り返って貴族の館を睨んだ。

「騎士達の相手は私がします」

 神父が油断なくナイフを構えて宣言した。

「頼む」

 ふらつきながらもシラヌイは前に進む。その異様さに騎士達は怯えていた。その騎士を無視するようにシラヌイが進む。館の大きなドアを開け、前に見える階段を上がる。

「……ここ……か……」

 一度深呼吸をして痛みを和らげる。そして、階段を上がった目の前にある部屋を開けた。そこは人が3人いても広いくらいの部屋だった。辺りは金色の豪華な家具で揃えられた貴族らしい部屋だった。その無駄な家具を一度睨んでから、目的の人物を睨んだ。

「貴様……私が生活街の代表と分かっているのか!」

 目的の人物であるラインバックが震えながらリボルバー式の拳銃を向けてくる。その銃口を睨んでから大鎌を構える。警護の騎士がラインバックを護るようにして前に出る。

「お前が代表ではスラム街の者は皆……飢えて死んでしまう」

 ゆっくりと歩きながら近寄る。無駄な力は使えない。

「くっそ。お前ら何とかしろ!」

 ラインバックの声を聞いて騎士達がシラヌイに向かって駆けてくる。その騎士を大鎌の一閃で横薙ぎに切り裂く。騎士達の鎧は砕けて軽々しく吹き飛んだ。

「次はお前だ。お前は殺さない。代行者の力をもって……お前の汚れを浄化する!」

 シラヌイが地面を蹴った。大鎌が青白く輝いた。この状態の大鎌に実体はない。それを握れるのは代行者のみである。この武器が通過した相手は光の粒に変わる。その光は天へと還る。汚れた者を光に変えて天へと還すことから浄化と呼ばれている。それを防ぐ防具もあるが一般の貴族でそれを持つものはいない。

「待て……スラム街の者へも……」

 ラインバックは尻餅をついて後ずさる。シラヌイは全く言葉を聞かないでラインバックに向けて大鎌を振り下ろした。ラインバックが光に変わる。

「終わりだ」

 大鎌を異界の門に戻す。戻した瞬間に全身に激痛が走る。そして、次の瞬間には吐き気がこみ上げてきた。慌てて口を塞ぐ。

「……う……ゴホッ……!」

 口から血を吐いてしまった。毎回、力を使うとこうなる。力を使ったことへの代償である命を消費しているからだろう。立っていられない。視界が歪む。

「くっそ……止まって……いられないのに……」

 ふらついた瞬間に何か固い感触がした。

「いつも無理をしますね」

 神父の呆れた声が聞こえた。その声を聞いたと同時にシラヌイは気絶してしまった。



 ラインバックが浄化されたと同時に新たな市民街の代表が決まった。その代表はすぐにスラム街への食料の配給を進めるように指示を出した。それからは皆忙しかった。エレナがパンを用意して、神父がスラム街を走った。その中に着物姿の女性の姿があった。

「一人でも多くの方を救わねばなりませんね」

 ツバキは小走りに走りながらパンを配る。スラム街の住民は目が虚ろな者が多く一分一秒でもおしい。すぐにでも食料を与えねばならないだろう。

「食べ物を……」

 飢えた住民が手を伸ばす。その住民にパンを差し出す。その瞬間に左隣から同じようにパンを差し出す人物がいた。10代中頃の金髪の青年だった。黒い革のジャケットが特徴的だった。

「ほら……早く食べて」

 青年が急かすように言った。それを住民が受け取る。それを見て青年が立ち上がる。それと同時に口を開いた。

「穏健派でも動く人はいるんだな」

 ツバキは青年を見上げた。青年は真っ直ぐな青い瞳を向けてきた。

「穏健派ではなく……一人の人として行動しています。救える命は救いたいのです。いけませんか?」

 ツバキは青年に笑顔を向けた。

「いけなくはない。すまない……穏健派だというだけで偏見はよくないな」

 それだけを言って青年は歩いて行った。

「あなたの名前は? 私は……」

 ツバキが立ち上がり笑顔を向けて聞いた。

「俺はクリスフェラール。強行派だ。今日からこの街の教会を拠点に活動する。ツバキさん、今日同じ事のために街を駆けたあなたとは戦う事のないように祈ります」

 クリスと名乗った青年はそれだけを言って時間が惜しいとばかりにまたパンを配るために駆け出した。ツバキも同じように街を駆け抜けた。



 数時間後。シラヌイはベットの中で目を開けた。全身が痛む。

(……私はどうした? また気絶したのか……)

 心の中で自らの不甲斐無さを呪った。今頃は皆が食料を必死で配っているだろう。いや、もう終わっているかもしれない。痛む体を強引に動かしてベットから出る。その時にドアが開いた。

「シラヌイさん、まだ寝ていないといけません!」

 エレナが驚いた顔をしてシラヌイをベットへと押していく。

「行かなければ……」

 それを止める。エレナは不満な顔をしたがすぐに押すのを止めた。ふらつくシラヌイを支えるようにして二人は歩き出した。



 ほどなくしてスラム街についた二人は街の様子を見た。座り込む住民と、笑顔で話している住民とがいた。その両者の違いは大きい。

「……救えなかった……」

 シラヌイは悲しい顔をして座り込む住民を見た。おそらくもう死んでいる。もっと早く動いていれば救えた命だったのだ。

「……いいえ、シラヌイさんは救いましたよ」

 エレナがシラヌイを支えながらつぶやいた。その言葉に首を振った。

「お兄ちゃん!」

 その時に幼い声が聞こえた。その時にシラヌイの背中に寒気が走った。すぐに栗色髪の少女の顔が浮かんだ。エレナを振り切るようにして地面を駆ける。

ほどなくして泣きながら自分の兄を揺するローラを見つけた。ローラの兄は動かなかった。だが少女だけでも救えたのが満足なのか、その表情は笑顔だった。シラヌイはその場で固まった。やはり自分は死ぬつもりだったのだ。

「お姉ちゃん! お兄ちゃんが……助けて」

 泣きながらローラが懇願する。だが、いかに代行者といえ死んだ者を救うことはできない。だからこそ元凶を叩くために行動したのだ。一人でも多くの者に食料が渡るように。多くの者を救えた。

 だがこの少女を救う言葉をシラヌイは持っていなかった。きつく拳を握った。

「あなたのお兄さんはあなたを救いました。今後は天へと還り幸せな日々を過ごします」

 エレナがローラの目線に合わせて屈む。ローラが驚いた顔をしてエレナを見た。

「……本当? もうお腹を空かせて苦しまない」

 ローラが大きな瞳に溜まった涙を拭いながら必死に言葉を紡ぐ。

「ええ。修道女は嘘を言いません」

 エレナが綺麗な笑顔を向けた。それと同時に辺りに光の粒が舞った。その光は浄化の際に出る光と似ていた。ローラの兄の体からも光の粒が出る。それが宙を舞う。今日は週に一度ある浄化の日なのだ。命を失った魂が迷う日。その魂を天へと還すのが教会の者の勤めであり、本業である。天へと還れなかった魂は一生この世界で迷うことになるのである。

「……天へと還るの?」

 ローラがエレナの顔を見た。エレナが頷いた。

「ああ。還るんだ。私が……送る」

 それだけ言ってシラヌイが大鎌を異界の門から取り出した。それを地面に突き刺す。シラヌイの周りが光で満たされる。シラヌイは瞳を閉じて歌を歌った。その歌はとても悲しい歌だった。切なさや痛み、悲しみを感じる歌だった。だがそれと同時に弱き者を包むような優しさがあった。

 シラヌイが歌を歌ってから光の粒は踊るようにシラヌイの周りを舞った。

「きれい……」

 ローラが泣き止んでその光を見た。ほどなくしてエレナがローラを抱きしめる。

「明日からは教会に来てください。私達があなたの家族になりますから」

 ローラの髪を撫でながらエレナが言った。ローラはその優しさに数秒だけすがった。

「ありがとう。私は……一人で教会に行く。邪魔をしたらいけないから」

 ローラはそれだけを言ってエレナから離れた。

「あの子は大丈夫ですね。とても強いです。私からすれば……こちらの方が心配です」

 エレナが優しい笑顔をしてシラヌイを見た。シラヌイは歌の途中でちらりとエレナを見た。それからほっといてくれと言わんばかりにそっぽを向いた。エレナはそんなシラヌイに綺麗な笑顔を向けた。



 ローラはほどなくして教会にたどり着いた。大きなドアを開けて中に入る。

「すみません」

 緊張した声を出して中に入る。誰かいるといいのに、と心の中で思いながら辺りを見渡す。その時に教会の祭壇の前が光で満たされている事に気づいた。その中心に金髪の青年がいた。

「天へ還ればもう心配ない」

「お前の家族は無事だ。食料も渡した」

 光を掌に導いて語りかけている。語りかけられた光は満足したのか天へと還っていった。その光景をローラはずっと見ていた。体が冷えるのなんて全く気にならなかった。光に優しく語りかける姿が自分の兄と重なり、目が離せなかったのだ。ほどなくして全ての光と対話を終えた青年は、左手で持っていた大きな異形の銃を異界の門に戻した。

「どうした? 教会に用か?」

 青年がローラの近くまでよって優しく語りかける。

「……う……えっとね……私……」

 唐突に話しかけられて戸惑う。青年はローラと目線を合わせるためにしゃがんだ。

「落ち着いて」

 ローラの頭を撫でる。ローラは落ち着きを取り戻す。

「えっと……私は今日からここでお世話になるの」

 ローラが何とか言葉を口にした。

「そうか。なら俺と同じだな。俺も今日からここで世話になる」

 青年が笑顔を向けた。その笑顔につられてローラも笑顔になる。

「そうなの。修道女のお姉さんは家族になると言ってた。お兄ちゃんも?」

 期待を込めた瞳を青年に向ける。青年はローラの髪を優しく撫でた。

「そうだな。今日から君のお兄さんだな。俺はクリスフェラール。クリスでいい」

 髪を撫でながらクリスが名乗った。

「私はローラ。よろしくね……お兄ちゃん」

 顔を赤くしてローラが小声でつぶやいた。

「ああ。よろしくな」

 そのクリスの優しい声を聞いた瞬間にローラはクリスに抱きついた。

「うぅ……。お兄ちゃん……お兄ちゃん……」

 抱きついたままローラが泣いた。クリスは驚いたがすぐにローラを抱きしめた。この件で兄を失ったとすぐに気づいたからだ。

「…………大丈夫。今日から俺がお兄ちゃんだから」

 しばらく抱きしめてからクリスがつぶやいた。



シュレインは重い目蓋を開く。体のあちこちが痛む。特に首と、胸辺りが。そういえばあの代行者の蹴りを食らったのだと思い出した。

 ぼんやりとした視界がすっきりとしてきた。そこは見慣れた天井。どうやら自分の家に連れてこられたらしい。眠っていたベッドから起きて、自分の机を見た。その上には処理をしていない書類と、ペンの他に時計がある。時刻は深夜12時だ。

「…………さて……どうしたものか…………」

 今から二度寝するのは無理そうだ。少し考えてから椅子に座り、処理をしていない書類を読み始めた。その時にノックの音がした。その音に驚く。この家は自分しか住んでいないのだ。ノックなどされる事はない。自分を連れてきてくれた人物だろうか。

「……どうぞ」

 やや緊張した声で、シュレインはドアの前にいる相手に入室の許可を出した。

「……やっと起きたか」

 聞き慣れた声と共にパーソナルカラーである赤い鎧を脱いで、軽装姿になったサキアがいた。

「ああ、先ほどな」

 シュレインは安心して笑顔を向ける。どうやらここまで運び、寝かせてくれたのはサキアらしい。心配で自分の家に帰れなかったのだろう。

「それはよかった」

 安心した微笑を称えて部屋に入る。

「世話になったな、すまない」

 シュレインがすまなさそうな顔をした。

「シュレイン……お前でもあんなミスをするんだな。まあ、やられた私がとやかく言うのもおかしな話だが。まさか修道着の下にあんな装甲板みたいなのを装備してるとは思わなかった」

 サキアが肩をすくねた。シュレインが一度頷く。

「あの神父はまだまだ何か隠し持っているだろうな。油断はできない。私は……まさかとび蹴りがくるとは思わなかった」

 シュレインが溜息をついた。

代行者が能力を使えるのは専用の武器を持っている時だけである。少しでも手から離せば能力は使えない。セオリーとしては絶対に離してはいけない。中には複数の武器を異界の門からとり出す事ができる者もいるため、離したからといって油断はできないのだが。新たな武器を使い能力を発動できるからである。

「能力を使い加速。そのままとび蹴りか。自爆技だな。自分もかなりのダメージを負うだろうに」

 サキアが思案する。能力を使っていない時に高速のとび蹴りをすれば足が折れるくらいの衝撃があっただろう。そこまでのリスクを犯す必要はない。

「セオリーから外れたトリッキーな攻撃。それは武器を使った場合は勝ち目がないと踏んだからだろう」

 剣と鎌での戦いでは簡単に攻撃を見切る事ができた。鎌で同じように突撃してきたのなら、今頃は剣で両断できただろう。

「そこで得意な蹴り技か。あれだけ寄られたら剣では不利。いや……どの武器でも不利か」

 サキアはシラヌイがあんな奇行に出た理由をずばり言い当てた。

「そうだ。私が一度拳による攻撃を見せたのが間違いだった」

 一度の腕による格闘によって、拳や蹴りを使った攻撃では勝てると分かったのだろう。いい目をしていると思う。

「やはり油断はできないな。私達は武器に頼りすぎだな」

 その言葉にシュレインは頷いた。

「さて……そろそろ帰るかな」

 話も落ち着いたのでサキアが振り向いてドアに向かう。

「もう時間も遅い。泊まっていくか? 母親が使っていた部屋がある」

 シュレインが自然にさらりと言った。その言葉を聞いた時にサキアの顔が真っ赤になった。

「え……いや……すぐに家に着くから……」

 緊張して噛みながら言った。まともにしゃべれない。

「遠慮することもないだろうに。夜道は危険だ」

 シュレインが真面目に言った。全く悪意や、下心は感じない。真に心配して、ここまで運んでくれたお礼のために泊まっていけと言っているのが分かった。長い付き合いだ、それくらいは分かる。

「お前は心配性だな。私は女だが……まさかブレイブナイツを襲う男がこの国にいるとは思わないな」

 それだけ言ってそそくさとドアを開けた。もう少しいると断りにくくなる。真心のこもった提案は断りにくいものだ。

「そうか。今日は助かった。ありがとう」

 去っていくサキアの背中にお礼の言葉をかける。

「ああ。また。明日はグリウス殿の前で副官の試合だ。寝坊するなよ」

 サキアが振り向いてそれだけを言った。それからは振り向かなかった。今だに顔が赤い。自分が女性である事を久しぶりに意識した瞬間だった。



 シラヌイの周りから光が消える。浄化の日が終わったのだ。無言で異界の門に大鎌を戻す。

「お疲れ様です」

 エレナが綺麗な笑顔を向けた。エレナはずっと歌を聴いていた。エレナはこの歌が好きなのだ。

「寒いだろうに」

 シラヌイが溜息をついた。

自分も薄着だからだろうかさすがに寒い。身が震える。その時にエレナが近づいてきてシラヌイを抱きしめた。エレナの体温がシラヌイを温める。

「冷えましたよね。早く戻りましょう」

 エレナが優しくつぶやいた。

エレナは誰にでも優しい。寒さで震えていれば男女問わず抱きしめて温めてくれる。自分はどれだけ冷えようとも。自分よりも他人を優先する。これが慈愛というものなのだろうとシラヌイは思う。自分のした事が小さな事だと思えてしまう。

「もういい。教会まで行くぞ」

 このままではエレナが風邪を引いてしまいそうなので、急いで教会に向かった。



 教会につき大きなドアを開ける。そして見慣れた等間隔に置かれた長椅子に見慣れない金髪の青年が座っていた。その青年に抱きつくようにして眠っているのは先ほどのローラという少女だ。

「……お前が本部から来た代行者か? 私がこの教会の代行者シラヌイだ」

 その青年がローラを起こさないようにして振り向いた。

「ああ。クリスフェラールだ。クリスでいい。今日からよろしく頼む」

 クリスが真っ直ぐにシラヌイの目を見た。シラヌイも真っ直ぐにクリスの目を見た。クリスは決して逸らさなかった。

「合格だ。よろしく頼む」

 それだけ言ってシラヌイは微笑んだ。それを受けてクリスも同じように微笑んだ。



 翌朝。

王城の左に設けられた特別の訓練施設。そこで金属の音が響く。

 赤い鎧を纏った16歳くらいの小柄な少女が騎士剣を横薙ぎに振るう。それを黒い鎧を着た30代くらいの男が左手に持った大楯で防ぐ。

 その様子を三人のブレイブナイツが見ている。

シュレイン、サキア、そしてブレイブナイツをまとめるグリウスである。グリウスは黒い鎧を纏った50代後半の大男である。銀髪をオールバックでまとめ、口の周りには口髭があり威厳がある。

「どう見る?」

 サキアが二人に意見を求めた。シュレインが複雑な顔をした。言いよどんでいる感じだ。

 試合は続く。小柄な少女は一度距離を取る。それを警戒するように男性が大楯を構える。それを見て少女が駆ける。その前に巨大な大剣が振り降ろされる。それを左に丁寧に避ける。騎士剣の有効範囲に迫るために少女が駆ける。だがその前に男性は大剣を横薙ぎに強引に振るう。少女が咄嗟に後ろに飛ぶ。

「……試合にならんな。サキア殿、なぜ剣を持たせた?」

 グリウスが低い声で聞いた。その声には怒りが混じっている。滅多に感情を見せないグリウスが怒っているのは珍しい。戦いで手を抜く事をこの男は嫌う。

「彼女の……キュリアの希望だ。もう槍は使わないと」

 サキアが自分の部下を見ながら言った。小柄な少女――キュリア――は接近できないでいた。相手の大剣の方がリーチがあるからだ。今までは接近する必要がなかった。槍を使っていたからだ。そのために間合いが上手く取れないのだろう。

「このっ……!」

 キュリアが焦れて前に駆ける。サキアの表情が驚きに変わる。次の瞬間にはキュリアの小さな体は大楯によって吹き飛ばされていた。

「見とれんな」

 グリウスが壁に立てかけられた槍を手に取った。その瞬間にはキュリアは体勢を立て直していた。キュリアがちらりとサキアを見て、懸命に首を振った。サキアは両手を握った。

「ガイウス……負けるなよ」

 自分の部下である30代の男に一声かけてから槍をキュリアに向けて投げる。それはキュリアの目の前の地面に刺さった。キュリアが戸惑った顔をした。

「……ブレイブナイツが三人も見ているのだ。手を抜くな。できる限りの力を示せ」

 ガイウスが低い声でつぶやき睨む。兜の下からでも鋭い視線を感じる。キュリアはおずおずと槍を掴んだ。

「分かった」

 それだけ言って槍を抜いた。そこからはグリウスを唸らせる展開だった。大剣を回避した瞬間に鋭い突きを腕に、体勢を崩したら足をなぎ払うように槍の柄で殴打した。今までの弱さが嘘のような動き。

「…………ここまで戦えるのに槍を使わないのはなぜだ? シュレインの部隊に入りたくないからか?」

 グリウスがサキアに質問する。サキアが一度頷いた。グリウスが次にシュレインを見る。

「……確かにあの腕は我が部隊に欲しい。だが槍を好んで使わない者を仲間に引き入れようとは思わない」

 シュレインがキュリアの動きを見ながらつぶやいた。だが言葉では拒否しているように聞こえるが、シュレインはキュリアの動きから目を離す事ができない。

「シュレイン殿……嘘が下手だな。そして、優しすぎる。貴殿の欠点だ」

 溜息をついてグリウスがつぶやいた。シュレインの部隊は騎兵隊。槍やランスが使える者は男女問わず欲しいと思っている。あれだけの才能だ。自ら育てたいと思うだろう。だが、キュリアの希望はサキアの副官であり続ける事。そのためなら槍を捨てる覚悟だった。

「キュリアの実力と、真面目な性格は我が隊に必要だ」

 サキアがグリウスの背中を見た。

「両者、止め!」

 ガイウスとキュリアが止まる。そして、グリウスの前に来て姿勢を正す。

「ガイウス……お前は明日仕事だ。他の部隊の副官に遅れをとっていてはまだ甘い」

 グリウスが威厳ある声で叱咤する。

「はっ!」

 ガイウスは姿勢を伸ばした。

「……まずは現状を述べてみよ」

 グリウスの表情が一度曇る。自分との現状把握の差異がないか確かめる。

「はい。悪天候による食糧難が続き、我が国は食料の余裕がありません。この国周辺にある村などはさらに酷い状況です。近隣の村を襲う村人もいるのが現状であります。しかし、さらに問題なのがこの国に受け入れを迫る村の住民です。彼らを受け入れれば我が国の食料は一年と持たないでしょう。貴族の財産を使えば東国から食料を購入できますが……それは無理でしょう。市民を守るためには……」

 そこでガイウスが言いよどむ。

「そうだな。彼らの受け入れを拒むしかない。抵抗して我が国に攻撃するのであれば騎士団は彼らと戦わねばならない。今回は私も向かう。付いて来い」

 言いにくい事をグリウスが口にした。

「はっ! どこへなりとも付いてまいります。市民を守るために!」

 ガイウスが背筋を伸ばした。

「次に……キュリア!」

 グリウスが叫ぶ。キュリアが驚いて背筋を伸ばした。

「は……はい!」

「お前は今日から槍を使え」

 短く命令する。その言葉を聞いてキュリアの顔が青ざめる。

「そんな顔をするな。お前はサキアの副官として自分に一番合った武器を使え」

 グリウスが微笑を称えて命令した。キュリアは深く頭を下げた。



 城塞都市ザイフォスから南に半日ほど行った所に寂れた村がある。木でできた簡易な家が立ち並び、その家の隣には畑がある。農業で生計を立てていた村なのだろう。だが生きていくために必要な作物は枯れ果てている。天候が悪く上手く育たなかったのだ。

その様子を村全体がよく見える渓谷の上で、癖のある茶色の髪をした少年が眺めていた。歳は12歳くらいでとても背が低い。少しでも大人びて見えるように地面に付きそうなくらいの薄い茶色のロングコートを着ており、そのコートの襟は立てられている。まるで推理小説に出てくる探偵だ。

「やはり近辺の村はもっとまずいか。シラヌイに知らせないと」

 望遠鏡で覗きながら声変わり前の少し高い声でぼそりとつぶやいた。しばらく様子を見てから渓谷を後にする。この村の住民が国に向かったら大事になる。強行派は弱い者の味方をするだろう。

 だが騎士や穏健派は国を、そこで住む市民を守るために行動するだろう。何とか止めたい。最悪は強行派が少しでも有利になれるようにしなければいけない。少年は早足に渓谷を下った。



 早朝の冷えた空気がやんわりと和らいでいる。時刻は12時を越えている。城塞都市ザイフォスの教会では金属の音が響いている。

「これで……どうだ!」

 いつもと変わらないシラヌイの叫びが広場に響く。その叫びと共に左手に握ったナイフが神父に向けて振り下ろされる。それを神父がいつものように左にさらりと避ける。

 前は背中に一撃を貰ったが今日はそうはいかない。背中を狙った一撃を振り向いて受け止める。

「やりますね」

 神父がいつもの微笑を浮かべて感嘆の声を出した。だがこの程度でどうにかできる相手ではない。じりじりとナイフを押してくる。シラヌイは一度後ろに飛ぶ。それから再度接近する。

「何度来ても同じですよ」

 余裕を持ってナイフを構える。シラヌイは先ほどよりもさらに加速してナイフを力任せに振り下ろした。それを神父が受け止める。二人のナイフが激突して、火花が散る。

「それは……どうかな!」

 半歩下がってから左回りに接近する。まだナイフの間合いだ。神父が左手にナイフを持つ。シラヌイも右手で左腰にあるナイフホルダーから投げナイフを抜く。右手で神父のナイフを止め、右足を軸にして回し蹴りをする。

「甘い」

 神父が笑顔でさらりと言った。当てれる自信があったが、何か固い物を蹴った感触がした。

「……!……」

 シラヌイが声にならない叫びを上げた。とても足が痛い。見ると神父は投げナイフをしまって、トンファーを持っていた。それで防いだらしい。

「あの騎士のように蹴りなんてもらいませんよ。私のように熟練した人間には攻撃パターンを変えても当たりません」

 恨めしげに睨んでくるシラヌイに向けて、いつもと変わらない表情で神父が警告する。

「くっそ。なら……どうすれば……」

「ふむ。さらに深く読んで攻撃しないといけませんね。それか一定の武器を極める……ですかね」

 神父が腕を組んで考えている。シラヌイも何やら考え始めた。



 その隣でクリスが拳銃の手入れをしている。クリスの代行者としての専門の武器は銃だ。今手入れしているのは異界の門を使わなくても使用できる一般の銃だ。代行者は戦う度に代償を払わなければならない。そのために闇雲に使うわけにはいかない。そこで能力を使わなくても戦う武器が必要になってくる。シラヌイの場合は蹴りとナイフだ。他にも槍やら、棒やら柄の長い武器は全部使えるらしい。クリスは銃である。男性としては160センチと身長が低いため武器を使う戦闘では不利になる場合が多い。そのために銃を使用している。もともと格闘が苦手なのもあるのだが。

 手入れが一通り終わり、銃を構える。その様子をローラが注意深く見ていた。なんだかとても気になる。

「どうした?」

 クリスが笑顔を浮かべて質問する。ローラが待ってましたと言わんばかりに無邪気な笑顔を浮かべた。

「それ……私も使える?」

 ローラが銃を指差す。クリスが驚いた顔をした。

「ローラには早いよ」

「早くない。私も守るの」

 ローラが必死な顔をした。武器があれば、使えれば戦えると思っているらしい。

「早いよ。ローラは戦い方を知らないだろう?」

 クリスがローラを優しく撫でた。できればこんな物を使ってほしくはない。

「シラヌイやお兄ちゃんを見て勉強する」

「……銃は危険だから触らないで。怪我をするから。それに今のローラなら撃ったら吹き飛んでしまうよ」

クリスが困った顔をした。ローラはクリスを困らせているのが分かり、残念な顔をした。

「大きくなって……戦う事を選ぶなら教えてあげるよ」

「本当に! 約束だよ。ねえ、お兄ちゃん。あれは使える?」

 嬉しそうな顔を一度してから、次はナイフを指差した。

「…………あれは練習すればね。でも……あぶな……」

 そこまで言った時にはローラはシラヌイに向けて全走力で走っていった。クリスは一度溜息をついてから、的に向かって銃を撃った。それは見事に中心を射抜いた。

「シラヌイーーーー!」

 ローラが懸命に走る。5歳にも関わらずその走りは見事なものだった。シラヌイはこの子は代行者になれると思っている。代行者になれる者は生まれながらにして身体能力が高いのである。

「どうした?」

 シラヌイがしゃがんで目線を合わせる。

「それを教えて」

 ローラがナイフを指差した。その瞬間にシラヌイが困った顔をした。それからチラリと神父を見る。その瞬間に神父が横を向いた。

「……私は……教えるのが下手なんだ。それにナイフはまだ人に教えられるレベルではない」

 正直な事をローラに伝えた。中途半端な物は教えるべきではない。

「まあシラヌイは人並みにナイフが使えるだけですからね。エレナに教わるといいでしょう。あの子は天才ですから。修道女にならなかったら、どこかの隠密になれたと……!」

 そこで神父が言葉を切った。悪寒がする。首から背中まで氷の塊をつけられたような感触だ。エレナが怒っている。

「?」

 ローラが首を傾げる。

「まあちゃんとした先生がほしいならエレナに教わったほうがいいでしょう」

 冷や汗をかいて神父が言い直した。



 薄い黄色の着物の上にエプロン巻いたツバキが料理を作っている。メニューは味付けをしたお肉、野菜サラダ、あとは汁物だ。薄味のスープをおたまですくって味見をする。

「うーん。こんな感じでしょうか?」

 一度、小首を傾げた。ツバキの代償は五感。戦うほどに感覚が鈍くなっている。料理に関しては味覚が薄れきており不便である。料理に関して滅多に文句を言わないゼファーが辛いと言ったのだから、相当だろう。

 料理を並べていく。その時に情報収集に行っていたゼファーが帰ってきた。

「出来てますよ。お疲れ様です」

 エプロン姿のツバキが綺麗な笑顔を浮かべた。歩き疲れた体が一瞬で回復するような笑顔であった。

「すまない。どうやら食事後は一仕事ありそうだ」

 ゼファーが食事用の長机の椅子についた。ツバキも席につく。

「一仕事ですか。やはり近辺の村が動きますか」

 ツバキが一度表情を引き締める。

「ああ。ザイフォスに受け入れを頼みに動くだろう。だが今の状態では受け入れは難しい」

「……そうですね。私達は……聞くまでもないですね」

 少し顔を落としてから決意を込めた目をゼファーに向けた。

「ああ。自らの意志で国を出たのだ。苦しくなったら国に戻るなど勝手が過ぎる。今回はザイフォスの騎士団と共に動くことになるだろう。俺達の目的は村の住民を指揮している首謀者の捕獲だ」

 淡々と述べてからスープに口をつける。辛くはなく薄味だった。味覚は薄くなっているだろうに器用だと思う。

「うむ。上手い」

 素直な感想を述べた。その感想を聞いてツバキが綺麗な笑顔を浮かべた。



 薄い茶色のロングコートを着た少年がザイフォスの住民街を歩く。ほどなくして教会の屋根が見えた。一般的な傾斜の急な屋根である。大きなドアを開ける。中にブロンド髪の修道女がお祈りのために座る長椅子を拭いていた。エレナである。

「今、戻った。シラヌイ、いる?」

 緊張した声を出した。顔は真っ赤である。

「カイト君、おかえりなさい」

 その声を聞いてエレナが満面の笑みを浮かべた。

カイトと呼ばれた少年にとっては天使の笑顔に見えた。カイトはスラムで飢え死にしそうな所をエレナに拾われたのだ。その後は食べていくために神父、エレナ、シラヌイからそれぞれ必要な事を学んで、情報屋として生きている。

 三人には感謝してもしきれないが、特に拾ってくれたエレナに対しては心から感謝している。また異性として淡い気持ちも持っていた。だから話しかける時は緊張する。

「た……ただいま。どうかなこのコート。思い切って買ったんだ。寒いからさ」

 カイトがロングコートの襟を真っ直ぐに伸ばす。カイトは襟を伸ばした姿がかっこよく見えると信じている。

「外は寒いですからね。必要ですね」

 エレナが綺麗に笑ってからカイトを抱きしめた。カイトの全身が温まる。コートは体を温める道具としてしか見てくれていないらしい。

「は……恥ずかしいよ」

 そう言うカイトの顔は真っ赤だ。エレナはカイトが温まってからゆっくりと離れた。

「これでよし。風邪を引いたらいけませんから」

 エレナが綺麗に笑った。カイトが一つ頷いた。

「あー。そろそろいいか」

 その様子を離れて見ていたシラヌイが口を挟んだ。カイトが顔をさらに真っ赤にして口をパクパクさせている。穴があったら入りたいという人の気持ちが今なら分かる。

「い……いたの?」

「いた。エレナしか見えないか。若いな」

 シラヌイが少し意地悪な笑みを浮かべた。戦いや特訓の時は研ぎ澄まされた刃物のように冷たく、鋭いシラヌイだが、普段はこういう表情もする。

「コホン。仕事の話がある」

 カイトが咳払いをして誤魔化す。シラヌイはやれやれと言ってから、真剣な顔をした。近辺の村の状態、騎士団と穏健派が明日動く事など確定情報を伝える。

「騎士団と穏健派か。まずは様子を見るしかないが……最悪な展開になりそうだな。クリスに伝えてくる」

 シラヌイが早足でクリスがいる広場に向かった。



 赤いローブを纏った人物が二人ザイフォスの南にある村に訪れていた。フードを被っているために表情は見えない。片方は身長180センチを超えた長身、もう片方は150センチあるかどうかの少年だ。

「この剣を使えば騎士団など恐れる事はない」

 長身の男が漆黒の剣を村人に配る。その剣は黒い光に照らされていた。受け取った村人は歓喜の声を出した。

「これはすごい。これなら騎士なんて怖くない」

 村人が剣を振る。自然と力が湧いてくる。

「受け入れてくれないなら、その剣でばっさり殺ってしまってよ」

 少年が軽く言った。村人が頷く。

「ふっ。目的は果たした。我らは高みの見物といこう」

 長身の男が鼻で笑ってから村を去った。少年も続く。



 翌日。黒い鎧に大楯と、大剣を持った騎士団が南に向かう。その先頭にはブレイブナイツであるグリウス、そして副官のガイウスがいた。半日を歩いた所で村が見えた。その村の前には村人が集まっていた。受け入れてはくれないと分かっているのか、すでに腰には剣がつられている。見たこともない漆黒の剣だった。

「村の代表はおるか!」

 グリウスが叫ぶ。その声を聞いて40代くらいのほっそりとした男性が歩いてきた。

「私が代表だ。我らの望みは……食料を分けて貰う事、そして国に入れてもらう事だ」

「一度、国から出ておいて戻るというのか?」

「ええ。まさか同じ人間を見捨てるのですか?」

 村の代表からは焦りを感じない。高圧的とも取れる態度だ。グリウスは不自然に感じた。こういう場合は嘘でもいいから泣いて情に訴えてくるのが自然だ。

「すまないがわが国に受け入れる余裕はない。市民を守らなければならないのでな。貴殿らが一度国を捨てた以上は貴殿らで生きていってもらうしかない」

「…………そうかい。変わらないね、ザイフォスは。守るのは市民まで。スラム街の住民、または貧乏人は見捨てる。腐った国だ」

 グリウスの言葉を聞いて代表が呆れたようにつぶやいた。

「腐った国だと思うのであれば戻る必要はなかろう」

「いいや……。その腐った国を正してやろうと思ってね。弱き者を見捨てないそんな国にしてやるよ」

 代表の目が冷たく光る。それと同時に住民が漆黒の剣を腰から抜いた。



 その様子を高台から強行派と穏健派がそれぞれ違う場所で見ていた。お互いの存在はすでに気づいている。どうすべきかを状況を見て判断しようと思ったが、どうも様子がおかしい。

「おい、住民から戦いを仕掛けてるぞ」

 クリスがシラヌイに小声で話しかける。シラヌイが頷く。

「強行派としては弱い者を救うしかないだろうな。このままでは住民は皆……殺される」

 そこまで言ってシラヌイが高台に足をかける。

「我が命を代償に捧げ……」

 シラヌイが高台から飛ぶ。

「意志を貫く力を!」

 空中で異界の門を出して大鎌を掴む。代行者の力を使えばこの程度の高さなら無傷だ。

「ちっ。もう少しは考えろよ」

 クリスが舌打ちをして高台に足をかける。

「我が記憶を代償に……」

 シラヌイに倣って高台を飛ぶ。

「弱き者を守る強さを!」

 異界の門から巨大はキャノン砲のような銃を取り出して掴んだ。

「私は今……能力が使えない事を忘れてませんか……」

 神父がぽつりと言ってから高台を滑るようにして下っていく。



 騎士団が一斉に大楯と大剣を構える。

「総員、突撃!」

 グリウスが指示を出す。ガイウスを先頭にして騎士団が駆ける。高台に代行者がいたがもう手遅れだろう。グリウス自体もここまで早く戦いになるとは思わなかった。それは代行者も同じだろう。何の訓練もしていない住民に遅れはとらないだろう。

 先頭を進むガイウスが大剣を住民の代表に振り下ろす。一撃で終わると思ったが代表は不気味な漆黒の剣で大剣を受け止めた。

「やはりこの剣は素晴らしい! まるで代行者のようだ」

 代表が歓喜の声を上げてから力任せにガイウスを吹き飛ばす。周りの騎士が呆気にとられた。

「何をしている。怯むな!」

 グリウスが叱咤の声を出す。それで平静を取り戻した騎士が向かってくる住民に攻撃を開始する。最初はあまりの力に吹き飛ばされたガイウスだったが所詮は素人の剣技、やすやすと回避して代表に大剣を振り下ろす。他の騎士も大楯を使い住民を追いつめていく。

「な……なに。この剣があれば! 勝てると言われたのに」

 代表が震えて尻餅をつく。その代表に向けて大剣が振り下ろされる。当たると思った時に漆黒の大鎌がその大剣を止めた。

「なっ……!」

 ガイウスは驚きの声を出した。漆黒のローブを纏った大鎌使い。強行派のシラヌイという代行者だ。

「この住民を受け入れてもらう」

 ガイウスの大剣を受け止めながら、シラヌイが低く言った。

「それはできない。市民の命が優先だ!」

「なぜ貴様達はすぐに人を見捨てる! 貴族の財産を使えば助けられる命だろう!」

 シラヌイが叫ぶ。その声には怒りが含まれていた。強引にガイウスを吹き飛ばす。ガイウスに変わってブレイブナイツであるグリウスが前に出る。

「貴族は富を手放さない。その資金がこの国を発展させているのもまた事実だ」

 グリウスが低い声でつぶやいて、大剣を構えて進んでくる。シラヌイがグリウスを睨む。

「もはや会話など必要ないのだな」

 シラヌイが溜息をついた。シラヌイは命を救うために地面を蹴った。グリウスは市民を守るために同じように地面を蹴る。



 その様子を高台から見ていたツバキとゼファーはお互いの顔を見合わせる。

「行くぞ。我らはこの国の市民を守る。そして、この村の代表の罪はザイフォスの市民が決める」

 それだけ言ってゼファーが高台を飛んだ。

「我が肉体が石となろうとも……世界の秩序を維持するための力を!」

 異界の門からゼファーの身長ほどはある矛を取り出す。それを見てからツバキも高台から飛ぶ。

「我が五感を捧げ……」

 空中に異界の門を出現させる。軽くツバキの身長を超えた2Mはある太刀を掴む。

「……弱き者に代わり断ち切る力を!」

 巨大な太刀を異界の門から取り出す。この場にいる四人の代行者がそれぞれの想いを叫んで専用の武器を異界の門から取り出した。代行者ではない一般の者から見れば、戦う前に自分の想いを叫ぶなど必要ではないと思うだろう。正義の味方のようにかっこよくきめているようにも見える。

 だが代償を払ってまで戦うにはそれなりの覚悟が必要なのだ。自らを奮い立たせる言葉が必要なのである。その想いと、覚悟を受け取る事で異界の門の中にいる異形の獣が代行者に力を貸してくれるのである。逆を言えば代償を払う覚悟、それを臆せず周りに宣言するだけの決意が代行者には必要なのである。



 クリスはシラヌイよりも後方で騎士たちと戦闘している。主に住民を守る立場にいる。住民の代表はシラヌイとグリウスから離れてクリスの近くまで逃げてきている。彼を背中で守るように巨大な銃を構える。騎士が左右から迫ってくる。まずは右に向けて力を抑えて鉄隗を打ち出す。騎士は驚いて大楯を構えた。

「その程度では……!」

 その言葉通り大楯共々騎士が吹き飛ぶ。その間に左から迫る騎士がクリスに接近する。ここまで巨大な銃では間に合わない。それは相手も知っているのか大剣を振り上げた。

 その瞬間。クリスは巨大な銃で騎士の鎧を殴打した。その衝撃は巨大なハンマーで殴られた時と等しい。騎士の鎧は砕けて、騎士は軽く吹き飛んだ。

「さすがは……代行者!」

 クリスの後ろにいる代表が歓喜の声を上げた。クリスは後ろを見なかった。薄い黄色の着物に、白い帯を巻いた女性が見えたからだ。代行者ツバキだ。現在では最強の代行者である。

「どんな相手だろうと……引かない!」

 クリスは銃を構える。初弾をツバキに放つ。それをツバキは余裕に回避して接近してくる。その速さはクリスではほとんど見えない。

「ちっ……!」

 舌打ちをして巨大な銃を異界の門に戻す。それから取り回しがしやすいハンドガンを両手に持つ。クリスは銃を複数取り出す事ができる。仮に銃を相手から飛ばされても別の銃を取り出して手に持てば能力が使える。シラヌイのように大鎌一つで戦うよりかは有利な面もある。

 ハンドガンを構えて撃ち続ける。

「その程度では止まりませんよ」

 ツバキが余裕の動作で右手に持った太刀と、左手に新たに出現させた刀を用いてすべて叩き落す。クリスは一歩下がる。再度、撃ち続ける。

「諦めなさい。用があるのは後ろの方です」

 ついにツバキの間合いとなり左手に握る刀が振るわれる。それを左手のハンドガンで防ぐ。

「ぐっ……引くものか。彼がいなくなれば……この村は終わりだ。穏健派に預けても同じだ。彼らは助からない! ザイフォスの人々は自分たちが助かるためなら平気で彼らを殺す」

 クリスは力の限りに叫んだ。

「…………」

 ツバキが無言で刀を押す。ハンドガンが音を立てて壊れていく。それでもクリスはツバキから目を離さない。後ろにも引かない。後ろには戦えない人がいるから。愚かなほどに真っ直ぐな青年だった。まるで自分が悪人だ。市民を守るために戦っているというのに。



 シラヌイは大鎌の一撃を放つ前に腰にあるナイフホルダーに左手を持っていく。副官であるガイウスにナイフを投げる。ガイウスは急に投げられたナイフに驚いて大楯を構えた。大楯に直撃してガイウスは半歩下がる。敵が一人体勢を崩した所で本命の相手を見る。

「注意が疎かだな」

 グリウスは大剣を持っているとは思えない俊敏さでシラヌイに接近していた。シラヌイが慌てて大鎌を構える。大剣が振るわれる。それをシラヌイが大鎌で防ぐ。シラヌイの動きが止まる。能力で強化された力と同等の力があるらしい。シラヌイの頬に冷や汗が流れた。強すぎる。本当に人間なのかという疑問が湧いてくる。

 シラヌイは半歩下がり、高速で動いた。グリウスの後ろに回りこみ横薙ぎに大鎌を振るために構える。

「速いが……見切れないことはない!」

 グリウスは振り向いて、横薙ぎに振るわれる大鎌を防いでみせた。二人の力が拮抗する。その時にシラヌイの右側から副官が迫る。そして、その後ろから新たな敵が迫る。代行者ゼファーだ。

 三対一。完全に不利だ。一度グリウスから離れる。体勢を立て直している所に副官が大剣を振り下ろす。それを右に少し動いて回避する。

それと同時にシラヌイの左側に異界の門を出現させる。異界の門に投げナイフを一度通してから力を込めて放つ。ガイウスは慌てて大楯を構える。その大楯を貫いてガイウスの腕にナイフが刺さる。異界の門に一度通った事でナイフの硬度が上がったのだ。ガイウスは苦しそうな声を出してバランスを崩す。これで安心はできない。一度、グリウスを見てからガイウスを見る。いや、その後ろだ。

 その時にガイウスを踏み台にして、ゼファーがシラヌイに迫る。後ろに飛んで避けたいが、それでは着地をグリウスに取られてしまう。

「シラヌイ……後ろに飛びなさい!」

 神父の声が聞こえた。その声を信頼して後ろに飛ぶ。シラヌイがいた場所にゼファーの矛が直撃して大穴が開く。回避した瞬間にグリウスを見る。グリウスは神父と戦っていた。

「遅い!」

 シラヌイがなかなかこない神父に文句を言った。

「真打は最後に登場するものです」

 神父が軽口を叩いてナイフを構えた。これで三対二だ。周りに他の騎士達もいるが恐れる事はない。それほどまでに戦いのレベルは高かった。



 ツバキは一度後ろに飛んだ。クリスが全く引く気がないからである。ツバキの目的は代表を捕らえること無駄に殺したくはない。これ以上抵抗するなら斬るしかないが。

「引きなさい。私はあなたのような方を斬りたくはありません」

 ツバキが刀をクリスに向ける。クリスは壊れたハンドガンを異界の門に戻す。そして、新たにライフルを取り出した。

「引かない。ここで引いたら代行者である意味がないから」

 クリスが真っ直ぐにツバキを見た。

「…………ならば……瞬撃!」

 その言葉を聞いた時にツバキが消えた。一つ瞬きした時にはクリスの左側にいた。高速の斬撃がクリスの武器を破壊する。慌てて右手のハンドガンを構える。その瞬間にハンドガンが切断された。慌てて半歩下がって巨大なキャノン砲を取り出す。それを高速の2撃が破壊する。クリスの武器は全て破壊された。もう下がれない。

「……これで終わりです……刹那!」

 クリスの周りに5つの異界の門が出現した。ツバキの言葉通り刹那の速さでクリスの両足を、両手を、胴体を刀が貫いた。鮮血が舞う。

「これで……どうです」

 ツバキが刀をクリスの頬につけた。だがクリスは先ほどと同じ瞳でツバキを見た。決して諦めない強い光を帯びた青い瞳で。

「本当に斬りますよ!」

 強い声で警告する。だが決して怯まなかった。

「斬るなら……斬ろ」

 クリスが力のない声でつぶやいた。話すのもつらいのだろう。

「どうしてそこまでするのです?」

 答えが分かっている事を質問した。

「守りたいからだ。弱い者を……確かにこの住民達に正義はない。身勝手と言えばそれまでだ。でも……殺す事はないんだ。救う事を諦める事もない。だがら……!」

 クリスが叫ぶ。先日、同じ理由で街を駆け抜けた記憶が脳裏に浮かんだ。同じなのだ、戦う理由は。一度だけツバキの黒い瞳が揺れた。でも、その程度で揺らぐほどツバキは弱くはない。

「分かりました。この方々を全力で生かしましょう」

 一度瞳を瞑ってからツバキが宣言した。その顔は笑顔だった。

「そうか。なら安心して逝けるな」

 そう言ってクリスは覚悟を決めたように瞳を瞑った。その瞬間にクリスを拘束していた刀が抜けた。クリスは力なく崩れる。それをツバキが支えた。

「ど……どうして?」

 クリスが呆気に取られた顔でつぶやいた。

「言いませんでしたか? 私は後ろの方を捕らえるだけです。安心して眠っていて下さい」

 ツバキが笑顔でクリスの耳元に囁いた。クリスの体から力が抜けた。ツバキの甘い匂いを感じた瞬間にクリスは気絶した。クリスを優しく寝かせてからツバキが住民の代表を見た。



 シラヌイがナイフホルダーから投げナイフを掴んで投げる。その速さについてこれないのかゼファーの体に刺さる。だが致命傷には至らない。

「何度当てても無駄だ。俺には攻撃は通用しない」

 ゼファーは刺さったナイフを抜いて、地面に放り投げる。ゼファーはパワータイプの代行者のようだ。地面を抉るような破壊力のある攻撃に、体を硬質化できる防御の能力があるらしい。大鎌もナイフも全く通用しない。こちらにはあまり時間がないというのに。心臓が痛む。長く戦いすぎたらしい。

「使いたくはなかったが……」

 一度深呼吸をする。それから地面を駆け抜ける。ゼファーはゆっくりと武器を構えた。

 シラヌイの大鎌が頭上に向けて振り下ろされる。それをゼファーが矛で受け止める。そして、力任せに横薙ぎに吹き飛ばす。

「今だ……クロ!」

 異界の門の中にいる、シラヌイの力の根源でもある異形の獣の名前をシラヌイが叫ぶ。その瞬間にゼファーの背後に禍々しい異界の門が出現した。そこから竜に似た口が現れてゼファーの体に噛み付く。

「ぐあぁぁぁーーーー!」

 ゼファーの叫びが戦場を駆け抜ける。硬質化された体にするどい牙が突き刺さり、堪えきれないような痛みがゼファーを襲う。竜は食べられないと分かるや否やゼファーを放り投げた。ゼファーは何とか空中で体勢を立て直すが立っているのがやっとの状態であるらしい。

「ぐぅ!」

 それはシラヌイも同じだった。異界の門の中にいる獣を使役して、この世界に召喚するにはかなりの代償を使う。全身が痛み立っていられない。大鎌を支えにして何とか倒れないようにする。ここで倒れるのはまずい。ちらりと神父の様子を窺う。今、グリウスと戦う事になれば勝ち目はない。



 神父は一定の距離を取ってナイフを投げる。そのナイフはグリウスの鎧に刺さり、少しずつダメージを与えている。

「消極的な攻めだな」

 グリウスが神父の攻撃を評価した。これではいつか神父のナイフは尽きるだろう。

「そう見えますか?」

 余裕のある笑みを顔に貼り付けて、気楽そうに言った。その間にもナイフが飛ぶ。いったい何本持っているのやら。普通に投げてくるのなら避けられるが体のあちこちからナイフを出して投げてくるために避けられない。要注意人物だと、シュレインとサキアが言っていたのを思い出し、納得した。

「見えるな。こちらから行かせてもらう」

 グリウスが地面を蹴った。ナイフを投げるがその程度では止まらない。まるで黒い城壁が突撃してくるような感覚に襲われる。

「ようやく突っ込んできましたか」

 神父がのんびりとした口調でつぶやいた。だがその顔は全く笑っていない。真剣だ。グリウスの背中に寒気がした。突撃を止めて、すぐに右に飛ぶ。

刹那、鋭い針のような物がグリウス目掛けて飛んできた。それはグリウスの首を狙っていた。何とかやり過ごして大剣を構える。

「あれを避けますか」

 神父は手に持った吹き矢を素早くポケットにしまった。そんな物まで持っているとは思ってもいなかった。

「貴殿の腕なら十分対等に戦えるであろうに」

 グリウスは残念そうにつぶやいて地面を蹴った。今度は左右に飛びながらの突撃だった。その動きは明らかに速い。神父の高速のナイフですら当たらない。

「着ている金属ごと両断する!」

 サキアの報告で聞いていた特注の金属ごと両断するために大剣を振り下ろす。

「これは……小細工は効きませんね」

 真剣な顔をして大剣を睨む。その太刀筋を睨んで斜め後ろに飛ぶ。ぎりぎりの所で回避した神父はすかさずナイフを投げた。それをグリウスが左手の篭手で防ぐ。全くの互角だった。



 その戦いを高台の上で赤いローブを纏った二人が見ていた。

「なんだかつまらないね。あんないい物を貸してあげたのに一人も倒せないなんて」

 少年が心底つまらなそうにつぶやいた。住民は代行者と、騎士達の強さに怯えていた。予定では騎士と住民が殺し合うはずだったのだ。

「まだあの剣は試作段階だ。今の性能が分かればいい。ただ何の手土産もないというのでは、我らが神の慈悲は得られないだろう」

 そう言って一つの紫色をした禍々しいオーブをローブの中から取り出した。

「大人しい奴に限ってやる事が派手なんだよね」

 少年は溜息をついた。

「我らが神のためだ」

 そう言ってオーブに力を込めた。



 ツバキが住民の代表に近寄る。

「武器を棄ててください。あなたをあの国に引き渡します」

 刀を向ける。代表は怯えて剣を手放した。これで終わりだと思い、戦いを終わらせるために大声を出そうとした瞬間に大きな音がした。ツバキは慌てて耳を塞ぐ。何かの爆発かと周囲を見渡す。

 だが地面は無事だ。騎士達に危害はない。その次に住民達を見た。その瞬間に吐き気がした。住民達は剣を持っていた手を吹き飛ばされていた。正確に言えば持っていた剣が爆発でもしたのだろう。便利な武器には何か制限や、代償があるのが世の常だがこれはあまりにも酷い。何とか救おうと駆け寄るがその瞬間に住民達は黒い光の粒に変わった。



 その様子をシラヌイは呆然と見ていた。助けようとした者が急に飛び散ったのだ。平静でいられる方が不自然だ。周りにいる騎士は恐慌状態。あのゼファーですら絶句していた。住民は黒い光となって高台に上っていく。そして、赤いローブを纏った人物のオーブに吸収された。シラヌイはその瞬間に駆け出していた。奴らが原因なのは間違いない。

「待ちなさい!」

 神父の鋭い声が静止を呼びかける。それを無視してシラヌイは高台に向かって飛んだ。

 だがその二人はすぐに背を向けて去っていった。高台に登った時にはその二人の姿は見えなかった。助かったのは住民の代表のみ。その代表もあまりの出来事に放心状態だった。とても会話などできない。今後も会話ができるかどうか怪しい状態だった。

「各員、国に撤退だ」

 グリウスが指示を出す。もうこの場にいる必要はない。戦う理由もない。目的は果たしたが、すっきりとしない帰還になってしまった。これは数日騎士を休ませる必要がありそうだ。



 ツバキは代表を何とか立たせてザイフォスに向かう。その前をシラヌイがクリスを小さな背に乗せて歩いていた。神父とゼファーは調査をしている。今は穏健派も強行派もない。あまりにも起こった出来事が衝撃的だったためである。

「クリス殿は私が背に乗せましょうか?」

 ツバキが提案をした。シラヌイが振り向く。その顔はかなり辛そうだ。代償を払った後で自分よりも10センチは大きい男性を背に乗せているのだから。

「誰が……穏健……派の手を……借り……るか!」

 半ばやけになって叫ぶ。ツバキは一度溜息をついた。

「頑固な所は一代目と同じですか。たまには大人を頼るのもいいものですよ」

 ツバキは早足で駆け寄り、シラヌイに笑顔を向けた。シラヌイも分かっているツバキがいい人だというのは。だが、立場が違う。考え方も違う。

「いいではないですか。今回だけです」

 ツバキが笑顔で続けた。仕方なくシラヌイがクリスを降ろす。そして、ツバキがクリスを背に乗せた。シラヌイが放心状態の代表を連れて行く。彼はザイフォスについてからは治療させる事にした。到底、裁くことなどできない。自我を保っていないのだから。シラヌイは次にクリスを見た。

「……こいつは何だか幸せそうだな」

「どうしてですか?」

「いや……女性二人におぶられて、幸せだろなと」

 ぽつりとつぶやいた。ツバキが笑顔を向けた。

「なんだ?」

「あなたでも冗談を言うのですね。知りませんでした」

「私を何だと思っている」

 シラヌイはそっぽを向いて頬を膨らませた。その姿を見てツバキは悲しく思う。なぜこのシラヌイという名前を持つ者と二代に渡って戦わねばならないのか。戦い以外の場合ではお互いに理解し合い、こうして話す事ができるのに。

「可愛げのない堅物少女だと思ってました」

「…………敵だったんだ。仕方ないだろう。それは今も同じだ。戦う理由が違えばまた戦う事になるだろうな」

 シラヌイも同じ事を思っていたのだろうか、少しだけ残念そうな顔をしていた。

「ぐっ……」

 ツバキの背中でクリスが呻いた。

「起きましたか?」

 ツバキが優しく語りかける。

「ここは……俺は……どうし……!」

 そこまで言って状況が分かったらしい。ツバキの背に乗っている。最後に感じた甘い匂いがさらに強く感じた。

「このままでいいですよ。怪我をしてますからね」

 ツバキがクリスの心境を読み取って優しく告げた。その顔は笑顔だった。クリスは綺麗な笑顔だと思った。これが今まで戦っていた相手だろうかと疑問に思う。

「いや……さすがにこれはまずい」

 そう言って降りようと思うが、体に力が入らない。腕も足も鉛のように思い。

「無理しないで下さい。私は平気ですから」

「す……すまない」

 クリスが顔を真っ赤にして謝罪する。さほど女性に免疫がないために心臓が早鐘のように鳴る。ツバキに気づかれてしまうのではないかと心配で仕方がなかった。ツバキは気づいていたが何も言わなかった。

「…………そういえば状況は?」

 無言だったクリスが緊張を隠すために口を開いた。その瞬間に二人の顔が曇る。

「すみません。生かすことはできませんでした……」

 ツバキが悲しそうにつぶやいた。

「どうした……? 何があった?」

 クリスが怪訝な顔をして質問する。

「落ち着け。時間はある順番に話す」

 シラヌイがクリスが気絶してからの事を話した。クリスは衝撃を受けたようだが、それよりもそんな状況で気絶していた自分が情けないと思った。



 ザイフォスの北に宗教国ヴェルスがある。石でできた階段が長く続き、長い階段の上には教会があった。その教会の祭壇に赤いローブを着て、金色のネックレスをした男が報告を聞いていた。

「予定通りの魂を回収できなかったか。まあいい。回収した魂で新しい剣を作れ。今度はあんな試作品ではなくしっかりとした物を作るのだぞ」

 男が指示を出す。それを聞いて祭壇の前にいた同じ赤いローブを着た3人が頭を垂れる。

「さあ、次はどこで集めようか。我らが神の復活は近い」

 男が不気味な笑みを浮かべた。



 シラヌイは騎士に住民の代表を預けて教会に急いだ。ツバキもシラヌイの後に続く。何だか違和感がある。ドアを開けるとエレナとローラが出迎えた。

「シラヌイさん、無事ですか!」

 エレナがシラヌイの体を確認するように触れる。

「大丈夫だ。クリスを頼む」

 ツバキの後ろで恥ずかしそうにしているクリスを指差した。エレナは驚いたがすぐにツバキをクリスの部屋に案内した。そこでクリスを寝かせてから怪我の手当てをする。ツバキはさすがに居心地が悪いのか真っ直ぐに出口に向かった。ドアの前にはシラヌイがいた。

「すまない。客にはお茶くらいは出したいのだがな」

「……お互いに立場があります。仕方ないでしょう」

 それだけを言ってツバキはシラヌイの顔を見ないで横を通り過ぎた。シラヌイが振り返る。そして、口に出掛かった言葉を飲み込んだ。もしかしたらクリスなら伝えたのかもしれない。ツバキはシラヌイが何を言おうとしたかは分かった。だが、あえて立ち止まらなかった。二つの派閥が分かり合う日はまだ遠いと思うからである。



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