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午前十時には工場は本格的に熱を帯び、――

 午前十時には工場は本格的に熱を帯び、溶かした太陽を食らった。既に蒸気が工場に行き渡っていた。ボイラーの圧力計の針が二〇〇を超えるか否かの位置で中毒者のように震え、巨大な動輪に硬直したゴムベルトが百の旋盤へと力を分け与える。移動天井がぶら下げた大陸向け輸出用機関車が途切れることなく、頭上を横切り続け、スチームハンマーが燃える鉄にぶつかり続ける。人も鋼鉄もアーロップの考える通りに動いている。アーロップ・インダストリーの広大な敷地では毎日、どこかで事故が起きている。機械が不注意な人間を巻き込むのだ。今日もどこかで、給料三か月分の見舞金を胸に追い出される家族がいるが、見舞金がアーロップの倫理を司り、後腐れのない明日を約束した。見舞金は議会の改革派が規制について取り上げ始めたときに高々と掲げるための投資の一種だ。同業者はそれがわからず、事故死した労働者の家族を無一文で追い出される。だが、どんなに妨害しても、十年に一度は改革派が勝つことがあるのだ。そのときのために見舞金がどれだけ役に立つか分からない連中は淘汰される。淘汰という言葉ほど自分に降りかかるまで認識されない言葉もない。

 淘汰。

 アーロップは巨大な動力軸が数百の歯車を回転させる吹き抜けの回廊を振り向いた。技師が計器を睨み、労働者たちが工作スペースでハードウェアを相手に火花を散らしている。

 男爵を始末するために派遣された三人が帰ってこない。男爵に返り討ちにされたとも思えないが、報告を忘れて、飲み歩き、つぶれるような素人でもない。

 不確定要素。こんなものが存在すること自体がアーロップの神経をざらざらした舌でなめるようなことだ。これまでだって、不確定要素はあった。だが、顧問弁護士の一団が全て解決してきた。ところが、今回の不確定要素は一筋縄ではいかないと勘が言っていた。そして、彼の勘は一度だって彼を裏切ったことがなかった。

 ゴトンと音がした。

 振り向いた。誰もいなかった。ピストンロッドのそばにも、レバー操作盤のそばにも誰もいなかった。

 たまたまだと思うが、何か不吉な印象があった。次の瞬間、アーロップは歩を進め、気づくと片眼鏡が落ちるほどの速さで、ほとんど走っていた。テーブルにぶつかって、ポンプの設計図がひらひらと飛んだ。日光と煤がつくる影がナイフを手にした暗殺者に見えた。自分を殺して利益を得るものは大勢いた。これまで、そんな暗殺者が自分を脅かすなど考えたこともなかったが、いまはその恐怖に追われて走っていた。恐怖そのものが不確定要素であることすら、頭から抜け落ちていた。

 組み立てフロアへ降りたとき、そこには三十人以上の検査官が次々と完成する蒸気機関車の検査を行っていた。そこでやっと足が止まった。煤っぽい息にせき込み、帽子も落としていた。検査官や工作係の労働者が驚いた顔でアーロップを見ていた。こんな姿を見られたことが屈辱だったが、一番許せなかったのは自分の弱さだった。不確定であること。そんなものはなくなるべきだ。全て積分され、単一の直線にされるべきだ。

 このとき、移動天井に吊るされた輸出用蒸気機関車がアーロップの頭上にあった。

 殺し屋は手を軽く握って拳をつくった。セーム革の手袋がキュッと鳴いた。気分が軽くなり、絶対に外してはいけないボルトを専用スパナでひと回しし、移動天井の牽引脚から外した。次々と鋲が飛び散って、滑車から鎖が暴れて飛び出すと、三百トンの鋼鉄の塊はスチームガイスト最大の富豪へと落ちていった。

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