「あなたひとり?」――
「あなたひとり?」
五日間、連続でこの質問をされていた。水兵ドレスの少女は顎を背もたれの上に乗せて、じっと殺し屋の目を見つめようとした。自分からもそれをすると、どちらが先にまばたきをするかという下らない張り合いをすることになるのが目に見えていたので、殺し屋は見つめ返さず、メニューに目を落としていた。メニュー表は水の流れを模した文体で書かれていて、きれいだが、ほとんど読めず、メニューとして機能していた。
「ねえ。あなたひとり?」
「ひとりだけど」
「わたしたちはひとりじゃない」
「ご両親は?」
少女は肩をすくめ、水兵の帽子を取ると、指先でくるくるまわした。
「知ーらない」
殺し屋はメニューを置いて、煙草をつけた。
「いけないんだー」
「ぼくはきみが考えてるよりも年上なんだよ」
「レネ警視って人、知ってる?」
「知らない。清く正しく生きてるから、警察の世話になることなんてないんだ」
「今度こそ、悪魔博士だといいね」
殺し屋は煙草を灰皿に押しつけた。
「何を知っている?」
「言った通り。レネ警視が悪魔博士だよ」
「違ったら?」
「さあ? わたし、知ーらない。でも、レネ警視はカノーハとミトレと一緒に〈贄亭〉って名前の牡蠣料理の店にいるよ。貸し切りだって」
ミトレが何か言おうとしたが、殺し屋が先に、
「外の警官なら気絶してる。しばらく目は覚まさないと思うよ」
「わたしは株屋なんだ!」ミトレが半ば立ち上がって叫んだ。「麻薬は専門じゃない、だから――」
「黙って座ってろ、このクソバカ野郎」カノーハが言った。
殺し屋は警視の対面に座った。右にカノーハ。左にミトレ。テーブルにはレモンの搾りかすと牡蠣の殻、ミネラルウォーターの壜。灰皿には葉巻が白く細い糸をほどきながら流していく。
ミトレの命乞いやカノーハが「こんな真似してタダで済むと思ってんのか」といったことを言わなくなるまで黙った。やっと三人に話をきく準備ができたところで、殺すつもりはないのだ、と教えた。
「でも、最近、殺すつもりがないのに殺すことが多い。だから、どうなるのかはぼくにもわからない。ただ、ホテルの喫茶店で会った女の子があなた――つまり、警視さんが悪魔博士だと言った。左右のふたりについても悪魔博士だという話をきいた。でも、この様子だと悪魔博士ときいてもピンときていないらしい。〈悪魔機械〉はおそらくあなたたちがつくった麻薬密売組織のことだと思うけど、ぼくは麻薬についてはどうでもいいんだ。知りたいのは悪魔博士と〈悪魔機械〉。これだけ、で、何か言いたいことはある?」
「おれのことを悪魔博士とかぬかしたやつを教えろ」カノーハが言った。「生まれてきたことを後悔させてやる」
「ぼくも名前は知らない。トゥ・ルームズ・ホテルのボーイだよ」
警視が牡蠣をひとつすすった。
片手が不自然にテーブルの下に。
殺し屋は手を軽く握って拳をつくった。セーム革の手袋がキュッと鳴いた。気分が軽くなり、フリントロック・ピストルの撃鉄がカチリと上がると同時にテーブルを蹴飛ばした。用心金に入っていた警視の指が折れた。鉛の球形弾がテーブルクロスを焼き切って、カノーハの腹に飛び込んだ。背中から倒れる。硝煙の向こうに逃げる警視の背中。殺し屋はナイフを投げた。ミトレは口を開けて、座っていた。帽子のツバから炭酸水がしたたり落ちている。シュシュシュッ。口のなかへとダーツが飛び込み、ゲェッとうめいた。殺し屋は両手でフレシェットを構えて、両目のあいだを撃った。頭ががっくりと後ろへ倒れると、喉の皮が内側から破れて、ダーツの切っ先が突き出した。カノーハが立ち上がった。手には牡蠣ナイフ。左手はぐちゃぐちゃになった腹を押さえている。顔が歪む。口からどす黒い血があふれ出す。
警視は調理場まで這っていき、そこで息絶えた。背中のナイフを抜くと、死後硬直し始めた肉の引っかかりを感じた。火をかけた鍋のそばでは店主と料理女がしゃがんで頭を抱え、震えていた。
殺し屋は人差し指を口元に寄せて、シーッとなだめて、裏口から、倒れた警官をまたいで外に出た。
深夜のトゥ・ルームズ・ホテルのロビーは人気がない。喫茶店に客が何人か残っていた。
水兵服の少女が溶けたアイスをすくってはコーヒーに垂らしている。
殺し屋は同じテーブルにつき、煙草をつけた。
「きみがボス? 悪魔博士ってわけ?」
「違うよ」娼婦が言った。
「おれたちにはボスはいない。みんな対等だ」臓物屋の店主が言った。
「そもそも組織がないっす」ボーイが言った。
「つながりはない。ただ、名前を教えるだけ」床屋が言った。
「悪魔博士はいないかもしれない。いるかもしれない。いるとしたら——」牧師が言った。
「みんなが悪魔博士」水兵服の少女が言った。「でも、〈悪魔機械〉はいる」
水兵服の少女が殺し屋を指差した。
「機械みたいに正確に迅速に殺したね」
「ぼくは機械じゃない」
水兵服の少女がくすくす笑った。
「でも、スイッチがあるじゃないの」
「……」
「そのセーム革の手袋はどこで手に入れたの? それをはめたまま手を軽く握るのはいつからし始めたの?」
「ああ」
殺し屋は両手を包む、黄色いセーム革の手袋を見た。どこで買ったのか思い出せないが、それはもう考えなかった。
「そういうことか」
「そうそう。そういうこと」
「イヒヒヒヒヒ」
「キャハハハハハハ」
「ヒャハハハハハハハ」
あははははははっ!
殺し屋は笑った。心の底から笑った。
手を軽く握って拳をつくった。セーム革の手袋がキュッと鳴いた。気分が軽くなり——




