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別れの日




 アルゼスがラスルに殴られた翌日、カルサイトは予定よりも早く約束通り一人であばら屋に戻って来た。


 アルゼスの身を案じながら馬を走らせ急ぎ戻ったカルサイトは、目撃した二つの光景に驚き紫の瞳を見開く。


 まず始めに、カルサイトを目にしたラスルが笑顔で出迎えてくれた事に驚き、その姿が先日別れた時と異なっていた事に再度驚きつつも冷静に笑顔を返した。


 何処となく人と距離を保とうとしている節のあったラスルが、四六時中人と接する時間を持った事で表情を取り戻したのだ。

 いつも無表情だったラスルから向けられた笑顔で、カルサイトは少なくとも疎ましくは思われていないという事がわかって安堵し、同時に綺麗に身なりを整えたラスルの想像以上の可憐な美しさに驚嘆した。


 汚れてぐしゃぐしゃだった髪は綺麗に洗って櫛が通されているようだ。思ったよりも長さのあった黒髪は真っ直ぐに腰よりも下に伸びている。ちなみに今朝起きた時点でラスルの髪はかなり乱れており、それに櫛を通したのはアルゼスだ。その櫛すら置き場が分からなくなっており、探し出すのに相当な時間を要した。


 そしてもう一つカルサイトが驚いた光景―――くわを手にしたアルゼスが畑を耕していたのである。



 一見したカルサイトは幻覚を見ているのかと思った。


 何しろ一国の王子、それもスウェールの将来を担う王太子であるアルゼスが鍬を手に農作業……黒いローブに身を包み邪魔な袖をたくし上げている様を見て、アルゼスに心を寄せる姫君達が目にしたなら卒倒するだろうと思いながら、額に汗し一心不乱に鍬を振り下ろすアルゼスに歩み寄る。

 

 「これはいったい何の冗談ですか?」


 後ろからの掛け声にアルゼスの肩がびくりと震えた。いつもなら寝ていても気配を感じて目を覚ますアルゼスにしては珍しい事だ。


 「戻ったのか―――」


 額の汗を拭いながらちらりと一瞥しただけで視線を外したアルゼスの異変に、カルサイトは直ぐ様気付いた。アルゼスの左頬がほんのりと赤く腫れていたのだ。

 魔物に襲われた際の傷はラスルが全て魔法で治癒してくれていた筈で、先日別れた時にアルゼスの頬には腫れなどなかった。


 「殿下、それはどうなさいました?」


 鍬を手に畑を耕せるまで回復してくれたのは嬉しい限りだが、自分のいない間に何が起こったのかと腫れた頬が気になる。


 「ああ、何でもない。」

 「何でもないとは―――」


 言いかけて視線を彷徨わせるアルゼスの不審な動きにカルサイトは、後を付いて来ていたラスルを振り返った。


 「暇で死にそうだって言うから手伝ってもらってるの。さすがに王子様に死なれちゃ困るでしょ?」


 アルゼスが農作業に勤しむ理由を問われているのだと思ったラスルが説明する。

 その小さな白い手を見たカルサイトはもう一度アルゼスの頬の腫れを確認し、なる程と一人納得した。


 「確かに殿下に死なれては困りますね。」


 ラスルに対して優しい微笑みを浮かべたカルサイトだったが、次にアルゼスに視線を向けた時には微笑みに別の物を宿していた。


 「まさかスウェールの王子にあるまじき行いをしたのではないでしょうね?」

 「お前……目が笑ってないぞ。」

 「お答え頂きましょうか?」


 カルサイトの周囲で温度が下がった気がするのは気のせいではあるまい。

 これ以上はぐらかしても不興を買うだけだと感じたアルゼスは何もしていないと潔白を訴える。


 「彼女は命の恩人だぞ、俺だってそのくらい分かっている。誓って言うが手を出したりはしていない。」

 「では何故殴られたりするような事態に陥ったのです?」

 「それはまぁ……冗談が過ぎたと言うやつだ。」

 「何が冗談ですか。まったくあなたと言う人は―――」

 「ちょっと待てっ、俺は潔白だ。指一本触れていないのに説教させる謂われはないぞ。」


 アルゼスの訴えにもカルサイトの無言の追及は容赦がない。周囲には笑顔と共に冷たい冷気が立ち込めていた。


 幼少時代からアルゼスの友人として常に傍らで過ごして来たカルサイトには、過去から現在に至るまで全ての粗相のネタを掴まれている。

 本質は清廉潔白でアルゼスの為なら何の迷いもなく命を差し出す男だったが、その分王子としてあるまじき行為に及ぼうとするアルゼスに苦言を挟むのも何時しかカルサイトの役目となっていた。アルゼス自身そんなカルサイトに頭が上がらないのも手伝い、何事も見透かす様な紫の瞳に睨みつけられると、何も悪い事をしていなくても悪い事をしてしまったような気になるのは何故だろう?


 「ゆっ……指は触れたが手出ししていないのは本当だ。」

 「なる程。からかい半分に弄ぼうとした所を反撃に遭い、結果がこれ言う訳ですね。」


 カルサイトはアルゼスの腫れた頬ではなく手にする鍬を指差し、アルゼスはばつが悪そうに舌打ちする。


 「それにしても殿下が虚を付かれるなど珍しい事もあるものです。」


 見てみたかったですねと笑いを浮かべたカルサイトは一瞬真顔に戻ると、アルゼスにある言葉を耳打ちし、耕されたばかりの畑に種をまくラスルの方に歩み寄って行った。



 『フランユーロに動きがある模様です―――』

 

 耳打ちを受けたアルゼスの青い瞳が一瞬で鋭いものに変わる。

 

 また無駄な血を流す事になるのか―――

 アルゼスは手にした鍬を力任せに振り下ろした。 

 







 

 「多大な迷惑をかけて申し訳なかった。」


 頭を下げるカルサイトを、作業の手を止めたラスルは立ち上がって見上げる。


 「行くの?」


 何処となく寂しそうなラスルに心が痛むが、カルサイトやアルゼスにもやるべき事が目白押しだ。ここで無駄に時間を潰す訳にはいかない。


 「共に参るか?」


 命の恩人であるラスルには何らかの礼をしなければならないと思っていたし、スウェールの王子の命を救った以上、ラスルにもそれを受け取る義務も生じる。それにこれ程力の強い魔法使いを捨ておくというのも、スウェール王家に使える人間としては惜しい気持ちもあった。


 「行かない。わたしがいるべき場所はここだから―――」


 予想した答えに納得しカルサイトは頷く。


 「そうだな。君はここにいる方がいいのかもしれない。」


 魔物の巣くう森に一人寂しく隠れ住むラスルを連れ出したいとの思いはあったが、ここを出たとしてラスルが望む人生を歩める保証はないのだ。


 「ありがとう、君には本当に心から感謝している。」


 カルサイトは大きな手を差し出し握手を求め、ラスルもそれに小さな手を重ねた。


 「落ち着いたらまたここを訪ねても?」

 「かまわないよ。」


 約束が果たされる可能性は低いと思いながらもラスルは笑顔で頷く。

 細められた黒い瞳と柔らかに緩められたラスルの笑顔に、カルサイトはここを去るのが少々惜しくなったがそれもほんの僅かな事。すぐに気持ちを正し、後方より歩み寄って来るアルゼスに場所を譲った。





 「世話になった。願いがあれば申してみよ、何なりと叶えてやろう。」


 黒いローブに身を包んだまま「王子様」に変わったアルゼスにラスルは噴き出す。


 「なんだ、失礼な奴だな。」


 自分でも似合わないと思いつつ、アルゼスはラスルを急かした。


 「王侯貴族だけではなく、民がいつも笑って暮らせるような治世を築けるいい王様になって。」

 「私欲はないのか?」

 「う~ん……今度来た時また畑を耕してよ。」


 力のないラスルが耕すよりも初心者のアルゼスが耕した方が耕された土の深さが違う。


 「これは意外に重労働だったな。次回はカルサイトにも手伝わせるとしよう。」


 笑いながらアルゼスは右の小指に嵌めていた白金の指輪を外し、ラスルの右手を取って人指し指に嵌めた。

 煌びやかな宝石は付いていないが繊細な模様が施され、その中にはスウェール王家の紋章と、アルゼス自身の印が刻み込まれている。


 「困った事があれば訪ねて来るといい。」


 指輪をみつめるラスルにアルゼスアは、これを門番に見せれば城に入れてもらえると説明する。

 ラスルは慣れない指輪に違和感を覚えながら繊細な細工をみつめながら呟いた。


 「売ったらいくらになるかな……」

 「売るなよ……」


 冗談とも本気ともつかないラスルの呟きにアルゼスは苦笑いを漏らす。


 「冗談だって。こんな曰く付きの指輪、売ろうとしたら捕まっちゃうよ。」


 王家の紋章入りの指輪を売りに出した時点で何処で手に入れたという話になり、運が悪ければ首が飛ぶ。


 最後にアルゼスは子供にするようにラスルの頭をぽんぽんと優しく叩いた。


 「ちゃんと風呂に入れ。今度会った時に汚れ腐っていたらまた風呂に放り込むからな。」

 「あ~……努力するよ。」


 苦笑いを浮かべるラスルに笑顔を返すと、アルゼスは馬を集めているカルサイトの方へと向かって歩いた。


 その顔にはラスルに向けていた笑顔はなく、青い瞳は厳しさを宿している。


 「砦に向かう、城に戻るのはそれからだ。」 


 アルゼスの言葉にカルサイトは無言で頷いた。

 




 ラスルは馬を引き連れ森を去って行く二人を見送った。

 魔物との遭遇を心配したがアルゼスも完全に回復しているようだし、魔物ヒギの群れを倒したばかりなので力の強い魔物に出くわす確率は低いだろう。

 

 魔物に襲われる彼らを助けて今日で五日目、ほんの僅かな時間だったが久し振りに人の温もりに触れ、ラスルは避けていた人との交わりに恋しさを思い出し別れを寂しく感じていた。


 ラスルは服の上から左胸に刻まれた刻印に触れる。

 出会う事などないと思っていたスウェールの王子。ここで出会ったのは何かの運命なのだろうか?


 少しの不安を抱えながらも、ラスルは一人きりの日常に戻って行く。

 にぎやかだったあばら屋は静けさを取り戻し、ラスルは無言で種蒔きの続きに取り掛かった。





 

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