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愛しい人の




 戸惑いと喜びの後に訪れたのは不安だった。


 イスタークの言葉により身に宿る新し命の存在を知り、ラスルは絶望の狭間に湧いた光に深い喜びを感じる。子を宿したという事実よりも、己の肉体に宿るカルサイトの半身に感謝の念と温もりと、愛しい人が永遠に去ってしまったのではないという新たな想いに駆られたのだ。カルサイトがここにいてくれるという喜びと希望もあった。


 しかし、事実を受け止めるにつれラスルを新たな不安と悲しみが襲った。

 身に宿したカルサイトとの子をこの腕に抱く事が出来るのだろうかと。

 自分に残された時間が少ないというのは前々より承知で、誰よりも己の死を願っていたのはラスルだ。だが子を宿した現実がラスルの考えを大きく反転させていた。


 死にたくない―――生きて身に宿した子を抱き成長を見守って行きたい。

 両親の愛情を知らずに育ったラスルであったが、愛しい人の子を宿した事実が強烈な母性を齎した。しかしラスルの将来にその時間は存在しない。

 

 あれほどに渇望した死の瞬間。それが今になってこれほど避けたいものになり、醜くも生に縋りつくなどあまりにも身勝手すぎる。ラスルは未だに自身の存在が不幸を招く物と認識しており、それでも子を腕に抱き、カルサイトの分までも傍らで見守って行きたいと切望するのだ。自らを厭い、死を望むラスルを変えたのはカルサイトという、腹に宿した子の父親。

 


 だが現実はそう甘いものではなかった。

 どんなに望んでも死の瞬間が迫っているのは確実で、ラスルにそれを避ける術はない。どれほど己の境遇を嘆いたとて目の前の現実を変えることは不可能なのだ。


 それから数日間、ラスルは寝台に横たわるとこれからについて考えを巡らした。

 カルサイトが与えてくれた生まれ出る命に対してラスルが母として出来る事、すべき事を残された時間で全てやってのけなければならない。共に生きたいと嘆く時間があるなら、生まれて来る子の為に何が出来るかを考えてやるのが母親の仕事だ。自分が死んだ後生まれた子がどうなるのか、どの様な環境を与えてやれるかは母親であるラスルにかかっている。


 カルサイトへの想い、感傷に浸りながらも溢れる涙を拭い、ラスルは残された少ない時間全てを生まれて来る子の為に費やす決意をし、夜が明けたばかりの早朝、アルゼスを訪ねる為、彼がいるであろう執務室を目指した。
















 この王子はいったい何を言っているのだ―――?


 執務室にて、アルゼスから朝一番に発せられたあまりに馬鹿げた発言に、クレオンは腹の奥底から込み上げて来たもの全てを溜息に乗せ吐き出した。



 ラスルの妊娠―――それを知ったアルゼスは動揺し、錯乱でもしたのかありもしない事を口走ったのだ。


 「俺の……俺の子だ!」


 強い声色で発せられた言葉に、クレオンは主を前に何を馬鹿なと器用に片眉を上げ、妊娠を報告しに来たラスル自身も珍しく驚きの表情を浮かべ目を点にしている。



 何をおいてもラスルの力になる、それが愛した女性に対して出来る精一杯の事であり、命をかけてラスルを守り抜いたカルサイトに向けたアルゼスの誓いだった。

 しかし、それはアルゼスが心の内に宿す誓いであってクレオンが理解しなければならないものではない。

 クレオンは側近として当然の言葉をアルゼスに告げる。

 

 「殿下―――その様な荒唐無稽な話、現実にするなど無理にございます。」

 「何が荒唐無稽なものか。俺とラスルの間には伽を行った事実があるのだぞ?」


 自信満々に告げるアルゼスにクレオンはわざとらしく頭を抱えて見せた。

 過去にアルゼスがラスルを無理矢理私室に引きこんだ事を言っているのであるが、そんな事実は既にクレオンによって綺麗さっぱり揉み消し済みである。

 全く馬鹿らしいと、クレオンは冷ややかな視線をアルゼスに送りつけた。


 「何が事実です。何もなかったと、殿下自身がおっしゃられたではありませんか。」

 「有ったぞ、それが事実である限りそのように取り計らえ。」

 「殿下―――」


 それが当然の事であるかに腕を組み命令するアルゼスに、まったく馬鹿らしいとクレオンは再び溜息を落とした。


 「殿下が本気であるなら私も正直に申し上げます。私は殿下に忠誠を誓っておりますが、それは同時にスウェール王国国王となるべきアルゼス殿下に対してです。彼女の腹の子が殿下の御子であるならいざ知らず、実際はカルサイトの子であるのは火を見るよりも明らか。王家の血を引かぬ子を殿下の御子と認める訳には参りません。」

 

 あまりの馬鹿らしさに、座った目でアルゼスを見つめるラスルの態度が何よりの証拠だ。まがり間違っても腹の子がアルゼスの子である筈がない。

 ラスルがアルゼスを利用し、スウェール王妃の座を手に入れようと目論む様な女でなくて本当に良かったと、クレオンは心の内で安堵の息を吐いた。



 そんなラスルと反し、まるで正論のように煩くまくし立てる現実を見きれていないアルゼスにクレオンは頭を痛める。

 一度言い出したら引かない主だ。しかし王家の血を引かない子だと知りつつそれを認める事だけは、たとえアルゼスの命を懸けられたとしても認める訳にはいかない。それがクレオンの王家に対する忠誠でもあるし、そこまで考えるにはあまりにも馬鹿げたアルゼスの発言なのだから。

 

 「クレオン、いいかよく聞け。この俺が、俺の子だと宣言しているのだ。それに間違いがある筈ないだろう!」

 「殿下―――」


 自信満々に言い切るアルゼスに、クレオンは呆れ返って返す言葉を失った。

 事態を黙認し、ラスルから生まれた子をアルゼスの子だと宣言したとしよう。しかしそれが偽りであるのは誰の目にも明らかとなるのだ。


 ラスルが純血種の魔法使いであることは、髪と瞳の色が漆黒であるゆえに一目で理解できてしまう。それが混血となればけして黒の色を抱く事はなく、ラスルから生まれて来る子も当然黒髪黒眼では有り得ない。父親の色を引き継ぎ銀髪に紫の瞳である確率は高くなるだろう。

 対してアルゼスアは眩いばかりに淡い金髪に海のように深く青い瞳。さらに瞳を日の光にさらせば瑠璃色に輝くという珍しい色彩だ。ラスルとカルサイトの関係が周知の事実である現在、ラスルが生んだ子がカルサイトの血を引いていると思われるのはなんら不思議ではないが、それをアルゼスの子だと宣言してしまうには非常に無理がある。もしそんな事になれば周囲はラスルが魔力によってアルゼスを誑かし、いずれはスウェールをイジュトニアの配下にと望んでの策略と囁かれかねない。


 アルゼスの事だ、それが解らない訳でもあるまい。解っていて尚も本気で推し進めようとするなら、クレオンとしても不本意ながらそうなる前にラスルを排除してしまわなければならなくなってしまう。





 そんな二人の様子に行動を起こしたのは、黙って二人のやり取りを見守っていたラスルだった。


 ラスルは執務机の側にあるテーブルに置かれた水差しをおもむろに手に取ると、無言でアルゼスに歩み寄り、その頭上にて天地を引っくり返したのである。

 早朝である故に水差しの水は手付かずで、中には冷たい水がたっぷりと注がれている。

 それがひっくり返された事によって、冷水はアルゼスの頭上から全身を伝い、部屋一面に敷き詰められた毛足の長い豪華な絨毯に流れ落ち吸い取られて行った。


 暖炉では温かな火が燃え盛り部屋を暖めているとはいえ、真冬の早朝に井戸から汲まれた水は冷たい。


 頭から全身に冷や水を浴びせられたアルゼスは、驚きのあまり青い目を皿のようにして見開き、クレオンはラスルの奇行に目を点にして唖然としている。


 いったい何が起こったのだと、体に感じる水の冷たさにアルゼスは、まるでブリキ人形のように体をぎこちなく窮屈そうに直立不動状態でラスルに向き直った。


 「ラスル―――?」 

 「頭を冷やしてよく思い出せ、わたしには王子様と子作りした記憶は微塵もない。」

 

 全く馬鹿らしいと、ラスルは空の水差しをポイッと後ろに放り投げた。

 投げられた水差しはゴトリと鈍い音を立て落下するが、毛足の長い絨毯のお陰で割れる事無く無事だ。

 

 「いや……ラスル。しかし生まれて来る子には父親が必要だ。」

 「わたしには父も母もいなかった。そもそも王子様は父親と母親の手の内で育てられたのか?」


 違うだろうと投げかけられ、国王である父と王妃である母ではなく、直接は乳母の手で育てられた事実にアルゼスは返事に窮する。


 「それで―――頭が冷えて現実が見えて来たのなら本題に移りたいのだけど?」

 「いや、ラス―――」

 「そうですね、本題に移って頂きましょうか。」


 昨日まで部屋に籠り茫然自失で生きた屍の様だったラスルが突然生気を取り戻し、アルゼスを訪ねて執務室までやって来たのである。子供が出来た事を報告し、スウェールの王太子に水を浴びせる暴挙に出て終わりな訳がないだろう。クレオンとしてはその先を聞いてさっさと話しを終わりにしたい気持ちでいっぱいだった。

 恋にトチ狂った王子と話しをさせるより自分が間に入った方が早いと、クレオンは真冬にびしょ濡れのアルゼスを放ってラスルを急かす。


 「それで本題というのは?」

 「カルサイトの両親に会いたいの。」


 ラスルもアルゼスを蚊帳の外に話しを進め出した。

 

 「あなたの事ですから莫大な遺産を狙ってという事はあり得ないでしょうが……子を盾に何をされるおつもりです。」

 「カルサイトを産み育てたご両親の人柄を信じて、生まれて来る子を預けたいと思ってる。」

 「母親でしょう、自分で育てる選択はないのですか?」

 「―――産んでも、抱けるかどうか解らない。」


 ラスルはぐっと拳を握ると耐える様に奥歯を噛み締め、クレオンは黙ってその様子を見守った。

 

 「出産は可能だけど、その後の命は大してもたない。だから子供を育ててくれる人が必要なの。」


 冷や水を浴びせられた衝撃でこれまで黙っていたアルゼスが、ラスルの言葉にびしょ濡れのまま飛びついて来た。

 

 「何を言っている、そう易々とお前を死なせたりはしないと言っただろう?!」

 「漠然とした物じゃなく現実に迫ってるの。時間がないからこうやってカルサイトの両親に会わせて欲しいってお願に来てるんじゃない。」

 「もし、もし万一お前にその日が来るのだとしても……生まれる子の面倒は俺に任せておけばいいではないか!」

 「馬鹿を言わないで、あなたは王子様なのよ。他人の子をどうこうする前にやるべき事があるでしょう?!」


 全くだとクレオンはラスルの言葉に同調し、腕を組んでうんうんと頷く。

 アルゼスはただの王子ではなく世継ぎとしてこの世に生を受けた王子なのだ。そのアルゼスが臣下とはいえ、否、臣下だからこそ一人の人物に対して執着し、己の欲の赴くままに特別扱いをしてよい訳がない。

 普段はスウェールの王太子として申し分ない行動を取れるアルゼスだが、ラスルが関わるとどうも自制がきかなくなるらしい。何事にも型にはまり人間味がないのでは面白くもなんともないが、初めて恋心を抱いた相手とはいえ、今のアルゼスはあまりにも王子としての責務と常識を逸脱し過ぎていた。



 「王子様の想いには本当に感謝するわ、ありがとう。」


 クレオンの言葉に耳は貸さずともラスルには貸せるようで、アルゼスはラスルに正面から瞳を覗きこまれ、まるで囚われたように固まってしまった。

 ラスルは今までにない優しい瞳でアルゼスを見上げている。


 「でもね、あなたが王子様である限りこの件に関しては縋れないの。あなたはいずれこの国を背負って行くべき人。他人の子に心の内で思い入れするだけならいざ知らず、特別扱い……まして自分の子だとか血迷った発言だけは何があってもするべきではないわ。生まれる子は魔法使いの血を引くせいで拒絶されるかもしれないけど、カルサイトのご両親にこの子の存在は知ってもらいたいし、何よりも彼のご両親に託すのが一番だと思ってる。」

 

 「しかし―――っ」


 それでも反論するかに口を開くアルゼスの言葉を、ラスルは人さし指でそっと制する。冷たいラスルの指先がアルゼスの唇に触れた。


 「お願い王子様。この子をカルサイトの……愛した人の子として産ませて。」


 側で支え続けてくれた愛しい人の子だ。

 何偽る事無く、愛しい人の子として生を受けさせて欲しい。


 ラスルの願いに流石のアルゼスも返せる言葉の全てを失い、黙って頷くほかなくなってしまった。






 

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