表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/45

悲しみと驕り




 野営地に設けられた天幕の中。暗く寒い天幕の中には、所狭しと戦死した兵士・騎士の遺体が魔法による防腐処理を施され安置されていた。



 その天幕の中に生ける人間が一人。

 血を吸って重くなった漆黒のローブに身を纏い、寒さの中にあっても普段は白い肌をほんのりと赤く染め、温もりを持たない遺体に囲まれながら場違いな体温を発するラスルの姿。

 漆黒の瞳は悲しみと熱のせいで赤く艶やかに濡れていた。

 

 骨が露出する程に肉が抉れた右腕の治療が遅れたせいで、ラスルは三日三晩高熱にうなされた。

 高熱のせいで幾度となく意識を失い仮設の寝台に横たえられながらも、僅かに意識を取り戻すと、朦朧とした状態で遺体の安置される天幕へと足を運ぶ。息絶えた肉体からは気配も何もかもが失われていたが、ラスルは的確にその場所を目指すと、横たえられた冷たい遺体に頬を寄せ、熱い指先で精気の失われたカルサイトの頬を撫でた。



 何故カルサイトが死んでしまったのか。

 その全てが自分のせいであると思えてならないし、現実にそうなのだという思いは拭いきれない。だがカルサイトが最後に口にした言葉が、ラスルにそれを認める事を躊躇させていた。


 イジュトニアの魔法使いを相手に二度もラスルを庇い、最後の最後で倒れた。

 絶大で完全なる魔力に剣一本で挑み倒した功績は大きかったが、その代償もあまりにも大きい。人一人の命がこれほど重く、儚く感じたのは初めてだった。


 愛する者に先立たれ、残された者が受ける悲しみ。

 知ってはいたが―――たった一人の味方であった祖父が死んだ時とは比べ物にならない悲しみと孤独感がラスルを襲う。

 愛する者へ向ける感情が違い過ぎたのだ。

 本来なら自分がカルサイトを置いて先立つ筈だった。心が引き裂かれ、右も左も分からない彷徨える現状。失った悲しみは例えようがない。とにかく苦しくて悲しくて、思いのやり場がなく辛いのだ。

 もしかしたら再び瞼を開いてくれるのではという期待が心にあり、氷のように冷たくなった血の通わぬ体に己の体温を分け与えるかに縋る。けれど応えるものは欠片もなかった。

 

 何も言えない、何も出来ない―――どうすればいいのか分からない。

 今直ぐカルサイトを追って死んでしまいたいけれど、どうすれば死ねるのかすら解らなかった。

 悲しみと共に有るのは何処までも続く果てしなく深い後悔だ。


 


 「ラスル―――」


 戸惑いかけられたアルゼスの声にすら反応できない。息をしないカルサイトの胸に頬を寄せるラスルの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。


 やり切れない思いを抱え、アルゼスは傍らに膝を付きラスルの頭を撫でる。アルゼスとてカルサイトの死を現実の物と理解できずにいた。


 幼い頃より共に育ち、友であり好敵手。誰よりも心が許せ信頼できる相手であった。実戦を知る仲として、剣の訓練ではアルゼスが王子だからと手を抜いた例が無い。全力でぶつかり鍛え上げなければ戦場で危険になるのはアルゼスであると知っているからだ。だからこそ知るカルサイトの実力。

 そのカルサイトが息絶える日が来るなどと、アルゼスはただの一度も想像した事が無かった。しかし現実に体温を失い、二度と目を開く事のない友が愛した女性に縋られ横たわっている。



 何故お前が―――


 現実が受け止めきれずにアルゼスも何故という思いを抱く。

 純血種であり圧倒的力を宿すイジュトニアの魔法使いを相手に、剣一本で戦い無事でいられる訳がない。それでもカルサイトなら大丈夫だという思いがいまだに消えないのだ。


 それに―――アルゼスは悲しみに暮れるラスルに視線を向ける。


 カルサイトがラスルを残して死んでしまうなど絶対にあってはいけないのだと―――これからいったいどうすればいいのかと―――アルゼスはラスルをカルサイトの代わりに守ってやらなければと思いはするが、それが実は邪まな気持ちではないのかと自問自答し不安に駆られてしまう。けしてそうではないのに、戻って来いと叫びたいのに叫べない。戻ってこないなら奪ってしまうぞと脅しても叶わない願いだ。

 確かにラスルに対する気持ちはあるが、カルサイトを失ってしまったからこそ二度と想いを表に現す事が出来なくなってしまった。


 (何故ラスルを残して行くのだ?!)

 

 責めれば再び目を開けるのではないのかと、非現実的な有り得もしない奇跡を期待してしまう。

 

 慰め、慰められる様にラスルの頭を撫でていると、まるで独り言のようにラスルが呟いた。


 

 「何も―――何も伝えてないのに―――」


 擦れた、今にも消え入りそうな声だが、死体ばかりが並ぶ静寂の中でその声は十分にアルゼスの耳に届く。


 「好きなのに、愛しているのに……それなのに怖くて、一度も愛しているって言えなかった。本当の事も何一つ伝えられなかった。偽り続けて―――わざと傷つけた。なのにカルサイトは愛してくれて―――本当は嬉しかった筈なのに―――全部自分でぶち壊して。」


 ぽつりぽつりと呟かれる言葉は、言葉を紡ぎながらラスルが己の心に気付いて行く心情だ。失って初めて気付かされたカルサイトの存在とその大きさ。正直に口に出来なかった後悔がひたすら押し寄せる。


 「今更言ってももう聞こえない、届かないの。愛してるって……貴方と一緒に生きて行きたいって。本当の気持ちをどうして口にしなかったのか後悔ばかり―――」


 初雪のちらつく森でプロポーズされた時も驚きと後ろ向きな考えが支配し答えを出せなかった。

 本当ならすぐに断っていた筈だけれど、自分に起きないと決めつけていた出来事に驚き、その驚きの間に喜びを感じて噛み締めていたのかもしれない。

 近い将来命が尽き、自分が死ぬ事ばかり考えていたから―――何一つ素直になれなかった。


 「大好きだよ。愛してるの。嬉しかったのに―――一度でいいの、お願いだからもう一度だけ目を開けて―――」


 ラスルは無表情のまま、ぽろぽろと涙を流し続ける。

 カルサイトの亡き骸に告白するラスルを、アルゼスはただ沈痛な面持ちで見守り続けた。













 翌朝隊は都に向かって帰路を取る。

 損傷の少ない遺体は防腐処理が施され家族に返されるが、損傷が激し過ぎる遺体はこの地に埋葬された。敵国の兵士達も同様、異国となるスウェールで永遠の眠りに付く。


 フランユーロ国王グローグの首が落ちたとによりスウェールの勝利は確定したが、それでもまだフランユーロとの小競り合いは続いている。しかし統率者を失ったフランユーロが完全に落ちるのは時間の問題で、既に戦意喪失し、勝手に戦いを止めるフランユーロ兵も多かった。これ以上王太子であるアルゼスがこの地に留まり指揮を執るまでもない。


 グローグ王の首を取ったザイガドは何時の間にか姿を消していた。無条件で信頼のおける輩ではないが疑いの念を持っている訳でもない。ほとぼりが冷めた頃にでも現れ報奨を要求して来るだろうと、アルゼスはザイガドに対してその程度に考えていたし、気に食わない相手だがザイガドのお陰でアルゼスが命拾いしたのも確かだ。



 安置される遺体の天幕にラスルを残して行く訳にもいかない。天幕を出る際アルゼスがラスルの手を引くと、意外にもラスルは抗う事なく素直に従った。

 眠りにでも付かない限りカルサイトの傍らを離れる事のなかったラスルにしては大きな進歩だ。カルサイトの死を受け入れたのかもしれないし、気持ちを言葉に出した事で少しばかり前に進んだのかもしれない。どちらかというと、アルゼスの方がカルサイトの死という現実に付いて行けていないのではないかとすら感じていた。


 ずっと食事をしていないラスルの腕は更に細くなった気がした。天幕を出るために手を引くが、それすら重みを感じない。

 天幕を出た所で一人の女が寄ってくる。

 女はラスルの前で立ち止まると間髪いれずに右手を振り上げ、ラスルの頬を力任せに平手で殴りつけた。

 

 「ユイリィっ!」


 殴られた拍子で身体をよろめかせたラスルをアルゼスが支え、女を睨みつけると叱咤の声を上げる。

 普段は整い美しいばかりのユイリィだったが、目を吊り上げ血走らせてラスルを睨みつける様は何かに取りつかれた様な凄まじい形相だった。

 

 アルゼスの言葉も届いていないのか、ユイリィは更にラスルに掴みかかろうと飛びかかってくる。それをアルゼスが庇いラスルごとかわすと、ユイリィを追って来た魔法使いが慌てて後ろから拘束してユイリィの動きを止めた。ユイリィは拘束されたことで離せと暴れながらラスルに罵声を浴びせる。


 「この女がいたせいでカルサイトが死んだのよっ。この女さえいなければカルサイトは死なずにすんだ筈なのにっ……お前さえ、お前さえいなければっ。男に興味がなさそうにすました顔しておきながら、何でもない振りして近付いて誑かす女が一番厄介でムカつくわ。お前の様な悪しき存在が全ての不幸を齎した根源なのよっ!!」


 ユイリィは嫉妬以外の何物でもない罵声を吐きながら、アルゼスごしにラスルに殴りかかろうとする。

 嫉妬と怒りのあまり王太子たるアルゼスの存在が見えていないのか。あまりの愚行にユイリィを止める仲間の魔法使いも必死だった。

 怒り狂うユイリィだったが、彼女自身シヴァの攻撃をまともに受け大怪我を追っていた。怪我は癒しの魔法で完治していたが、体そのものは受けたダメージから回復しきれていない。叫び暴れるあまり酸欠状態に陥りよろよろとその場にへたり込んだ。

 

 ユイリィの罵声を聞き付け足を止めた者らが遠巻きに様子を窺っている。アルゼスは地面に座り込み、肩で大きく息をするユイリィに向かって高い位置から冷ややかな視線を送った。

 

 「お前にラスルを非難する権利があるのか?」


 アルゼスの威圧するように冷たく突き放す重い声色に、ユイリィの体がビクリと震える。

 スウェールにおいて魔法とは、天からの恵みを受けた者にだけ許される才能だ。魔法使いは常に羨望の眼差しを受け、その希少性から上下関係はあるにしろ王家一族ですら彼らを本気で怒らせる様な事はしない。一国を守る大きな戦力として囲われる代わりにあらゆる特権が許される―――魔法使いはそういう扱いを受けて当然で、ユイリィも自分はそれに相応しい特別な存在と自負していた。

 だからこそ自分に向けられたまるで厳罰を下されるかの声に驚き、汚らわしい物でも見るかのアルゼスの視線が理解できずユイリィは怪訝に眉間に皺を寄せる。


 軽蔑の眼差し―――

 向けた事はあっても向けられた事などただの一度もない。


 「お前は敵国の魔法使いと対峙するラスルに拘束の魔法をかけ、ラスルはそのせいで命を危険に曝す事態に陥った。」


 これをどう説明するのだとアルゼスは冷ややかにユイリィに告げる。

 多くの負傷者を招き、多大なる損害を被った。一歩間違えば国が滅びた事態に、事の次第を目撃した者からアルゼスの耳に入れられたのだ。

 それでもユイリィが貴重な魔法使いだからという理由だけで、他の騎士兵士なら厳罰に処さねばならない所を報告を受けるだけに終わっていた。事実をアルゼスの耳に入れた者もユイリィが罰を受ける事はないと知っていたからこそ、告げ口の様だと迷いながらも報告だけはしたのだ。

 だがアルゼスは、この特別扱いこそがそもそもの間違いだと今更ながらに悔いる。


 「お前達がイジュトニアの魔法使いに抱く嫌悪は理解できないが、それについてとやかく意見するつもりはない。だが敵国に味方する魔法使いに我が軍が、お前達が束になってすら太刀打ちできないと身をもって知りながら、唯一の戦力であるラスルの動きを封じるとは何事だ。カルサイトが死んだのはラスルのせいだと? 笑わせるな。ラスルが動きを封じられたからこそカルサイトが守りに向かったのではないのか? 戦場での死を誰かのせいにするつもりはないがユイリィ、己の仕出かした罪をよく考えてから物を言うのだな。」


 アルゼスの言葉を黙って聞いていたユイリィはその一言で目を見開く。

 誇りと自尊心を傷つけられ、相手が王太子であっても一向に構わないとばかりにユイリィは口を開いた。

 

 「考えてから物を言うのは殿下の方です。ええそうよ、確かにわたしがこの女の動きを封じた。でもそれが何? カルサイトがこの女の元へ走ったのは、この女の掌でいい様に弄ばれていたせい。この女さえいなければ彼が死ぬ事だけは無かった。それ所か、一歩間違えば死んでいたのは殿下ご自身であったかも知れないのですよ?!」

 「止めろユイリィ、殿下の御前で見苦しいぞ!」


 申し訳ありませんと、ユイリィを拘束する魔法使いが代わりに頭を下げるが、再び火のついたユイリィは止まらない。


 「何が見苦しいよ、この女が邪魔なのはあんた達だって同じじゃない。カルサイトばかりか殿下まで……事もあろうにわたし達まほうつかいの中にもこの女に誑かされてる輩がいるってのに黙ってられないわ!!」

 

 周りが全く見えずに喚き散らすばかりのユイリィを、一方のアルゼスは冷ややかな常に冷静に見下ろす。その突き刺す様な視線にユイリィが気付いた所でアルゼスは、言葉に感情を交えず冷たく言い放った。


 「お前への処分は都に戻り次第決定を下す。今回は魔法使いだからという特例を交えるつもりはない。国家反逆罪に等しいお前の行に厳罰が下るものと覚悟しておけ。」


 アルゼスはこれ見よがしにラスルの肩に腕を回し抱き寄せると、まるで壊れものでも扱う様に、大切に優しく労わりながらラスルを連れてユイリィの前から立ち去って行った。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ