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のどかな光景



 耐えがたい悪臭と人知を超えた異質な味のする薬のお陰で、意識を失っていたアルゼスが目を覚ましたのは翌朝。やはり体の方が本調子でない分、意識を失ったと同時に深い眠りについてしまった様である。


 前日はアルゼスにつきっきりで寝ずの番をしていたカルサイトも、アルゼスが目を覚ましたとなるとほっとして身体を休める気持ちになり、勧められるままラスルの祖父が使用していたという寝台を借りる事となった。

 家の持ち主でもあるラスルは、薬売りに出る時に使う寝袋を持ち出して床に寝ると言うのでカルサイトが慌ててそれを使うと進言したが、ラスルは慣れてるから気にするなと言うとさっさと寝袋に入ってしまい、仕方なくカルサイトは寝台を使わせてもらう。不思議な雰囲気を持ったラスルに主導権を握られてしまっていた。


 翌朝目覚めるとカルサイトは黒いローブから乾いた騎士の制服に身を包み、アルゼスの無事を知らせる為に西の砦に向かう事を告げる。


 自分も行くからその必要はないと言い張るアルゼスだったが、立って歩くのさえままならない状態では馬に跨り危険な森を抜けるのは無理だ。だからとてスウェールの第一王子であるアルゼスの無事を報告しない訳にはいかず、カルサイトはアルゼスを何とか説得すると愛馬に跨った。


 「アルゼス殿下を頼む。」


 馬上のカルサイトを不安気に見上げるラスルに頭を下げた。


 「王子様の事はちゃんと見るから約束して欲しい事があるの。」

 「約束?」

 「この場所は誰にも知られたくないの。だから戻って来る時はあなた一人で王子様を迎えに来て。」


 居所が知れたからといって魔物が巣くう森にあるこの場所を好んで訪れる者などそうはいまい。だがラスルは一人暮らしの若い娘だ。しかもまともにしているならかなりの美少女と見受けられる。髪は手入れもされずぼさぼさで肌も汚れていたが、それは単にずぼらなだけではなく身を守る為でもあるのだろうとカルサイトは勝手に推察していた。


 獰猛な魔物よりも人を恐れるというのも何だが、下手に周囲に知れて恩人の身を危険に曝す訳にはいかない。

 カルサイトはラスルの言葉に頷くと、あばら屋を支える外柱に体を預け、腕組してこちらを窺っているアルゼスに目礼してから馬を馳せた。

 

 城に戻るよりも砦に向かい状況を説明して伝令を立てる事にしたのは、アルゼスを森に残して行くことへの不安からだ。

 ここから城まで戻るとしたら早くても七日はかかる。砦までなら往復でも三日で戻って来れるだろう。アルゼスの性格からすると少しでも身体が回復してしまえば勝手に馬に跨り行動を起こしかねない。何しろあばら屋の周囲にはラスルが集めて来た馬が何頭も繋がれているのだ。奇跡的に繋ぎ止めた大事な命を無理して馬に跨り、更に危険に曝されてはたまったものではなかった。




 森に消えたカルサイトを見送るとラスルは重い気持ちでアルゼスに振り返った。自ら手を出したとはいえ一国の王子を相手にしなければならないと言うのは少々……かなり気が重い。まぁ約束もある事だからちゃんと面倒をみる気持ちはあるが、スウェールの王子と二人きりになるなら眠ってくれていた方が正直有り難かった。


 目が合った途端アルゼスがにっと笑う。

 肩に付くか付かないかという長さの淡い金髪が陽の光を受けきらきらと輝いている。瞳は深い海を思わせる碧眼だったが、今は光を浴びた虹彩が僅かに紫を帯び瑠璃色に変わっていた。


 不思議な色だなと見上げているとアルゼスが更に口角を上げる。


 「珍しい物でも見つけたか?」


 カルサイトも綺麗な顔立ちをしていたが流石と言うべきなのか。一国の王子と言うだけあってアルゼスもカルサイトに負けず劣らず整った容姿をしていた。


 「綺麗な目だね。」

 「あ?」


 皮肉でも降って来るのかと思ったら意外にも賞賛され、アルゼスは肩すかしをくらった様な気分になった。


 「お前はイジュトニアの人間らしいな?」


 ラスルに関する情報はカルサイトから聞かされていたので、魔物を一撃で倒した力やアルゼスの抉れた内臓を再生させた強力な治癒魔法の力も事もイジュトニアの魔法使いなら納得出来る話だ。一つ疑問に感じるのは、これ程の力の魔法使いが何故スウェールの森の奥でひっそりと暮らしているのかという事だろう。


 「それ程の力があるならイジュトニアの魔法師団に入ってもかなりの地位が築けるだろう。それなのに何故こんな魔物の巣くう森に隠れ住んでいる?」


 単刀直入な質問にラスルは息を呑んだ。生まれながらに権力を手にしていた者は人に命令する事に慣れ遠慮を知らない。普通なら何か聞いてはいけない事があるのではと察して、聞くにしてももう少し相手を知ってから質問したりするものだが、アルゼスの様な地位にある人間はそんな配慮は持ち合わせていないのだ。


 「争いの中に身を置きたくない、それだけよ。」


 嘘を付いたら見抜かれそうだったので一部の真実だけを述べると、アルゼスは「ふ~ん」と大して気のない返事を返した。


 ラスルはアルゼスの横を通り過ぎて薄暗い屋内に入ると、祖父の使用していた黒いローブを手に戻りアルゼスに差し出す。


 「服、洗うから着替えて。」


 アルゼスが身に付けているのはカルサイトが着ていた黒い騎士の制服とは異なり、形は同じ様なものでも色は白を基調とした丈の長い上着を着ていた。そのため茶色に変色した血や魔物の体液が付着した跡が目立って仕方がない。今から洗っても染みを作ってしまうだろうが、どのみち一部分は魔物の爪で破られているのだ。この場凌ぎでみすぼらしいローブ姿になったとて誰も咎める者などいない。


 「手伝ってもらえると有り難いのだか?」


 そう言って突然向けられた輝かんばかりの笑顔にラスルは頬を引き攣らせた。


 「普通の女ならここで頬を染めてぽ~っとなる所だぞ。」


 柱に身体を預けたまま腕を組んで白い歯を見せるアルゼスに、ラスルは明らまさに溜息を落とす。


 「失礼なやつだな、これでも俺は女にもてるんだぞ。」

 「……でしょうね。」


 だから何なんだ。

 ラスルは答えようがないまま引き攣った笑いを浮かべる。


 確かにアルゼスは見目麗しい貴公子であり、大国スウェールの次期国王となる身分にある人間だ。たとえ性格に多大なる欠陥があったとしても、相手がアルザスならもててもてて仕方がないだろう。


 自信満々に笑顔を浮かべるアルゼスを前にし、ラスルは初めて苦手なタイプと言える存在に出会った気がした。


 「そんな事どうでもいいから早く着替えてよ。」


 ラスルが手にしたローブを押し付けると、アルゼスは心から意外そうな表情を浮かべる。


 「手伝ってくれないのか?」

 「―――本気で言ってるの?」


 着替えが済むまではその場を離れていようと歩き出したラスルは立ち止ると、珍しい物でも見る様な目でアルゼスを見上げた。


 「だって俺怪我人。」

 「痛みが残る様な治療はしてないけど?」

 「頭がふらつく。」


 倒れたら厄介だなぁ~とわざとらしく額を押さえて演技するアルゼスに、ラスルは再び溜息を落とした。


 「―――造血剤作って来る。」

 「いや、俺が悪かった。」


 さすがにあれはもう勘弁願いたい。

 アルゼスは素直に着替えると汚れた衣類をラスルに渡した。

 





 ラスルが洗濯を済ませ戻って来るとアルゼスの姿が見えなかったが、ショムの木に繋いである馬の数を確認すると減ってはいなかったのでカルサイトの後を追った訳ではないと分かりほっとする。

 家の中で大人しくしてくれているのだろうか?

 それなら有り難いがと思いながら濡れた服を干してあばら屋の中に足を踏み入れると、中にいると思っていたアルゼスの姿は見当たらなかった。

 傷は完全に癒えていたが、極度の貧血でふらつく状態ではまともに歩ける訳がない。そう決めつけ安心していただけに不安が過る。

 あの状態でで出歩いてどこかで倒れられでもしていたら―――カルサイトに任されたばかりだと言うのに何て事だろう。貴人の面倒なんて厄介すぎると慌てて外に飛び出そうとすると、さっぱりした顔のアルゼスが戸口に立っているではないか。陽射しを背にしたアルゼスは髪を濡らし、滴る水滴が黒いローブに伝い落ちている。


 「何処に行ってたの?!」

 「何処って―――風呂?」

 「風呂?」


 ラスルはアルゼスをぽかんと見上げる。


 「わたし教えたっけ?」


 記憶にないのだが。


 「カルサイトに聞いていたんでな。お前は入らないのか?」


 薄汚れているぞと無遠慮に笑いながらアルゼスはあばら屋に入り込んだ。


 薬の効果もあるとはいえ何て回復力だろうとすれ違うアルゼスを視線で負う。ふらつきながら歩いているものの、一人で温泉まで行って無事に入浴を済ませ戻って来たアルゼスにラスルは驚嘆した。見かけは無駄なく筋肉は付いてはいるものの、鍛え上げられた屈強な戦士が持つような肉体ではない。どちらかというと細身で繊細な印象を受ける。そんな体の何処にこれ程の回復力が備わっているのだろうと不思議に思いつつも、ラスルはアルゼスを追って家の中に戻った。

 

 タオルも持たずに温泉に入り濡れたままローブを着こんだのだろう。黒のローブなど陽射しで直ぐに乾きはするが、綺麗に洗われた髪はずぶ濡れのままだ。ラスルがタオルを差し出すとアルゼスはそれで頭をぐしゃぐしゃと拭いた。


 これから薬草を集めに森に入ろうと思っていたが、勝手気ままに歩き出してどこかに行ってしまいそうなアルゼスから目を離すのは危険なような気がして、ラスルは仕方なく行商用の薬を作る事にする。壺に保存している乾燥させた葉を取り出し、すり鉢で磨り潰しては適量を紙に包んでいく。アルゼスはラスルの向かいに腰を下ろしてその様子をじっと見つめていた。


 「それは何の薬だ?」


 自分が飲まされるのかと思っていたがそうではない事が分かると、特に興味もなかったがする事もないので取り合えず質問してみる。


 「子供用の解熱剤。」

 「ふ~ん。」


 薬包紙に包まれた薬を一つ摘んで持ち上げてみる。


 「これを売りに街へ行く訳か?」

 「冬になると熱を出す子供が増えるからたくさん作って売るの。」


 そう言ったものの解熱用の薬草は今が採取時期の為、その作業も直ぐに終了してしまう。ラスルはすり鉢を片付けると次は農作業に入るため外に出る。すると当然の様にアルゼスも後に付いて来た。


 「寝てていいよ?」

 「さすがに寝過ぎて眠れん。」


 そう言うとアルゼスはショムの木陰に腰を下ろして、畑に入り豆を採取し始めたラスルの姿をぼんやりと目で追っていたが、単調な作業を眺めていても退屈でしかたがない。


 「何か面白い話はないのか?」

 「ないよ。」

 「即答か。」


 アルゼスはごろんと地面に横になると差し込む木漏れ日に目を細めた。



 いつもは政務に追われながらも開いた時間で剣の訓練に興じている。華やかな王宮内では時折催される宴に出席し、気にいった女がいれば適当な距離をもちながら楽しみもしたし、王宮という閉鎖された空間に嫌気がさしてくれば粗末な衣服に身を包み街に出て遊びもした。


 そんな生活の中で、数年前まで続いていたフランユーロとの戦いの後に作られた国境付近にある西の砦に向かうのは、兵の士気を高める以上にアルゼスにとっては息抜きに近い娯楽の様なものだったのだ。

 年に二度程目指した砦。

 慣れた道程の筈が道を外れ魔物の襲撃を受け、多くの貴重な逸材を失ってしまった。カルサイトが集める事が出来た遺品も剣だけで、帰城した後は残された遺族に対しそれなりの対処もしなくてはならないだろう。王太子であるアルゼスを守って命を落としたというのは誉れ高い事ではあるが、残された家族の心境を思うと胸が突かれる。魔物に食い尽され縋る遺体もないというのは辛いものだ。アルゼス自身はフランユーロとの戦争で親兄弟を失う事はなかったが、懇意にしていた者達を数多く失った。その殆どが遺体にすら対面する間もなかっただけに、彼らがいないという事に実感が生まれない日々が続いたものだ。

 


 アルゼスが感傷に浸っていると木漏れ日を遮り黒い影が差す。


 「暇そうだね?」


 黒曜石のような輝きを帯びた漆黒の瞳がアルゼスを見下ろしていた。


 「暇で死にそうだ。」


 ふっと笑ってアルゼスが身を起こすとラスルは隣に腰を落ち着け、籠いっぱいに溢れそうな豆と空の大きな木椀を二人の前に置いた。


 「豆むきやった事ある?」

 「……恐らくないと思うが?」


 アルゼスは豆むきという言葉を知らなかった。

 そんなアルゼスにラスルは豆を一つ取ると指で押して殻を破り、中に覗く小さな豆を指でなぞって木椀に落とす。

 木椀の中にはアルゼスも口にした事のある、指先程度の大きさの丸い緑の豆が現れた。


 「分かった?」

 「俺にやれと言うのか?」

 「暇なんでしょ。王子様は普段こんな事やらないものかもしれないけど、経験としてやってみてもいいんじゃない?」


 ラスルの言葉にアルゼスは殻に包まれた豆を手に取ってじっと眺める。作業を続けるラスルの手元を見ながら同じ様に殻を押して破ると、力を入れ過ぎた様で中の豆が飛び出しラスルの頬に当って撥ねた。


 「すまん……」


 心配そうに覗き込むアルゼスにラスルは笑って返す。誰でも初めてはこんなものだろう。


 「平気よ。」

 「お前は痛みに強いな。」


 関節を外した時も、入れた時すら悲鳴一つ上げなかった。


 「ああ、あれは痛かった。でも豆は痛くない。」


 そう言って作業を続けるラスルに習い、アルゼスは慎重に殻を潰して豆を取り出す。続けるうちに慣れて来て上手くできるようになったが、指先に集中するうち適度に疲れ、木漏れ日の心地よい温もりも手伝い睡魔が襲って来た。


 「すまんが少し眠ってもいいか?」

 「いいよ、後はわたし一人でやるからゆっくり休んで。」


 一人で出歩ける体力には驚かされたが貧血であるには変わりないので、本当なら寝台に縛り付けておきたい程だった。

 するとあばら屋に戻ると思っていたアルゼスは、その場に横たわるとラスルの膝に頭を置いてしまう。


 「あのっ……?」


 ラスルは剥きかけの豆を手にしたまま驚きに目を見開いた。対してアルゼスはラスルの膝に頭を乗せたまま目をつぶって畑の方を向いてしまう。


 「動く時は起こしてくれて構わない。」


 これは俗に言う膝枕というものか?

 初めての経験にこそばゆい感じを受けながらも、相手は病人だしどうせ座っての作業だからまぁいいかと思い、ラスルは手にした豆を弾いた。

  

 

 

 




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