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懇願



 漆黒のローブに身を包んだ魔法使い。その狂った魔法使いに対峙するラスルを目にした時、アルゼスは今すぐにでも駆けつけたい衝動に駆られ、声を張り上げ名を叫んでいた。


 『来るな―――!』


 叫び返されたが、駆けつけたくともアルゼスが対峙する相手はそうはさせてくれない。

 アルゼスの前に立ち塞がるのは、漆黒の強靭な軍馬に跨るフランユーロの王グローグ。

 齢六十を迎えた王は年に似合わず雄々しく、大ぶりの剣を容易く扱いこなし経験の差がある若いアルゼスの動きを封じて翻弄して来る。

 事実大将戦、ここで落ちた方の負けだ。

 

 経験と体格差はあるものの、アルゼスとて剣技においては全く引けを取らない。騎乗での戦いで押されているのも、その原因はラスルを気にするあまり戦いに集中できていないアルゼス自身にあったが、そんな状態も長くは続かなかった。

 互いの相手は一人ではなく、敵国の騎士が将を守りに次々と現れ戦いに乱入して来る。


 これは訓練でも試合でもない、命の飛び交う戦場なのだ。

 一対一の戦いの場ではなく、どんな汚い手を使っても許される場所。美辞麗句を並べようと死んで国を取られたら終わり。命をかける以上騎士道に則り誠心誠意戦うのは常だが、そうは言っていられない時という物が現実にはある。



 飛び交う鮮血。倒れた屍を構う事無く踏みつけ戦いは続く。

 重い甲冑を纏っているお陰で傷は少ないが、その分動きは鈍る。


 グローグ王の剣により叩きつけられたアルゼスは、身を守る甲冑の重さと叩きつけられた勢いに負け、何とか体勢を持ちこたえさせようと強く手綱を引いたものの落馬し、馬ごと地面に転げ落ちた。

 その拍子に頭を守る兜が飛び、眩いばかりの淡い金髪が現れる。熱い頬に冷たい雪が触れたがそれに気付く余裕など微塵もなかった。


 直ぐ様体勢を立て直そうとしたアルゼスであったが、共に倒れた馬体に片足が挟まれている事に気付く。馬は足を折ったのか悶えるばかりで一向に立ちあがる気配を見せず、倒れたアルゼスの目前に軍馬の太い足が迫った。


 見上げると兜を脱ぎ、剣先をアルゼスに向けたグローグ王が満足そうに笑みを浮かべ馬上よりアルゼスを見下ろしていた。

 兜を脱ぎ現れた顔には多くの深い皺が刻まれてはいたが、雄々しく余裕綽々な様は一国の王の威厳を湛えている。

 前回の敗戦から五年余り―――屈辱が歓喜に代わる瞬間だ。

 

 「敵ながら見事であったぞ。」



 低く重い声が落とされグローグの剣がアルゼスの首めがけて振り下ろされたが、首と胴が切り離されたのはアルゼスではなく、剣を振り下ろしたグローグ王自身。



 グローグの首が胴から離れた瞬間、真っ赤に燃えるおびただしい鮮血が飛び散り、見上げるアルゼスに容赦なく降り注いだ。


 切り離された首は見事な弧を描いて宙を舞い、最後にはゴトリという音を鳴らして地面に転げ落ちる。そして首が落ちた音が合図であるかに、馬上に取り残されていた胴が安定を失い地面に落下した。



 「スウェールの王子を救ったとなると、これは報奨が楽しみだな―――」

 「―――ザイガド!」


 大ぶりの剣を肩に担いだ浅黒い肌の男がアルゼスの前に姿を現す。

 肩に担いだ剣にはたった今首を狩ったグローグ王の鮮やかな血が艷やかに存在を主張していた。



 ザイガドはアルゼスの足を下敷きにする馬の手綱を引き隙間を作る。その間も襲いかかって来る敵を易々と薙ぎ払い、軽口とは裏腹に恐ろしい程研ぎ澄まされた視線を向かって来る敵に向けていた。

 

 まさかここでザイガドが姿を現すとは思ってもいなかったアルゼスは、口だけではない男の戦い振りに迂闊にも見惚れてしまう。だが耳に届いた悲鳴に我に返り、慌てて気に止めていた方角へ体ごと視線を馳せた。



 この時アルゼスの目に飛び込んだのは、カルサイトの体を漆黒の光が貫く瞬間だった。
















 「いやっ、いやっ、イヤぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!!!!」


 美しい顔を驚愕に凍て付かせ倒れるカルサイトにしがみ付く。

 右胸に大きな傷を負い、更に右腕は抉れ骨が覗き血を垂れ流していたが痛みすら感じる事無く、ラスルはただひたすらカルサイトにしがみ付き叫び現実を拒絶していた。


 どんなに叫んでも、どれ程体を揺すっても深い紫の瞳が再び開かれる事はない。腹と左胸―――心臓の位置に大きな風穴を開けられた肉体は既に鼓動を打つ存在を失い生を放棄していた。




 何故カルサイトが―――何故カルサイトなのか?!


 完全に魔力を奪われた今のラスルでは、癒しの力は振るえず全くの無力だ。力を奪い取られ起き上がるのすら出来ない筈なのにこうして縋りつき叫ぶのは叶う。

 そんな事よりも力を―――果たしてこれ程に強く魔力を羨望した過去があったであろうか。

 鼓動を打たずとも今ならまだ間に合うかもしれない。心の臓が失われていようと再生させられるやもしれない。それなのに、その力がある筈の自分は何て無力で―――これ程に腹が立つのか。

 必要な時に、これ程渇望しているのに何の役にも立たない自分。

 

 「お願い助けてっ、誰か……誰か彼を助けてっ!」

 

 叫ぶ声はかすれ、愛しい者を失う恐ろしさに体が震える。

 突然の出来事に錯乱したかに頭を掻き身体をむしりながら周囲に訴えるが、ラスルの頭は意外にも冷静に現実を捕え始めていた。



 こんな状況―――たとえイジュトニアの魔法使いが束になって治療にあたったとしても無理だ。助ける事など不可能だと―――分かってはいたがそれを否定したくてラスルは周囲に助けを求めわめき散らす。


 駆けつけたアルゼスの姿を認めるとラスルは「助けて」と叫び縋り付いた。惨状を目の当たりにし呆然と立ち尽くしたアルゼスは、縋るように血だらけで飛びついて来たラスルを受け止めながらも、何て事だと、この光景が信じられないとばかりに額に手を当て何かを呟く。しかしアルゼスの呟きはラスルの耳には届かず、ラスルはアルゼスの後方で冷静に状況を見据えるザイガドの姿にも全く気が付かなかった。


 不要なものは全てを遮断するかの感覚。

 目の前にいるザイガドに気付く事はないというのに、はるか後方より走り寄って来る気配を敏感に察してラスルは振り返る。

 戦場をかけ周り、汚れた白いローブに身を包んだシュオンだった。

  


 「お願いシュオン―――!」


 助けてと、最後の言葉は掻き消えた。

 

 ラスルが魔法を使えない状況を知らないシュオンは、何故ラスルが手当てしないのかと不思議に思いながら切羽詰まった様に懇願され、言われるまま倒れたカルサイトへ駆け寄り治癒魔法を施そうとしたのだが……伸ばした手がその場で静止する。


 「何してるの?! お願い早くっ……早くしてっ!!!」


 横たわるカルサイト越しに負傷した腕を伸ばしシュオンを揺すると、ラスルの腕から滴り落ちた血がシュオンの白いローブを汚した。

 ラスルは驚愕に目を見開くシュオンを更に揺すると声を張り上げる。

 

 「お願い早くしてっ―――早くカルサイトを助けてっ!!」

 「無理ですこんなのっ……ラスルさんでも無理なのに僕に出来る訳―――!」

 「出来るわよっ、あなたになら出来る。わたしでは力を削がれていて無理なの。お願いシュオン……出来ると言ってっ、やる前から諦めないで!」


 ラスルの悲痛な叫びにシュオンは再度カルサイトを見るが、冷静に判断出来なくても既に事切れているという事は一目で理解出来た。左胸に穴が開き、心臓が確認できないのだ。

 既に鼓動の停止した人間を呼び戻すなど神の領域だ。奇跡でも起こらない限り―――いや、この状態で奇跡を期待する方がおかしい。


 シュオンはやり場のない思いを抱え、縋りつくラスルの視線から逃れるように目を反らすと、ぐっと強く奥歯を食いしばる。

 ラスルが幾度となくシュオンの肩をゆすっても視線が合わされる事はなかった。



 お願い―――


 今にも消え入りそうな声。

 

 見かねたアルゼスが乱暴にシュオンの体を揺すり続けるラスルを引き離すと、ラスルはそれから逃れるように暴れ出す。

 魔力を抜き取られ、起き上がれる体力すらない筈のラスルが暴れたとて何て事はなかったが、アルゼスはラスルの抵抗を受け入れ容易く手を離した。

 ラスルはそのまま横たわるカルサイトに倒れ込むように縋りつくと、悲痛な声を上げ泣き叫ぶ。


 「嘘よ嘘っ、こんなの嘘だわっ。幻よ。何かの間違いなのにっ。お願いカルサイトっ、目を開けて―――どうしてどうしてどうしてッ!!」


 雪の舞い散る戦場に木霊する悲鳴は、いまだ続く戦いの喧騒により掻き消された。




 スウェールにおいて一・二の実力を宿す騎士。

 戦場にて人の命が保障される事などあり得ないが、そのカルサイトが戦死するなど、この場にいる誰もが予測だにしない出来事であった。


 

 



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