真相
シヴァは負傷し意識の無いカルサイトを、邪魔とばかりにラスルの上から蹴り退ける。
体に圧し掛かる枷から解放されたが、ラスルは自分を庇い怪我をしたカルサイトへとにじり寄ると直ぐに治療を開始しながら、背に庇う様にしてシヴァを見上げた。
ラスルが囚われたフランユーロの城から救出された際、シヴァはカルサイトによってかなりの深手を負わされた筈である。
黒の光を宿す魔法使い。相手の魔力を奪うという異質な力を持つが故、自身に魔法は効かない。それは魔法使いを相手に最高の防御となるが、その身に怪我を受けた際には治癒の魔法も効かないという欠点も備えている。そしてシヴァがカルサイトより受けた傷は致命傷となり得るものだった。だというのに目の前に再び姿を露わしたシヴァは、疲れた姿ではあるがしっかりとした足取りでラスルの目の前に立ち見下ろしている。
短期間であれだけの傷が完治したとは思えないが、目の前のシヴァからは受けた致命傷の後遺症すら見受けられなかった。
シヴァから当然のように伸ばされた手はけしてラスルに優しいものではない。ラスルの身に残った魔力を完全に奪い去る為にだ。
ここで魔力を奪われては傷付いたカルサイトの治療が継続出来なくなってしまう。慌てたラスルは無駄と分かってはいてもシヴァに攻撃を仕掛け、放たれた魔法はシヴァにぶつかると何事もなかったかにそのまま吸収されていく。
「お前は何故狂わない?」
シヴァは疑問と共にラスルの額に触れ、残った魔力の全てを奪い尽くそうとする。
ラスルへと幾度となく繰り返した行為。一度や二度ではないのだ。その回数は軽く両手の指を超え数えきれないほど。奪えば奪う程シヴァの体を蝕むラスルの膨大な魔力だが、ラスルは魔力を奪われた後遺症を残す事無くこの場に存在しているのだ。
シヴァはカルサイトから受けた傷が塞がる間もなく、フランユーロ軍に同行しイジュトニアへと向かった。その途中でフランユーロの戦力とすべく一人の魔法使いを捕獲する。
イジュトニアの魔法師団に身を置く若い女の魔法使いだったが、シヴァの前では赤子も同然。一度魔力を抜いただけで精神を病み、己が誰であるのかすら分からなくなった。ただ魔力を抜かれる苦痛を恐れ、シヴァの命令に従う生き人形と化す。
それが魔力を抜かれた魔法使いのなれの果てだ。だというのに、何故ラスルはそうならないのか不思議でならなかった。
同じ魔法使いでありながら何が違う? 宿す光が黄金だからなのか、それとも王の血を受け次ぐ者だけが宿す特別な力だとでもいうのか。
魔力を奪われたラスルは声にならない悲鳴を上げながら、カルサイトへの傷の治癒半ばで地面に倒れ込んだ。その様をシヴァは冷めた目で見下ろす。
「ウェゼートへの最後の報復はお前を永久に手の届かぬ場所へ送る事。あの男が私からイシェラスを奪い去った様に、イシェラス同様……未来永劫お前を奴の手の届かぬ場所へと送り届けてやろう。」
黒の光の魔法使い。その力はたいしたものではなくとも、魔力を奪われたラスルを殺すなど容易い。黒い光を掌に宿すシヴァに、ラスルは必死の思いで顔を向ける。視界はぼやけ霞んでいたがシヴァの姿を捕える事は出来た。
「……イシェラス同様?」
それはいったいどういう意味だと、疑問に思いラスルが声を絞り出せば、無表情で冷静に見えていたシヴァの顔つきがほんの僅かに引き攣った。
「イシェラスの娘であるお前に刃を向けるつもりはなかったのだが―――真に憎むべき相手はお前だったのやも知れぬ。」
そう呟くとシヴァは黒い光を掌に抱えたまま、倒れるラスルの前に片膝を付き、遠い昔の出来事を思い出していた。
イシェラスがウェゼート王の子を宿したと知り姿を隠したシヴァは、魔法師団を無断で退団した咎として追われる身となった。だが実際には、イシェラスを完全に我が物にしたいと願うウェゼートの個人的感情が大部分を占めていたのは隠しきれない事実。多くの魔法使いが忽然と姿を消したシヴァを追ったが、魔法の通じないシヴァを捕える事は最後まで叶わなかった。
その後シヴァは一度だけ魔法使いの溢れる王城に侵入し、イシェラスと対面を果たした。それは子を産み落としたイシェラスをウェゼートの元から救い出し、共に逃げる為にだ。
しかしイシェラスはシヴァの手を取る事を拒んだ。
例え自分の幸せを奪い去った憎い男の子供だとはいえ、腹を痛め産み落とした我が子をこんな世界に置いて行く事が出来なかったのだ。
シヴァとて出来る事なら母子を引き離す事などしたくはない。愛しいイシェラスの願いなら尚更だ。
しかし産み落とされたラスルには王家の刻印が刻み込まれており、共に連れて行けは居場所は瞬く間に露見する。シヴァとイシェラスが共に生きる為には産まれた子は諦め捨てる他なかった。
この時のイシェラスは一人の女であり、そして同時に母でもあった。
我が子を捨ておけず、最終的にはシヴァへの想いより子を選ぶ。それをシヴァはウェゼートの血を引く子によってもたらされた災いと認識し、裏切りと感じ取ってしまったのだ。
愛する妻に、愛されたままでいたい―――
その自分勝手な願いが誰も知らない思わぬ結末を齎した。
「鼓動を止め、イシェラスに死を招いたのは私だ。」
あの時のイシェラスは度重なる心労と出産により心身ともに弱り果てていた。シヴァが手を下さずともいずれ命も尽きただろう。しかし、シヴァはイシェラスの愛を受けたままの結末を望み、イシェラス自身もそれに抗う事はしなかったのだ。
シヴァがイシェラスの心臓に手を翳すと打ち付ける鼓動は徐々に弱くなる。
二人は抱き合い互いを見つめたまま、イシェラスはほんの僅かな苦痛も無く、優しい温もりに包まれ、やがて鼓動は途絶えて行った。
愛しいからこそ、永遠に同じ想いを抱き続けたかった。このまま永遠に手に入れる事が叶わないのなら、愛し愛される状態で終わりにしたかったのだ。自分だけに向けられる愛情が産み落とされた赤子にも向けられたと知った時、赤子の母親がイシェラスであるにも関わらず、シヴァはイシェラスの心までもがウェゼートに奪われる不安に襲われた。
誰も知らない死の真相。
愛するが故、愛を失う事を恐れ奪った命。それを何の抵抗も無く受け入れたイシェラスのシヴァに対する想い。
真に恨むべき相手は―――まさにラスルだったのではないだろうか。
意に反し体を奪われようとひたすら向けられたシヴァへの愛情。それに歪みを齎したのはラスルの存在だ。
「やっぱりわたしは……全てにおいての疫病神だ。」
ラスルの存在が多くを苦しめ、傷付ける。その全てに関わり不幸を齎す身が何故今まで抹殺されずに残されたのか。
あの日、父王の元から逃げ出したのが全ての間違いなのだろう。
「ならばここで全てを終わらせよう―――」
シヴァの掌で転がされる黒い玉が一際輝きを増し、ラスルはそれを受け止めるべくゆっくりと瞼を閉じた。
「己のえごを他人のせいにするな!」
ひゅっ、と空を切る音と共にラスルが目を開くと、後方から伸びたカルサイトの剣がシヴァの胸を貫いていた。
「イシェラスの死もこの戦も、すべてはそれに関わる者が招いた醜い欲望の結果だ。それを正論の如く自分勝手に解釈し、他人のせいにして完結させようとはあまりにも身勝手なのではないか!?」
ラスルのせいだと告げる側も馬鹿げているが、告げられた側も何故すんなりと納得してしまうのか。あまりにも馬鹿げたやり取りに怒りを通り越してあきれてしまう。
ラスル一人の存在だけでこれ程の血が流れる戦いが起こってなるものか―――!
カルサイトの鋭い視線の先で、胸を貫かれたシヴァは苦痛に顔をゆがめながらも意地とばかりに最後の力を振り絞り、ラスルへ向け損ねた漆黒の光をカルサイトへと向けて解放する。
「イヤぁッ――――――!!」
庇おうと思わず出したラスルの腕を巻き込み、漆黒の光はカルサイトの体にのめり込んだ。
胸に剣を突き刺したまま地面に倒れるシヴァ、そして魔法により肉が抉れる不快音―――
その音を最後に、ラスルの世界からは全ての音が消滅した。