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取り零した敵



 フランユーロ国王グローグが前線に出たため、迎え撃つスウェールも総指揮官として出陣したアルゼスが一気にかたを付けようと最前線に出て剣を握った。


 しかしそれが間違いだった。

 グローグ王が軍の先頭に立ったのはアルゼスを誘き出す為。アルゼスが立つ場所にグローグ王は確かに存在したがその距離は遠い。

 そしてアルゼスとグローグの間に立ったのはフランユーロの騎士でも兵士でも、まして和平交渉の使者でもなく、漆黒のローブに身を包んだ一人の魔法使い。


 その出で立ち故、目前の魔法使いがイジュトニアの純血種であるとわかり、スウェール軍には瞬く間に緊張が走り、数少ないスウェールの魔法使いがアルゼスを守るため一斉に取り囲んだ。

 戦場で相手にするには恐ろしい存在。目の前に対峙し勝てる見込みはないが、それでも誇り高いスウェールの魔法使いは恐れを抱きながらも死を覚悟で立ち向かう。

 


 誰もが何故という信じられない思いを抱え、最前線に立つたった一人の魔法使いを凝視した。

 魔法使いは落ち着かない様子で常に身体を揺らし、時折首を傾けてはフードごしに辺りの様子を窺っている。あまりにきょろきょろするせいで目深に被ったフードが滑り落ちその容姿が曝されたが、対峙するアルゼスには当然全く記憶に無い相手である。


 曝された容姿を目にしただけでは、その魔法使いの性別は解らなかった。イジュトニアに生まれる純潔の魔法使いは整った容姿の者が多い。しかしそれが原因で男女の区別が付き難かった訳ではなく、目の前の魔法使いは黒髪黒眼でありながらも本物かと疑いたくなるほど異様だったのだ。


 漆黒の髪はまるで引き千切られたかにバラバラな長さをしていた。首を捻り、伸びた爪のある指先で頭を掻き毟ると、強くかき過ぎたのか指先に赤い血が付着する。自傷の痕なのか顔中に深い引っかき傷があり、二つの黒い瞳は不規則に左右上下を繰り返し異常な動きを見せていた。閉まりのない曲がった口からは絶えず涎が零れ落ちている。

 魔法使いは肩を痙攣させ、たえず体を揺らしながら指を噛み、怯えた視線で周囲を観察しているようだった。



 精神が尋常ではない?


 誰もがそう考えた時、魔法使いはその場に蹲り悲痛な叫び声を上げる。そしておもむろに立ち上がると真っ赤に見開いた目をスウェール軍に向け両手を翳したのだ。

 

 「逃げろっ―――!」


 時すでに遅し。

 アルゼスが声を上げた時には魔法使いの両掌から赤い閃光が放たれ、その閃光に沿って触れるもの全てが焼き尽くされる。スウェール軍の魔法使いの防御など驚異的な力を前にしてはまるで子供だましで、前列に立ち攻撃を受けた魔法使いは即死状態だった。

 

 相手は純血種の魔法使い、しかし一人だ。精神を病んでいるのなら次に出る攻撃がいかなるものか想像出来ない。

 必ずしもこちらに向かって攻撃を仕掛けるとは限らないと予測し、相手が一人なら後退するよりもこのままフランユーロ軍に突っ込んだ方が賢明と、赤い閃光を掻い潜りながらアルゼスは軍を進めた。

 後退する訳にはいかないのだ。


 魔法使いはスウェール軍のみならず、フランユーロ軍に対しても容赦なく無差別に攻撃魔法を仕掛け、多くの死体の山を築いて行った。しかし主だって狙うはスウェール軍。やがてスウェールは押され、後退し、多くの人命を失ったにも関わらずフランユーロに国境を越えられてしまうという失態を招く。

 

 一時休戦となったのは、その魔法使いが白目を剥き倒れてくれたおかげだった。

  















 「殿下、傷の手当てを。」

 真っ先にアルゼスの傍らに駆け付けて来たのは、地位の高い師団長ではなくシュオンだった。


 基本的に治癒魔法専門の魔法使いは前線に出る事はない。王子であるアルゼスが戦っている時であっても後方で怪我人を待つ。そこまで辿りつけなければ例え王子であろうと命を落とすのだ。

 だがシュオンは後方でただ怪我人を待つのではなく、剣を振るう騎士と兵士の間を掻い潜り、傷付いた者達を癒していた。そのため最も早くアルゼスの元に馳せ参じるに至ったのだ。


 アルゼスは魔法による攻撃を直接受けた訳ではないが、近くにいただけで左腕に大きな火傷を負っていた。当然アルゼスの傍らに付き添うカルサイトも同様に負傷しているが、流石に剣による傷は一つもない。アルゼスの腕を取り、的確に治癒を施して行くシュオンにカルサイトが声をかける。


 「腕を上げたな。」

 「ラスルさんのお陰です。」


 治療の速度も仕方も何もかも、心構えすらがあの日ラスルに出会った事で全てが変わった。

 今までは恐ろしくて剣の交わる戦場に飛び込んで行く事など絶対に出来なかった。自分の無力に怯え、目の前で死んでいく人間を恐れた。だが今は、一人でも多くの人を救いたいと勝手に体が動くのだ。


 流石にラスルのようにとはいかないが、混血の中でも最高の色彩である白を纏うようになってからシュオンが操る治癒魔法は昔と比べ格段に向上している。

 技術だけではなくもともとなかった自信が身に付いた部分も大きいが、何よりも純粋に人を救いたいとの思いが白の魔法使いに相応しい実力を伴わせていた。

 スウェールの魔法使い達はその誇り高さ故に高慢で扱い難いが、劣等感しか持たずに育ったシュオンには人の気持ちを察する事の出来る優しさが備わっている。アルゼスの次にカルサイトも手当てを受けながら、シュオンの将来が、これからシュオンに付いて学んでいくであろう若い魔法使いの将来も有望だと感じた。

 しかし、同時に危険な前線に迷いなく出て来る無謀さに少々不安も覚える。ラスルの様な純血種と異なり、混血の魔法使いは攻撃・治癒の両方に優れる者はいない。治癒魔法に長ける様になったシュオンだが、魔法使いでありながら身を守る術は殆どないのだ。



 「あの、ラスルさんの事ですが―――」


 カルサイトに治癒を施しながらシュオンは小声で囁き、先に治療したアルゼスの方をちらりと見やる。


 「何だ?」

 「あの……いえ、何でもありません。」


 シュオンは言葉を濁し俯いたが、這わせた視線で問いたい内容は予想が付いた。

 ラスルはカルサイトと恋仲だと思っていたのだろう。そこへ来てアルゼスの寵愛を受けたという噂が瞬く間に広がった。クレオンが当然のようにもみ消しに動いたが、フランユーロとの戦を迎えその問題は置き去りになっている。


 こんな場所で話題にする話ではないが気になって仕方が無かった。

 シュオンは兵士の療養所に出向きラスルと共にいる時間も長かったが、その兵士達の治療が終了してからは別行動となり、姿を見る事すら珍しくなってしまっていたのだ。

 

 「君も彼女に惚れた口か?」

 「いえっ、そんな滅相もない!」


 カルサイトの言葉にシュオンは驚き、慌てて顔を上げ全否定するが焦ってうまく言葉が出ない。そんなシュオンにカルサイトは深い紫の目を細め温かい微笑みを向けた。

 そのあまりの美しさにシュオンは一瞬見惚れ、更にそれを誤魔化すかに顔を真っ赤にしながら言葉を紡ぐ。

 

 「僕はっ、僕なんかっ―――」


 慌てる様子を楽しむかに微笑むカルサイトに気付き、シュオンは自分を落ちつけるように一つ咳払いをする。


 「ラスルさんは僕にとっては憧れです。出会って僅かですが、生きて行く上で多くの恩を受けました。それを少しでも返せたならと思うのですが……彼女はあまりに偉大すぎて、足元にも及ばない僕には出来る事が何もない。」

 「そんな事はないだろう。スウェールにおいて力を持つ魔法使いは異端にも近い。それを受け入れた君の感情が憧れや尊敬であれ、彼女は傍らにいてくれる君の存在に親近感を持ち、心にゆとりを感じる事が出来たのではないだろうか?」


 ラスルだけのせいではないが厭われ命を狙われた事もある。それには全く動じないラスルでも、過去が原因で心に開く穴は大きく辛いものだ。混血とはいえ、同じ魔法使いがラスルに好意的感情を向けてくれる事に少なからず安堵感を覚えるだろう。魔力など微塵も持たない、本質的に異なるカルサイトでは力になってはやれない部分だ。


 「僕なんかが力になれるなんてあり得ません。ラスルさんを見守り力になっているのはカルサイト様ではないですか。」

 「そうありたいとは願うが、彼女は全てにおいて私に心を開いているという訳ではないよ。」

 

 ラスルにある秘密。

 カルサイトもそれに気付いてはいるが、それがいったい何なのか解らない。全てを口にして欲しいとは思ってはいないし、何時か時が来て必要ならラスルの方から言葉にしてくれると思っていた。


 だが、ラスルがその秘密を口にした相手はアルゼスだった。

 どのような経緯があったにしろ、ラスルはそれをカルサイトにではなくアルゼスに話し、アルゼスはその秘密によってカルサイトへと頭を下げたのだ。

 いったい如何なる事情なのか。

 自分の感情を表に出す様なカルサイトではなかったが、ラスルの抱える秘密が何であるのか、彼女にとって自分の立ち位置は何処なのか―――ラスルを手放さなければならないのかと、湧き起こる独占欲は何処の誰にでも備わる普通の男の感情だ。



 ラスルへの想いを胸に描いていたシュオンだったが、ふと嫌な気配を感じはるか西の方向に視線を馳せた。


 「どうした?」


 おもむろに立ち上がったシュオンに従う様に、カルサイトも立ち上がると同じ方向に視線を向ける。


 嫌な気配と予感を感じたのだ。

 休戦が終わるのも時間の問題。

 国境を越えられたとはいえフランユーロ軍との距離はかなりある。そこにいる魔法使いの放つ気があまりに強くて、遠く離れたシュオンにも伝わって来た。

 腐っても魔法使い。混血が進んだとはいえ、恐ろしい気を放つ魔法使いの存在を身をもって感じてしまう。


 「ラスルさんは戻ってくるのでしょうか?」

 「出来れば巻き込みたくはないのだがな。」


 綺麗事では済まない。フランユーロにイジュトニアの魔法使いが一人いるだけでも大事なのだ。たった一人の魔法使い、しかも精神を患っているその様子に更なる恐ろしさが募る。頼ってはいけないのだろうが、今直ぐにでもスウェールに味方してくれるイジュトニアの魔法使いはラスル以外にいない。

 フランユーロはスウェールとイジュトニアを同時に攻撃し、返り討ちにあっている。それでもなおスウェールに戦いを仕掛けて来れたのは、イジュトニアの魔法使いを一人捕獲し、操る事が可能であったからだ。例え狂っていても力に問題が無ければ大きな戦力になり、現にスウェールはたった一人の魔法使いに翻弄され押されてしまっているのだ。

 あの魔法使いを前に、スウェールの魔法使いだけでは例え束になっても敵わないだろう。


 カルサイトはイジュトニアを訪れた際、イスタークがラスルを案じて口にした言葉を思い出した。


 ―――魔力を奪われ続けると精神を病む危険を伴う―――


 あの魔法使いが魔力を奪われ精神に異常をきたしたのなら、ラスルを攫った黒の魔法使いが未だ生存している可能性が大きい。

 ラスル救出の際、カルサイトはシヴァに対し致命傷となり得る傷を負わせたが止めを刺した訳ではない。あの時は時間が無かったとはいえ、完全に止めを刺せなかった自分に未熟さを感じる。僅かに感じた躊躇が相手に強力な武器を与える結果になってしまったやも知れないのだ。 


 戦場ではほんの僅かな判断の遅れが命取りになる。それが時を置いて回ってくる事もあるのだと、カルサイトは今更ながらに身をもって痛感していた。




 

 その後、フランユーロとの戦いが再開されたのは翌朝早く。

 同時に空を覆う分厚い灰色の雲から白い雪が降り注ぎ始めたが、それに気付く者は誰一人として存在しなかった。





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