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次なる敵



 フランユーロが国境沿いに軍を寄せていると情報が入った三日後。先陣を切った隊に後れ、アルゼスは一軍を率いて西の砦を目指していた。

 


 ラスルはアルゼス率いる軍に交じり馬を進める。情報によるとフランユーロ軍は、先頭部隊に王国と王家の紋章が刻まれた旗を掲げているという。旗が示す通りにグローグ王が先頭で指揮をとっているというのであれば、ゆっくり時間をかけて攻めてくるという訳ではなく、一気にかたを付けようとしている様子が窺えた。


 フランユーロはスウェールとイジュトニアに侵攻しながら負け戦となり、かなりの痛手を被っている筈だ。にもかかわらずその状態で更に戦を仕掛けて来たのだ。一見無謀な戦いに見えるのだが、勝機なしに王が先頭に立つ訳がない。

 ラスルはイジュトニアの魔法師団長としての地位にあった祖父と共に旅をして来たが、生きる術は学びながらも、戦術などその方面においては何一つ学んだ事が無かった。傷つける術は知っていても戦場での戦い方は知らない。初めて臨む戦にラスルは大きな不安と、嫌な気配を感じつつ西を目指した。




 西を目指し、久々に目にしたのはラスルの住み慣れた森。

 だがその森はラスルの見慣れた森ではなく、煙が燻り黒い炭と化した焼け野原だった。

 フランユーロの軍は今だスウェール領内に侵入して来てはいない。しかしその手の者によって森に火が付けられ、広大な森の半分近くが焼け野原と化してしまっていた。しかも火に追われた魔物が森を抜け出し、近隣の村や街を襲ったため多大な被害が出てしまっていたのだ。


 ラスルは故郷を目指す一行から外れ、事態の収拾に向かう一部の兵士に交じり被害を受けた村へと向かう。その村はラスルが過去に幾度か薬草を売りに訪れた事のある村で、見知った常連客も多かった。

 しかしそこに村人の姿はなく、あるのは屍と死肉に群がる数えきれないほどの黒い烏と獣。獣の中には力の弱い魔物も交じっており、兵士が近寄っても気にする事無く目の前にある腐った肉を貪り続けている。


 生存者など一人も存在しなかった。

 夜になると森から焼き出された魔物が死肉を求め集まってくる可能性があり危険だ。生き残った村人がいないのであれば今の状況でここに留まる意味はないし、先を急がねばならない。既に完全な人の形を保っている遺体も無く、死肉の塊を拾い集め火葬する暇はないとの兵士らは判断した。


 戦場ではよくある事だが、相手は魔物に襲われた一般人だ。無情かもしれない。しかし今は弔ってやれぬ状況に兵士達の顔つきも硬かった。後で戻っても遺体はさらに悲惨な状況になっているだろうし、獣らが綺麗さっぱり掃除してくれている可能性も高い。

 

 生きた人間は立ちつくすばかりで動きが無く安全と見たのか。ラスルの目の前に降り立った烏が、地面に転がる遺体から目を啄ばみくり抜いた。

 腹は抉られ首と胴は今にも千切れそうなその遺体は、体の大きさからするとまだ幼児だ。カラスはその目を一つ飲み込むと、更にもう片方の目を啄ばんだ。

 

 「ひでぇな―――」


 そう兵士の一人が呟くと、見回りを済ませ集まって来ていた残りの兵士も同様とばかりに頷く。ラスルは一部始終を感情の無い目で見つめていたが、兵士の一言でゆっくりと右手を天に翳した。


 刹那。


 眩い光と爆風がラスルと集まった兵士達を襲う。驚いた兵士は地面を踏み締め顔を覆うが、光と爆風はほんの一瞬の出来事。


 風が止み、恐る恐る目を開けた兵士達が見たものは、自分達を守るように包み込む球状の空間と、その空間の外を完全に包み込んで燃え上がる真っ赤な劫火ごうか


 いったい何が起こったのかと慌てる間に火の勢いは衰えて行き、やがて何事もなかったかのように炎は鎮火する。

 炎の鎮火と共に自分達を守るように取り囲んでいた球状の空間は無くなり、目の前の光景に兵士一同唖然と眼を見開いた。

 

 食い荒らされた遺体。散らばる骨と肉片に血に染まった大地。

 それだけではなく、目の前に有った村一つ全てが一瞬で焼き尽くされ、綺麗さっぱり消え失せてしまっていたのだ。

 全てが焼き尽くされたというのに地面には焼け跡一つない。


 驚きに目を見開き、あんぐりと口を開けたままの兵士は言葉も無く、漆黒のローブに身を包む魔法使いの背を茫然と見つめる。ラスルは後ろを振り返ると漆黒の冷たい瞳で兵士達を眺めた。


 「あなた達は隊に戻って。わたしは他の村や街を見てから合流する。」

 

 それだけ言い残すとラスルは一人、兵士達をその場に残して歩き出した。


 これから夜になる。女一人では危険だと言いかけた兵士がいたが―――止めた。目の前でこれほどの力を見せつけられたのだ。どんなに屈強な男でも、これほどの魔法を放つラスルの前では無力に等しい。兵士達は言葉も無く、小さくなって行くラスルの背を黙って見送るしかなかった。

 








 ラスルの住まう森には数限りない、幾種もの大量の魔物が存在していた。

 その魔物が森を出て近隣の村や街を襲うのは稀で、それは古より森を取り囲むように植林された後、自生を続けたショムの木による効果があっての結果だったのだ。

 フランユーロの手により森に火が放たれ魔物を阻んでいたショムの木々が燃えた事で、森を追われた魔物が一気に村や街に押し寄せたのだろう。

 森とは異なり、大した力を持たず捕獲しやすい人間という大量の食糧を得た魔物は、底なしの胃袋で柔かい肉を食い漁る。枷を失った魔物は逃げ惑う人間を辺り一面欲望のまま容赦なく食い荒らし、更に新鮮な血肉を求め新たな地を目指しているのだ。



 「全滅か―――」


 血なまぐさい廃墟と化した街を前に虚しさだけが込み上げる。

 森まで歩いて数日という村や街の人間は全て食い尽され、その場に残る生存者は一人として存在しなかった。

 ラスルは弔いの為、血肉の欠片と化した遺体を魔法で焼き尽くす。人の骨と肉、その他の物と区別してまで焼く事は不可能であったので、今この光景だけを誰かが目撃したとしたら、ラスルが魔法を使い街を一瞬で焼き尽くす殺戮者に見えたであろう。

 しかし残念な事にその心配はない。全ての人間が魔物によって食い尽されてしまっているのだから。


 内と外―――魔物とフランユーロ軍。

 その両者に攻められているといっても過言ではない。腹を満たした魔物はそのうち新たな森を求めそこの居住者となるだろうが、それまでにいったい幾多の人間が犠牲となるであろう。

 一刻も早く魔物の群れを見付けだし排除したかったが、馬上に有ってもなかなか追いつけるものではなかった。

 周辺の人間は全て襲われている。鼻のきく魔物故、人間の集落を見付けるのは容易い。ここから一番近い街はラスルがフランユーロに攫われる前に立ち寄った街だ。

 フランユーロ軍が気になるが、今は魔物に襲われる無力な人間を見捨てる事も出来ない。ラスルは闇の中、休みなく馬を駆けさせる。

 

 そうして辿り着いた夜の街からは悲鳴が上がっていた。

 


 




 街には魔物の侵入を拒む為にショムの木が一定の間隔で植樹されている。にもかかわらずそれをあざ笑うかに様々な種類の魔物が数多く街に侵入し、大して腹も空いていないのか、魔物は目の前の獲物に食らいついただけで次の獲物へと牙を向け殺戮を楽しんでいる。

 これ程の魔物に束になってかかられると、ショムの木の効果も薄れるという事なのだろうか。

 


 不幸中の幸いか、見える範囲に魔物の王者とも言うべきヒギの姿が無い。 

 ヒギは牛の様な巨体で群れを成し、凶暴で人肉を好んで狙いを定める魔物故、ラスルはその存在を予想し危ぶんではいた。しかしそれ以外の魔物なら当然命の危険はあるにしろ、普通の人間にも何とか戦える類だ。実際多くの人間が食らわれ傷ついてはいたが、これほどの魔物が溢れた街にあって死者の数は極端に少ない。今まで見て来た村とは比べ物にならなかった。

 夜という事もあり屋内に身を顰める輩も多く、街という規模故に自警団もある。ラスルは乗って来た馬をショムの木に繋ぐと剣を手に戦う者らに加勢する為、魔物の群れの中に身を滑られせた。



 戦場に立ち、負傷者の傷の手当てをした事はあっても戦闘経験はない。威嚇とはいえ、ラスルが攻撃相手にして来た対象は一人か二人、多くてラスルを狙う数人の男だけだ。

 多くの人間が入り乱れる中で強大な攻撃を放てば魔物だけではなく、生きた人間と建物も薙ぎ払い、一瞬で街は瓦礫の山と化すだろう。ラスルは魔物だけを一気に片付ける術を知らず、逃げ惑う人間とそれを追う魔物との間で標的に戸惑いながらも、魔物を一匹ずつ相手にし、時間をかけながら丁寧に仕留めて行った。


 そうして夜明け前になる頃には、街に侵入した魔物は息絶えるか逃げ出すかの二手となり、後に残ったのは異臭を放つ魔物の大量の死骸と幾ばくかの死人、多くの傷ついた人々だ。


 ラスルは傷を負った人々の治療にあたる。

 もともと薬を売りに来ていた街であるお蔭でラスルを知る者も多く、魔法使いだからと忌み嫌い治療を拒まれる事もなかった。ただ気にされたのは治療費だ。豊かな者もいるが日々の生活に困窮する者も多い。ラスルは薬を売っていたので、彼女の治療を受けると当然治療費が発生するだろうと考えた者がいた。ラスルが『治療費なんていらない』と告げると、今までお金を気にして治療を受けに来なかった者達が一気に押し掛け、ラスルの治療は終日続き、最後の手当てが終了したのは夜も遅く深夜になってからだった。

 


 夜の帳の中、冷たい冷気に身を包み疲れた体を伸ばして体を解していると、街中だというのに荒々しく馬が駆ける音が耳に届いた。

 やがて蹄の音はラスルのいる場所へと近づいて来る。

 轢き殺されてはたまらないと道を開けると、ラスルの目の前を僅かに通り過ぎた所で馬は止まり、そのまま後退しながら騎乗の主が馬から飛び降りた。

 

 「ラスルさんっ!」


 会えてよかったとほっとした様な声が漏れるが、馬から降り立った兵士の顔はひきつり緊張を湛えていた。


 細身だが長距離を休みなく走るのに長けた品種の馬を目にし、ラスルはこれが伝令用の馬だと理解する。相手が自分を見知っているようなのでよく顔を見ると、兵士の療養所で見かけた事がると記憶していた。

 恐らく治療したうちの誰かだろうが、治療の度に相手の顔を見て覚えた訳ではない。この兵士は自身の治療が済んだ後も療養所で怪我人の世話にあたってくれたのだろう。

 スウェール軍に身を置く訳でもない部外者の自分に伝令が出される訳がない。兵士の独断か、あるいはこの兵士に伝令を出せる身分にある者がラスルの力を必要としているのか―――何があったのかとラスルが口を開く前に、焦りを抱えた兵士は腕を伸ばしてラスルの手を引いた。


 「イジュトニアがフランユーロ側に付いたようです。」



 兵士の言葉にラスルは己が耳を疑った。イジュトニアがフランユーロ側に付くなど、ラスルが生きて子の場にいる限り有り得ない話だ。

 

 「そんな馬鹿な―――!」


 国境近くとはいえラスルはスウェールにいる。ラスルがスウェールに身を寄せているというのをイジュトニア王は先日己の目で目撃し見知っているというのに。何故イジュトニアがフランユーロの味方をするのか、その意味が全く解らない。

 まさか―――ウェゼート王が崩御し、時代が移ったのかとの考えが脳裏を過った。最後に向けられたイスタークの視線がラスルを震わせるが頭を振って否定する。


 「ですがフランユーロ軍の先頭に魔法使いが立ち攻撃を仕掛けているのです。我が軍の魔法師団では全く歯が立たず、軍は押され国境を超えられました。」

 「王子様は何て?」

 「殿下ではなく我らの独断でここへ。フランユーロの勢いが大きく、我が部隊は殿下の元へ走る事が出来ませんでした。」

 「よかった……」

 「え?!」


 呟くと同時にラスルは目の前の馬に飛び乗る。

 軍を離れたラスルにアルゼスが現在の状況を知らせて来る筈がない。まして相手がイジュトニアの魔法使いとくれば尚更だ。アルゼスがラスルを戦いの場におきたくないと考えている限り、助けを求めて来る事はないだろう。


 「馬を借りるよ。わたしのは街の入り口に繋いでるから!」


 言うが早いか、ラスルは馬の腹を蹴り、国境目指して一目散に駆け出して行った。



 

 


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