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吐露



 その夜、仕事を残したカルサイトと別れたラスルは暫く一人塔の屋上に留まった後、すっかり辺りも寝静まった頃に使用人用の暗く狭い階段に足音を響かせながら部屋へと戻っていた。

 すると突然腕を掴まれ、体勢を崩した体はそのまま力に吸い寄せられるように男の胸に掬い取られる。

 

 「王子様?!」


 気配を殺し近付いた揚句、急に何をするのだと抗議の声を上げるが、闇を纏った青い瞳にラスルは思わず息を呑んだ。


 ほんの数刻前、共に食事をしていた時とは打って変わってアルゼスの顔は強張り怒りに満ちている。いったい何があったのかと問いたくて口を開こうとした時。体が宙に浮き、ラスルはアルゼスの腕に抱え込まれた。


 「ちょっと何っ?!」


 乱暴に抱きすくめられ気使いの欠片も見せず階を下り歩みを進めるアルゼスを不審に感じながら、いったい何があったのだと口を開くよりも、ラスルはただ体を襲う不安定な揺れに身を任せるしかなかった。やがて暗く狭い階段から高価な絨毯が敷かれた廊下に進み、アルゼスは城の内部へと早足に向かって行く。その間アルゼスは眉間に皺を寄せ怒りの表情を浮かべたまま終始無言で、いったい何があったのかとラスルも黙って事の成り行きを見守っていた。

 しかし重厚な扉の前に立つクレオンが表情を強張らせアルゼスに進言し、それをアルゼスが拒絶した時、ラスルも自身のおかれた状況を把握して、これまで黙って腕の中におさまっていたのを後悔する。 

 

 「なりません殿下、彼女だけは―――!」

 「煩い黙れっ!」

 

 これ以上は通さないとばかりに扉の前に立ち邪魔するクレオンを押しのけると、アルゼスは足で乱暴に扉を蹴り開けた。重い扉は一蹴りでけたたましく音を立て勢い良く開かれる。

 アルゼスがラスルを抱えたまま部屋に足を踏み入れると、扉は自らの重さで再び閉じられようとしていた。


 「殿下っ!」


 最後にクレオンが叫んだが、ラスルがクレオンと視線を合わせたと同時に扉は音を立て完全に閉じられてしまった。



 乱暴に抱きあげられたまま見回す部屋は、シンプルだが高価な調度品で埋め尽くされておりアルゼスの私室であると推察される。

 深夜に王太子が私室に女を連れ込む―――それが意味する事の大きさを知るラスルも冗談ではないとばかりに身をよじらせ暴れ出す。

 渾身の力で暴れ、腕から逃れた先は真っ白なシーツの上。

 この感触は前に経験した事のある、極上の眠りをもたらす寝台の上であるとラスルは瞬時に察し、慌てて逃げ出そうと身を起こしたが腕を取られ組み敷かれた。


 怒りに満ちた双眼がラスルを見下ろしている。否……怒りというよりもそこにあるのは強い嫉妬だ。


 「あの時傍らにいたのは俺だ。だというのに何故カルサイトなのだ?!」


 両腕を寝台に縫い付けられたラスルは、怒りの下に見え隠れする悲しみに胸を抉られた。


 アルゼスは塔の上で身を寄せ合っていたラスルとカルサイトを目撃したのだろう。前もって話し落ち合った訳ではないが、ラスルの事情を察しているカルサイトに心を寄せたのは事実。

 イスタークの来訪を告げた瞬間、心にざわめきを持ったラスルをアルゼスは案じた。それを拒絶しながらも、カルサイトに対しては自ら歩み寄ったのだ。 

 ラスルを好きだと宣言したアルゼスがそれを知り、自尊心を傷付けられ怒りを露わにしたとて何らおかしな所はない。それが人の心情というものだ。

 だが、だからと言ってごめんなさいと謝りアルゼスを受け入れる訳にはいかなかった。受け入れられない限りラスルにできることは拒絶だ。


 「見苦しい。」

 「何―――?」

 「男の嫉妬なんて見苦しいって言ってるの。気配消して勝手に人の後つけといて、そこで見た物が気に入らないから怒り心頭? 馬鹿じゃない? 子供じゃないんだからこんな事でいちいち怒らないでよ。」


 口を付いて出たのはけして冷静とは言えない文句。それでもアルゼスを受け入れられないラスルは、今更言葉を止める訳にはいかい。

 

 「で、怒った先で何やらかす気? こうして組み敷いて抱けば気が治まるならいくらでもやればいい。でもどんなに力や権力振りかざしても心は手に入れられやしない。わたしはあなたを人間としては好きだけど異性としては愛してないの。それで構わないんなら体だけ自由にすればいい。」


 「お前―――っ!!」


 かっとなったアルゼスはラスルが纏うローブの胸元を乱暴に引き裂くと、己の唇をラスルの冷たい冷え切った唇に押し付けた。

 虚勢を張ったラスルであったが、あまりの乱暴さに唸りを上げた拍子に僅かに口が開き、その隙を付いてアルゼスの舌が口内に侵入するのを許してしまう。


 執拗に繰り返される、戒めとも思しき愛情の欠片すら感じる事の出来ない乱暴過ぎる口付け。引き裂かれたローブの襟元からは剣を持ち慣れた硬い掌が入り込んで肌を這い柔かな胸に到達する。その瞬間ぞわりとラスルの背に悪寒が走り、抗えぬ記憶が泥濘の底から現実を纏い襲いかかった。


 漆黒の瞳は見開かれ、焦点は定まらない。見える物はぐにゃりと歪んだ高い天井で、感じるのは酷い嫌悪感と共に恐怖という名の絶望だった。

 組み敷かれた状態で執拗な口付けが繰り返され、肌に直接触れる手が柔かな曲線を描く体を乱暴に弄る。口付けが解かれ首筋に強く吸い吐かれると、痛みよりも更なる恐怖と慄きが全身を貫いた。


 ラスルは慄き、震える瞳をゆっくりと下へ向ける。見てはいけないと分かっていた。けれど抗えぬ記憶が命じるのだ。

 半裸状態のラスルがそこで見たものは、嫉妬に狂いラスルを犯そうとするアルゼスではなく、漆黒の髪に青白い肌の父、ウェゼート王の姿であった。

 


 「ひっ―――!」

 

 実の父親に体を開かれる恐怖に全身が硬直し息が止まる。

 突然硬さを増した肌にはっと我に返ったアルゼスは、怒りの感情のまま己が齎す状況に驚き、弾けるようにして身を起こした。


 眼下には組み敷いたラスルがローブを引き裂かれ、刻印の刻まれた胸を曝した無残な状態で硬直している。漆黒の目は見開かれ空を見つめているばかりで瞬き一つない。



 (いったい俺は何を―――?!)


 自分のしたこととはいえ、カッとなり我を忘れ女を凌辱しようとするなど王子として……いや、男として何て卑劣な行為に及んでいるのかと我が身に驚くと同時に後悔が襲う。


 何故こんな事になったのか解らない。ラスルの心が他を向いているなら振り向かせようと思案する中で、ほんの小さなきっかけがアルゼスの心をかき乱し、普段ではありえない横暴な行為に駆りたてた。如何なる理由があろうと正当化出来ない卑劣な行為だ。

 アルゼスは自分自身に驚きながら、見下ろすラスルの様子が尋常でない事に気が付く。



 「ラス…ル?」


 見開いた眼の瞳孔は開ききっており、一点を見つめたまま微動だにしない。

 ここでやっと曝された胸が上下していない事にアルゼスは気が付いた。


 「ラスルっ息だ、息をしろっ!」


 アルゼスは慌ててラスルを抱き起こし、力任せに背中を叩く。

 名を叫びながら背骨が折れるのではないかと思える程に叩きつけると、ひゅっ……とラスルの喉が音を立て空気を取り込んだ。

 ヒューヒューという音を立てながら、過呼吸気味に浅く単発的な息を繰り返す。

 苦しく切な気な涙を湛えた瞳がアルゼスに向けられたがそれも一瞬で、ラスルはそのまま意識を失い倒れ込んだ。



















 ふと目を覚ますと、暗闇の中に人影を見付けた。

 寝心地の良い寝台に横になるラスルの前には胡坐をかき、項垂れ俯いたアルゼスの姿がある。

 深く頭を下げているので髪が邪魔して表情は窺えないが、我が身に起きた状況をしっかり覚えているラスルは、横たわる自分の前に胡坐をかいて項垂れるアルゼスがとても落ち込んでいるのだと分かった。

 

 「目が覚めたのか?」


 力なく擦れた声を発したアルゼスは、悲痛な表情を浮かべたまま微動だにしない。

 ラスルが起き上がると掛けられていたシーツが外れ、引き裂かれたローブの胸元が露わになり、アルゼスは後ろめたさからすかさず視線を外し、ラスルは破れたローブを引いて胸を隠した。

 


 「すまない。俺は何という事を―――」


 謝って済む問題ではないのは百も承知。ラスルに異変が起きたのはアルゼスの暴挙が原因で、辛い過去を思い出させてしまった事による心因性の症状だというのは一目でわかった。

 嫌なら魔法で攻撃し、拒絶するのも可能だった筈だ。ラスルがそれをしなかったのは相手がアルゼスだったからで、アルゼス自身もラスルから攻撃を受けるとは露ほども思っていなかった。アルゼスはその誠意に応える事が出来ない所業に面目なく、辛い過去の出来事を鮮明に思い出させてしまった申し訳なさに顔を上げる事が出来なくなってしまう。


 酷い後悔の渦の中にいるアルゼスに対し、ラスルはこんな目に合いながら意外にも冷静だ。これではどちらが被害者か解らない。


 「別にいいよ、結局は未遂だったし……それにやれって言って火に油を注いだのはわたしの方でしょう?」

 「そういう問題ではなかろう―――」


 アルゼスの罪を許そうとしているのか、軽く言ってのけるラスルに詰め寄りそうになるが、ラスルが隠すように合わせる胸元を目にすると、アルゼスは再び視線を反らして俯いた。


 どう償えばいいのか分からない。適切な謝罪の言葉すら浮かばず、いっそ罵り卑下してもらえた方がどんなに楽かとアルゼスは拳を握りしめた。



 流れる沈黙の中、ラスルはそっと息を吐く。

 自分の存在がアルゼスを苦しめているのだろう。自分の何がアルゼスをこうまで急き立てたのか理解できないが、このまま放っておいても埒が明かないのは確かだ。

 ラスルの心を手に入れられないもどかしさがいつまたアルゼスに火をつけ、良好なカルサイトとの仲を険悪なものにしないとも限らない。

 

 ラスルは硬く握られたアルゼスの拳に手を伸ばすと自分のそれをそっと重ねた。

 驚いたアルゼスが顔を上げると、切なげに揺れる漆黒の瞳が柔かにアルゼスを包み込んでいる。

 

 「前にも言ったけど、わたしは王子様やカルサイトに想われるに相応しい大層な人間じゃない。特にカルサイトに対してわたしは……とんでもない仕打ちをしようとしている。」


 ラスルの言葉にアルゼスは物問い気な視線を向け、それを押し留める事無く口を開いた。

 

 「人を想うのに相応しいも何もないのではないか。お前の想いはどうあれ、俺は純粋な気持ちでお前を愛している。俺を拒絶するのは解るが、カルサイトを否定するのは何故だ? お前はいったい何を背負っている?」

 

 漆黒の瞳と闇に煌めく青い瞳がぶつかる。

 互いが互いを吸い込んでしまいそうな程見つめ合い、さらにアルゼスの瞳はラスルの内なる真実を見付けだそうと必死だった。


 

 「わたし、あと一年……長くて二年で命を終える。」



 真っ直ぐに互いが見つめ合っての告白。

 体を繋げる人へは語れない、愛するからこそ言葉に出来なかった理由を、彼らの友情の為にも今ここで吐露する。

 

 命を終える―――あまりに唐突な告白にその意味を捕えきれず、アルゼスは数秒置いた後で眉間に深い皺を刻んだ。


 「何の話だ?」


 唐突に何だ、何を言い出すのだと疑問に満ちた眼差しは当然のものだった。

 

 「わたし達純血種の魔法使いは、どうやら尽きかけた自分の寿命が解るらしいの。祖父も己の死期を察してわたしをイジュトニアに戻した。」


 冗談など口にしないラスルの言葉を受けたアルゼスの顔色が、暗闇の中ですらみるみる青くなるのが手に取るように感じられた。


 「いったい何の病だ?! スウェールには腕の良い医者がいる。魔法で駄目なら幾らでも治療を施させよう!」

 

 鬼気迫る勢いで詰め寄るとラスルの肩を揺らし、そのせいで胸元が肌蹴た事にも気が付かない。

 互いの鼻先が接触しそうになるほど顔を近付け迫るアルゼスに、ラスルは穏やかな微笑みを浮かべてゆっくりと首を振る。


 「病とか魔法とか……まして医者でどうこうなる問題じゃない。これは決まっている事だって解るの。」

 

 ラスルの穏やかさが更にアルゼスの不安を誘った。 

 

 「それが……お前がカルサイトに言えぬ秘め事だと?」

 「そうだよ。おいて行く事が解っているのにどうして言える? 綺麗事じゃないの。大切に思う人に逝かれた時の辛さや喪失感は時間と共に強くなり心を蝕む。わたしはそれを知っていながら彼には言えない―――彼の想いを受け入れながら踏みにじっているの。突き放すべきだと解っているのに優しさに甘えて……最後にはある日突然目の前から消え失せるのよ。」

 

 その辛さを身をもって知っているのに、愛してくれるカルサイトに突き付けようとしている。

 死期を悟った事実を言えない、言いたくないのはラスルが死を求め続けているから。死を求める弱い心を知られたくないという身勝手な自己都合でカルサイトを裏切るのだ。



 「言うべきだ―――」

 「嫌よ。」

 「何故だ、同情されるのが嫌なのか? カルサイトはそれを知って同情の目を向けたり、まして折れたりする弱い男ではないぞ?!」

 「カルサイトはわたしが死にたがっている事を知ってる。わたしなんて死ねばいいとあの時からずっと思ってた。そんな汚い自分を知られたくない―――たったそれだけの理由でわたしは彼に酷い仕打ちをしようとしているの。」


 解らないと―――アルゼスは頭を振る。


 「死ぬと決まった訳ではない。」

 「決まってる。王子様には理解できないでしょうけど、それを知った時はあまりの嬉しさに身が震えたわ。」


 ぱんっ―――と、乾いた音が闇に響いた。

 力任せではなく軽いものだったが、アルゼスの手がラスルの頬を打ったのだ。

 

 「死を受け入れるには若すぎる―――お前には生きようという意志はないのか!」

 「ないよ。」

 「何っ?!」

 「存在自体が争いの種になる―――イジュトニアの魔法使い全てが厭い、一思いに殺してやりたいと望む存在。わたしが魔法使いかれらに殺されないのはウェゼート王の異常な執着がそれを許さないからよ。」


 こんな身で生きていてどうなるのか。

 災いを齎す娘など―――彼らはラスルが消えてくれる日を待ち望んでいるのだ。


 「カルサイトはあれを見て知っている。だから余計に言えない――」


 最後に漏れた本音にアルゼスは言葉を失った。

 

 魔法使いを見送るカルサイトと共に国境へ向かったラスルが身に受けた辛辣な何か。愛情の深さを垣間見せたイスタークの来訪を告げても、喜びの表情どころか凍りついたラスル。

 いったい何があったのか、その場にいなかったアルゼスには想像する以外に知る術はない。ただ死を受け入れるラスルを非難する権利は、それを知らないアルゼスにはなかったのだ。


 微笑みながら今にも泣き出しそうなラスルの表情にアルゼスは心を抉られる。


 「すまなかった―――」


 何に謝るのか。

 アルゼスは腕を伸ばし、そっとラスルを抱き寄せる。

 そこには男としての欲望など微塵もなく、純粋に申し訳なかったという思いだけが存在し、同時に何とかして心を癒してやれないものかと胸を痛め、アルゼスはラスルを優しく抱いたまま、ひたすらすまないと謝り続けていた。

 





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