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放たれた矢



 周囲の不安を余所に、あれ以来ラスルが倒れる事は一度もなかった。


 物言いたげなシュオンの視線をうけ、魔法使い特有の血がラスルの異変を嗅ぎつけたからだろうと予想できたが、あえてそれを無視すると、シュオンも倒れた原因について追及しては来ない。心配させるのには抵抗があるが、死期が迫っているからだと言えるはずもなく、あえて気付かない振りをするしかなかった。


 やがて周りはラスルが倒れた事実も忘れ、日々平穏に過ぎて行く。

 日も沈み辺りが闇に包まれる中、ラスルは一人間借りする城へと戻りつつ薬草採取に勤しみながら帰宅していた。

 城から療養所へ向かう道中は、ラスルによって目ぼしい薬草は全て摘み取られてしまっていた。冬という季節でもあり、近頃は道程に見当たる薬草も少ない。

 ラスルは道をそれると木々の群生する森へと足を踏み入れていく。ふと冷たい物が頬を掠め、見上げると闇の中に白く輝く雪がちらつき始めていた。




 スウェールに降る今年初めての雪。

 ちらつく小雪は何処となく寂しい想いを抱かせる。意識して息を吐くと、長く白い道筋を作って消えた。

 歩みを止め闇に包まれた空を見上げていると、人の気配に気付いて後ろを振り返る。闇に溶けて色は解らないが、膝丈まであるマントに身を包んだ大きな男の姿。いつもは後ろで束ねられている銀の長い髪は無造作に下ろされ、闇とちらつく雪の中できらきらと輝いている。手の届く位置にまで迫られていたというのに全く気付かなかったその人は、優しい紫の瞳でラスルを見下ろしていた。



 「こんな時間に若い女性が一人で森に入るのは見過ごせない。」


 ここまで気配を消して付いて来ていたのだろう。咎める意思はないのか、優しく穏やかな低い声にラスルは心地よさを感じて耳を傾けた。


 「森が住まいなのに過保護すぎやしない?」

 「ここは君の知る森ではないし、この季節だ。闇夜で迷いでもしたら凍死しかねない。魔物も出るが……それは心配無用か。」

 「この程度の寒さなら大丈夫。それより目的ができたからわたしは行くよ。」

 「目的?」

 

 さきほどまでは、何でもいいから単に薬草を採取するということが漠然とした目的だった。集めた薬草を調合し薬を作る。戦争になればいくらあっても邪魔にはならないものだ。けれど森を目前にして雪に降られ、思い出したのがとある花の存在。


 「雪花が種を付ける頃だから―――」

 「雪花?」


 初冬に咲く極めて珍しい白い花で、初雪が降る頃に小さな種が付く。極少量で心臓の薬になり、ほんの僅かでも量を誤ると人を死に至らしめる危険な毒草で、調合の難しさと危険性から心臓の薬として用いられることは滅多になく、用途の殆どが人を殺める暗殺などに使用されている。


 「そんな物いったい何に?」


 聞かずともカルサイトの周りでは雪花を用いる目的はただ一つ。穏やかな空気が張り詰め、一瞬で緊迫した表情になった。その理由をラスルは察する。


 「まかり間違っても王子様を殺そうなんて思ってないよ。」

 「それはそうだろうが、君は雪花の調合もできるのか?」

 「出来るから探しに行くんじゃない。見つかるかどうかは解らないけど戦場には必要な薬でしょう?」

 

 それはラスルが西の砦において、ロイゼオリスをみすみす死なせてしまった経験から学んだ事でもあった。

 あの時雪花の種があれば、それを調合した物がほんの少しでもあればロイゼオリスを生き長らえさせる事が出来たかもしれない。

 雪花から作られた薬は単に病に犯された病人の薬になるだけではなく、瀕死の状態となった人間の心臓を長持ちさせる使い方も出来る。出血多量などで死なれてはどうしようもないが、応急処置した重病人を適切な処置が受けられる場所まで移動させる際、それを用いて延命させ、命を救う機会を伸ばす事が可能になるのだ。

 

 「しかし雪花がこの森で見つかったと聞いた事はないが―――」


 薬にするのが難しく危険な毒。僅かでも世間に出まわっている以上何処かに生息しているのは間違いないが、スウェールでも国が管理する極秘の場所でしかその存在は認められていないのが現状だ。そう簡単に見つかる訳がない。


 「取り合えず探さなきゃ見つからない。機会はそうないんだからわたしは行くね。」

 「ラスル―――」


 迷いなく闇に包まれた漆黒の森へ足を踏み入れるラスルを追い、カルサイトも仕方なくその後を追って闇に姿を消して行った。

 














 闇夜の森で種を付ける雪花を探すのは無謀ではないのだろうか。実際ラスルは下を向いて探すでもなく、辺りを見回し闇雲に歩き回っているだけである。

 これで迷子にならなければ野生の感が備わっているとしか思えない―――カルサイトは苦笑いを浮かべながらラスルの後ろを歩いた。


 「雪花は特定の場所に育ったりするものなのか?」


 薬草などに詳しくはないカルサイトだが森の地理は把握している。目的の場所があればそこへ案内する事も可能だ。


 「場所ってのはどうかな。前に見つけたのは雑草の中に身を隠すように生えてたし。」

 「ならば日が昇ってからの方がよいのではないだろうか?」

 「そんなの関係ない。雪花は種になってからそれが地面に落ちるまで微かに不快な臭いを放つから。」

 「臭いとは?」

 「獣が腐る時の臭いに似てる。」

 「―――それはまた特殊な。」

 

 とんでもない臭いだと想像したカルサイトであったが、不意にラスルの腕を引いて引き止める。カルサイトの眼差しが騎士特有の厳しく鋭い物へと変化し剣に手をかけ、ラスルも意味を察して二人の間に張りつめた空気が立ち込めた。




 群生した森の木々の隙間をぬって白い雪が僅かに舞い降りていた。しんと静まり返った暗闇の中、聞こえるのは二人の息づかいと時折駆け抜ける風の音。

 しかし―――近くはないが、明らかに感じる気配。意思を持って消された気配はこちら側にとって友好的なものでないのは確かだ。


 消しても消し切れていない殺気は殺しを生業にする者ではなく素人だろうが、そんな事より問題は何故二人を―――いや、どちらか一方だけかも知れないが、いったい誰が狙ってきているのかという事だ。

  

 風を切る音と共にカルサイトが素早い速さで剣を抜きそれを捕えた。一本の矢が剣によって弾かれ、真っ二つに折れて地面に落下するが同時にもう一本、ラスルめがけて一筋の矢が放たれる。


 闇の中で見える筈のない矢を見据え、ふわりと柔かな風が黒髪を揺らす。飛んで来た矢はラスルの額までほんの僅かという位置で止まり、跡形もなく粉々に砕け、砂が舞うかに空を流れた。



 ラスルは見えない一点を見据える。長い距離を保つ先にある気配は二人、どういう訳か向こうからはこちらの様子が窺えているようだ。

 暗闇の中、群生する木々をぬって矢を放った所からすると相当の名手といえよう。そしてその名手の傍らに感じる気配は魔力。

 

 「的はわたし―――だね。」


 呟いたラスルの左手に淡い金の光が溢れ出す。


 「ラスルっ?」

 「大丈夫、傷付けない。でも邪魔だから―――」


 言葉の終わりに放った光は筋を描き、遠く離れた場所で炸裂した。


 遠くで小さな悲鳴が二つ―――男女の物と思われる声が上がると、ラスルは何事もなかったかのように先に進み出す。カルサイトは地面に落ちた矢を拾うとマントの内側にしまい込んだ。

 


 「今のは?」

 「目くらましだよ。一刻程は眩しくて動けない筈だけど、目に異常が残ったりはしないから大丈夫。」


 命を狙われたというのに特に何の感情も無く告げるラスルにカルサイトは眉を寄せる。


 「追求する気はないんだな。」

 「だってわたしは部外者だから。それを理解してもらえない限り、これ位の嫌がらせは覚悟しておかないと。」

 

 嫌がらせというには度を超えていた。カルサイトに牽制をかけたうえで迷いなくラスルの額を狙った矢。いくら相手が魔法使いでも、それがラスルでなければ今頃頭を貫かれて終わっていた筈だ。

 命を狙われたというのに何もなかったかのようにして雪花を探し歩くラスルの背を見つめながら、カルサイトは静かな怒りを胸に抱いていた。すると気配を感じたラスルが振り返ってふわりとほほ笑む。


 「怒らないで―――」


 過去に幾度となく人に襲われ、対処して来たのだ。人を傷つけずに逃げる術は心得ているし、その相手が魔法使いであっても変わらない。ラスルとスウェールに生まれた混血の魔法使いでは根本的に大きな違いがあるのだ。いくら束になってかかって来ても赤子の手を捻るように対処する力がラスルにはあった。

 

 それでも、だ。それでもカルサイトにはラスルが命を狙われた事実を消し去る事は出来ない。スウェールに籍を置く魔法使い達がラスルに対して抱く感情がどんなものか知っているだけに、何も出来なかった自分自身にカルサイトは怒りを覚えた。



 「すまない。」


 そう呟いて手を伸ばし、思わずラスルを抱き締める。


 「カルサイト?」


 あの日以来の接触にラスルは戸惑い身を捩った。


 「守りたいと思い、そう誓ったとしても……私には君の全てを守り抜く力が無い。」

 すまないと、何処か苦しそうに言葉を吐き出したカルサイトに、ラスルはそっと目を伏せ大きな背に腕を回した。

 


 彼は―――優しい。

 それが自分に向けてだけ特別なのか万民に対してそうなのかは知れないけれど、きっとカルサイトはラスルと関わりを持ったあの日から、たとえ深い関係になっていずとも同じ様に思い、今回の件に関して己に憤りを感じたのだろう。

 守る守らないは力の問題ではないし、ラスルはスウェールの魔法使いと手を繋いで楽しくやりたいとも思ってはいない。上手くやれればそれに越した事はないが、ラスルの持つ絶対的な力が彼らに敵対心を抱かせるのだ。ラスルに好意的なシュオンなどは異例中の異例であり、スウェールに属する魔法使い達とラスルが心を通わせるなど夢のまた夢、幻に近いだろう。

 だから、これについてカルサイトが心を痛め自身を責める必要などないのに―――


 「守ってなんてくれなくていいよ。」


 必要ない。

 突き放すような言葉に、カルサイトは思わず顔を上げラスルを抱き締める力を弛める。不要だと、いらないと何でもない事の様に告げられるのだけは嫌だった。けれどラスルが続けた言葉はそんなカルサイトの考えとは違っていた。


 「一番必要だった時に側にいたくれたでしょう? それで十分だよ。」


 あまり優しくされると抜け出せなくなる。

 突き離せない本心と、突き放さなければならない建て前。はっきりとした物言いが出来ない今、既に時は遅く抜け出せなくなっているのだろうか。



 「ラスル―――」


 緩められていた腕の力が再び込められ頬を寄せられた。 


 「本当はこうやって―――ずっと君に触れたかった。」


 切ない吐息が首筋にかかり、ラスルはびくともしないと分かってはいたがカルサイトの胸を押す。

 

 「カルサイト―――」


 ラスルの冷たい手がカルサイトのマントをぎゅっと掴む。


 「わたし……あなたに想われる資格なんてない。話せない、話したくない、あなたを傷つける秘密があるの。」


 秘密の存在を告白しても話す気などない。カルサイトに対してしっかりと心を開いていないのかもしれない。でもそれでいいと思える程、ラスルは己が見据える死を彼に向かって口にする勇気が持てなかった。


 「―――知っている。」

 「えっ?」

 

 一拍置いて、カルサイトの意外な返事が返ってきた。

 

 「君が何かを言えないでいる事は知っている。話したくないのならそれでも構わない。勿論知りたいとも思うが、それを知れば君が目の前から消えてなくなるのではないかという不安があってずっと聞けずにいた。その秘密のせいで君が苦しんでいても、君を失う位なら今のままでいる方がずっといいと思う愚かな自分がいるんだ。」

 

 不安を拭い去ってやりたいが、そうする事でラスルを失う位なら気付かぬふりを貫こう。失う位ならその方がいいとずるい自分勝手な思いがあり、カルサイトはずっとラスルに触れる事が出来ずにいたのだ。

 

 ラスルが驚いていると、ふいを付くかにカルサイトが唇を重ねて来た。


 「カル―――」

 「資格がないと言うなら、私の方こそ君を想い続ける資格がないのかもしれない。」


 カルサイトの紫の瞳が切な気に揺らす。


 「君の悩みに気付きながら離れて行かれる事を恐れ、知らぬふりをした。こんな私が君を想い、こうして触れる事は許されない行為だろうか?」

 「違う、そんなっ―――おこがましいのはわたしの方だよ!」


 救ってくれた人を―――愛しいと言ってくれる人に何も告げずに逝ってしまおうとしているのだから。

 頭を振るラスルの頬をカルサイトの大きな手が捕え、先程とは異なる深い口付けが落とされる。


 「うんっ……ふぅっ!」


 隙なく注がれ続ける口付けの息苦しさに、抗っても息をするのがやっとで対処できない。何処までも深く続く口付けに手足が震え、やがて力を失い二人で膝を付き冷たい地面に倒れ込んだ。それでもカルサイトはラスルから離れようとはせずに求め続ける。


 唇を合わせ貪りどれ程時間が過ぎただろう。荒い息を吐きながらカルサイトが唇を離すと、すっかり力を失ったラスルが息も絶え絶えに、今にも意識を失いそうな濡れた瞳でカルサイトを見つめていた。

 


 「何で……急にこんな―――」

 「ずっと触れたかったと言っただろう?」

 


 ちらつく小雪が二人に降り注ぎ、漆黒の闇に白い息が立ちのぼる。

 寒さの中でラスルの吐息が熱く切な気に漏れた。

 



 


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