意外な行動
昨日の惨劇の場を再び訪れたカルサイトは、あまりの惨状に思わず息を呑んだ。
カルサイト達が慌ただしくこの場を後にしてから、やはり血の臭いを嗅ぎつけた魔物や野生動物によって仲間達の遺体は無残にも食い荒らされ、硬い頭部までもがぐちゃぐちゃに潰れて跡形も無くなっていた。食い残しの肉片や内臓が辺り一面に散乱し、腐った死臭に鼻がもげそうになる。
騎士団の黒い制服も鋭い牙に引き裂かれ肉体と共にもとの形状は留めず、個人の判別など出来る状態ではなかった。
仲間の血と倒れた魔物の体液に染められた地に足を踏み入れ、遺品となりそうな剣や指輪、その他身に付けていたと思われるものを探す。
十二本の剣は全て回収できた。それぞれに名が刻まれているので誰の物かは判別できるが、身に付けていた小さな物は肉と共に飲み込まれてしまったのだろう。散らばった肉片を掻き分けても何一つ探し出す事が出来なかった。
拾い集めた剣を縄で縛り抱えて馬に跨る。アルゼスが砦に到着しなかった事で今頃砦も城も慌てているに違いない。カルサイトは一刻も早くアルゼスの無事を知らせに向かわねばとの思いに駆られたが、アルゼスの目が覚めないうちは側を離れる事が出来なかった。
遺品となる剣を持ち帰ったカルサイトは血に濡れたそれを清める為に水場を求めた。だがあばら屋の周辺に井戸は見当たらず、ラスルに聞くとこの辺りに井戸はないと離れた場所にある川へと案内される。
思えば近場に温泉が湧き出しているのだから井戸を掘っても湯が出るだろうし、そもそも人が住まうとは思えない場所なのだ。身を寄せるあばら屋があるだけでも奇跡である。
「必要な物はどうやって手に入れているんだ?」
あばら屋周辺には畑が作られ、食べる物は何とかなるにしても暮らすには最低限必要な物がある。カルサイトが浅い流れの川に入り剣の血を洗い流していると、ラスルも側に来て手伝い出したので疑問を投げかけてみた。
「たまに街に出て薬を売って、それで得たお金で必要な物は十分買える。」
ラスルは魔法だけではなく薬にも精通していた。
全ては死んだ祖父から得た知識で、ラスルが調合する薬は効果覿面で評判も良い。しかも安価で年に数回しか売りに出ないため、その効果を知る者達はラスルが現れると直ぐ様それを買い求める為に群がりあっと言う間に完売してしまうのだ。
「ここから街へ出るとなると徒歩では辛くないか?」
ラスルが馬を飼っている気配はない。ここからラスルの足で一番近くの街へ向かうとなると三日はかかるのではないだろうか。
「森で一泊、街道沿いで一泊して街に向かう。」
「森で?!」
カルサイトは剣を洗う手を止め冗談だろうとラスルを凝視した。この娘は魔物の巣くう森で野宿をすると言うのか。
「ショムの木が群生する場所がいくつかあるから。」
「だからって、女性一人の野宿は危険だろう?」
するとラスルは屈めていた身体を起こし、「う~ん」と唸り考え込んだ。
「魔物に襲われた事はないけど……人に襲われた事はあるかな?」
「襲われたと言うのは、その……」
聞いてはいけない話題を振ってしまったと後悔するカルサイトに対して、ラスルは再び「う~ん」と唸る。
「魔法で脅すと大抵は逃げてくれるんだけど、時々肝の据わった男がいて攫われたりした事もあったよ。」
「攫われた?!」
さらりと言ってのけるラスルに、聞いているカルサイトの方が驚いて声を上げてしまった。
「人買いに売られたけど直ぐに逃げて来たから特に問題なかった。」
何でもない事のように言ってのけるラスルにカルサイトは半分驚き半分呆れ―――心底心配になる。どんなに力のある魔法使いだとしても、こんなのでよく生き残って来れたものだ。
「脅して駄目なら何故攻撃しない?」
「そんな事して殺しちゃったらどうするの?」
逆に呆れたように問い返すラスルに、カルサイトは自分が手にかけた数えきれない命を思い返す。
戦地に赴き迷う事なく敵を切り捨てて来た。それ以外にもアルゼスを守るために暗殺を企てる者から夜盗の類に至るまで、その手にかけて来た人間の数は計り知れない。それが騎士として当然の世界に生きて来たカルサイトに対して、ラスルは危険な森にたった一人で住まいながら命の重みを感じ己を犠牲にするのだろうか。
「それに魔法で人を守りはしても傷つけてはいけないと祖父から言われているから。」
だからラスルは魔法で人を傷つけた事は一度もない。
生まれて間もなく母親を亡くしていたラスルは物心付いた時から祖父と大陸中を旅してまわり、魔法の使い方や薬に関する知識、畑仕事などの生活するのに必要な事や醜い裏の社会の存在に至るまで、祖父が知る全ての事を教えられ、時には自ら目にして学んだ。十二歳になってからの二年間は、ずっと離れていた父親のもとで生活をするようになったが反りが合わず逃げ出し、スウェール王国のこの森に身を落ちつけていた祖父のもとを訪ねたのだ。以来五年、ラスルは祖父が亡くなった後も一人ここに居座り続けている。
「君のお祖父さんは立派な人だな。」
今の世の中、相手を傷つけずに身を守り通すのは難しい。人を守っても傷つけてはいけないと言う教えは立派なものだが、力のないものからすればそれは綺麗事だ。
それでもカルサイトは血を分けた孫にあたる娘にそう説いた祖父の優しい心を垣間見て、嫌味ではなく心からそう思った。
ラスルの力をもってすると人を殺めるなど容易い事だ。だからこそ己が身を守るためにすらその力を使わせず、傷つけるなと言ってラスルの手が血に染まる事のないように気を使っている。
「すると君は戦いに身を置いた事はないのか?」
もしそうだとするなら、昨日魔物に食い荒らされた惨状に顔色一つ変えず冷静に対処していたラスルはいったい何なのだろう?
普通の娘なら震えて一歩も動けないとか、半狂乱になり悲鳴を上げるとか失神するとかあってしかるべきなのだが―――
「わたしは祖父と一緒に色んな国を旅したから戦いに出くわす時もあったよ。その時も人を傷つけたりはしなかった。ただ、救えた命はほんの僅かだったけど―――」
救える命なら救いたい、教えられたからでも偽善でも何でもなくそう思うのだ。
だからカルサイト達に出くわした時も、面倒だと思いながらも見捨てる事が出来なかった。関わりたくないと思いながらもアルゼスに薬を処方し面倒を見ている。
剣を洗うのを手伝うのも死んだ者への弔いの気持ちがあったし、残された家族の気持ちを思うと少しでも役に立ちたいと感じるのだ。
ラスルは祖父が死んだ時、ずっと一緒だった人を失った悲しみと一人になった寂しさで泣き暮らした。病を患っていた祖父は生前ラスルに国へ帰る事を勧めたが、当のラスルに戻る気は全くなく、戻るくらいならこの森で祖父を弔いながら一人で生きて行く方がどれ程ましかと一人を望んだ。
ラスルは昔に思いを馳せた後、再び剣にこびり付いた血を洗い落とすのに専念する。そんなラスルの横顔を複雑な思いで見つめた後、カルサイトも再び冷たい川の流れに意識を戻した。
剣の血を流し終えた時、ラスルは思い出したように「あっ」っと声を上げる。
「お腹……空いてるよね?」
ラスルの一言でカルサイトは昨日から何も口にしていない事を思い出した。魔物に襲われ多くの仲間を一度に失い、自分も命を失う瀬戸際だったせいか空腹を感じる事はなかったが、ラスルに言われて急に腹の虫が騒ぎだす。
戦況下においては数日食べなくても平気な体だったが、空腹を感じるという事は命が危うかったアルゼスの容態も安定し、カルサイトの心に余裕が出てきた証拠だ。
二人は剣に付いた血を洗い流し終えると、来た時より僅かに心軽くあばら屋に戻って行った。
料理と言って出されたのは塩茹でにされた山菜と、畑で採れたばかりの野菜。
カルサイトが普段口にするものとは比べ物にならないほど粗末な食事だったが、それをおくびにも出さず有り難く頂戴した。
それよりも気になったのはラスルの食事風景だ。
カルサイトに出された物は茹でられ火が通されていたのだが、ラスルは畑から抜いて来た一本の人参を水洗いし、皿にも移さず手に持ったままポリポリと部屋をうろつきながら食べている。一人暮らしの為テーブルが狭いとか椅子が足りないとかの問題ではない。実際亡くなった祖父が使っていたのだろう、テーブルは小さいが椅子は合わせて二脚あり、アルゼスが眠ったままなので数は足りている。
なのにラスルは席にも付かず葉の付いたままの人参をかじりながら、時にしっかりと口に銜え込みつつ棚から薬を取り出し、今度はすり鉢に入れて粉にし出した。
椅子に腰かけたと言うのに片手にすり鉢、片手にすり棒を持って薬を粉にしているため、人参は口にくわえたまま器用に食べている。
口にくわえた人参が短く太くなるにつれラスルの口に合わなくなり、ポロリと口から床に落下し―――ラスルはそれを無造作に拾い上げるとそのまま一口かじってテーブルに置いた。
カルサイトはその様を呆気に取られて見つめていた。
命を助けてもらった上、居候して食事を世話になっている身としては口出しできる状況にはない。ないが……それにしてもあまりに無頓着というか、年頃の娘らしくないラスルに驚いてしまう。
こんな所に一人で住まっているせいでこういう性格になってしまったのかもしれないが、カルサイトが目にする女性達とのあまりの違いに驚き、食事を口にするのも忘れて思わず行動の全てに見入ってしまっていた。
テーブルに置いた食べかけの人参を手に取りかじった後で、ラスルはカルサイトの視線に気付き漆黒の瞳で見据える。静かな空間にラスルが噛み砕く人参の音が響いた。
「こっちの方が好き?」
手にした食べかけの人参を一口どうかと言わんばかりに突き出すラスルに、カルサイトは慌てて首を振る。
「いや、これで十分だ―――」
面白い娘だと、カルサイトは今更ながらに気が付いた。
「何を作っているんだ?」
疑う気はないが、アルゼスの口に入るものだと推察し確認する。
「滋養強壮剤とでも言うのかな? 造血作用のある薬だけ飲ませても栄養が取れないと効果も薄れるからこれも飲ませる。」
ラスルは説明すると今まで自分が食べていた人参の葉を千切って加え、更に磨り潰して水を加えた。
何だか適当に作っている様だ―――大丈夫だと思うが一応味見をしてみると、苦味よりも後から加えた人参の葉のせいでかなり青臭く、アルゼスに意識があったら決して口にしない味であるのは間違いない。
スウェール王国の第一王位継承者であるアルゼスだが、過去にはカルサイトと同じくフランユーロ王国との戦争に参加した経験がある。だからどんなに不味くて不衛生なものでも必要なら口にできる体だが、だからと言って今は情勢も安定し、戦場に立ったのは五年も前の話になる。たとえ腐ったとしてもアルゼスは王子だ。王宮での豪華な食事に慣れ切った今のアルゼスが口にして我慢できる味ではなかった。
アルゼスの体の為にも意識がなくてよかったかもしれない―――カルサイトが心の中で呟いていると、ラスルは出来上がった薬を手にしてアルゼスの眠る部屋に入って行ったので、カルサイトも慌てて後を追った。
アルゼスは硬く瞼を閉じたまま規則正しい寝息を立てており、血色もかなり良くなり容態は安定している様だ。ラスルは薬を側にある台の空いた場所に置くと、アルゼスの首筋に軽く触れ脈をとろうと腕を伸ばした。が―――次の瞬間。
硬く閉じられていた筈の瞼が上がり深い海のように青い瞳が見開かれる。何が起きたのかを正確に捉えたカルサイトだったが声を上げる間もなく、伸ばされたラスルの腕が目を開けたアルゼスによって瞬時に締め上げられ、黒いローブ姿の身体が回転し寝台に押し潰されるとそれと共に―――
ゴリッ―――っという鈍い音がした。
「殿下っ!」
ラスルは右腕をうつ伏せの状態で背中に回され締め上げられると共に、首根っこを強く押さえ付けられて硬い寝台に顔を埋めていた。
「貴様何者だ?!」
アルゼスの厳しい声が飛び、カルサイトは慌てて二人の間に分け入る。
「おやめ下さい殿下っ、彼女は命の恩人です!」
分け入って来たカルサイトに目を向けたアルゼスは、黒いローブ姿のカルサイトを目にして訝しげに眉を顰めた。
「お前、何だその格好は?」
「説明いたしますから、まずは彼女から手を離して下さい!」
「彼女?」
アルゼスは組み敷いた輩に視線を落とすと、一面に乱れる邪魔な黒髪をかき分ける。そこには苦痛に顔を歪めながらも悲鳴一つ上げない若い娘の横顔があった。
「………あの時の魔法使い?」
「殿下っ!」
凝視したまま締め上げた手を緩めないアルゼスにカルサイトの厳しい声が落とされる。
「ああ、すまん―――」
アルゼスは手を離すと組み敷いたラスルからゆっくり身体を離すが、立ち上がろうとした拍子に酷い目眩に襲われラスルの背中に手を付いてしまった。先程の俊敏な動きは何処へやら。失った大量の血により貧血状態なのだろう。カルサイトは隣の部屋から椅子を持って来ると、不安定なアルゼスに手を貸し座らせると、うつ伏せの状態で後ろに腕を回したままのラスルを起き上がらせる。
「恐らく関節を外したと思う。」
ばつが悪そうにアルゼスが呟いた。
意識を失う前に目の当たりにした魔物の頭が吹き飛ぶ光景と、黒いローブ姿の娘を思い出したと同時に今の状況を把握するに従って、アルゼスは目の前の娘が自分達を助けてくれた魔法使いなのだとようやく理解する。
意識の覚醒が近付いていた所に冷たい手が首筋に触れ、条件反射で身体が動いてしまったのだ。締め上げた時の音と感触からすると、恐らくではなく間違いなく肘の関節を外してしまっている。咄嗟にとってしまった行動とはいえ、恩を仇で返してしまうような事をしてしまった。しかも相手は若い娘ではないか。男ならいいという訳ではないが、無抵抗な娘にしでかしてしまった行為を恥じ、アルゼスは申し訳なさに眉を下げ言葉を失う。
ラスルが治まる事のない痛みに耐えながらも怪我の状態を探ると、アルゼスの言葉通り肘の関節が外れているではないか。骨折なら直ぐに魔法で治療できるのだがこれは無理だ。
「入れてもらえる?」
ラスルの額に冷や汗が滲む。
「私は医師ではないので上手く入れられるか―――魔法では無理なのか?」
内臓を再生できる程の治癒魔法を使いこなせるラスルだ。素人のカルサイトが関節を入れなおし苦痛を与えるよりも、自身で治療した方が良い様に思えて口にしたのだが。
「外れた関節は一度入れなきゃ無理。入りさえすればどんな状態でもいいからやって。」
ラスルには自分で関節を入れられるほどの力はない。もし出来たとしても自分で自分の傷を抉る様な作業はなるべく避けたかった。
「分かった。出来るだけ上手く入れるよう努力する。」
カルサイトはラスルの右に回り寝台に片膝を乗せると、ラスルのローブの袖を上げ細い腕に触れる。関節は見事に外れていて肘から下が不自然に曲がっており、肘の周りはすでに赤く腫れ上がっていた。相手が見慣れた騎士や兵士ではなくか弱い女性なだけに痛々しさ倍増だ。
「やるぞ―――」
腕を曲げさせただけでも苦痛だろう。
カルサイトは苦痛に歪むラスルの顔をあえて視界に入れないようにしながら素早く済ませようと上腕を体で固定し、腕を持って内側に回しながら押し込んだ。
掴んだ腕にコキッ……という小さな音と振動が伝わり、それを待っていたかにラスルが左手で肘を掴んでその場に蹲る。
「大丈夫か?」
声をかけるとラスルは無言でこくこくと何度も頷く。折り曲げられた身体の隙間からは淡い金の光が溢れていた。
関節を外された時もだが入れた時も全く苦痛の声を上げないラスルにカルサイトは感嘆する。アルゼスも同じ様に感じた様で、治療を終え身体を起こしたラスルを不思議そうに見つめていた。
「本当に申し訳ない。」
頭を下げるアルゼスにラスルは頷くと、先程傍らに置いた薬入りのすり鉢をアルゼスに差し出す。
「何だ?」
「造血効果を上げるための薬。」
差し出されたすり鉢を受け取りもせず中の液体に鼻を近付け臭いをかぐと顔を顰める。
「―――俺には無用だ。」
「殿下、彼女がせっかく作ってくれたのですから―――」
無駄だと思いつつカルサイトは薬を勧める。
「別に飲まなくたっていいよ。血が足りなくてまともに歩けない時間を十日位我慢すればいいだけだの話だから。」
故意か、または全く他意が無いのかは分からないが、ラスルの物言いにアルゼスはムッとする。まるで飲まなくてもいいが、その分無様な様を曝すのはお前だぞと言われているようだった。
恩人に礼を述べるより先に暴挙を働いてしまった負い目もある。アルゼスは腕を伸ばしラスルが手にしたすり鉢を奪い取ると、眉間に皺を寄せたまま一気に飲み込んだ。瞬時に吐き出したくなる粗悪な味に驚愕するが、関節を外された痛みに耐え唸り声すら上げなかったラスルを前にしていては、男として必死に押し黙るしかない。アルゼスは込み上げて来る吐き気を堪え、口元を拭いながら空になった鉢を差し出した。
「じゃあ次は造血剤ね。」
微妙にだが、何となく嬉しそうな表情のラスルを見てカルサイトは驚く。
初めて目の当たりにしたラスルの微笑みは悪戯を思い付いた子供のようで、もしかして関節を外されたお返しか? と思わずにはいらない。
その後、ラスルの作った造血剤を意地を張って口にしたアルゼスは、あまりの不味さに意識を失った。アルゼスが不気味な味のせいで意識を失うに至った今回の造血剤は、前回まで作られた物の比ではない程の悪臭を放っていたのをカルサイトは追求しなかった。