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懺悔




 ラスルを抱きかかえたカルサイトを追い、シュオンはラスルが身を寄せている部屋を初めて訪れ驚いた。


 部屋の中は辺り一面薬草で一杯。

 いつの間に採取したのだろう。早朝から深夜まで兵士が集う療養所に詰めておきながら、同時にこれだけの薬草を採取して回っていたのである。部屋には立ち込める薬草の匂いが充満していた。

 魔法使いの癒しの力でも病への対処は難しい。その弱点を補う為か、様々な病に対処した多くの種類の薬草が壁一面に吊るされ、乾燥を終えた分は床に置かれた麻の袋に詰め込まれていた。



 意識の無いラスルを寝台に移しながら、ラスルの生活を知るカルサイトさえこの様には驚かされていた。

 恐らくは療養所に通う道すがら採取して来たのだろうが、たった数日でこれほどまでの量を採取して来るとは驚きだ。もとは女官用の宿舎である一室が、僅か数日でラスルが長年住まった森にあるあばら屋の一室であるかに、薬草独特の匂いが立ち込める異質な部屋へと変貌を遂げていた。

 これを前に案内されていた客室でやってのけていたなら、クレオンをどれ程驚かせたであろうかと想像しつつ、カルサイトは医者を呼びに行くからとシュオンに一時ラスルを預ける。

 やがて王宮仕えの王族・高官専用の医師が到着するより早く、話しを聞き付け血相を変えたアルゼスが部屋に飛び込んで来た。



 「何があった?!」


 アルゼスは驚くシュオンに見向きもせず、ラスルが眠る寝台になだれ込むように飛びつく。

 突然の王子の乱入に唖然とし、言葉を失うシュオンにアルゼスの厳しい声が飛んだ。


 「何があったと聞いておるのだ!」


 咎める口調にシュオンは慌てて状況説明に口を開く。


 「ラスルさんは普段通り兵士へと治療を施しておりました。食事を兼ねた僅かな休憩の後、歩いていた所を突然倒れたのです。」

 「何故倒れたのだ、何か重大な事が起こったからではないのか?!」

 「そっ、それは―――」


 解らないと―――シュオンが言葉に詰まった所で扉が開かれ、医師を連れたカルサイトが戻ってきた。


 「殿下、声が廊下にまで響き渡っておりますよ。」

 「それがいったい何だ?! ラスルが倒れたのだぞ、お前はよく落ち付いていられるな!」


 狭い部屋に大量の薬草と鍛え上げられた大の男に魔法使い、そして初老の医師と合計四人。

 騒ぎたてるアルゼスは当然の事、カルサイトとシュオンも診察の為に部屋を追いだされる。

 ひんやりと冷たい空気が流れる薄暗い廊下で男三人立ち並び、やがてアルゼスも少しずつ冷静さを取り戻して行った。

 

 「すまない、怒鳴って悪かった。」


 ラスルが倒れたと聞いて慌て取り乱したアルゼスは謝罪の言葉を口にする。

 少し考えれば解る事だが、カルサイトとて冷静でいられるわけがない筈なのだ。そこを慌てず対処したカルサイトと自分のあまりの違いに、アルゼスは冷静になればなるほど人として、また王子として恥ずかしくなってくる。

 アルゼスはちらりとシュオンに目をやり何か言いかけたが、西の砦で瓦礫の中から救い出された魔法使いであるのを思い出すと、黙って口を噤んで閉じられた部屋の扉を睨みつけていた。




 大した時間をかけずに扉が開き、ラスルの診察に当たっていた医師が顔を見せる。

 密室に籠っていたせいでどうやら大量の薬草の匂いにやられたらしい。鼻と口を布で覆い、気分悪そうにしながら廊下に出ると、再度中に入る事無くその場で病状を説明した。


 「どうやら過労の様ですな。目覚めてふらつきなどないなら、今日一日ゆっくり休めば大丈夫でしょう。」


 医師の言葉にアルゼスはほっとしたが、シュオンは怪訝に眉を寄せた。

 王族か高官しか相手にしない選び抜かれた医師だと言うのに、ほんの僅かな診察で過労と決めてしまうとは。

 いや、実際はこの医者の診立て通りなのかもしれないが、シュオンの不安はどうしても拭い去れない。

 眉間に皺を寄せ俯いて考え込むシュオンにカルサイトが気付く。


 「どうかしたのか?」

 「いえ、何でもありません。」


 医師の診断に難癖付けてもどうしようもない。癒しの力を専門にする魔法使いとはいえ、シュオンに病は治せないのだ。

 確かに過労で倒れてもおかしくない程働き詰めだったし、もともと体力のないラスルには無理が祟ったのだろうと思われても仕方がなかった。

 だが長い時間療養所に詰めていたとはいえ、あれしきの治癒魔法で倒れる程ラスルの魔力は小さな物ではなく、しかし原因も何も解らない『感』で医師に再診を求めても相手の自尊心を傷つけて終わるだけだ。

 シュオンは不安を抱きながらも、この場では大人しく口を噤むしかなかった。













 

 

 ラスルが目を覚ましたのはまだ薄暗い翌早朝だった。


 小さな窓から取り込まれる夜明け前の白い光が、椅子に座る男の姿を浮かび上がらせる。

 粗末な木の椅子に座るにはにつかわしくないスウェールの王子、アルゼスだ。

 分厚い高価な生地で出来た濃い紫の詰襟の長衣に身を包み、別れた裾から組んだ長い足が覗いている。もう少し丈が短ければ騎士の制服に似ているが、緋色や金糸の見事な刺繍で紋様が彩られており明らかにそれとは違う作りだ。

 腕を組んだ状態で俯き加減に瞼を閉じており、短めの淡い金色の髪が頬にかかっていた。

 

 どうやら眠っているようだ。

 ラスルは器用に椅子に座ったまま眠るアルゼスを起こさぬよう、視線だけを扉に向ける。

 扉の向こうにはもう一つの気配があり、それがカルサイトである事は容易に察しが付いた。

 何故こんな状況なのだろうと、自分がしていた事を振り返る。


 確か―――いつも通り兵士の傷の手当てをしていてシュオンに誘われ食事を取ったのだ。それから仕事に戻ろうとして―――以降の記憶がない。

 

 また倒れたのか―――と、ラスルが額の髪を掻き上げるとその動きに反応してアルゼスの瞼が持ち上げられた。



 「気が付いたか―――」


 ほっと安堵の息が漏れる。


 「疲労がたまって倒れたのだ、覚えているか?」


 疲労……か。

 そんな物露ほども溜まってはいないが医師がそう診立てたのだろうと察し、ラスルは寝台に横になったまま小さく頷いた。


 「倒れたついでにそのまま眠ったみたいだね。」


 いつもの時間に目覚めたということは、倒れてそのまま睡眠に突入したのだろう。


 「迷惑かけて悪かったね、もう大丈夫だから。」


 身を起こそうとするラスルを引き止め、アルゼスはラスルを寝台に押し戻した。 


 「暫くは大人しく体を休めていろ。」

 「平気、もう大丈夫。」


 ラスルには倒れた理由は解っている、これで二度目だ。過労が原因だとか言う医者の言葉はラスルに当てはまらない。

 だがアルゼスは違う。

 医師の言葉通りラスルは働き過ぎだと心配もしていた時に起こった事だけに、大丈夫だと再度起き上がろうとするラスルを再び寝台に押し付けた。


 「寝ていろ―――」


 アルゼスの口調が厳しくなり、仕方なくラスルは起き上がるのを諦める。

 ここで問答し抵抗しても埒が明かない。

 ラスルは寝台に身を預けると心底うんざりした様に溜息を付いたが、大人しく従ったラスルにアルゼスは満足だった。


 「ちゃんと寝ていろよ、しばらくしたら様子を見に来るからな。」


 多少粗雑ではあるがアルゼスは遊び呆けるばかりの体たらく王子ではない。基本的に早朝から規則正しい生活を送っている。クレオンがアルゼスの不在に気付く前に部屋に戻り、普段の生活に戻っておかねばラスルの部屋で一晩過ごした事が露見し、うんざりするほど嫌味を浴びせられるに決まっているのだ。

 いや、もしかしたらクレオンの事。既に事実を把握しながら側にカルサイトがいるのを予想して、見て見ぬふりをしているだけかもしれない。

 さすがのアルゼスも扉の向こうでラスルを案じるカルサイトがいては、愛しい人の寝顔を見つめても手出しは出来なかった。



 部屋を後にしようとしてふと我に返り、アルゼスはゆっくりとラスルを振り返る。


 「ちゃんと寝ていると誓え。」


 森で待てと言っても聞かず、命令は受けないと豪語したラスルだ。きちんと約束しておかねばアルゼスが部屋を出た途端に起き上がり、身支度を整え兵士達の待つ療養所へとむかうに決まっている。

 

 アルゼスは返事をしないラスルの枕元まで戻ると腰に手を当て威圧的に見下ろした。


 「お前は働き詰めで倒れたんだ。次に俺がここを訪れるその時まで、大人しく、寝台に横になって休んでいると誓うんだ。」


 否とは言わせる気のない声色に、ラスルはおもむろに身を起こすとくしゃくしゃの頭を掻き毟った。

 恐らく否と答えれば寝台に縛り付けでもするつもりだろう。だからと言って『了解』と嘘をついてもアルゼスを怒らせるだけに終わってしまう。

 森にいる時とは状況が違う。スウェールの王城に身を寄せている以上はアルゼスに従うのが筋だろう。傷付いた兵士を癒す仕事を取り上げられるのも、ましてアルゼスとこんな所で子供じみた争いをするのも止めておきたかった。

 

 「あのさ―――」


 ラスルは身を起こし寝台の上で正座をしてアルゼスを見上げた。

 何を言われても引かないと言う雰囲気を醸し出すアルゼスは、変わらずラスルを威圧的に見据えている。


 「わたし―――魔物ヒギに襲われてる王子様達に出くわした時、正直……面倒だって思ったんだよね。」 


 あの日アルゼス達に初めて出会った日。ラスルは面倒な場面に出くわしてしまったと心から落胆した。


 「関わりたくないって気持ちが強かった。さすがに見捨てる程非情にはなれないけど、王子様とカルサイトに勝ち目があると解ってたら何の手助けもしないであの場を立ち去っていたと思う。」


 生暖かい咽るような血の臭いに、草むらに転がる手足をもがれ内臓が散乱した原形をとどめない数多もの死体。

 満身創痍で、剣を手に立っていられたのが不思議なほど重傷だったアルゼス。

 あの時あの場面に出くわしていたからこそラスルは足を止めたのだ。相手が魔物ヒギであったとしても多くの騎士が生き残り剣を手にして戦っていたなら、ラスルは間違いなくあの場を去っていた。

 足を止めたのは、絶対的な死を前にしても二人が生を諦めていなかったからかもしれない。大量の血を流しながらも剣を手に大きく肩で息をしていた二人の姿を思い出し、ラスルは生よりも死を望む自分に後ろめたさを感じて視線を落とした。


 「あの時のわたしは、森での平穏な生活が何よりも優先させたい事柄だった。祖父が死んでからは特に隠れ住む意志が強くなっていて、最低限の接触すら拒んでいたの。」


 存在を知られる事を恐れ、ひっそりと静かに生きて行く事だけが望みだった。助けた相手がアルゼスだと知ってラスルが真っ先に心配したのは己の素性が知れる事。

 スウェールという大国の王子を助けた事で厄介事に巻き込まれるのではと心配したのだが、結果的に厄介事に巻き込んだのはラスルの方だった。


 「でも今はそんな事これっぽっちも思わない。印を刻まれたわたしに隠れる場所なんてないし、隠れても見つかって利用されるだけだって痛感した。瀕死の状態だった王子様達を助ける事は躊躇したけど、わたしのせいで傷付いた人たちを癒す事に迷いはない。自己満足の償いにもならない行為だけど、それを止められたらやり場のない気持ちは何処に持って行けばいいの?」


 ラスルは両手をぎゅっと握りしめると頭を下げた。

 長い黒髪が流れ落ち、膝元に渦を描く。


 「迷惑は百も承知。次にフランユーロが攻めて来た時には、金の光を宿す魔法使いとして持ってる力の全てを貸すわ。だからお願い、兵士達の治療にあたらせて。体は万全で何処も悪い所が無いのに休んでいるなんて、わたしのせいで怪我した人たちに対して申し訳なさすぎる―――」 


 倒れた原因は過労でも何でもない。体の何処かに異常があり、それが原因で近い将来命を終えるからであって、けして働き詰めた事が原因によるものではないのだ。

 

 腰に手を当て威圧的な態度を示していたアルゼスだったが、ラスルの言葉に態度を少しずつ緩和させていた。

 ラスルが頭を下げた事により、アルゼスは慌てて跪くと肩を掴んで顔を覗き込む。


 「だから―――フランユーロの件はお前のせいではないと何度言えば分かるんだ?」

 「それについて問答する気はない。」

 「ラスルっ!」

 

 責任は自分にあると引かないラスルに、事の起こりは過去にスウェールとフランユーロが一戦を交えたからだとアルゼスも引かない。


 尚も顔を背け、俯き頭を下げるラスルの面を上げさせようと、アルゼスは強引に掴んだ肩を揺すった。

 だがその力が強過ぎて揺すった拍子にラスルは大きく仰け反り―――『ゴンっ!』と大きな音が狭い部屋に響く。


 揺すられた拍子にラスルの後頭部が後ろの壁に激突したのだ。

 あまりに大きな音が響いたため、二人は驚き大きく目を見開いて一瞬見つめ合う。

 じわじわと痛みが押し寄せ、ラスルが無造作に後頭部をさすると鋭い痛みが走った。

 

 「こぶが―――」

 「なっ……何っ?!」

 「たんこぶ出来てる。」


 それを聞いたアルゼスは寝台に片膝を乗せ、腕を回してラスルの長い髪を掻きわける。

 その場所には大きな半円の膨らみ―――かなりの大きさの瘤が出来ていた。

 アルゼスの全身から血の気が引く。

 

 「癒せるのであろう?!」

 「勿論出来るけど……兵士の方が先。」

 「何っ?」

 「たんこぶなんて後回しだよ。それより治療を待ってる兵士の方を先に治療する。」

 「お前っ、それを理由に脅すのか?!」

 「―――意味不明。」

 

 壁に頭をぶつけ後頭部に瘤が出来たのはラスルだ。痛みはするが我慢できるし大した物でもない。兵士の治療にあたっているうちに小さくなるだろうし、それでも痛んで辛ければその時に治療すればいいだけの事。それを脅すとか何とか……


 「とにかく、わたしがここに来た理由はスウェールに対して何らかの役に立ちたかったから。そして今できる事は傷付いた兵士を癒す事だけ。逃げる事を止めたわたしからそれを取り上げないで欲しいの。」


 過去には祖父に同行して大陸を回り、戦場では傷ついた人を癒した。魔法で人を傷つけてはならないと言う言葉に従いもしてきたというのに、ラスルは祖父を失ってから人の命よりも己の平穏を最優先に生きて来てしまっていたのだ。瀕死の状態であったアルゼス達を見付け面倒だと感じ、彼らが死にいたる様な状況でなければ見て見ぬふりも厭わない―――そんな人間になり下がっていた。


 今更遅いのだろうが、ラスルが見も知らぬ兵士達を最優先にするのも、そんな過去と決別しようとしていたからだ。

 その機会を奪わないで欲しい―――


 漆黒の力強い瞳で見つめられたアルゼスは、ラスルの懇願に諦めの溜息を落とすしかなかった。


 「本当に大丈夫なんだろうな?」

 「体力ないけど魔力だけはしこたまあるの。あれしきの人数で力尽きる程軟な魔力じゃないわ。」

 「―――次に倒れたりしたら今度こそ縛り付けてでも休ませるからな。」

 「いいわ、約束する。」


 きらきら輝くラスルの自信に満ちた瞳が眩しくて、アルゼスは頬を熱くし、それを隠すかに眉間に皺を寄せると勢い良く立ち上がり扉へ向かって大股に歩く。

 ほんの二歩で辿り着き扉に手をかけると、アルゼスは再度ラスルへと振り返った。


 「あの時―――」


 何? とラスルの目が丸くなり、アルゼスは扉に額を押し当てるように背を向けた。


 「いかなる状況であったとしても、決してお前は俺達を見捨てはしなかった筈だ。」


 それだけ言い終えると、アルゼスは素早い身のこなしで扉の向こうに姿を消す。


 開いた扉の先で暗い廊下に佇むカルサイトの姿を一瞬だけ垣間見たラスルは、暫くの間、閉じられた扉に静かな視線を送り続けていた。

 





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