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冷たい朝空の下




 アルゼスはラスルの発言に驚きながらも、もともと変わった思考の娘であったというのを改めて思い出し、先に歩き出したラスルの隣に並んで白み始めた朝の散歩へと繰り出す。

 

 この非常時に散歩など……いったいいつ以来だろう。

 興味のないどこぞの姫君と無理やりやらされたのが最後だったなと嫌な体験を思い出しながら、目深にフードをかぶり、白い息を吐いて隣を歩くラスルをアルゼスは見下ろしていた。

 


 「こうしてお前と肩を並べ城を歩くとは……出会った当初はこんな日が来るとは思いもしなかったな。」


 まさか利害関係以外で女性に興味を持つ日が来ようとは。アルゼスの脳裏に今まで培ってきた過去の出来事が蘇る。

 スウェールの王子として生を受け王となるべくして育ったアルゼスは、異性に対する考え方が一般とは違うし、それが当然とそのように育てられた。互いに利用し利用される相手、それが伴侶となるべき者に求める絶対条件だった筈だ。

 それが当然の物として理解していながらも、傍らにラスルがいると全身全霊をかけて否定し、何とかして手に入れたい衝動に駆られ、同時にクレオンの忠告を思い出す。

 

 「城に来いって誘ったのは社交辞令?」

 「あの時は平穏であったし、何よりお前を得るのはスウェールにとって利益になるとしか考えていなかったからな。」

 「今は……利益になるとは到底言えないね。」


 自虐気味にラスルの口角が上がっていた。

 スウェールの平穏を崩したのは自分だと、ラスルは常にそう考える。

 確かにそれを証明する過去も現実もあるが、ラスルが受けた辛い出来事を知ったアルゼスは、心の底からそれだけは違うと否定していた。


 「そんな事は微塵も無い!」


 アルゼスは思わず感情的に声を荒げるとラスルの肩を引き、お互い向き合う形をとってしっかりと瞳を覗き込む。


 「俺は今回の件に巻き込まれたのはお前の方だと思っている。スウェールとフランユーロが始めた戦いの延長線上でお前が利用された。全ては過去に起こった戦争が原因であってお前には全く関係のない事だ。」


 過去にスウェールとフランユーロの間で起きた戦い。

 苦しい戦況の中、活路を見出す為だけにスウェールはイジュトニア王女の腰入れを求め利用しようとした。結局王女の腰入れは白紙に戻ったが、イジュトニアはスウェールに味方し、結果イジュトニアはフランユーロの恨みを買ったに過ぎない。その報復としてフランユーロの王グローグはラスルを利用し、スウェールとイジュトニアの両方を手に入れようとしたのだ。

 

 全てはスウェールとフランユーロの間で引き起こった戦いが原因、事の起こりであり、ラスルはそれに巻き込まれたに過ぎない。

 

 「だからこそ森で大人しくしていろと言ったのだ。俺は、危険な場所にお前を立たせたくはなかった。」


 お前に非はないと訴えるアルゼスに、ラスルは小さく微笑む。


 「そう言ってくれるのは有り難いけど、それは王子様の個人的意見でしかない。実際にわたしがいたからイジュトニアは言いなりになり、スウェールや攻め込んで来たフランユーロにも多くの死者が出た。いくらでも解釈は変える事が出来るけど、自分にこんな利用価値があると知りもしなかったわたしの無知が事の発端なんだよ。」


 父親であるウェゼート王の異常な愛がどんな結末を生みだすか―――ラスルを手に入れ利用するという考えはいくらでも思いつける、敵国側からすると当然の戦略。死んだものと処理されてはいるが、秘密は何処からともなく漏れるものだ。

 自分がどんな立場にあるのかちゃんと理解していなかったせいで起きた争いに、ラスルは大きな責任を感じていた。

 あの日森を出なければシヴァに出会う事もなかっただろうし、あの時自分が大人しくグローグ王に抱かれていたならミシェルは死なずに済んだ。もっと早く逃げだせたならスウェールの砦が陥落する事も、ロイゼオリスを含む多くの騎士や兵士が死ぬ事も無かった。当然、攻め入って来たフランユーロ軍の命も同じだ。


 後悔ばかりが心に渦巻くが、それに押し潰されていては償う暇も無くなってしまう。

 死ぬ覚悟はいくらでもあるし、それによって醜い連鎖は終焉を迎えるだろう。一刻も早くその時を迎えるべきだとも願う。だがその前に出来る限りの償いはしておきたいと、ラスルは残された時間でやるべき事を見付けた。

 


 「いくらでも解釈が得られるなら、他の意味があるとは思ってはくれないのか?」


 アルゼスの瞳がラスルを見下ろす。

 上り始めた朝日を浴び、いつもは青い瞳が瑠璃色に輝いていた。

 「わたしはけして悲観したり、悲嘆にくれたりはしてないよ。ついこの前まではそうだったけど、今はこの現実に立ち向かう気力は十分にある。」


 自分のせいで失われる命。

 力があっても一人ではどうしようもない、救えない儚さに絶望し悲嘆に暮れたが、限りある時間に直面し頼れる場所を見付けた事で、脆くも崩れそうだった心は繋ぎ止められた。

 

 「それは―――カルサイトのせいか?」

 

 突然の指摘に漆黒の瞳が僅かに揺れる。

 アルゼスの指摘通りラスルはあの日、思わず縋りついてしまった温もりを思い出していたのだ。 

 茫然自失状態だったとはいえ、決して誰でもよかった訳ではない。傍らにいたのがカルサイトだったからこそ縋ってしまったのだと思う。

 思いもよらなかった事だが、あの日カルサイトと肌を重ね生を実感した事で、ラスルは直面する現実に向き合う勇気を得る事が出来た。

 だけど―――


 「そう……あの日カルサイトがいたからこちら側に戻って来れたんだ。なのにわたしは、彼の気持ちを踏み躙る。彼に酷い仕打ちをしてしまう。」


 何かを返すべきだと形にしたい気持ちはあるが、自分を慈しんでくれたカルサイトに応えようにも死期を悟った身では大きな躊躇がある。それに自分に関わるとろくな事が起こらないのも事実だ。

 カルサイトから受けた愛情を仇で返す事だけは避けたい―――それがラスルが心から案じる不安。


 利用したという結果だけが残ってしまうが、応えたくとも応えられない限り、これ以上縋ってはならないと自分に言い聞かせる。その度に小さな痛みが胸にちくちくと湧き起こって来るのだが、その程度の痛みなど残される側の心情を身を持って知るラスルには大した物ではなかった。

 



 昇る朝日を眩しそうに見つめながら、何処となく哀しそうな表情を浮かべたラスルにアルゼスは思わず息を飲む。

 眩い光を全身に浴びたラスルが、今まで見たどの姿よりも美しく輝いており、切なげな表情がそれを更に引き立てていた。

 まるでこのまま光に呑まれ消えてしまいそうで、アルゼスは咄嗟に腕を伸ばすとラスルを強く抱きしめる。


 「なっ……お、王子様?!」

 「お前はもう、俺では手の届かぬ場所へと行ってしまったのか?」

 

 更に腕に力が籠り、肩越しに埋められたアルゼスの顔がラスルの耳に押し当てられ、直接言葉が脳裏に響く。

 冷たい朝の空気に曝されているというのに、触れられた場所全てが燃えるように熱かった。


 「俺では駄目なのか? カルサイトを想う時のお前は誰よりも艶めき美しく輝く。気持ちを踏み躙る……酷い仕打ちをすると言いながらも、お前の心はそれ程までにカルサイトを求めているのか?」

 「おう―――」

 「俺はお前を愛しく思う。この気持は例え相手が誰であろうと断じて劣りはしない!」

 

 カルサイトでも、例えその相手がウェゼート王であったとしても絶対に負けない。それ以上の想いでラスルを愛し、嘘偽りなき心で包み込んでやれる。

 


 危険な思いと知りながら一度口にすると歯止めが効かなかった。

 ラスルを母親と同じ運命にするのかというクレオンの忠告も、尤もだという自身の正論も吹き飛び、アルゼスは己の感情に流されてしまう。


 ラスルはカルサイトの妻ではない。カルサイトと想い合っていながら、心で求めながら何故かラスルはそれを否定しようとしているではないか。

 否定の理由がそれほど深く想っていないからなのか、他の理由があるかは知れないが―――

 素直に飛び込めない、躊躇させる何かがある限り、完全に負けを認めるのは早まった行為だ。

 

 アルゼスがラスルを強く抱きしめ愛おしそうに擦り寄った事で、耳の側にあったアルゼスの唇がラスルのこめかみ近くに移動する。

 はっと我に返ったラスルは咄嗟に身を捩りアルゼスを押し退けようとするが、明らかな力の差でびくともしなかった。

 このままではいけないと必死の思いで声を上げる。


 「わたしは誰の物にもならないっ!」


 誰の物にも、なれないのだ。


 「想いを寄せてくれてありがとう。でも応えられない気持ちをぶつけられてもどうしようもないの。わたしは王子様の想いにも、ましてカルサイトにすら応える事が出来ないさもしい女なんだ。」

 

 酷い否定の仕方だと思っていた。しかしどんなに綺麗に繕ってもラスルが導き出す結果は変わらないのだ。自身を擁護する様な言葉を避け、高飛車でも誰も相手にしないと宣言した方がいい。

 それがたとえスウェール王家の第一王子であっても変わらない答えだ。


 だがアルゼスはラスルの思いに反し、にんまりと口角を上げ微笑んでいた。

 

 「カルサイトにすら応える事が出来ない―――か。」


 こうも簡単にラスルが答えをくれようとは。

 目下の恋敵はカルサイトで、アルゼスは二人の恋路に釘を刺す存在だと自負していたのだが。ラスル側にどんな理由があるにしろそうでもないらしい。

 

 「ならば俺は、お前を振り向かせる事に全身全霊をかけ取り組もうではないか。」


 ラスルを拘束する腕を緩め、嬉しそうに宣言するアルゼスにラスルは思わず眉を顰め後ずさった。

 ゆっくりとアルゼスの腕がラスルから離れて行く。

 ラスルは怪訝に、アルゼスは嬉しそうに微笑みながら互いが互いを強く見つめる。



 「馬鹿じゃないの?」

 

 何の思惑も無く、ラスルは心底そう思い口にする。


 「いつフランユーロが攻め入って来るかも知れないって時に王子様がそれじゃ救われない。」


 国をかけての命がけの戦いに女を絡めるなんて何て馬鹿らしいのだろう。アルゼスが本気で言っているなら、否、冗談にしてもそれに付き合わされる騎士や兵士、一般国民はいい迷惑である。


 「確かにそうだな。だがお前の為にフランユーロを排し、スウェールに平穏を導くと思えばそれも容易い事のように思える。」


 だから、好きとか嫌いを今回の争いにかこつける事がおかしいと言っているのだ。そうだと納得するのなら恋愛感情は抜きにするべきなのにと、楽しそうに冗談めかして話すアルゼスに本気で付き合うのが何となく馬鹿らしくなってきた。

 これは初めから全部がからかわれていたのだろうか?

 恐らくアルゼスなりの優しさからくる言い回しだろうと思いつつも、ラスルは肩を落とし大きな溜息を吐いた。

 

 「わたし、フランユーロとの決着がついたら大人しく森に帰るわ。」


 その時こそはアルゼスの言葉に素直に従おうと告げるラスルに、アルゼスは愉快そうに笑みを漏らす。 


 「その時はたとえ地の果てであっても追いかけて行ってやる。」

  

 けして逃がさないと、本音の混じる言葉に怪訝な顔つきのラスル。

 こんな重大告白をするのは後にも先にもお前だけだと、心に切ない想いを抱きながらアルゼスはあえて微笑みを湛え続けた。 






 

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