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縋りつく温もり



 折角イジュトニアの国境まで足を運んだのだ。自分は自分のペースで旅を楽しみながらゆっくりと帰路につくので構わず都に急げとラスルは告げる。しかし今の状況にあるラスルをカルサイトが見捨てて行ける筈などない。


 一見いつもと変わらぬようでいてあきらかに様子が違っていた。その多大なる原因が、ほんの一瞬再会したイジュトニアの王ウェゼートに関わるのだと想像すると、親子の間に起こった事情を知るカルサイトとしては、このままラスルを見捨ててなど絶対に行けはしなかった。

 ラスルがイジュトニアの魔法使い達から突き付けられた負の感情。加えて、イスタークがラスルに見せた意外な反応。それらを辛辣に突き付けられたラスルが平常心でいられるのも可笑しな話なのだ。


 正直ラスル自身、傍らで身を案じるカルサイトに注意を向けられる余裕は全くなかった。それ故、同じ道程を辿るのだから共に行こうと、ラスルを案じて告げられたカルサイトの気使いにも、ただ単に言葉の意味通りなのだろうと上の空の反応を示し、隣を歩かれても己の意識に引き籠って存在を忘れている。

 頭から足の先までを黒いローブに身を包み、全くの無表情で馬を進めるラスルからは何処までも陰湿な空気が漂っていた。

 人を寄せ付けない魔法使い特有の雰囲気。

 スウェールに生まれた混血の魔法使いからは感じる事のない、正真正銘の気配だった。




 殻に引き籠ったラスルの心を駆け巡っているもの―――それは自分に突き付けられた禍々しい現実だ。

 

 イジュトニアに生まれた純血種の魔法使いでありながら、二度と故郷の地を踏む事は許されないのだと、ラスルはイスタークの態度から改めてそれを悟った。

 イジュトニアに生まれた魔法使いは王への絶対的忠誠心を、まるで生まれながらの特性のように持ちあわせている。

 どんな不条理にあっても王の言葉は絶対で、王太子であるイスタークがラスルをウェゼートの毒牙から救い出した行為さえ極めて異質で珍しいものだった。

 その中で妻を奪われたとはいえ、ひたすら王を恨み反旗を翻したシヴァは特殊な存在だ。黒の光を宿す魔法使い達にとっての天敵として生まれた生立ちが彼の本質をそのように育てたのかもしれないが、シヴァのような態度で王に敵対する存在は異例中の異例なのだ。

 それ故なのか、イジュトニアの血を受け継ぐラスルですら不条理に禁忌を犯そうとする父王に反抗し、己の持てる力を行使してその手から逃れるという行為が出来なかった。


 彼ら……ラスル達にとって望みもしないのに絶対的ともいえる王への血の忠誠。

 その王が狂っても求めてやまないラスル。そして王を惑わす存在を厭うイジュトニアの魔法使いたち。恐らく事情を知る全ての者が誰違える事なくラスルを忌み嫌い、存在を抹消したがっているに違いない。

 何処までも疎まれ嫌われる存在。突き刺さる視線は、ラスルが存在するだけで忌み嫌い何処までも胸を抉り続けるのだろう。全ての者がラスルを嫌う。誰違えず、全ての者にとっての災いとなってしまう己の身。

 


 わたしはなんて恐ろしい存在なんだろう。


 浴びせられた一つ一つの視線が今更ながらにラスルの胸を抉る。

 本来なら恨みの強さに殺されていてもおかしくない存在。それなのにウェゼートが王であるが故、王に仕え、忠誠を誓う魔法使い達は絶対に手出しが出来ないでいたのだ。


 何故存在する? 何故生まれて来た? 何故お前が生きているのだと常に問われ続けている様だった。

 存在するだけで、生きているだけでこれほどまでに疎まれていたのだ。


 改めて実感すると、何ものにも望まれない己の身があまりにも恐ろしく、虚しく悲しく。そして寂しくて。胸が張り裂けそうだった。

 これ程の孤独を今までに感じた事があったであろうか。


 何処をどう歩いたのだろう。 

 気付いた時には凍て付く寒さの中、ラスルは漆黒の闇に包まれ冷たい土砂降りの雨に身を打たれていた。


 

 

 









 空を見上げると暗雲立ち込め、今にも雨が降り出してきそうだった。

 ラスルと共に馬を進めるカルサイトは行き着いた街で早めに宿をとると、この時すでに言葉を発する事すら無くなっていたラスルを宿の部屋に押し込める。


 大人しく体と心を休めてくれるといいのだが―――

 ラスルを気使いそう思いながらも、久方ぶりの宿の寝台にカルサイトも疲れた身体を投げ出した。


 本来ならこの程度の疲れなどどうという事もないのだが、ただでさえ神経を使う魔法使い達に付き合っての度重なる野宿で想像以上に体が参っていたのか。知らぬうちに目を閉じ寝入ってしまっていたようだ。

 目を覚ました時にはすっかり日は沈み、降り出した雨が容赦なく窓を叩きつけている。カルサイトは身を起こし、夕食へと誘う為にラスルの部屋を訪ねた。



 扉を叩いても返事はない。

 眠っているのか、起きていても返事をする気力がないのか。

 そう感じたが部屋の中から人の気配がしない事に気が付き、声をかけ扉を押し開けると、案の定部屋からラスルの姿は消えていた。


 部屋に荷物は残されたままになっていたので一人旅立った訳ではなさそうだ。

 黒髪黒眼で漆黒のローブに身を包んだラスルはただでさえ目立つ姿をしている。それに贔屓目に見ずとも持ち合わせる容姿は際立って美しかった。魔法使いという物珍しさもあり、何か揉め事にでも巻き込まれては大変だと急ぎ階を下り、宿の主人に訪ねれば半時ほど前に雨の中を外へと出て行ったという。

 声はかけたが返事はなく、魔法使いはお高い存在なんだなぁと愚痴る主人の言葉も無視し、カルサイトは雨の中へと飛び出して行った。



 漆黒のローブに身を包んだラスルの存在は目立つ。行きかう街の者に聞けば直ぐに捜し出せるだろうと思ってはいたが、夜の闇と生憎の土砂降りの雨が重なり人通りはない。

 当てもなくむやみやたらに捜すしかないのかと舌打ちしたが、予想に反して暗闇に佇むラスルの姿は直ぐに見付ける事が出来た。

 

 「いったい……こんな雨の中で何をしているんだ?!」

 

 カルサイトにしては厳しい声が飛ぶ。

 その声は雨音に消される事なくラスルの耳に届き、ラスルはゆっくりと声の主を見上げ口を開いた。

 

 「死んだ―――」

 「何―――?」


 死んだだと?

 いったい突然何を言い出すのだと、カルサイトは冷たい雨に打たれながら眉間に皺を寄せる。


 「死んだの。ロイゼオリスが死んだ。助けたかったのに……助かって欲しかったのに見守ることしかできなかった―――」


 一瞬カルサイトは思考が停止したが、カルサイトを見上げ淡々と言葉を紡ぐラスルが、無表情でありながらも悲痛に瞳を揺らしているのを認め我に返る。


 フランユーロの軍により破壊された西の砦。

 その中からラスルが真っ先に助け出し治療を施した一人の騎士。


 「いや、ロイゼオリスは君が―――」


 治療の魔法を施したではないか―――

 言いかけてまずいと思い、カルサイトは慌てて言葉を呑んだ。

 


 魔物に襲われ内臓を抉り取られたアルゼスを完璧に治療したラスル。それを見知っていたからこそ、何時の間にかラスルの治癒能力を絶対的で神がかりな物だと勝手に思い込んでいた。

 だが実際はそうではない、人の命には無理なことが山ほどあるのだ。

 恐らく治療は完璧だったのだろう。だがロイゼオリスの命を救うにはそれだけでは足りなかったのだ。そしてその場にいたラスルが一番、誰よりもロイゼオリスの回復を望んでいたに違いない。ラスルの揺れる瞳が、ロイゼオリスの死は自分のせいだと責めていた。

 

 「このままでは風邪をひく。とにかく宿に戻ろう。」


 話しをすり替え、カルサイトはラスルの腕を引いて急ぎ宿へと引き返して行った。


 




 宿に戻った二人は各々の部屋に戻り、凍りつくような冷たい雨に曝された体を拭って濡れた衣服を着替える。

 兎に角体を温めなければと、カルサイトは少量の酒を持ってラスルの部屋を再び訪れた。

 するとどうだろう。

 ラスルは外から戻って来た時と同じ全身びしょ濡れのままで、冷たい雫を滴らせながらぼんやりと立ち尽くしているではないか。


 「このままでは本当に風邪をひいてしまうぞ。」


  カルサイトは布を手に取ると、ラスルの濡れた頭をごしごしと拭いてやる。その間もラスルはぼんやりと焦点の定まらない目で、何処とは知れない空を見つめているだけだった。

 


 今回の事といいロイゼオリスの事といい、恐らくラスルはフランユーロに攫われてから起きたすべての出来事を自分のせいだと思い込み、己を責めているのだろうと容易に想像が付いた。


 不幸だと……言ってしまえばそれまでだが、事の起こりはけしてラスルのせいではない。ラスルと、名を呼び掛けてみるが返答はなく、カルサイトはそっと溜息を落とした。

 

 頭は拭いたが全身びしょ濡れで、このままでは本当に風邪をひいてしまう。だが今の状態のラスルに何を言ってもこちらの言葉は届かない様で、心の中でじっと己を責め続けているままだった。


 カルサイトは寝台のシーツを剥ぎ取ると、ラスルの頭から全身をすっぽりと覆い尽くす。


 「失礼するよ。」


 そう言うとシーツの中に手を入れ、肌に触れぬよう気遣いながらラスルの濡れたローブを少しずつ脱がせて行った。

 脱がせながら我に返ったラスルが声を上げてくれることを期待したが、それに反しカルサイトがローブを脱がし終わるまでラスルは一言も口を利かない。

 自分がされている事にも気付かないとはかなりの重症だと、カルサイトは少しずれたシーツを直してやりながら心を痛めた。


 どうすれば少しでもラスルの心を癒し、軽くしてやれるだろうか。

 そんな風に思いながら見下ろしていると、ラスルの体がカタカタと小刻みに震え出し、ラスルは声にならない叫びを上げて床に蹲ってしまう。

 

 「どうしてっ……どうして殺してくれなかったの?!」

 「ラスル?!」


 真っ青になり頭を抱えて泣き叫ぶラスルの意識を引き戻そうとするが、ラスルはそれを拒絶しカルサイトの胸倉に掴みかかった。


 「あれほど憎悪に満ちた感情をぶつけておきながらどうして殺してくれなかったの?! なんで……災いの娘って呼ぶくらいなら、その災いを摘み取るのも王への忠誠だって誰も思ってくれないのよ!!」

 「ラスル、それは違う!」

 「違う? 違ってなんてないっ。ロイゼオリスだけじゃない、ミシェルだって、名も知らない人たちだってわたしがいるせいで死んだ。わたしのせいで……わたしがいるから王は狂い、国が乱れ無意味な戦いが起きた。わたしがいなければ、わたしさえいなければこんな事が起こらなかったのは事実じゃない!」

 

 自分さえいなければミシェルは死ななかった。

 ラスルさえいなければシヴァの復讐がこの様な形で遂行される事はなく、フランユーロも馬鹿な考えを起こしたりはしなかった筈なのだ。そして王も禁忌の淵へと足を踏み入れることはなかっただろう。存在一つで一国を滅ぼしかねない呪われた身。

 

 「どうして生きてるの? 何の意味があって生まれて来たのよ?! 奪うだけ……何の役にも立たない。それ所か災いばかりが付き纏って周りを不幸に陥れているだけじゃない!」

 「違う、それは絶対に違う。」


 カルサイトは蹲るラスルの肩を掴んで顔を覗き込んだ。


 「君はけして周りを不幸にする存在ではない!」

 「違わない、現実がそれを証明してるじゃない。何で生まれたの……生かされたの。愛してもない男の子を母は何故産み落としたりしたのっ?!」

 

 泣き叫び腕の中で暴れるラスルをカルサイトは膝を進め必死で受け止める。それでも我を忘れたように暴れ、自らを傷つけそうな程に悲痛な声を上げるラスルに、カルサイトには打つ手がなくひたすら抱き締めた。


 初めは反論されてはいたがやがて言葉も届かなくなる。

 頭を抱え発狂したかに訳の分からない言葉を叫び泣き出したラスルの腕を、カルサイトは強引に掴むと片手に持ち、己に意識を向けさせるように素早く顎を捕えた。身を捩り逃げ出そうとするラスルだが、鍛え上げた男を前にしては非力過ぎる。頭の後ろに大きな手で囚われ強引に口付けられた。 


 腕と頭を拘束され、それでも身を捩り抵抗を見せるラスルに構わず、カルサイトは口付けを止める事なく強行し続ける。


 しっかりと唇を塞がれ、ラスルは僅かな声を上げる事さえ出来ない。

 体の自由を奪われたことに加え、あまりの息苦しさにやがてラスルの動きが止まる。するとラスルは、今自分の身に起きている現実に驚き目を見開いた。



 自身の体が冷え切っているせいもあるが、重ねられたカルサイトの唇はとても熱かった。目を見開いたラスルの瞳に銀色の睫毛だけが宿る。

 

 何が起きている?


 体から力が抜けずるずると倒れ込みそうになった所で唇が離れ、同時にカルサイトによって抱きすくめられた。


 「君がいなければ今の私は存在しない―――」


 強く抱きしめられ、肩にうずめられたカルサイトの頬が愛おしそうにラスルへとすり寄る。耳元で囁かれた言葉にラスルの心臓がビクリと跳ねた。


 「あの時君に出会えたからこそ、私は今こうして君の前で生きていられる。君が己の生を否定する事は、同時に君が救った命を否定する事にはならないだろうか?」


 ラスルがいたからこそ、今もなお鼓動を打ち続ける命もある。

 確かにラスルを救う為に手を貸したミシェルは犠牲となり、フランユーロの攻撃を受けロイゼオリスを含む多くの者たちが死んだ。それが現実だが、全てをラスルのせいにしてしまうのは無理のある話なのだ。


 全ての事の起こりは、狂おしい程に一人の女性を愛した二人の男がいたからだ。そこで生を受けたラスルのせいではけしてない。

 全てはラスルのせいではなく、ラスルはその不幸な出来事に巻き込まれてしまっただけなのだ。

 

 カルサイトはなだめるようにラスルの頭を、背を優しく撫でる。

 

 「私は君に出会えてよかったと心から感じているし、あの時、万一にも君が魔法使いに殺されそうになっていたなら、己の全てをかけて反撃していた。」


 ラスルを抱くカルサイトの腕に更に力が込められる。

 カルサイトにとってラスルはただの命の恩人ではない。守りたい、失いたくない。そして傷つけたくない愛しい存在となっているのだ。

 

 「ラスル―――私は君が生まれて来てくれた事に誰よりも深い感謝を捧げる。」


 その言葉にラスルははっと息を呑んだ。

 生を否定したラスルに対して、感謝すと告げたカルサイト。ラスルがいたからこそ生きていられると―――


 たとえ偽りだとしても、今の言葉は重く締め付けられるラスルの心をどれほど軽くしてくれるものだろうか。



 ラスルはそっとカルサイトの胸を押し見上げ、カルサイトもラスルを抱く腕の力を弛めた。

 紫の瞳が揺れ、僅かに自虐を含んで微笑んでいる。胸を押された事でやんわりと拒絶されたのだと感じたのだ。


 しかしカルサイトの思惑と異なり、見上げるラスルはそれ以上離れて行く所か、カルサイトに向かってそっと震える腕を伸ばす。冷たい冷え切ったラスルの掌がカルサイトの頬に触れた。


 「わたしはこれから―――あなたを殺すのかも。」

 

 確かにあの日、出会った森で命を救いはした。しかしそれも出会いの御膳立てでしかなく、これからの未来にラスルの存在がカルサイトを危うい場へと落とし入れないとも限らない。現実に、既に関わり巻き込んでしまっているのだ。

 

 「違う、君はそんな存在ではない。私は君に、ラスルに、けして辛い現実を突き付けたりはしないと誓い約束しよう。」


 けしてラスルが恐れるような現実を齎したりはしない―――

 

 ラスルは両腕を伸ばしてカルサイトの首に回すと膝立ちになり紫の瞳をじっと覗き込んだ。対するカルサイトはラスルの細い腰に優しく手を添え、じっとラスルの瞳を覗き込んでいたが、やがてその瞳が近付くと、先程よりも温もりを帯びた唇がそっと重ねられた。




 たとえ災いをもたらす話が真実だとしても、その災い全てを跳ねのけてみせる。

 


 この時カルサイトの脳裏にラスルに執着するウェゼートの姿が過ったが、それもほんの一瞬の事。

 カルサイトはラスルに回した腕に再び力を込めると細い体を引き寄せ、深い口付けを返した。

   




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