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傷との再会




 その後イジュトニアへ向かう魔法使い達は、ラスルに対する殺意に溢れた感情をものの見事に押し込め、そこにラスルなど初めから存在しないかに振る舞っていた。

 それはラスルのみに対してではなく、見張りとして国境まで同行しているカルサイトに対しても同様で、ラスルにする程に完全無視ではないにしろ、彼らの方からカルサイトへと関わりを持って来る事は殆どない。

 寡黙な彼らは仲間内でも会話が少なく、目深に被ったローブの下から僅かに覗く視線だけで意志の疎通をはかっていた。


 イジュトニアの魔法使いというものは極端に人との接触を嫌うようで、主に陽の落ちる夕暮れから早朝にかけて移動し、日中の人通りが活発になる時間に通りから離れた場所で休憩をとりながら、人目を避けるようにして移動を続けた。


 実際、漆黒のローブに身を包んだ集団などイジュトニア以外の国では目立って仕方がない。目立たずに進みたいのならその目立つローブを脱ぎ出で立ちを変えればよいと思われたが、イジュトニアを離れて育ったラスルですら漆黒のローブに身を包んでいるのだから、それについてカルサイトが彼らに話しても無駄に終わるに違いなかった。人が衣服で身を包むように、魔法使いというものには漆黒のローブが付き物なのだろう。


 身を隠しながら進む道中であったが、それでも人と擦れ違う事は度々起こる。

 その度に訝しげな視線を送られるが、当の魔法使い達からは気に止める様子は感じられなかった。感じられはしないが実際の所は気にしているのだろう。カルサイトが進言しても彼らが道中街に立ち寄り宿を求める事は一切なく、常に森や林に身を隠し冷たい地面で体を休める。携帯用の食料も持ってはいたが、時折野生の小動物を狩っては焚火を起こし焼いて食す。その一部を魔法使いはカルサイトに分け与えるが、その時ですら徹底してラスルに近付く事はしない。

 だがカルサイトに渡される焼き立ての肉は必ず二切れあり、敵意を抱き無視を決め込みながらも、邪険にするとか、人としての尊厳を奪うような様子は窺えなかった。彼らが抱く同族への感情は掴み難いものだ。


 


 スウェールとイジュトニアの国境が見えた時、前方を行く魔法使い達が歩みを止め、後方から後を追っていたラスルとカルサイトもそれに合わせ馬の手綱を引いた。

 動きを止めた魔法使い達が示し合わせた様に同時にゆっくりと後ろを、ラスルを振りかえる。これまで完全無視を決め込んで来た彼らが、ここへ来て初めてラスルへと意識を向けたのだ。

 その中から再前方にいた魔法使いが一人、馬から降りるとラスルへ向かって歩み寄り、一定の間合いを取って立ち止った。


 何事かと、ラスルと傍らのカルサイトも眉間に皺を寄せる。

 するとここへ来て初めて魔法使いが口を開いた。


 「災いをもたらす娘よ、お前はこれ以上イジュトニアへは近付くな。」

 

 決して厳しい物言いではなかったが、低く鋭い声色に背筋が凍りそうになった。

 


 災いをもたらす娘……まさしく彼の言う通り、ラスルはイジュトニアに災いをもたらす。

 その誕生は母親にすら望まれないものだっただろう。産まれて間もないラスルを引き取り、異国への旅へと連れ出してくれたのは祖父だった。唯一無償の愛を注いでくれた祖父も既にこの世にない。そして今更ながら深く考えてみると、娘を不幸にした男の血を引くラスルは、祖父にとってけして心安らげる存在ではなかったのかも知れないのだ。

 そうして成長し、イジュトニア王の手に戻されたラスルは王を禁忌の愛へと狂わせた。ラスルの望んだ事ではないが、確実にラスルに関わる場所で不幸ばかりが起こってしまう。イジュトニアを去りスウェールにひっそりと身を寄せても運命からは逃れる術はないのか?


 「解ってる、絶対に国境は越えない。」


 思惑とは裏腹に魔法使い達がイジュトニアへ戻るのを見届けるだけで終わってしまうのか。

 今の彼らからは敵意は感じるものの、恐ろしいまでに感じたかつての殺意は消え失せていた。その代わりと言っては何だが、何かに怯え殺気立っている様にも感じられる。

 戦場に立つために精神を鍛えられた彼ら……魔法使いの中で最も力が強い金の光を宿すラスルだが、戦い方を知りつくした彼らにかかればラスルとて勝ち目はないだろう。そんな魔法師団に属する彼らが怯えるなど―――

 有り得ない感覚をラスルは否定する。

 


 スウェールの最南、イジュトニアとの境は北に比べると幾分冬の訪れは遅いが、何処までも広がる平原を吹き抜ける風は既に身を裂くように冷たい。

 ラスルの視線の先で魔法使い達が今まさに国境を越えようとした時、その平原に佇む二つの影がラスルの瞳に映り込んだ。

 両者ともにイジュトニアの人間らしく漆黒のローブに身を包んでいる。ローブの裾が冷たい風に揺らされており、ひときわ強い風が吹き付けると目深に被ったフードが風に煽られ外れその姿が露見した。


 一人は漆黒の髪に漆黒の瞳の青年。

 カルサイトも見知るその青年は、先日彼がアルゼスと共にイジュトニアを訪問した際に出会った。その折に彼が見せた物腰柔らかで穏やかな雰囲気など何処にもなく、まるでそれが過去よりの当り前であるかに、無表情かつ冷たい目でこちらの様子を窺っている。


 イジュトニアの王太子、イスターク。

 魔法使い達の頂点に立つ王族という雰囲気に相応しい禍々しさでこちらを、ラスルを見据えていた。

 あの日出会ったイスタークからは想像もできない、ラスルに向ける冷たい視線。

 フランユーロ……シヴァに囚われたラスルを心から案じていたイスタークと、今目の前に立つ彼は間違いなく同一人物なのであるが、そこから醸し出される負の雰囲気はまるで別人である。

 敵意、と言うよりも拒絶を意味した、その威圧する視線は人を怖気ずかせる魔力を孕んでいる様であった。


 そのイスタークの放つ視線に、カルサイト以上にラスルは怯んでしまう。

 魔法使い達から向けられた凍て付く視線以上の強烈さ。そして同時に、イスタークの隣に立つ腰の曲がった小さな人の姿に驚愕し、深い衝撃を受け息が止まった。

 


 ウェゼート王―――?!


 その名を口にしたくとも凍りついたように身動きが取れず口が開けない。 

 今目の前にいるのはラスルの血を分けた父……逃れたくとも逃れられない恐怖の存在だった。


 人としての禁忌を犯した父王から逃れ、久方ぶりにみるその人の姿。

 五年以上の月日が過ぎ去り、目の前に立つ年老いたウェゼートは、あの時より何十年もの時を過ごしたかに老けており、隣に立つイスタークと親子と名乗っても信じられない程年老いてしまっていた。


 ウェゼートはフランユーロの王グローグよりも年若い筈だ。それなのに年の割に雄々しく血気盛んなグローグに比べ、ウェゼートはまるで百を超えた、今にも朽ち果てそうな老人になり果てている。

 イジュトニア特有の黒髪は全てが真っ白に変わり、髪の量も極端に少ない。遠目からも確実に見てとれるほどに顔には深い皺が所狭しと刻み込まれ、肌の色は土気色に変色していた。口内から歯が失われているのか唇は左右に酷く垂れ下がり、五年前からすると見る影もない。


 それでも目の前の老人がウェゼートであるのは間違いなく、たとえ顔が潰れていようともラスルには判別が付いた。

 腰は曲がり杖なしでは立っていられないのか、骨と皮だけいなった小刻みに震える指で杖を握りしめている。それでも濁った眼を見開き、執念でラスルを見据え今にも飛びついて来そうな程興奮している様子だ。





 あまりの恐ろしさに恐怖を感じた。


 国境を超える魔法使い達がちらりとラスルを一瞥して行く。まるでお前のせいだと―――いや、お前のせいだと言われているのだ。

 厳しい威圧的な視線を向けて来るイスタークは、無言でラスルがそれ以上イジュトニア領に接近するのを拒絶していた。   

 イスタークはラスルに対し個人的には好意的感情を持っている。だがイジュトニアの王子として、死んだ事になっているラスルを、王を狂わせる存在をこれ以上寄せ付ける訳にはいかないのだ。


 そんなイスタークの心情を理解し、ラスルは改めて自分が何処からも受け入れられない存在である事を再認識した。

 故郷に立ち入る事も許されず、身を隠した異国には恩を仇で返す結果を招く。

 恐ろしい程にラスルに執着し、僅かな期間で何十年も年を重ねる程に朽ちたウェゼート王。今の王にはラスルを無理矢理手中に収める力はない。ただラスルに刻まれた刻印を追い、その存在に酔いしれ恋に溺れ今もなを求め続けているのも確かだ。ラスルを目にし、震える手が虚しく空を切る。


 やがてウェゼート王はイスタークに手を引かれ、幾度となく後ろを振り返りながら馬車に押し込まれる様にして国境を去って行った。


 




 ラスルは立ちつくしたまま、魔法使い達が消えた平原をいつまでも見つめ続けていた。冷たい風が吹き付ける中、漆黒の長い髪が渦を作るかに風で巻き上がる。ラスルに突き付けられた負の感情、思いもよらぬ相手との再会。


 イスタークを傍らに置いた老人が、イジュトニアのウェゼート王であるのはカルサイトにも理解できた。

 何故イジュトニアの王がイスタークを伴いこの様な場所にまで姿を露わしたのかは知れないが、ラスルに刻まれた刻印とやらでその居場所が分かるのだ。見た所老い先短い所まで来ている王の望みでこの様な辺境まで足を運ぶに至ったのかも知れない。


 これ以上近付くなと、ラスルを災いの娘と呼んだ魔法使いには、王が国境まで足を運んだ事が分かっていたのだろう。もしラスルがこのまま国境を一歩でも越えイジュトニアへと侵入していたなら、その身は再びウェゼート王に囚われてしまう事になったのであろうか。ラスルもウェゼートの姿を認め、強い動揺を思えた様だった。


 そんなラスルの様子を黙って見守っていたカルサイトであったが、ここにこうして何時までも佇んでいる訳にもいかない。あくまでもカルサイトの役目はイジュトニアの魔法使いを監視し送り届けることであって、ラスルの身の保全を図る事ではないのだから。

 現在もイジュトニアにフランユーロが進行している様に、スウェールとてフランユーロの次なる攻撃がいつ起こるかもしれないのだ。急ぎアルゼスの元に戻り国の守りを固める役目を担わなければならない。

 しかしながら、だからと言ってこの場にラスルを捨ておける訳でもなかった。


 「そろそろ行こう。」


 声をかけ顔を覗き込むと、ラスルは驚愕に満ちた瞳で真っ直ぐに前方を見据えたまま硬直していた。


 白い肌は青白く唇も真っ青に色を変え、漆黒の瞳の瞳孔は全開に近い状態に開かれている。

 立ったまま気を失っているのではないかと、カルサイトはラスルの細い両肩を掴むと体を揺すった。


 「ラスルっ、しっかりしろラスル!?」


 細い体は容易く前後に揺らされ、がくがくと頭が傾いたが無表情は全く変わらない。幾度となく問いかけ、細く折れそうな身体を揺すっていると、しばらくしてラスルはようやく瞬きを始める。ぱちぱちと数度瞬きした後で漆黒の瞳が紫の瞳を捕えた。

 


 「大丈夫か?」


 心配そうに身を屈め顔を覗き込むカルサイトを、ラスルは穴が開きそうになる程じっと見返す。


 「大丈夫って、何? ああそう、カルサイトは都に戻るんだよね。わたしもアルゼスとの約束通り森に戻ることにするよ。」


 あっさりとした物言いの後で踵を返し、吹き荒れる風の中を歩き出したラスルに、カルサイトは強烈な違和感を覚えた。

 一見すると出会った頃のラスルと変わりないように見えたが、見ようによっては大きなショックを受け一時的に自分を見失っているようにも思える。


 しっかりとした足取りで進むラスルの背を追いながら、カルサイトは一抹の不安を覚えた。






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