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素性



 カルサイトがアルゼスを背負い辿り着いたのは一軒のあばら屋だった。


 あばら屋の周りには畑が耕され、自給自足しているのかと思われる程大量の作物が育てられている。

 ラスル一人で住まうには少々大きく持て余し気味の家だったが、カルサイトの目にはよく壊れずに建っているものだと、一瞬足を踏み入れるのに迷いを持つ程の、今にも壊崩れ落ちそうな古びれた小さな家だった。


 この場所に辿り着くまでラスルは無言のまま早足で先を進み、カルサイトに話を振る隙を全く与えなかった。そのためカルサイトは、魔法が使えるとは言えどうしてこんな場所に若い娘が一人でいるのかと訝しげに思いながらも後を付いて行く事となる。


 魔物の巣くう深い森に娘が住まっているとはとても思えず、それでも人里から離れ過ぎているために娘の足では容易く山菜採りに通える場所でもない。だから辿り着いたあばら屋に生活感が漂っている様子にここが娘の住まいなのだと確信し、しかもそれが一人暮らしだと分かると何故こんな場所にと更に疑問が膨らんだ。


 あばら屋の周りはショムの木と呼ばれる魔物避けに使われる木が群生していた。ショムの木には人間には感じる事の出来ない魔物を阻む波動が出ているらしく、街を取り囲むように植林され大陸中何処でも見られる特に何の変哲もない樹木だ。

 あばら屋ではあるが、ショムの木がこれほど多く群生しているのであれば魔物の襲来を警戒する必要はない。カルサイトはその事にほっと安堵の息を漏らす。


 カルサイトは戸惑いつつもあばら屋に足を踏み入れ、ラスルに促されるまま粗末な寝台にアルゼスを横たえた。傷は塞がれたとはいえ、大量の出血を伴ったアルゼスの容態は完全ではない。脈拍と呼吸は早く顔色は青白かった。出血が多量であれば傷が癒えても命の危険は付き纏う。不安気なカルサイトを余所に、ラスルはアルゼスの容体を一見した後で他の傷の手当てを済ませ部屋を出て行き、戸棚から乾燥した薬草を取り出すと乳鉢に入れ乳棒で砕いて粉末にした。


 乳鉢を叩く音に引かれたカルサイトはアルゼスの眠る寝台から離れるとラスルの作業を黙って見つめる。狭いあばら屋内で隣同士の部屋の為、アルゼスから目を反らす事なくラスルの様子も窺う事が出来た。



 この娘はいったい何者だろうという疑念が浮かぶ。金色に輝く光を放ち、魔物ヒギの頭を吹き飛ばして一撃で倒せる程の威力のある攻撃魔法を使いながら、同時に内臓を再生させる高等な治癒魔法まで使いこなせる。そして現在はアルゼスの容態を見て必要と思われる造血剤を作っているのだろう。乾燥させた動物の内臓特有の悪臭が一面に漂っていた。

 

 「先程は助けていただきながら礼が遅れて申し訳ない。」


 薬剤作りに集中しているラスルに構わずカルサイトは頭を下げた。


 「私はカルサイト、スウェール王国の騎士です。」


 名乗る男を前にラスルは手を止めゆっくりと見上げる。体中を生臭い血と魔物の体液で汚していて、上着は先程止血に使い大量の血で汚れているせいで身に着けてはいない。しかし腰には立派な剣を帯びたままだ。汚れた長い銀色の髪は後ろに束ねられており、濃い紫の瞳が印象的な青年は背が高くかなりの美丈夫だ。


 あの惨劇の中最後まで生き残っていた辺りからすると、気を失っている男と共に剣の腕もたつのだろう。ラスルは隣の部屋で横たわる男に視線を這わす。


 「アルゼス……殿下って言ってたよね?」


 ラスルは倒れる主に向かって叫ぶカルサイトの言葉を覚えていた。本来なら得体の知れない魔法使いにアルゼスの身分を口にするのは憚るべきだが、命の恩人でもあるし味方になってくれるのなら心強い。しかも動けないアルゼスに薬を処方しようとしている娘の不興を買うのもどうかとカルサイトはゆっくりと頷いた。


 「そう―――」


 あの人がアルゼス王子―――


 ラスルは視線を手元に戻すと再び薬剤を混ぜ始める。


 スウェール王国の第一王子アルゼス。確か今年で二十三歳になるとラスルは記憶していた。


 「君の名を聞かせてもらっても?」


 名乗り返して来ないラスルにカルサイトは困惑しながらも名を訪ねる。


 「……ラスル。」


 素っ気なく一言だけ告げるラスルにカルサイトは王子を守る身として、ラスルの情報を聞き出そうとする。


 「年はいくつ? 私と殿下は同じ二十三だ。」

 「十九。」


 告げられた年齢にカルサイトは少々面食らった。見た目では十六、七程度でとても十九歳には見えなかったからだ。

 黒いローブに身を包み髪はぼさぼさで薄汚れた姿をしているから幼く見えるのだろうか。傷を治されている時にも思ったが、確かに容姿は整っていて魅力的な瞳をしていた。綺麗にすれば年相応に見えはするかもしれない。


 「君はスウェールの人間ではないようだけど生まれは?」


 髪と瞳の色からある程度の予想は付く。スウェールの人間は金や銀、色濃くても薄い茶色といった髪の色合いに、瞳は青や緑をした者が数多くいた。アルゼスも例に漏れず金髪碧眼で、純粋なスウェール人の中にラスルの様な黒い色は存在しない。黒髪に黒い瞳、同時に魔法使いを多く輩出する国と言えば―――


 「イジュトニア。」


 予想通りの答えにカルサイトは口元を引き結び頷く。





 大陸の1/4に相当する広大な領土を支配する北東の大国スウェール王国。その南に隣接する小国がイジュトニアである。

 そこに生まれる者達は近隣諸国との混血もあまり進んでおらず、イジュトニア特有の黒髪黒眼をした人間が殆どだ。そして大陸中に散らばる魔法使いの殆どが、もとはイジュトニアの血を引く者達でもある。


 剣の国であるスウェールは魔法の国であるイジュトニアに大きな借りがあった。十年程前に大陸の北西を支配するもう一つの大国フランユーロ王国との間で戦争が勃発し、戦いは予想以上に長引きスウェール王国は危機的状況に陥ったのだ。その際にスウェールはイジュトニアの力を借り受けるため、スウェールの第一王位継承者たるアルゼスとイジュトニアの末王女との縁談を申し入れたのが五年程前。イジュトニアの末王女は身分低い妾の娘であったが、その王女を大国であるスウェールの将来の王妃として迎えることを条件に出す事で、イジュトニアの魔法という戦力を味方に付けようとしたのである。


 その申し出をイジュトニアの王は快諾し、アルゼスとイジュトニアの王女の婚約が調いかけた時、その末王女が突然の病に倒れ死んでしまったのだ。

 イジュトニアに生まれた他の王女たちは既に嫁いでしまっていて、スウェールの王太子妃として差し出せる娘は他に存在しない。取り決めは白紙に戻りスウェールの戦況は悪化の一途を辿ったが、イジュトニアの王は何の条件も付けずにスウェールに魔法師団を貸し出し、その後スウェールは戦況を巻き返しフランユーロとの戦いに辛くも勝利する事が出来たのだ。


 イジュトニアの力添えがなければスウェールは滅んでいたかもしれない。その事がある為スウェール国民はイジュトニアの者達に極めて友好的である。



 カルサイトも終戦の数年前から戦地に立ち、イジュトニアの魔法使いと肩を並べて戦った過去を持つ為、一見怪しい雰囲気を放つラスルにも好意的な視線を向けていた。

 その為ラスルが出来上がった薬をカルサイトに差し出した時、その意味を理解するのに僅かな時間がかかってしまったのだ。


 「毒味、しなくていいの?」


 命の恩人が処方したとはいえ、一国の王子が口にする薬である。昨日今日知り合った怪しげな人間が作った薬など本来なら飲ませたり出来るものではなかった。

 カルサイトは粉々に粉砕された薬を指先に乗せ舌先で舐め取る。臭いと苦味は耐え難いが普通の造血剤のようだ。


 「飲ませなくても大丈夫だとは思うけど回復の時間に差が出るよ?」


 どうする? と見上げるラスルにカルサイトは礼を述べ、差し出された薬を有難く受け取った。

 

 意識のないアルゼスに薬を飲ませる為ラスルが乳鉢に水を注ぐ。カルサイトはそれを少しずつアルゼスの口に流し入れ、かなりの時間がかかったものの全て飲ませる事が出来た。

 その後もラスルは薬を調合し、適当に時間を開けて飲ませるようカルサイトに支持すると姿を消してしまう。ラスルに言われた通りにカルサイトがアルゼスに時間を開けゆっくり薬を飲ませて行くと、翌朝には顔色も回復し脈拍も正常に戻っていた。





 夜も明けカルサイトが外の空気を吸いにあばら屋を出ると、その周囲に数頭の馬が集められショムの木に繋がれており、更にラスルが手綱を引いて朝霧の中を歩いて来る姿が見えた。


 どの馬もカルサイトの知る馬で、中にはカルサイトとアルゼスの愛馬の姿もある。昨日魔物に出くわした際、魔物の餌食になるのを恐れ逃がされた馬ばかりだった。


 「君が集めたのか?!」


 ラスルに駆け寄り手綱を受け取ったカルサイトは驚く。


 「魔物に食われたら可哀想でしょう。それにあなた達には必要だし。」


 騎士なら当然馬に乗っている筈である。だが昨日あの場所に馬の死骸はなく、あったのは魔物と人間の亡き骸ばかりだった。だとしたら馬は逃がされたと思って当然だ。ラスルは暗い危険な森に入り、一晩かけて森を彷徨う馬を拾い集めて来たのだった。


 それにしても娘が一人で夜の森を彷徨い歩くなんて―――魔物は夜になると活発に行動する。どんなに力があるとは言え無謀とも言える行動にカルサイトは驚いてしまった。森に住まう娘にとっては至って普通の事なのだろうか。


 「君はいつからここに住んでいるんだ?」

 「五年位前から。」

 「ずっと一人で?」

 「最初は祖父と一緒にだったけど、死んでからは一人で住んでる。」


 と言う事は、ここで生活する知識をラスルに与えたのはその死んだ祖父と言う事だろう。


 「お祖父さんはいつお亡くなりに?」

 「―――二年近くになるかな?」


 それからずっとたった一人で生活して来た。作物の実る畑の間をぬって二人はあばら屋へと戻って行く。薄暗いあばら屋に戻るとラスルはアルゼスの様子を窺った。


 「よさそうだけどまだ目は覚ましそうにないね。」


 それだけ言うと戸棚を開け、黒いローブとタオルを取り出しカルサイトに渡す。


 「付いて来て。」


 血と魔物の体液で汚れた服からは異臭が放たれている。それを着替えろと言われたのかと思ったのだが、ラスルはあばら屋を出ると何処かへ向かって歩き出した。


 「何処へ行くんだ?」


 アルゼスを残してこの場を離れるわけにはいかないカルサイトは、先を歩くラスルの腕を掴んで引き止めた。決して小さくはないラスルだったが、かなりの長身で自分よりも頭一つ分以上背の高いカルサイトにすぐ側に立たれると、ラスルはかなり上を見上げなければならない。


 「大丈夫、すぐ近くだから。それにこんな所にまで人は来ないし魔物だって近寄れない。」


 そう言って先を進むラスルに、戸惑いながらもカルサイトは素直に従う他ない。道中も辺りはショムの木々に囲まれ、ここら一帯はまるでショムの森のようだ。ラスルの言葉通り目的の場所はすぐ側であっと言う間に到着してしまう。


 「温泉?」


 そこは岩場に囲まれ、白い煙が立ち込める湯が滾々と湧き出る温泉だ。かなりの広さがあり湯に手を入れるとちょうど良い適温だ。


 どうしてこんな所に温泉があるのだろうと不思議に思って振り返ると、すでにラスルは来た道を戻る体勢を取っている。


 「王子様はわたしが見てるからゆっくりどうぞ。」


 湯に浸かり汚れを落とせと言う事は分かったが―――


 「君は入らないのか?」


 頭はぼさぼさで黒いローブからのぞく白い肌は土が乾いてこびり付いている。今は確かにカルサイトの方が汚れて悪臭を放っているが、ラスルの方にも数日……いやそれ以上身体を洗った形跡はない。


 「わたし女なんだけど?」


 その答えにカルサイトはここへ来て初めて笑いを漏らす。


 「一緒に入ろうと言っているのではないよ。」


 するとラスルは腕を鼻に当てクンクンと犬の様に匂いを嗅いだ。


 「臭いかな?」

 「それは分からないが汚れている。」


 カルサイトの言葉を受けラスルはしばし考える。


 「分かった、そのうち入るよ。」


 そう言い残すとラスルは踵を返してあばら屋へと戻って行った。




 汚れた服を脱ぎ熱い湯に身を沈めると昨日魔物によって受けた傷がみたが、刺激にも直ぐに慣れ、心地よい浮遊感に疲れまで洗い流される様だった。

 こびり付いたままになっていた血と魔物の体液を洗い流すと汚れていた髪も見事な銀色に輝きだす。身体を洗い終えた後で次々に湧き出し溢れて流れ出て行く湯を使って汚れた衣服を洗い、借りたローブに身を包む。着古していたがかなり上等な布で作られており綻び一つなかった。ラスルの亡くなった祖父の物だったのだろうが、長身のカルサイトが着ても身丈は十分だ。

 洗った衣服はショムの木の枝にかける。陽射しが出て来たので直ぐに乾くだろうと思いながらあばら屋へと足を踏み入れると、ラスルがアルゼスに薬を飲ませている所だった。

 

 アルゼスの海のように深く青い瞳は硬く閉じられたままだ。顔色も良くなり命の危険も去ったとはいえやはり心配でカルサイトは主の名を呼ぶ。


 「アルゼス殿下―――」


 念のため額に触れてみるが熱はなく、寝息も規則正しい。表情も落ち着いているので特に心配する事はないだろう。


 「君のお陰だ、本当にありがとう。」


 あの時ラスルが現れなければ二人とも既にこの世にはいなかった筈だ。ラスルが姿を見せるのがもう少し早ければという思いも浮かぶが、それを求めるのは都合が良過ぎると言うものだろう。


 「西の砦に行く一行を時々みかける。馬なら半日で突っ切れる筈なのに道を外れたのが失敗だったね。」


 道さえ外れなければ魔物に遭遇する事もなかったし、多大な被害を出す事もなかった。昨日魔物ヒギにやられたのはスウェールの騎士団の中でも指折り数えられる精鋭たち。皆がアルゼスの側近として側に仕え、アルゼスを守る立場にあり、将来の守りの要ともなるべき地位に付く事の出来る実力を兼ね備えた者たちばかりだった。失われた仲間とその家族を思うと胸が痛い。


 「しばし殿下をお願いしても構わないだろうか?」


 カルサイトの厳しい表情にラスルはぼさぼさの頭を掻きながら無言で頷く。

 アルゼスを残して行くのには心配もあったが、ラスルの腕が確かなのは間違いないし、ショムの木々に囲まれたここなら魔物の心配もない。

 カルサイトは愛用の剣を片手に黒いローブ姿のまま、ラスルが捜して連れて来てくれた愛馬に跨り魔物の巣くう森へと駆け出して行った。

  

 


 


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