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予感




 昨日助けたばかりの、言葉すら交わす機会のなかった青年。

 ラスルは日の出を待たずに息を引き取ったロイゼオリスの傍らに座り込み、脱力したままぼんやりとその亡骸をみつめていた。

 

 二十代半ばのまだ若い騎士。

 家族がいただろう。妻が、子が、あるいは恋人が。

 彼を失って涙にくれる人の数は少なくはない筈だ。

 何故自分ではないのだろう。事の元凶たる自分が死ぬのであればどれほど良かっただろうか。

 自分が死んで泣く人も、まして困る人などこの世には存在しない。少なくとも、目の前の青年が息を引き取るよりましだった筈である。



 一晩中一睡もしていない悲壮感漂うラスルの背に、異変に気付いて目覚めたシュオンは言葉をかけるのを酷く躊躇っていた。

 うら若い女性を屋根もない場所で野宿させる事に気後れしたが、他に場所がないのだから仕方がない。少しでもましな夜を明かさせてやりたいと地面に敷く毛布を持って行けば、ラスルには野宿など慣れていると首を振られた。

 シュオンは失礼にならない距離を保ちつつラスルの側に腰を下ろし、眠ったまま目を覚まさないロイゼオリスを案じるラスルに気を取られつつ、一日中動き回った疲れから何時の間にか深い眠りに落ちる。

 まどろみの中で押し殺した様な唸り声に目を覚ますと、ラスルの背が小さく震え、その後落胆と共に項垂れるのが解った。

 しばらく戸惑った後、シュオンは身を起こしラスルと横たわる騎士へと歩み寄って行く。覗き込んだ先では温もりは残るものの、息使いの感じられなくなった騎士の亡骸があった。


 数ある騎士の中でもシュオンですら名を知る、腕の立つ騎士の一人。

 ロイゼオリスの死を悼んでいるのか、ラスルはとても苦しそうに顔を歪めている。


 「お知り合いでしたか―――」

 

 シュオンの問いかけにラスルはゆっくりと首を横に振る。

 人の死にはあまりに相応しくない、清々しく澄んだ空気の中で朝日が東の空に顔を出しラスル達を眩しく照らし出す。あまりの眩しさに身を捩ると、昨夜から口にせず手にしたままになっていた硬いパンが僅かに湿り気を帯びている事に気が付いた。


 「わたし行かなきゃ。彼の事、頼んでいい?」


 ふらふらと、まるで夢遊病者のように立ち上がるラスルに精気は見られない。知り合いではないと首を振ったが、本当はとても大切な人だったのだろうかとシュオンはかける言葉を失った。

 実際、大切な人なら埋葬を他人任せにするなどあり得ないが、人知を超えた力を持つラスルが救えなかった命に対してこれ程酷く落ち込んでしまうとは想像できなかったのだ。


 心許無い足取りで歩きだしたラスルを引き止める理由はなかった。

 もともとスウェールに属する魔法使いでないラスルは、善意で協力してくれているのだとシュオンは思っていた。その為彼女が行くと言うのなら、こんな殺伐としてしまった場所に引き止めるのもどうかと思う。

 シュオンも、ラスルに救われた兵士や騎士も無言でラスルを見送った。

 

 茫然として歩き出したラスルの手には、この時も湿ったパンが握られたままになっていた。

 












 全てはあの森を出たのが間違いのもとだったのだ。

 最低限の生活費を稼ぐため、時に森を出て薬草を売りに出た事を今更ながらに後悔した。

 どうして大人しく森に籠っていなかったのだろう。人との接触を拒んでいたのは自分ではないか。心の中の空腹を何かと理由を付け満たそうとした……その結果がこれとは笑わせる。

 何も求めず望まず、手に届く物だけで満足していればよかったものを―――まさか己の出生がこんな結果を招こうとは想像もしていなかっただけにラスルは混乱していた。

 

 何とかして終止符を打たなければ―――その思いに駆られ、ラスルが目指したのは魔物の巣くう森に存在する我が家。

 アルゼスに言われた通り大人しく引き籠る為に戻るのではない、自分のせいで起きた事には決着を付ける必要がある。

 フランユーロの言いなりになってスウェールに侵攻したイジュトニアの魔法師団が、ラスルがスウェール入りしただけで本当に退却するのか怪しかったし、そのせいでフランユーロの侵攻を受けるであろうイジュトニアの事も心配だった。事の元凶たる自分だけが大人しく安全な場所に引き籠っている訳にはいかない。

 森を目指したのは家に残っている薬草を掻き集める為だ。魔法だけではどうしようもなかったロイゼオリスの死が頭から離れない。薬があれば助かったかもしれない命。二度目はうんざりだ。

 

 面倒な争いは出来るだけ避けるため、魔物に出くわさぬよう昼となく夜となく、寝る間も惜しんで歩き続ける。力も体力も乏しい筈のラスルだったが、この時ばかりは手にした硬いパンを時折口に運びつつ、精神力一つで歩き続ける事が叶った。

 いったい何日歩き続けただろう。

 辿り着いた先は、魔物避けのショムの木に囲まれた懐かしい我が家。廃屋同然のそこは出た時同様にその場に有り続ける。

 ほっとしたのも束の間、目の前が真っ暗に染まりラスルはそのまま意識を手放し地面に崩れ落ちた。




 そうして次に目覚めたのは、頬を掠める冷たい風を感じた時。

 辺り一面暗闇に包まれ、このまま意識を失って一夜を明かしていれば間違いなく凍死していただろう。それ程冷え込む夜の空気の中で意識を取り戻したラスルは、凍り付きそうな地面から身を起こそうとした瞬間、体の中に蠢く何とも言えない奇妙な感覚に襲われる。


 痛みや苦痛を伴うものではない。ただ不安と、奇妙としか例えようのない感覚だ。

 いったいなんだろうと辺りを見回すが、漆黒の闇に浮かぶのは見慣れた景色。魔物が襲ってくるとか、侵入者を予感する感覚ではない。


 そう、これは予感だ。

 感じたそれが何たるかに気付いたラスルは、思わず己の体を強く抱き絞める。

 何かが脳裏を掠め、息苦しさを感じながら寒さの中で冷や汗が浮かんだ。


 「何で今頃―――」


 予感の何たるかに気付いたラスルから悲嘆とも取れる言葉が漏れた。

 


 自分にこの様な事を知る力があるとは知らなかったが、かつては祖父であるオーグも感じたのもだ。同じ血が流れる自分にそれを感じる力があっても不思議ではないし、ラスルが知らないだけでイジュトニアの魔法使いには宿された力なのかもしれない。

 大した力ではない、有ったとして恐れはしないけれど―――どうして今なのか。

 もっと早く、いづれ訪れる事ならばもっと早い、せめてシヴァに捕まる前に終結してくれていたならよかったのに―――


 地面に座り込むラスルの肩が小刻みに震える。

 タイミングの悪さに笑いが漏れ、やがて声にだして笑いが起こった。

 

 「本当に間が悪い―――」


 可笑しくて悲しくて、ぽたぽたと涙が頬を伝う。

 感情に乏しいラスルにしては珍しく、笑いと悲しみが同時に起こり、感じた予感に自身で呆れていた。

 

 もっと早ければよかった。そうすればこんな―――無駄な争いは起こらなかった筈である。もっと早ければこの身がフランユーロに囚われ、イジュトニアの王がフランユーロの言いなりになる事もなかった。自分が囚われミシェルが死ぬ事も、砦を守ったロイゼオリスや多くの見も知らぬ兵士達が瓦礫に埋まり命を落とす事もなかったに違いないのだ。

 

 たった今ラスルが感じたもの、それは己の死期。


 恐らく天命であろうそれはかつて祖父も同様に感じた、死期を悟るというものだ。

 今直ぐに命が尽きる訳ではないが、恐らくラスルには祖父程の猶予も残されてはいまい。

 シヴァによる強制的に魔力を抜く行為がこれを招いたのか。それとも病に犯されているのだろうか、もしくは他の方法で?

 何れにしても尽きる命、それがどうしてもっと早くに尽きてはくれなかったのか。

 

 呆れで沸き起こった笑いを止め、頬を伝う涙を拭い去る。

 こんな所で後悔し、悲嘆にくれていてもどうしようもない。自分にはまだしなければならない事があるのだ。

 それにここへ来て死期を悟ったお陰で希望が持てた。ラスルが死ぬ場所はここではない。この森でひっそりと一人静かにその時を待つのも魅力的だが、ラスルには他にすべき事が残っていたし、そうする事によって死を迎えるのやも知れないと考える。


 アルゼスにも言われた様に、ここに大人しく籠っている気は初めからない。自分が関わったせいで起きてしまった事柄に決着が付くよう、それを見守りに行き、必要ならその場に立つつもりだ。

 恐らくそこが自分の死に場所になるのだろう。


 意を決したラスルは立ち上がると、音もなく暗闇に包まれたあばら屋へと足を踏み入れた。明かりを灯さずとも何処に何があるかなど手に取るように分かる。

 薬を売りに街へ出て襲われたせいでたいした薬草は残っていなかったが、あの時ロイゼオリスに必要と思われた薬草はいくらか残されている。戦いの場で傷付いた者には必要になるだろう。

 その他に必要と思われる物をいくらか袋に詰め込むと、フランユーロからの脱出の折に手に入れ身に付けていた衣服を脱ぎ捨て着慣れた黒いローブに身を包む。

 

 漆黒の髪と瞳、闇色のローブ。

 祖国に戻る事は許されずとも、自分はイジュトニア生まれの純粋な魔法使いだと宣言するかの出で立ち。苦しみを心の内に宿してはいるが、そこにあるのは絶望と後悔だけではなかった。


 死期を悟った事による希望。

 全てを投げ出し死にたい訳ではなく、それがあるから己の人生を納得できたのかもしれない。

 

 ラスルは身なりを整えると日の出を待たず、漆黒に輝く眼差しを真っ直ぐに向け闇の中へと一歩を踏み出した。

 





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