瓦礫の下
フランユーロ側からスウェールに戻ると、最初に辿り着く場所はスウェールの西の砦だ。砦の向こうはラスルの住まう広大な森が広がっている。
ラスル達は不眠不休で馬を走らせたお陰で当初の予定より数段早くスウェール入りする事が叶ったが、それでも約束の七日を二日過ぎていた。
フランユーロの城から救い出したラスルは憔悴し、魔力を抜かれた疲労から意識を失ったが、その魔力だけは馬上という過酷な場所であっても回復し、途中ラスルの為の衣服と馬を手に入れ、馬達はラスルの回復魔法でひたすら回復させつつ地を蹴り駆けさせた。
砦に辿り着いた一行はほっと一息する所か、目の前の惨状にしばらく言葉を失う。
見張りと警護の為に築かれた砦は無残にも破壊され、所々焼き打ちにあった跡が残る。瓦礫の間には兵士や騎士の遺体が覗き、それは真新しく腐敗は進んでいなかった。
初めはイジュトニアの魔法師団の仕業かと思ったが、スウェールの南にあるイジュトニアが西のフランユーロ側から攻め入るのも不自然な話し。それに遺体が受けた外傷は魔法によるものではなく剣や大砲などの火器による物がほとんどだった。
イジュトニアだけではなく、フランユーロ側からも攻め込まれることはある程度予想してはいたが、西の砦がそう簡単に破壊され落ちるとは思っていなかっただけに衝撃は大きい。
唖然としながらも生き残った者がいる筈だとアルゼスとカルサイトが馬を下りた時、ラスルは既に遺体に歩み寄り生存者を探して瓦礫の間を歩き回っており二人に向かって声を上げた。
「王子様、カルサイト、こっちへ!」
ラスルの呼びかけで二人が慌てて駆け寄ると、瓦礫の間から真っ黒に汚れた筋肉質の腕だけが力を失った状態で突き出ていた。
腕が黒いのは火傷による変色だ。
「脈が触れるの、この人生きてる。」
「本当か?!」
確認のためカルサイトも同様に手首に触れると、微かに脈が触れているのが感じ取れる。だがその命も風前の灯だ。瓦礫の下に埋もれ、強く握っても反応を示さない状態では助かる見込みはない。
しかし今この場にはラスルがいる。ここへ辿り着くまでの三日で完全ではないにしろ、一人馬を操れるほどに回復したラスルなら何とかなる事をカルサイトは知っていた。
アルゼスとカルサイトは男に圧し掛かる巨大な瓦礫を渾身の力で持ち上げる。最初に胴体が現れ、汚れてはいるが黒い騎士の制服が目に入った。残った瓦礫を払い除け姿を露わしたのはアルゼスとカルサイト共に見知った騎士だった。
「ロイゼオリス?!」
アルゼスの声が上がる。
つい先日まで都にいた騎士でロイゼオリスと言う二十代半ばの男。アルゼス達が森に入り魔物に襲われ全滅したアルゼス直属の騎士達に代わり、新たに選別されその任に就く予定だったロイゼオリスがここにいるという事は、急遽他にも腕の立つ騎士達が大勢ここへと配属されていたのだろう。
彼らが討たれ砦を突破されたのなら、フランユーロはかなり強固な一軍を送って来た事になる。
ラスルを奪還され標的をスウェールのみに絞ったか、あるいは魔法師団不在のイジュトニアを落とすには大した力は必要ないと考えたのか。
兎に角すぐに追わなければならないとアルゼスは東のスウェール内陸を仰ぎ見る。
ロイゼオリスの外傷は腕の火傷以外大した事はなかったが、汚れた衣服のボタンを外し前を開くと体中が紫色に腫れ上がっていた。
肋骨の骨折に重度の内臓損傷。右腕と両足が折れ酷い有様だったが、幸運な事に頭には大きな損傷がなくラスルはほっとする。
まずは致命傷となる内臓の損傷から治療に入り、それが終わると次に折れた骨を癒した。傷口を拭う清潔な布も水もなかったので感染症を警戒し、ふだんなら治癒しない様な軽い裂傷までも丁寧に癒して行く。
金色の柔かな光に包まれたロイゼオリスは汚れ腐ってはいるものの、体を完全な状態にまで治癒されたうえ、ラスルの使う治癒魔法によってある程度の肉体的疲労までも回復されていた。
そのお陰か、内出血は酷かったがそのまま眠り続ける訳ではなく、治療を終えると直ぐ様意識を取り戻す。
「ロイゼオリス、私が解るか?!」
「―――カルサイト、に……殿、下?」
ぼんやりと開かれた眼差しは揺れ、なかなか焦点が合わないようだったがそれでも認識は出来ている様だ。
アルゼスは前に出てロイゼオリスを覗き込むと緊張して強張った声をかける。
「状況を説明できるか?」
「フランユーロの……兵の数は恐らく二万。大砲は二十器ほど。魔法使いの、姿は見受けられず―――」
そこまで口にするとロイゼオリスは意識を失う。だがそれで充分だった。
大砲を携えた二万の軍が相手では砦の陥落も頷ける。恐らくその軍は都を目指し、途中イジュトニアの魔法師団と合流する予定だろう。
ここを去ってからそう時間もたっていない筈である。廃墟と化した砦に、その下には多くの仲間が埋まっている。生きている者が埋まっているのも想像できるが、アルゼスとカルサイトはスウェールの王子と騎士として、彼らを見捨て前線に出る決断を下さねばならなかった。
傷付いた臣下を救うも大事、だが現在最も優先させねばならないのはスウェールを守り抜く事。二人は意識を失ったロイゼオリスを日蔭の柔かな草の上に移動させラスルの姿を捜す。
彼女の居場所を明確に言い当てたイジュトニアの王子イスタークの言葉を信用しない訳ではなかったが、ラスルがスウェール入りしただけで本当にイジュトニアの魔法師団がスウェールから退去するのであろうか。その確信がない今は、危険と解っていてもラスルを巻き込み戦場に連れて行きたいという思いが強かった。それにラスルの力を見ていると、頼りにしてはならないが大きな戦力になるのが解り切っている。
ゴトリと瓦礫が落ちる音を耳にしそちらに視線を向けると、ラスルは既に次の生存者を発見し何やら声をかけている様子が伺えた。
「彼女を連れて行くのは無理ではないでしょうか?」
カルサイトは当然とも取れる冷静な意見を紡ぎながらアルゼスの横を通り過ぎ、生存者を発見したらしいラスルの元へと瓦礫を上って行く。
ラスルは彼らとは違う。目の前の屍を越える事は出来ても、傷付いた人間を放り出せるような性格ではない。今この時すら誰とも知れない者の為に髪を振り乱し、土埃にまみれ無い力で必死に瓦礫を取り払おうとしているのだ。
アルゼスもカルサイトを追う様に、重い足取りで瓦礫の山に足を踏み入れた。
運の良い事にラスルが発見した生存者はスウェールの魔法使いだった。
黒髪黒眼の、ラスルを含むイジュトニアの純潔の魔法使い達とは違い外見だけでの判断は難しいが、スウェール国内で確固たる地位を築いている彼らが纏うローブは白で、細かい金糸の刺繍が施された立派な仕立てのローブだった。着ている物でこの砦に唯一派遣されていた魔法使いだと見て取れる。
しかも彼には意識があり、瓦礫に埋もれていても大きな怪我も負っておらず、彼に対してラスルがかけた手間は大したものではなかった。
アルゼス達と同じ年頃と思われる年若い魔法使いは、まず最初に王子であるアルゼスを見て驚き、次に現在は黒いローブを身に纏ってはいないにしろ、その漆黒を纏う外見と金色の光で癒された事によって、目の前のラスルが純血種の魔法使いである事を知り驚きの色を浮かべていた。
「どうだ、動けるか?」
「え―――あっ、はい!」
ラスルに釘付けだった男は、カルサイトの問いに慌てて大丈夫ですと答えながら両手を動かし、自身の体の状態をパタパタと叩いて確認していたが、ラスルが立ち上がり他の生存者を捜しにかかると再び目を丸くしてその姿を追っていた。
「彼女はラスルだ。私はカルサイト、お前は?」
「あっ、存じております。私はシュオンと申します。先日隊と共にここへ派遣されたばかりでした。」
丁寧に頭を下げる男、シュオンはカルサイトに比べると体が小さく手も細かった。細いが男と解る指には魔力を増長させると言われている大きな宝石付きの指輪が嵌められており、石の色は濃い青で、それによってシュオンの纏う色が青である事が伺える。
「ではシュオン。助かって早々で悪いのだが、私と殿下は直ぐにでもフランユーロ軍を追わねばならない。君はこのままここに残って生存者を捜し治療に当たってくれ。」
「あ、はい。あの……彼女は―――」
魔法使いとして余程ラスルが気になるのか、シュオンはカルサイトに目を向ける事無くラスルを追い続けている。
スウェールでは貴重な魔法使い。混血であったとしても魔法使いと言うだけで王宮勤めが許され、それなりの地位が与えられるエリートだ。それ故自尊心が極めて高く扱いにくい面もあったが、シュオンはまだ若く、己よりも優れた存在がある事を理解し受け入れる心の広さも持っている様子。堅物で我こそは特別な傅かれる存在とでも言いたげな老いた魔法使い達とは雲泥の差だ。
よく言えば、魔法使い特有の擦れた感じがない。
彼なら純潔の魔法使いであるラスルに嫉妬心を持つ事無く上手くやれるだろうと、カルサイトは僅かな安心感を持った。
「恐らく彼女も残る事になるだろう。」
シュオンにとっては嬉しい答えを発すると、カルサイトはラスルへと歩み寄り話しを始めたアルゼスへと視線を向けた。
「ラスル―――」
アルゼスの呼びかけに言葉の先を察したラスルは、瓦礫のはざまに意識を集中させるのを止め、首を横に振る。
「わたしはここを動かない。」
ラスルは瓦礫の上という不安定な場所に立ち、陽の光を浴びて瑠璃色に変わる不思議なアルゼスの瞳を真っ直ぐに見つめた。
いつもなら見上げる姿も、ラスルの方が瓦礫の高い場所にいるため目線が同じになる。
「他にもまだ生きてる人がいる筈なのに見捨ててなんていけない。」
自分だってまだ完ぺきではないのに、ただでさえ力の無いラスルが瓦礫を掻き分け生存者を捜している。
目の前に救える命があるかもしれないのに、面倒に思っても見捨てられるほどラスルは無情ではなかった。それにラスルの心の内には、自分のせいでミシェルを死なせてしまったとの後悔の念が強くあり、その代わりと言った訳ではないが、今は一人でも多くの命を救いたいという強い気持ちがラスルの胸の内を占めていたのだ。
しかもこの戦いの引き金にラスルは大きく関わっている。
人間らしいラスルの言葉にアルゼスは、共に行きたいという心とは裏腹に少しほっとした。
「そうだな、解った。だがここがある程度片付いたら必ず森へ戻れ。一刻も早くだ、いいな。」
強い命令口調にラスルは眉間に皺を寄せる。
「彼らを放って?」
「お前の治癒魔法は完璧だ。後は救った者達に任せて森へ隠れるんだ。」
国境付近の西の砦で、再びフランユーロの手が伸びないとも限らない。ラスルの治癒は完璧だが、生死の境にいた騎士が直ぐ様元通りに動ける程回復する訳でもない。何より自分がいい例なのだとアルゼスは懸念する。
それでもラスルを残して行ける決心がつくのは、あらゆる魔法使いにとっては天敵ともいうべき黒の力を持つシヴァをカルサイトが仕留めたからだ。
殺した訳ではないが、魔法使いの力を奪う特殊な力故なのか、自身には魔法が効かない黒の魔法使いであるシヴァが瞬時に回復してここに現れるのは無理だ。脇腹を貫かれた男が治療を受けて助かったとしても、鍛え上げた肉体を持つ戦士ならともかく、直ぐには歩くのすら困難であろう。
アルゼスの言葉に少し迷ったような仕草をしたラスルだったが、意外にも素直にわかったと頷く。
怪訝そうな顔つきで見据えるラスルにふっと笑みを漏らしたアルゼスは、真っ直ぐに手を伸ばすとラスルの腕を掴んで引き寄せた。足場の悪い瓦礫の上でよろけたラスルはそのままアルゼスの胸に吸い込まれて行く。何の抵抗も出来なかったラスルは、まるで棒切れのように硬直してアルゼスの胸に抱き締められていた。
「ちょっと、何するのよ。」
抗議の声が上がるがアルゼスはそれを無視し、乱れたラスルの黒髪に顔を寄せた。埃と汗と、後は何とも付かない匂いがするが嫌なものではない。
「必ず会いに戻ってくる、それまで大人しくしていろ。」
そう言って拘束していた身体をゆっくりと引き離すと、ラスルはばつが悪そうに視線を反らした。
「おい、解ったのか?」
「……努力は、する。」
この前森で別れた時と同じ言葉を口にしたラスルにアルゼスはふっと笑った。
「歯切れの悪い奴だな。お前にとっては風呂に入るより容易かろう?」
「まだそこに拘ってるの?」
ラスルも頬を弛めくすりと笑う。久々にほぐれた緊張にアルゼスはほっとし、最後にラスルの頬を撫でると名残惜しそうに瓦礫の山を後にする。
これから彼らにとっての試練の日々が訪れようとしていた。