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出立




 ラスルはそっと、本来の持ち主の指に治まった指輪に視線を馳せる。初めて見た時と同じように指輪はアルゼスの右の小指にはめられ何の違和感もなく馴染んでいた。その視線に気付いたアルゼスは指輪を外すと、ラスルの手を取り再びその人さし指に指輪を嵌める。


 「あの男がこれを持って来た時には驚かされたぞ。」


 スウェール王家の紋章とアルゼスの印が刻まれた指輪だ。文化が違えど王家と王子の印が刻まれた指輪が持つ効力はラスルにだって解る筈。易々と手放すとは思えないそれを、いかにも素行の悪そうな傭兵上がりの男が持っていたのだ。手渡した本人としては驚いて当然だろう。

 

 「ザイガドの言葉を信じてくれてよかった。それでイスタークは何て? イジュトニアは軍を止めた?」


 アルゼス達がザイガドの言葉を信じイジュトニアへ向かったのであれば、既にラスルの素性は知れたに違いない。今更隠しても無駄だが、出来れば知られたくなかった事実に後ろめたさのようなものを感じ、視線を合わせる事が出来なくなって、ラスルは自分の人さし指に嵌められた指輪を見つめながら言葉を紡ぐ。


 「今のままではイジュトニアの魔法師団を止める事は出来ない。」

 「え―――?」


 驚いたラスルは顔を上げ、アルゼスとカルサイトを交互に見た。


 「わたしの事は死んだって伝えてくれなかったの?」

 

 イジュトニアの国王ウェゼートのラスルに対する執着は理解しているが、ラスルが死んだとしたならそれはフランユーロの手によってだ。それを耳にしたならさすがに侵攻は止めると思っていたのに、ウェゼートはいったい何を考えているのだろう。一番最初にイスタークの耳に入れれば事態の収拾がつくものだとばかり思っていたのは浅はかな考えだったのだろうか。


 どうすればいいとラスルが次の考えに馳せる前に、アルゼスがラスルの顔を覗き込んだ。

 久し振りに見る海のように深い瞳は穏やかな青で、光の下で紫を帯びる不思議な虹彩は月明かりでは見る事が出来ない。


 「お前の胸に刻まれた刻印、それによってお前の所在は筒抜けになるそうだ。」


 左胸に刻まれた花の印のような刻印。

 アルゼスに指摘され、ラスルは体を強張らせると刻印のある場所を纏ったシーツの上から握り締めた。

 生まれた時に刻まれた花弁のような六つの印は、けして消える事無く呪いのようにラスルに付き纏う。ウェゼートから逃げてもこれがある限りその血から逃れられないと言われているかに、常に付き纏われている気がしてならない枷だ。

 これによって所在が筒抜けになる?

 彫師によって魔力を込め刻まれた読み取り困難な繊細な細工のような文字。そこに込められた魔力でラスルは今も、これから先の未来までウェゼートに縛られ続けるのだろうか。


 「イジュトニアの王の直系は、その印が今何処に存在するかを知る事が出来るそうだ。だからお前の身がフランユーロにある限り、ウェゼート王はたとえ自国を犠牲にしようともフランユーロの言いなりになるだろう。」

 

 アルゼスはイジュトニアのイスターク王子を訪ねた折に交わした話をラスルに伝える。

 刻印によって所在が知れるなど想像もしなかったが、父親であるウェゼート王から常に見張られ逃げ出せないと感じていたラスルの予感は的中していた。

 王家の血によって繋ぎ止められてしまう呪いのような朱色の刻印。消える事のないそれは永遠にラスルを拘束し続けるのだ。

 自国を犠牲にしてさえもラスルに対する執着を見せるウェゼート王。ラスルと言うより、母親のイシェラスに尋常でない執着を持っているのだろう。


 「愚かな王―――」


 なんて、何て愚かなのだろう。

 一人の女に執着し、過去には国政を投げ出したうえ今は守るべき国さえ犠牲にしようとしている。全てのそれは己の救いようのない欲によるものだ。

 

 「それで今日は何日たったの?」

 「イジュトニアを出てから五日……いや、既に六日が過ぎるか。」


 現状を考えるとどう転んでも約束の七日以内にスウェール入りするのは無理だ。

 イジュトニアの純血種である魔法使い達の強大な力を前にしても、スウェールとて直ぐ様陥落するような軍事力ではない。戦い方によっては魔法より剣の方が勝るのも事実。それでもスウェール側はかなりの命が失われる事になるであろうは必至だった。本来ならアルゼス自身が先頭に立ち指揮を取らねばならない所だが、互いに恨み合う仲ではない国同士、どうにかする為にラスルをスウェールに連れ帰ろうとしているのだが、それが間に合わないのはあまりにも口惜しく。

 王子として、騎士として。

 戦いの場にいる多くの仲間を無駄に死なせる事になるとの念から、アルゼスとカルサイトの表情が厳しく歪む。

 だがそんな中でもラスルは前向きだった。


 「だったら今すぐここを立とう。」


 ふらつきながらも立ち上がろうとするラスルをアルゼスが慌てて制する。


 「お前には無理をさせている。しかも体がこんな状況では―――」

 「わたしの心配よりも国の心配をして!」


 体が悲鳴を上げても帰路の途中で回復する。万全でなくてもいい、兎に角この身をスウェール入りさせさえすれば何とかなるのだ。

 アルゼスに睨みを利かせるラスルだが、声を荒げただけで大きく肩で息をしている。

 魔力を奪い続けられると精神を病む危険が伴うと聞いてはいたが、ラスルの場合まるで命を削り取られていたようにすら感じ取れた。

 二人の会話を黙って聞いていたカルサイトだったが、ここへ来てようやく口を開く。


 「今直ぐスウェールに戻りたいのは山々だが、連れの馬は疲労困憊なうえ今は新たに手に入れる手段もない。馬に潰れられては帰路が断たれたも同然になる。ここは一晩休んで立つ方が賢明だ。」


 自分達はともかく、本来なら馬を取りかえ休みなく走りたい所だが、敵国にてその取りかえるべき馬を探すには今はまだ危険が伴う。もう少し都から離れなければ足が付きやすくなってしまうのだ。

 だがラスルはここでも引かなかった。


 「あなた達に問題がないなら行こう。馬は大丈夫、わたしに任せて。」

 

 アルゼスとカルサイトは互いに顔を見合わせ、怪訝に思いながらもまさかと言う思いのままラスルの言葉に従った。

 ラスルはアルゼスの手を借り馬が休ませられている場所まで移動すると、二頭の馬へと自力で近付く。

 馬は暗闇に現れたラスルに反応し足をばたつかせたが、主の姿があるのを確認したのか、警戒し攻撃を仕掛けたりする事はなかった。

 

 ラスルは馬の頭に手を伸ばすと安心させるように優しく撫でつける。

 愛おしむ様に何度も何度も撫でつけていると、やがて馬は心を開くかに鼻先をラスルに摺り寄せ気持ちよさそうに手をねだった。


 「ごめんね、無理をさせる。」


 そう言って馬に頬を寄せ撫でつけると、撫でる掌から優しい金色の光が溢れ出し、光はやがて馬の体全てを包み込んだ。

 溢れた光は馬を包み込んだ後、ゆっくりと内に取り込まれるように消えて行く。

 そうして二頭目の馬にも同じように手を触れ光で包み込むと、二頭それぞれが月明かりの下で毛並みも艶やかに変化し、先程までの様子とは打って変わって元気溢れる健康体へと変わったのが一目で見て取れた。

 貴重な魔力、それを人間以外の動物に使う等、混血の魔法使いしかいないスウェールでは考えられない事だった。特に回復魔法は怪我や病人を癒す為に使用され、戦地ですら馬になど使われた記憶がない。


 自分が癒しを受けた時は意識を失っていた為、ラスルの使う回復魔法を初めて目にしたアルゼスが驚いていると、馬に手を差し伸ばしていたラスルの身がその場で崩れ落ち、それが地面に横たわる前にカルサイトが受け止める。

 肉体に戻っていた魔力の殆どを、スウェールまでの足となる馬達の疲労回復へと注ぎこんだラスルは意識を失っていた。


 「ラスルっ!」


 アルゼスが駆け寄るとカルサイトが大丈夫だと頷く。


 「意識を失っているだけです。」  


 ラスルの顔を覗き込んだアルゼスは、その真っ白い頬を一撫でする。温かい訳ではないが人のぬくもりは感じ取れ、微かな息遣いが頬を撫でる手に触れた。


 「お前の方が疲労困憊ではないか―――」

 

 出来る事ならゆっくりと休ませてやりたかったが、馬も回復しラスル自身もスウェールに戻る事を望んでくれている。か細く疲労した身は心配であったが、ここでくすぶっている暇がないのも確かだ。


 「行くぞ、カルサイト。」


 アルゼスは馬に跨ると、大した重さの無いラスルの体を受け取った。馬が二頭しかない以上どちらかに二人乗りしなくてはならず、馬の負担を考えると体の大きなカルサイトよりも、彼より身丈の低いアルゼスの方にラスルが乗るのが賢明な選択だ。だがもし体格が逆であったとしても、アルゼスはカルサイトにラスルを預けはしなかっただろう。自分で自分が小さな人間に思えるが、倒れるラスルを受け止められなかった事でアルゼスはカルサイトに対して僅かな嫉妬を覚えていた。

 



 

 ラスルが二頭目の馬に手をかけた時、その身は既に立っている事すらままならない状態だった。カルサイトが先を見越して手を差し伸べると、ラスルは案の定意識を失いその腕に倒れ込んで来た。

 久し振りに再会したラスルは出会った頃に比べかなりやせ細り、受け止めた体は想像したよりはるかに軽く心許無かった。このまま命が削られて行くのではないかという不安に駆られるが、受け止めたラスルは規則正しく息をし、硬く瞼を閉じてはいるものの死に急ぐ顔色ではない。

 ほっとした所でアルゼスが駆け寄り手を伸ばす。

 その仕草、表情で、アルゼスのラスルに対する想いが引き返せない所まで来ているのが感じ取れ、カルサイトは複雑な心境に駆られた。


 ラスルが魔物の巣くう森に住まう理由を知り、幼い少女が経験した不遇にカルサイトの胸は疼いた。事細かく知った訳ではないが、幼い少女が実の父親から突き付けられた感情は受け止めるに堪えないものだと容易く想像できる。

 ウェゼート王の行動からすると、彼がラスルに抱く思いは本物でどうにもならないものなのだろうが……真に愛するならけしてそれを表沙汰にしてはならない感情だ。


 愚かな王―――ラスルはそう呟いたが、愚かであるが故狂ってしまったのかもしれない。

 確かにラスルの見た目は美しく、特に今は髪も体も綺麗にされているので出会った頃との違いに圧倒される。シーツで身を隠してはいるが、僅かに覗く肌があまりも白く透き通っているのには驚かされる程だ。ウェゼート王でなくても手に入れたくなる気持ちは解る。解るが、それは親子という禁忌を犯してまでと言ったらそうではない。


 恐らくウェゼート王はラスルの母親であるイシェラスに囚われたままなのだろう。臣下の妻を横取りし、愚王になり果てようと構わぬ程ウェゼートを引きつけ止まなかった女性。それは容姿だけではなく、内面から輝くひとだったに違いない。その輝きを閉ざしたのが誰なのか、ウェゼートは気付かねばならないのだ。

 


 カルサイトは馬を走らせながら前方を行くアルゼスの背を追う。意識の無いラスルを愛おしそうに抱き締め、手綱を捌くアルゼスの気持ちが伝わってくるようだった。恐らくアルゼスも解っている筈だ。

 スウェールの将来を担い王位を継ぐアルゼスが、身分も何もないラスルを正式な妻に娶る事は叶わない。ラスルがイジュトニア王家の血を引く王女であるのを主張したとて、ラウェスール王女は死んだと処理されているのだ。今更それをイジュトニアが覆す事はないだろうし、何よりもラスルは望むまい。

 そうなると―――本来ならクレオンの命令通りアルゼスの想いを阻止するべくカルサイトが動かねばならない所なのだろうが―――

 ここへ来てカルサイトの心は複雑に絡んでいた。

 

 ラスルは命の恩人だ。たとえ役目とはいえ、こちらの勝手な都合で彼女の心を傷つけたくはない。と言うよりも、今のカルサイトはラスルに対してそれが出来る自信がまるでなかったし、やりたくもなかった。

 これ以上彼女を傷つけてどうする?

 アルゼスが抱く想いをラスルが受け入れると決まった訳でもない。特に彼女が身に受けた過去からその可能性は低いようにすら思える。ラスルは恐らく、己に流れる血を厭うているのだ。


 魔法使いの中でも最大級の光を持つ黄金の魔法使い。

 出会った時は驚き、共に過ごした時間で変わった娘だと強い印象を受けた。接する事のなかった異なる環境に住まう娘に興味を抱くのは、アルゼスばかりでなくカルサイトとて同じだ。ただそこで想いを止めおく事が出来るか出来ないか……踏み込んではならない感情に触れ、同情とも憐みともつかない、気付いてはならないそれが何であるかなど百も承知だった。だがあえてそれに気付かぬふりをする。そうしなければならない立場にあると解っており、且つそう出来るからだ。


 だが目の前の王子はどうだろう。


 アルゼスにとっては初めてとも言える感情に近い筈である。それが本来なら自分が手に入れていたであろう存在となれば想いも募るやもしれないが、出会いの時と場所が違えばまた抱く感情も異なる。


 一抹の不安を抱えたまま、カルサイトはスウェールへ向かって意識を集中し手綱を握り締めた。

 





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