表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/45

頼るもの



 馬車での移動中、幼い頃より旅を続けていたラスルは車窓の風景からここがフランユーロである事を知った。

 ラスルを利用する―――そう言ったシヴァが何故ラスルをフランユーロへ連れて来たのか。

 妻であるイシェラスを奪われた事に対する報復ならイジュトニアに向かうものだと思っていた。だがフランユーロ入りした事で例えようのない不安が過り、脳裏にはアルゼスとカルサイトの顔が浮かんだ。




 薬を売りに出向いた街で耳にした、フランユーロがスウェールに戦いを仕掛けるという噂。

 シヴァがフランユーロ側に付いているのだとしたら―――

 戦力では絶対的にスウェールに歩があるが、前の戦いの時とは逆に、イジュトニアの魔法師団をフランユーロに味方に付ける事が出来たとしたらどうなるだろう。

 その為にラスルが利用されるのだとしたら?

 イジュトニアの王ウェゼートがラスルに異常な愛情を抱いているのはラスルだって知っている。前回の戦いもラスルがスウェールに逃げたから、イジュトニアはラスルを守る意味を含めてスウェールの味方に付いたのだ。

 そして今回、フランユーロがラスルを人質に捕りイジュトニアの軍事力を味方につけようとしているのだとしたら―――ウェゼートは間違いなくラスルを手に入れたフランユーロに従い、スウェールに攻撃を仕掛けるだろう。

 それが身の毛もよだつ現実だ。

 時が過ぎてもウェゼートが肌に触れた忌わしい感触は忘れる事が出来ない。


 しかしそれだけだろうか?

 シヴァの思惑がフランユーロに味方し、ラスルを人質にしてイジュトニアの魔法師団をスウェールに侵攻させるだけなら、シヴァにとって大した利益になるとは思えない。シヴァがラスルを利用するというのは、ウェゼートへの恨みを晴らす為なのではないのか? 

 



 正しい答えを知るのはそう先の話ではなかった。

 ラスルが連れて行かれたのはフランユーロの都外れにある古い屋敷で、そこでラスルは新たな男と顔を合わせる。


 「この娘が?」


 灰色の冷たい瞳で寝台に横たわるラスルを見下ろしていたのはフランユーロの国王、グローグであった。


 齢六十になるグローグはその歳に似合わず血色もよく勇猛な姿をしており、見た目は五十代前半と言った感じで若々しさが感じられる。

 一方ラスルはと言うと、僅かでも魔力が体内に戻る度シヴァによって抜き取られるというのを繰り返されていたため、体は衰弱しきり立ち上がる事さえ困難になっていた。


 「金の光を放つ魔法使いの噂を聞いてまさかとは思いましたが……間違いなくイジュトニアの王女ラウェスールで御座います。」


 シヴァの言葉にグローグ王は気分を良くしたのか野太い声で笑い出した。


 「これであの忌々しいスウェールを陥落させると同時に、イジュトニアまでも我が手に入れる事が出来るのだな!」


 笑いながらグローグは大きな手でラスルの頭を乱暴に掴んで自分の方に向かせた。


 「なる程、確かに美しいが実の娘に溺れるなど……イジュトニアの王もとんだ愚王だな。」


 だが前回はこの娘のせいで我が国は負けたのだと、笑いを怒りに変えラスルを乱暴に投げ捨てる。


 「イジュトニアの魔法師団がスウェールを攻撃している間に、我が軍がイジュトニアを落とし、ウェゼート王を拘束する。さすればイジュトニアの魔法師団も我が思いのまま……フランユーロが大陸を支配する日もそう遠くはないぞ!」



 なんですって―――?!

 

 ラスルはグローグ王の言葉に身を震わせた。

 イジュトニアはフランユーロのいいなりになっている間に国を落とされると言うのか?!

 シヴァの目的はウェゼート王をどうこうするだけではなく、イジュトニアと言う国を壊滅させる事なのか。それ程恨みが強いのかと、ラスルは息苦しさを感じながらも黙って会話に耳を傾けた。

 

 「よくやってくれたシヴァよ、これよりイジュトニアに使いを送り交渉の席を設ける事にしよう。」


 シヴァは無言で首を垂れ、グローグ王は上機嫌で部屋を出て行く。

 ラスルは傍らに背を向けて立つシヴァに向かって精一杯の力で身を起こすと詰め寄った。


 「あなた、自分がいったい何をしようとしているのか……ちゃんと分かってるの?!」


 声を荒げると息が続かず、やっとの思いで起こした身が再び寝台に沈む。

 シヴァはゆっくりと向き直り、冷ややかにラスルを見下ろした。


 「お前などにイシェラスを奪われた私の気持が理解できる訳がない。」

 「理解なんてできない、出来る訳ないじゃない。戦争でどんな犠牲が強いられるかあなたにだって分かるでしょう? ウェゼート王に対する恨みなら王本人に直接ぶつければいいことだわ。罪のない周りを……国を巻き込むのは止めなさいよ!」

 「やり方などどうでもいい、私とグローグ王の利害が一致しただけだ。ウェゼートが苦しみさえすれば周りがどうなろうと私の知る所ではない。」


 シヴァはラスルから視線を反らすと、たった今グローグ王が出て行った扉に向う。

 常にラスルを見張り、一時も傍らを離れようとしなかったシヴァが初めてラスルの前から姿を消そうとしていた。


 一人になった時を狙って逃げ出そうとしていたラスルだったが、幾度となく力を抜かれ続けた為、今は自分の力で起き上がる事すら困難な状態だ。

 部屋から出て行こうとするシヴァを今は必死の思いで引き止めたくてならなかった。

 ラスルが囚われ利用される事によって多くの犠牲を払う火種となる―――戦争になればどれ程多くの人間が命を散らす事になるか―――それだけは何としても避けたい。


 「させない、絶対にそんな事させないからっ!」


 自由に動かぬ身体を寝台に横たえたままシヴァの背に向かって叫ぶと、シヴァが歩みを止め振り返った。


 「力を封じられた魔法使いなど赤子同然だ。」


 分かっているだろう?

 シヴァは冷たく微笑むと重い扉を潜る。カチャリと、鍵が閉められる音だけが無情にも響いた。  

 












 ラスルは魔力を抜かれ続けた事により動けなくなってしまった我が身をひたすら呪う。

 何とかして止めなければ―――

 思いとは裏腹に何も出来ない自分が歯がゆくて、ラスルの瞳から涙が溢れた。


 「悔しい―――」


 声にならない呟きが嗚咽と共に漏れ、涙を拭うため寝台に顔を押し付けると、ふわりと頭に優しい重みを感じ取る。

 

 「愛しい旦那様が迎えに来てやったぜ。」

 

 場に不釣り合い過ぎる能天気な声に、驚愕したラスルは伏せていた顔を上げた。

 見覚えある古傷だらけの顔が目に入り、茶色の瞳が優しくラスルを見下ろしている。


 「なんで―――?」


 どうしてあなたがここに?!

 驚きのあまり放心状態のラスルに、ザイガドが白い歯を見せて笑った。


 「未来の花嫁が怪しい奴に攫われたんだ、後を追って当然だろ?」


 あのシヴァって奴が付かず離れず側にいたものだから出て来るのが遅くなったと、ザイガドは頭を掻きながら告げる。

 なんで……どうしてザイガドが国境を越えてこんな所まで追って来たりしたのかとラスルの頭はパニックになっていた。


 「酷い事ばかり言ったのに―――!」

 「記憶にねぇなぁ~」


 ザイガドはわざとらしく耳に指を入れてほじる。


 「……って、花嫁じゃないし。」

 「ついこないだ俺に告白したの忘れたのか?」


 こんな時にまで冗談なんて止めて欲しいと思いつつ、子供の様な笑い方をするザイガドにラスルも思わず笑みがこぼれる。

 力なく微笑むと瞳に残っていた涙が零れ落ちた。


 「あなたやっぱり頭おかしい。」

 「俺も時々そう思うぜ?」


 そう言い終えた次の瞬間、ザイガドの茶色い瞳が見た事もないような鋭い目つきに変わった。


 「とんでもない事に巻き込まれたな―――」


 言うなり軽々とラスルを抱き上げる。


 「逃げるぞ。」

 「ちょっと待ってっ、わたしを連れてなんて無理よ。」


 ザイガドがいくら頑丈で逞しい体を持っているとはいえ、動けないラスルを抱えて敵陣を出るのはあまりにも無謀な話だ。

 しかしザイガドは構わず歩き出す。


 「俺を甘く見るなよ?」


 鋭い目つきを変えずに聞き耳を立てているのか遠くを馳せていた。


 確かに動きはラスルを抱えているとは思えないほどに軽快で、ザイガドは音もなく移動するとグローグ王やシヴァが使った扉ではなく、柱の陰にある壁の一部分を押した。

 そこは隠し扉になっていて暗い階段が闇に呑まれる様に続いている。

 ザイガドはラスルを抱えたまま闇に身を滑らせると音もなく扉を閉めた。








 明かりもない真っ暗で冷たい雫が滴り落ちる地下道をザイガドは迷いなく突き進む。


 王族や有力な貴族の屋敷には万一に備えての脱出口として隠し扉や地下道が作られているものだが、ラスルが一人にされた部屋にそんな物が存在するなんて思いもしなかった。

 シヴァやグローグが知っていたとは思えない。もし知っていたならラスルをそんな部屋に一人にする筈がないのだ。

 それよりも疑問に感じるのは、何故ザイガドがそんな隠し通路を知っているのかという事。『甘く見るな』という言葉通り、ザイガドはただの傭兵上がりではないのかもしれない。

 

 何よりもラスルは、まさかザイガドがこの様な場所に現れ自分を助けてくれよう等とは夢にも思わなかった。

 たとえラスルが連れ去られる場面を目撃しても、自分の利益にならない事には首を突っ込まないタイプだとばかり思っていたのだ。


 まさが本気でラスルを嫁にして客を取らせる気でいたのだろうか?


 雑作もなくラスルを抱え暗闇を進むザイガドの胸に体を預けながら、さすがにそれはないだろうと否定する。

 攫われたラスルを追って命を賭け、こんな危険な場所に足を踏み入れてまで助ける価値などラスルにはない。


 では何故ザイガドは助けてくれるのだろうか?

 何か裏があるのではと後ろ向きな考えが浮かぶがこれといった答えは思い浮かばず、取り合えず今は助けてくれる事に素直に感謝するしかなかった。

 フランユーロの思惑を知った今、ラスルは何よりも先にそれをイジュトニアとスウェールに知らせなければならないのだ。

 


 暗い地下通路を抜けると屋敷の敷地外にある林に出た。

 辺りは夕闇に染まり、これから身を隠すにはうってつけな頃合いになる。


 「お前ラウェスールって名前だったんだな。」


 ラスルを抱えたままで走るザイガドは息を切らせる訳でもなく、まるで普通に会話をするかに口を開く。

 ザイガドがシヴァとグローグ王の会話を聞いていたのだと知り、ラスルは首を振った。


 「違う、ラスルよ。」

 「ラスル……イジュトニアの王女とか言われてなかったか?」

 「イジュトニアの王女は死んだの。わたしはラスルよ、ラウェスールじゃない。」


 ザイガドは暫く考えた後「ふーん、成程ね」と呟いて口を噤む。

 

 そう、ラウェスールは五年も前に死んだのだ。今の自分はイジュトニアの王女などではなくただの魔法使いのラスル。イジュトニアと言う国もそれを認めている。

 過去を思い出したラスルがぐっと唇を噛むと同時に、ザイガドはラスルを抱えたまま身を屈め、人差し指をラスルの口元に持って行き静かにする様に合図した。


 耳を澄まし辺りを見回したザイガドはちっと舌打ちする。


 「意外に早く感付かれたな―――しっかりつかまってろ!」


 言うなりザイガドはラスルを抱えたまま凄まじい速さで生い茂る木々の間を走り抜けた。


 何だこの身体能力は?!


 体力のない魔法使いであるラスルからすると、たとえ女といえど一人の人間を抱え疾走するザイガドは信じられないほどにずば抜けた能力の持ち主に映った。


 瞬きする間にどんどん木々を追いこして進んで行くザイガドに、口も開く事が出来ず必死にしがみつく。

 ザイガドはしばらく走った所でラスルを片手で抱え直すと走りながら剣を抜いた。


 ザイガドが剣を抜いた事にラスルが気が付いたのは、追い越し様に一刀両断にされた人間の血飛沫が上がったからだ。

 ラスルを抱えたまま身を翻して剣を振るい、襲いかかって来るフランユーロの兵士を切り倒して行く。

 大きな体がまるで羽のように軽やかに舞う―――命のやり取りが行われている場所だというのに、不謹慎にもラスルは思わず見惚れてしまった。

 

 これが戦場に立つ戦士と言うものだろうか?

 

 ザイガドの動きに合わせ、ラスルの漆黒の長い髪が空を舞う。

 その黒髪の向こうにラスルは人影を目撃した。

 

 「シヴァ!」

 

 黒い光を両手に宿し、今まさにそれを解き放とうとしていた。

 ラスルはシヴァの攻撃を阻止する為に必死の思いでザイガドの腕から逃れようとするが、強靭な肉体を持つ男の腕から逃げ出すのは不可能だった。

 ラスルは声を上げるよりも早くザイガドの肩に噛み付き、その瞬間ザイガドの腕が緩む。


 「なっ?!」


 腕から逃れるラスルに気を取られながらも最後の敵を切り倒したザイガドは、自身の背中に回り込んだラスルに向き直り―――ラスルごと吹き飛ばされた。

 

 吹き飛ばされた勢いで地面に叩きつけられる寸での所でラスルを胸に抱え込み、小さな体を衝撃から守る。

 だがラスルはザイガドの腕の中で苦痛に悲鳴を上げた。


 「ぁああああっ!」

 

 目の前には不敵な微笑みを浮かべるシヴァの姿があり、ザイガドは直ぐ様ラスルを抱き上げ場所を移動する。

 ザイガドの鼻に鉄臭い血の匂いが纏わり付いた。



 混血ならともかく純粋な魔法使いは体力的に問題があり、ザイガドの様な男がすぐに追いつかれる訳ではない。

 ザイガドは茂みに身を隠すと、ゆっくりと地面にラスルを横たえた。


 「っ…く…ぅっ」 


 僅かな振動で痛みが走るらしく顔が苦痛に歪む。

 ラスルは右肩に抉られた様な酷い裂傷を負っており、太い血管が切れたようで出血も多かった。

 すぐに止血を試みるも今直ぐ適切な処置をしなければ、ラスルの様な憔悴しきった細い体では命を失うのも時間の問題だ。


 「魔法で処置できないのか?」

 「魔力を奪われてるから無理―――」


 苦しそうに息をしながら歯を食いしばるラスルの状態は最悪だった。


 「すぐに医者に見せてやるから持ちこたえろ!」


 ここから最も近い街はフランユーロの都しかない。

 逃げるべき道と逆方向になるが、自分を庇って傷を負ったラスルを死なせる訳にはいかなかった。

 腕を伸ばして抱え上げようとするザイガドの手を取り、ラスルは首を振る。


 「戻ったら駄目……捕まったらあなたは殺される。」


 ラスルは痛みに耐え失われようとする意識を必死で保ちながら、右手の人差し指に嵌められた指輪を抜きとり差し出した。


 「スウェールのアルゼス王子にここで耳にした事全てを話して。そしてイジュトニアのイスターク王子を訪ねて、フランユーロに手を貸さないよう説得して欲しいと伝えて……」


 一介の民が一国の王子に目通りを申し出るなど到底無理な話である。

 ラスルはイジュトニアの王子であるイスタークに繋ぎを取れる品を何も持ってはいない。手元にあるのはアルゼスがくれたスウェール王家の紋章の刻まれたこの指輪だけだった。

 王家の紋章が刻まれたこの指輪があればザイガドであっても目通りを許されるかもしれない。


 「アルゼス王子が駄目なら騎士団のカルサイトって人でもいい。それとラスルは死んだって伝えてね。そうしなきゃイジュトニアの軍は止められない。」


  自分がここで死ねばフランユーロの思惑も潰れる。それで戦争が止められるなら死んでも構わなかったが、庇われたザイガドはそういう訳にはいかないだろうし、このまま怪我をしたラスルを連れて逃げ切れる訳もない。

 それなら何のつながりもない自分を助けに来てくれたザイガドを信じて、彼に希望を託してみてもいいのではないだろうか。


 「馬鹿野郎、お前をおいて行けるかよ!」

 「すぐにシヴァが来て治癒の魔法をかけられるに決まってるわ。わたしが死んだらシヴァはウェゼート王に復讐出来なくなるもの……だからわたしは大丈夫。でもあなたが捕まれば間違いなく殺される。そうなったら戦争も止められない―――」


 そこまで言うとラスルは意識を失ってしまった。

 はっとしたザイガドは慌ててラスルの首筋に触れ、その細い首に脈を感じ取るとほっと胸を撫で下ろす。だがすぐ側にある人の気配を察知し、ザイガドは渡された指輪を握りしめた。


 「くそっ―――!」


 口惜しく吐き捨てると、名残惜しそうにラスルの頬を撫でる。


 本気で嫁にする気などないが、何処となく気になり惹かれる娘だった。助けに来たというのに置いて行くのは口惜しかったがラスルの命には代えられない。

 

 ザイガドは身を低くすると気配を消してラスルの前を去る。

 ほぼ同時に茂みを掻き分け、意識を失って地面に横たわるラスルをシヴァが見付けた。

 

 

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ