出会い
面倒な場面に遭遇してしまった―――
ラスルは深い溜息を落とすと採りたての新鮮な山菜の入った籠を小脇に抱え、ぼさぼさで埃まみれの頭を掻き毟る。
目の前には牛の様な巨体を横たえる数体の魔物と、十人は下らないであろう息絶えた兵士らしき男達の遺体。所々魔物に食われた痕跡を残し、まともな姿で横たわる肉体は一つも見当たらなかった。
辺り一面に血と内臓が散乱し、食い千切られた人間の手足が転がっていて真新しい血の臭いが鼻をつく。
散乱する遺体の向こうでは生き残った人間が、黒に近い深緑色をした魔物と対峙する姿が見えた。
出来る事ならこのまま退散したい所だったが…生きた人間がいる限り流石にそう言う訳には行くまい。人との接触は避けたかったが、劣勢であるにもかかわらず血を流し剣を掲げ魔物に向かって行く人間を見捨てられるほどラスルは非道ではなかった。
牛のように巨大な深緑の六本足の魔物。
ヒギと呼ばれるそれは人肉を好み、群れを成して行動する。極めて凶暴な種類の魔物で、転がって絶命しているヒギの数と犠牲者の数を照らし合わせると、兵の方はかなりの精鋭ぞろいだったのではないかと伺えたが…残るは最後の一匹と、血を流しながら大きく肩で息をしている剣を構えた二人の男だけ。ヒギの方はと言えば傷は負っているものの致命傷には程遠く、二人が力尽き食われるのも時間の問題だった。
全く今日はついてない―――
生い茂る木々の隙間から垣間見える青空を仰ぎ、山菜を摘み取った籠を左脇にしっかりと抱え直す。
再び前を見据え魔物に視線を集中させると右手を天高く掲げた。
掲げた掌が陽炎のように揺らぐ―――と同時に掌に金色の光が現れ、腕を振り下ろすと共に光の波動が舞い起こり、凄まじい速さで魔物に向かって突き進んで行く。
光が魔物の頭を粉々に吹き飛ばし緑色の液体が周囲に撒き散らされると、対峙していた男二人は魔物の熱く迸る体液を全身に浴びた。
男二人は突然の出来事に目を見開く。
対峙していた魔物は首から上が吹っ飛び、地響きを立て地面に崩れ落ちた。
命が助かった事よりも突然目の前で起きた事の方が信じられず、二人は魔物の頭を吹き飛ばした光が流れて来た方へと首を向ける。
そこには黒髪黒眼の、黒いローブに身を包んだ怪しげな娘が佇んでいた。
「魔法使い―――?」
信じられない物でも見るように男がラスルを見据え低く呟くと、もう一人の男が苦痛に顔を歪め唸り声を上げその場に蹲った。
「殿下?!」
声を上げた男…カルサイトは蹲り苦痛に耐える主の身体を弄る。すると左脇腹が抉られ大量の出血がありカルサイトは全身の血が凍り付かせる。
魔物の鋭い爪に内臓を抉られ、直ぐに適切な処置をしても助かるかどうかすら分からない重症だ。しかもここは魔物の巣くう深い森の中で対応できる医師もいない。
それでもカルサイトは唯一無二の主を救おうと血と魔物の体液に濡れた上着を脱ぎ、それを押し当て止血を試みるが、抉れた腹からは大量の血が溢れ瞬く間に押し当てた上着を赤く染めた。
「殿下、アルゼス殿下っ!」
必死に主の名を呼ぶが返事はない。
カルサイトははっとして先程垣間見た怪しげな娘に視線を向けると、既にラスルは二人の目の前まで歩み寄って来ていた。
「癒しの術は使えないのか?!」
ヒギを一撃で倒したほどの攻撃魔法を放ったラスルにカルサイトは声を荒げる。
カルサイトの魔法使いに対する知識としては、攻撃魔法に長けた者は治癒の力が弱い。それを踏まえると目の前の娘は攻撃の術に長けている。重傷を負ったアルゼスを治癒できる程の力はないにしても、医師もいない状況下で頼れるのは目の前にいる得体の知れない魔法使いの娘ただ一人だ。
それに魔法使いの中では金の色を放つ者が最も優れていると聞いた事があったので、もしかしたら応急処置程度にはなるのではないかと考えたのだ。
たった今魔物から助けてくれたのだから、こちらに仇成す存在でないのは確かだろう。止血するカルサイトの腕に力が込められる。
ラスルは縋りつくように懇願する深い紫の瞳に見上げられ、仕方ないとばかりに大きく息を吐いて跪くと山菜の入った籠を地面に置いた。
「見せて。」
アルゼスを守る様に傍らに身を寄せ傷口を抑えるカルサイトの手をどけると、栓を失った傷口からは大量の血が溢れ出した。
「こんな傷でよく立ってられたものだね。」
ラスルは剥き出しの生暖かい内臓に直接手で触れる。
ぬるりとした感触に一瞬眉を顰めたがそれも僅かの間だけで、ラスルは内臓をもとの位置に戻すように優しく圧した。
すると触れた部分からは先程魔物の頭を吹き飛ばしたのと同じ、金色だが柔かな光が掌から溢れ出し、見る見るうちに内臓は再生し傷口は塞がって行く。
その様を目の当たりにしたカルサイトは驚き感嘆する。
過去に魔法使いと共に戦に出た事のあるカルサイトは、戦場で負傷した仲間を治癒する魔法使いの力に驚いた。しかし目の前の娘がしたように、これ程見事なまでに治癒の魔法を使いこなしていた魔法使いは存在しなかったように記憶している。広い戦場で全てを目撃した訳ではなかったが、失った肉体の再生を施し傷痕すら残さない力の存在など初めて知った。
これが金色の光を放つ魔法使いの力なのだろうか?
ラスルの放つ光が消失すると、意識のないアルゼスはそのままラスルに向かって倒れ込む。
「うわっ」
実のところ見た目以上に力のないラスルは、倒れ込んで来たアルゼスを支えきれずそのまま後ろに倒れ込みそうになり、癒しの力を目の当たりにし唖然としていたカルサイトが慌てて二人を支えた。
「痛っ―――」
ラスルとアルゼスの体重を支えると同時に、カルサイトも自身が負った怪我の痛みに襲われた。支えられた腕から逃れると、ラスルはカルサイトに向き直る。
「何処?」
「え―――?」
「あなたの怪我は何処かと聞いてるの。」
無表情のままカルサイトの体に視線を這わせる娘に、カルサイトは一番酷いのは左肩だと告げ、ラスルは言われた部分に手を翳すと、先程アルゼスにしたのと同じように柔らかな光で傷口を包み込んだ。
カルサイトはその不思議な感覚に驚きを覚える。
傷が癒えるに従い失われていた体力が戻り、力が蘇って来るような感覚が身体の内側に漲って来るのだ。
過去に魔法使いによって治療を受けた事はあったが、それとは違う初めて受ける感覚に戸惑いを覚えつつ、カルサイトは手を翳して治療を行う娘に視線を這わした。
ぼさぼさで全く手入れのされていない漆黒の長髪に同色の瞳。透き通る程に真っ白な肌は所々汚れて清潔感がない。それでも整った容姿に長い睫毛が影を落とし、時折瞬きを繰り返し風を起こしそうだった。
まだ若い―――年の頃は十六、七歳くらいだろうか。
魔物の巣くう森の奥で出会うには不自然な少女とも言える年齢の娘。
治癒を受けながら見つめていると少女がふいに顔を上げ、大きく見開かれた漆黒の瞳に囚われる。
不躾にも見入ってしまっていた事に躊躇するカルサイトに対して、ラスルは何の表情も浮かべずにカルサイトの濃い紫の瞳を見上げた。
「動ける?」
ラスルの問いにカルサイトは慌てて返事をする。
「何処かに身を隠せる場所が?」
他にも体に傷はあったが我慢できない程でもない。
それよりもまずは死臭を嗅ぎつけて寄って来る魔物を避ける為に、一刻も早くこの場を離れる事の方が先決だった。
辺りには息絶えた仲間の騎士達―――親友と呼べる者の亡き骸もあったが、今はその遺品すら回収する暇はない。
「この人背負って付いて来て。」
ラスルは傍らに倒れ気を失ったままのアルゼスを見もせずに立ち上がり、傍らに置いていた山菜の入った籠を取り上げると先を急ぐ。
カルサイトは剣を鞘に戻してからアルゼスを背負うと、地面に横たわる仲間の遺体に後ろ髪引かれながらラスルの後に付いて足を速めた。
国境近くの西の砦を目指す際に近道となる為、この森はいつも当然のように利用されていた。だと言うのに生い茂る木々に惑わされたか道をそれ、魔物の巣くう一帯に足を踏み入れてしまったのだ。しかも運の悪い事に出くわしたのは、魔物の中でも特に獰猛で人肉を好むヒギの群れ。先頭で道案内をしていた者が裏切ったのかとも思われたが、その者は真っ先にヒギの餌食となり肉片となり果てた。
西の砦を視察して戻って来るだけの簡単な任務だった筈なのに―――
失った犠牲の大きさに悔やみながらも、カルサイトは大事な主を失わずに済んだ幸運を噛み締めていた。