〇〇マニュアル
『仕事が終わらない』
壁時計の針を見て登りの最終電車には間に合わない事を確信し、諦め一息着こうと会社の玄関フロアの隅にある自販機でカップコーヒーを買い、ベンチに座り、井戸の様に暗い吹き抜けのホールの下、その暗い休憩スペースで、その井戸の底の様な黒いコーヒーの水面を眺めては啜り、父と母が就職した祝いにと飽きっぽい私に、プレゼントしてくれた飽きの来ない質素なデザインの銀色の腕時計を見て深いため息を着くと、自販機の土台の隅にやや光る白い物が視界に入る、それは片割れの真珠のイヤリングだった。
そのイヤリングの座の金メッキ部分は所々剥離し、座と真珠の溝に溜まったその汚れ具合から、そこに長く放置されていた年月を感じ受ける、私はとりあえずその真珠をハンカチで包み内ポケットに仕舞うと、横に見かけた事の無い、ひとりのスーツを着た女性が座っている事に気づく、そしてその女性は私に話しかけてくる。
「お疲れ様」
「どうも」
「貴方、見ていると週末はいつも此処ね」
「……」
「いい加減に疲れない、なんならいい事教えてあげましょうか」
(私はその女性が着ているスーツのデザインが古い事に、何かを感じ断る)
「……また今度で」
「なんで?」
「……なんとなくです」
「そう……なんとなくか」
「はい……なんとなくです、せっかくなのにすみません」
その女性は苦笑い浮かべる。(私はその時、その女性が舌打ちした感じを受ける)
そして私の時計の時報がその空間の空気を入れかえる様に鳴る。
私は知りつつも時刻を一応確認する為視線を時計に移す……0時、気づくと女性の姿は無く、も、疲れからなのか余り深くは考えずに、またコーヒーを啜る……て、いると……また少しして今度もスーツを着た見た事の無い男性が現れ横に座り私に話しかけて来る。ただその男性が着ているスーツは先刻の女性とは違い、新しい近代のデザインな事に私は少し安心する。
「こんな遅く迄お疲れさま」
私は同じ会社の人とは言え、知らない人に立て続けに話しかけられ、少し不思議に思うも、皆んなこの時間は寂しくなるものなのかと思い、その男性に笑みを送り応える。
「ええ、まあ……おかげで泊まり込みですよ、本当ブラックこのコーヒーだけに」
「はっはは、まあほどほどに」
「ええ、来月には辞めて実家に戻ります、最後の孝行だと思ってます」
「……そうですか、それは良い選択されましたね、そのまま考えを改めずに親元に去りなさい、そうしないと、僕みたいになりますよ」
「えっ!」
「ただ、あるお方のアドバイスで大勢の人には迷惑はかけないですみましたけどね、ただ今はあなたとお話しをして少し後悔してます、なぜ一度でもこうして此処で会えなかったのかと、僕は此処でいつもひとりでした」
「……あのお名前は」
「元特別営業部のRTです、貴方とは、すれ違いですがたまに食堂であってましたよ」
「ごめんなさい気付けなくって」
「いえいえ……ではこれで、さようなら」
「あっ、はい、さようなら……」
その日の最終電車は事故で止まってしまった……
ただ、その電車は駅止まりの終電電車だったので、その朝には、うちの会社を残して、町も世界も何事も無かったようにいつもの様に動き始めたのだった……
[終]
noveleeお題・終電
題材・妖怪狂骨
何かしらの理由で井戸の底に残る人骨の祟り。