Episode.2 / Dungeon No.108
「師匠! 脱出しましょう、作戦は失敗です! 」
二十歳の剣士ノーマンの必死の声は、混沌としたダンジョンの阿鼻叫喚に飲まれんとしていた。
――ダンジョン。かつて隕石となって降り注いだ月の破片のうち、空洞に魔物が棲みついたモノ。規模も内容も様々。彼らが今いるダンジョンについて言えば、天井はその暗さと高さで視認できず、岩壁や床は生き物の腸のようにうねっている。そして、この地下一階空間には五万人の冒険者がおり、まだ収容人数に余裕がある――。
巨大な盾とパルチザンを構え最前線で戦う師の背に向かって、ノーマンは喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
「師匠ォッ! 」
咆哮、断末魔、銃声、爆発が鳴り止まない。
「ノーマン……! 」
荒れ狂う恐慌の牛の口から伸びてくる鋭利な触手を盾でいなしながら、師は背中で応答した。
「ランサーは大隊の盾! 俺が退くのは最後だ! 」
彼は言うやいなや赤の信号弾を放つ。弾は戦場を照らしながら軌跡を描いていく。その光に気を取られ、ほんの一瞬、戦場全体が静寂に包まれる。それから我に返ったようにあちこちから声があがる。
「カラミティさんから撤退の合図だ! 」
「退け……! 退けぇーっ……! 」
「出口へーッ! 」
冒険者たちは撤退を開始する。ただそれを黙って見過ごす魔物ではない。無数の触手が皮膚を貫き、魔弾が背中を焼き尽くしていく。咆哮する巨人の一団も金剛の棒を振り回しながら前線に躍り出て、冗談のように人間を殴り飛ばしていった。
そのギガンテスの一体が、腰を抜かした若い戦士を捉える。
「ひっ……あ、あぁ、足が……動け、動けよぉ……! 」
彼は泣いて自分の足を叩くが、無情にも追いつかれる。振りかざされた金剛の棒が、その小さな頭を叩き割るかと思われた、その時。
ノーマンが師と仰ぐ男にして数多のダンジョンを攻略してきた大隊の長――カラミティが唱える。
「ικανότητα ερμηνεία」
彼は等身大のオーロラに包まれると超常的に速度を増し、その盾でギガンテスの攻撃を受け止める。一撃の重みで、彼の両足は地面にめり込んだ。
オーロラは彼のみならず、背後で腰を抜かした戦士をも包みこみ、あっという間に正気を取り戻させた。
「隊長! ありがとうございます! 」
そう言って立ち上がると、踵を返して撤退を始める。
カラミティの絶技はギガンテスの腕から肩、頭部にかけてを確実に刺突。急所を穿たれた巨体は黒い土くれとなって消える。
オーロラはダンジョンの宙を満たしていき、戦士の心へ光のベールをかけていく。
「正気のヤツは陣形組みやがれ! 殿は俺が務める! 」
カラミティに呼応して、そこかしこから鬨の声があがる。みるみる内に戦場に陣形が完成されていき、剣士やランサーが陣形の外側を固め、アーチャーやガンマンが内側から援護射撃を始めた。
だが、その陣形は完成を迎えることなく崩れていく。
伝令がカラミティのもとへ来た。
「味方を撃ち始めた連中がいます! 」
「何だと!? 」
「恐らくホワイトベールからの差し金かと……! 」
「ええい、国の癌どもめ……! 」
しかし次にやって来た伝令は声が明るい。
「地上階への出口に救援! 聖堂騎士団です! 」
「遅い、ようやくか! 」
出口の階段、その最上段に並ぶローブ姿は、逆光でシルエットになっている。
裾の長いローブ、菅笠にも似た平たいハット、身長の二倍もある錫杖、それら三点の組み合わせは、この国の人間であれば誰もが知る正義の象徴。国家魔法警察機構・聖堂騎士団が救援に駆けつけたのだ。
彼ら彼女らが合唱し詠じる。
錫杖の先に赤い光球が生まれ大きさを増していく。
その威力に、戦場の全員が形勢逆転を期待した。
「行使」と、老獪な女の号令がかかる。
数多のレーザーが壁を削り魔物の肌を削ぎ、逃げ惑う人々を焼き払っていく。
「俺たちごと撃ってるのか……!? 」
「被害甚大! 撤退ままなりません! 」
聖堂騎士団は、敵味方の区別なくレーザーを撃ち続ける。視界を覆うほどの弾幕に、最早逃げる隙間など残されていなかった。
ノーマンはレーザーを剣技で跳ね返しつつカラミティに問う。
「聖堂騎士団がなぜオレたちを攻撃するんです!? もうクリアはおろか、撤退も不可能です! 」
ノーマンとカラミティが立っていたのは、小高く丘のように隆起する高地。ノーマンに背中を預けつつ、カラミティは何か考えている。
「隊長! 二人で一点突破です、それしか方法は――」
「いや、お前一人で行け」
「馬鹿な、何を仰るのですか! 」
「見ろ」
地下二階へと続く階段の手前で、人型の何かが浮かんでいるのを指さす。何かの身長は通常の人間と変わらず、髪は無く、青色の肌が人外であることを示している。
「亜人でしょうか。アレが何です」
「十中八九、アイツがヒャクハチだ」
「アレがこのダンジョンの……? どうしてこんな前線に」
「さぁな。ただアレは俺たちを逃がしちゃくれない。俺が足止めする」
足止めという表現に、死への覚悟が滲んでいる。
「見ろ。ノーマン」
促されるがまま、ノーマンは自身の位置から出口までを見渡す。
「……ッ! 」
思わず彼は口を抑える。冒険者の一部が、まるでノーマンの退路をつくるように陣形を展開している。
「アイツらが作った花道だ。無駄にすんじゃねえぞ」
師匠として、彼はノーマンの背中を叩いて発破をかける。
「こんな……でも、なんで……よりにもよってオレが……」
ノーマンは縋るようにカラミティを見るが、そこには既にヒャクハチへ向かって歩きだしている男の背中があるだけだった。ヒャクハチも、終わりを告げるように前進を開始する。
出口からレーザーの第二波が放たれ、人でできた退路が削ぎとられる。それでも強い意志に突き動かされるように、再び道は浮かび上がる。
「お、れは……皆と……ダンジョンを……」
逃げることを躊躇う彼の身体を暖める、羽織のようなオーロラ。
ヒャクハチの姿がまばゆい光を帯びていく。
ダンジョンの温度がにわかに上がる。
ノーマンは、相棒である刀身に、祈るように額をあずけた。
「…………また、お会いしましょう」
無尽蔵に湧く魔物の攻撃を死に物狂いでかいくぐるカラミティと、仲間たちのつくった退路を走り抜けていくノーマン。二人は互いに遠ざかっていく。
ノーマンは目が合った。冒険のイロハを教えてくれた先輩……子どもが産まれたと喜んでいた友人……自分を好きだと言ってくれた女性。その誰もが必死になってノーマンに攻撃が及ばないように壁を作っている。
「とろいぞ! もっと走らんかい! 」
「嫁によろしく! 」
「絶対、生きて逃げ――」
言葉を遺していく者。言葉の途中で、無情にも命を落とす者。
「こ、これお母さんに渡してっ」
「このペンダントを娘に! 」
遺品を託す者。遺書らしき手帳を握って倒れている者。
太陽のように強い輝きがダンジョンを満たす。
第三波のレーザーが戦場を蹂躙していく。
ノーマンはひたすら走った。涙が蒸発し、目も開けられず、喉が痛んでも。片方の腕に剣、片方の腕に、仲間たちの遺品を抱えて。
光。
ダンジョンNo.108。
千年のあいだ不落であり、冒険者の夢の墓標。
後に百八事件と呼ばれるこの攻略作戦には、カラミティを隊長として五万人の有志が集まったが、結果は惨憺たるものであった。
マフィア組織『ホワイトベール』による攪乱や、本来味方である聖堂騎士団による後方からの絨毯爆撃。極めつきはヒャクハチの攻撃による、ノーマン以外の冒険者・マフィア・聖堂騎士団の全滅。
唯一生き残った剣士ノーマンが事件以降固く口を閉ざしたため、その事実が人々に知られることは無かった。
なぜマフィアが?
なぜ聖堂騎士団が?
謎が明かされることがないまま闇に葬られたこの事件は、巷間でもタブーとして扱われることになる。
――百年に一人の天才剣士と謳われていたノーマンがもう一度柄を握るのは、それから二十年の月日を経て、彼が四十歳を迎えてからのことである。
続く。