さくら散る。百合が咲く。
居間で、さくらと女子高生になった戸田百合乃が楽しげにお茶をしている。
僕は、そんな2人の会話に耳を傾けつつ、時々相槌を打ちながら、同じく居間でコーヒーを飲んでいる。
日曜日の昼間、こうして3人でお茶をする。だけど、会話の主体は、さくらと百合乃のたわいの無い世間話で、僕から話題を振ることはなかった。
「ねえねえ、さくらさん聞いて、この間、男子からラブレター貰っちゃった。しかも3人から」
「へー凄いじゃない。百合乃ちゃんと美人だからモテるのね。将来女優さんとかいいんじゃないかしら」
「どうかな?私、さくらさんみたいに綺麗じゃないし、流石に女優はハードルが高いな」
そんなあたいの無い会話を2人は親子の様に楽しんでる。
ん?ラブレター!
少し気になる話題に僕もつい口をだす。
「モテるのは構わないが、やはり恋愛とは、お互い尊重し合える関係じゃ無いとダメだ」
「あら、健三さん、心配?百合乃ちゃんの事」
さくらがイタズラっぽく聞いて、百合乃も、同じ様な目で僕を見つめる。
「なんだかお父さんみたい」
百合乃がつぶやいた。
「そりゃ、まあ、人生の先輩として、君を導く義務が僕達が君の友人としての責務であって」
そこまで言い途中に、「お父さーん」と百合乃がはしゃいだ。
お父さん。
その響きはまんざらでもなかった。
僕たちが求めた幸せが、週末限定ではあるが自ら足を運んでやって来てくれる。その現実がたまらなく嬉しく愛おしかった。
さくらは病気になっても百合乃を引き取る事を諦めなかった。それでも、現実は、無情なもので、彼女の心臓は時間と共にその鼓動を弱めて行った。
激しい運動、長距離の移動、大きな声を出す事などが心臓に負担が掛かるとの事で、医者に禁止をされていた。それ以外の事は許されていたが、もう、俳優業は出来なかった。そして、子供を引き取る事もそんな身体では難しいと言われていた。
だから、さくらは、百合乃に毎日手紙を書いた。日々の生活の事、趣味の事、そんな他愛のない事を彼女は百合乃に宛てて書き記し、したためた。
百合乃もそんなさくらに答える様に、真似る様に、手紙を返してくれていた。施設での事、学校での出来事、友達の事。彼女もそんな他愛のない日常をさくらに見せてくれた。
そんな手紙のやり取りで、さくらも僕も救われていた。
それだけで十分だったのだが、ある日幸せは手紙ではなく自らやって来る様になった。
吉永園長に連れられて、小学6年生になった百合乃が我が家にやって来た。
「本人がどうしても遊びに来たいと言うもんで、ご迷惑でなければ週末だけこちらにお邪魔させてもらってもよろしいでしょうか?」
我が家の玄関で吉永園長はそう言ってかしこまる。その横で、百合乃が「私もう子供じゃないもん」と得意げにぼやいていた。
「いやいや、それは構いません。むしろ大歓迎ですよ」
僕がそう言うと、園長が安心したように微笑み「では、お願いします」と言い切る前にそれをさえぎる様に「本当?来ても良いの?」と眼をキラキラとさせてはしゃいだ。
「もちろん。自分の家だと思っていつでもいらっしゃい」
僕の横で、さくらも百合乃につられて、はしゃぐ様にそう言った。
「それじゃあ、お願いします。百合乃、お二人に迷惑にならない様にするのよ」
吉永園長にそう言われて、百合乃は嬉しそうに「はーい」と元気よく返事をした。
それから6年、この幸せが続いている。
お父さんと僕のことをふざけて、おどけて呼んだ彼女の眼はキラキラと輝き、それでいて物欲しそうな寂しさを滲ませていた。
「何にも出ないぞ。慕ってくれるのは嬉しいが、何にも買ってやらないぞ」
「ケチぃ〜」
百合乃は言葉ではそう言うが、楽しそに微笑んではしゃいだ声で笑った。
「好きな人は居ないのか?」
僕は不意に百合乃に尋ねた。
「えっ、どしたの急に」
百合乃がポカンとした顔で聞き返した。
「いや、だから、ラブレターを貰ったなら、相手に気持ちに応えるのが礼儀だしだね。他に好きな人が居るとか、恋愛以外にやりたい事があるとかなら、その旨を相手に誠実に伝えなきゃだろ」
僕がそう言うと、百合乃は天を仰ぐ様に上を向き、少し考えてから、「今は特に無いかな?好きな人もいないし」と言ってから、「でも、女優さんは憧れてるかな。さくらさんみたいにはなれる自信はないけど」と言った。
「やっぱりやりたいんじゃない。女優。百合乃ちゃんにその気があるなら、私、事務所紹介するよ」
さくらが嬉しそうに、そう言ってはしゃいだ。嬉しいのだ。娘の様に可愛がっている少女が自分を慕うだけでなく、自分の仕事を、生きた証をリスペクトし憧れていることがたまらなく愛おしいのだ。
「おい!」
思わず、否定的な声を僕は2人に発していた。
僕だって嬉しい。自分たちの仕事を生きた証を肯定してくれる娘の様な少女。百合乃の素直さが愛おしい。だけど、僕達の業界は、綺麗な所だけではない。むしろ、色々と改善されなければならない問題に溢れていた。俳優や制作人の過剰労働や、ここ最近やたらと話題になるセクハラやパワハラ問題。「こんなことは昔はよくあった」と心の中で一蹴する一方で、「やっとみんなが気付いてくれた」と救いを感じる自分も居て、更に、そんな汚い世界でも必死に夢を作り、演じ、世の中に与えて来たという自負があり、僕達の業界がもう夢を作れなくなるのでは?と言う焦りもあった。
百合乃の憧れている世界はそんな複雑な世界だった。
どの世界も業界も複雑だが、幼気な少女をそう簡単に厳しい世界に放り出す気には僕にはなれなかった。