「この尻をもって千尻なり」~樽に詰められた999個の尻の謎
秋の歴史2022 参加作品です。
「ねえねえ! 河童の御宝って、あるでしょう!」
生物部室のドアを開けるなり、水口舞が声を張り上げた。
映研の脚本書きである彼女は、なにかというと生物部の片山修一に知恵を借りに来る。
「なに? いやにハイテンションだけど、ネットオークションに木乃伊の売り物でも出てたの?」
胡散臭そうに応じたのは岸峰純子。
舞の盟友であり、かつ修一の相棒でもある生物部員だ。
「老婆心ながら忠告しておくと、河童のミイラなら、まず間違いなく合成のフェイク物件だよ。猿に魚とか亀を継ぎ接ぎして作った見世物用」
「違う違う。”河童がお宝”なんじゃなくて、”河童のお宝”だよ。キミ、わかってないねぇ」
上から口調で純子にダメ出しする舞に
「傷薬とか?」
と修一が問い掛けた。
「悪さしてお灸を据えられた河童が、お詫びに差し出すヤツ」
「そんな昔話もあるけどさ」
舞は修一の前にドッカと腰を下ろすと「今話題に上げてるのは、荷物と手紙とを託されて、任務完了後にお宝を貰うヤツのほう」とグイと身を乗り出した。
「具体例を挙げるなら、垂水峠の河童伝説よ。似たようなハナシは全国に分布しているわけだけど。今度クレイアニメーションで短編作ってみようか、って話になっててさ」
◆
垂水峠の河童伝説というのは、福岡県 宗像市と同県 岡垣町とを結ぶ山道で起きた怪事件だ。
その山道は現在では国道495号線の一部となっているが、そこに問題の峠がある。
時代的には「むかしむかし」としか記述がないが、芦屋に廻船問屋が有った設定であるから近世 江戸時代のことだろう。
物語は宗像大社や国道3号線よりも海側、たぶん釣川河口付近で若者が声を掛けられるところから始まる。
声を掛けてきたのは顔色の悪い薄気味悪い男で、大きな樽を背負っており、手紙と共にこの荷物を芦屋の廻船問屋まで届けて欲しい、と言う。
そんな妙な依頼なぞ断ってしまえば良さそうなものだが、若者、気の優しい男であったのか、はたまた報酬に心動かされたものやら、怪しい男の願いを聞き入れてしまった。
若者は湯川山と孔大寺山に挟まれた山道を、体力に物を言わせてエイエイと登って行くが、暑い夏の盛りであり、最高地点に達したあたりで一休みすることにした。
ここを過ぎれば後は下りで、波津海岸まで達すれば芦屋までは平坦な道が続く。
難所を越えた気安さか、汗を拭いているうちに若者は託された手紙の内容に興味が湧いてきてしまった。
悪い事とは知りながら、手紙を開いてみると
『この尻をもって千尻なり』
とだけ、書いてある。
どうにも奇妙な文章なので、ままよと樽の蓋を開けてみると――
そこには人間の尻ばかりがギッチリ。
驚きのあまり腰を抜かしながらも、恐る恐る尻の数を数えてみると、999個が詰め込まれていた。
若者は、自分の尻を加えたらちょうど1,000個になることに思い至り
「こげん尻ば集めよるんなら、あの男は河童やったに違いなか……」
と樽も手紙も捨てて逃げ帰った。
それ以来、その峠は樽の中身を見たから「樽見峠」と呼ばれるようになった。
◆
「なんの疑問も持たずに樽と手紙とを届けていたら、自分もお尻を取られていたんだよ?」
と舞は両手で自分のヒップを押さえた。
「だいたい『見てはいけない』という約束事を破ると、悪いことが起きるというのが昔話の”お約束”なのにさ」
「『見るなの禁忌』ってヤツだね。『鶴の恩返し』然り、『ソドムとゴモラ』然り」
純子は薄く笑うとブリキ缶を開け、北九州名物の堅パンを舞に手渡した。
「けれど舞が熱くなる必要は無いじゃない? 所詮昔話なんだし」
「まあ、そうだけど」と、舞は受け取った鉄より硬い堅パンをガリリと齧り「人形劇用に脚本に起こしていたら、こりゃあ理屈に合わないと思ってさ」と不満顔。
そんな舞に修一は「ちゃんと報酬を受け取ったバージョンも有るよ」と笑った。
「旅の僧侶なり山伏なんかから、アドバイスを受けるパターン。元の手紙は破り捨て、『この手紙を持参した者には、宝を与えてやって欲しい』と書き直して渡すヤツ。茨城県 結城郡に伝わっている民話だと、届けた先の河童から、無限に米が湧きだす魔法の碾臼が貰えるんだったかな?」
「皮肉なハナシよね。見るなのタブーを破った上に、偽手紙を渡すことで幸福を授かるなんて。子供に対する教育上『コンプライアンス的に如何なものか』ってクレームが来ちゃう。まあ『よく分からない事が起きたら勝手に動かず、まずは有識者に判断を仰げ』っていう報・連・相の教訓と強弁すれば、なんとか言い抜けできそうではあるけれど」
舞は修一にウインクすると
「でも、私が理屈に合わないと言ったのは、”そこ”じゃないんだ」
と腕を組んでふんぞり返った。
そして純子に向かって
「アンタ、ヒップいくつ?」
「なに言い出すのよ、ひとつに決まっているじゃない」と純子。
「バッカじゃないの? サイズよ、サイズ」と舞が机を叩く。
「アタシが84㎝だから、アンタは優に90超えているでしょ?」
「公称86㎝」
純子がチラリと修一の顔を見る。「舞とそんなに変わらないよ」
「86なら86で良いけどさ」
映研の脚本書きは机の上にあった紙に
χ×3.14=86 χ≒27
と書くと「円周の公式から、純子の尻の直径は27㎝くらいと導き出せる。私もだいたい同じくらいね」と結論付けた。
続けて「すると、腰骨あたりと股関節の付け根くらいで、尻だけを高さ20㎝くらいの円筒形に切り出すとすると」と口にしながら
27/2×27/2×3.14×20=11445.3 11445㎝3=11.4L
と書いた。
「私のヒップにしろ純子のヒップにしろ、一尻だけで11㎏くらいあるんだよ。すごい大雑把な概算だけど」
舞の計算を見ながら
「ふむふむ。十尻で100㎏オーバー、百尻だと1t超えか。千尻だと4t積みトラックが3台無いと運べないね」
と純子が面白そうに評した。
「若者が、力太郎並みの怪力無双のバケモノだったんじゃないの?」
「だったら、そっちの方が伝説のメインキャラに取り上げられてるでしょうが。若者はあくまで”ある若者”でしかないでしょ。キャッと驚いて逃げ出すだけのモブキャラよ」
舞が憤然とする。
「だから、この手の河童の手紙に関する昔話の最大の謎、それは河童の存在とか尻が詰まった樽というグロ描写じゃなく、『なぜ、そんな物理的に不可能な描写に誰も疑問を持たなかったのか?』という一点に集約されるんだよ。文章だけなら『そんなもんかぁ』で誤魔化せても、アニメ化するとなると”12t弱の樽を担げるモブキャラ”なんて、リアリティーの欠片も無いじゃん。落語の『らくだ』に出て来る”頭抜け大一番小判型”なんて特注の早桶は、大男一人分の遺体しか押し込めないのに、天秤棒を通して二人で担ぐんだよ?」
純子は「別に問題無いんじゃない? ダイダラ法師だったら一人で山を退かすんだし。リアリティーなんかクソ喰らえで、面白ければそれで良いんだよ」と笑った。
けれど修一は「水口さんの計算の前提に穴が有るんだよ」と澄ました顔で指摘した。
「河童の好物は、”尻”じゃないんだから」
「?? キュウリってこと?」 「河童は取り合えず尻を狙うよね」
顔を見合わせる純子と舞に、修一は
「尻じゃなくて、”尻子玉”ですよ。おのおのがた」
と微笑んだ。
「尻子玉は架空の臓器だけど、水死体の肛門が緩んでいるのを見て、解剖学が発達していなかった時代の人たちは『河童に尻子玉を抜かれて腑抜けになった』と噂したんだったろう?」
◆
「じゃあ樽の中身は、抉り取られた肛門と直腸の一部って描写にするのか……。架空の尻子玉じゃ映像化できないし」
純子は嫌そうな顔をした。
「まるでシリアルキラーの大量猟奇殺人だよ。ぷりぷりした白いお尻が詰まっているより、絵的に変なリアリティが有って、気持ち悪さが増すね。いくら実写じゃなくクレイアニメで作るにしても」
一方、舞は「肛門ひとつが10gだとすると……」と暗算を始めた。
「1,000個で10,000g。……10㎏か。なるほど、女子供にでも運搬可能だね」
「生だと腐っちゃうから、同量の塩で塩漬けにしていたと考えるべきだろう。冷蔵技術の無い時代だからね」
そう修一は指摘すると「また、容器の重量も無視できない。プラスチック容器なんかも無かったんだから。木製の樽は重いから10㎏くらいは見ておこうか」と続けた。
「すると総計で30㎏になる。重いには重いけど、多少は屈強な男なら背負子で担いで担げない重さじゃない。遠くにまで歩くには大変だけど」
「歩いて峠を越えるのは大変だ。しかも樽を背負ってなら猶更だ、か」
舞は歌うような調子て口遊むと
「だから薄気味悪い男は、若者を雇ったのか。中を見られるリスクを負ってまで」
と頷いた。
「そう。顔色の悪い男は、荷物を担いで歩くには限界だったんだよ。夏だし軽い熱射病だったのかも知れないね。むしろ普通の人なのに、熱射病になったから顔色も悪くなってしまったんだと」
修一の推論に、純子は「じゃあ河童ではなかった、と考えてるわけ?」と驚きを見せた。
「うん」と修一は頷くと「だって頭に皿が有ったわけでも、手足に水掻きが有ったわけでもないじゃないか」と相棒にウインクした。
「尻子玉らしいブツをたくさん持っていたから、河童だったのかも知れないって疑われただけで」
それに、と続けて
「他の地方の類話はともかく、垂水峠の事件に限定して考えれば、ブツの受取人は廻船問屋とハッキリしているんだよ。別の沼に棲む河童じゃなくてね」
「ちょっと待って、ちょっと待って」
と舞が頭を抱えた。
「芦屋の廻船問屋が、シリアルキラーに肛門集めを依頼したってこと?」
「999個のリアル肛門だったら福岡藩や小倉藩を揺るがす世紀の大事件だけど、そんな猟奇事件の記録は読んだ事ない。たぶん『なぁんだ、ツマンナイ』っていう真相が発覚して、あまりの下らなさに解決編のほうは時代に埋もれてしまったんじゃないかな」
修一は事も無げに言うと
「だから樽の中身は、肛門に見えて、実は肛門ではなかったんだ」
◆
「読めた!」
と純子が声を上げた。
「片山クンが言う通り、北部九州限定でなら成り立つ推理だね。顔色の悪い男は、特産品の販路開拓をしようとしていたんだ」
「ちょっと待って。まだ話に付いて行けてない」と脚本書きが純子を制する。
「北部九州限定? 特産品?」
「有明海限定の珍味よ。厳密に言えば、昔は千葉県でも食べてたみたいだけど」
純子のヒントで「おお!」と舞も理解した。
「わけのしんのす!」
◆
標準和名「イシワケイソギンチャク」。ウメボシイソギンチャク科の棘皮動物だ。
有明海近辺では、見た目から「ワケノシンノス(若い者の尻の穴)」と呼ばれ、食用になっている。
料理法は、味噌煮・味噌汁・酢の物・唐揚げなど。
現在でも地魚料理の店に入れば、ムツゴロウ・ワラスボ・ウミタケなどといった特徴的な海鮮と一緒にメニューに載っている生物である。
◆
「ナルホドなるほど」と脚本書きも頷いた。
「塩辛にしたワケノシンノスを担いで、男は大川市か柳川市あたり、有明海の沿岸から大宰府を越え博多を越え、延々歩いて宗像市までやってきたわけか」
「そうそう」と純子も頷いて「釣川までは頑張ったが、流石にそこで力尽きた。暑いしね」と引き取る。
「万事休す、と座り込んだところに、お気楽そうな若者が通りかかる」
「はいはい」と舞も絶好調で後ろを受ける。
「アンタ、酒手ばはずむけん、こん樽ば、芦屋の廻船問屋まで運んじゃらんね」
(「あなた、手数料は充分にお支払いするから、この樽を、芦屋の廻船問屋まで運んでもらえないだろうか」)
「そんな風に持ちかけられたら、若者は快く運搬を引き受けただろうね。夏は米の収穫前で、農家は手元不如意な時期でもあるし」
修一も寸劇に参加する。
「こげん酒手ば貰えるとですか! よかですばい。アタシが引き受けますたい」
(こんなに手数料をいただけるのですか! いいでしょう。私がお引き受けいたします」)
「そうなると『この尻をもって千尻なり』って手紙は、河童が書いた手紙でもなんでもなく、有明海近郊の商家から芦屋の廻船問屋に向けての『イソギンチャクの塩辛1,000個の送り状』だったってことだ」
純子がクスクス笑う。
「柳川なんかでは、ワケノシンノスは略称”ワケ”だけど、漢字表記だと”若”一文字になっちゃう。有明海近郊だったら若で通じても、食習慣の無い響灘の廻船問屋まで送るとなると、先方で若が通じるかどうかは判んないね。むしろ見た目から理解してもらいやすい”尻”とか”尻巣”と書いた方が通じるカンジか」
「だから有明の商人、もしくは商家の手代は、若者が見ている前で送り状を書いたんだよ。自分がアクシデントで行けなくなったから、代理に樽を託すと。たぶん送り主として、自分の店の屋号やなんかもキッチリ全部」
そして修一は「有明商人は、きっと前にも、少なくとも一度は芦屋の廻船問屋まで同じ荷物を送っているはずだ。想像だけどね。一度に30㎏を担ぐより、15㎏を2回とか10㎏を3回とかのほうが妥当だろ?」
「うん。分かる」と純子。
「だから『この尻をもって千尻』なんだ。若者の尻コミで1,000個なんじゃなく、今回送付分までの合計で総量1,000個になりますって通知だね」
「あー……。あらかじめ手紙の内容を知っていたから、若者はどうしても樽の中身を見たくなっちゃたんだね。『千個の尻ってなんだろう?』と、頭の中でズ~ッとクエスチョンマークが乱舞してて」
舞も修一の説明の合理性を認めざるを得なかった。
「他の文言は、頭から抜け落ちてしまうわな。興味が一点に集中しちゃったら」
「そうだろうね」と修一が推理を続ける。
「だから、たぶん峠まで山道を登ったというのも嘘だ。山道に差し掛かって、周りに人気が無くなったら、直ぐに蓋を開けたんだと思う」
「で、いっぱいに詰まったワケの塩辛を見て、腰を抜かしたと」
純子が頭を抱えた。
「数を数えたというのも嘘なんだろうね。イソギンチャクだと分からなくて、人の肛門だと錯覚したら、ノンビリ999個も勘定している余裕なんて有るわけがない。999個っていうのも後付けなんだよ。尻千個っていう先入観が有るから」
「河童の出た! 河童の出たバ~イィ!」
舞の方は推理の進行に興奮気味だ。
「若者は村まで逃げ帰ると、仲間を集めて商人が休んでいる木賃宿へと押しかけた。『コイツは河童たい! 尻ば千個も集めようとぞ! オレも取られるところやったと』 大騒動だね。B級モンスターパニックなら、クライマックス部分だ」
「けれど宿の主人や当の商人が『はあぁ?』となって、若者が頓珍漢な勘違いをしていた事が判明する。若者は村の年寄から『こん馬鹿モンがあああ!』って、死ぬほど怒られただろうね。仮に商人が若者たちから袋叩きにされたのなら、若者が河童の手紙に驚いた話じゃなく、河童を退治した話になってたはずだ」
修一は舞の興奮とは対照的に、冷静な調子で後を受けた。
「だから後半の解決編は、前半のホラー風味を台無しにする滑稽噺になっちゃうんだよ。怪談と滑稽譚、どっちも昔話の王道だけど」
「地名の由来にするならば、怪談のほうが上だよね」
と純子が相棒にコメントする。
「オッチョコチョイの勘違いなんて、インパクト低いもの。語り継がれるうちに、細部が再構築されたり後半部分が欠落していったのも納得かな」
「片山君の推理には、一応はナットクするけど、置き捨てられた樽は結局どうなったんだろ?」
脚本書きが首を傾げた。
「誤解が解けたんなら、その日の内に村人が責任を持って芦屋まで届けたんじゃないかな。販路開拓が出来たのか気になるけど」
「ちゃんと届いたんだと思うよ。けれど販路開拓には繋がらなかった」
修一は確信を持って断言した。
「それは歴史が証明しているじゃないか。冷蔵技術が進んで高速輸送が可能になった現在でも、イシワケイソギンチャクは有明海周辺限定の名物だろ? 福岡市内の魚屋さんだって扱っていない。見かけが問題だったのか珍味過ぎたんだろうね。残ったのは999個の肛門伝説だけだけど、埋もれて行ったはずのトライ&エラーが痕跡だけでも残したんだとすれば、それは凄いことだと思うよ」
おしまい