記憶なんかなくても
「紫の──いえ、ソフィーさん。セイカさんから離れてくれませんか」
〝白の廃園〟改め、タガルニナ・ノヴェチェント──通称『ルニー』──は、向かいの二人掛けソファーでセイカの腕に巻きついているソフィーに苦情を呈した。
ある日の午前中。
特虹戦隊の秘密基地の心臓部、司令室にて。
ディヴァースレッドであるセイカのフリースペース、赤い床の上に置かれているシャーリー司令官が揃えたロココ調の応接セットでは今、静かに戦いが繰りひろげられていた。
「嫌よ……。セイカはみんなのものよ……」
ソフィーはますます強く巻きついた。
胸の谷間に腕が埋まるのも酷くなり、セイカは遠い目をしてしまう。
いつの間にか同じ種類の二人掛けソファーが一台増えているし。アジトで最初の頃よくやっていた、ソフィーとタガルニナの見えない火花散る争いを予想して、追加したとしか思えない。
隊員さんがせっかく用意してくれた紅茶が冷めてしまう。これも家具に合った高そうな意匠のティーセットだが、気にしたら負けだ。飲もう。
「ルニーさん、信じられないかもしれませんが、これでもソフィーさんはシア──イクシアのことが大好きなんですよ」
セイカは紅茶を一口飲んでから、真相を話しだす。
「…………本当ですか?」
「本当です。紛れもない真実です」
「……イクシアさんは男性ですよね?」
「はい。可愛い男の子です」
「もう……ただの『可愛い男の子』じゃないわ。『撫でまわしたいくらい可愛い男の子』よ……」
ソフィーは柳眉を顰め、白魚のような指でセイカの頬をつついた。
「えへへ」
背後のフリースペースで作業をしているイクシアは、大層嬉しそうに照れている。
「…………驚きました」
「ですよね。シアでさえも秘密基地に来て豹変したソフィーさんに、当初は戸惑っていましたよ」
「だってお姉さん、ずっと女の子とばかりいて、ボクの存在なんてほぼ無視だったんだもん」
イクシアは手を止めずに頬を膨らます。
そんな様を見てソフィーは「可愛いわ……栗鼠みたい」と呟いた。
「思い返せば、一角獣人の長老さんが匂わせていましたけどね」
六角テーブルの方にいるヴァリーリアンが、眼鏡のブリッジを押し上げて情報を提供する。
「悪の大幹部なのに……正義の味方にデレデレしていたら、みっともないじゃない……。故郷に何をされるか分かったものじゃないし……必死だったのよ……」
「それで女性限定コスプレ喫茶『乙女の花園』に逃げ込んでいたのですって」
「可愛い子たちで気を紛らわせていないと、シアを撫でたい衝動が抑えられないのだもの……」
ソフィーは腕を抱いているセイカの肩にこてんと頭を乗せる。
自分は同性だからセイカのガードが緩い。羨ましいだろう──と、目が物語っている。タガルニナは青筋を浮かべた。
「〝悪ノ華〟から解放されたので、もう遠慮しなくていいのですが、イクシアは『ゆめかわいい』というジャンルの服飾ブランド『ANIKA』のデザイナーで、製作も一人でこなしているので忙しいのです」
わたしは大きなクマのぬいぐるみ的扱いですよ、とセイカは説明する。
セイカにベタベタしているのに、イクシアがまるで嫉妬していない理由は分かった。が。
「つまり、イクシアさんが多忙で構えないので、セイカさんを代わりにしていると?」
「そうです」
だから心配は無用ですとセイカは言いたかったのに。
「今すぐ大きなクマのぬいぐるみを注文しましょう。今すぐです」
「……いい歳したおじさんが嫉妬なんて、見苦しいわ……」
「ヴァリーリアンさん、お願いします」
「解りました」
セイカの肩に頭を乗せたまま煽るソフィーと、丁寧な口調は崩さないが明らかに青筋が増えていそうなタガルニナの間に、見えない火花が散っている。
問題ないと説明したかったセイカは、状況が悪化したので「どうしてこうなった……」と内心頭を抱えるのだった。
〝青の薔薇〟と〝白の廃園〟は宇宙政府軍に確保された後、敵意なしと判断され、セイカが特虹戦隊に必要な色の戦士になると言ったため、ソフィーと同じ扱いになった。
変身ブレスを装着し、各人に部屋が用意された。ただディヴァースⅤの五人と異なるのは、変身ブレスの着脱は自分では不可能で、それで居場所が常に判り、秘密基地から許可なく出られない。夜間に部屋の扉はロックされ、好きにうろつくのも不可能だ。
また、秘密基地内でも必ずディヴァースⅤの誰かと共にいることが求められている。
「この時、貴様は私に──」
〝青の薔薇〟改め、イカコ・クー・クーは映像の内容を説明する。
ここはロメロの部屋だ。
記憶喪失のロメロのために毎週放送されている特虹戦隊の活躍を纏めた番組を、第一回からイカコの解説つきで観ている最中だ。戦いの後に毎回アジトに来て何をしていたのかも説明する。
そうしていると、あっという間に時間は過ぎた。
「一度に詰め込みすぎるのは良くない。もうすぐ昼だし、今日はここまでにするか」
イカコは映像を止める。
「少しは何か思い出したか?」
「いいや……。悪いな、ここまでしてもらってるのに」
「謝るな。私がしたくてしているのだ」
ソファーに隣り合って座るイカコは、TVの画面を見たままロメロの手に指を絡めて握る。
遠慮なくロメロも握り返した。
「貴様は記憶喪失になる前は、任務として私を口説いていたのかもしれないが──」
「殿下」
ロメロは凭れていた上半身を起こし、強めの呼びかけでイカコの言葉を遮った。
真剣な響きに、イカコはドキリとする。
「オレは記憶をなくしちゃいるが、これだけは確信して言えるぜ? オレは殿下に本気で惚れていたと」
「ロメロ…………」
自分の方を向いたイカコの冬青の瞳を見て、ロメロは告げる。
「今だってそうだ。こんなに親身になってくれる可愛いユーを、好きにならないはずがない。記憶なんかなくても、だ」
普段はプレイボーイぶっているロメロが、ひたすら真摯に。
ギュッと握った手が熱い。
ロメロはいつだって、自分に向き合う時は誠実だった。イカコはこの胸の高鳴りが何なのか、もうとっくに気づいている。
「ロメロ、記憶がない貴様でも、私も──」
お互いに、引力が働いているかのごとく、自然と距離を詰めていく。
瞳を閉じたイカコとロメロの唇が、あと僅かで触れるという、その時。
『ヤッホー! お二人さん! お昼食べにいく時間だよ!』
ピンポーンという音がして、ドアの横にあるパネルからこの場にそぐわない、元気いっぱいの声が聞こえてきた。
イクシアだ。きっと他にもディヴァースⅤのメンバーとか元同僚とかジイとかいるだろう。
「うわあああああッ!!」
「どわッ!?」
驚きと恥ずかしさとで、イカコは思わず両手でロメロの胸をどついた。渾身の力だった。
当然ロメロは肘掛けの向こう側に頭から落ちた。なぜか咄嗟にカウボーイハットを抑えていた。そんな場合ではない。受け身をとるべきである。
危機的状況でもスタイルを気にする男、それがロメロなのかもしれない。
「し、しまった! ロメロ、大丈夫かっ!?」
肘掛けから両脚だけ生えている状態のロメロを心配し、イカコはソファーを回り込む。
「ロメロ! ロメロ!?」
腕を引っ張り身体を起こそうとするが、ロメロは目を開いているも微動だにしない。
「どーしたの? 緊急事態?」
「おやおや。若に不埒なマネをしようとして、拒絶されましたか」
「ジイ! ロメロはそんな奴ではないっ! これは私が悪いのだ!」
「BL!? BLですね!?」
「だから呼びかけるのは無粋だと──」
いつの間にか外にいた面々が部屋にわらわらと入ってきて、それぞれ言いたいことを言っている。収拾がつかない。
「とにかく大丈夫か、ロメロ! 頭を打ったか!? 首を痛めてないか!?」
イカコは漸くロメロを引っ張り起こして、ソファーに座らせる。
ロメロは必死で心配をするイカコをゆっくりと目にし──
「……あん? なんで殿下がオレの部屋にいるんだ? オレの願望が見せる幻覚か?」
と、言ったではないか。
『!!』
その場にいた者全員が息を呑んだ。
「それに〝白の廃園〟まで…………待てよ」
カウボーイハットの上から頭を押さえて、ロメロは考え込む。
「貴様……私が誰か分かるのか」
恐る恐る、イカコは質問した。
「〝青の薔薇〟の殿下だろ? ……いいや、今は宇宙政府軍に保護されて……?」
「ロメロ!」
「おっと」
イカコは感極まってロメロに抱きついた。かなりの勢いだったが、ロメロは余裕で抱き留める。
「これはどういう状況だ?」
「ロメロ、裏路地で子供を崩れた木箱から助けたのは憶えていますか?」
「────ああ。憶えちゃいるが、何でソレをユーが知ってるんだ」
首にイカコを巻きつかせたロメロは視線を宙に向け、次にヴァリーリアンを見て不思議そうな顔をした。
「ここにいる皆が知っていますよ。なにせそれが原因で、つい先程まで貴方は記憶喪失だったんです」
「は? 記憶喪失?」
「ええ。それはもう綺麗さっぱりと、僕たち全員とここ一年あった出来事を忘れていましたね」
なぜ一番肝心なところで、というタイミングだったので、説明するヴァリーリアンの笑顔が空恐ろしい。
「後で話してさしあげますので、取り敢えず医務室に行って医師に診てもらってください。今、頭部に受けた衝撃や、記憶の混濁が気になります。──イカコさん、頼めますね?」
「! もちろんだ。私に任せておけ!」
「はい、お願いします」
ヴァリーリアンはさっさと話を纏めてしまった。
「お見事な手腕です」
「付き合っていたら昼休みが無くなってしまうので」
褒めるタガルニナに、ヴァリーリアンは眼鏡のブリッジを押し上げて本音を告げる。
仲間……というかロメロの記憶より昼休憩を優先させる男、ヴァリーリアンである。
「貴方は付き添わなくてよろしいので?」
「ええ。いつまでも若を甘やかしてはいられませんので」
がっちりと恋人繋ぎをして、ツン口調でイカコはロメロの腕を引いて部屋を出ていく。その様を見守るタガルニナの発言には、全てが終わった後の未来の在り方を示唆するものがあった。
「さ、ボクらはお昼を食べに行こう!」
よかったよかったと言いながら、イクシア達もロメロの部屋を出た。
なお、イクシアを除く男の部屋になど入りたくないソフィーは、開けっ放しの出入口から中を覗いていて、
「やっぱり、わたくしの蹴りで治ったのに……」
と、性懲りもなく呟いていた。
診察と昼食を終え、司令室に現れたロメロとイカコは、その場にいた全員──例のごとく少佐を除く──に診断結果を問われた。
医師によれば、失っていた記憶は戻り、代わりに記憶喪失になっていた間の記憶が曖昧になっているが、時間か経つにつれて馴染むだろうという話だった。
つまり、全快すれば今までの記憶は全部あるという状態になる。
「では、記憶喪失だった時の出来事を詳細に話してさしあげましょう」
ヴァリーリアンは約束どおり、記憶が曖昧になっている部分を事細かに説明する。
まだ敵だったイカコに月で保護され、〝悪ノ華〟のアジトにセイカとイクシアが迎えに行ったところから、〝青の薔薇〟と〝白の廃園〟を味方に引き入れるために敵のアジトに通っていたのにチャンスがやって来たその週に記憶をなくしたまま戦い、なんとかイカコとタガルニナは特虹戦隊での預かりとなり、二人が加わった秘密基地でどのように過ごしていたのか。
合間にイクシアがどれだけ大変だったか口を挟み、セイカはうんうん頷いていた。ロメロが責められる一方で、逆に庇おうとするイカコをタガルニナが押し留める。
「悪かった。ユー達には苦労をかけた。すまん」
完全に悪者扱いされても、ロメロは謝るだけだ。仲間が怒っているのは、自分のためだと解っているからだ。
しかし、付き合いの短いイカコは納得できない。
「貴様等は仲間ではないのか!? なぜロメロを責めてばかりいる!」
アジトでそうしていたように、イカコはロメロのフリースペースでソファーから立ち上がって喚く。
そこで提案をしたのは、同じくフリースペースの作業台で腕をクロスして体重をかけ、足を浮かしてデザイン画を考えていたイクシアだ。
「じゃあ、クーちゃんが甘やかしてあげれば?」
「はあ!?」
「よし、決まり! ロメロの甘やかし担当はクーちゃんでっす!」
自分で言っておいて妙案だと顔を輝かせたイクシアは、ノリのいいDJっぽく両手をLの字にしてイカコを指差した。
「わーおめでとうございますー」
セイカはパチパチと拍手をし、抑揚のない祝辞を送る。
「なっ、はっ!? 私はやらないぞ!」
「貴方がしないと、誰もロメロを褒めたり慰めたりしませんよ。彼は特虹戦隊ではそういう立ち位置なので」
六角テーブルにいるヴァリーリアンは横目で冷たく現実を告げた。
「なんだと! 酷い仲間だな、おい!」
「だろ? 殿下、だから甘やかしてくれ」
「え! いや待てロメロ、ここではっ」
「ん? ここじゃなければいいのか?」
ロメロは立っているイカコを両脚の間に囲い、腰を引き寄せる。するとイカコはロメロの左腿に座ることになって、まごまごしてしまう。
「遊ばれてるわねェ、イカコちゃん」
「若は根が真面目ですからね。これまで揶揄われることなどなかったので、皆さんお手柔らかにお願いします」
お目付け役のタガルニナはそうは言うも、いい経験だと思っている節がある。
時代の惑星王となる王太子のイカコに親しい態度がとれる者はそうそういない。兄弟同然に育った乳母の子とか、将来は忠臣になる予定の幼少から遊び相手として育った高位貴族の子でもない限り。
どうやらイカコにはそういった存在はいなかったようである。
「くっ……わたくしは我慢しているのに、堂々とイチャつくなんてっ……!」
隣の隣、セイカのフリースペースから見えるロメロとイカコの光景に、巨大なクマのぬいぐるみをぎゅむぎゅむ締めつけているのはソフィーだ。
大人サイズのクマのぬいぐるみは、注文したらすぐに届いた。もちろん中身も検品済みである。仕事が早い。
セイカは六角テーブルの方にいるのでイチャイチャできないし、イクシアはもちろん手が空いていない。
果たしてクマのぬいぐるみは、いつまで無事でいられるだろうか。
二人のメンバーが増えてカオスに拍車がかかる司令室だった。




