大茴香セイカ
大茴香セイカは、どうしようもないほどの運動音痴だった。
何もないところで躓いて転ぶのは日常茶飯事、自分の脚に自分の足を引っ掛けてコケる、階段を踏み外す。体育の時間には言わずもがな危険な事態の連続で、しまいには体育教師に「頼むから座ってじっとしていてくれ‼︎」と泣きつかれる。あらゆる運動系イベントは常に見学、登下校だけでも「命大事に」が町内範囲での総意だ。
もはや運動音痴というより運動神経が死んでいるレベルだが、幸運にも大きな怪我や事故は無く、すり傷などのちょっとした生傷が絶えないくらいで済んでいる。だからこそ、セイカにはどうしても諦めきれない夢があった。
小さなころ、叔母の家で特撮を見た。戦隊ヒーローモノだった。
華麗にアクションをこなしてキラキラ輝いていた人達がいた。とてもカッコよかった。憧れた。
後に、彼らは『スーツアクター』と呼ばれていると知った。そんな職業があるんだ! と、ワクワクした。
そう、セイカの夢は戦隊ヒーローのスーツアクターになること。さらに言うと、レギュラーでのレッドが戦隊初の女子になった時のスーツアクターを演りたい。多様性が叫ばれて久しい昨今、いつかは、上手くいけば自分が大人になる頃には、年間主役のレッドが女子の作品も出てくるのではないか、と目論んでいる。
セイカは早速アクションを学ぶため、近所にある体操クラブに入りたいと親に頼み込んだ。──却下だった。理由はもちろん、月謝の問題ではない。自室から施設が見えるのに……切ない。
学校の体育会系部活はとっくに出禁である。
先回りされ、ひっそりと独りで訓練するのも禁止だと、家族と担任と体育教師にこんこんと言い聞かされた。悲しい。
セイカに許されたのは、怪我の心配がない超カンタンなストレッチと、イメージトレーニングだけだ。
「まさかこの歳になってまで戦隊好きでいるとは思わなかったわ」
「DVDや特集本をいっぱい持ってる叔母さんにだけは言われたくない」
元凶……いや師匠とも呼ぶべき叔母の家に入り浸り、もう何度目かわからないコレクションのDVDを見ながらセイカは頬を膨らませた。
「それはそうだけど。でも『素顔の戦士』派が圧倒的に多いでしょ」
「だよね。だから余計に解ってもらえない」
年齢を重ねれば〝卒業〟するか、変身する前のイケメン俳優──『素顔の戦士』に興味が移る、または端から『素顔の戦士』にしか興味がないほうが大多数。最近では女の子達が可愛い戦士になって戦う番組もある。けれどもセイカは幾つになっても、戦隊シリーズの変身して戦うシーンが好きなのだ。
自分が少数派だということは解っている。
「どうすれば関われるんだろう」
叔母の家から自宅へ帰る道すがら、進路について悩んでみる。セイカももう高校生だ。スーツアクターにはなれなくても、戦隊シリーズにずっと関わっていられる仕事に就きたい。
イメトレで培った妄想力を活かしてシナリオライターに? ムリムリ。そんな天才的頭脳は持ち合わせていない。雑用要員でも、いや雑用要員こそ、どんくさい人間にこなせる仕事とは思えない。
「うーむむむ……」
家路へのショートカットになる小さな公園内を歩きつつ、腕を組んで考え込む。
それがいけなかった。
空前絶後の運痴が歩きながら何かを考える、あまつさえ学生鞄を持った状態で腕組みをするなんて、やってはいけないことの最たることである。
「何してるのセイカちゃんッ!?」
「危ないよ! 腕を解いて!」
「セイカ姉ちゃんっ、前っ! 前ーっ!!」
買い物帰りで通りかかった近所のおばさん、ベンチで本を読んでいた青年、ブランコや砂場で遊んでいた小学生達までもが、セイカの様子を見て血相を変える。ひどく運痴なセイカを町内で知らぬ者はおらず、老若男女を問わず常に彼女を見守っているのだ。
が、考え込んでいたセイカは周囲の声に全く気付かない。
「わぁっ!」
案の定、何もないのに躓いた。
公園の真ん中で、地面に倒れていく。注意を促した人々は皆「あーッ!!」と声を上げた。
その大合唱をBGMに、ああ、ここで転んだら制服が土だらけになって洗うのが大変だと怒られるなぁ…とか地面が迫ってくるのをやけにスローに感じていると──
「!?」
突然、目の前の地面に魔法陣っぽい紋様が現れた。
「え──……!!」
ぶつかる──と思っていたが、セイカの身体は淡く発光する紋様に吸い込まれ、地面に当たった衝撃はやってこない。
「…………!」
セイカを完全に飲み込むと紋様は急速に縮まり、光の柱を弾けさせて跡形もなく消え去った。
夕暮れの公園にはそんな怪奇現象を目撃した人々が唖然とし、静寂だけが広がっていた。