表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
寿町の星  作者: 播磨王65
8/31

8話:高校受験とマイカー購入

 中学3年の夏休みも善一は継続して問題集を解き、めざす高校を翠嵐高校に決めた。陽子も負けずに緑が丘高校を目標にしたいと担任の先生に言うと難しいと言われ善一に差を付けられた。そこで受験勉強にラストスパートをかけ、夏休みもエアコンの下で勉強していた。やがて秋になり受験校を決める時に善一は翠嵐高校、陽子は光陵高校をあげた。そして1992年となった。善一が翠嵐高校、陽子が光陵高校の受験の申し込みをして、受験日を迎えた。


 父が善一につき、奥さんが陽子さんについて受験会場に行った。その翌週の合格発表会で善一も陽子も合格し、私立の受験をしなくて済んだ。実はこれが一番、世之介にとってありがたかった。この合格を聞きつけて昔から子供たちを可愛がってくれた兼松幸子おばあちゃんが来てくれ、合格祝いに善一には黒の陽子さんにはベージュの万年筆を買ってきてプレゼントした。そして4月から陽子は保土ヶ谷駅から東戸塚駅へ通い善一は橫浜市営バスで翠嵐高校のある三ツ沢まで通い始めた。


 その後、手がかからなくなり再び世之介が日本株投資の勉強を再び始めた。この姿を見て善一が、これから21世紀は経済の時代だと考えて証券、金融などを勉強しようと漠然と考え始めた。一方の陽子は英語好きで英会話の教師とか海外留学の手伝いなどの仕事をしたいと考えていた善一は翠嵐高校に入ると最初の試験でクラスで46人中32番目の成績まで落ちてしまい、この高校のレベルの高さを痛感させられた。しかし、どんな事があってもベスト10に入りたいと願い勉強をつづけた。


 陽子の方でも最初のテストでクラス42人中36番目に落ちて、大きなショックを受けた。その話を父の世之介に話すと冷静に光陵高校にギリギリは入れたって事で、ある意味ラッキーだと言い、向上心があるなら上をめざせと言われた。その後、高校では大学進学のことを考えてクラブ活動に入らず過ごした。夏休みはエアコンの下で2人とも勉強していた。その後1992年8月19日午後13時半にN証券の池田からの電話でソニー株が下げてるので3400円で買いと言われた。


 ソニー1万株を3400万円の開始指示を出した。。午後15時のN証券の池田からの電話で全部買え残金が5260万円と報告を受けた。株の儲けで車を買おうと家族で展示場へ行くと善一がキャンピングカーが良いなと言いトヨタの展示場でトヨタ・ハイエースワゴン・スーパーリミテッドの2年落ちの中古車を270万円で購入した。座席はえんじ色のデラックスなシートで一目で気に入った。そして1992年の秋になり、気分転換に家族4人で箱根に一泊旅行に出かけた。


 芦ノ湖について遊覧船に乗った。帰りはロープウェイとケーブルカーを乗り継いで強羅駅から大平台で降りてタクシーで直ぐの組合の保養所を開放した宿に泊まった。そこの熱めの温泉に入り、夕食後、部屋でビールを飲んで早めに床についた。翌日は宿の近くを散歩して、9時半にホテルを出て大平台から箱根湯本を過ぎて小田原から西湘バイパスに入り相模湾の景色を見ながら大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢、戸塚を経て保土ケ谷郊外の自宅に着いた。


 そして夏が終わり秋を迎え、子供たち2人が受験勉強を続けた。やがて師走が来て1993年を迎えた。1993年に入り父の進学塾に2人が入り他の高校生38人と共に勉強を始めた。そして模擬試験を受けると、善一が3位、陽子は10位だった。その後も多くのテストを続けて、受験生個人の強みわかってきた。そして、善一の弱みは全体が平均的な点数なのでとくとくな科目を作る事とアドバイスすると、数学に力を入れると言った。続いて、陽子の弱点は数学と理科系だと指摘した。


 その理系の強化を指示した。やがて春が過ぎ、夏休みが重要だと善一、陽子、その他、塾の全員にハッパをかけた。しかし息抜きも必要だと考えて8月10日、早朝に富士山周辺の山岳ドライブに出かけた。東名高速道路、横浜インターチェンジから入り、御殿場インターでおりて、御殿場バイパスを走り、子供たちが富士急ハイランドへ行きたいと言うので10時半に到着して、富士急ハイランドの入場券を買い入園した。そして、ジャイアントコースターに乗りたいと善一と陽子が言った。


 母の勝子は高い所が苦手で仕方なく世之介が一緒に乗ることになった。最初はゆっくりでジェットコースターで頂上は景色が良く快適だったが下り始めると急にスピードアップして、やがて何が何だかわからず恐怖で大声を上げてしまった。そして他のアトランクションも子供たちと一緒にまわり12時前にレストランに入って昼食をとり13時過ぎに富士急ハイランドを出た。その後、山中湖を抜けて、芦ノ湖へ向かい遊覧船に乗り、午後15時に箱根関所前を出発した。


 山道を熱海方面に向かい、熱海港の近くのホテルに到着しチェックインした。そして、温泉に入り、世之介と奥さんは風呂から上がると部屋で仮眠し、子供たちは熱海港周辺を散策してから温泉につかり、19時に食事会場へ行き、バイキング形式の夕食をたべた。そして2つの洋室で母と陽子さんで1室、父と善一が1室となり、大人たちがビールを飲みながら今日のドライブのこと、大学のこと、卒業後の進路などを長い間、話して22時過ぎに床についた。


 翌日は、家族全員では熱海港と周辺の公園を歩いたが、早朝から釣り人が多く来て、熱海港はにぎわっていた。その後10時にホテルを出て、途中、小田原魚センターで魚のひもを買って、早めの昼食をとって、西湘バイパスで相模湾の景色を眺めながら平塚、茅ヶ崎、藤沢、戸塚から橫浜新道を使って、保土ケ谷の自宅に帰った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ