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寿町の星  作者: 播磨王65
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4話:結婚と出産2

 それを見て義理の母は勝子を抱き寄せ、あんなに弱虫で泣き虫の勝子が子供を産むなんて、未だに信じられないよと、涙を流して喜んでくれた。今晩は、泊まっていくんだろと聞くので、そうさせてもらえればありがたいと勝子が言うと、父が部屋は、いくつも空いてるから泊まっていけと言ってくれた。そして、もう疲れただろうから布団を敷いてやるから、向こうの部屋で休んでなさいと母が勝子に言い、そして君もそばにいてあげてくれと父が言った。


 夕飯になり、この地域特産の田舎そばを出してくれ勝子食べると、旨い懐かしいと言い、勝手に出て言った親不孝な娘を優しく迎えてくれてありがとうと、また泣きだした。食後、義理の父が地酒を世之介に静かについでくれた。すると世之介が義理の父に、何かご質問はありますかと聞くと聞いても仕方あるまいと静かに言い、今迄よりも、今後、どうするかの方が大事だと冷静に言った。確かにその通りですねと世之介が答えた。


 お前達、家庭教師のアルバイトで暮らして金がないのだろうと聞くと、えーまーと言い投資で少しずつ増やして資産が増えたので子供を作ることにしたのですと言うと、おままごとの話みたいだなと笑った。すみませんと言い、これからもお世話になりますと世之介が頭を下げた。ありがたい事に、うちでは食うに困ることもなく、少しの余録もあるので、お前達の出産費用として50万円を用意したから帰る時に持って行けと言ってくれた。


 そんな大金、申し訳ないと世之介が言うと、お前達にじゃない、生まれてくる子供達のためだと語気を荒げていった。本当にありがとございますと世之介は今迄感じた事のない熱いものを感じ涙を流した。きっと良い子に育て上げますので、今後とも宜しくお願いしますと深々と頭を下げた。いままで、こんな感情は初めてで悔しさ、情けなさ、怒り、悲しみが、ごちゃ混ぜになった強い感情だった。すると不思議なことに自信とファイトがみなぎってくる自分を生まれて初めて感じた。


 そして心の中で今に見ていろ太い男になって世の中を見返してやるぞと、顔を赤らめた。そして、翌日、午前中に勝子さんの実家を出る時、ご祝儀の50万円を義理の父からしっかりいただきた。その、このご恩は一生忘れません、本当にありがとうございますと大きな声で言って、勝子さんの実家を後にした。やがて梅雨の時期になり、じめじめして困るので大きめのエアコンを購入して、いちばん大きな部屋に設置した。


 その後、夏になり1976年7月1日に夢想勝子さんの母の岩瀬繁子さんが家に来て勝子さんの身の回りの世話、炊事、洗濯、買い物などを始めてくれた。数日後、大きな荷物が届き、サツマイモや白菜、ナス、ピーマン、キャベツなど多くの野菜が実家から送られた。世之介はアルバイトの家庭教師に出かけ、せっせと働いていた。その後、1976年7月22日に産婦人科の検診の時、タクシーを呼んで産婦人科まで行った時、双子の可能性が高いと先生から言われた。


 初産と言うこともあるので、ちょっと早めの1976年8月2日に入院しましょうと言われた。そして8月2日となり入院の準備を整えタクシーで産婦人科病院に入院した。そして8月3日に産婦人科病院から電話がかかってきて難産になりそうなので覚悟しておいて下さいと言われた。すると、岩瀬繁子さんが家の近くの人にこの近くの神社はどこですかと聞き、徒歩10分の所にある諏訪神社を教えてもらい世之介を連れていった。


 あなたは、お百度参りって知っているかと聞くと、えー、満願成就を祈願して、百回、神社をお参りすることですよねと言った。その通り勝子の安産のために一緒に、お百度参りに行こうと言われ、言われるとおりに出かけ、汗びっしょりになって、1人50回ずつで、合計、お百度参りをした。子供をつくると言うことは、ただ可愛いと言って眺めているだけじゃないのよ子供の生死、未来に責任を持つことなのよと、きつい顔で言った。


 言われることは良くわかりますと言い、その後も夏の暑い盛り汗びっしょりになって勝子の安産祈願のお百度参りを続けた。その甲斐があったのか1976年8月6日早朝に、二卵性双生児の男の子、女の子の元気な赤ちゃんが誕生した。そして長男を夢想善一、長女を夢想陽子と名付けた。体重が少し足りないので、退院予定日を8月12日に延ばしましょうと言われ了解した。


 出産後、義理の父が埼玉から駆けつけて、元気な双子の赤ちゃんを見て、勝子によくやったと、ぼろぼろと涙を流して喜んでくれた。そして、お乳が足らないのでミルクを与えたりして双子で手がかかって繁子さんが2人の男に指示して、お湯を沸かしたり、ミルクを溶かしたり、冷やしたりして、てんてこ舞いしながら双子の世話をした。そして双子用の乳母車や必要な品物を買いそろえた。やがて1976年8月12日にタクシー2台に分乗し、家に帰ってきた。


 ここじゃー狭いから、できたら神奈川県営団地か橫浜市営団地に申し込んだようがよいと父が言った。それに対して世之介が、わかりました役所で良く聞いてきて手続きを取ってきますと言い、役所に行き、申込用紙を何枚かもらって来て、申込用紙に記入して、この近くの南区、中区、西区、保土ケ谷区の団地に申込んできた。

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