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寿町の星  作者: 播磨王65
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3話:結婚と出産1

 そして世之介だけを呼んで、でも子供を作るんじゃないぞ、貧乏人の子沢山ほどひどいものはないからなと言い、何故かというとうちがそうだからと言い、必ず、子供を作らないように注意しろと肩をたたいた。暑い夏になり、家の風呂場で早朝に水を張っていて午後に温まった温水風呂に入る様にして水遊びと風呂両方を一度に住ますようになった。この所、家計にの収支で2万円近く黒字になったと世之介が言った。


 すると面白いもので学生時代の友人が世之介の話を聞いて手土産持参で遊びに来るようになり友人も増え、2人の生活が一層、充実してきた。以前から世之介が家庭教師に行っている橫浜で貿易商を営んでる黒木家の当主の黒木利和が世之介と彼女が同棲している話を聞いていた。正式に結婚したらと言い人間何か目標を持つと、そのために頑張れるのさと言い結婚を奨めた。この話を岩瀬勝子にすると、うれしいけど結婚式の費用がと言うと、そうだなと世之介も同意した。


 この話を黒木利和に話すと2人だけの結婚式、たいして費用かからないし俺が出してやるよと言ってくれた。良かったら、うちの応接間で貸衣装を借りて写真を撮ると良いそれ位の金なら費用出してやると言い同席した奥さんも、そうしたら良いと言ってくれた。この話を聞いた岩瀬勝子は感極まって大泣きした。是非、結婚式がしたいと懇願し結婚をすることが決まり1974年12月10日、黒木家の家族5人に見守られクリスチャンの黒木利和が牧師の代わりをして結婚指輪も用意した。


 そして自宅の応接間で結婚式をしてカメラマンもお願いして洋装と和装の2つのタイプの結婚写真を撮ってくれた。費用は全部、黒木さんが出してくれたが、奥さんも久しぶりに良い行いができて私達にも幸せが来るはずよと大喜びしてくれた。やがて1975年があけた。初詣で今年の目標として自分達の資産合計が100万円を越えたら子供を作ろうと世之介が勝子に言うと目に涙を一杯ため、うれしい、世之介さんが大好きと抱き付いた。


 よせよ、みんなが見てるじゃないかと照れた。100万円が貯まったら、そうしましょう、お天道様も、きっと私達の味方をしてくれるはずだと勝子が言った。その後も、せっせと奥さんは、炊事、洗濯、世之介は買い物、掃除をして、契約している学生への家庭教師に自転車で出かけていった。やがて春になり、今年は、橫浜の桜の名所へ、2人で弁当持参で自転車で出かけ、桜木町の海側の桜並木や野毛山動物園、掃部山公園、上大岡の大岡川の桜を眺めて来た。


 橫浜にも数多くお桜の名所があると聞き驚いた。5、6月と暑くなり、お盆を過ぎて涼しくなった。その後も2人は暇ができると横浜の海や野毛山動物園を楽しそうに散歩して秋、冬が過ぎ、やがて1976年を迎えた。新年のおせち料理も品数が増えて豪華にした。そして1976年2月に岩瀬勝子に子供ができたことがわかり赤飯を炊いて祝った。その後、1976年4月17日に資生堂株が上昇してるとN証券の池田から電話が入り指示通り770円で全株売りを指示した。


 昼に売れたと電話が入り純利益1400万で投資残金1600万円になったと報告され、あまりの金額に信じられないと、絶句した。そして奥さんの出産予定日が1976年8月10日とわかった。その後、岩瀬勝子の出産のために万全を尽くして生活をして、家庭教師は7月中に辞め、その代わりに世之介が家庭教師をする事を生徒に告げた。春になり勝子のお腹が大きくて世之介が心配するほどだった。


 検診の結果、双子の可能性があると言われた。世之介が勝子に、実家にも知らせた方が良いと言ったが、訳あって家を飛び出したので、今さら、母に助けてもらう訳にはいかないと拒否していたが、世之介が僕たちの面子よりも生まれてくる子供の事最優先に考えるべきだと諭すとわかったと言い勝子が実家に電話を入れた。まず電話をかけて久しぶり元気だったと聞くと実家の両親は元気であり安心した。


 今、結婚して今年の8月に橫浜で赤ちゃんを産むと伝えると母が泣き崩れたようで父が代わり良かった本当に良かった。それで、いつ頃からそっちで手伝いに行ったら良いかと父が聞くので7月になったら来て欲しいと言うと、わかったと言い、父は大喜びしてくれた。もう実家には両親だけで兄弟達は家にいないと話していた。岩瀬の実家は東京に近い埼玉の昔からの農家で比較的裕福な家に育ったようだ。


 世之介が、父に電話で挨拶して東京大学を出たが人付き合いが苦手で家庭教師の仕事をしながら岩瀬勝子さんと2人でつましく暮らし、昨年秋に結婚しましたと丁寧に説明したところ、そーかとだけ言った。後日、2人でご挨拶に伺いますというと、わかったと言って電話を切った。5月の連休に2人で川越の実家へ向かい、橫浜から東横線で渋谷へ山手線に乗換え池袋へ、そこから東武東上線急行で30分で川越へ1時間20分ほどで到着した。


 世之介が両親に挨拶して手土産の崎陽軒のシュウマイを手渡した。すると義理の母がサツマイモと、お茶を出してくれた。世之介がサツマイモを食べると、旨い、甘いと驚くと、そうだろう。ここ川越は、おいしいさつまいもの産地なんだと誇らしげに語った。漬物もあうよと、出してもらい、食べてみると確かに絶品だった。


 そして勝子を見て、おまえ、ひょっとしたら双子かいと驚いた様に言うと、そうらしいと答えた。そりゃ大変だ、難産にならなきゃ良いがねと心配した。1976年7月1日に、そっちへ行って、家事や、お前の面倒を見てやるよと行ってくれ、それを聞いて勝子は涙で顔がぐちゃぐちゃになる程、泣いた。

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